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よしよし、俺が妥当なとこまとめてやろう
一つ 福島は猛将にあらず
一つ 福島は駄将にあらず
一つ 福島は筑前子飼い
一つ 福島はドジッ子
一つ 福島は酒乱
一つ 福島な割に常識人
でもあの大河、清正は空気だし、たったひとりで
家康に利用される武闘派やるのはたいへんなんだよ
ゆうべも上杉討伐隊の全武将を代表して
家康とふたりきりの小山評定がんばったよ
まぁ、あの大河では福島の描かれ方はまだマシな方かと。
徳川に騙されて、結果的に豊臣滅亡の片棒を担いでしまったっていう扱いと、
自家のため、強かに徳川に鞍替えしたって扱い、どっちが良いのかね。
一長一短な感じだが。
三成贔屓の考え方だとそうなるわな。
徳川に騙されていないし、自家のために鞍替えもしていない。
豊臣恩顧で三成憎しで、徳川と親密といったら浅野幸長の方がよっぽどだと思うが。
なんで福島ばっかり責められるんだ?
豊臣を裏切り、徳川の手先となって先鋒を務める。でも宇喜多に壊滅寸前。
恩顧のクセに秀頼見放して、自業自得でお家取潰し。
という、西軍側(特に三成)の小説にとっては、最高の材料。
当時の状況と福島の動きを先入観なしで考えれば、普通はね、わかるんだけどね。
先入観無くしてもお家を残せなかったのはどうなのってレベル
福島の評価の決定打は、家の存続云々ではない。
家を存続した事が決定打で、優秀な扱いを受けている大大名っている?
加賀前田家
土佐山内家
伊達(分家含む)とか上杉とか島津とかかなぁ
全部違うだろw
皆、一流どころなのは間違いないが、家の存続によって優秀な評価を
受けてるわけじゃないだろ。
福島だって家を存続できてたら上に挙げた藩並の評価はあるだろ
ある家もあれば、ない家もある。
つまり、家の存続自体だけでは尺度にはならない、ということ。
そもそも家名存続するってことはある程度の武勲や外交能力、機を見る能力が必要だったわけだし
結果的に家名が残ってれば山内みたいに若い頃から秀吉の恩顧を受けてても
家康側についたってそれほど悪く言われないし
どっちつかずの日和見が悪く言われるのは仕方がない
中途半端に秀頼の心配とかしてるから警戒されて大坂の陣には参戦を許されないような
空気読めない行動を取って結果的に家名存続できなかった福島に評価とかするわけがない
>どっちつかずの日和見が悪く言われるのは仕方がない
中途半端に秀頼の心配とかしてるから警戒されて大坂の陣には参戦を許されないような
空気読めない行動を取って結果的に家名存続できなかった福島に評価とかするわけがない
>>13ご参照。眠いから寝る。
家名を残すか、悲劇の忠臣、股肱の名臣として名を残すかの違い
大名として家名も残せず、忠臣、名臣としても名を残せなかった空気読めないヘタレ武将
>>21 どっちつかずってのは福島に当てた言葉じゃないんだが
きっちり家康側に参戦したくせに、そのごの状況も読めず中途半端な態度、行動をして
家康に警戒されるようなマネをしたって事
日和見で言ったら戦の土壇場で逃げて、さらには家康にあっさり屈服した前田の方が酷いし、
家名の存続で言ったら改易された大名なんてごまんといるし、
結局三成贔屓と豊臣贔屓除いたら福島批判する人なんて残るのかね。
>>24 日和見?
あの戦線離脱は勝家から秀吉に乗り換えたれっきとした行動だろ
その後秀吉に臣従して功を挙げて石高も増やしてる
家康への臣従後も特に改易されるでもなく立派に家名と石高を存続してるじゃないか
忠臣とか律儀な大名ってイメージは個人的には無いけどな
福島の中途半端な態度と情勢の読め無さで家名も残せず忠臣という名も残せてないと指摘しただけで
他の改易になった大名よりヘタレとも言ってないし
>>24のレス自体反論にもなってないぞ
>>25 単発で碌なレスもできない低脳よりマシだとおもうわ
結果的に家を残せなかったってのは確実なわけだし家を残せた連中より下なのはガチ
そもそも福島の家臣に優れた家臣が多かったとかよく見るけど実績はあるの?
仕官は問題無くできたんじゃないかな
忠義をみこまれて遠方より望まれて招聘された西軍諸将の連中よりは人気薄だろうけど
>結局三成贔屓と豊臣贔屓除いたら福島批判する人なんて残るのかね。
これはガチ
家を残せたという事は、時流への適合力が高いと言えるから、まぁ優秀とも言える。
輝元を優秀だと思ってる人は少ないと思うけど。
逆はそうとは限らない。家を残せなかったが優秀、な武将は多いだろ。
三成は、時流が読めなかった、もしくは逆らって滅んだわけだが、一豊の方が有能とはとても思えない。
『家を残せなかったから無能、ヘタレ』というのは、全く普遍性がない。
単に福島を貶めたいだけの幼稚な定義。
当時の大名が己個人の主義主張であたら有能な家臣を死なせたり路頭に迷わせたりするのは
明らかに主君としてはダメだろ
個人の才覚や技能ならともかく
>>32 家を残せなかったために、不当に低評価なんて大名も腐るほどいるけどね。
なんで福島だけ別格扱うできるのかわからない。納得できる要素が全くないんだ。
別格扱いなんかしてないよ。
逆に、当時から福島を不忠、裏切り者だの、日和見だのと評価してる史料はないのに、
小説、大河の演出を無批判に受け入れられる方が不思議。
そりゃ、東軍なんて、言ってみれば全員、元々主だった豊臣と敵対した側なんだから、
福島だけを裏切り者なんて、非難できるわけないだろ。子飼いだったとしても。
大体、ループしてるけど、裏切りに拘りすぎ。
史実の過程を見て、結局、家を守れなかったのがマイナスね、って言われてんの。
家の存続を軽く見てるのは、いっつもあんただけだぞ。
福島に限らず、家の存続を評価の肝にした議論なんて見たことないぞw
何いってんだか
巧妙が辻なんかは明らかにお家存続が評価された物語だろが
戦国武将や大名のほとんどが、家の存続に至上の価値をおいて行動してたんだから、
それが人物評価の一基準になるのは当然だよなぁ
目的達成できたかどうかのわかりやすい指標なんだもん
何でわからないかなぁ。
家の存続自体が評価の肝になるなら、結論は○か×しかないでしょうが。
存続すれば優秀、しなければ無能。そこに議論の余地なし。
重要なのは、そこに至るまでのプロセス。どう決断し、行動し、結果どうだったか。
その積み重ねが、存続云々に繋がるわけでしょ。
んで、そのプロセスを各人の切り口で議論してるのが、なぜわからないかねぇ。
究極の結果論からいえば、その通りだよ。
家の存続に成功したか、失敗したか、その規模は、それが最も平等な評価の仕方とも言える。
大体、家の存続がそんなに軽いなら、福島が家康側についた理由はなんなんだか。
「一般的に福島は名将」なんて言ってたけど、今日は大河やゲームで…なんて大衆娯楽を間違い扱い。一貫性なさすぎ。
>>38 織田信長(信忠)、豊臣秀吉、上杉謙信。この辺は、死んだ後の家の存続絡みで、大きくマイナス評価を受けている。
武田勝頼、今川氏真、北条氏政(氏直)、大内義隆なども、実績がありながら、家を潰した点でものすごく損をしている。
家の存続という点は、評価の肝に多いになってる。評価の第一前提にされているのも珍しくない。
大名は領地がその力であり、数字で見れる最も確かで平等な「結果」の産物だ。
現代でもそうだろ? 重要なのは、経過じゃなくて結果なんだ。
挟撃に失敗した点、離反しなければ江北からどれだけ所領が広がったか、指摘されるね。
将軍生母の父というのもあって、好意的な扱いの流れも大きいけど。
結果がすべてなら、家康以外は皆カスという事だな。
つか、もういいよ。ウザい。
自分の意見が通らないと、感情に走ってそれか。
片方の意見に賛同者が集まっている理由を考えた方がいいぞ。
まぁ、一応別人なんで。
>>46の名誉のために。
キミはとても見苦しいネ。
そう?
ハッキリ言って、この話は
>>41で打ち止めだと思うよ。
>>43とか、笑っちゃったもん。
誰にマイナス評価されてるの? 損をしてる? 珍しくない? なんだかなぁw
結果がすべてなら、議論なんか必要ないじゃない。答えは出てるんだから。
そんな事ないんじゃない? ということで、多くのスレが存在してると思う訳だが。
>>50 >>41で打ち止めとか・・・
経過を大事にするのもいいけど、結果を無視してまで大事にするモンじゃないよ。
また煽りに乗せられてもアホくさいから、勝手にお前の中で打ち止めにしてくれていいけどね。
正則のこと、結果を覆すほど評価できるプロセス教えて♪
石田三成のほうが情けないよな。
一族家臣を滅亡させたあげく、豊臣の勢力を大きく減少させたのだから。
本来徳川家康は豊臣政権の執政にすぎなかったのに。
大谷吉継の誘いに応じて会津征伐に参加すべきだったのだ。
正則を優柔不断とか言う人がいるけど
正則は一貫して家康と戦うべきでないと主張していると思うんだけど
それに正則が豊臣家を滅亡に導いているとかあるけど
豊臣家が勝手に自滅しただけだし、正則が豊臣家と徳川家を戦わせようとしていたのか
あと福島家は大名としては没落したけど旗本とかで存続はしていたんじゃなかったけ
家康との戦いを避けたいと思ってるのは豊臣よりの大名はみんな思ってるつーの
清正はその上で
清「いざって時はいざ大阪だからな!特に広島の正則には期待!」
正「だが断る」
だもん。エピソードでさえ夢も希望もねぇや!
>家康との戦いを避けたいと思ってるのは豊臣よりの大名はみんな思ってるつーの
そう思っていない一部の大名が秀頼の名を騙って勝手に軍を起こしたのが問題だよ
そもそも豊臣が家康と戦う必要などどこにもない
淀や秀頼だって毎日政務に忙殺された生活を送りたいなんて考えておらず、単にふんぞり返って生活したいだけなのだから
どこぞの田舎にでも行って秀吉の遺産で年金生活でもしていればいいだろ
秀吉死後に権力握るのは、家康である事は明々白々。
家康と旧権力者である豊臣を二本の軸で考えた場合、
@豊臣を見限って家康になびく
A豊臣の天下が基本、家康とは対立
の2パターンが大半なわけだが。正則、清正をこれに当てはめようとするから無理が生じる。
B豊臣、徳川の共存
という選択肢で考えるべき。立場の強弱は如何ともし難いから、豊臣側が我慢せねばなるまいが。
>>60 徳川幕府のもとで一大名に転じる、という事だろうな。
豊臣政権下の織田みたいにさ。
大抵の場合、対決前提で議論されるから、
この二人は裏切り者として無理矢理徳川方に編入される。
で、関ヶ原後の行動が説明出来なくなるんだけど、
未練とか、優柔不断で片付けられちゃうのがパターンだよな。
関ヶ原で勝ちすぎちゃったのかね
戦って怖いわ魔物だわ
戦後の西軍についた家へのアフターケアの奔走っぷりは涙ぐましい
>>60 共存策を選んだにしても、結局は失敗してるからな。
豊臣家が弁えて、一大名として存続していれば、加藤と並んで功臣扱いだったかも
豊臣、徳川の共存が成ると考えてた甘さは無視か・・・・
実際の所は千姫はちゃんと嫁に出しているし
二条城の会見で形の上では秀頼が徳川に臣従したようになっているわけで
かなりの確立で豊臣、徳川の共存ができるはずだったんだけどね
それに徳川家康に勝てると考えてた甘さを無視してないか
三成が暴発しなければ、豊臣家が生き残れた可能性は高いんじゃない?
処分されるのは上杉だけ。西軍諸将の領土はまんま残るわけでしょ。
当面、家康は豊臣家の家老の役割を続けざるを得ないし。
家康の寿命が先に来る可能性もあるよね。
前田→上杉→宇喜多→毛利と順当に潰されて手詰まりして終わり
>>72 私感ばかりで論じてる気になられても・・・
そんな誰でもわかる事をw
三成暴発のおかげで全国総仕置が出来たにも拘らず、豊臣を滅ぼすには相応の時間を要したわけでしょ。
それに比べれば、時間もコストも遥かに消費すると思うけどね。
大老だけじゃない、西軍外様も多数残る。徳川の基盤を固めるのはどちらが易いかねぇ?
三成が暴挙しなければ江戸時代に置き換えると
豊臣=将軍家
徳川=大老or筆頭老中
石田=側用人
福島=御三家
みたいなポジションで納まったの
>75
いう事ごもっともだがそう思うなら福島は三成と和睦なりなんなりするべきですよね。
豊臣家の為に率先してね。
怨みもない三成のケツ追いかけ回してる福島はちゃんちゃら可笑しいぞ。
っか福島が石田を嫌う理由ってはっきりしてる訳?
この手の最初の問題は正則が無届で徳川との婚約したという話だということなわけだが。
以下ループなので結論のみ述べる。
というか、正則おかしくね?関ヶ原後素直に家康にへいつくばれよ。
家康がそのために関ヶ原前はへいつくばったわけだし。
どうにせよ空気読めないのだけはガチだな。
へいつくばってるよ
清正に
今後豊臣家に奉公するつもりはない
っとぶっちゃけとるし。
>>78 確かにその通り。福島の『石田憎し』は根拠に乏しい。
だから、共存方針に説得力が増すんだよ。
『家康との対決方針を持つ、危険な理想主義者・三成の排除』でしょ。
程度の差こそあれ、それなりの逸話を持ち、評価もされている七将が、
感情に振り回されてる構図に疑問を持たない?
講談的には、才知に長けたラスボス家康が、七将の感情をまんまと
利用してる方が映えるんだろうけどね。
アンチ側から、福島の『石田憎し』を否定してくれるとは、アリガタイ話だね。
>>79 法度破りの婚姻については、形式的にはけしからん話だけど、
実態的には豊臣にとってウェルカムな話。豊臣の親族である福島が、徳川との接点を強めるんだもの。
秀吉の対家康方針と同じ。共存方針とも矛盾しない。
関ヶ原以降、家康に這いつくばっていないから、
よく言われる『自家のため』、に徳川方についた訳じゃないという事になる。
家康に強く出れるのにはそれなりの根拠があって、それは自分が家康を天下人にしたという自負だと思うね。
その先にあるものは、繰り返しになるから省略するけど。
豊臣が滅んだのは、自分で首を絞めたとしか言えない。
空気が読めない、とかヘタレで切り捨てるのは、筋道立てて説明出来ない人の逃げ口上でしょ。
正則のせいで豊臣家が窮地に陥ったなんて極端なアンチしか思ってないってないと思うが。
空気が嫁ない、へたれってのは後に改易されたのを見てのイメージと正則=猛将が先行しての事。
そんな事になるなら最後に猛将らしく一花咲かせろよという考えからくるものと思うが。
巻き込まれる家臣領民を考えれば最悪な選択(有り得ないが)だが、
後に何のアクションなしに潰された正則(笑)猛将(笑)
って話になる。後やっぱり関ヶ原でしか華々しい話が語られないのが痛い。
正則の悲劇は死ぬタイミングを間違えたの一言に尽きる。
>>82 いや、例え福島家の婚姻が徳川家と豊臣家の結束を強めた結果豊臣家を救うなんて妄想ぶっこいたとしても
利家はじめ大老や奉行に無断でやっていいことじゃないだろうと
関ヶ原で強烈に家康を支持した癖に、中途半端に豊臣家を気にするから家を無くしたわけで
大阪城に兵を率いて入場して豊臣に殉じるわけでもなく、謹慎を命じられて座して豊臣が滅んだ時点で
家康に媚びを売ってでも家名を存続するべきなのに簡単に隙を見せて改易
福島を空気が読めない、ヘタレっていう評価をするのは間違ってないだろ
徳川と豊臣を対決させなきゃ気がすまない人達が福島を評価すると、その程度になるわけ。
メンドクサイから引用させてもらうけど、
>>60ご参照。
清正は最初から家康を警戒していて
正則は利用されたと後で気がついた
そもそも、正則は豊臣の一族なんだから、もう少し先を読んで動けなかったのかな
福島スレは、説明出来なくなったら、次のキーワードを使えばOKです
@ヘタレ
A空気読めない
B中途半端
C優柔不断
D未練
その先の理由や背景まで掘り下げる必要はありません
それじゃ1613年に福島が死んだと仮定した時の現代の評価がどうなったか考えようぜ
話は変わっちゃうんだけどさ。
大坂冬の陣で正則が出陣してさ、踵を返して大坂城に入城したら、
やっぱり相当面白い事になると思うんだよなぁ。
指揮権は一任されるだろうから、軍勢はまとまるだろうし。
正面勝負も強いだろうけど、真田・後藤等の献策に耳を傾け奇策も良し。
平時じゃないから、淀殿にもズケズケ遠慮しなそう。
秀頼の出馬もあったろうし、停戦もなかっただろうな。
本国の事とか、政治的な事抜きで考えたら期待しちゃうよなぁ。
そして関ヶ原のようにフルボッコでアボ〜ン
史実と変わんね〜w
総大将だからそれはねーな
意思決定が一本化されるだけでも随分変わるだろ
大阪の陣で広島藩の兵率いて豊臣方に荷担して壮絶な討ち死にでもしてたら
大河になったり漫画になったりスロットやパチンコになったりして大英雄になったかもしれないのにな
なぜそこで三成の話題をだす…
まさに
>>95こそKYであろう
三成の挙兵タイミング以外だと、対家康に兵を挙げるのはほかに最適な時はあったんだろうか
結局各個撃破されちゃうからあのタイミング以外じゃジリ貧になるような気がする
利家が生きてるときに征伐しちゃうのが一番だったんだろうけどなぁ
>>97 豊臣って三成と正則だけではないんだから普通に耐えれると思う。
>>86 >そもそも、正則は豊臣の一族なんだから、
それは後世の人間が正則を非難するために持ち出しているだけで
当時の政権の体制を見る限り明らかに正則は豊臣一族として扱われていない
正則は豊臣姓を名乗ることは許されなかったし、政権の合議に参加することもできなかった
政権内において特定の地位や役職も正則は一切貰っていないし、秀吉の遺言にも正則に対する言及など何もない
さらに東海に配置されたとはいえ他の東海大名に対する指揮命令権が与えられたわけでもない
単なる責任転嫁のために豊臣一族なんてものが使われているだけで
政治的には正則は中規模な外様大名となんら変わらない
>>96 正則マンセーは、すぐ三成や豊臣の所為にするからw
当然、2者に責任が全くないわけないが、「全て」なレベルだもの
正則の母が秀吉の叔母だったのは事実だし
小姓時代からの子飼いだったのも事実ですが
血縁者全てを才能にかかわらず重職に就けたり
豊臣性や羽柴性を許可するなんて事はない
無論子飼いという理由で恩賞等は優遇されるだろうが
長浜時代で裕福とは言えなかった秀吉に幼い頃から世話になって大名にして貰ったのにも関わらず
合議に参加できなかったからって理由で豊臣家に対して不利益な行動が正当化されるとか
第三者から見たら無理ありすぎるだろ
>>102 不利益に見える行動は、豊臣家が一大名として生き残るためで、三成が暴走しなければ、豊臣が分を弁えて一大名で我慢できれば、
正則の狙い通り、豊臣は滅びずに済んだはず……なんて言われてもなぁ。
大阪の陣では豊臣方からの援軍要請を拒絶するのはお家の為だったと理解できても
兵糧米を援助したりするからその後の立場を悪くしてるわけさ
結局空気読めないから、忠臣としても名を残せなかったし、家も残せなかった
大阪城をまっさきに囲んで大功を立てて子々孫々まで大藩の祖として領地を伝えていくか
主家の為に兵を率いて大阪城に入城し、見事散って忠臣として名を残すか
結局空気読めない、機も読めない中途半端な態度が良くなかったわけで
>>102 豊臣に対する不利益な行動ってのは何なんだろ?
最も不利益だったのが三成の挙兵だと思う。三成の純粋さは認めるけど。
>>105 徳川家との婚姻だなぁ
利家存命時に大騒ぎになってるじゃん
三成の挙兵が無くても、結局難癖つけられて各個撃破されてくしなぁ
挙兵しないで上杉が滅んだらもうどうしようもなくね
三中老よりも石高が上で三中老よりも戦経験してる訳ではない。
正則は華々しい戦果がある訳でもない。
にも係わらず重要拠点の尾張に所領を持っている。
げせぬ
秀吉は本当は尾張あたりに利家を配置したかったんだけど三成に反対された結果
子飼いの福島を置いたんだっけ?
まぁ子飼いだったしね
秀吉屈指の失策は三成を彦根に置いていたこと。
九州辺りに飛ばしておけば地理的に分不相応の関ヶ原戦を起こすことは不可能だった。
>>106 恩顧武将は皆好きな立場なんですが、婚姻騒動が本質的に不利益とは思えないんですよね。
貴方の言われるとおり、福島は豊臣の親族なわけで、徳川と結びつきが強まるのは良いことではないかと思います。
(既出レスの受け売りみたいですが)
利益どうこうと言うよりは、法度を破った事自体が問題なだけで、それ以上でも以下でもない気がします。
具体的に、どういう不利益なのか教えて頂けますか?
えっと
家康の勢力拡大に荷担してるわけだけど
そもそも大名同士の勝手な婚姻を禁止したのはそもそも縁戚関係を結んだ勢力拡大につながるからだろ・・・・
>>111 家康がなんで色んな大名と婚姻政策を進めたのかわからないってのは
ちょっと救いようがないぞ
豊臣家の縁者と血縁関係になれば
豊臣家に弓を引いたときには選択肢として徳川家へ荷担して貰える可能性もあるしな
血縁的には徳川の方が近しくなるわけだし
>>112 豊臣と徳川だけの対立軸で考えれば、そうなりますが、さんざん既出の
両者共存を選択肢として進めようとするならば、どうでしょうか?
私も、福島はその立場だと思います。
繰り返しますが、法度を破った事自体が問題なだけだと思います。
>>113 当然、そんなことは知った上で聞いています。
実際豊臣側から見てメリットにならなかったわけですが
それは豊臣が滅んだかゆえの結果論でしかないですね。
秀吉生前の家康に対するやり方と然程差があるわけではないですよね。
千姫と婚約してる時点でそれ以上のメリットが見いだせないわ
二重三重に関係を強める事は別に問題ないと思いますが。
両者の関係を強化しようとする福島の立場に、違和感を感じませんよ。
結果的に福島は豊臣家の滅亡を座して待ってたわけじゃん
清正みたいに死んじゃったなら別だけどさ
話をそらさないで下さい。
婚姻騒動において、福島豊臣に与えた不利益は何ですか?
法度破りでも豊臣にとって良い影響を及ぼすなら
あそこまで大騒ぎにならんだろ
どう考えても家康の影響力拡大行動の一つだろが
ループになりますね。
徳川との対決が前提になってる話ですよね。
どうも噛みませんね。
というか秀吉が死んでからの家康の行動がすべて天下簒奪を意図してるから
徳川との対決が議論の中心になるのは仕方がないだろうと
だからこそまんまと利用された挙げ句家も残せなかった福島がヘタレだと
キチガイと話がかみ合うわけがない
以降ID:lc33fvxoはスルー推奨
>>129 ここは福島のスレですから、福島を中心に事象を考えるべきなのでは?
わけわからん
情勢の読めない福島に合わせて
他大名の思惑や勢力比とかを考慮しないで
婚姻という事象だけを議論するって事?
完全に脳味噌沸いてるよね
>>131 まあ、いいですけどね。
反論出来ないと、スルー、真正、は良くある話ですから。
>>133 あなた自身が
>>103で、婚姻騒動をあげたんじゃないですか。
情勢無視して婚姻だけ取り上げるなんて誰もいってないが
それはお前だ
情勢無視して婚姻だけ議論するなんて無茶も良いところ
正則の行動は、全部先を見た正しい行動だったのに、他の連中の行動で全て阻害されただけみたいに言われても
まあ、いいですけどね。
受け入れられないと、自演扱いは良くある話ですから。
三成に頼まれて正則は舞兵庫の一族を召抱えてやっているだろ。
意外と二人の仲は悪くなかったのでは?
石田三成から真田昌幸への手紙でも福島の居城、清州城に入場して
徳川を迎え撃つ予定だったみたいだし。
福島の家臣に正則が帰ってくるまで入城を待ってくれと言われておとなしく
正則が会津攻めから帰ってくるの待っていたし。
つい先日、自分をぶっ殺そうとした張本人がおとなしく城に入れて呉れるはずも無いのだが。
三成ってアホ?
公私混同しないとかおもったんじゃないの
しらんけど
三成の方も、まさか正則がそんなアホとは思わなかったのかもなw
>>148 自分になんの相談もせず、後詰めや補給の戦略も伝えることなく蜂起した時点で三成など信頼できないだろ
福島に限らず諸大名は三成の奴隷ではないのだから三成の勝手な行動に心中する義務などない
三成には政権に返り咲き権勢を握りたいという野心が家康以上に明らかだから逆臣として討伐することは間違いではない
前田に難癖付けたり上杉征伐かましたりする家康も負けず劣らず野心丸出しだけど
清正の意見を尊重して小西をKILLすればよかった
小西は戦国一の疫病神
>>150 福島の方は徳川にすり寄った目的とやらを、三成に相談してたの?
なんでそうやって、三成にばかり責任押しつけるかね。
>>153 それ、対比になってないよ。
徳川主導の会津征伐に従軍した理由を三成に相談したのか?
ならわかる。説明する必要ないだろ。
>>153 すり寄るもなにも徳川は豊臣政権の大老筆頭だろ
それも秀吉自身が指名したのであって福島が筆頭にしろと要求したわけではない
そもそも福島に限らず豊臣政権の意思決定に参加できない大名は参加できる大名の誰かにすり寄って
自分の訴えを政権中央部に届けてもらわなくてはならないし
それなら発言力が大きい家康に近づくことに何の問題もない
地理的にも政治的にも東海大名のパイプ役が徳川になるのは当たり前だからね
福島にすり寄るなと言うなら福島にも参政権を与えるべきだし
もっと言うならすり寄って欲しくない徳川を政権中枢部に招聘するなということ
三成だって奉行に選ばれずに政権参画権がなかったら家康にすり寄ってただろうに
>三成だって奉行に選ばれずに政権参画権がなかったら家康にすり寄ってただろうに
ただの妄想wお得意の史料とやらで証明してくれw
この人、再評価の動きないの?
それだけパーフェクトなら、現状の不当すぎる扱い、何とかしそうだが。
ムリだな。
小説は、負けた側の方が創作し易い。
西軍、特に三成を主体として、その理念の正しさを強調しようとすると、
悪役徳川の走狗となって、それを粉砕した正則は捨てられないキャラ。
確かに。
まんまと騙された、という設定は、三成の正しさをさらに強調するしな。
>>159 秀吉が神で三成が無私の忠臣になったら
豊臣政権の失政の責任の矛先は限られてくるから仕方がない
本来なら一番の戦犯は秀吉なんだけど当事から秀吉を非難することはできないから
関ヶ原でババ抜きゲームをする羽目になって、400年後もこんなところで擦り付け合いしてるわけだ
本来なら秀吉がアホの一言で済む問題なのにそれができず、奸臣三成が悪いで300年間しのいできたのに
今になって福島に矛先を変えられるのもおかしな話だと思うけど
>>156 >福島にすり寄るなと言うなら福島にも参政権を与えるべきだし
>三成だって奉行に選ばれずに政権参画権がなかったら家康にすり寄ってただろうに
おまえ昨日のキチガイだろ
妄想激しすぎる
>>159 パーフェクトでも何でもない。
主筋である豊臣と、外様最大勢力の徳川の良好な関係を構築・維持
しようとしただけの話。
秀吉の方針を踏襲しただけであり、極めて保守的。
何も特別なことをしたわけではない。
この段階での豊臣家の代表代行は利家じゃね?
秀頼の守役なんだから・・・。
そういった意味合いから、正則の豊臣家の為になる発言は
前田の顔に泥を塗る発言だと思うわけだけど。
無断で家康と姻戚関係を結ぶとか明らかに空気読めてない
豊臣・徳川を直接周旋したわけではないから問題無し。
縁組が無許可である事自体には不快感を持ったとは思うが。
徳川の強大さ、今後の権力の移行を理解した行動であり、
寧ろ空気を読めてる話。
>>167 徳川支持への布石だとしたら主な東軍諸将のように空気読めてるけど
実際は中途半端に豊臣擁護で改易されてるから結局空気読めてない
>>168 それは結果論。結果失敗でも、その過程が否定されるものではない。
権力移行を見据え、豊臣・徳川の関係強化を図ろうとすること自体に
問題はない。
せっかく家康の娘と婚姻して起きながらその婿を自分の息子可愛さに
餓死させる正則は豊臣家の為にもならない婚姻をすすめ
状況を混ぜたただの馬鹿やろう
>>169 >権力移行を見据え、豊臣・徳川の関係強化を図ろうとする
なんだかその目で見てきたような物言いだな
ID:xXEUkAjC=ID:lc33fvxo
頭おかしいからスルーすべき
その前に別人を認定してんじゃん
反論できねーなら、黙って退場しとけよ。
見たよ。
同じく、基地外認定から荒れてるな
オメーのレスの早さと粘着のほうがキモいがな
反論も何も、キチガイの脳内で神扱いしてて議論にすらなってねーじゃん
キチガイはスルーしろ
キチガイを擁護する自演もスルー推奨
このスレ終わってるね。
本論で反論しないで、全て基地外認定みたいだし。
削除依頼した方がいいね。
おいおい
昨日のレスを見ろ
神格化してどんな反論も聞く耳持たないキチガイと
議論するのが無駄なのは昨日1日ではっきりしてるだろが
>>179 脳内で福島最高って自己完結してる相手に何言っても無駄
昨日のレスとやらも見た。多少粘着気味ではあったけどね。
昨日も今日も、頭がオカシイ、キチガイだので片付けようとしてるのは事実。
削除依頼出しといた。
171:人間七七四年 2009/09/19(土) 16:37:00 ID:UoKaserY
せっかく家康の娘と婚姻して起きながらその婿を自分の息子可愛さに
餓死させる正則は豊臣家の為にもならない婚姻をすすめ
状況を混ぜたただの馬鹿やろう
ストーリーが好きな人って面倒くさい
それはお話だからねってところから始めなきゃいけなくて面倒くさい
本能寺後の、織田・羽柴の関係を間近で見てきた加藤・福島等が、
秀吉死後、徳川との落とし所を考えるのは、凄く普通のことだと思うんだが。
正則にはINTが足りない
関ヶ原の後、豊臣まとめて再度徳川抑えることも出来た筈
正則の人望持ってすれば豊臣は一枚岩になったでしょ
>>191 通説で言われてるのは、
広島改易から川中島へ移る際に、大半の家臣は当然解雇された。
福島家臣団に対しては、他家から多くの再就職の声がかかる。
もともと正則が人材コレクターだった事もあるが、広島城明渡しの際、
福島家臣の見事な対応が評判となった事による。
(後の赤穂城明渡しは、これをお手本にしたと言われる)
然しながら、正則が再び大名として復帰し自分に声がかかる事を信じ、
仕官の誘いを断って浪人に身をやつす家臣が大勢いた。
これに心を痛めた正則は、年号が寛永に変わったその年に切腹。
旧家臣をその忠誠心から開放、再仕官への道を促した。
という事らしい。もちろん豊臣家が滅亡した事で、生きる事に脱力した事もあるんだろうけど。
因みに、家老級の大半は浪人したと言われる。広島城明渡しの責任者・福島丹波は、
尾張・紀州徳川家、前田家から3万石程度(正確な数値忘れた)で誘われたが、
これを断り、京都東山で隠遁生活を送った。
福島には、あんま興味ないんだけどね
まぁ、この話を話半分としてもだ
こういう家臣は生き残るべきだよな
大阪城に入って死ね、とか有り得ねー発想だと思うわ
真実はわからんらしい。
幕府の検使役到着前に火葬しちゃったから。
それが理由で、3千石にまでさらに縮小するんだけど。(家名は残る)
で、正則一代記絵巻では、最後に何者かの切腹が描かれてる。
>>189 徳川政権下で一大名としてでも存続できればいいと考えてたなら
わざわざそんな危険は冒さないだろ。
他の豊臣恩顧の大名も代替わりして、豊臣家への忠誠も薄いし。
来週の大河では三成が正しかったと認め、泣いて兼続に謝るよ
>>192 福島丹波って、治重のことでしょ。
大坂城に入城しようとして、藤堂に討ち取られるんだよなぁ。
正則は家康にべったりだが家臣はみんな親豊臣だろここは
つーか大減封ではあるけど四万五千石って普通にいい身分じゃねっていつも思う
家康に対する功績考えたら、やっぱり酷い話だと思うな。
空気読めてないんだけ
天下が徳川に転がり込もうとしてるのを読めないから
豊臣を見捨てて徳川に擦り寄って大名として家名を守るか
それでも豊臣に殉じて忠義を全うするかも決められず
中途半端に双方に不義理をして大幅厳封
死に際にも浅慮だったのか利家のような徹底さが無かったためか知らんが
結局3000石の旗本
INTが足りないんだよ
人望はあるのかも知れないけど
群れてるヤンキーの頭領みたいな感じだろ、今でいうと
>>206 空気読んで徳川に協力すれば豊臣家も残っただろうし
数百年の太平を築いた功労者になれたのにねー
って話になっちゃいますよねそういう方向性に持っていくと
1613〜1615まで有力大名がばったばった死ぬから無料だろ
江戸時代は下手に外様大名で苦労するより3000石の旗本のがよくね?
いや失態をフォローするわけではないが。
それだったら大岡忠相が加増で大名になる時に固辞してもよさそうだし
松前藩なんか大名格をずっと願い出てるんだよな
大身旗本の経済状況が小藩の大名よりも良かったのは事実だけど
50万石から3000石への転落で結果的に良かったなんて事はないわ
墓を天皇に作ってもらえただけ良かったような気もするが
尾張清洲を与えられそこに豊臣の物資が集積される
更には三河遠江駿河にずらっと豊臣系が並んでいる
アホでも何を期待されてるかわかっただろうにね
福島家の改易については、本丸以下修築絡みを完全破却すればよかっただけ。
この場面はしのぐ事は出来た。豊臣側とか徳川側とかはこの際関係ない。
本気で型にハメに来てるなら、警告なしで問答無用だよ。
本多正純も改易には反対している。まだ相応の力はある時期。
そもそも武家諸法度も元和令では、修築は報告のみで良い事になってるから、
福島は別に間違えた事をしていない。新築は不可だけど。
福島が読めてなかったとすれば、秀忠の本気度と、家康特別待遇が期限切れに
なってた事、提出先を土井利勝にすべきだったことかな。
正則は秀吉の遺言をすぐに破って徳川とくっついてるし
秀吉死後は豊臣を見限ってるよ(前田との対立でも徳川についてるし)
もともと忠誠心とかあまりない野心家だった可能性もある
>>213 その三河遠江駿河にいる豊臣系や尾張清洲にいる正則に相談せず挙兵した三成が悪いんじゃないか
敵陣の中にいる時に挙兵したから味方になれといわれても困るわけじゃん
それに今どういった状況なのか、援軍は来てくれるのか、篭城するのならいつまで持ちこたえればいいのか
そういった事を相談せずやられても部下たちを説得させれるのも困難だし
そんな勝手な行動をするやつの命令なんて聞きたくもないだろう
>>215 >正則は秀吉の遺言をすぐに破って徳川とくっついてるし
本質的な問題は、他の大老・奉行を無視して無許可だったこと。
仮に、根回しして許可を取ってからでも、遺言違反は変わらないし。
>秀吉死後は豊臣を見限ってるよ(前田との対立でも徳川についてるし)
双方についた武将全員が、戦する気マンマンでだったわけではないでしょ。
事態を収拾しようとする人間だっていなきゃおかしい。
加藤と福島が別陣営に分かれたのがミソだと思うんだよね。
>もともと忠誠心とかあまりない野心家だった可能性もある
ルイスフロイスは、正則を最も豊臣家に同情的な大名として描写している。
それは置いといても、忠誠エピソードもたくさんあるよね。面倒だからあげないけど。
秀吉より先に死んでいるフロイスが、正則の豊臣への姿勢をどう評価していようが、
秀吉死後の行動とは、全く結びつかないような。同情的ってなんだ?
>もともと忠誠心とかあまりない野心家
ってのが、元々秀吉にすら感謝の念がなかったのか、秀吉が死んで本性を現したのかって議論してるのかな?
どちらにせよ、忠誠心がある人物には、自分は見受けられないけども。
>>220 ちょっと興味を持ったので、調べてみました。
正則はキリスト教に好意的で、フロイスとも接点を持っていたようですね。
しかし、その評価は日本切支丹宗教門史によるものみたいです。
>>217は混同してますね。
正則の徳川との繋がりは豊臣家との繋がりになって有利!(キリッ
A.自分の息子可愛さに養子の息子(徳川家と関係のある)をぶち殺す。
普通に三成が5奉行の職に付いたのに嫉妬したという事にすれば、
概ね、話の筋が通るんだけどね。
普通にですかw
三成厨はそろそろファブリーズ覚えればいいのに
>>222 ホントだね〜、大変失礼しました。
うろ覚えの時は、ちゃんと確認するようにします。
谷折峠とったど!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
福島は秀吉には忠誠心を感じていたが、秀吉死後の豊臣家には感じられなかったんだろ
つまり秀吉という人間とその後の豊臣家は彼の頭の中では別物
秀吉が遺した機構とか制度に執着したのが三成、秀吉という人間に執着したのが正則
正則は人間には忠誠心を感じられるが、制度や機構に忠誠心を感じられるほど抽象的な人間ではないよ
秀吉が死んで一番喜んだのは正則かもね
これで堂々と家康に仕えることができるってさ
下手すると正則は秀吉生前から見限ってたかも。
>>229 >正則は人間には忠誠心を感じられるが、制度や機構に忠誠心を感じられるほど抽象的な人間ではないよ
概ね同意。
>秀吉という人間に執着したのが正則
秀頼に対しても同じだろう。恩顧大名に対し秀頼忠誠の誓詞を周旋、
8万石の兵糧接収黙認、弟・正守や家臣の大阪入城等々。
『東照宮御実紀』『台徳院殿御実紀』では、恩顧武将としての立ち位置で
福島はそれなりに評価されている。国史大系ながら、秀頼に対する家康を諸葛亮
に例える程、徳川マンセーな文献にも関らず。
西軍側小説・大河(特に三成)による最大の被害者。
(家康に騙された、という演出により、三成の理念を正当化)
正則は家康にはよくしてもらってたから
家康についたのは大いに正解だよな
正則を潰したのは秀忠と側近であって家康ではないし
その潮に乗っていれば、豊臣は生き残るが可能だった。
最終的には、数千石程度になるかもしれないが。
福島・加藤の尽力も意に介さず、豊臣宗家は空気を読めなさ過ぎ。
三成が嫌いだから家康についた
家康にはよくしてもらった
豊臣家の滅亡は本当に悲しいことだが
豊臣も生きる道があったのに自分から閉ざしたので特に負い目は感じない
正則の心中はこんな感じだろう。
実際問題、三成について西軍が勝ちでもしたら冷や飯食わされるのがオチだろ。
>>234 豊臣宗家は徳川に反抗し、福島・加藤の尽力も意に介さず我侭を貫いただけでなく
石田にも浪人衆にも非協力的だったからな
ここまで来ると単なる天邪鬼でしかないでしょ
福島に大阪城に入るべきと主張する奴がいるが
たとえ入ったところで豊臣は福島の言うことに逆らって戦にならならないだろう
正直なところ豊臣は滅ぶべき存在だったとしか言いようがない
>>235 >豊臣も生きる道があったのに自分から閉ざしたので特に負い目は感じない
煽りじゃなくて、是非とも教えて欲しい事があるんだけど。
何を材料にして、正則のそういう心情を想像したの?
大坂の役における豊臣に同情的な逸話はいくつかあるけど、
そういうのは、正直見たことがないんだよ。
豊臣の政治を一括してみる筈だった家康が独自の政権たてて残った家老が
片桐や大野といった明らかに実力不足な面々。
こんな面子に天下の豊臣家を運営出来るはずもない。
福島は豊臣が滅んで少しは残念だろうが
加藤嘉明とかは大喜びしてそうだな
秀吉いなけりゃただのウンコだろ、こいつは。
そういや、加藤・福島は最低の裏切りもの、ってスレがなくなったな。
ここがアンチスレでOK?
所領返上し織田秀信の命乞いしたり、
秀頼をちょっと支援したり。
でも結局両方死んじゃって、全部中途半端。
美談の割に福島正則に人望が無いのは、そのせいでは?
清正と比べても、常に数段落ちる扱いだよね。
清正さえいきていれば…
っと
正則(笑)
の違い。1614年に正則は死ぬべきだった。
清正、浅野幸長、前田利長は豊臣滅亡を見ずにすんでよかったのかもな
前田
江戸から京都、そして大坂に向かって大軍を進ませるには加賀あたりに
ぁゃしぃ大国があるときつい
江北江南に討って出られたら大坂攻めどころか補給線がやばい
浅野
摂津の隣紀伊にぁゃしぃしかもキレモノ豊臣忠義の大名がいると大和方面
から後背つかれる可能性はあるし、大坂湾封鎖とか微妙になる
加藤
築城名人=裏を返せば城の強みも弱点も縄張り図から的確に判断できる
ということ。そんなスキル持ちがたとえ単身で大坂城に入ったとしても面倒
くさいことこの上ない
徳川による謀殺説は正直どうかと思うけど、確かに随分都合よくコロコロと
死んだもんだよね
東軍に参加した諸将で、本気で豊臣のために参加した奴なんて皆無なんじゃないの?
豊臣のためっていう大義名分はあったかも知れないけど、心中は小西憎しや三成憎しな私怨や
徳川の世になるのを見越してる計算高い連中だらけで、豊臣家への忠誠心なんてほぼ無かったと思うけど
あとは地理的な要因とか
西軍参加諸将も東軍に参加しようとしたら街道が封鎖されてたから仕方なく西軍についたとかって事情もあるし
>>250 >徳川の世になるのを見越してる計算高い連中
正しい。
ただし、秀吉子飼いは別。
>小西憎しや三成憎しな私怨
誤り。
『豊臣のために参加』を下回る程、論拠に乏しい。
百歩譲って三成が政権をとったら自分たちが危ないという危惧があるくらいか
やはりこのような対立構造を放置・助長した秀吉が悪い
三成が政務を執って
正則が秀頼後見なら上手く行ったのになぁ
>>248 豊臣系だけじゃなく、徳川系の本多や榊原も死んどるから寿命だろな
福島ってさ、批難派も擁護派も双方猛将イメージで語るからおかしくなるんだよね
実際は地味な行政官タイプだと思う
>>261 だね
気遣いの出来ない、丹羽長秀、あるいは
裏仕事をしない(出来ないわけではない)滝川一益あたりか
書いてて思った、これじゃただの役立たずだw
違うな。
批判派が、小説・大河・ゲーム等を垂れ流しのイメージで語るから
矛盾だらけでおかしな話になるだけ。
さすがに石田三成といっしょにするのは両方にとって失礼だと思います
>>265 任用された中央官僚か?、地方官僚か?、の差じゃないの?
>>263 批難派のイメージって、
徳川に迎合した馬鹿という話か?
だったら、豊臣家の忠臣というのも小説のイメージだろ。
つーか、実際の行動と言ってる事の乖離が酷いので、
ここでああだこうだ言ってるわけだ。
それ自体を否定するのってこのスレの存在意義の一部分を否定する
事だぞ。
>実際の行動と言ってる事の乖離が酷いので、
世間体というのもあるし、豊臣は徳川に臣従しろとは公言できないんだから仕方がない
家康でさえそれを公言したのは大坂の陣の直前になってからだし
淀や秀頼が空気を読めず他人の胸中を理解できないアホなのが原因だ
ただのヘタレ
いつも誰かの金魚の糞
西軍を率いた三成とは器が違うわ
三成が率いたというのが正しいとも思えんが。
西軍を福島が率いてたら、もっとマシな展開だったと思うね。
三成なんて、キッカケ作っただけで、他に何の役に立ったんだよ?
むしろ癌。
キミが自分で金を稼ぐようになって、下げたくもない頭下げるように
なったらわかるよ
何の根拠もナシに自分の方がわかっているみたいに書いちゃう人って・・・・
>>280 下げたくもない頭を最後まで下げられなかったイメージだな、フィクションの三成は
実際は身勝手な復権を狙った博打なんだろうけど
わかってないねー
家康は、秀吉が死んだ時点で、豊臣をつぶす気満々なんだよ。
前田、上杉、石田といった豊臣の忠臣を即刻排除してるだろ?
この時点で福島は家康の意図がわからないと。
家康につくなら、大阪の陣も徳川方についていかないと。
そこで中途半端な動きをしているから、福島は徳川に踊らされたと思われてるんだよ
正則は江戸で軟禁されてたし
あと甥だか何だかの一族が複数大坂城に入ったことも知らないのかよ
>>284 天下人になる気は満々だが、豊臣を潰す気満々であったかは疑問。
ワザワザ直孫を嫁入させる必要は全くない。
そら豊臣家が大阪城退去して小大名に甘んじるとか
兵力を抱えた武家じゃなくて公家としてなら存続させるつもりだったとか色々諸説あるけど
実際問題としてそんな家康の心中は誰にも解らないしifになっちゃうしな
足利将軍家や織田秀信よりも信奉してる連中も多くて影響力大きいから
大和郡山城に退去したり公家になったとしても結局担ぎ出されないように
改易になったんじゃねーかなと個人的には思うけど
やっぱり豊臣家の出方次第だね。
服従するなら滅ぼす必要はない。
コストもかかるし、進んで悪名を被らんでもいい。
家康が潰す気満々なら将軍就任直後にでも潰してるし
恩顧なんて無意味なものを最大限過大評価したとしても加藤の死後にでも速攻で潰していると思うよ
それでも寿命の限界寸前まで待ってあげたのは豊臣の自主的な臣従を期待していたからだろう
だけどタイムリミットぎりぎりになっても豊臣にやる気がないからキレて本気で潰しにいったと考えるのが自然だよ
豊臣の出方でしょ。豊臣が徳川に抵抗できなければいいわけで。
薩摩 長州の例もあるな
後顧の憂いは取り除いておくのが肝要かと
でもほんと家康ってヘタレだよな
豊臣なんかとっとと滅ぼしてしまえば良かったのにムダに時間ばっかかけやがってよ
鳴くまでまつのもいいけど時間ムダにしてんじゃねぇよ
そんなに加藤が怖かったのかい?w
とても天下人の器とは言えない
天下騙しうちでかすめ取るのがせいいっぱいの小物w
そうだね豊臣がアホばっかだから天下取れたんだよね。
>>297 250年以上も経過して発生した事を後顧の憂いとか。後付け過ぎだろ。
>>300 司馬の悪い影響だよなw
ホントに馬鹿馬鹿しい。
>>261 安芸の大大名になってんだから一行政官ってことはないだろ
豊臣家が反徳川の御輿になりえる以上潰すにきまっとるでしょ。
息子(秀忠)がボンクラならなおのこと(実際はボンクラではなかったが)
たとえ豊臣家が反徳川の御輿に担がれても担ぎ上げた奴が権力者になるのであって
秀頼が権力者になるわけじゃない
だけど淀や秀頼は世間知らずのお馬鹿さんだから
担ぎ上げた人間が自分達に秀吉級の絶対権力をプレゼントしてくれると思い込んでいる
だからしつこく反抗をし続けたわけで非常にたちの悪い母子だよ
繁栄志向、滅亡回避のために強者におもねる。
自家のためならば先見有りとされ、主家のためだと裏切り呼ばわり。
おかしな話だな。
繁栄志向、滅亡回避のために強者におもねったくせに
家禄激減でお情けレベルでしか残せなかったから叩かれてるんじゃね
>>306 読解力ゼロだね。
何が言いたいのか、全くわかってないでしょ?
むしろ福島スレで
>>305のレスの意味が分からない
大名家として存続出来なかったじゃねーか
後者に当てはまるよ。
『領民、配下の将を悉く犠牲にしてでも、豊家のために家康に立ち向かうべき』
という子供の議論しか出来ないなら、わからないと思うけど。
ID:0i5P/ikHは正則が
>>305に当てはまるとでも思ってんだろうか
こんな過疎スレじゃ、ID変えても自演バレバレだぞw
>>310 大名として、家族、家臣、領民の為に所領を守るって行動は当然だと思う
そのためには裏切りを選択するのも領主としてありえる選択だが
大阪の陣に豊家への味方をしない選択をした癖に
豊家が兵糧米の接収をするのを黙認して参陣を許されなかったとか
中途半端に豊臣家寄りの態度を取ったりしたうえに
広島城の修復や破却もうかつな対応で結局51万石から45000石まで改易されてるし
養子云々もあるしで
せっかくの51万石の領地を維持しきれなかったじゃないか
同じ議論の繰り返しだな。
福島の改易は、豊臣恩顧云々は関係ないって。
本丸以下、修築部分を完全に破却すれば良かっただけの話。
本多正純も、土井利勝も改易には反対してるんだから。
武家諸法度(元和令)読んでみれば?
>>315 だからそういう政治力の低さとか立ち回りの下手っぷりも
全て含めての評価だろうが
↑うかつな対応とか言うけど、元和令では報告で良いことになってるんだよ。
修築の事前承諾が必要になるのは、家光の寛永令から。
だからそんな言いがかりで潰されるような立ち回りを過去してきたから
些細な事で改易されるんだろうと
>>316 別に総合評価の話なんてしてないわけだが。
>>305をよく読んでみ?
やっぱり読解力がないのかね?
>>317 結局は徳川べったりの態度に徹しきれなかったのが原因だろ
福島が豊臣裏切った癖に家名存続出来てないから
結果としてヘタレいわれてるんだろが
裏切りの汚名を被っても守った所領を
立ち回りのまずさで失うのは
結局先見の明なかったわけで
福島は、裏切りの汚名を被ったことなどないぞ。
是非、記載されている文献を教えてくれ。
裏切りもののレッテルを貼られても所領を守るってのは領主としては最善なんだろうが
結局は豊家への中途半端な態度の為に徳川政権下で立場を悪くしたのはまずかった
豊臣家から見れば裏切りだろ
小姓時代からの子飼いなわけで
だから、裏切りのレッテルを貼られたことなんかねぇって。
最近の西軍(とくに三成)贔屓の小説のおかげでそういう評価をされてるだけ。
で、君たちはその最たる例w
大谷みたいに忠臣として名前を残せても無いし
家も残せてない時点でダメだろ
そう?
なら、裏切り者として評価してる文献を挙げてくれ。
主君から大阪城への参陣要請を断るのは裏切りじゃないんですかね
旧政権から新政権へ立場を変えるのは
旧政権側から見たら裏切りだろ
といっても裏切り自体領主としては悪ではないっていうのが俺の主張なわけで
結局命題の所領存続が出来なかった時点で評価低いのは仕方がないだろって言いたいだけ
>>334 正則の場合、朝廷の家臣だから徳川か豊臣かという次元で語れるものではない
清正、正則は三成と方向は違えど、豊臣存続のために尽力していた。
注意すべきは、豊臣=天下人の立場には拘っていない事。
国政に携わりたい三成が、家康と対決姿勢を示すのは当然。
忠義のみを根拠とするのは誤り。
豊臣は空気が読めず、自らの責で滅んだ。
清正・正則を裏切り扱いするのは明らかに不当。
まー、所領存続してても小物はたくさんいるわけで。
存続出来なくても、優れてるのはいるだろ。
存続云々は物差しにならんよ。
いやー存続は大事だろ存続は
さすがにこればっかりは過程より結果が重要だ
>>318 福島や加藤の改易が全くの言いがかりってのはちょっと考え方としては古典的になってきてるかもな。
(『近世武家社会の政治構造』/吉川弘文館 に大名改易論という章があるので、これが参考になるかと)
存続が評価の一つの目安になることは否定出来ないけど、福島のケースは違うだろ。
江戸幕府支配体制下という限定された範囲の中で存続出来なかったわけで。
徳川の機嫌を損ねない=武将としての質が高い、とはならんだろ。
秀吉の統一政権前で、存続どうこうなら、まだわかるが。
ニュースで掘川の浄化のことをやっていたが
福島正則の肖像画が出てた
関ヶ原直後には、あんな徳川に喧嘩売るような舐めた真似したくせに
大坂の陣では必死にゴマすりしてるのが笑えるわw
結局、コイツは豊臣政権でも徳川政権でも自分の立場がわかってなかったんだな(笑)
>>347 まぁ、講談ネタで笑われても困っちゃうよなぁ。
頭悪い奴がいるなぁw
だから、講談の武勇伝読んで、鵜呑みにして笑ってるんだろ?
福島の武勇伝を評価してるレスなんてほとんどないわけだが。
講談以外のソースを基に、具体的に話をしてくれるかな?
太閤殿下から下賜された日本号を飲み撮られたとか
実際のやりとりは知らんが
黒田節でしょ?
母里太兵衛による黒田武士面目躍如の逸話。
黒田武士ageの逸話であって、福島sageの逸話じゃない。
相手が同じ豪傑・酒豪タイプの福島だから成立した話。
冷静に考察すると、目上である福島にはリスクしかないオカシナ話。
同輩の家来への接し方とは思えず、秀吉を彷彿させる。
寧ろ親しみが湧く逸話じゃないかな?
やりとりは黒田側視点でしかないし、日本号はきちんと渡しているので
潔いと思うよ。大抵は『しぶしぶ』、『翌日返せ』とか脚色してるけど。
一般的に豪気とされている福島が、素直に手放すのを躊躇うくらいの槍、
という演出で逸話としての効果が上がる。
真に受けて、叩く材料にしてるアホもいるが。
名古屋城普請。
清正にたしなめられて正則赤面、迂闊なバカと叩かれがち。
逸話の本ネタは、正則が豪快に笑い飛ばし、清正に素直に詫びて場の空気を和ませた、というもの。
そもそも正則の発言は、連年の出費にウンザリしていた多くの大名の気持ちを代弁したもの。
池田を含む豊臣恩顧の掛け合いから、恩顧両巨頭ですら徳川に従順にならざるを得ず、
天下は豊臣から徳川へ移行し揺るがぬ状況になりつつある事を表している。
単純な恩顧漫才の逸話ではない。
福島正則の逸話って大体最後は正則が寛容さを見せてめでたしって展開なんだけど
その最後一行が削られちゃうよねー
「石田が決起しない方が、実は豊臣にとっては良かったんじゃないの?」
という可能性があってはならない。
石田の決起こそが、豊臣家のためであり正義。前回の大河もその流れ。
福島は家康に騙された、という設定はどうしても必要。
そのためには、福島はトコトン単純バカになってもらわなくてはいけない。
福島は、石田再評価の最大の犠牲者。
同意
どうでもいいような事で人格攻撃されて
貶められているよね福島氏
そういうのは大体フィクションの都合上のこったしあまり真剣に被害意識を持つのもどうか
パワータイプの馬鹿キャラ便利だからねえ…
司馬遼太郎は自分で改造福島正則の使い勝手のよさに感謝すべき
親類の加藤、福島が石田の変わりなら悔いはない。BY秀吉ファン。
福島の逸話は、機転の効いたものはほとんどないが、
意気に感ずるものが多いと思う。
部下を大事にした将だよな。
>>361 そういう言い方すると、酔って家臣を死なせた話を蒸し返す子が湧いてくるぞw
つまり頭は悪いが根はいい奴?つまりやっぱりバカなのか
(ただし、アルコール摂取時は狂人)
誰かと一緒に行動してる間は優秀扱いだけど(福島の場合は加藤清正か)
そういう人物と切り離され、自分がリーダーとなった途端に迷走し始める
そんな人は現実でも歴史でもリアルに居るからな
福島が好きって人はそういう「人間の弱さ」みたいなものに寛容な人という気がする
このスレではやたら福島を褒める表現が多いが
こいつが失敗者である事は間違いないだろうが。
しかも悪い意味での失敗者。自分も他人も守れず、維持すら貫けない。
石田三成とかはやることはやったから評価されてるのに対して
福島はついに自分を爆発させることなく終わった豊臣秀頼と同レベル。
ていうか、そもそも福島なんか褒めてなんの意味があるの?
>>369 やっぱり出た。講談レベルの三成厨。
三成がやる事やった、って何やったんだよ?
関ヶ原で負けて、豊臣の寿命縮めただけじゃん。
自分を爆発させる、とかどこのマンガですかw
>>368 違うと思うな。
福島擁護する人は、現実的なんだよ。
組織の中で立場が上がったり、養うべき人間を抱えれば、
自分の感情とは別に身動きが取れなくなっていく。
批判してるのは、独身者か、下っ端ペーぺーのリーマンか、
親の金で食ってる学生くらいだろ。
家族持ちに言わせれば、一族郎党を道連れにした三成は愚かの極み。
本当に秀吉に恩義を感じてたんなら大阪の陣の時、お家取り潰し覚悟の上でも
大坂城に馳せ参じて、秀頼の為に戦うべきだったな。
そうすりゃ少なくとも清正に匹敵するぐらいの評価はあっただろうに
秀吉の恩義は、一個人の感情。
大名が為すべきは、配下・領民の生活保障。
秀吉後の豊臣家が正則に守護神としてのふさわしい地位を与えてないでしょ
最大老とかの役職を設けて全権委任すれば正則も頑張ると思うよ
慶長4年の家康と利家が対立した時に20万石以上の大名で家康についたのって
伊達・最上の東北外様組と福島くらいだったよな。
家康側についたのは政宗をはじめ黒田父子、織田有楽、金森法印なんかのクセのある連中が多い。
あるいは藤堂とか大谷とか新庄直頼とかの家康シンパ。(関ヶ原では大谷は結局は石田をとったけど元は家康シンパだし)
この時にいくら当事者だからって家康側に積極的につくなんてやっぱり
豊臣家を大事に思ってたなんて嘘か、大局の見えてない馬鹿だったかのどっちかとしか思えんよ。
>>378 大局が見えてるから、家康についたんだろ。
というか、なぜ清正と別陣営なのか想像すべき。
全ての武将が戦する気満々だったわけではあるまい。
事態の収拾を図ろうとする者がいない方が不自然。
福島は一方の当事者の上に家康の所に積極的に駆け込んでるから事態の収拾を図ろうとする気なんて伺えないんじゃないかな。
あと大局が見えてて家康に肩入れするって事は家康が実権を一手に握ろうとしてたのをわかったうえで、
それに組するって事で、それは藤堂や黒田や伊達の事じゃないのかな。
だから豊臣政権の権力と秩序の維持と、あの時点での家康の専横に肩入れするってのは矛盾するのでは。
なにしろ政権の約定破りをしてたのが家康と福島その他でしょ。だから加藤その他は前田について前田方が優勢だったわけで。
藤堂たちみたいにわかってて謀略を働かせてたなら評価のしようもあるけど福島は中途半端に見えるんだよね。
あ、一応三中老とかは収拾に動いてたんじゃなかったっけ。大して力はなかったけど。
敗者豊臣につくのはアホのすること
日本全国の大名を相手に勝てるわけが無い
豊臣につけばそれだけ死者を増やすだけ
利家と家康なら家康こそ豊臣政権の代表だし
関が原でも上杉より徳川、西軍より東軍が豊臣の支持を受けてるからな
実力不足でのし上がれず負けた連中が、勝ってたら忠臣のままだったなんて妄想かもね
前田なんてシズガタケでも、関が原前でも強者に尻尾振ってた家なんだから
秀吉が織田をのっとろうとしたとき
戦って散った勝家もそういう風に見られるけど
同じく家康が小牧で死んでたら、律義者で強い武人としてもの凄く持ち上げられそうだなw
秀吉亡き後、最大の実力者が家康であり、権力を手中にしていくだろう事は
当時でも容易に想像出来る事。
石高250万石は、次点毛利上杉の倍。永禄元亀を生き抜いた殆ど最後の有力大名で、
秀吉が力攻めで落とせなかった唯一の大名。
大局が見えるとか、そんな大層な事ではない。こんなのが生き残ってて、
合議制が機能するとか思ってる方がどうかしてる。その意味で三成は正しい。
そもそも豊臣政権が法治でない以上、約定破り云々で騒いでる方がヌルい。
秀吉による織田氏への仕打ちを考えれば、何が起こり得るか想像するのは容易。
秀吉自身が実力者家康とは融和方針。豊臣家の存続を第一と考えるならば、
豊臣親族たる福島の行動に矛盾はない。
秀吉は、織田のスピード型で部下に権限を与えすぎる軍団制の中にいて
もちろんそれに詳しく
自らも東西の仕置きを上杉毛利にする目論見が家康により狂わされ
それを修正しきれず、結局織田の失敗をなぞった。
秀吉ができずに終わったことを、三成レベルが蟄居状態で出来るはずも無く。
徳川家との婚姻について、三成ならいざ知らず
福島が加藤に相談していないとは思えん
その二人が別々の陣営というのは、やはり何らかの
含みがあったと思う
もし逸話が正しいとすれば清正は、
徳川を助けることこそが豊臣家のためになる
と信じて行動したわけでもなさそう
(方針決定後アピールはしただろうけど)
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2536.html その結果、いわゆる武断派二人の仲はこうなって
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-721.html 最終的な福島家中の評判は
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3308.html 清正は良いときに死んだとみるか
正則が生き恥を晒してしまったのかは何とも言えんが
いい話悪い話スレは好きだけど
戦国板でこういう風に貼られると、なんというか少し困った気持ちになってしまう
生き恥ねぇ・・・
もういい加減に三成目線はやめたら?
清正にしろ、正則にしろ、忠臣として評価されてる事はあっても、裏切りとか恥とかで
評価されてる文献見た事ある?あるなら是非教えてくれ。
2番目の逸話は有名だけど、清正が名古屋城普請と正反対、且つ小物過ぎて『?』。
3番目の『大坂の役』ネタは、生き恥とか福島をsageるネタじゃない。
空気を読めない主家を持った将の悲哀だよ。豊臣に弓引く大名だらけの中で、
寧ろ最後の良心ともとれる話。
↑当たり前じゃん。そもそも福島ageの逸話なんだからw
>>387が逸話ソースを振ってきた時点でアウトでしょ。
ageの逸話かと言われたらビミョーだが
まあsageの逸話でもねーやな
福島の微妙さは猛将という評価固まってるわりにはそういった逸話しかないという所。
秀吉没後から関ヶ原までの好き勝手見ると、性質も三成と同じレベルじゃんかと思うわけだが。
>>394が福島の逸話をほとんど知らない、という事は良く分かった。
まぁ、逸話で判断している時点で失笑なわけだが。
つか、正則アンチは三成目線で逸話ベースが基本
説明できない事は、中途半端かヘタレで片付ける
他スレのような実証的な批判は出来ない
正則や清正、それに三成のことを
高虎と嘉明がどう思ってたか知りたい
>>378 そりゃ違うぞ。
豊臣vs徳川なんて発想自体が後世の付会だろうが。
関が原自体が東軍(徳川)vs西軍(豊臣)ってのは間違った観念で
どちらも豊臣の軍勢を名乗ったというのが建前なのに。
慶長四年程度では
微塵も疑わずに豊臣政権内部での家康派と利家派の争い程度にしか考えてなかったろう。
秀頼の心配をするなら次の有力者の家康にコビを売っておくのは決して間違ってないぞ。
加藤・福島が三成を失脚させたせいで豊臣家が滅びたっていうけど、
ありゃ北の政所おね様の命令だし、三成だってあのまま連立政権の首相やってたら
そのうち自分の領土、権力を増やしていって孫の代ぐらいに豊家を滅ぼしてたかもしれん
結局、徳川と戦争しなきゃ豊臣を守れない、てのが短絡的なんだよな。
まぁ、豊臣が天下人でなきゃ、三成は国政に参加できなくなるわけだから
仕方ないんだろうけどね。
薩長が天下を取ってから、薩長の先祖の島津と毛利が味方した西軍が、
不当に評価されるようになった。
加藤、福島・・・ 秀吉が子供のころから育ててた武将は徳川政権で全滅か・・・
>>405 まあ加藤家も福島家も別に根絶やしにされたわけではない。
微封ながら子孫は存続したんだし。
信長の野望とかやってると裏切り者の福島正則と加藤清正は絶対に殺す
小早川が裏切り者になってるけどこいつらはマジに最悪
個人の嗜好や感情は誰も静止できんからいいんじゃねw
>>408 加藤・福島のアンチがゲーム脳にすぎない事が証明された貴重なレス
実社会を知らない世間知らずなんだから許してやれよw
2000石の旗本になった福島家はどこに領地あったの?
あと、加藤清正は熊本で「加藤清正公」って言われているけど、
福島正則は広島で「福島正則公」と敬意をもって扱われているの?
扱われてないんじゃないかねぇ?というか、清正は特別。
熊本だけの話じゃないもの。全国的に清正公だよ。
この時期の一武将程度で神になったの清正くらいでしょ。
>>414 ぱっと思い出したのは島津歳久。
神というべきかはよくわからないけど坂井政尚の息子久蔵も地蔵になった。
あと生きてるうちから雷神の化身と呼ばれた人もいたな。
ところでさ、福島厨の人達がよく言う領民を守るために徳川についた云々ってでまかせもいいとこだろ。
当時の価値観と違うし、第一領民は領主が変わったら変わったで年貢の納め先が変わるだけで普通に暮らしていくだろ。
それって精々自分の家臣団の話だし、それにしたって福島家の家臣団って
坂井利貞はじめ織田家の頃より代々尾張の統治者に仕える土着の連中がかなりの部分を占めてるから影響もそんなに大きくない。
事実彼らはそのまま次の清洲城主に引き継がれてる。
だいたい自分の徳川幕下の大名としての節目を大事にしました、ってんなら加藤二号さんとか脇坂さんみたいに
割り切った態度でいればいいのに未練たらしく、豊臣家の事まで引きずってるから見苦しいんでしょ。
福島の行為自体は責めるべきでもないけど、そのやり方、態度がね、とても大名の器じゃないよ。
>>415 広島を火の海にしたくないという感覚は、デマカセに属するんだろうか?
土着の連中が多かろうと、徳川と戦になりゃ死ぬ可能性大だろうが。
家臣を犠牲にしたくない感覚は、当時の感覚とは違うのかね?
影響もそんなに大きくない、とか意味がわからないんですが。
福島正則は、豊臣や徳川には義理があったが
石田や毛利には義理は無い。
>>415 >割り切った態度でいればいいのに未練たらしく、豊臣家の事まで引きずってるから見苦しいんでしょ。
福島の行為自体は責めるべきでもないけど、そのやり方、態度がね、とても大名の器じゃないよ。
アンチの人って、大体こんな感じの主観丸出しで論拠のない批判だよね。
三成目線の小説ベースとは良く言ったものだw
関ヶ原とか、いやあの石田三成との一連の戦いのなかでMVP並の活躍してるのに、
最後切り捨てられたのは悲惨だ・・・
でもいったんは大大名になってるから、そこからうまーくやればなんとかなったかも知れない・・
秀忠がどうしようもない小物だからな
功臣粛清で徳川時代だけでなく日本史に汚点を残した
正則が未練たらしい、とか解釈おかしいだろ
立場が個人的な動機を許さない事なんて、世の中たくさんあるだろうに
うわべしか読まなさすぎじゃね?
ゆとりだから仕方ないのか?
まあもともとアンチっつーのは結論ありきの人多いし
特に武将アンチは他の分野に比べて自分の結論を大事にして
アンチ対象について詳しくない人が多いイメージだね
擁護したがりも結論ありきの人が多いんだから、どっちもどっち。
どのスレにおいても。
結論ありきでもいいが、ここのアンチの無知過ぎる。
過去レス読んでたら、ほとんど講談が根拠だもの。
DQN
ただのアホ
声のデカいうるさい奴
こんな印象だね
その通り。
君と同じで、福島批判は印象とイメージを根拠にしたものばかり。
もしくは、家康に味方したというだけの表面的な理由で裏切り扱い。
史料の提示で批判された事はおそらく一度もない。
大抵、逸話講談の類を鵜呑みにしてる三成厨の妄言。
そもそも市松が豊臣に忠義!なんてのは講談の妄想だし
家康と会見させた虎之助のが余程忠義なような
福島正則が石田三成を憎んでるソースって特になくね?
>>432 >>433 スゲー知ったかが現れたな。
おいおい根拠もなく「講談」とか「妄想」とか言ってたら話しにならんだろ。
秀頼が病気になったときは真っ先に見まいに駆けつけてるし、
大阪に米を蓄えておいたイザというときに使うように言っていた逸話もある。
>>437 七将事件で襲撃してるし、
関が原のあとに嫌味も言ってる。
>>436 川中島というか高井野は正則の子か孫の時代ですよね
一度断絶したのち、正則の曾孫の正勝が旗本に復帰したときも川中島に領地あったんですか?
>>439 正則の子・正利は、旗本で川中島3000石
>>438 正則が三成を嫌いになる過程がわからん。
黒田、細川、加藤等出征組は三成憎しはわかるが
正則はどういう遺恨が三成にあるのか。
逸話なんかでは、公の場で三成嫌いを公言してたとか言うよね。
正則も出征組ではあるけど、直接的な話はなさそうだね。
七将襲撃自体が、遺恨を理由とする根拠が乏しいわけで。
恩顧七将と三成が、家康の手の上で踊らされてる方が、
講談的には面白いんだろうけど。
襲撃後、七将誰一人として処罰されていない事から、
家康の意向を汲み、政権からの三成排除が目的とみるべき。
(三成決起まで読んでたかどうかは本人しかわからん)
>>440 いや、だから川中島に領地あったのは正利の時代ですよね。しかし、正利に跡継なくこの旗本は断絶
聞いているのは正則の曾孫で正勝から始まる旗本福島氏の領地です
有名大名に埋もれたまま、散って行った
たくさんの小大名達にロマンを感じるなら、、、
もしも小大名だったら、、、【和気藹々1】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1273053429/l50 >>441 ていうか、自分の考えとは違う論を
なんでもかんでも「講談」とか「ゲーム厨」とかいう
レッテルを張って偉そうにふんぞりかえるのがこの板にありがちなことだし。
はっきり言って、この板のレベルで
「それは講談だ」なんて偉そうな決め付けをしてる奴ってスゲー怪しい。
>>443 >聞いているのは正則の曾孫で正勝から始まる旗本福島氏の領地
>>360読む限り、そんな事聞いているなんてわからんよ。
正利を回答するんが普通でしょ?
人にものを尋ねる態度じゃないし、もう自分で調べれば?
>>445 >自分の考えとは違う論
を講談では片づけていないでしょ。
根拠となる史料・史実を出せないのだから仕方ない。
>>1から読んだらわかるが、アンチ側が史料を提示した事はない。
逸話の類を根拠にしているのは否定出来ないよ。(
>>387は最たる例)
説明出来ない事は、ヘタレ、バカで片づけてるのも事実。
訂正
>
>>360読む限り、そんな事聞いているなんてわからんよ。
>
>>430読む限り、そんな事聞いているなんてわからんよ。
正則はそれなりの功績は立てたがそれに見合う報酬の
働きをしたかどうかとなると疑問符がつくと思う(=尾張領)
彼の出世は豊臣家にもっとも近い譜代という身分があってこそであり、
そしてその身分と立場を利用しての処世術には素晴らしい手腕を発揮したと思う。
戦関連
一定の武勲をとり、一定の補給管理をそつなくこなしてる感じ。
可もなく不可もなく粛々と落第点は取らない割と堅実な行動をしていた感じ。
無論落第点をとらないという事は重大であるが、
優・良の成績が多いかとなると疑問でありそこは各々の価値観で評価がわかれると思う。
(事戦に関しては失敗が少ないのは重要)
関ヶ原の功
豊臣家に最も近い譜代でありながら秀吉死後から徳川家に近づき
豊臣家譜代家臣を積極的に勧誘、要所の尾張を明け渡す(+兵糧)
これだけで相当な功。
岐阜攻めや関ヶ原本戦宇喜多の宇喜多隊への足止め突撃などこれらの功に較べれば遥かに霞む。
広島統治
一定の成果を上げた。が長年中国の覇者毛利氏の首都事業を引き継いだだけと
見るか、見ないかで評価が別れる。無論引き継ぎを上手くやってる当たり無能ではない。
豊臣家の重要な譜代という立場を利用して大々名に出世して
豊臣家の重要な譜代であった事が福島家の印象を芳しくない物としてしまった。
皮肉っちゃ皮肉なものだが…。
これだけ機を見る事が出来るなら早々に豊臣家を見限ればね…。
中途半端にかけた豊臣への恩情
1613年に死ねなかった
生きている内に改易された
以上が著しく印象を悪くする原因になってるよね。
政務・戦・統治
どれを見ても一丁もないが、そつもない。
そこそこの良将であり機を見る目は抜群って評価。
そもそも関が原は
東軍=徳川 西軍=豊臣 ではないのだが、
どちらも豊臣の軍隊であり表向きは秀頼を護るための軍隊だが。
東軍は元は少なくとも形の上では秀頼の命令による上杉討伐軍が目的変更されて
豊臣家に仇なす石田三成一派を討っただけだしな。
福島などそういう認識で東軍についてた連中も多い。
>>448 >正則はそれなりの功績は立てたがそれに見合う報酬の働きをしたかどうかとなると疑問符がつくと思う(=尾張領)
関が原以前の福島ならそんなもんでしょ。むしろ尾張清洲なんて名誉な話し。
石高だけではなく、場所と土地が凄くいい。なにより故郷だしさ。
>これだけ機を見る事が出来るなら早々に豊臣家を見限ればね…。中途半端にかけた豊臣への恩情
福島が破綻したのは豊臣の愛情だけが全てではなかろう。
やはり伊奈事件がアカンかったよなあ。
まあ俺が家康でも「伊奈事件の恨みは晴らせ」と遺命を残すと思うが。
>彼の出世は豊臣家にもっとも近い譜代という身分があってこそであり、そしてその身分と立場を利用しての処世術には素晴らしい手腕を発揮したと思う。
>豊臣家に最も近い譜代でありながら秀吉死後から徳川家に近づき豊臣家の重要な譜代という立場を利用して大々名に出世して
>これだけ機を見る事が出来るなら早々に豊臣家を見限ればね…。
>中途半端にかけた豊臣への恩情
おいおい・・・・・福島の都合の良い部分だけ抽出して、
都合の悪い部分を「皮肉」だの「早々に見限ればね」とか別物のように切って捨てるのに全く意味はない。
全て、裏表一体であり分離不可能なものだろうが。
物事は結果だけで判断すりゃいいだろ。
つまり「福島は川中島二万石で終わった」わけだから、それが福島の全てだろうよ。
>>448 人事は過去の報酬のみの評価だけではなく、その後の働きを期待されて行われるもの。
朝鮮の役前の九州配置は正にそれ。
君の言う通り福島の関ヶ原での働きは絶大であり、中立的に考えれば尾張配置は妥当でしょ。
関ヶ原は、東西何れの側も豊臣家のために働いているわけだしね。
アンチ徳川・三成贔屓の人にしたら、感情論で許せない『裏切り』になるんだろうけど。
印象が悪いかどうかは個人差だとね。個人的には、もし福島が他の恩顧のように手の平返してたら、
それこそどうなの?という気がする。福島の難しい立場を理解出来るかどうかで評価が分かれる所。
江戸期の文献は、福島の豊臣家晩年に対する忠誠心について、悲哀感を以って描かれているものが多い。
台徳院殿御実紀では、その忠誠が豊臣に害をなした、と記載されている。
全国全ての大名が、豊臣家に対し直接間接を問わず弓引く中で、最後の良心だと思う。
>>451 結果だけで判断すると、全ての武将の評価がオールオアナッシングになるよ。
意図・成否はともかく、三成が家康という次元の違う相手と相撲を取った事自体は評価されるべきだと思うし、
大谷、宇喜多なんかも同様。彼らの評価を下げるものではない。
2万石で終わった云々で評価するとするならば、江戸幕府支配体制下の大名としてどうか、というものだね。
徳川贔屓の人でなければ、その評価は何の意味も持たない。
↑
× 人事は過去の報酬のみの評価だけではなく
○ 人事は過去の実績のみの評価だけではなく
>>448 >正則はそれなりの功績は立てたがそれに見合う報酬の働きをしたかどうかとなると疑問符がつくと思う(=尾張領)
関ヶ原以前なら一応秀吉の一族の立場として引き立てられた面もあるから
その他の子飼いとのバランス考えればあんなもんかね。
後方支援役を配備するにも清洲は適地でしょ。
関ヶ原後のあれはどうみても武断派を懐かせる為の大盤振る舞いだろ。
他の武断派大名たちも特に何もしてない奴まで大領もらってるし。
福島の功績はともかくあれだけもらえる立場の大名だったって事。
徳川家にすりゃその後で馬鹿な真似しやがったら潰せばいいだけ。
>>452 最後の良心ってとんだ福島中心の贔屓の引き倒しみたいな見方だな。
大坂方からすりゃ味方になってくれないんだから裏切りだろう。
第三者からすればあれだけ威勢のいい事言っといて小賢しい真似しときながら
いざとなったら何もできませんでした、じゃあ中途半端な奴ってだけ。
>>454 個人の印象を述べてるんだから問題ないでしょ?別に強要はしていない。
>第三者からすればあれだけ威勢のいい事言っといて小賢しい真似しときながら
>いざとなったら何もできませんでした、じゃあ中途半端な奴ってだけ。
威勢のいい事、小賢しい真似、って具体的に何の事?
なるほどー。
確かに、徳川にしてみれば小賢しいかもしれないね。
関ヶ原直後なだけに、意図せずとも『徳川のために働いたわけではない』、
というアピールになってしまう話だからね。
ただ、これをもって、最後の最後まで豊臣に義理立てをすべき論拠にはならないでしょ。
>>454 不毛な議論は避けたいので、逸話ソースの『威勢のいい事』『小賢しい真似』はナシでお願いします。
>>448 >>中途半端にかけた豊臣への恩情
>>1613年に死ねなかった
>>生きている内に改易された
>>以上が著しく印象を悪くする原因になってるよね。
キミ個人の視点で印象が悪いんでしょ?
もしくは、昨今の西軍視点小説の影響を受けた人の視点。
ハッキリ言って、逸話・講談も含めた過去資料において、
この視点で福島を否定しているものって見た事ない。
むしろこれらの点では同情的なのばかり。
(
>>452は悲哀感と表現してるが)
逸話にしても、粗暴、単純、酒癖が悪い、口が軽いとか、そんな程度。
知らないだけなのかもしれないので、あるなら教えて欲しいんだけど。
やっぱり三成再評価・英雄視で割を食ってるとしか思えんよ。
明治初期の三成ブームの時は、貶められてはいない
当時の名将言行録でも良将として名を連ねている
つか、豊臣に速攻見切りつけたら評価上がんの?アリエネーだろww
最後まで豊臣存続に尽力してたから、過去の評価があんだろーが。
豊臣滅亡は自業自得だし、最後まで付き合う必要ないし。
関ヶ原系の小説でも裏切り者扱いはしてないけどね
せいぜい単純バカ程度
結局、個人の印象でしか語れないんだよね。
逸話ソースに因らない『威勢のいい事』『小賢しい真似』に期待したんだけど。
これからも、逸話視点の根拠なし一行レスが延々と続いていくわけだ。
>>465 歴史的な結果だけ見て評すれば、もっと悲惨な事になるがなw
「我等儀、太閤御爪ノ端ニ而候。内府公ト縁辺取組ミ、万端御意ヲ候ハヾ、
以来秀頼公御タメニモ然ルベキ儀ト存ジ」
『関原記』における伏見護衛時の記載内容。もちろん史実ではないけど、第三者的な見方という点で。
当時でも、福島の家康への接近は『豊臣家のため』だったと認識されていたと考えられるね。
明確に縁辺と記されてるのか。初めて知った。
確かに一次史料ではないけど、世間がどう認識してたか想像できる話だな。
三成厨は、福島が豊臣のために動いていた事実は否定したいだろうな。
じゃないと、関ヶ原は豊臣の寿命を縮めただけの話になっちまう。
ソース根拠の議論になると、レスが全く伸びなくなるね。
結局、福島は小説やゲームのイメージでしか語られていないという事か。
情報操作って簡単なもんだねー。
逆だろ
ソース根拠でだけなら語り尽くされてるし結論も出てる
小説ゲームで語る奴は世間に流布されたイメージと実態がかけ離れていることを声高に叫ぶだけの暇なアンチ
そして暇なアンチも相手する奴が居なくなって枯れただけw
ソース根拠で議論された事なんかあったか?
まして、結論なんぞ出てないだろ。
アンチが叩いて、ソース要求されたら沈黙、のパターン。
まぁ、逸話ソースだから出せるわきゃないんだけどさ。
アンチは世間のイメージ通りに『単純バカ』で叩いてるじゃんよ。
実態との乖離で議論されてたのは、福島猛将スレの時だろ。
このスレのPart1から根拠付きの議論ぐらい散々あっただろ
それで世間で通ったイメージとは違う人物という結論はとっくに出てる
福島贔屓ですら完全無欠な忠臣だの猛将(優れた将)だのなんて誰も思ってねえよ
それでも話を蒸し返して猛将じゃねぇ〜賢くねぇ〜といつまでも叩いてるのはアンチだけって話
ま、情報操作などまったく出来てるようには見えんけどな
少なくともこのスレに限っていえば
>>476 『根拠付きの議論』があるのは当り前だろ。
根拠のない議論なんて有り得ないでしょ。
アンチには『ソース根拠の議論がない』って言ってんだけど。
で、どんな結論が出たのか是非教えてくれないかな?
>>477 だからそんなアホはアンチぐらいなもんだろw
>>478 根拠のない議論てのはお前のいう講談のイメージで言い合ってるあれだろ
結論は猛将(優れた将)ではない、云われるほど馬鹿でもない
こんなところだろ
>結論は猛将(優れた将)ではない、云われるほど馬鹿でもない
逸話ソースのアンチに、結論を譲歩しなければならん理由がないわけだが
>>479 ここ最近のレスを読んだだけでも、それが結論ではなかった事が良く分かるな。
戦でスタンドプレー大好きな清正と並べるのが悪いんじゃないの?
確かにスタンドプレーの逸話ってあんまりきかないな正則
日本史上の国内会戦で五指に入る関ヶ原。
その武功一番が、福島なわけだが。
日本史上の国内会戦で、規模・質ともに最大の関ヶ原。
その武功一番は福島なわけだが。一連の流れでみても、MVPは不動。
最強軍団の5大老を撃破した天下無双の猛将 福島正則
その福島隊は
宇喜多隊によって散々にやられたんですけどね
>>489 そもそも兵数が違う。西軍最大戦力を支えていたのが正しい見方。
散々にやられた、ってどこから知識を得たのか知らないけど、
具体的な数値で被害状況を示したものはない。
東軍全体の死傷者数を調べてみなよ。
ビックリするくらい少ないから。
その可能性は高いね。否定はしない。
一般的に、会戦の死傷者は追撃によるものが多いからね。
>>490で言いたかったのは、
『福島が散々にやられた』ってのは、東軍被害状況から見て、
眉唾じゃないかって話。
いくつかの文献読んでみて、福島の突撃が押し戻された、もしくは押し返された
と表現はされていても、元の布陣位置から退いた表現はされていないし。
名のある武士が討たれた記載もないんだよな。
例えば、夏の陣で長宗我部勢に押され、討ち取られた藤堂の武将なんかは、かなり具体的。
「押された」とか「進めなかった」を孫引きしていくうちに「壊滅寸前w」とかになるのは
ほとんど2chの作法だなー
>>493 戦闘技能しか持っておらず再就職できなかった連中だからな
家康「社会不安の原因をまとめて集めてくれてほんとに豊臣様々じゃんね?」
2、3町押し返されたってんだから結構やられてる
しかも明石隊のほぼ同数と戦ってだろ
でもそこから敗走したって記述はないし持ち直したんだから壊滅状態ではない
>>498 最初、福島隊が攻め込んでいたが、
宇喜多隊の前衛、明石の八千で、福島の前衛の福島正之、正信のおよそ三千ほどなので、
三倍近い大軍に2、3百メートル押し返されて、開戦位置に後退。福島正則、大野冶長など
後衛が戦闘参加して、宇喜多隊を天満山に押し返す。
宇喜多隊の後衛は天満山から降りず、明石の善戦は報われず。
こんな感じだな。
そうね。
宇喜多隊を前衛の明石隊のみで議論するなら、福島隊もそうしないと。
そもそも宇喜多の相手は福島だけじゃないし。
開戦してすぐに小西の消極的な戦闘の結果小西隊を攻撃するはずの戦力が
宇喜多隊に向けられて宇喜多隊は半包囲される結果になった。
その結果が宇喜多が砦から打って出れなくなり積極的攻勢にうって出れなくなり福島の危機を救った。
そもそも周囲(藤堂)と協調しながら戦えばこうはならんだろ。
関ヶ原の戦力は石高で推定してるだけだからな
実際は経済力が高ければ金でいくらでも兵が集められるし、とくに福島は地元だったので、
1万近い兵力は持ってたかもしれないぞ まあ宇喜多も相当なもんだったけど
>>501 関ヶ原に宇喜多隊と福島隊しか存在しなかったとしよう。
数で劣勢な福島隊が、複数回の正面突撃を敢行すると思う?
当然、周囲の味方の布陣・展開があっての行動に決まってんでしょ。
そもそも福島は先鋒なんだから、東軍全体の中で自身の役割を果たしている。
関ヶ原が、正面向き合った武将同士の一対一の勝負だとか思ってる?
↑利口なこといってるつもりか?
残念ながらあほまるだしだぞw
そりゃ仕方ないよ。
あほに説明してあげてるんだからw
小西が大敗して大きく下がるのも東軍の予定通りの行動な訳?
ありえんw
宇喜多隊には伊藤とか糟屋とか河尻とかも配属されていたんだぞ。
二万は超えている。
>>506 >小西が大敗して大きく下がるのも東軍の予定通りの行動
そんな事誰も言ってないし、論点ズレてるw
関ヶ原のような会戦で、一部隊どうしの優劣を語る事自体、ナンセンス。
地元で目一杯徴兵すれば1万2千ぐらいにはなる 十分はりあえる
福島は本田忠勝を組み伏せた実績がある。
短刀で殺されるところを、秀吉が止めた。
>>510 それ清正の逸話だろ。しかもつくり話だし。
そもそも福島が宇喜多とのタイマン勝負にこだわったのが東軍苦戦の一員だろうが?
ほかの隊と協力して宇喜多の側面を突くとかして、宇喜多勢をさっさと
切り崩しておけば関が原は地東軍の楽勝だったんだよ。
ようするに福島の我侭のおかげで東軍全体に迷惑かけただけ。
タイマン勝負じゃないだろ。
天満山に布陣する宇喜多、小西、河尻、伊藤、糟屋たちに対して
古田織部とその兄弟弟子の織田有楽や金森、織部の弟子の福島、寺沢などが共同して
攻撃していると考えるべきだ。
小西は元々宇喜多の御用商人だったから、宇喜多の元に配属されたのだろう。
小西行長は商人あがりということで腰の低い愛想笑いが得意なやつと思われてるが、
実はかなりの武闘派で傲慢でムカツクやつだったらしい
>>513 >福島が宇喜多とのタイマン勝負にこだわった
ソース希望。どこの誰がその節を唱えたの?
小説読んで史実だと思いこんでるだけ?
結果的に半包囲出来たが、それは小西が戦線崩壊したからであって福島の
行動は充分戦線を崩壊させる危険性をはらんでいる。
元々宇喜多隊を殲滅出来る能力が無い以上足止めするだけで良いのに
後退を余儀なくされる程の積極的攻勢にでる意味が不明。
どうせ先陣も取られたし最初から半包囲出来るように足並み揃えれば良いだけ。
万が一にも福島が突破されれば東軍は予備兵力を宇喜多に割くか家康本軍が戦うかしかない。
小西が退いた以外は割と善戦している状況を中立組は東軍への心象はあまり良くないはず。
そもそも福島は先鋒なわけだが。
西軍主力相手に、先鋒の役割期待を十分果たしてるよ。
足止めって、何?
足止めする側は西軍でしょ。
東軍の西上を阻止するために関ヶ原に布陣したわけだから。
何で東軍の福島が足止めするのさ。ましてや先鋒が。
事実、福島の戦いぶりを『批判』している文献はないでしょ。
小説ですらないと思うよ。
福島の本質ってさ、大人になればわかると思う。
自分で金稼いで、奥さん子供養えば。
上司、同僚、部下、取引先、家族等々・・・。
いろんなものに板挟みになってみなよ。
福島みたいな行動はなかなか取れないから、マジで。
大阪の陣じゃいろいろ悩んだり葛藤してたんだろうなぁ…
秀頼救いたいが家康にも恩あるし、徳川に逆える状況じゃないし
そこそこ尽くしてきたのに家康死んだら改易って… 晩年は廃人当然だったらしいね…(´・ω・`)
脳筋のなれの果てか…
脳筋イメージは、徳川実記と西軍系小説の脚色だけどね。
実際の行政手腕はなかなかのものだよ。
毛利治世の後釜だから云々、というのは実は根拠なし。
>>522 戦勝直後に図に乗って徳川に喧嘩吹っかけた事は忘れちゃったのかねぇ
徳川の増長に釘を刺す事が目的じゃん。
関ヶ原の貢献度を根拠にしてさ。
徳川のためでなく、豊臣のために働いた意思表示でしょ。
関ヶ原は、あくまで豊臣家中の政争だし。
単に喧嘩を売っただけの話なら、徳川が折れる理由はないわな。
秀信助命の件といい、一々清々しい話だと思うけどね。
>>527 後の歴史を見れば全然釘を刺した事にはならなかったがな
大坂の陣の時にはすっかりヘコヘコしてたし
>>528 結果論ではそのとおり。福島一人では、豊臣を救う事は出来なかった。
だからといって、その行動が批判されるものではない。
図に乗って喧嘩を吹っ掛けた(
>>526)、程度の短絡的な行動ではない。
>大坂の陣の時にはすっかりヘコヘコしてたし
逸話の類ではよく聞く話だけど、ソースは何?
>>529 一人では救う事は出来なかったが
誰かと共に何かをしようとした形跡もありませんよね?
>>図に乗って喧嘩を吹っ掛けた(
>>526)、程度の短絡的な行動ではない。
これのソースは? 脳内?
というよりも、恩賞貰うのはともかく、封地移動も含めて徳川から恩貰った時点で、釘さしても、全然説得力ないんじゃねーかい。
>>530 歴史事象の確認にソースを求めるのは当然だが、思考にソース求めるのは無意味じゃない?
例えば、三成が何のために関ヶ原を起こしたのかソース出せ、みたいな。
一次史料であっても、思考の正確性を証明することは絶対出来ない。
ヘコヘコのソースは、徳川実紀だね。徳川実紀がどんな文献かは割愛。
特に、正則については、台徳院殿御実紀に酷い描写が多い。
これがベースになって、正則のイメージが出来上がっている。
>>531 恩は豊臣家から。徳川からだったら、確かにこんな行動には出れない。
天下人確実となった家康が折れる、って凄い事だと思うけどね。
二頭体制だった頃に派閥争いで家康についたのは良いとして(それでも御掟違反はどうかと思うが)
利家が死に利長が逼塞となった後も家康の政敵を駆逐する先駆けとなって
家康独裁体制の手伝いをしておいて釘を刺すも糞もないわな。
関ヶ原での貢献を背景に大きな態度に出たのは確かだろうが、自身の家臣と徳川との
問題であって、それを豊家の為に徳川に対して釘を刺しただとか馬鹿馬鹿しいにも程がある。
>>533 正則の軸が何かを考えると良い。
大坂の陣に至るまで、豊臣家を主家として重視している。
(幕府体制下、大名としての立場が苦しめる事になるが)
表面だけを単純になぞれば、『自身の家臣と徳川との問題』程度になるだろうが、
次期天下人がほぼ確定した相手にそんな事をする意義は何?
そして家康が折れて伊奈に腹を切らせる、という異常な結果は何を意味する?
関ヶ原勝利で、誰もが豊臣から徳川にシフトしようとする中で、いきなり泥をぶつけた話でしょ。
家康にしてみれば、いかに貢献があろうと、正則程度は吹けば飛ぶような存在。
『自身の家臣と徳川との問題』程度の問題であるならば、家康はNOを選択すれば良い。
徳川の天下がほぼ確定した状況ながら、豊臣配下の将としては同じ立場である事を示したわけだね。
普通にそうだろ
あのタイミングで、他にどんな意図があるんかいな?
面子だったら家康も同じ
腹を切らせて詫びる必要なんてない
だから有名な事件になってるわけ
結局なんの意味も無く恨みを買っただけだと思うけどね〜
戦勝に気が大きくなってたんだろ
福島の気が大きくなった程度で、家康が詫びるかって話だな
気が大きくなってるんなら、関ヶ原で勝った家康の方がそうだろうし
>>534 へ?何言ってんの?伊奈図書の事件は関ヶ原直後だぞ?
とても家康の天下が確定したような状況じゃない。
それどころか、関ヶ原の勝利自体が豊臣系大名の活躍による所が大きく、
家康としては彼等の扱いにとても気を遣わなくてはいけないような状況。
福島としては自分が最も活躍したという自負もあり、
面目を潰されるような状況を看過できなかったというだけの話だろう。
たまに正則が忠臣で、太閤死亡から関ヶ原までの行動は豊臣家の事を考えているって言う人がいるんだが、
でその正則像をふくらめせると、正則が望んだ状態って、三成が奉行辞めた後位だと思うんだよね。
当時の状況から、大谷の代わりに調停やりゃなきゃいかんと思うんだが・・・、
まあ、政治向きじゃないからしゃーないけど。
>>540 ほぼ確定してるでしょ。
輝元に対し、大坂城退去を条件とした本領安堵通知が、会戦から4日後。
大坂城を退去する回答は7日後。会戦時の吉川・小早川の動きと合わせて、
実質関ヶ原の会戦で全て終了だよ。
でもって、伊奈事件の背景である正則の洛中警護は、早くても4日後以降。
文献によっては、8日後以降のもある。
大抵の書籍は、面目で仕上げてるね。正則のキャラ確定に一役買うネタになってる。
家康自身の面目より、正則の面目を優先するって、おかしくない?
問題の本質は別にあると考える方が普通だと思うけど。
>>542 してないよ、普通なら恩賞与える側は恩賞あんまりもらっちゃいけないから(特に主権者の変わっての場合)
100万石夢見ていたわけだから、清正とか仲間集めれば家康に対抗できるとか(w。
つまり、正則は自分のみならず家康は忠臣といわずとも”まともな”行動すると思っていたんじゃね?
>>542 へ?それは西軍と東軍の戦争が終結したかどうかなんだけど。何言ってんの?
関ヶ原自体は豊臣政権内の権力抗争でしかない。
戦後、片桐・小出を豊臣家の家老として置き、五大老・五奉行という公儀による
運営から切り離し、自らは将軍となり、更に豊臣蔵入地を接収した。
こうした公権力としての豊臣家の解体と自身の独立した権力確立を経て漸く
家康の天下が確定的となったと言える。
(本当に確定的になったのは更にその後の二条城の会見後に行われた誓詞の提出だが)
> 家康自身の面目より、正則の面目を優先するって、おかしくない?
彼等の扱いに慎重にならざるを得ない時期だって言ってるのに理解できないのかな?
豊臣家と徳川との間に直接関係のある話でもなく、その後に徳川の政権奪取を
福島が阻止しようとしたような話があるわけでもない。
強引に忠義話に結び付けようとしているだけの馬鹿馬鹿しい話にしか見えない。
>>544 キミの(
>>540)、
>へ?何言ってんの?伊奈図書の事件は関ヶ原直後だぞ?
>とても家康の天下が確定したような状況じゃない。
に対して、関ヶ原直後には天下がほぼ確定している事を説明(
>>542)したのに、酷いなぁ。
>輝元に対し、大坂城退去を条件とした本領安堵通知が、会戦から4日後。
>大坂城を退去する回答は7日後。会戦時の吉川・小早川の動きと合わせて、
>実質関ヶ原の会戦で全て終了だよ。
前半部分は本論からかなり外れてるけど、付き合うね。
長々と形式的な話をしてるけど、単純な話だよ。要は実態。
西軍約700万石を没収し反対勢力を一掃。家康自身は約400万石に増加。
戦後処理は思うがまま。もはや家康に伍する者なし。十分でしょ。
で本論。家康が豊臣系大名に対して慎重であった事を知らない人はいないでしょ。
ではなぜ慎重だったのかって話。慎重にしなかったら何が起こり得たの?
正則を筆頭に家康に戦でも仕掛けたかねぇ?(笑
面目説は、福島への先入観ありきの結論だからなぁ。
それがまた福島のイメージを固定化させる要因にもなってるし。
単純、粗暴キャラは使い勝手がいいから困るw
>>547のようなアホがレスすると場が一気に冷める
つーか正則はそれこそ大坂の陣直前まで家康に対して最も反抗的な大名だったしな。
それだけに世間も正則は、秀頼が挙兵したら間違い無く大阪方につくと思ってた。
加藤清正とかは早くから徳川に取り込まれ、晩年は豊臣一門というより徳川頼宣の岳父って立場の方が
大きかった感じだ。大阪の陣で松平忠輝の後見をした伊達政宗と同じような状況。
福島が大坂入城したら、本国広島はどうやって防衛するんだろ?
全国味方ゼロでは、『家』単位の壮大な自殺行為だな。
福島大坂入城は講談的な切り口でしかなく、全く現実的でないと思うな。
だいたい大坂の陣なんて淀や秀頼の頭がおかしいから起きただけのことだしね
狂人の暴走行為に付き合うのは朝鮮出兵だけで充分だろう
浪人を何万も抱えて家康が死んだら挙兵だとかいってたらそりゃ潰されるわなあ
>>545 なんか随分勘違いしてるようだけど、関ヶ原で終結したのは
豊臣政権内での権力闘争で、徳川の天下が定まったわけじゃないぞw
>>557 家康の将軍宣下は1603年2月12日、関ヶ原は1600年9月15日。この2年5ヶ月ほどをよくよく考えてみろ。
実質、定まったも同然じゃん。
逆説で考えて、ここからどうやって徳川の権勢を覆せるんだよ?
>>559 「豊臣政権」の最大実力者と、江戸幕府という独自の公儀の最高主権者、という立場は全く異なる。
家康を豊臣政権内に留めておくという道はあったはず。
>>561 何が言いたいのかよくわからんが、関ヶ原で家康の次期天下人はほぼ確定。
天下分け目の戦いに疑問を挟む余地はない。
開幕によって名実ともに整う事に異論はないが、
ここでの話は、『実』さえ整えば成立する話。
よく福島、加藤は家康に利用された騙されたと言われるけど
利家に三成や宇喜多は家康の野心を見抜いて警戒なり戦いを
挑んでるんだよね。
上スレでも何回か書かれているけど秀吉が幼児の後見人という
立場で織田家を簒奪している様を両名は実際に戦闘に参加して
見ているのに本当に家康の野心に気づかなかったのだろうか?
秀吉死後に家康が勝手に色々な行動を起しているのにさ。
だとしたら加藤、福島は迂闊としか言いようが無いがする。
だから彼等が非難されるのは仕方ない部分はあるなあ。
そもそも関ヶ原後に家康があんな巨大な権力を握ったのは、関ヶ原で西軍が、日本の合戦史上でも
まれに見る完璧な大惨敗をした結果なんだけどね。
つまり家康は歴史上稀有の大勝利を主導した指導者として権力を得たわけだ。
端的に言えば、西軍が弱すぎたのが悪い。
>>562 だから実も得られてないんだっつーの。
関ヶ原後家康がどれだけ慎重に豊臣家から政権を奪っていったのか理解してるか?
関ヶ原直後に「今度は豊臣家を潰す」と言って挙兵したとして
東軍についた勢力が皆味方するとでも?
>>565 関ヶ原後の所領安堵は豊臣政権ではなく全部家康の名前で出してる。
「家康による新秩序」というのは関ヶ原後に既に確立してる。
>>566 豊臣政権の大老として出してんだっつーのw
>>567 所領安堵に家康の認証のない、豊臣家によって独自に行われたものは一つもない。
つまり豊臣権力というものが家康によって完全に掌握されたということだ。
>>565 関ヶ原後は単なる手続き。
権力そのものは、会戦勝利で家康確定。
キミの言ってるのは屁理屈に過ぎない。
>>565 逆に言えば関ヶ原直後に豊臣家が家康を潰すと言って挙兵すれば
東軍についた勢力が皆味方すると君は思っているわけ?
家康の権力を認めたくないための無意味な屁理屈を並べすぎだよ
>>564 もしかしたらだけど勿論家康は野心満々だったろうけど、あそまで上手く
いくと言うか関が原以降巨大な権力を握れるとまでは思っていなかった
のかも。
>>563 宇喜多や石田は戦いを選んだ結果負けている
福島や加藤は戦ったら勝てないと思ったから
家康とは戦わないで協調の道を選んだんだろ
彼らを迂闊というなら戦をして負け
豊臣家を一大名までに落とさせた
宇喜多や石田も迂闊だったと言えるんじゃない
優秀な人間ほど彼我の差を良く認識する。
ダメな奴ほど相手の力量を測れない。
>>572 なんていうのかな加藤、福島は家康が秀吉が織田家簒奪した手法をそのままそっくり真似ているのに
本当に彼の野心に気づかなかったのかなと思って。
幼児の後見人、内乱の利用、裏切り者を出させるなどフルセットそのまんまなのに。
本当に気付いたというか、気付かない馬鹿はいないでしょ。
気付いた後の方針が、乗換か融和か対決の三択だったわけで。
乗換の代表は藤堂・黒田等、融和が加藤・福島等、対決が石田かね。
加藤・福島は北政所おね様を母と慕う連中だから、おね様が秀頼を秀吉の子と認めず、
茶々を泥棒猫あつかいして秀頼・茶々政権を倒そうとしてたのはよく知ってたはず
実は徳川殿が天下人になっちゃうのは承知だったんじゃないかな
よく秀頼に忠誠心を持ってたっていうけど表向きのものだったのかもしれない
今時そんなカビの生えた講談史観を見るとは思わなかった。
現在、関ヶ原の時点で北政所には権力も影響力も殆ど無かったというのが
ほとんど定説になっている。
>>576 乗り換え派と対決派はよくわかるのだけど融和派というのはよくわからない。
家康の天下取り野望に気付いていて融和を選ぶというのは豊臣家をどうした
かったという事?
123 名前:名無しでいいとも!@放送中は実況板で[sage] 投稿日:2011/09/23(金) 21:21:10.42 ID:coCW611f0
【尾崎元規】
花王社長 (1949年6月6日生まれ)。やっぱ糞団塊でしたwww
長崎県佐世保市出身
ソフトバンクの孫正義(当初は華僑と自称してたパチ屋・サラ金上がりの総連系在日朝鮮人)や
民主党の原口一博・元総務相(「民主党政権で民放の電波使用料を下げます」とテレビで利益誘導公言し、BPOを骨抜きにした売国奴)
と同郷でしたwww
04年6月、先輩役員8人を飛び越して社長に就任。業績が何もないのに実に不自然な人事www
793 :名無しさん@12周年:2011/09/23(金) 17:21:47.92 ID:IyRj+SxDO
花王の尾崎社長の母親が在日とは知らなかったわ。点と線が繋がっていく。
894 :名無しさん@12周年:2011/09/23(金) 17:33:32.55 ID:IyRj+SxDO
株のヤフー掲示板に花王の社長の母親が在日やから韓流ドラマのスポンサーになると書いてあった!!
家康みたいな超巨大な勢力残して死んだ秀吉が一番迂闊だろ。
>>581 まあ、行き着くところはそこだよな。
人心掌握については秀吉は信長を反面教師にして「剛」ではなく「柔」
で懐柔させてきたけどやり過ぎだわな。
結局家康に野心を持たせ巨大な権力を与える事になった。
>>579 豊臣家の存続が第一義。
秀吉自身が、家康に対しては懐柔路線。
秀頼と家直孫との婚姻施策などレールも敷いている。
何も難しい事じゃなく、加藤福島はこれに乗ってるだけの話。
秀吉が家康に対し、対決もしくは屈従の姿勢を示していたのなら、
この加藤福島は不忠と言えるかもしれない。
↑
× 秀頼と家直孫との婚姻施策などレールも敷いている。
○ 秀頼と家康直孫との婚姻施策などレールも敷いている。
>>583 でも秀吉は当然ながら豊臣政権の維持を望んでいたはず。
家康懐柔路線もその為だし。
>>585 その、秀吉の望んだ存続する「豊臣政権」の内実はどんなものだったか、というのは議論のあるところだろうな。
秀吉のように秀頼が独裁者として君臨する体制なのか、いわゆる十人衆によって統治される中、
名目的な君主としてまつり上げられている体制なのか。
もちろん、豊臣政権が維持出来るならばそれがベスト。
徳川家の権力伸長は許容しつつも、政権が維持出来るならこれは当然。
それを決定的に打ち壊したのが、関ヶ原。
戦後、全国は徳川親派で塗り替えられ、家康が豊臣政権の枠に留まる
必要がなくなったわけだから。
政権維持に固執し、豊臣家そのものが消滅するのでは全く意味がない。
当時は実力主義だから秀頼には公家にでもなればいいのにって話だったのかな
政権担当能力がない人をトップにするほど甘くはなかったか
今から思えば家康を江戸に移したりせず、三河に置いてた方が良かったんじゃないか?
そうすれば朝鮮出兵に強制参加になっただろうし。
朝鮮出兵は罰ゲームじゃねえぞ、秀吉は勝つ気満々なんだぜ?
だいたい朝鮮の所領割まで秀吉作ってるし。
徳川をもっと強大化させたいのなら参戦させただろうね、秀吉はw
国替えは大成功だったと思うけどなー よく飲ませたと思う
だいたい三河遠江駿河甲斐信濃で150万石ってのが少なく申告しすぎ
200万石はかるく超えてたんじゃないの?地図上の面積もすっごくでかい
これに北条攻め先鋒の恩賞で伊豆が加わる予定だったらしい 貰いすぎ
国替えでうまいこと関東に封じ込めて大成功だったと思うけど・・・・
なにがダメだったのかなあ
>>591 家康の抑えの筈で尾張に配置した福島正則が非常時の兵糧ごと徳川に寝返りだからなw
これには秀吉もあの世でビックリだろw
何の役にも立ってねぇ
>>592 身の程知らずの三成の決起にビックリだろ。
豊臣家まで巻き込んでいい迷惑。
家康は豊臣家と戦をしたわけじゃないんだけど。
もうそろそろこの辺は理解しとかないと。
>>593 でも天下取りへの野心はあったと思うけど。
なぜ西軍は関が原の戦いの時清洲城を
攻めなかったのだろう。
攻めていれば戦いが一日で決着することはなかったのに。
絶対にやるべきだった。
このへんが石田三成の限界なんだな。
結果的に福島が家康の陣営に入ったことが西軍が
負けるきっかけになったんだよね。
>>595 野心があろうがなかろうが、豊臣家と戦はしていない。
豊臣家は中立。
豊臣家のお墨付きがない三成主導のクーデターに加わる道理がない。
一応建前は豊臣家臣同士の内乱だけど東軍についていた武将は
家康の野心に気付いていたのか?それとも気付いてなかったのか?
一応内乱の建前を取っているけど実際の所は豊臣VS徳川と思っていたのか?
関が原の戦いにおいてこの辺りが今イチわかんない。
結局、三成の言うことを信じなかった淀や福島がアホなだけ
>>599 関ヶ原の前に前田がやられたじゃん
んで次上杉
諸大名は家康の天下取り始まったと感じてただろうけどな
>>601 当時の淀や正則は家康のでっち上げた前田謀反を本気で信じたわけだからな。
アホとしか言いようがない。
家康どころか豊臣家にすら無断で帰国した前田利長の謀反容疑がでっち上げとか
脳みそハッピーにもほどがあるわ
>>599 当然気付いてるでしょ。
秀吉死後から家康の専横は始まってるし。
内乱の建前というか、教科書的な失敗クーデター。
実態は、徳川対反徳川。
結果的に、戦後徳川の権勢が強大化したので、
豊臣政権の枠から外れることが可能になった。
例えば、会津征伐のみで終了であれば、
史実のような政権移行は出来ない。
家康の寿命、残り15年でね。
だとしたら関が原の戦いは誠に家康にとってハッピーな結果なんだなあ。
家康の豊臣政権簒奪劇は結構際どい部分をはらんでたんだ。
豊臣なんて出来たばかりの新興組織に過ぎないし海外遠征失敗で恩賞ばら撒きも出来なくなったし
三成みたいな権力の中枢にいる一部の連中を除けば大半は簒奪がされようとされまいとどうでもよいだろうな
そもそも家康の専横が悪いのではなく家康を招聘しなければいけないほどの失政を犯した豊臣が悪いだけなのだから
西軍の訴えが通る道理などあるはずがない
秀吉政権も末期には恩賞として陪臣にまで豊臣性をばらまくような体たらくだったしな
秀吉に子種があれば歴史は変わったぜ、200人も側室抱えて
子供生まれないんだからな
子種あったら日本全国に豊臣性があふれてたかも知れない
アッキーナ(南明奈)が戦国無双3の加藤清正が使いやすくて大好きっていうんで
ちょっとサイトをチェックしみたら異様にかっこよかったw
髪の毛が銀髪でシルバーウルフみたいなかんじw どこが清正だよ!
安芸広島は福島正則に与える。って毛利の所領じゃねーか
毛利はなんでプンスカ怒らないんだよ
当時、征長先方は福島を以て抑えとする、という幕府の方針があった
んじゃないか。対薩摩戦略も、にしては広島城お粗末、
広島城改修問題で、一旦城の破却を命じられた後それが不十分なのをまっさきに幕府に報告したのが
毛利だったなw
毛利や周辺諸藩が幕府に報告したのはほんとだぞ。幕府の記録に残ってる。真っ先かどうかは知らんが。
だから、その記録の出典は何か聞いてるんだって。
自ら白状するわけないんだから、他から情報が入るのは当たり前だろ。
事実上秀吉が織田家を崩壊させたようなものだから家康が豊臣家を崩壊という滅亡
させても文句が言えない気がする。
それに秀吉自身が大恩ある織田家に対してアレなんだから福島や加藤を非難するのは酷なような気がする。
>>621 まあそうなりますわなあ〜
秀吉を倒した徳川を今度は毛利・島津が倒す・・・ なんていうか、運命ですかなあ〜
ホント運命ですな。
確か豊臣家滅亡日と信孝切腹日は同じ月日らしいです。それもまた因縁というか。
信孝は秀吉に「むくいをまて云々」という恨みのこもった辞世の句を残してますが、
秀吉自身にむくいはなかったけど彼の愛する息子はしっかりむくいを受ける事になった。
秀吉にとっては自分自身にバチが当たるより辛かったでしょうね。
わざとあわせたのかもよ
復讐目当てとかでなく、民衆の意見を軟化させるために
福島正則と家老の福島丹波守をメインにした作品を含む短編小説集が
8月に立て続けに2冊もでてる
しかも2冊とも福島主従の話のタイトルが書名になってるという
(といっても片方は家康がなんちゃらって題だけど)
福島正則の時代が来た?
福島の置かれた環境、判断、行動をキチンと調べれば、間違いなく名将に該当する。
裏切者だの、家康に騙された単純バカだのは、逸話・小説レベルの話。
三成の化けの皮が剥がれた時に、本当に見直される時が来る。
昨日ヒストリアやってたけどやっぱり否定的な取り上げられ方w
>>629 全くの同意なのですが
清正や秀秋が暗殺されたのに正則だけが生き残ったのは
どうお考えですか?
徳川政権から功労者として評価されたのか、
バカと思われ領地だけ取られて放置されてたのか、
はたまた正則自ら忍者軍を討ち返し手が出せなかったのか。
>>631 > 清正や秀秋が暗殺されたのに正則だけが生き残ったのは
> どうお考えですか?
先ずその認識を根本的に改めろ講談脳
んなトゲトゲしたレスする必要あるのか?
>>629 広島城改修は失敗だと思うが
言い方はともかく、確かに暗殺は逸話に過ぎないから、
寿命としか言えないかな。
元和3年春に長雨で大洪水、市中の堤防が決壊し、多くの橋梁が流出。
その夏も洪水で城下一円が大災害、広島城は三の丸まで浸水する程。
これを修復するな、という方が無理な話ではないかとも思うけどね。
今年の津波や台風の被害を知っているなら、理解出来るのでは?
このスレでは既出だけど、秀忠の出した武家書法度(元和令)では、
修築は報告だけでよいんだよね。実は正則は違法を犯していない。
許可が必要になるのは、家光の寛永令から。
元和令
『諸国の居城、修補をなすと雖、必ず言上すべし。況んや新儀の構営堅く停止せしむる事。』
寛永令
『新規の城郭構営は堅く之を禁止す。居城の隍塁、石壁以下破壊の時は、奉行所に達し、その旨を受くべきなり。
櫓・塀・門等の分は、先規の如く修補すべき事。』
>>634 だから正則の改易理由は城の改修ではなく、戦闘施設の破却命令を形だけでごまかしたこと。
将軍の命令への不服従だわな。
その通りだね。破却してればこの場面での改易は免れたかもしれない。
少なくとも、伊奈事件等を挙げた罪状七条によるものではない。
薙刀持った嫁に追いかけられたって話、そんなに有名なのかw
この間のNHKに続いて今日のTBSでもやってた
おれが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしい
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうだ
その世界では有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報だよ
まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタだね、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識だろ?
いや、真面目に小説・講談の逸話を抜きに評価すれば名将だよ。
福島sageの人は、自分が参考にした書籍が何か振り返ってみればいい。
十中八九、一次史料ではないから。
アルコールさえなければ完璧超人といってもいいくらいだしな
>>644 関ヶ原前後の武将としての重要性は周知なので、広島入部時の領内整備で言えば、
・分散知行形態による統治。(御調郡誌)
一つの村が多数の知行主に分割して与えられ、一人の知行主は多数の村に
分散して知行所を与えられる。給主の現地支配を困難化させさせ、藩権力の
中央集中化させるのが目的。
(勿論、地縁等の背景がない事から容易に可能だった事もある)
・物成高(年貢米高)の固定化(正則花押の知行宛行状)
知行目録には、知行高の他に物成高が記載されている。通常変動する
物成高を記載し固定化することで、給人の給米化を企図している。
・年貢率は平均で約6割。(「佐西郡久嶋村物成之事」下ヶ札)
高の六割を年貢率とし、田は作柄を9段階に分けて検定。実収に比例した
年貢を公平に収める事とした。「小田文書」によると、慶長6年の久嶋村
は4.7割だというから驚き。(豊臣期は七公三民だから異常に低い)
ワイが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしいで
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうや
その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで
まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタやな、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識やろ?
2ちゃんねるやってるやつならこの情報でもう大儲けしてるしな
懲罰転封くらい避けて欲しかったわな。はっきり言ってこれで総て台無し。
改易懲罰転封された大名は二世三世が多い中、背景の事情は兎も角当代で懲罰転封受けたのはかなりマイナス。
酷ではあるがな。死ぬタイミングを見誤った。
あと家康の養女の子をぶち殺すのも明らかに精細かいとるわ。
広島藩没収って言われた時、広島城に立て篭って死ぬまで戦えばよかったのに
江戸藩邸に居る時申し付けられたんだっつーに>改易
というか正則は関ヶ原以降、露骨に徳川へ反抗的態度を取り続ける唯一の大名だった。
なので大阪の陣の時も世間は、他に味方がいなくても正則だけは大阪方につく、と考えていたほど。
(加藤清正とかはもっと徳川に従順で、晩年は豊臣一門と言うより徳川頼宣の舅、という立場の方が
大きかった感じだ。伊達政宗と同じだな)
狡猾も何も地元に戻ってるときにそんなの出したらやばいの誰だってわかるだろうに
ずっと引きこもってる人はしょうがないけど
実際、福島の親族とか入城してんだよな。
入城直前に藤堂勢に全滅させられたのもいるし。
これが取り潰しの理由にならなかったのが不思議。
>>648 そうか?
徳川臣下の大名として評価するならそうかもしれないけど、
武将としての評価は違うでしょ。
徳川家に従順であれば、評価が高くなるのかい?
>>650 徳川頼宣が清正娘と婚姻結んだのって清正死後じゃね?
>>654 徳川の世になっても生きてるんだから徳川に従順になり兎に角徳川にへりくだるのが処世術だろ。
しかも豊臣譜代っていう立場が立場だし。
そもそも改易の発端になった城の修理も幕府から指摘されるのニ度目だし。
より慎重になんでも幕府の顔色伺いながらやらなくちゃいけない立場の人間の行動としては迂闊すぎる。
そもそも正則は大坂の陣の前、家康に領内での新規築城を咎められたときはそれらを全て破却している。
正則の態度は、家康には従えても秀忠の命令には従えないと言っているようなもの。
>>658 いや、だからそれは『徳川臣下』の大名としての評価でしょ?繰り返すけど。
それなら確かに、徳川に対して反抗的だし、従順ではない。
江戸幕府下での処世に長けてるとは言えないな。
でもいいんじゃない?キミの言う通り、そもそも豊臣譜代なんだから。
広島だって、元々徳川から受領したわけじゃないし。
>>659 出典は?
>>660 大日本史料慶長14年7月29日1条
『是より先き、広島城主福島正則居城を修築し、家康に懌ばれず、之を毀つ、』
つーか正則は明確に徳川に臣従してるんだが。江戸藩邸まで作って参勤している大名が
徳川臣下ではない、というのは詭弁だわ。
>>661 んで、大日本史料編纂にあたっての、元ネタは?
徳川の臣下ではない、なんて一言も触れてないんだが。
徳川臣下としての評価には否定はしてないし。
>>662 キミが何が言いたいのかよくわからん。安芸に関しても少なくとも秀忠への代替わりの時に、
法的には秀忠から安堵されたものになってるし。
>>664 ぶっちゃけ自業自得もいいところだぞそいつらの改易。
>>665 そうなんか もう西軍についてりゃよかったのにな
>>663 んじゃ、わかりやすく。・大日本史料は、明治に編纂された史料集。なのでその元ネタは?という事。
それがわからなきゃ史実かどうかわからんでしょ?
・福島が『徳川臣下ではない(
>>661)』なんて一言も言ってないよ。
言ってると言うなら、該当レスを示してみて。
・ついでに、
>法的には秀忠から安堵されたものになってるし。
その準拠する『法』って何?
豊臣臣下としての尾張24万石も朝鮮出兵の為の割り当てなら納得だが、功で得た領土とはとても思えない。
約11〜13万石から約24万石って領土倍増だろ?あっりえねー!
まぁ九州→中国→近畿と動員掛ける為の配置なんだろうけど。
天下人の親族だし、別に有り得るだろ
現代社会ですら普通の話じゃないか
名将という事で妥当。
アンチは史実検証せずに、小説やマンガのイメージで叩いているからな。
徳川の工事連発で福島領の年貢率が上がってくのを見ると泣けてくる
>>674 毛利 はじめから7割
福島 4割→7割
>>672 関ヶ原。
日本戦史上、五指に入る天下分け目の戦いのキーマン。
東西両軍における戦略的な立ち位置、本戦戦闘局面での奮闘。
間違いなく、関ヶ原のMVP。
日本史を左右する戦いで、これ程重要なポジションにいた人物が
どれだけいる?
>>674 だから言われてるじゃんか。
史実検証してから書き込んどけってw
だから優遇策が終わって年貢が高くなったからなんな訳?
西諸大名と同じになった、それだけだろ?
>>676 それだけじゃ一発屋って言われるだけでは?
本戦奮闘って…それ宇喜多隊の数勘定が凄い状態ならそうやね!
>>679 一発屋で評価する史料なり研究者でもいるかい?
福島の武将としての評価が低い史料など見たことないな。
本戦での働きが低評価のものも見た事ないね。
講談・小説の類でもないんじゃないか?w
全国大会決勝での活躍の前には、地方予選の活躍など細かい話。
>>678 福島施策の年貢率を知らないのに、
>>674みたいな事書き込んでるから、笑っちゃってね。
優遇策とか無知にも程がある。
お前等そんなことどうでもいいから空飛ぶ正則の画像さいうぷ汁
362 自分:無名武将@お腹せっぷく[sage] 投稿日:2012/01/26(木) 00:33:40.44
http://www.konbun.co.jp/03tansu.htm 有能だから当代で改易されたことにしとこうぜ
面倒くさい奴も常駐してるようだし
史実で無能が証明出来ないんじゃ仕方ないわな。
作り話で評価がしたいのかい?w
まあ、一発屋ならデアゴスティーニが目をつけたりはしないだろ
福島のエピソードは、マンガみたいなのが多いから、とっつきやすいんだろうな。
ただ、それを史実だと思い込んで、真顔で貶められても困るよなぁ。
ただ日本号の話は実際に返還要求する書状が残ってるから、ホントにあったらしいのがなんともw
書状?
その黒田節の元ネタ、黒田家譜が出典じゃないのか?
書状名を教えてもらえないか?
このスレ、あたかも史実にように適当な事をいう輩が多いからさ。
黒田家譜は当然黒田マンセー。
正則程の豪の者が手放すのを惜しんだ名槍であり、それを手にした母里は見事天晴れ、
ってな描写だろ。
読まずに適当言う奴の多いこと
まあ一度くらい、本当に読んでから言ったらどうなんだおwww
史実性を問い出すと、途端にダンマリだな。
正直、改易についても、徳川至上主義者でない人間には何の意味もない。
むしろ、徳川の印象が悪くなるだけの事件だ。
実は、正則当代の改易だったから、家臣の再就職は全く困らなかったんだよね。
正則の推薦状は重みが違う。
改易を申し渡された時、正則本人が全く抗弁しなかったのも、この辺の計算が働いたのかもね。
豊臣親族が大封を維持し続けられるわけないし。
>>692 史実性を出せば正則の改易は当然の話だが、正則至上主義者にはそうではないらしいな
>>694 改易が当然なのは認めるよ。
幕府の指示に従わなかったわけだから。やや厳しいかなとは思うけど。
それが評価の肝にはならない、という話だよ。
レス遡ってみなよ。信者とアンチのどちらに史実性があるか。
>>695 いや、信者って程ではないんだよね。
福島批判が講談的だから、論拠を確認したいだけ。
見事に一次史料が出た事ないけどね。
池田家や浅野家のような人畜無害ポジションを確立できなかったのがまずい
そもそも池田は織田恩顧であって豊臣恩顧じゃないからな
史実がー史実がーっていうてる奴がいるけど史料で有能って証明できるんか^^
史実で人物評価しないで、作り話で評価したいのか?
ムチャクチャな話だなぁ。
内政面の事でよければ、
>>645。
武功については、関ヶ原の働きを評価しないんじゃ、
何を出した所で評価するつもりはないでしょ。
出せと言うなら出すけど。
240 名前: 人間七七四年 [sage] 投稿日: 2012/02/23(木) 23:59:30.35 ID:hCxv/ewc
>>236 >『虚勢』の意味は、『実を伴わない空威張り』を指すでしょ。
>
>>229のどこがそれに該当する?
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1320412512/231 >伊奈事件で福島野強談を可能としたのは、関ヶ原の功績があってこそなのは周知でしょ。
>もちろんキミの
>>231 >>ハナから戦う意志もないのに(みせかけの)、伊那を出せという要求を拒否するなら戦うぞ(威勢)
>は、事実関係とかけ離れていて、話にならないけど。
お前が事実関係をそう認識してるのはわかった
だが、虚勢と最初に言ったやつの事実関係の認識に基づけば虚勢であってるし、間違って用いているわけでもない
虚勢じゃないとするなら、本当に戦う気の三千の兵士だったということになるのだから
で、あるならば虚勢の意味についてどうこう言うんじゃなくて、事実関係について批判加えるべきだろと
具体的に言うなら
「その兵は脅しのためではない。警護を命じられているのだから軍勢を配備スルのは当然だ。
福島も警備のための兵という認識で、徳川に刃を向ける気はさらさらなかった。
徳川と対決する意志が無いので虚勢ではなく、ただの要求だ」
意味を調べろじゃ「虚勢」という言葉そのものの認識が異なるということになる
しかし、この場合ずれているのは事実関係の認識なので、意味を調べろは間違ってるだろって事
なるほど、キミの言いたいをようやく理解したよ。
であるなら、話はもっと早い。
『虚勢』という言葉が内包する意味に、
【自分が弱者であるにもかかわらず、強者のフリをする】がある。
『空威張り』はまさにそれを指す。
キミの
>ハナから戦う意志もないのに(みせかけの)、伊那を出せという要求を拒否するなら戦うぞ(威勢)
は、空威張りではない。この内容は、主語が強者でも当てはまる。
よって、使い方を誤ってます。
過去レス振り返れば、福島はさほど有能でもないのに、(するつもりもないのに)家康にケンカを売った、と言いたいんじゃないの?
それを虚勢と言いたかったんでしょ。
で、意味が全然違いますよ、と。
>>707 あらたな定義追加してまで自分が正しいって言いたいの?
ならそのとおりだよ
新たな定義追加ではないね。『虚勢』には、
・自分が弱者であるにもかかわらず、強者のフリをする
という意がもともと内在する。私が独自に設定した定義ではない。
キミもバカではなさそうだから、上記の意を知らぬ訳はあるまい。
福島の使命を果たせず自ら腹を切った佐久間加左衛門は、知行200石。
伊奈図書は、2500石。
福島が24万石で、徳川が255万石なので、実はバランスが取れてたりする。
人間の格が同じくらいの人に責任取らせろってことかね
確かにそうじゃないと切腹した人も面目立たないしね
「あいつ腹切ったから責任とらせてよ」って言って雑兵数名の首じゃ、もの笑いの種になっちゃうもんな
小山評定後にアッサリ帰った真田
万石も無ければ、将軍にも媚びない喜連川氏
1万500石でも苗木城持ち遠山氏(金さんの親類)
家光側室の町人だった増山氏 米が取れない松前氏など
【陪臣・喜連川ほか】 「小大名」スレ 2 建てました
http://ikura.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1329412330/l10 伊奈事件は、福島の武将にしてみたら感動ものだよな。
この大将に一生ついて行こうと思うわ。
単純なのはそう思うだろうな。
少し目端の利く人間なら「おいおい大丈夫かこの大将」と将来を不安に思ったことだろう。
処罰されたあと何か言うことあるかって言われて、
家康にならあるが秀忠にはねーって言ったのはかっこいいわ
>>722 バカだなぁ、そんな事は目端が利かなくても気付くって。
家臣のために、天下人確定した家康にすら退かない、ってのはそんなものを超越した話。
だから福島家中の評価は高い。
将来なんて見えない人間がこの世のほとんどだからねぇ
福島以外の大名だったら、徳川家は一滴も血を流さなかっただろうな。
伊奈どころか、雑兵も死ななかっただろう。
逆に、家康に詫びる(笑)大名が大半じゃないか?
その方が世渡りとしては正しいし、目端の利く家臣には頼りになる大将なのかもw
最上三代目、加藤二代目みたく腰抜け呼ばわりされて揉めるかもしれんから
なんとも言えん
正則も引くに引けなくて仕方ないから抗議したのかもしれないし
>>726 自分より他家の家臣を優先する奴を頼りにするバカがいるわけないじゃんw
単純に抗議した場合は当の番兵の首だけで済むのかな
でもこの件の場合は、家臣が恥を雪ぐために伊奈の命が必要だったからああなったわけだしな
>>729 >>722はそう思ってないみたいだけどw
司馬遼の「城塞」読んでるんだけど
出てくる度に名前にルビ振ってあるんだよね
そんな読みにくい名前か?
石田が挙兵をしなければ、
福島・加藤等恩顧主導のもと、豊臣と徳川は
緩やかに融合を果たしていただろう。
政権は徳川の手に渡っても、滅亡は確実に回避出来た。
織田家のように。
そろそろ現実離れしたイメージ先行はやめ、
本当の忠臣がどちらだったのか見直されるべき。
つか、多少なりとも史実を調べてる奴で、
石田を忠臣とか思ってる奴なんていんのか?
まー、常識的に外様使って無謀なクーデター企てた人間にすぎんわな、三成は
すでに前田が臣従
上杉征伐で上杉あぼん、恩賞で豊臣家の蔵入地分配、徳川家強大化
次は毛利か宇喜多
どのみち終わり
前田は徳川に頭下げて所領を維持している。
上杉は無理だろうが、毛利・宇喜多は力を蓄えておく事が出来る。
寧ろ、上杉攻めに参加していれば加増されてる可能性もある。
いずれにしても、史実のように、西軍700万石が親徳川に分配される事はない。
まして、豊臣家が滅亡する可能性はさらに低い。
>>738 文章読めてる?
毛利と宇喜多は加増されようが上杉の次に攻められて終わり。
家康が死ぬまで我慢してりゃ良かった話。
あのタイミングの挙兵は、豊臣家のためではなく、
三成が政権復帰するためのタイミング。
引退した人間なので、ああでもしないと
浮かび上がることが出来ない。
>>739 文章読めてる?
毛利と宇喜多はとりあえず頭下げときゃ所領維持は出来る。
徳川に頭下げて、所領削減された大名はいるのか?w
>>741 できるわけねーだろw
難癖つけられて攻められて終わり。
仮に上杉・毛利・宇喜多を追い込んでも、
取り潰しは不可能だから、浮動石高はせいぜい
200万石くらい。
史実の700万石以上圧縮とは比較にならない。
当然、徳川の絶対国力もそれほど強化されない。
豊臣家の滅亡は、やはり回避可能だ。
まぁ確かに、土下座すれば本領安堵の可能性は高い。
前田の実例があるIFと、取潰しの実例がないIFでは、当然信憑性に天地の開きがある。
他に人材いないし
秀家と秀秋に150万石づつ任せる?
上杉征伐後
家康「上杉領は宇喜多殿に任せる。すまんが北陸の抑えのため領地替えしてくだされ」
秀家(グッ…家康め、露骨な……しかしここは豊臣家のためにも我慢、我慢)
「ははっ、お任せくだされ」
数ヶ月後
家康「宇喜多が上洛命令に従わない。これは明らかに豊臣家に対する謀反である!」
秀家「転封されたばっかの土地で内政もせずいつ上洛しろってんだチクショー!」
家康「それでは宇喜多征伐の陣立てだが、毛利殿には大坂城の留守を守ってもらいたい」
輝元(これなら下手に恨まれることもないし安心だな、宇喜多殿許されよ)
「承知いたしました」
宇喜多征伐後
家康「毛利が大坂城から出てこない!さては秀頼君を傀儡として豊臣家を乗っ取る所存か!」
輝元「め、滅相もない!」
家康「では速やかに本領にお帰りくだされ」
輝元「無論そうします」
数週間後
輝元「毛利家は豊臣家に逆らった罪で減封じゃと!?おのれ家康…」
結局こんな感じになる。家康はもっとうまくやるだろうが
簒奪に動き始めちゃってる以上、もう止まれないからね
>>751 その秀家が周辺大名がビビッて何とかしてくれって陳情してしまうほど軍拡すればありえるかもなw
>>751 実例に基づかない妄想だな。
宇喜多転封後の難癖に対しては、頭下げれば
全く問題ない。
頭を下げた前田と、下げなかった上杉が証明済み。
福島の行動は理解されにくいだろうね。
結果論で豊臣家を滅ぼした徳川家と対決した三成に
正義があるように見える。
凄く単純な図式でわかりやすいし、ドラマ性がある。
実際には、豊臣家延命のために高度な政治駆け引きをした
福島・加藤が評価されるべきだろうな。
三成主体なら裏切り者扱い、家康主体ならまんまと利用された
単純バカ扱い。小説を面白くしようと思ったらしかたのかな。
理解出来てる人にはわかってるんだろうけどね。
福島正則は大坂の陣をどう眺めていたのかね?
藩論は二分されていたそうだが。
正則は大阪の陣の前から、豊臣家にとにかく幕府の言うことを聞けとずっと忠告している。
秀頼あたりが不快になるのも構わず言うことはちゃんと言っていた。
忠告したのに聞かないんじゃ、もう関わりようがないだろ。これで豊臣についたって豊臣の側も
ずっと恭順を言って来た正則を信用しないだろうし。
まあほとんどの原因は秀吉にあるよ。
これだけは間違いない。
個人的な感情論では、入城したかっただろう。
しかし、福島ほどの大大名で、それは不可能。
藩をあげて自殺するわけにはいくまい。
8万石の兵糧を黙認とか、気持ちは大坂城だろう。
豊臣家陪臣に過ぎない福島の親族が大坂入城したのは
明らかに代理入城。
筆頭家老福島丹波の息子が入城しようとして、藤堂勢に全滅させられてるね。
西軍視点の人は、この辺の話を完全に無視してる。それとも知らないだけかな。
福島の豊臣家への忠誠は疑いようがなく、家康への寝返りは有り得ない。
まぁ福島に忠誠心があると、三成の選択が誤っていたことがバレちゃうからね。
そもそも、三成には豊臣家を愛するエピソードすらないし。
とういうか豊臣のみ・徳川のみ、唯一忠誠を誓うという概念自体平和な江戸時代以降の考え方だからね
両属していたと考えればいいかと
まあ朝廷への忠誠と幕府への忠誠が基本矛盾しないのと同じようなもんだ。
矛盾が現れると戦争になるが。
×両属
○同じ系統への臣従
豊臣と徳川の両立は対立したものではなく、同じ”公儀”の中の部門として考えるといい。
>>763 細川藤孝「掛け持ちなんてもってのほか」
明智光秀「ですね」
へ?別に明智は両方の家臣になってるわけじゃないけど
関ヶ原後に豊臣一門に加えて秀頼に叔父貴と呼ばせるとかもっと取り込まないと駄目だよ
そもそも福島に大坂入城してほしいなら大老にして全権委任するくらいやるのが筋だろう
単なる一武将として浪人どもと大して変わらない地位で戦えというのは尾張以来の家臣に対してあまりにも非礼な行為
三成の時もそうだがどうも豊臣家は尾張系に敬意を払わず単なる下僕として扱いたがる
そういう古参家臣を卑下する態度が豊臣の崩壊を招いたのは火を見るより明らかだ
関ヶ原の福島が、岐阜城攻め・本戦で先鋒を務めたのは周知だが、
本戦後の大坂城進軍も先鋒を任されている。
『宇喜多に壊滅寸前』は講談話。
一貫して途中交代なしで先鋒とか、史実がその精強ぶりを証明している。
広島が攻撃されるのを考慮せずに、福島が大坂城に総大将で入城していれば、
確かに面白い事になっていたかもしれない。
広島から大阪までどれだけ離れてると思ってんだよ。
広島入る前に殲滅させられるわ。
広島防衛は考えず大坂入城したら、のIFでしょ?
広島の事を考えたら、そりゃ入城するわけないっしょ。
>>773 まず防長の毛利と出雲の堀尾、津和野の坂崎、岡山の池田、おまけに四国勢が
大チャンスとばかり大喜びで四方八方から襲い掛かるなw
つまり、福島の大坂城入城は現実的でないという事ね。
>>778 大阪の陣が発生しようとしている時に戦闘態勢を整えていないと考えられる君のハッピーさに興味があるわ
自国の防衛体制は敷いてるだろうが、四方八方から一斉に、はありえんな。
毛利の佐野道可のように、大坂方勝利の保険をかける事もあるだろうし。
四方八方から一斉、はないかも。
福島が総大将で大坂入城したら、勝利はないにしろ負けない可能性は高い。
講和のタイミングを間違えなければ、史実みたいにはならないんじゃないか?
いや保険とか関係なく、事前に申し合わせでもしてない限り、防衛側が一斉攻撃なんてありえんから。
アホか。福島が幕府に反旗を示すことが明らかで、誰かが福島を攻めたら他の大名もそれを助けなきゃ
福島に同心してると見られるっつーの。戦国乱世じゃないからこそ福島はもう詰んでるんだよ。
というか、攻めるかな?
大坂城の支城でもない広島城は、大坂城が落ちれば自ずと降伏するだろ。
福島側から攻勢に出ないように、大軍で取り囲みさえすればいい話では?
不必要な犠牲を出す必要もないし、出したくもないでしょ。
なので、福島には大坂城で存分に活躍してもらおう。
というか関ヶ原の恩賞は豊臣の公式文書で保証したものではなく
家康個人が恩賞を渡してその正当性も家康によって担保されているものなのだから
家康に逆らって大坂に入城するなら広島は明け渡すのが筋だろう
仮に豊臣政権を復活させるならどのみち関ヶ原の恩賞は無効にしなければ基盤が立て直せないんだから
福島に限らず豊臣に同心する東軍大名はさっさと恩賞を返上するべきだ
返上できないから大坂城に入らないというだけの話だよ
>家康個人が恩賞を渡してその正当性も家康によって担保されている
違うよ。
関ヶ原後領地配分の時点では、依然豊臣公儀体制は維持されている。
未だ家康は政務代行者である大老の立ち位置。給付主体は秀頼。
家康が個人で恩賞を発給するなら、領地宛行状や領地目録がなければ
その信用力は担保されない。関ヶ原後の領地配分でこれらは発給されていない。
これらの発給なしで領地配分が成立した理由は、家康の豊臣政権大老という地位が
担保されたためだよ。
まったく逆で豊臣公儀体制として恩賞を給付する場合こそ領地宛行状や領地目録が必要
現に関ヶ原前に家康が細川などに恩賞を出した場合にはきちんと発給されている
それらを発給することなく恩賞を出すことで家康の豊臣公儀体制からの脱却のスタートを意味している
豊臣公儀として直接的な保証を何もしていないのだから極端な話もしも豊臣の天下が復活して
東軍の領地は無効だ関ヶ原前に戻せと言えば建前上は正しいので文句が言えない
だからこそ家康に逆らって戦うなら関ヶ原の恩賞は返上するのが筋だよ
いやいや、普通に考えてみなよ。
通常、誰が給付しようが領地宛行状なり領地目録は必要でしょ。
例え家康個人が給付したとしてもね。
これがなくても成立したのは、豊臣公儀体制がまだ維持されており、
家康の大老という地位が効力を持っていた事の証左なんだよ。
(家康に権力が集中された事はもちろん認めるよ)
仮に、家康が豊臣政権から逸脱し、個人的に発給したのなら、
発給の瞬間をもって豊臣政権は名実崩壊した事になる。
残念ながら、そのような論調は全くない。崩壊したのは『実』の部分だけだ。
>>790 いいことを教えてあげよう。
諸大名の領地は秀忠が将軍になった時秀忠によって新たに保証・再給付された、という形になっている。
大阪の陣の時期諸大名の領地は全て、法的、形式的に徳川秀忠から与えられたもの。
>>791 それは、秀忠が将軍になった際の話でしょ?
>>787を参照してもらえる?
>家康個人が恩賞を渡してその正当性も家康によって担保されているもの
もう一つ。
>諸大名の領地は秀忠が将軍になった時秀忠によって新たに保証・再給付された、という形になっている。
その形を整えた『法』とやらは何なの?
その『法』はどいういう根拠で正当性を有するのかね?
>>792 え?もしかして領知朱印状の事知らないの?将軍の名において所領を確定させ、大名もそれを受け取る事で
これを将軍よりの新恩として忠誠を誓う。
この所領形態を否定するなら秀吉のやった所領安堵も全て無効だよ?
いや、こちらが聞いてるのは朱印状の話じゃない。
豊臣政権から支給を受けた領地を無効とし、徳川家を有効とする
法的根拠は何か、と聞いている。
例えば、寛文印知のような明確なものを教えてくれないかね?
>>794 諸大名がそれを所領確定の根拠としている以上、常識的に豊臣政権の安堵は無効になったと見るべきなんだが?
豊臣家からも諸大名からもこの事に抗議もないし。
逆に豊臣政権の所領安堵が大阪の陣の時期まで未だに有効だった見て良い、と考える根拠は何なの?
同時代のどこにそういう形跡があるの?
>>795 >諸大名がそれを所領確定の根拠としている以上
してるの?
基本、諸大名は関ヶ原後の領地配分(豊臣政権大老・家康の執行)を根拠としている。
秀忠の朱印状発行は1617年で、大坂の役終結後。
>>796 だから秀忠の将軍就任の時に秀忠からの所領再安堵でリセットされてるって。
>>797 だからそのリセットされる法的根拠を聞いてるんだけど?(
>>792)
キミは、領地朱印状を根拠にしてなかったか?(
>>793)
繰り返すが、領地朱印状発行は大坂の役終結後。
家康が執行した領地配分が無効になるなんて話は聞いた事がない。
>>798 無効ではなく上書きだよ。秀忠の新恩としてね。
>>799 キミは話に一貫性がなさすぎないか?
>諸大名の領地は秀忠が将軍になった時秀忠によって新たに保証・再給付された(
>>791)
>だから秀忠の将軍就任の時に秀忠からの所領再安堵でリセットされてるって。(
>>797)
『新たに』『リセット』は、上書きの意味では通らないでしょ。
加えて上書きであれば、上書き前の契約は尚更継続して有効なんだけど。
キミは何が言いたいの?
秀吉晩年の老害で、諸大名は豊臣家にドン引きだったと思うんだよね
そんな空気を読みながら、豊臣家をなんとかしようとした福島加藤には同情するわ
石田の企みが成功したところで、既に豊臣に求心力なんかないのにな
本来、忠義や忠誠なんて地味なもの。
それを高らかに掲げると、胡散臭さばかりが漂う。
わかりやすいものは大衆受けしやすく、
地味な本物は理解されにくく損するもんだよ。
まあ自殺願望者の戯言を忠義という連中には、正則のやった現実的対応という物の価値を
一生理解できないだろうな。
しかしリアリストは改易にいたった行動が理解できないと罠いう。
秀忠の時代になると
ゆとり世代の価値観になっちゃうから
正則みたいなのは嫌い通り越して悪人に見えてくるのだろう
豊臣家あっての自分だと認識してたんだろうな。
豊臣家滅亡後、自ら改易を選んだとしか思えん。弁明、抗議一切なしだよな?
一方で、家臣の再就職には全く問題なし。
主君の責務をキッチリ果たしているところはさすがだと思う。
忠義掲げて(?)、一族郎党道連れとかたまらんよな。
重臣達は、福島の返り咲きを信じてしばらく再仕官していない。
それを見かねた福島が腹を切って再仕官を促した、という事らしい。
(広島開城の責任者・福島丹波は、3万石の誘いも蹴って隠棲)
ただでさえ正則は家康の娘婿だった養子を殺したり、幕府に対しての印象ははっきり言って最悪だからなw
狂乱したんで押し込めましたって正則が幕府に届け出ているがな
文字通りに受け取るならなw
都合よく実子が元服してから正之を狂乱理由に廃嫡して牢に幽閉し食事を与えず餓死させた。
あまつさえ正之の妻だった家康養女・満天姫をまだ9歳の実子忠勝の妻にした。(さすがに幕府が不快感を示し
離縁させたが)
血縁だけあって正則も秀吉に似てて、実子ができて理性が壊れた人間だな。
文字通りに受け取らないなら、
>>814の内容は何を根拠にしたんだろう?
妄想ってこと?それともどこかの誰かの推測を受け売り?
こうしてみると、福島って小説のイメージが完全に固定化してるよなぁ。
実は史実に基づいていないという可哀そうな人なんだね。
死に際があまりにも無様だったからな
今川義元もあんな最期を遂げなかったらもっとましな評価が与えられただろう
日本人はその人の死に様で人生全体を評価する傾向が強いな
まあ正則に関しては小説以前に当時の人間たちですらあんなみじめな人生だけはなりたくないと誰もが思ってたのは間違いない
三成や淀の暴走に多大な迷惑をかけられたのが主要な原因であって
福島自身の責任なんてごくわずかだよ
奴らの権力への妄執が想像以上に酷かったのが福島の人生を狂わせた
全く同意。
そのくせ最近は小説や漫画で捏造された形で三成が持ち上げられてるからムカつく
>>818 残念ながら、福島を無残だの惨めだのとする史料はないんだな。
『それはなぜでしょう?』って話だよ。
普通に考えれば簡単な話だけど、西軍・三成視点の小説しか読んだことない
人には絶対わからんだろうな。キミが典型w
福島を批判する奴って、福島が何をすべきだったと考えてるわけ?
まさか、豊臣家未承認の三成クーデターに参加しろとか?
それとも、広島藩一族郎党民百姓を道連れにして万歳突撃?
アホらし。
家康の犬になると決めたのだからもう家康のケツの穴を舐め回すくらい犬に徹すればよかったんじゃないかな
でもそういうことを出来る気性じゃなkたから破滅は必然だったということで
>家康の犬になると決めた
根拠が全くわからないんだが。
豊臣徳川の融和に尽力し、関ヶ原では家康に恩を売った立場でしょ。
伊奈事件でも、決して風下に立ってはいない。
家康も福島に対しては、死ぬまで特別待遇。
むしろ正則は最後まで徳川に最も反抗的な大名とされていた
豊臣譜代なら黒田や藤堂を見習って忠犬にならんと生きていけんやろw
>>827 お前は改易になるまでの過程をまったく考えないのな
豊臣家を滅ぼしたのは徳川。
関ヶ原までさかのぼって、
徳川と戦った石田 → 忠臣
徳川に味方した福島 → 裏切り者、家康に騙された単純馬鹿
結果論で構成する単純な構図。西軍視点小説の基本だね。
実際三成には、豊臣家に対する赤心丸出しの忠義話が逸話レベルでも存在しない
本当に忠義があったら関ヶ原なんてリスクの高すぎるギャンブルは逆にやれない
忠義ゼロで自分の地位と権力のみが全てでそのためなら豊臣がどうなっても構わないから
関ヶ原なんてギャンブルに手を出せたわけで
簡単な話。
豊臣家の立場にたって考えればいい。
家を残そうと思ったら、徳川に対する石田の対決姿勢と、加藤福島の融和姿勢、どちらを選ぶ?
もちろん、天下人のままでいたい、などと無理な条件を付けないこと。
>>832 そもそも関ヶ原は徳川対豊臣ではない。
どっちが勝っても家は残る
そもそも豊臣家にとって一番いいのは家康派と反家康派がだらだらと抗争続けること。
そうなれば豊臣家の求心力も高まる。
とち狂って決戦など求めるわけがない。
抗争を止められないないなら豊臣いらねよね
になるからだらだらと争い続けられても困るんだよね
だから決定的な部分で豊臣家がキャスティングボードを握っている状況が一番なんだよ。
決戦して決着つけられるのが一番の愚
七将のときからキャスティングボード握れてないからなぁ
関ヶ原じゃあ家康が関東からやってくるまでは事実上、正則が主導してなかったけ?
今の政界でもやたらやスティングボードと言われてるがこれは人類が始まってからの
永遠のテーマなんだね
突然済みません。
私の母方の家系が福島家の血筋に繋がると聞かされました。
曰わく、私の曾祖母の旧姓が福島で、先祖代々の墓にはまげもあったというのです。
さらに遡って先祖を確かめたいので、江戸後期、あるいは明治までの福島家の家系図などは世に残っているのかご教授頂けないでしょうか…。
>>841 正則の福島家?だとしたら旗本福島家の家系かな?
旗本福島家なら寛政重修諸家譜で調べられると思うが
なんか語ってるけどミーの学校、正則小。
近くに正則の墓みたいなのあるよ。
これは事実!二ツ寺か?古墳もあるってさ。
東日本大地震に引き続いて発生した福島第一原発の事故は、日本の歴史に巨大な爪痕を残した。当時、菅直人首相の下で官房副長官を務めていた
福山哲郎氏は、本書において当時の官邸の動きについての克明な記録を残している。これは、後々まで参照されることになる一級の資料となるで
あろう。政治家は過去ばかりでなく、未来にも責任を持つ。それでは、震災後の官邸は、未曽有の原発危機にどのように対応したのか。われわれ
国民が想定していた以上に、官邸は原発事故の深刻さに緊迫していた。最悪の事態へと発展すれば、東京にまで被害が及んでいただろう。3月11
日の深夜、「燃料被覆管破損」と「燃料溶融」、いわゆるメルトダウンに至る深刻な危機が発生した。張り詰めた空気の中、現場は直ちにベント
をして、爆発を避けるために圧力を逃がす決断をした。しかし、東電本店はそれを許可しない。菅首相は直接現地に赴き、吉田昌郎所長に指示を
出す形で、ベント実施へと動かしたかった。菅首相の現地視察が、仇となった。それだけではない。海水注入により冷却化を目指していた所長の
指示に対して、本店は官邸に配慮してなかなかその決断ができない。本書によって、官邸にいた東電元副社長の武黒一郎フェローが、その中断を
求めていたことが明らかとなる。現場が重要な決断を行いながら、本店が幾度となく壁となる。菅首相は、困難な状況で決死の対処を続ける現場
に厳しく指示を出し、責任を持って事故に対処するよう告げた。それはまさしく、政治主導であった。しかし同時に、現場は繰り返し「政治主導
の混乱」に苦しむ。官邸の外にいると、その実態がよく分からない。分からないまま、東電・保安院に対する批判が続いた。本書はそれに対する
有効な証拠となる。後の歴史は、いくつかの重要な決断を行った東電や当時の野党に対して、より正しい評価を与えるかもしれない。
陰徳太平記は正則を酒狂いで家臣を自刃させたりする愛を知らない大工の子と書いてたり、
天野の武勇を聞いて宗茂が召し抱えた後に、正則が天野を召し抱えようとして
宗茂に先約ありと聞いて遺恨に持ち、朝鮮陣で何かと正反対の意見を吐き険悪だから
広家と長政が酒席に読呼んで和解を斡旋したが、武勇の家臣ときた宗茂と1人で来た正則。
酒の肴に宗茂が踊りながら正則の前に来たので,鴻門の会のようになり
険悪になったが広家と長政がうまく収めたとか、
秀吉死後に三成や増田が増長し始皇帝死後の趙高のようだと書いたり真偽不詳の嘘話多過ぎ。
しかも肝心な関ヶ原は書いてないからそんな悪評の三成と輝元が組んだり、
自称名将の広家が関ヶ原で下手うって、長政偽書状まで偽造して
広家のおかげで毛利が存続できたストーリーを作ったのかわからん。
そのくせ、やたら長政と親しいアピールがウザい。
江戸で動けなかった家康…黒田親子の家康へ協力しろ書状を再三にわたり無視してただろ伊勢にいた広家…
正則の悪評の元ネタの大半が陰徳太平記だからな…
よほど安芸の主人になった福島を毛利は逆恨みしてたんだろうなあ。
正則がアホ馬鹿だとイメージされてきた代表的エピソードの数々の出典って毛利捏造軍記だったとは…
正則の印象を変えなきゃならんね
えっ
陰徳太平記の正則評は人物の寛容さという点ではからいけどわりと誉められてたと思うよ
ていうか私の知る限り
正則の悪評の元のほとんどは各種逸話を悪意的に歪めた司馬遼太郎の小説
元の内容とは全く違う悪口をもっともらしくさもしっかりした出典があるように書いてんだもんなあ
いくらエンタメのためとはいえ、あれは本当にひどいやり口だよ
福島家系の逸話を見ても、正則には極端に残酷な部分有るなあ。
まあそう言う部分も秀吉によく似てるんだが。
徳川家と関係ある養子を餓死させた馬鹿が福島正則wwww
戦国→江戸時代のラストサムライって感じの人だよなぁ
相変わらず馬鹿しかいないスレだな
所詮便所の落書き
大阪の陣の対応とか半端すぎてそりゃ改易もされるわと思う
秀頼を助けないくせに米8万石くれてやるとかあれ余計じゃないか
徳川につくならつくでもう無視してしまえば良かったのにそれが出来なかったんだろうな
さて、今年の大河では酒の一気のみ大会で負けて
母里太兵衛に日本号を景品として取られるという
マヌケなシーンがあるわけだが…
長政視点では武断派のリーダー
最大の見せ場関ヶ原のキーマンになるんだから
そんなに悪い扱いにはならんと思うが
日本号の逸話って、母里が飲み干せなかった場合でも福島に益のないオカシナ勝負。
>>860 まあ、酔っぱらいの言い出した事ですから
加藤清正と比べると加藤のほうが大人って感じはするけどね。
こいつは成りあがりの小物って感じがする 加藤清正はなかなかの親分肌だが
清正は有名な城立てた、正則は直接改易された
なだけで扱いにかなりの差つけられてるよね、野望最新作では全部負けてるし
国政能力は普通に江戸初期に10万石前後を無難に治めてましたってのよりは上の評価でないとおかしい
よく知らないだけ。
大半が印象論。
出典史料を交えて語れないのがその証拠。
>>863 残されたエピソードでは親分肌は福島のイメージ
熊本の記録では加藤は優等生って感じかな
落語井戸の茶碗では、なぜか清兵衛さんたちはせいしょこさんの前で弁当を広げたりする byきょんきょん師匠
毛利の軍記で正則を糞馬鹿に描いているので、
戦前にはすでに正則がキチガイだったとする印象が世間に広まってた。
関が原の結果、正則に安芸広島城を奪われた怨みつらみがあったのだろう。
正則を広島県代表にしろとは思わないし清正とかを叩く気もない
ただ戦国武将の体なのに権力者に置かれた武将をご当地代表にしてる奴らは好かない
一部歴史本で福島は実はああ見えて兵站輸送の任を何度もこなしているとあったが
そうならば奉行派との対立も自分の得意分野(利権)を巡る仕事上の対立か
モーツアルトとサリエリのような「俺の十八番を三成はもっとうまくやりやがる」な嫉妬の意味合いあるかもな
陰徳太平記は正則を酒狂いで家臣を自刃させたりする愛を知らない大工の子と書いてたり、
天野の武勇を聞いて宗茂が召し抱えた後に、正則が天野を召し抱えようとして
宗茂に先約ありと聞いて遺恨に持ち、朝鮮陣で何かと正反対の意見を吐き険悪だから
広家と長政が酒席に読呼んで和解を斡旋したが、武勇の家臣ときた宗茂と1人で来た正則。
酒の肴に宗茂が踊りながら正則の前に来たので,鴻門の会のようになり
険悪になったが広家と長政がうまく収めたとか、
秀吉死後に三成や増田が増長し始皇帝死後の趙高のようだと書いたり真偽不詳の嘘話多過ぎ。
しかも肝心な関ヶ原は書いてないからそんな悪評の三成と輝元が組んだり、
自称名将の広家が関ヶ原で下手うって、長政偽書状まで偽造して
広家のおかげで毛利が存続できたストーリーを作ったのかわからん。
そのくせ、やたら長政と親しいアピールがウザい。
江戸で動けなかった家康…黒田親子の家康へ協力しろ書状を再三にわたり無視してただろ伊勢にいた広家…
正則の悪評の元ネタの大半が陰徳太平記だからな…
よほど安芸の主人になった福島を毛利は逆恨みしてたんだろうなあ。
正則がアホ馬鹿だとイメージされてきた代表的エピソードの数々の出典って毛利捏造軍記だったとは…
正則の印象を変えなきゃならんね
陰徳太平記を書いた岩国藩の香川景継が吉川家の意向を受けて、
関ケ原軍記大成などの軍記類に偽書状を元ネタに
吉川の主張を隠密裏に盛り込む活動をして
毛利は被害者ぶった史観を作りあげただけ。
このことを山本洋氏が解説し、
これを土台にして光成氏が書状研究した結果だね。
若狭小浜藩の大老酒井忠勝は直江と三成を首謀者にする
会津陣物語を作り上げ東国太平記でさらに昇華させ
6/20三成→兼続書状・7/14三成→兼続偽書状を製造し
これはのちに続武者物語にも転載され一般化され根付かせるのに成功。
これで徳川史観として三成と直江がすべて悪いと汚名を着せた。
直江状に本来なかった追而書を付け足す暴挙をやってのけて加筆したり
関が原前日の内通を約束する秀秋家臣稲葉(春日局のダンナ)宛て9/14付け井伊&本多ガセ書状を
捏造したりと怪しげなネタ満載の「関ケ原軍記大成」(著者は若狭小浜藩出身の宮川忍斎1655?1716没)
若狭小浜藩の歴史捏造事業(実態は低俗な軍記)は神レベルだと言えよう。
さらに毛利側も陰徳太平記を書いた岩国藩の香川景継が、
吉川家の意向を受けて、関ケ原軍記大成などの軍記類に偽書状を元ネタに
吉川の主張を隠密裏に盛り込む活動をして三成と安国寺に騙されただけと
毛利も被害者ぶった史観を作りあげた。
光成氏「この決起に輝元が直接関与していた可能性は高い」
「藩祖輝元の反幕府的活動をあからさまに証明する史料が隠滅された蓋然性は高かろう」
毛利は首謀者として改易させられ輝元の罪も問われる予定だったが、島津征伐が議題に上がったので
輝元は先鋒にすることになり減封になったのであり、偽書状のように広家のおかげで輝元が助命されたわけじゃない。
>>860 水野某とかは日本号の逸話を聞いて、さすがに福島正則と
その豪胆さに感嘆したといわれている
直金ルーブル共演センタクフィルターアップルとりでプラズマラーメン
直金ルーブル共演センタクアップルとりでちばラーメン
ETCスキャンじゃぶじゃぶくるーぽんプラズマクラスターらーめん
フェイスブック新幹線ダイヤ開票所速報わがまま女シート
インサイドパキスタンタンバリンドラマyo-fo-らーめん
福島正則は伊奈事件の時に断固として戦う覚悟で、
毛利と立花を誘って大坂籠城したら面白かっただろう・・
イメージと違い石田に負けない兵站の素質もあったようだから
新・西軍を結成して徳川東軍倒せば
福島大将軍も夢ではなかったw
五奉行でも無いし
準一門みたいな扱いでもないし
なんとも思われて無かった?秀吉に
>>877 がっつり一門扱いだが
秀次事件の時も豊家の人間として役を務めてる
アニメ戦国無双の福島があまりにも不細工
これ問題ありだろ
幸村は超イケメン。
>>878 でも福島自身には東海大名への指揮権があるわけではないし
背後は秀信のようなアホや石田派の大名が占めて孤立無援の状況だからな
結局は家康の配下に入らざるを得ないし
大坂籠城とか言われても尾張を徳川に管理されている状況では不可能だろ
家康に媚びるなら徹底すりゃいいのに、伊奈事件とか城改修とか中途半端に調子こいて改易されたアホ。
福島、加藤は秀吉子飼いだったくせに、石田憎しで先を見透せず、豊臣家を滅亡に追い込むきっかけを作ったバカ大名。
特に福島はバカ。
それ言ったら石田三成こそ家康憎しで挙兵した挙句にボロカスに敗けて
主家に大ダメージ与えたウルトラバカ大名だけどな
いつまで司馬遼太郎やら無双の創作したキレイキレイな三成を崇め奉ってんの?
>>889 石田が挙兵せずとも、家康は秀吉の死後大名家との縁組み等わがままし放題で、いずれ豊臣から政権を奪うのは目に見えてた。
それを見逃した石田憎しの福島、加藤の方がバカ。
秀吉の行動をずっと見てりゃ旧主家(秀吉の場合は織田家)残せただけで御の字と思ってたであろう
福島加藤の発想と行動は残当
つか何回ループしてんのよこの話題
石田が勝ってもコ川の立ち位置に毛利がスライドインしてくるだけだろ
その場合は石田が福島や加藤みたいな秀頼には忠実であったろう子飼いを潰して
毛利に主権を献上したバカって評価されるようになるだけ
>>892 別に石田上げをしている訳ではない。
その話からすれば、結局福島はお取り潰しになる訳だから、石田が勝とうが負けようが関係無い訳ですな。
正則改易は家康より秀忠舐めてたのがアカンのだろ
>>893は浅はかにも戦起こしてぼろ負けして結果論として主家の滅亡を早めた石田三成はウルトラ馬鹿なのは認めたんだな
正則改易は家康より秀忠舐めてたのがアカンのだろ
>>893は浅はかにも戦起こしてぼろ負けして結果論として主家の滅亡を早めた石田三成はウルトラ馬鹿なのは認めたんだな
ウルトラ馬鹿とまでは思わないけど、家康の誘いにまんまと(わかってて)ハマって、結果豊臣を滅ぼすきっかけを作ったという意味では、福島と変わらないのは認める。
秀吉は遺言で家康に政務を任せてるし、千姫と秀頼を婚約させている。
どう見ても、福島正則は秀吉の方針と同じ動きだと思うけど?
秀吉は家康を排除しようとなんてしていない。
家康が政権を握ってある程度好き勝手やるのは想定内だったろう。
それでも豊臣家が池田家並に優遇されれば、
最低でも織田家のように家だけは残してくれるだろうと考えていたはず。
残せなくなったのは、それこそ豊臣家の自業自得
織田家に倣って、一大名に甘んじるべき
秀頼が成長すれば秀吉と同等の権力与えて自分の一族が秀次みたいになるのも受け入れるつもりだったやつなんているんかと
そいつ政権の樹立を豊臣政権の維持とすり替えてる奴が家康叩いてるからいかんのよな
こういう福島加藤がアホで三成こそ忠臣とかいう
散々論破されてる使い古された煽り文句で
戦国板ではバーカ(AA略)扱いされる話題を何度も何度も書き込む奴等って何なの
内政放置して疲弊するばかりの外征ゴリ押しして内ゲバ誘発した豊臣政権が続いてたら日本はもっと良かったとか言いたいの?
>>877 文禄・慶長の役で各隊の主将を務めた武将は、秀吉の信頼が厚い人物であり、
奉行と同格以上
一番隊から順番に、小西行長、加藤清正、黒田長政、毛利吉成、福島正則、
小早川隆景、毛利輝元、宇喜多秀家、豊臣秀勝だ
大老・一門が並んでいることからも主将の地位が分かるだろ
文禄・慶長の役の軍が、豊臣家という1つの大名家の軍と見た場合に、
正則は侍大将、小早川・毛利は家老級の侍大将、三成は戦奉行と思えば、
正則の地位が三成に劣るものではないことがわかる
しかし、主将はあくまで戦時のもので、奉行のように平常時でも存在する常任の
役職じゃない
だから、「三成は奉行 > 正則は無役」という、君のように誤解する人が出てくる
じゃあ、平常時は何をしていたかと言えば、それは文禄・慶長の役の五番隊の
内訳をみればよい
正則の五番隊は、戸田勝隆、長宗我部元親、蜂須賀家政、生駒親正、来島通之、
来島通総ら四国の大名衆
つまり、正則が四国の外様に対する筆頭申次役であり、西海道(四国)の
管領・探題的な立場にあったと判る
同じように、小西行長、加藤清正が、西海道のうち肥前・肥後・薩摩・日向・大隅・
壱岐・対馬の管領・探題的な立場
黒田長政、毛利吉成が、西海道のうち豊前・豊後
小早川隆景が、西海道のうち筑前・筑後
毛利輝元、宇喜多秀家が山陰道・山陽道だ
そして、豊臣秀次は東海道の管領・探題的な立場であり、東海地方の田中吉政・
中村一氏・山内一豊・堀尾吉晴といった大名たちは、みんな秀次の付家老だった
関東への備えとしての重要さを考えれば、それらが秀次亡き後、主将無き無秩序な
状態にあったはずはなく、じゃあ誰が秀次に代わる主将の立場を引継いだかと
言えば、準一門であり尾張を与えられた福島正則だったと考えるのが当然だろう
豊臣家の西軍(三成)への冷遇を考えれば、
七将襲撃って、三成憎しではなく危険分子の排除が目的だろうと思う。
>>903 関ヶ原の時点で豊臣家、と言うか大阪城に意志はあったんだろうか?
ただ動かなかっただけでは?
大坂城にいて、動かない事自体が意志かと。
西軍に与しているなら動いて当然だし、
西軍に囲まれている中で、東軍支持の声をあげられるはずもなし。
>>906 豊臣家の当主が幼児なのに誰が意見を出せるの?
本来、家老として当主を補佐するはずだった連中が全員領国に帰ったり戦場に出てるし
関ヶ原の時点で淀は政治的な発言力あったの?
北政所の意志も気になるが
石田謀反の通報があったことを報告した書状に名前が出てくるくらいじゃね
北政所も戦勝祈願にいったいいかないや親族の動きがどうたらくらいでさっぱりやね
ないと思える方が不思議。
逆に考えてみればわかる。
淀殿が「西軍は逆賊である」と高らかに宣言し、
全国の大名宛に書状を発行したとしよう。
女の戯言で済むと思う?
結果論だが徳川家に滅ぼされるぐらいなら、秀吉存命中に徳川家康に難癖付けて全面戦争して豊臣家が滅ぶも良し、徳川家を滅ぼして後顧の憂いを断てれば結果オーライだったのになぁ・・・
でも徳川家を滅ぼしても、前田利家死去後に伊達家が色々と画策して戦国時代に逆戻りして国内が乱れ結果的に、外国の植民地になってる気もする。
そもそも秀頼さえ生まれていなければ、秀次政権で徳川家康の死を待つだけで完全勝利だったのに
別に豊臣家が滅ぶことなんてたいしたことじゃないのに大げさに考えすぎだよ
短期的に成り上がって増長していた新興組織が潰れただけで何の問題もない
問題があるとしたらむしろ淀や三成のように権力にしがみつこうと大暴れして世を乱す連中の方だろう
西軍支持者は、大局で判断してないからな。
熱狂的な石田信者、島津信者、真田信者、上杉信者に分類される。
実は豊臣家などどうでもよい人達。
>>915 ほんとそれ
豊臣家なんて統一政権になって10年しか持たなかった伝統も権威もなんもない超短期政権てのを忘れてる奴多すぎだよな
ゆえに、秀吉が進めていた徳川家との融合は当然の選択肢だね。
それを無視して徳川家と対立、豊臣家を巻き込んだ三成の罪は大きい。
その構造がわからぬ程、三成は愚か者ではないだろう。
間違いなく、自らの復権を狙った確信犯。
豊臣が滅びたのはそりゃ正則にとって最初から望んでたことではないだろうけど、正則に限らず大名に全てを投げ捨てて味方してもらえなかったのは秀頼たちの問題だよ
秀吉の子供なだけで最優先してもらえなきゃ可哀想あいつらは白状者というのは400年後も甘やかされすぎ
>>916 島津の支持者はむしろ鳥居に拒まれて仕方なく西軍にとか言わない?どうでもいいのに豊臣を盾にするのは立花の支持者かな
左衛門大夫正則が広島城改築にあたり、本多上野介正純に届け出たというのは事実であろう。
ただ、届けを正純が握り潰したというのはホントかどうか。秀忠側近団への権力委譲を、正則も、正純本人も気づいておらず、2人してはめられたと思われる。
ただ単に正則がアスペのクルクルパーで足元すくわれただけやろ
子供も親戚も全てアスペやしまじもんの基地害遺伝子
豊臣縁故のもので徳川政権下で
大きな奴って誰かいましたっけ?
>>923 笠谷先生の徳川幕府の大名改易政策を巡る一考察(一)がciniiで無料pdfリンクあるからそれ読むといいよ
かいつまんで言うと、修繕届けは確かに出てたけど、小規模修繕という話だったのに修繕終わらせて大規模改修をしていた
関ヶ原での大功を鑑みて許すから早く指定の箇所の破却をしなさいという命令も指定箇所を破却せず済ませようとした
さすがに堪忍袋の緒が切れ改易という流れ
史料を冷静に用いた論なので、かなり正確だと思うよ
正之を家康の養女と婚姻させたのに1608年に餓死させる狂人(因みに養女との間には子供がいた)
秀吉は50代半ばで狂い始めたが正則は40代で狂い出した
肖像画の讃が太平奸賊、乱世英雄
三国志の曹操に全然似てませんが?何か?
餓死こええと思ったけど、養子じゃん そして実子がうまれたから邪魔になった
やっぱ甥っ子よりは実子に継がせたいわなあ あ〜でも殺すことはないか
秀忠ってけっこう人の好き嫌いが激しいって言うけど、
正則はそれ以上だよな 広島城改修で申し開きしろって言われたのに、
家康にならいろいろ言いたいことがあるが秀忠には何もないって言いすてたらしい
関ヶ原で役に立たなかったバカ息子に頭下げるぐらいなら50万石捨てるわってことか
広島城無断修築を咎められ、安芸備後48万石は没収
(その前から、豊臣家擁護の態度や、大坂屋敷のコメを豊臣家が持っていくの黙認したとか、伊奈図書に詰め腹を強いたとか、要注意エピソードだらけだったが)
信州川中島4万石に捨て扶持を与えられたが、当初、福島を陸奥弘前に流し、弘前の津軽信牧を、10万石で川中島に移す予定だったしかし津軽が難色を示したのと、いくら不遜な福島正則とはいえ、さいはての弘前に転封するのはやりすぎとの声が上がり、中止になった
まぁ秀頼は征夷大将軍より格上の関白になれたら
権力はなくてもそれでいいって思ってたんだろ
大坂に尽してきたのに大坂が自滅したんなら
俺は今まで何やってきたんだ??ってなるわな
>>935 そら、いちゃもん付けって明白だしな。
無断改修っていうけど、要請はそれまで何度も出してたのに無視してただろ。
幕府の本音は、広島城みたいな有事に要塞に成る拠点は自主的に破却しろでしょ。
修理じゃなくて、事実上破棄しろって要求だから切れた。
事実上のおとりつぶしなさいごだったが重臣たちは何やってた、どんなやつだったのか
気になったから調べたらこの大将にこの部下ありで猛将ぞろいだった。
政治力を駆使してどうこうするって気風の家じゃない。
戦乱が終わって幕府にとって、彼らは用済みだったんだろう。
>>20 石川数正なんかは鞍替えしたあげくに出戻ったけど、個人の力量は悪く言われてない気がする
家康にとことん嫌がらせされて悲しい晩年と息子世代でお取り潰しだけど
>>940 関ヶ原で福島に陣借りした尾張の武将達はすぐ家康に鞍替えしたしな
見る目があるわ
福島家の庶流が今でも続いていた事にびっくり、清正みたいに断絶してたかと思った。
尾張24万石で兵5500の福島正則
尾張40万石で兵2000の織田軍桶狭間
桶狭間の織田軍って実は10000人はいただろうね
守りの兵が〜
北の斎藤は家中ガタガタで尾張進行する余裕無し。
西は空白地帯。ガンショウ寺とはまだ敵対しておらず攻めてくる勢力なんて無い。北畠とは離れててこちらも
家中ガタガタで尾張進行など無理
で、何故か岐阜一国増えただけで
4万から6万動員してしまう織田軍。
岐阜だけで38000動員したのかよと
浅井も六角との桶狭間みたいな戦いで
11000動員してるし
桶狭間の織田軍は兵数ごまかしてる
一次史料とはいえ書いてるのは人間。
どうしても贔屓してしまう
加藤 福島
中国攻め △ ×
山崎 ○ △
賤ケ岳 ○ ○
小牧長久手 × ×
紀州征伐 × ×
四国征伐 × ×
九州・佐々 ○ ×
小田原 − △
奥州平定 − −
天草一揆 ○ −
朝鮮の役 ◎ ○
秀次切腹 − ×
関ヶ原 ○ ◎
大坂の陣 − ×
◎○△×:武功
−: 不参加・ほぼ不参加
のぶやぼ創造
加藤 統83 武91 知70 政70
福島 統79 武90 知54 政52
高晴が内通の疑いで正鎮、正守が大坂入城
福島家くらいだな
一門でこれだけいるの
猛将のイメージ強いけど内政、後方担当の方が多いんだっけこの人
岐阜城あっさり抜いて3倍の宇喜多隊と朝から真正面からどっぷりぶつかって戦って持ちこたえたあたり実戦指揮官としても有能だった?
岐阜城攻略から、本戦、大坂城進軍まで一方の先鋒で有り続けたので、戦闘指揮官としては優秀だったんじゃないかな
途中で京都警備に外されて、伊奈事件が起きるわけだけども
キングダムの作者が日本戦国漫画書いてたら
味方さえ突撃馬鹿だと正則のこと思ってたら戦上手で敵味方驚くシーンとかやりそうだな
清正がそれ見て秀吉様が突撃しかできない男を重用するわけ無いだろう阿呆がと
蒙武のようなやりとり
清洲を与えられた時点で、家康が兵を挙げれば対抗する役目なのは明らか。三成憎しとか、徳川内部に入り込んで牽制とか、その時点で秀吉の期待外れでしょ。
家康は反乱なんて起こしてないのだからそんなことを言われても
徳川と縁戚関係なんだから西軍に与するなんてありえない。仮に三成が東軍でも徳川についたろう
REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担
清正、黒田は朝鮮での恨み
浅野は似たようなポジションでライバルで三成いなければと思うのはわかるが
正則と細川はなんで三成嫌ったんだろう
正則なんて猛将のイメージあるけど朝鮮は行ってないしイメージと違って後方勤務多いし
細川忠興に関しては秀次事件のいざこざ、と細川家は受け取ってるね
福島正則は三成が憎いというより派閥の問題かと
>>960 ちょっと検索したらでてきた。
秀次に借金してて三成から秀次一味と疑われたのか知らなかった
恨み買うことばかりしてるなミッチーは
あと朝鮮でも戦働きしてるのね
清正と似たような経緯か
ただ三成の弁護をすると三成に讒訴の意思があったかはわからない、というか多分無い
三成は秀吉の奉行な訳で上司秀吉の命令は絶対、そして秀吉が秀次を潰すと決めた以上それには逆らえない
仮に忠興の借財を知りつつ黙っていてバレたら忠興ごと三成も処刑されていたろう
三成は単に奉行として職務を全うしただけでそこに秀吉への憎悪が転化され集中したって可能性もある
秀吉小飼いは全員反家康で当然だろうに分裂したら地力のある老獪な家康に潰されるのは当たり前だな
内部分裂するにしても家康を潰すのがまず先というのがわかってないのがアホすぎる
忠義なんて綺麗事よりも強い方に味方するのは当時当たり前。豊臣と徳川は所詮両立なんて出来ないのよ
徳川は、福島正則には尾張の総明地の領有を、また、加藤清正には肥後、筑後両国の領有を、また、細川忠興には、但馬一国の加増を打診した。
>>963 せめて傍観すればまた違ったのにね。まあ、東日本は統制不可能になったとは思うが。
秀吉が朝鮮出兵させて失敗してそのやりどころのない不満が三成にいったんだろうな。
本当は秀吉に文句言うべきだが、流石にそれは口にできない。
小西と三成が戦況が良くならないのは清正と黒田のせいって秀吉に讒言して二人とも不興を買ったってのは創作?
そもそも当時の反三成、反小西の人間は家康があんな野心家で豊臣滅ぼして天下人になるなんて思ってもいなかったからな
一緒に豊臣家のために尽くしてくれると思ってたから家康のために戦った
家康が老獪すぎた
秀吉でさえコロっと騙されたからな
清正、正則に見抜けるわけがなかった
昔から関東に配属したやつは独立して反乱起こしてたのに家康は違うと思い込んでた
秀吉に徳川は忠義の人間と思い込ませるほどの詐欺師
淀や豊臣武将も徳川が将軍になって幕府開くまで徳川のこと忠臣だと思い込んでたからな
よくぞ三成倒してくれました
城乗っ取られて勝手に戦いに巻き込まれて大迷惑でした
豊臣の領土褒美にどんどんあげちゃってるの?いいんじゃねと怒りの抗議もしなかった
おそらく当時の人の関ヶ原までの家康評価は律儀者
信玄に滅ぼされたかけてるのに信長裏切らなかった
信長在命中一度も裏切らなかった
息子が武田と内通疑われたら息子と妻死なせて徳川の潔白を証明
小牧長久手も信雄のために戦いむしろ信雄が裏切る
北条攻めでも婚姻関係にあったのに豊臣のために協力を惜しまなかった
島津の伊集院問題などの揉め事も仲介する
上の人間の言うこと聞く。頼られたら絶対に裏切らない人間を作り上げた
信長の野望・新生より
黒田長政_80_85_82_80
加藤清正_82_89_78_70
=====================永遠に超えられない名将の壁
福島正則_78_91_68_53
細川忠興_78_72_71_69
加藤嘉明_79_75_79_55
浅野幸長_65_71_68_66
蜂須賀至鎮65_51_62_69
前田利長_64_51_54_70
加藤清正築城名人だったのに政務70かよ
細川忠興も低い
>>976 内政(治水土木)◎ 築城◎
後進の育成▶︎失格レベル
国制度刷新▶︎失格レベル
まぁ70くらいかとなってもやむ無し
>>972 幼主という天下簒奪チャンスに誰も動かないと
思う方がどうかしてると思うが?
秀吉自身が幼主秀信という天下簒奪チャンスを
モノにして天下簒奪したんだし。
福島正則と言えば蟹江敬三以外思い浮かばない。それくらい蟹江敬三のイメージが強い。
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