◎正当な理由による書き込みの削除について:      生島英之とみられる方へ:

配当金・株主優待スレッド 525 [無断転載禁止]©2ch.net->画像>2枚


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ヒント:5chスレのurlに http://xxxx.5chb.net/xxxx のようにbを入れるだけでここでスレ保存、閲覧できます。

1 :
山師さん
2016/02/19(金) 06:50:13.25 ID:PIrRvXBA
■2016年(平成28年)の決算月別期末権利付最終日と品貸日数(予定)
権利日   権利付最終売買日  逆日歩日数
02月末     02月24日(水)     1日
03月15日   03月10日(木)     1日
03月20日   03月15日(火)     4日
03月末     03月28日(月)     1日
04月末     04月25日(月)     4日
05月15日   05月10日(火)     3日
05月20日   05月17日(火)     3日
05月末     05月26日(木)     1日
06月20日   06月15日(水)     1日
06月末     06月27日(月)     1日
07月20日   07月14日(木)     1日
07月末     07月26日(火)     3日
08月20日   08月16日(火)     3日
08月末     08月26日(金)     1日
09月20日   09月14日(水)     1日
09月末     09月27日(火)     3日
10月20日   10月17日(月)     1日
10月末     10月26日(水)     1日
11月15日   11月10日(木)     1日
11月20日   11月15日(火)     3日
11月末     11月25日(金)     1日
12月20日   12月15日(木)     1日
12月末     12月27日(火)     5日

前スレ
配当金・株主優待スレッド 523 [無断転載禁止]©2ch.net
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/stock/1455121513/
配当金・株主優待スレッド 524
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/stock/1455405826/
2 :
山師さん
2016/02/19(金) 06:50:30.35 ID:PIrRvXBA
3 :
山師さん
2016/02/19(金) 07:06:05.27 ID:5yRYQGFu
このスレはウィルスの危険があります
4 :
山師さん
2016/02/19(金) 08:13:03.63 ID:qxBQOD4F
みんな文句を言ってるけどアフィでもなんでも便利だからいいんじゃね?
5 :
山師さん
2016/02/19(金) 08:50:50.04 ID:Q0YP5GT1
>>4
なっ、お前の答えが聞きたい
このスレの>>1,2をガン見、スレ建日付を記憶した後、コレ↓を見て同じ事をして、一言どうぞw

配当金・株主優待スレッド 525 [無断転載禁止]©2ch.net
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/stock/1455783718/
6 :
山師さん
2016/02/19(金) 09:55:19.70 ID:N52cbZcJ



正式スレ ここ  !!??!!
7 :
山師さん
2016/02/19(金) 09:57:12.08 ID:N52cbZcJ



正式スレ ここ  !!??!!
8 :
山師さん
2016/02/19(金) 10:23:50.91 ID:N52cbZcJ
age
9 :
山師さん
2016/02/19(金) 10:26:58.24 ID:fS90trQr
本スレ 誘導

配当金・株主優待スレッド 525 [アフィ宣伝禁止]©2ch.net
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/stock/1455837167/
10 :
山師さん
2016/02/19(金) 10:29:36.78 ID:MMuj3smb
凄い乱立w
削除依頼できないの??
11 :
山師さん
2016/02/19(金) 10:31:05.95 ID:WQt5wvh1
吉野家で、金券屋購入の乞食と同列に見られないで済む方法
       ↓↓↓
少々面倒かもしれんが

  吉野家から来た冊子のまま持参
  出来れば吉野家ロゴ入り封筒に入れたまま
  店で封筒から取り出し
  バラしてない冊子を取出し
   「あ〜う〜〜いくらかな〜〜 牛すき焼定食だから  2枚使用かな〜〜」
  とか言いながら2枚切り取り店員に渡し
   「あ〜う〜〜差額は〜〜」・・・とか言いながら小銭追加で清算

  店を出るとき 「たまには、こういうのもなかなか旨いなぁ〜〜」とか 独り言

以上だが
12 :
山師さん
2016/02/19(金) 11:14:24.06 ID:2qneVxfM
********** 廃棄スレ(アフィカス重複スレ) **********

今後、サブスレタイに「アフィ宣伝禁止」付きを本スレとする
本スレは、「アフィ宣伝禁止」付き

本スレ 誘導↓
配当金・株主優待スレッド 525 [アフィ宣伝禁止]©2ch.net
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/stock/1455837167/
13 :
山師さん
2016/02/19(金) 12:34:15.75 ID:04ezainb
吉野家で、金券屋購入の乞食と同列に見られないで済む方法
       ↓↓↓
少々面倒かもしれんが

  吉野家から来た冊子のまま持参
  出来れば吉野家ロゴ入り封筒に入れたまま
  店で封筒から取り出し
  バラしてない冊子を取出し
   「あ〜う〜〜いくらかな〜〜 牛すき焼定食だから  2枚使用かな〜〜」
  とか言いながら2枚切り取り店員に渡し
   「あ〜う〜〜差額は〜〜」・・・とか言いながら小銭追加で清算

  店を出るとき 「たまには、こういうのもなかなか旨いなぁ〜〜」とか 独り言

以上だが
14 :
山師さん
2016/02/19(金) 13:28:17.55 ID:/Jo5rDdg
吉野家で、金券屋購入の乞食と同列に見られないで済む方法
       ↓↓↓
少々面倒かもしれんが

  吉野家から来た冊子のまま持参
  出来れば吉野家ロゴ入り封筒に入れたまま
  店で封筒から取り出し
  バラしてない冊子を取出し
   「あ〜う〜〜いくらかな〜〜 牛すき焼定食だから  2枚使用かな〜〜」
  とか言いながら2枚切り取り店員に渡し
   「あ〜う〜〜差額は〜〜」・・・とか言いながら小銭追加で清算

  店を出るとき 「たまには、こういうのもなかなか旨いなぁ〜〜」とか 独り言

以上だが
15 :
山師さん
2016/02/19(金) 13:50:24.44 ID:1FMZnqGo
くせーんだよ奥野
16 :
山師さん
2016/02/19(金) 16:18:16.71 ID:Bo4kjaJ5
奥野ですが・・・
17 :
山師さん
2016/02/19(金) 23:06:03.89 ID:A6fOksmU
>>2のドメインamits.netを掘ると名古屋大学・医学部附属病院・助教の奥野友介医師(研究医)に辿り着く
いずれも本人公開情報

https://web.archive.org/web/20041209043351/http://amits.net/jikka/index.html
Copyright 2004 / Yusuke Okuno

https://web.archive.org/web/20041206193846/http://amits.net/introduction.html
研究分野 免疫学 / 循環器学 / プログラミング
23才の名古屋の医大生です。

https://web.archive.org/web/20060423032507/http://blog.livedoor.jp/amits/
明日は救急外来の日直です。(・w・)ノがんばります。

https://web.archive.org/web/20060813155400/http://auto.amits.net/
株式全自動システム  開発メモ(・w・)

同じドメイン上で一貫して(・w・)の顔文字を使っているので、Archiveの当時23才の医大生と現在のアフィサイト管理人は同じ
過去には株ツールの開発や情報商材の販売もしていた

ぐぐると同姓同名で、同じく名古屋にて、同じ分野の研究をしている医師に辿り着く

https://www.researchgate.net/profile/Yusuke_Okuno
Yusuke Okuno Nagoya University, Nagoya
Molecular Biology, Immunology, Genetics

http://www.med.nagoya-u.ac.jp/ped/laboratoryblood.html
奥野 友介(おくのゆうすけ) 特任講師(先端医療臨床研究支援センター)

配当金・株主優待スレッド 525 [無断転載禁止]©2ch.net->画像>2枚
厚生労働省 医師等資格確認検索システムにも該当者あり。登録年と年齢が一致

http://relayforlife.jp/topics/2015/9424
リレー・フォー・ライフ・ジャパンプロジェクトで2015年に助成金100万も受け取っている


ちなみに家庭板アンテナサイトや特価サイトも運営中
有閑マダムちゃんねる http://madamch.amits.net
特価祭.com http://tokkasai.com/
18 :
山師さん
2016/02/19(金) 23:36:12.22 ID:WzXssx6Q
奥野ゆうすけを盾にして、かすみBBAがサイトの宣伝堂々としてるとすればとんでもない話のきがする
19 :
山師さん
2016/02/20(土) 02:45:23.68 ID:2FbG0r0Y
>>18
実際はどっちなんだろな
かすみばばあは昔から貼ってたけど
それさえもネガキャンかも知れんし
20 :
山師さん
2016/02/20(土) 02:46:44.34 ID:2FbG0r0Y
>>19
ごめん
逆だった
昔からしつこく貼ってるのは奥野先生
21 :
山師さん
2016/02/20(土) 08:25:25.70 ID:dHy8E6tQ
>>14 ださ
22 :
山師さん
2016/02/20(土) 10:38:47.60 ID:BeEq0UHy
ほしゅ
23 :
山師さん
2016/02/20(土) 11:51:50.82 ID:AmQ+/w3f
ここを正規スレ候補にしましょう
 少なくとも時期スレ待機に
  そうしないと、何時までも浮遊スレに成ってしまいますから
   へんなコテ名付けたスレが、正規スレ面しないようにしましょう
24 :
山師さん
2016/02/20(土) 14:00:27.03 ID:TQ/ncWSS
ここを正規スレ候補にしましょう
 少なくとも時期スレ待機に
  そうしないと、何時までも浮遊スレに成ってしまいますから
   へんなコテ名付けたスレが、正規スレ面しないようにしましょう
25 :
山師さん
2016/02/20(土) 14:05:20.81 ID:TQ/ncWSS
ここを正規スレ候補にしましょう
 少なくとも次期スレ待機候補に
  そうしないと、何時までも浮遊スレに成ってしまいますから
   へんな[ アフィ禁 ]とか、コテ名付けたスレが、正規スレ面しないようにしましょう
26 :
山師さん
2016/02/23(火) 23:05:34.45 ID:tzw4H4XJ
ビッグマックの美味しさはフニャフニャ感にあります。
特にグランドビッグマックはボリュームがあるため、
手に持つと指がバンズに埋まります。そしてガブリと食べれば、
レタスの水分が肉とソースと出会い、
フワフワでフニャフニャのパンが猛烈に美味しくなるんですよ。   (48歳 / 日雇い労働者)のコメント

                           
27 :
山師さん
2016/02/23(火) 23:06:20.37 ID:tzw4H4XJ
なんだy嵐スレか ももに貼ってくるわ
28 :
山師さん
2016/02/26(金) 21:06:34.49 ID:0unNmp8N
29 :
山師さん
2016/03/02(水) 23:52:29.62 ID:6P7JnBUj
あげ
30 :
山師さん
2016/03/02(水) 23:56:22.10 ID:2ENQy9a2
注意喚起銘柄多すぎだろ
なんだこれw
31 :
山師さん
2016/03/03(木) 22:48:08.48 ID:o5PZ3ri+
どなたか

乱立・・・・・・ 配当金・株主優待スレッド ・・・・・・を

統合するか・・・・整理するか・・・・・・・

お願いします
32 :
山師さん
2016/03/04(金) 07:17:52.74 ID:qTd53RhU
配当金・株主優待スレッド 521 【本スレ】 [無断転載禁止]©2ch.net
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/stock/1457043141/

ワッチョイ導入しました
33 :
山師さん
2016/03/04(金) 11:25:03.97 ID:YGAU9dCF
使わないスレは処分して埋めろ!
34 :
山師さん
2016/03/04(金) 11:34:46.30 ID:jGmZji3K
どなたか

乱立・・・・・・ 配当金・株主優待スレッド ・・・・・・を

統合するか・・・・整理するか・・・・・・・

お願いします
35 :
山師さん
2016/03/04(金) 14:55:03.31 ID:YGAU9dCF
ワッチョイ
36 :
山師さん
2016/03/04(金) 15:07:16.69 ID:FdAsBGfl
>>34
しつこい
37 :
山師さん
2016/03/04(金) 15:23:36.13 ID:8BwD6BRb
あげ
38 :
山師さん
2016/03/04(金) 15:30:17.80 ID:yMfRwFym
全部名古屋の医者のせい
39 :
山師さん
2016/03/05(土) 13:37:29.63 ID:Wgwu33cN
嫌爺がコテつけずに荒らしてるからだろ
40 :
山師さん
2016/03/05(土) 14:52:12.16 ID:sjhSn7Ch
40 がんばって埋めてしまおう
41 :
山師さん
2016/03/06(日) 07:43:04.49 ID:WU5+v2Fd
嫁さんの実家から米30sキター!!
42 :
山師さん
2016/03/07(月) 02:59:55.55 ID:uAETxnf9
ワッチョイ
43 :
山師さん
2016/03/07(月) 03:44:28.30 ID:FN3JpaIq
人とバラバラの行動を取るのは
カオス理論と言って天才的発想を生むと聞いた事がある
44 :
山師さん
2016/03/07(月) 20:11:25.38 ID:ZkVKyZYf
age
45 :
山師さん
2016/03/07(月) 23:47:22.92 ID:czw2SPp4
まずはAge
46 :
山師さん
2016/03/08(火) 00:06:48.13 ID:YO/4JJGK
全部名古屋の医者のせい
47 :
山師さん
2016/03/08(火) 10:28:15.38 ID:Kxa6jsm3
当然 あげ
48 :
山師さん
2016/03/09(水) 09:41:25.90 ID:nK+ISG5a
ワッチョイ
49 :
山師さん
2016/03/09(水) 10:15:42.53 ID:TABOdg0m
あげましょう
50 :
山師さん
2016/03/09(水) 16:45:17.98 ID:UD9y1Lcj
了解
51 :
山師さん
2016/03/10(木) 12:22:59.57 ID:7Uzgj4VF
ぽじポジたまご
52 :
山師さん
2016/03/10(木) 23:54:45.53 ID:8mFaVn0M
でも、上げた方がいい
53 :
山師さん
2016/03/11(金) 01:21:59.90 ID:qsSBYz6m
>>52
お前ほんまうざいな
54 :
山師さん
2016/03/11(金) 09:30:25.84 ID:b0z9XKPu
じゃ〜あげ
55 :
山師さん
2016/03/11(金) 18:24:36.11 ID:pWXRvYke
配当金・株主優待スレッド 525
56 :
山師さん
2016/03/11(金) 20:51:30.83 ID:7OB6ERtL
スレ番の順番 525
57 :
山師さん
2016/03/12(土) 07:33:31.71 ID:alNYcVk3
スレ番の順番通りにしましょう

当スレ番の順番 

・・・・・  525
58 :
山師さん
2016/03/12(土) 08:05:04.92 ID:alNYcVk3
スレ番の順番通りにしましょう

当スレ番の順番 

・・・・・  525
59 :
山師さん
2016/03/12(土) 09:25:55.08 ID:dN22bqUs
スレ番の順番通りにしましょう

当スレ番の順番 

・・・・・  525
60 :
山師さん
2016/03/12(土) 16:41:38.40 ID:5MUc67qC
スレ番の順番通りにしましょう

当スレ番の順番 

・・・・・  525
61 :
山師さん
2016/03/14(月) 11:46:59.99 ID:YZStxoTs
スレ番の順番通りにしましょう

当スレ番の順番 

・・・・・  525
62 :
山師さん
2016/03/15(火) 21:59:48.90 ID:ut1RsRjY
スレ番の順番通りにしましょう

当スレ番の順番 

・・・・・  525
63 :
山師さん
2016/03/16(水) 00:47:07.66 ID:E5v/waUl
痒い
痒い
64 :
山師さん
2016/03/16(水) 07:49:20.24 ID:Jf0D8GkU
スレ番の順番通りにしましょう

当スレ番の順番 

・・・・・  525
65 :
山師さん
2016/03/16(水) 08:38:09.71 ID:E5v/waUl
痒いの
痒いの
66 :
山師さん
2016/03/24(木) 22:00:55.75 ID:S9RZzTIp
あげ
67 :
山師さん
2016/03/24(木) 22:12:19.67 ID:EmcK6nDX
ナマポ 最 高

    ノ^ヽ, ___ i┐  ヘ _____.   ,ヘ  ,ヘ  ,ヘ       ,¬,
  /∠ゝ,,ヽ! | | |   ノ/└┐i-i┌-! ┌ゝムゝム!∠-i    ノ ヘ,.ヽ.,,
 くイ'三三┐| | | |  / |'┌┘!-!└┐ | |二二二二マ |  ,.-''
68 :
山師さん
2016/03/24(木) 22:35:29.20 ID:vICoKJWq
ここが

正規の・・・・・・・・次 スレッド

69 :
山師さん
2016/03/27(日) 08:17:12.64 ID:u8NK7ifY
そうだね
70 :
山師さん
2016/03/31(木) 19:41:09.84 ID:8a8wAkyq
去年以前からの株デビューの連中は大半が退場くらってて、
今年デビューしたての新入り君もおるやろうし
おいらが株式投資新入生のおまいらに今年もレクチャーするとする

去年も書いたけど、明日から強烈な下落相場が始まるで
投資家新入生歓迎暴落パーティーの始まりや
もうはじまっとるけど、本番はこんなもんちゃうと思うで
そんで、下落相場は5月の連休明け、中旬あたりまで続くと思ったほうがええな
途中、四月の末に日銀の会合があるんでそこで黒田バズーカ期待で止まるやろ
消費再増税延期もあるし止まるやろ、とか考えるのは残念やけど並みのプロや
おいらみたいな本物のプロは総悲観の5月中旬に買うで
セルインメイならぬバイインメイってやつやな
まあ最低でも信用買い分は明日の寄りで処分しときや
71 :
山師さん
2016/04/02(土) 20:09:02.84 ID:hXCcQ+MJ
71
72 :
山師さん
2016/04/02(土) 23:21:19.64 ID:zZrdnd9S
今おすすめの妹はなんですか?
73 :
山師さん
2016/04/04(月) 15:42:46.00 ID:uhbxSrCh
王将の資金流出先は部落解放同盟トップの弟が経営している会社 なぜかきちんと報道されない
74 :
山師さん
2016/04/05(火) 13:41:49.11 ID:N8oiuggr
>>73
元エイチエス証券の野口さんの件と同じ。
関係者は余計なこと証言して消されることを恐れているのですよ。
75 :
山師さん
2016/04/16(土) 23:25:08.08 ID:1/v0JQcm
アゲ
76 :
山師さん
2016/04/21(木) 15:32:21.94 ID:9cf7GmAM
ハゲ
77 :
山師さん
2016/04/26(火) 19:19:30.38 ID:N1uZx5Ur
77
78 :
山師さん
2016/04/30(土) 13:48:30.14 ID:ki0XTCP/
ゆとりハゲ
79 :
山師さん
2016/05/01(日) 09:50:52.43 ID:jH8EpXFU
79
80 :
山師さん
2016/05/01(日) 09:51:01.05 ID:jH8EpXFU
80
81 :
山師さん
2016/05/02(月) 12:11:20.91 ID:Xvr39xUZ
81
82 :
山師さん
2016/05/05(木) 06:23:53.27 ID:zFLOCP81
ここでチンカスのお知らせ
83 :
山師さん
2016/05/05(木) 16:38:43.05 ID:vCzuC8YY
83
84 :
山師さん
2016/05/05(木) 17:13:44.73 ID:vCzuC8YY
84
85 :
山師さん
2016/05/05(木) 17:13:53.62 ID:vCzuC8YY
85
86 :
山師さん
2016/05/09(月) 09:27:21.46 ID:rOq73gJf
[速報]
おいらの[6269]三井海洋開発200株1680円が大幅高

駄菓子菓子またも菓子株中で売れないのであった
87 :
山師さん
2016/05/10(火) 19:16:05.66 ID:r36VElt5
リートもいいかんじ
88 :
山師さん
2016/05/15(日) 13:15:09.60 ID:qEY98My0
 年金問題を解決するために、
 今の生活を変えなくても
 初心者向けに株式投資のやり方を説明したブログを書いてみました。
 興味のある方は、是非読んでみてください。

 「長期投資家やぶっち」の株式投資入門
   http://yabbuchi-school.seesaa.net/category/20400584-1.html
89 :
山師さん
2016/05/18(水) 15:23:35.51 ID:K/VwLQQn
あげ
90 :
山師さん
2016/05/18(水) 15:47:46.41 ID:4uTcWgUe


夏目漱石



+目次



 宗助そうすけは先刻さっきから縁側えんがわへ坐蒲団ざぶとんを持ち出して、日当りの好さそうな所へ
気楽に胡坐あぐらをかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。
秋日和あきびよりと名のつくほどの上天気なので、往来を行く人の下駄げたの響が、静かな町だけに、朗
らかに聞えて来る。肱枕ひじまくらをして軒から上を見上げると、奇麗きれいな空が一面に蒼あおく澄ん
でいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に較くらべて見ると、非常に広大である。たまの日
曜にこうして緩ゆっくり空を見るだけでもだいぶ違うなと思いながら、眉まゆを寄せて、ぎらぎらする日
をしばらく見つめていたが、眩まぼ[#ルビの「まぼ」はママ]しくなったので、今度はぐるりと寝返り
をして障子しょうじの方を向いた。障子の中では細君が裁縫しごとをしている。
「おい、好い天気だな」と話しかけた。細君は、
「ええ」と云いったなりであった。宗助も別に話がしたい訳でもなかったと見えて、それなり黙ってしま
った。しばらくすると今度は細君の方から、
「ちっと散歩でもしていらっしゃい」と云った。しかしその時は宗助がただうんと云う生返事なまへんじ
を返しただけであった。
 二三分して、細君は障子しょうじの硝子ガラスの所へ顔を寄せて、縁側に寝ている夫の姿を覗のぞいて
見た。夫はどう云う了見りょうけんか両膝りょうひざを曲げて海老えびのように窮屈になっている。そう
して両手を組み合わして、その中へ黒い頭を突っ込んでいるから、肱ひじに挟はさまれて顔がちっとも見
えない。
「あなたそんな所へ寝ると風邪かぜ引ひいてよ」と細君が注意した。細君の言葉は東京のような、東京で
ないような、現代の女学生に共通な一種の調子を持っている。
 宗助は両肱の中で大きな眼をぱちぱちさせながら、
91 :
山師さん
2016/05/18(水) 15:55:09.62 ID:4uTcWgUe


夏目漱石



+目次



 宗助そうすけは先刻さっきから縁側えんがわへ坐蒲団ざぶとんを持ち出して、日当りの好さそうな所へ
気楽に胡坐あぐらをかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。
秋日和あきびよりと名のつくほどの上天気なので、往来を行く人の下駄げたの響が、静かな町だけに、朗
らかに聞えて来る。肱枕ひじまくらをして軒から上を見上げると、奇麗きれいな空が一面に蒼あおく澄ん
でいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に較くらべて見ると、非常に広大である。たまの日
曜にこうして緩ゆっくり空を見るだけでもだいぶ違うなと思いながら、眉まゆを寄せて、ぎらぎらする日
をしばらく見つめていたが、眩まぼ[#ルビの「まぼ」はママ]しくなったので、今度はぐるりと寝返り
をして障子しょうじの方を向いた。障子の中では細君が裁縫しごとをしている。
「おい、好い天気だな」と話しかけた。細君は、
「ええ」と云いったなりであった。宗助も別に話がしたい訳でもなかったと見えて、それなり黙ってしま
った。しばらくすると今度は細君の方から、
「ちっと散歩でもしていらっしゃい」と云った。しかしその時は宗助がただうんと云う生返事なまへんじ
を返しただけであった。
 二三分して、細君は障子しょうじの硝子ガラスの所へ顔を寄せて、縁側に寝ている夫の姿を覗のぞいて
見た。夫はどう云う了見りょうけんか両膝りょうひざを曲げて海老えびのように窮屈になっている。そう
して両手を組み合わして、その中へ黒い頭を突っ込んでいるから、肱ひじに挟はさまれて顔がちっとも見
えない。
「あなたそんな所へ寝ると風邪かぜ引ひいてよ」と細君が注意した。細君の言葉は東京のような、東京で
ないような、現代の女学生に共通な一種の調子を持っている。
 宗助は両肱の中で大きな眼をぱちぱちさせながら、
92 :
山師さん
2016/05/18(水) 15:55:21.66 ID:4uTcWgUe
寝やせん、大丈夫だ」と小声で答えた。
 それからまた静かになった。外を通る護謨車ゴムぐるまのベルの音が二三度鳴った後あとから、遠くで
鶏の時音ときをつくる声が聞えた。宗助は仕立したておろしの紡績織ぼうせきおりの背中へ、自然じねん
と浸み込んで来る光線の暖味あたたかみを、襯衣シャツの下で貪むさぼるほど味あじわいながら、表の音
を聴きくともなく聴いていたが、急に思い出したように、障子越しの細君を呼んで、
「御米およね、近来きんらいの近きんの字はどう書いたっけね」と尋ねた。細君は別に呆あきれた様子も
なく、若い女に特有なけたたましい笑声も立てず、
「近江おうみのおうの字じゃなくって」と答えた。
「その近江おうみのおうの字が分らないんだ」
 細君は立て切った障子を半分ばかり開けて、敷居の外へ長い物指ものさしを出して、その先で近の字を
縁側へ書いて見せて、
「こうでしょう」と云ったぎり、物指の先を、字の留った所へ置いたなり、澄み渡った空を一しきり眺な
がめ入った。宗助は細君の顔も見ずに、
「やっぱりそうか」と云ったが、冗談じょうだんでもなかったと見えて、別に笑もしなかった。細君も近
の字はまるで気にならない様子で、
「本当に好い御天気だわね」と半なかば独ひとり言ごとのように云いながら、障子を開けたまままた裁縫
しごとを始めた。すると宗助は肱で挟んだ頭を少し擡もたげて、
「どうも字と云うものは不思議だよ」と始めて細君の顔を見た。
「なぜ」
「なぜって、いくら容易やさしい字でも、こりゃ変だと思って疑ぐり出すと分らなくなる。この間も今日
こんにちの今こんの字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違った
ような気がする。しまいには見れば見るほど今こんらしくなくなって来る。――御前おまいそんな事を経
験した事はないかい」
「まさか」
「おれだけかな」と宗助は頭へ手を当てた。
「あなたどうかしていらっしゃるのよ」
「やっぱり神経衰弱のせいかも知れない」
「そうよ」と細君は夫の顔を見た。夫はようやく立ち上った。
 針箱と糸屑いとくずの上を飛び越すように跨またいで、茶の間の襖ふすまを開けると、すぐ座敷である
。南が玄関で塞ふさがれているので、突き当りの障子が、日向ひなたから急に這入はいって来た眸ひとみ
93 :
山師さん
2016/05/18(水) 15:55:33.82 ID:4uTcWgUe
は、うそ寒く映った。そこを開けると、廂ひさしに逼せまるような勾配こうばいの崖がけが、縁鼻えん
ばなから聳そびえているので、朝の内は当って然しかるべきはずの日も容易に影を落さない。崖には草が
生えている。下からして一側ひとかわも石で畳んでないから、いつ壊くずれるか分らない虞おそれがある
のだけれども、不思議にまだ壊れた事がないそうで、そのためか家主やぬしも長い間昔のままにして放っ
てある。もっとも元は一面の竹藪たけやぶだったとかで、それを切り開く時に根だけは掘り返さずに土堤
どての中に埋めて置いたから、地じは存外緊しまっていますからねと、町内に二十年も住んでいる八百屋
の爺おやじが勝手口でわざわざ説明してくれた事がある。その時宗助はだって根が残っていれば、また竹
が生えて藪になりそうなものじゃないかと聞き返して見た。すると爺は、それがね、ああ切り開かれて見
ると、そう甘うまく行くもんじゃありませんよ。しかし崖だけは大丈夫です。どんな事があったって壊く
えっこはねえんだからと、あたかも自分のものを弁護でもするように力りきんで帰って行った。
 崖は秋に入いっても別に色づく様子もない。ただ青い草の匂においが褪さめて、不揃ぶそろにもじゃも
じゃするばかりである。薄すすきだの蔦つただのと云う洒落しゃれたものに至ってはさらに見当らない。
その代り昔の名残なごりの孟宗もうそうが中途に二本、上の方に三本ほどすっくりと立っている。それが
多少黄に染まって、幹に日の射さすときなぞは、軒から首を出すと、土手の上に秋の暖味あたたかみを眺
ながめられるような心持がする。宗助は朝出て四時過に帰る男だから、日の詰つまるこの頃は、滅多めっ
たに崖の上を覗のぞく暇ひまを有もたなかった。暗い便所から出て、手水鉢ちょうずばちの水を手に受け
ながら、ふと廂ひさしの外を見上げた時、始めて竹の事を思い出した。幹の頂いただきに濃こまかな葉が
集まって、まるで坊主頭ぼうずあたまのように見える。それが秋の日に酔って重く下を向いて、寂ひっそ
りと重なった葉が一枚も動かない。
 宗助は障子を閉たてて座敷へ帰って、机の前へ坐った。座敷とは云いながら客を通すからそう名づける
までで、実は書斎とか居間とか云う方が穏当である。北側に床とこがあるので、申訳のために変な軸じく
を掛けて、その前に朱泥しゅでいの色をした拙せつな花活はないけが飾ってある。欄間らんまには額がく
も何もない。ただ真鍮しんちゅうの折釘おれくぎだけが二本光っている。その他には硝子戸ガラスどの張
った書棚が一つある。けれども中には別にこれと云って目立つほどの立派なものも這入っていない。
 宗助は銀金具ぎんかなぐの付いた机の抽出ひきだしを開けてしきりに中を検しらべ出したが、別に何も
見つけ出さないうちに、はたりと締あきらめてしまった。それから硯箱すずりばこの葢ふたを取って、手
紙を書き始めた。一本書いて封をして、ちょっと考えたが、
「おい、佐伯さえきのうちは中六番町なかろくばんちょう何番地だったかね」と襖越ごしに細君に聞いた

「二十五番地じゃなくって」と細君は答えたが、宗助が名宛を書き終る頃になって、
94 :
山師さん
2016/05/18(水) 15:55:45.70 ID:4uTcWgUe
手紙じゃ駄目よ、行ってよく話をして来なくっちゃ」と付け加えた。
「まあ、駄目までも手紙を一本出しておこう。それでいけなかったら出掛けるとするさ」と云い切ったが
、細君が返事をしないので、
「ねえ、おい、それで好いだろう」と念を押した。
 細君は悪いとも云い兼ねたと見えて、その上争いもしなかった。宗助は郵便を持ったまま、座敷から直
すぐ玄関に出た。細君は夫の足音を聞いて始めて、座を立ったが、これは茶の間の縁伝えんづたいに玄関
に出た。
「ちょっと散歩に行って来るよ」
「行っていらっしゃい」と細君は微笑しながら答えた。
 三十分ばかりして格子こうしががらりと開あいたので、御米はまた裁縫しごとの手をやめて、縁伝いに
玄関へ出て見ると、帰ったと思う宗助の代りに、高等学校の制帽を被かぶった、弟の小六ころくが這入は
いって来た。袴はかまの裾すそが五六寸しか出ないくらいの長い黒羅紗くろらしゃのマントの釦ボタンを
外はずしながら、
「暑い」と云っている。
「だって余あんまりだわ。この御天気にそんな厚いものを着て出るなんて」
「何、日が暮れたら寒いだろうと思って」と小六は云訳いいわけを半分しながら、嫂あによめの後あとに
跟ついて、茶の間へ通ったが、縫い掛けてある着物へ眼を着けて、
「相変らず精が出ますね」と云ったなり、長火鉢ながひばちの前へ胡坐あぐらをかいた。嫂は裁縫を隅す
みの方へ押しやっておいて、小六の向むこうへ来て、ちょっと鉄瓶てつびんをおろして炭を継つぎ始めた

「御茶ならたくさんです」と小六が云った。
「厭いや?」と女学生流に念を押した御米は、
「じゃ御菓子は」と云って笑いかけた。
「あるんですか」と小六が聞いた。
「いいえ、無いの」と正直に答えたが、思い出したように、「待ってちょうだい、あるかも知れないわ」
と云いながら立ち上がる拍子ひょうしに、横にあった炭取を取り退のけて、袋戸棚ふくろとだなを開けた
。小六は御米の後姿うしろすがたの、羽織はおりが帯で高くなった辺あたりを眺ながめていた。何を探さ
がすのだかなかなか手間てまが取れそうなので、
「じゃ御菓子も廃よしにしましょう。それよりか、今日は兄さんはどうしました」と聞いた。
「兄さんは今ちょいと」と後向のまま答えて、御米はやはり戸棚の中を探している。やがてぱたりと戸を
95 :
山師さん
2016/05/18(水) 15:55:57.70 ID:4uTcWgUe
めて、
「駄目よ。いつの間まにか兄さんがみんな食べてしまった」と云いながら、また火鉢の向むこうへ帰って
来た。
「じゃ晩に何か御馳走ごちそうなさい」
「ええしてよ」と柱時計を見ると、もう四時近くである。御米は「四時、五時、六時」と時間を勘定かん
じょうした。小六は黙って嫂の顔を見ていた。彼は実際嫂の御馳走には余り興味を持ち得なかったのであ
る。
「姉さん、兄さんは佐伯さえきへ行ってくれたんですかね」と聞いた。
「この間から行く行くって云ってる事は云ってるのよ。だけど、兄さんも朝出て夕方に帰るんでしょう。
帰ると草臥くたびれちまって、御湯に行くのも大儀そうなんですもの。だから、そう責めるのも実際御気
の毒よ」
「そりゃ兄さんも忙がしいには違なかろうけれども、僕もあれがきまらないと気がかりで落ちついて勉強
もできないんだから」と云いながら、小六は真鍮しんちゅうの火箸ひばしを取って火鉢ひばちの灰の中へ
何かしきりに書き出した。御米はその動く火箸の先を見ていた。
「だから先刻さっき手紙を出しておいたのよ」と慰めるように云った。
「何て」
「そりゃ私わたしもつい見なかったの。けれども、きっとあの相談よ。今に兄さんが帰って来たら聞いて
御覧なさい。きっとそうよ」
「もし手紙を出したのなら、その用には違ないでしょう」
「ええ、本当に出したのよ。今兄さんがその手紙を持って、出しに行ったところなの」
 小六はこれ以上弁解のような慰藉いしゃのような嫂あによめの言葉に耳を借したくなかった。散歩に出
る閑ひまがあるなら、手紙の代りに自分で足を運んでくれたらよさそうなものだと思うと余り好い心持で
もなかった。座敷へ来て、書棚の中から赤い表紙の洋書を出して、方々頁ページを剥はぐって見ていた。



 そこに気のつかなかった宗助そうすけは、町の角かどまで来て、切手と「敷島しきしま」を同じ店で買
って、郵便だけはすぐ出したが、その足でまた同じ道を戻るのが何だか不足だったので、啣くわえ煙草た
ばこの煙けむを秋の日に揺ゆらつかせながら、ぶらぶら歩いているうちに、どこか遠くへ行って、東京と
云う所はこんな所だと云う印象をはっきり頭の中へ刻みつけて、そうしてそれを今日の日曜の土産みやげ
96 :
山師さん
2016/05/18(水) 15:56:09.87 ID:4uTcWgUe
家うちへ帰って寝ねようと云う気になった。彼は年来東京の空気を吸って生きている男であるのみなら
ず、毎日役所の行通ゆきかよいには電車を利用して、賑にぎやかな町を二度ずつはきっと往いったり来た
りする習慣になっているのではあるが、身体からだと頭に楽らくがないので、いつでも上うわの空そらで
素通りをする事になっているから、自分がその賑やかな町の中に活いきていると云う自覚は近来とんと起
った事がない。もっとも平生へいぜいは忙がしさに追われて、別段気にも掛からないが、七日なのかに一
返いっぺんの休日が来て、心がゆったりと落ちつける機会に出逢であうと、不断の生活が急にそわそわし
た上調子うわちょうしに見えて来る。必竟ひっきょう自分は東京の中に住みながら、ついまだ東京という
ものを見た事がないんだという結論に到着すると、彼はそこにいつも妙な物淋さびしさを感ずるのである

 そう云う時には彼は急に思い出したように町へ出る。その上懐ふところに多少余裕よゆうでもあると、
これで一つ豪遊でもしてみようかと考える事もある。けれども彼の淋しみは、彼を思い切った極端に駆か
り去るほどに、強烈の程度なものでないから、彼がそこまで猛進する前に、それも馬鹿馬鹿しくなってや
めてしまう。のみならず、こんな人の常態として、紙入の底が大抵の場合には、軽挙を戒いましめる程度
内に膨ふくらんでいるので、億劫おっくうな工夫を凝こらすよりも、懐手ふところでをして、ぶらりと家
うちへ帰る方が、つい楽になる。だから宗助の淋さびしみは単なる散歩か勧工場かんこうば縦覧ぐらいな
ところで、次の日曜まではどうかこうか慰藉いしゃされるのである。
 この日も宗助はともかくもと思って電車へ乗った。ところが日曜の好天気にもかかわらず、平常よりは
乗客が少ないので例になく乗心地が好かった。その上乗客がみんな平和な顔をして、どれもこれも悠ゆっ
たりと落ちついているように見えた。宗助は腰を掛けながら、毎朝例刻に先を争って席を奪い合いながら
、丸の内方面へ向う自分の運命を顧かえりみた。出勤刻限の電車の道伴みちづれほど殺風景なものはない
。革かわにぶら下がるにしても、天鵞絨びろうどに腰を掛けるにしても、人間的な優やさしい心持の起っ
た試ためしはいまだかつてない。自分もそれでたくさんだと考えて、器械か何ぞと膝ひざを突き合せ肩を
並べたかのごとくに、行きたい所まで同席して不意と下りてしまうだけであった。前の御婆さんが八つぐ
らいになる孫娘の耳の所へ口を付けて何か云っているのを、傍そばに見ていた三十恰好がっこうの商家の
御神おかみさんらしいのが、可愛らしがって、年を聞いたり名を尋ねたりするところを眺ながめていると
、今更いまさらながら別の世界に来たような心持がした。
 頭の上には広告が一面に枠わくに嵌はめて掛けてあった。宗助は平生これにさえ気がつかなかった。何
心なしに一番目のを読んで見ると、引越は容易にできますと云う移転会社の引札ひきふだであった。その
次には経済を心得る人は、衛生に注意する人は、火の用心を好むものは、と三行に並べておいてその後あ
とに瓦斯竈ガスがまを使えと書いて、瓦斯竈から火の出ている画えまで添えてあった。三番目には露国文
97 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:01:17.11 ID:4uTcWgUe
トルストイ伯傑作「千古の雪」と云うのと、バンカラ喜劇小辰こたつ大一座と云うのが、赤地に白で染
め抜いてあった。
 宗助は約十分もかかって、すべての広告を丁寧ていねいに三返ほど読み直した。別に行って見ようと思
うものも、買って見たいと思うものも無かったが、ただこれらの広告が判然はっきりと自分の頭に映って
、そうしてそれを一々読み終おおせた時間のあった事と、それをことごとく理解し得たと云う心の余裕よ
ゆうが、宗助には少なからぬ満足を与えた。彼の生活はこれほどの余裕にすら誇りを感ずるほどに、日曜
以外の出入ではいりには、落ちついていられないものであった。
 宗助は駿河台下するがだいしたで電車を降りた。降りるとすぐ右側の窓硝子まどガラスの中に美しく並
べてある洋書に眼がついた。宗助はしばらくその前に立って、赤や青や縞しまや模様の上に、鮮あざやか
に叩たたき込んである金文字を眺めた。表題の意味は無論解るが、手に取って、中を検しらべて見ようと
いう好奇心はちっとも起らなかった。本屋の前を通ると、きっと中へ這入はいって見たくなったり、中へ
這入ると必ず何か欲しくなったりするのは、宗助から云うと、すでに一昔ひとむかし前の生活である。た
だ Historyヒストリ ofオフ Gamblingガムブリング(博奕史ばくえきし)と云うの
が、ことさらに美装して、一番真中に飾られてあったので、それが幾分か彼の頭に突飛とっぴな新し味を
加えただけであった。
 宗助は微笑しながら、急忙せわしい通りを向側むこうがわへ渡って、今度は時計屋の店を覗のぞき込ん
だ。金時計だの金鎖が幾つも並べてあるが、これもただ美しい色や恰好かっこうとして、彼の眸ひとみに
映るだけで、買いたい了簡りょうけんを誘致するには至らなかった。その癖彼は一々絹糸で釣るした価格
札ねだんふだを読んで、品物と見較みくらべて見た。そうして実際金時計の安価なのに驚ろいた。
 蝙蝠傘屋こうもりがさやの前にもちょっと立ちどまった。西洋小間物こまものを売る店先では、礼帽シ
ルクハットの傍わきにかけてあった襟飾えりかざりに眼がついた。自分の毎日かけているのよりも大変柄
がらが好かったので、価ねを聞いてみようかと思って、半分店の中へ這入はいりかけたが、明日あしたか
ら襟飾りなどをかけ替えたところが下らない事だと思い直すと、急に蟇口がまぐちの口を開けるのが厭い
やになって行き過ぎた。呉服店でもだいぶ立見をした。鶉御召うずらおめしだの、高貴織こうきおりだの
、清凌織せいりょうおりだの、自分の今日こんにちまで知らずに過ぎた名をたくさん覚えた。京都の襟新
えりしんと云う家うちの出店の前で、窓硝子まどガラスへ帽子の鍔つばを突きつけるように近く寄せて、
精巧に刺繍ぬいをした女の半襟はんえりを、いつまでも眺ながめていた。その中うちにちょうど細君に似
合いそうな上品なのがあった。買って行ってやろうかという気がちょっと起るや否いなや、そりゃ五六年
前ぜんの事だと云う考が後あとから出て来て、せっかく心持の好い思いつきをすぐ揉もみ消してしまった
。宗助は苦笑しながら窓硝子を離れてまた歩き出したが、それから半町ほどの間は何だかつまらないよう
98 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:01:29.21 ID:4uTcWgUe
な気分がして、往来にも店先にも格段の注意を払わなかった。
 ふと気がついて見ると角に大きな雑誌屋があって、その軒先には新刊の書物が大きな字で広告してある
。梯子はしごのような細長い枠わくへ紙を張ったり、ペンキ塗の一枚板へ模様画みたような色彩を施こし
たりしてある。宗助はそれを一々読んだ。著者の名前も作物さくぶつの名前も、一度は新聞の広告で見た
ようでもあり、また全く新奇のようでもあった。
 この店の曲り角の影になった所で、黒い山高帽を被かぶった三十ぐらいの男が地面の上へ気楽そうに胡
坐あぐらをかいて、ええ御子供衆の御慰おなぐさみと云いながら、大きな護謨風船ゴムふうせんを膨ふく
らましている。それが膨れると自然と達磨だるまの恰好かっこうになって、好加減いいかげんな所に眼口
まで墨で書いてあるのに宗助は感心した。その上一度息を入れると、いつまでも膨れている。かつ指の先
へでも、手の平の上へでも自由に尻が据すわる。それが尻の穴へ楊枝ようじのような細いものを突っ込む
としゅうっと一度に収縮してしまう。
 忙がしい往来の人は何人でも通るが、誰も立ちどまって見るほどのものはない。山高帽の男は賑にぎや
かな町の隅に、冷やかに胡坐あぐらをかいて、身の周囲まわりに何事が起りつつあるかを感ぜざるものの
ごとくに、ええ御子供衆の御慰みと云っては、達磨を膨らましている。宗助は一銭五厘出して、その風船
を一つ買って、しゅっと縮ましてもらって、それを袂たもとへ入れた。奇麗きれいな床屋へ行って、髪を
刈りたくなったが、どこにそんな奇麗なのがあるか、ちょっと見つからないうちに、日が限かぎって来た
ので、また電車へ乗って、宅うちの方へ向った。
 宗助が電車の終点まで来て、運転手に切符を渡した時には、もう空の色が光を失いかけて、湿った往来
に、暗い影が射さし募つのる頃であった。降りようとして、鉄の柱を握ったら、急に寒い心持がした。い
っしょに降りた人は、皆みんな離れ離れになって、事あり気に忙がしく歩いて行く。町のはずれを見ると
、左右の家の軒から家根やねへかけて、仄白ほのしろい煙りが大気の中に動いているように見える。宗助
も樹きの多い方角に向いて早足に歩を移した。今日の日曜も、暢のんびりした御天気も、もうすでにおし
まいだと思うと、少しはかないようなまた淋さみしいような一種の気分が起って来た。そうして明日あし
たからまた例によって例のごとく、せっせと働らかなくてはならない身体からだだと考えると、今日半日
の生活が急に惜しくなって、残る六日半むいかはんの非精神的な行動が、いかにもつまらなく感ぜられた
。歩いているうちにも、日当の悪い、窓の乏しい、大きな部屋の模様や、隣りに坐すわっている同僚の顔
や、野中さんちょっとと云う上官の様子ばかりが眼に浮かんだ。
 魚勝と云う肴屋さかなやの前を通り越して、その五六軒先の露次ろじとも横丁ともつかない所を曲ると
、行き当りが高い崖がけで、その左右に四五軒同じ構かまえの貸家が並んでいる。ついこの間までは疎ま
ばらな杉垣の奥に、御家人ごけにんでも住み古したと思われる、物寂ものさびた家も一つ地所のうちに混
99 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:01:41.08 ID:4uTcWgUe
まじっていたが、崖の上の坂井さかいという人がここを買ってから、たちまち萱葺かやぶきを壊して、杉
垣を引き抜いて、今のような新らしい普請ふしんに建て易かえてしまった。宗助の家うちは横丁を突き当
って、一番奥の左側で、すぐの崖下だから、多少陰気ではあるが、その代り通りからはもっとも隔ってい
るだけに、まあ幾分か閑静だろうと云うので、細君と相談の上、とくにそこを択えらんだのである。
 宗助は七日なのかに一返の日曜ももう暮れかかったので、早く湯にでも入いって、暇があったら髪でも
刈って、そうして緩ゆっくり晩食ばんめしを食おうと思って、急いで格子こうしを開けた。台所の方で皿
小鉢さらこばちの音がする。上がろうとする拍子ひょうしに、小六ころくの脱ぬぎ棄すてた下駄げたの上
へ、気がつかずに足を乗せた。曲こごんで位置を調ととのえているところへ小六が出て来た。台所の方で
御米およねが、
「誰? 兄さん?」と聞いた。宗助は、
「やあ、来ていたのか」と云いながら座敷へ上った。先刻さっき郵便を出してから、神田を散歩して、電
車を降りて家へ帰るまで、宗助の頭には小六の小の字も閃ひらめかなかった。宗助は小六の顔を見た時、
何となく悪い事でもしたようにきまりが好くなかった。
「御米、御米」と細君を台所から呼んで、
「小六が来たから、何か御馳走ごちそうでもするが好い」と云いつけた。細君は、忙がしそうに、台所の
障子しょうじを開け放したまま出て来て、座敷の入口に立っていたが、この分り切った注意を聞くや否や

「ええ今直じき」と云ったなり、引き返そうとしたが、また戻って来て、
「その代り小六さん、憚はばかり様さま。座敷の戸を閉たてて、洋灯ランプを点つけてちょうだい。今私
わたしも清きよも手が放せないところだから」と依頼たのんだ。小六は簡単に、
「はあ」と云って立ち上がった。
 勝手では清が物を刻む音がする。湯か水をざあと流しへ空あける音がする。「奥様これはどちらへ移し
ます」と云う声がする。「姉さん、ランプの心しんを剪きる鋏はさみはどこにあるんですか」と云う小六
の声がする。しゅうと湯が沸たぎって七輪しちりんの火へかかった様子である。
 宗助は暗い座敷の中で黙然もくねんと手焙てあぶりへ手を翳かざしていた。灰の上に出た火の塊かたま
りだけが色づいて赤く見えた。その時裏の崖がけの上の家主やぬしの家の御嬢さんがピヤノを鳴らし出し
た。宗助は思い出したように立ち上がって、座敷の雨戸を引きに縁側えんがわへ出た。孟宗竹もうそうち
くが薄黒く空の色を乱す上に、一つ二つの星が燦きらめいた。ピヤノの音ねは孟宗竹の後うしろから響い
た。
100 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:01:53.08 ID:4uTcWgUe


 宗助そうすけと小六ころくが手拭てぬぐいを下げて、風呂ふろから帰って来た時は、座敷の真中に真四
角な食卓を据すえて、御米およねの手料理が手際てぎわよくその上に並べてあった。手焙てあぶりの火も
出がけよりは濃い色に燃えていた。洋灯ランプも明るかった。
 宗助が机の前の座蒲団ざぶとんを引き寄せて、その上に楽々らくらくと胡坐あぐらを掻かいた時、手拭
と石鹸シャボンを受取った御米は、
「好い御湯だった事?」と聞いた。宗助はただ一言ひとこと、
「うん」と答えただけであったが、その様子は素気そっけないと云うよりも、むしろ湯上りで、精神が弛
緩しかんした気味に見えた。
「なかなか好い湯でした」と小六が御米の方を見て調子を合せた。
「しかしああ込んじゃ溜たまらないよ」と宗助が机の端はじへ肱ひじを持たせながら、倦怠けたるそうに
云った。宗助が風呂に行くのは、いつでも役所が退ひけて、家うちへ帰ってからの事だから、ちょうど人
の立て込む夕食前ゆうめしまえの黄昏たそがれである。彼はこの二三カ月間ついぞ、日の光に透すかして
湯の色を眺ながめた事がない。それならまだしもだが、ややともすると三日も四日もまるで銭湯の敷居を
跨またがずに過してしまう。日曜になったら、朝早く起きて何よりも第一に奇麗きれいな湯に首だけ浸つ
かってみようと、常は考えているが、さてその日曜が来て見ると、たまに悠ゆっくり寝られるのは、今日
ばかりじゃないかと云う気になって、つい床のうちでぐずぐずしているうちに、時間が遠慮なく過ぎて、
ええ面倒だ、今日はやめにして、その代り今度こんだの日曜に行こうと思い直すのが、ほとんど惰性のよ
うになっている。
「どうかして、朝湯にだけは行きたいね」と宗助が云った。
「その癖朝湯に行ける日は、きっと寝坊ねぼうなさるのね」と細君は調戯からかうような口調であった。
小六は腹の中でこれが兄の性来うまれつきの弱点であると思い込んでいた。彼は自分で学校生活をしてい
るにもかかわらず、兄の日曜が、いかに兄にとって貴たっといかを会得えとくできなかった。六日間の暗
い精神作用を、ただこの一日で暖かに回復すべく、兄は多くの希望を二十四時間のうちに投げ込んでいる
。だからやりたい事があり過ぎて、十の二三も実行できない。否、その二三にしろ進んで実行にかかると
、かえってそのために費やす時間の方が惜しくなって来て、ついまた手を引込めて、じっとしているうち
に日曜はいつか暮れてしまうのである。自分の気晴しや保養や、娯楽もしくは好尚こうしょうについてで
すら、かように節倹しなければならない境遇にある宗助が、小六のために尽さないのは、尽さないのでは
ない、頭に尽す余裕よゆうのないのだとは、小六から見ると、どうしても受取れなかった。兄はただ手前
101 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:02:05.20 ID:4uTcWgUe
勝手な男で、暇があればぶらぶらして細君と遊んでばかりいて、いっこう頼りにも力にもなってくれない
、真底は情合じょうあいに薄い人だぐらいに考えていた。
 けれども、小六がそう感じ出したのは、つい近頃の事で、実を云うと、佐伯との交渉が始まって以来の
話である。年の若いだけ、すべてに性急な小六は、兄に頼めば今日明日きょうあすにも方かたがつくもの
と、思い込んでいたのに、何日いつまでも埒らちが明かないのみか、まだ先方へ出かけてもくれないので
、だいぶ不平になったのである。
 ところが今日帰りを待ち受けて逢あって見ると、そこが兄弟で、別に御世辞も使わないうちに、どこか
暖味あたたかみのある仕打も見えるので、つい云いたい事も後廻しにして、いっしょに湯になんぞ這入は
いって、穏やかに打ち解けて話せるようになって来た。
 兄弟は寛くつろいで膳ぜんについた。御米も遠慮なく食卓の一隅ひとすみを領りょうした。宗助も小六
も猪口ちょくを二三杯ずつ干した。飯にかかる前に、宗助は笑いながら、
「うん、面白いものが有ったっけ」と云いながら、袂たもとから買って来た護謨風船ゴムふうせんの達磨
だるまを出して、大きく膨ふくらませて見せた。そうして、それを椀わんの葢ふたの上へ載のせて、その
特色を説明して聞かせた。御米も小六も面白がって、ふわふわした玉を見ていた。しまいに小六が、ふう
っと吹いたら達磨は膳ぜんの上から畳の上へ落ちた。それでも、まだ覆かえらなかった。
「それ御覧」と宗助が云った。
 御米は女だけに声を出して笑ったが、御櫃おはちの葢ふたを開けて、夫の飯を盛よそいながら、
「兄さんも随分呑気のんきね」と小六の方を向いて、半ば夫を弁護するように云った。宗助は細君から茶
碗を受取って、一言ひとことの弁解もなく食事を始めた。小六も正式に箸はしを取り上げた。
 達磨はそれぎり話題に上のぼらなかったが、これが緒いとくちになって、三人は飯の済むまで無邪気に
長閑のどかな話をつづけた。しまいに小六が気を換えて、
「時に伊藤さんもとんだ事になりましたね」と云い出した。宗助は五六日前伊藤公暗殺の号外を見たとき
、御米の働いている台所へ出て来て、「おい大変だ、伊藤さんが殺された」と云って、手に持った号外を
御米のエプロンの上に乗せたなり書斎へ這入はいったが、その語気からいうと、むしろ落ちついたもので
あった。
「あなた大変だって云う癖に、ちっとも大変らしい声じゃなくってよ」と御米が後あとから冗談じょうだ
ん半分にわざわざ注意したくらいである。その後日ごとの新聞に伊藤公の事が五六段ずつ出ない事はない
が、宗助はそれに目を通しているんだか、いないんだか分らないほど、暗殺事件については平気に見えた
。夜帰って来て、御米が飯の御給仕をするときなどに、「今日も伊藤さんの事が何か出ていて」と聞く事
があるが、その時には「うんだいぶ出ている」と答えるぐらいだから、夫の隠袋かくしの中に畳んである
102 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:02:17.04 ID:4uTcWgUe
今朝の読殻よみがらを、後あとから出して読んで見ないと、その日の記事は分らなかった。御米もつまり
は夫が帰宅後の会話の材料として、伊藤公を引合に出すぐらいのところだから、宗助が進まない方向へは
、たって話を引張りたくはなかった。それでこの二人の間には、号外発行の当日以後、今夜小六がそれを
云い出したまでは、公おおやけには天下を動かしつつある問題も、格別の興味をもって迎えられていなか
ったのである。
「どうして、まあ殺されたんでしょう」と御米は号外を見たとき、宗助に聞いたと同じ事をまた小六に向
って聞いた。
「短銃ピストルをポンポン連発したのが命中めいちゅうしたんです」と小六は正直に答えた。
「だけどさ。どうして、まあ殺されたんでしょう」
 小六は要領を得ないような顔をしている。宗助は落ちついた調子で、
「やっぱり運命だなあ」と云って、茶碗の茶を旨うまそうに飲んだ。御米はこれでも納得なっとくができ
なかったと見えて、
「どうしてまた満洲まんしゅうなどへ行ったんでしょう」と聞いた。
「本当にな」と宗助は腹が張って充分物足りた様子であった。
「何でも露西亜ロシアに秘密な用があったんだそうです」と小六が真面目まじめな顔をして云った。御米
は、
「そう。でも厭いやねえ。殺されちゃ」と云った。
「おれみたような腰弁こしべんは、殺されちゃ厭だが、伊藤さんみたような人は、哈爾賓ハルピンへ行っ
て殺される方がいいんだよ」と宗助が始めて調子づいた口を利きいた。
「あら、なぜ」
「なぜって伊藤さんは殺されたから、歴史的に偉い人になれるのさ。ただ死んで御覧、こうはいかないよ

「なるほどそんなものかも知れないな」と小六は少し感服したようだったが、やがて、
「とにかく満洲だの、哈爾賓だのって物騒な所ですね。僕は何だか危険なような心持がしてならない」と
云った。
「そりゃ、色んな人が落ち合ってるからね」
 この時御米は妙な顔をして、こう答えた夫の顔を見た。宗助もそれに気がついたらしく、
「さあ、もう御膳おぜんを下げたら好かろう」と細君を促うながして、先刻さっきの達磨だるまをまた畳
の上から取って、人指指ひとさしゆびの先へ載のせながら、
「どうも妙だよ。よくこう調子好くできるものだと思ってね」と云っていた。
103 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:02:29.15 ID:4uTcWgUe
 台所から清きよが出て来て、食い散らした皿小鉢さらこばちを食卓ごと引いて行った後で、御米も茶を
入れ替えるために、次の間へ立ったから、兄弟は差向いになった。
「ああ奇麗きれいになった。どうも食った後は汚ないものでね」と宗助は全く食卓に未練のない顔をした
。勝手の方で清がしきりに笑っている。
「何がそんなにおかしいの、清」と御米が障子越しょうじごしに話しかける声が聞えた。清はへえと云っ
てなお笑い出した。兄弟は何にも云わず、半なかば下女の笑い声に耳を傾けていた。
 しばらくして、御米が菓子皿と茶盆を両手に持って、また出て来た。藤蔓ふじづるの着いた大きな急須
きゅうすから、胃にも頭にも応こたえない番茶を、湯呑ゆのみほどな大きな茶碗ちゃわんに注ついで、両
人ふたりの前へ置いた。
「何だって、あんなに笑うんだい」と夫が聞いた。けれども御米の顔は見ずにかえって菓子皿の中を覗の
ぞいていた。
「あなたがあんな玩具おもちゃを買って来て、面白そうに指の先へ乗せていらっしゃるからよ。子供もな
い癖に」
 宗助は意にも留めないように、軽く「そうか」と云ったが、後あとから緩ゆっくり、
「これでも元は子供があったんだがね」と、さも自分で自分の言葉を味わっている風につけ足して、生温
なまぬるい眼を挙げて細君を見た。御米はぴたりと黙ってしまった。
「あなた御菓子食べなくって」と、しばらくしてから小六の方へ向いて話し掛けたが、
「ええ食べます」と云う小六の返事を聞き流して、ついと茶の間へ立って行った。兄弟はまた差向いにな
った。
 電車の終点から歩くと二十分近くもかかる山の手の奥だけあって、まだ宵よいの口くちだけれども、四
隣あたりは存外静かである。時々表を通る薄歯の下駄の響が冴さえて、夜寒よさむがしだいに増して来る
。宗助は懐手ふところでをして、
「昼間は暖あったかいが、夜になると急に寒くなるね。寄宿じゃもう蒸汽スチームを通しているかい」と
聞いた。
「いえ、まだです。学校じゃよっぽど寒くならなくっちゃ、蒸汽なんか焚たきゃしません」
「そうかい。それじゃ寒いだろう」
「ええ。しかし寒いくらいどうでも構わないつもりですが」と云ったまま、小六はすこし云い淀よどんで
いたが、しまいにとうとう思い切って、
「兄さん、佐伯さえきの方はいったいどうなるんでしょう。先刻さっき姉さんから聞いたら、今日手紙を
出して下すったそうですが」
104 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:02:41.21 ID:4uTcWgUe
「ああ出した。二三日中に何とか云って来るだろう。その上でまたおれが行くともどうともしようよ」
 小六は兄の平気な態度を、心の中うちでは飽足らず眺ながめた。しかし宗助の様子にどこと云って、他
ひとを激させるような鋭するどいところも、自みずからを庇護かばうような卑いやしい点もないので、喰
くってかかる勇気はさらに出なかった。ただ
「じゃ今日きょうまであのままにしてあったんですか」と単に事実を確めた。
「うん、実は済まないがあのままだ。手紙も今日やっとの事で書いたくらいだ。どうも仕方がないよ。近
頃神経衰弱でね」と真面目まじめに云う。小六は苦笑した。
「もし駄目なら、僕は学校をやめて、いっそ今のうち、満洲か朝鮮へでも行こうかと思ってるんです」
「満洲か朝鮮? ひどくまた思い切ったもんだね。だって、御前先刻さっき満洲は物騒で厭いやだって云
ったじゃないか」
 用談はこんなところに往ったり来たりして、ついに要領を得なかった。しまいに宗助が、
「まあ、好いや、そう心配しないでも、どうかなるよ。何しろ返事の来しだい、おれがすぐ知らせてやる
。その上でまた相談するとしよう」と云ったので、談話はなしに区切がついた。
 小六が帰りがけに茶の間を覗のぞいたら、御米は何にもしずに、長火鉢ながひばちに倚よりかかってい
た。
「姉さん、さようなら」と声を掛けたら、「おや御帰り」と云いながらようやく立って来た。



 小六ころくの苦くにしていた佐伯さえきからは、予期の通り二三日して返事があったが、それは極きわ
めて簡単なもので、端書はがきでも用の足りるところを、鄭重ていちょうに封筒へ入れて三銭の切手を貼
はった、叔母の自筆に過ぎなかった。
 役所から帰って、筒袖つつそでの仕事着を、窮屈そうに脱ぬぎ易かえて、火鉢ひばちの前へ坐すわるや
否や、抽出ひきだしから一寸ほどわざと余して差し込んであった状袋に眼が着いたので、御米およねの汲
んで出す番茶を一口呑のんだまま、宗助そうすけはすぐ封を切った。
「へえ、安やすさんは神戸へ行ったんだってね」と手紙を読みながら云った。
「いつ?」と御米は湯呑を夫の前に出した時の姿勢のままで聞いた。
「いつとも書いてないがね。何しろ遠からぬうちには帰京仕るべく候間と書いてあるから、もうじき帰っ
て来るんだろう」
「遠からぬうちなんて、やっぱり叔母さんね」
105 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:02:53.12 ID:4uTcWgUe
 宗助は御米の批評に、同意も不同意も表しなかった。読んだ手紙を巻き納めて、投げるようにそこへ放
り出して、四五日目になる、ざらざらした腮あごを、気味わるそうに撫なで廻した。
 御米はすぐその手紙を拾ったが、別に読もうともしなかった。それを膝ひざの上へ乗せたまま、夫の顔
を見て、
「遠からぬうちには帰京仕つかまつるべく候間、どうだって云うの」と聞いた。
「いずれ帰ったら、安之助やすのすけと相談して何とか御挨拶ごあいさつを致しますと云うのさ」
「遠からぬうちじゃ曖昧あいまいね。いつ帰るとも書いてなくって」
「いいや」
 御米は念のため、膝の上の手紙を始めて開いて見た。そうしてそれを元のように畳んで、
「ちょっとその状袋を」と手を夫おっとの方へ出した。宗助は自分と火鉢の間に挟まっている青い封筒を
取って細君に渡した。御米はそれをふっと吹いて、中を膨ふくらまして手紙を収めた。そうして台所へ立
った。
 宗助はそれぎり手紙の事には気を留めなかった。今日役所で同僚が、この間英吉利イギリスから来遊し
たキチナー元帥に、新橋の傍そばで逢あったと云う話を思い出して、ああ云う人間になると、世界中どこ
へ行っても、世間を騒がせるようにできているようだが、実際そういう風に生れついて来たものかも知れ
ない。自分の過去から引き摺ずってきた運命や、またその続きとして、これから自分の眼前に展開されべ
き[#「展開されべき」はママ]将来を取って、キチナーと云う人のそれに比べて見ると、とうてい同じ
人間とは思えないぐらい懸かけ隔へだたっている。
 こう考えて宗助はしきりに煙草たばこを吹かした。表は夕方から風が吹き出して、わざと遠くの方から
襲おそって来るような音がする。それが時々やむと、やんだ間は寂しんとして、吹き荒れる時よりはなお
淋さびしい。宗助は腕組をしながら、もうそろそろ火事の半鐘はんしょうが鳴り出す時節だと思った。
 台所へ出て見ると、細君は七輪しちりんの火を赤くして、肴さかなの切身を焼いていた。清きよは流し
元に曲こごんで漬物を洗っていた。二人とも口を利きかずにせっせと自分のやる事をやっている。宗助は
障子しょうじを開けたなり、しばらく肴から垂たる汁つゆか膏あぶらの音を聞いていたが、無言のままま
た障子を閉たてて元の座へ戻った。細君は眼さえ肴から離さなかった。
 食事を済まして、夫婦が火鉢を間あいに向い合った時、御米はまた
「佐伯の方は困るのね」と云い出した。
「まあ仕方がない。安さんが神戸から帰るまで待つよりほかに道はあるまい」
「その前にちょっと叔母さんに逢って話をしておいた方が好かなくって」
「そうさ。まあそのうち何とか云って来るだろう。それまで打遣うっちゃっておこうよ」
106 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:03:05.14 ID:4uTcWgUe
「小六さんが怒ってよ。よくって」と御米はわざと念を押しておいて微笑した。宗助は下眼を使って、手
に持った小楊枝こようじを着物の襟えりへ差した。
 中一日なかいちんち置いて、宗助はようやく佐伯からの返事を小六に知らせてやった。その時も手紙の
尻しりに、まあそのうちどうかなるだろうと云う意味を、例のごとく付け加えた。そうして当分はこの事
件について肩が抜けたように感じた。自然の経過なりゆきがまた窮屈に眼の前に押し寄せて来るまでは、
忘れている方が面倒がなくって好いぐらいな顔をして、毎日役所へ出てはまた役所から帰って来た。帰り
も遅いが、帰ってから出かけるなどという億劫おっくうな事は滅多めったになかった。客はほとんど来な
い。用のない時は清を十時前に寝ねかす事さえあった。夫婦は毎夜同じ火鉢の両側に向き合って、食後一
時間ぐらい話をした。話の題目は彼らの生活状態に相応した程度のものであった。けれども米屋の払を、
この三十日みそかにはどうしたものだろうという、苦しい世帯話は、いまだかつて一度も彼らの口には上
らなかった。と云って、小説や文学の批評はもちろんの事、男と女の間を陽炎かげろうのように飛び廻る
、花やかな言葉のやりとりはほとんど聞かれなかった。彼らはそれほどの年輩でもないのに、もうそこを
通り抜けて、日ごとに地味になって行く人のようにも見えた。または最初から、色彩の薄い極きわめて通
俗の人間が、習慣的に夫婦の関係を結ぶために寄り合ったようにも見えた。
 上部うわべから見ると、夫婦ともそう物に屈托くったくする気色けしきはなかった。それは彼らが小六
の事に関して取った態度について見てもほぼ想像がつく。さすが女だけに御米は一二度、
「安さんは、まだ帰らないんでしょうかね。あなた今度こんだの日曜ぐらいに番町まで行って御覧なさら
なくって」と注意した事があるが、宗助は、
「うん、行っても好い」ぐらいな返事をするだけで、その行っても好い日曜が来ると、まるで忘れたよう
に済ましている。御米もそれを見て、責める様子もない。天気が好いと、
「ちと散歩でもしていらっしゃい」と云う。雨が降ったり、風が吹いたりすると、
「今日は日曜で仕合せね」と云う。
 幸にして小六はその後ご一度もやって来ない。この青年は、至って凝こり性しょうの神経質で、こうと
思うとどこまでも進んで来るところが、書生時代の宗助によく似ている代りに、ふと気が変ると、昨日き
のうの事はまるで忘れたように引っ繰り返って、けろりとした顔をしている。そこも兄弟だけあって、昔
の宗助にそのままである。それから、頭脳が比較的明暸めいりょうで、理路に感情を注つぎ込むのか、ま
たは感情に理窟りくつの枠わくを張るのか、どっちか分らないが、とにかく物に筋道を付けないと承知し
ないし、また一返いっぺん筋道が付くと、その筋道を生かさなくってはおかないように熱中したがる。そ
の上体質の割合に精力がつづくから、若い血気に任せて大抵の事はする。
 宗助は弟を見るたびに、昔の自分が再び蘇生そせいして、自分の眼の前に活動しているような気がして
107 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:03:17.14 ID:4uTcWgUe
ならなかった。時には、はらはらする事もあった。また苦々にがにがしく思う折もあった。そう云う場合
には、心のうちに、当時の自分が一図に振舞った苦い記憶を、できるだけしばしば呼び起させるために、
とくに天が小六を自分の眼の前に据すえ付けるのではなかろうかと思った。そうして非常に恐ろしくなっ
た。こいつもあるいはおれと同一の運命に陥おちいるために生れて来たのではなかろうかと考えると、今
度は大いに心がかりになった。時によると心がかりよりは不愉快であった。
 けれども、今日こんにちまで宗助は、小六に対して意見がましい事を云った事もなければ、将来につい
て注意を与えた事もなかった。彼の弟に対する待遇方ほうはただ普通凡庸ぼんようのものであった。彼の
今の生活が、彼のような過去を有っている人とは思えないほどに、沈んでいるごとく、彼の弟を取り扱う
様子にも、過去と名のつくほどの経験を有もった年長者の素振そぶりは容易に出なかった。
 宗助と小六の間には、まだ二人ほど男の子が挟はさまっていたが、いずれも早世そうせいしてしまった
ので、兄弟とは云いながら、年は十とおばかり違っている。その上宗助はある事情のために、一年の時京
都へ転学したから、朝夕ちょうせきいっしょに生活していたのは、小六の十二三の時までである。宗助は
剛情ごうじょうな聴きかぬ気の腕白小僧としての小六をいまだに記憶している。その時分は父も生きてい
たし、家うちの都合も悪くはなかったので、抱車夫かかえしゃふを邸内の長屋に住まわして、楽に暮して
いた。この車夫に小六よりは三つほど年下の子供があって、始終しじゅう小六の御相手をして遊んでいた
。ある夏の日盛りに、二人して、長い竿さおのさきへ菓子袋を括くくり付けて、大きな柿の木の下で蝉せ
みの捕りくらをしているのを、宗助が見て、兼坊けんぼうそんなに頭を日に照らしつけると霍乱かくらん
になるよ、さあこれを被かぶれと云って、小六の古い夏帽を出してやった。すると、小六は自分の所有物
を兄が無断で他ひとにくれてやったのが、癪しゃくに障さわったので、突然いきなり兼坊の受取った帽子
を引ったくって、それを地面の上へ抛なげつけるや否や、馳かけ上がるようにその上へ乗って、くしゃり
と麦藁帽むぎわらぼうを踏み潰つぶしてしまった。宗助は縁から跣足はだしで飛んで下りて、小六の頭を
擲なぐりつけた。その時から、宗助の眼には、小六が小悪こにくらしい小僧として映った。
 二年の時宗助は大学を去らなければならない事になった。東京の家うちへも帰かえれない事になった。
京都からすぐ広島へ行って、そこに半年ばかり暮らしているうちに父が死んだ。母は父よりも六年ほど前
に死んでいた。だから後には二十五六になる妾めかけと、十六になる小六が残っただけであった。
 佐伯から電報を受け取って、久しぶりに出京した宗助は、葬式を済ました上、家うちの始末をつけよう
と思ってだんだん調べて見ると、あると思った財産は案外に少なくって、かえって無いつもりの借金がだ
いぶあったに驚ろかされた。叔父の佐伯に相談すると、仕方がないから邸やしきを売るが好かろうと云う
話であった。妾めかけは相当の金をやってすぐ暇を出す事にきめた。小六は当分叔父の家に引き取って世
話をして貰もらう事にした。しかし肝心かんじんの家屋敷はすぐ右から左へと売れる訳わけには行かなか
108 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:03:29.17 ID:4uTcWgUe
った。仕方がないから、叔父に一時の工面くめんを頼んで、当座の片をつけて貰った。叔父は事業家でい
ろいろな事に手を出しては失敗する、云わば山気やまぎの多い男であった。宗助が東京にいる時分も、よ
く宗助の父を説きつけては、旨うまい事を云って金を引き出したものである。宗助の父にも慾があったか
も知れないが、この伝でんで叔父の事業に注つぎ込んだ金高はけっして少ないものではなかった。
 父の亡くなったこの際にも、叔父の都合は元と余り変っていない様子であったが、生前の義理もあるし
、またこう云う男の常として、いざと云う場合には比較的融通のつくものと見えて、叔父は快よく整理を
引き受けてくれた。その代り宗助は自分の家屋敷の売却方についていっさいの事を叔父に一任してしまっ
た。早く云うと、急場の金策に対する報酬として土地家屋を提供したようなものである。叔父は、
「何しろ、こう云うものは買手を見て売らないと損だからね」と云った。
 道具類も積せきばかり取って、金目にならないものは、ことごとく売り払ったが、五六幅の掛物と十二
三点の骨董品こっとうひんだけは、やはり気長に欲しがる人を探さがさないと損だと云う叔父の意見に同
意して、叔父に保管を頼む事にした。すべてを差し引いて手元に残った有金は、約二千円ほどのものであ
ったが、宗助はそのうちの幾分を、小六の学資として、使わなければならないと気がついた。しかし月々
自分の方から送るとすると、今日こんにちの位置が堅固でない当時、はなはだ実行しにくい結果に陥おち
いりそうなので、苦しくはあったが、思い切って、半分だけを叔父に渡して、何分宜よろしくと頼んだ。
自分が中途で失敗しくじったから、せめて弟だけは物にしてやりたい気もあるので、この千円が尽きたあ
とは、またどうにか心配もできようしまたしてくれるだろうぐらいの不慥ふたしかな希望を残して、また
広島へ帰って行った。
 それから半年ばかりして、叔父の自筆で、家はとうとう売れたから安心しろと云う手紙が来たが、いく
らに売れたとも何とも書いてないので、折り返して聞き合せると、二週間ほど経たっての返事に、優に例
の立替を償つぐなうに足る金額だから心配しなくても好いとあった。宗助はこの返事に対して少なからず
不満を感じたには感じたが、同じ書信の中に、委細はいずれ御面会の節云々とあったので、すぐにも東京
へ行きたいような気がして、実はこうこうだがと、相談半分細君に話して見ると、御米は気の毒そうな顔
をして、
「でも、行けないんだから、仕方がないわね」と云って、例のごとく微笑した。その時宗助は始めて細君
から宣告を受けた人のように、しばらく腕組をして考えたが、どう工夫したって、抜ける事のできないよ
うな位地いちと事情の下もとに束縛そくばくされていたので、ついそれなりになってしまった。
 仕方がないから、なお三四回書面で往復を重ねて見たが、結果はいつも同じ事で、版行はんこうで押し
たようにいずれ御面会の節を繰り返して来るだけであった。
「これじゃしようがないよ」と宗助は腹が立ったような顔をして御米を見た。三カ月ばかりして、ようや
109 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:03:41.15 ID:4uTcWgUe
く都合がついたので、久し振りに御米を連れて、出京しようと思う矢先に、つい風邪かぜを引いて寝ねた
のが元で、腸窒扶斯ちょうチフスに変化したため、六十日余りを床の上に暮らした上に、あとの三十日ほ
どは充分仕事もできないくらい衰えてしまった。
 病気が本復してから間もなく、宗助はまた広島を去って福岡の方へ移らなければならない身となった。
移る前に、好い機会だからちょっと東京まで出たいものだと考えているうちに、今度もいろいろの事情に
制せられて、ついそれも遂行すいこうせずに、やはり下り列車の走る方かたに自己の運命を托した。その
頃は東京の家を畳むとき、懐ふところにして出た金は、ほとんど使い果たしていた。彼の福岡生活は前後
二年を通じて、なかなかの苦闘であった。彼は書生として京都にいる時分、種々の口実の下もとに、父か
ら臨時随意に多額の学資を請求して、勝手しだいに消費した昔をよく思い出して、今の身分と比較しつつ
、しきりに因果いんがの束縛を恐れた。ある時はひそかに過ぎた春を回顧して、あれが己おれの栄華の頂
点だったんだと、始めて醒さめた眼に遠い霞かすみを眺ながめる事もあった。いよいよ苦しくなった時、
「御米、久しく放っておいたが、また東京へ掛合かけあってみようかな」と云い出した。御米は無論逆さ
からいはしなかった。ただ下を向いて、
「駄目よ。だって、叔父さんに全く信用がないんですもの」と心細そうに答えた。
「向うじゃこっちに信用がないかも知れないが、こっちじゃまた向うに信用がないんだ」と宗助は威張っ
て云い出したが、御米の俯目ふしめになっている様子を見ると、急に勇気が挫くじける風に見えた。こん
な問答を最初は月に一二返ぐらい繰り返していたが、後のちには二月ふたつきに一返になり、三月みつき
に一返になり、とうとう、
「好いいや、小六さえどうかしてくれれば。あとの事はいずれ東京へ出たら、逢あった上で話をつけらあ
。ねえ御米、そうすると、しようじゃないか」と云い出した。
「それで、好よござんすとも」と御米は答えた。
 宗助は佐伯の事をそれなり放ってしまった。単なる無心は、自分の過去に対しても、叔父に向って云い
出せるものでないと、宗助は考えていた。したがってその方の談判は、始めからいまだかつて筆にした事
がなかった。小六からは時々手紙が来たが、極きわめて短かい形式的のものが多かった。宗助は父の死ん
だ時、東京で逢った小六を覚えているだけだから、いまだに小六を他愛たわいない小供ぐらいに想像する
ので、自分の代理に叔父と交渉させようなどと云う気は無論起らなかった。
 夫婦は世の中の日の目を見ないものが、寒さに堪たえかねて、抱き合って暖だんを取るような具合に、
御互同志を頼りとして暮らしていた。苦しい時には、御米がいつでも、宗助に、
「でも仕方がないわ」と云った。宗助は御米に、
「まあ我慢するさ」と云った。
110 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:03:53.18 ID:4uTcWgUe
 二人の間には諦あきらめとか、忍耐とか云うものが断えず動いていたが、未来とか希望と云うものの影
はほとんど射さないように見えた。彼らは余り多く過去を語らなかった。時としては申し合わせたように
、それを回避する風さえあった。御米が時として、
「そのうちにはまたきっと好い事があってよ。そうそう悪い事ばかり続くものじゃないから」と夫おっと
を慰さめるように云う事があった。すると、宗助にはそれが、真心まごころある妻さいの口を藉かりて、
自分を翻弄ほんろうする運命の毒舌のごとくに感ぜられた。宗助はそう云う場合には何にも答えずにただ
苦笑するだけであった。御米がそれでも気がつかずに、なにか云い続けると、
「我々は、そんな好い事を予期する権利のない人間じゃないか」と思い切って投げ出してしまう。細君は
ようやく気がついて口を噤つぐんでしまう。そうして二人が黙って向き合っていると、いつの間にか、自
分達は自分達の拵こしらえた、過去という暗い大きな窖あなの中に落ちている。
 彼らは自業自得じごうじとくで、彼らの未来を塗抹とまつした。だから歩いている先の方には、花やか
な色彩を認める事ができないものと諦あきらめて、ただ二人手を携たずさえて行く気になった。叔父の売
り払ったと云う地面家作についても、固もとより多くの期待は持っていなかった。時々考え出したように

「だって、近頃の相場なら、捨売すてうりにしたって、あの時叔父の拵らえてくれた金の倍にはなるんだ
もの。あんまり馬鹿馬鹿しいからね」と宗助が云い出すと、御米は淋さみしそうに笑って、
「また地面? いつまでもあの事ばかり考えていらっしゃるのね。だって、あなたが万事宜よろしく願い
ますと、叔父さんにおっしゃったんでしょう」と云う。
「そりゃ仕方がないさ。あの場合ああでもしなければ方ほうがつかないんだもの」と宗助が云う。
「だからさ。叔父さんの方では、御金の代りに家うちと地面を貰ったつもりでいらっしゃるかも知れなく
ってよ」と御米が云う。
 そう云われると、宗助も叔父の処置に一理あるようにも思われて、口では、
「そのつもりが好くないじゃないか」と答弁するようなものの、この問題はその都度つどしだいしだいに
背景の奥に遠ざかって行くのであった。
 夫婦がこんな風に淋しく睦むつまじく暮らして来た二年目の末に、宗助はもとの同級生で、学生時代に
は大変懇意であった杉原と云う男に偶然出逢った。杉原は卒業後高等文官試験に合格して、その時すでに
或省に奉職していたのだが、公務上福岡と佐賀へ出張することになって、東京からわざわざやって来たの
である。宗助は所の新聞で、杉原のいつ着いて、どこに泊っているかをよく知ってはいたが、失敗者とし
ての自分に顧かえりみて、成効者せいこうしゃの前に頭を下げる対照を恥ずかしく思った上に、自分は在
学当時の旧友に逢うのを、特に避けたい理由を持っていたので、彼の旅館を訪ねる気は毛頭なかった。
111 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:04:05.21 ID:4uTcWgUe
 ところが杉原の方では、妙な引掛りから、宗助のここに燻くすぶっている事を聞き出して、強しいて面
会を希望するので、宗助もやむを得ず我がを折った。宗助が福岡から東京へ移れるようになったのは、全
くこの杉原の御蔭おかげである。杉原から手紙が来て、いよいよ事がきまったとき、宗助は箸はしを置い
て、
「御米、とうとう東京へ行けるよ」と云った。
「まあ結構ね」と御米が夫の顔を見た。
 東京に着いてから二三週間は、眼の回まわるように日が経たった。新らしく世帯を有もって、新らしい
仕事を始める人に、あり勝ちな急忙せわしなさと、自分達を包む大都の空気の、日夜劇はげしく震盪しん
とうする刺戟しげきとに駆かられて、何事をもじっと考える閑ひまもなく、また落ちついて手を下くだす
分別も出なかった。
 夜汽車で新橋へ着いた時は、久しぶりに叔父夫婦の顔を見たが、夫婦とも灯ひのせいか晴れやかな色に
は宗助の眼に映らなかった。途中に事故があって、着ちゃくの時間が珍らしく三十分ほど後れたのを、宗
助の過失ででもあるかのように、待草臥まちくたびれた気色けしきであった。
 宗助がこの時叔母から聞いた言葉は、
「おや宗そうさん、しばらく御目に掛かからないうちに、大変御老おふけなすった事」という一句であっ
た。御米はその折おり始めて叔父夫婦に紹介された。
「これがあの……」と叔母は逡巡ためらって宗助の方を見た。御米は何と挨拶あいさつのしようもないの
で、無言のままただ頭を下げた。
 小六も無論叔父夫婦と共に二人を迎いに来ていた。宗助は一眼その姿を見たとき、いつの間にか自分を
凌しのぐように大きくなった、弟の発育に驚ろかされた。小六はその時中学を出て、これから高等学校へ
這入はいろうという間際まぎわであった。宗助を見て、「兄さん」とも「御帰りなさい」とも云わないで
、ただ不器用に挨拶をした。
 宗助と御米は一週ばかり宿屋住居ずまいをして、それから今の所に引き移った。その時は叔父夫婦がい
ろいろ世話を焼いてくれた。細々こまごましい台所道具のようなものは買うまでもあるまい、古いのでよ
ければと云うので、小人数に必要なだけ一通り取り揃そろえて送って来た。その上、
「御前も新世帯だから、さぞ物要ものいりが多かろう」と云って金を六十円くれた。
 家うちを持ってかれこれ取り紛まぎれているうちに、早はや半月余よも経ったが、地方にいる時分あん
なに気にしていた家邸いえやしきの事は、ついまだ叔父に言い出さずにいた。ある時御米が、
「あなたあの事を叔父さんにおっしゃって」と聞いた。宗助はそれで急に思い出したように、
「うん、まだ云わないよ」と答えた。
112 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:11:30.85 ID:4uTcWgUe
「そうよなあ。やっぱり、ああ云う事があると、永ながくまで後あとへ響くものだからな」と答えて、因
果いんがは恐ろしいと云う風をする。叔母は重ねて、
「本当に、怖こわいもんですね。元はあんな寝入ねいった子こじゃなかったが――どうもはしゃぎ過ぎる
くらい活溌かっぱつでしたからね。それが二三年見ないうちに、まるで別の人みたように老ふけちまって
。今じゃあなたより御爺おじいさん御爺さんしていますよ」と云う。
「真逆まさか」と叔父がまた答える。
「いえ、頭や顔は別として、様子がさ」と叔母がまた弁解する。
 こんな会話が老夫婦の間に取り換わされたのは、宗助が出京して以来一度や二度ではなかった。実際彼
は叔父の所へ来ると、老人の眼に映る通りの人間に見えた。
 御米はどう云うものか、新橋へ着いた時、老人夫婦に紹介されたぎり、かつて叔父の家の敷居を跨また
いだ事がない。むこうから見えれば叔父さん叔母さんと丁寧ていねいに接待するが、帰りがけに、
「どうです、ちと御出かけなすっちゃ」などと云われると、ただ、
「ありがとう」と頭を下げるだけで、ついぞ出掛けた試ためしはなかった。さすがの宗助さえ一度は、
「叔父さんの所へ一度行って見ちゃ、どうだい」と勧すすめた事があるが、
「でも」と変な顔をするので、宗助はそれぎりけっしてその事を云い出さなかった。
 両家族はこの状態で約一年ばかりを送った。すると宗助よりも気分は若いと許された叔父が突然死んだ
。病症は脊髄脳膜炎せきずいのうまくえんとかいう劇症げきしょうで、二三日風邪かぜの気味で寝ねてい
たが、便所へ行った帰りに、手を洗おうとして、柄杓ひしゃくを持ったまま卒倒したなり、一日いちんち
経たつか経たないうちに冷たくなってしまったのである。
「御米、叔父はとうとう話をしずに死んでしまったよ」と宗助が云った。
「あなたまだ、あの事を聞くつもりだったの、あなたも随分執念深しゅうねんぶかいのね」と御米が云っ
た。
 それからまた一年ばかり経ったら、叔父の子の安之助が大学を卒業して、小六が高等学校の二年生にな
った。叔母は安之助といっしょに中六番町に引き移った。
 三年目の夏休みに小六は房州の海水浴へ行った。そこに一月余りも滞在しているうちに九月になり掛け
たので、保田ほたから向うへ突切つっきって、上総かずさの海岸を九十九里伝いに、銚子ちょうしまで来
たが、そこから思い出したように東京へ帰った。宗助の所へ見えたのは、帰ってから、まだ二三日しか立
たない、残暑の強い午後である。真黒に焦こげた顔の中に、眼だけ光らして、見違えるように蛮色ばんし
ょくを帯びた彼は、比較的日の遠い座敷へ這入はいったなり横になって、兄の帰りを待ち受けていたが、
宗助の顔を見るや否や、むっくり起き上がって、
「兄さん、少し御話があって来たんですが」と開き直られたので、宗助は少し驚ろいた気味で、暑苦しい
洋服さえ脱ぎ更かえずに、小六の話を聞いた。
 小六の云うところによると、二三日前彼が上総から帰った晩、彼の学資はこの暮限り、気の毒ながら出
してやれないと叔母から申し渡されたのだそうである。小六は父が死んで、すぐと叔父に引き取られて以
来、学校へも行けるし、着物も自然ひとりでにできるし、小遣こづかいも適宜てきぎに貰えるので、父の
存生中ぞんしょうちゅうと同じように、何不足なく暮らせて来た惰性から、その日その晩までも、ついぞ
学資と云う問題を頭に思い浮べた事がなかったため、叔母の宣告を受けた時は、茫然ぼんやりしてとかく
の挨拶あいさつさえできなかったのだと云う。
 叔母は気の毒そうに、なぜ小六の世話ができなくなったかを、女だけに、一時間も掛かって委くわしく
説明してくれたそうである。それには叔父の亡なくなった事やら、継ついで起る経済上の変化やら、また
安之助の卒業やら、卒業後に控えている結婚問題やらが這入っていたのだと云う。
「できるならば、せめて高等学校を卒業するまでと思って、今日きょうまでいろいろ骨を折ったんだけれ
ども」
 叔母はこう云ったと小六は繰り返した。小六はその時ふと兄が、先年父の葬式の時に出京して、万事を
片づけた後、広島へ帰るとき、小六に、御前の学資は叔父さんに預けてあるからと云った事があるのを思
113 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:11:42.89 ID:4uTcWgUe
い出して、叔母に始めて聞いて見ると、叔母は案外な顔をして、
「そりゃ、あの時、宗そうさんが若干いくらか置いて行きなすった事は、行きなすったが、それはもうあ
りゃしないよ。叔父さんのまだ生きて御出おいでの時分から、御前の学資は融通して来たんだから」と答
えた。
 小六は兄から自分の学資がどれほどあって、何年分の勘定かんじょうで、叔父に預けられたかを、聞い
ておかなかったから、叔母からこう云われて見ると、一言ひとことも返しようがなかった。
「御前おまえも一人じゃなし、兄さんもある事だからよく相談をして見たら好いだろう。その代り私わた
しも宗さんに逢って、とっくり訳わけを話しましょうから。どうも、宗さんも余あんまり近頃は御出おい
ででないし、私も御無沙汰ごぶさたばかりしているのでね、つい御前の事は御話をする訳にも行かなかっ
たんだよ」と叔母は最後につけ加えたそうである。
 小六から一部始終いちぶしじゅうを聞いた時、宗助はただ弟の顔を眺ながめて、一口、
「困ったな」と云った。昔のように赫かっと激して、すぐ叔母の所へ談判に押し掛ける気色けしきもなけ
れば、今まで自分に対して、世話にならないでも済む人のように、よそよそしく仕向けて来た弟の態度が
、急に方向を転じたのを、悪にくいと思う様子も見えなかった。
 自分の勝手に作り上げた美くしい未来が、半分壊くずれかかったのを、さも傍はたの人のせいででもあ
るかのごとく心を乱している小六の帰る姿を見送った宗助は、暗い玄関の敷居の上に立って、格子こうし
の外に射す夕日をしばらく眺ながめていた。
 その晩宗助は裏から大きな芭蕉ばしょうの葉を二枚剪きって来て、それを座敷の縁に敷いて、その上に
御米と並んで涼すずみながら、小六の事を話した。
「叔母さんは、こっちで、小六さんの世話をしろって云う気なんじゃなくって」と御米が聞いた。
「まあ、逢って聞いて見ないうちは、どう云う料簡りょうけんか分らないがね」と宗助が云うと、御米は

「きっとそうよ」と答えながら、暗がりで団扇うちわをはたはた動かした。宗助は何も云わずに、頸くび
を延ばして、庇ひさしと崖がけの間に細く映る空の色を眺めた。二人はそのまましばらく黙っていたが、
良ややあって、
「だってそれじゃ無理ね」と御米がまた云った。
「人間一人大学を卒業させるなんて、おれの手際てぎわじゃ到底とても駄目だ」と宗助は自分の能力だけ
を明らかにした。
 会話はそこで別の題目に移って、再び小六の上にも叔母の上にも帰って来なかった。それから二三日す
るとちょうど土曜が来たので、宗助は役所の帰りに、番町の叔母の所へ寄って見た。叔母は、
「おやおや、まあ御珍らしい事」と云って、いつもよりは愛想あいそよく宗助を款待もてなしてくれた。
その時宗助は厭いやなのを我慢して、この四五年来溜めて置いた質問を始めて叔母に掛けた。叔母は固も
とよりできるだけは弁解しない訳に行かなかった。
 叔母の云うところによると、宗助の邸宅やしきを売払った時、叔父の手に這入はいった金は、たしかに
は覚えていないが、何でも、宗助のために、急場の間に合せた借財を返した上、なお四千五百円とか四千
三百円とか余ったそうである。ところが叔父の意見によると、あの屋敷は宗助が自分に提供して行ったの
だから、たといいくら余ろうと、余った分は自分の所得と見傚みなして差支さしつかえない。しかし宗助
の邸宅を売って儲もうけたと云われては心持が悪いから、これは小六の名義で保管して置いて、小六の財
産にしてやる。宗助はあんな事をして廃嫡はいちゃくにまでされかかった奴だから、一文いちもんだって
取る権利はない。
「宗さん怒っちゃいけませんよ。ただ叔父さんの云った通りを話すんだから」と叔母が断った。宗助は黙
ってあとを聞いていた。
 小六の名義で保管されべき財産は、不幸にして、叔父の手腕で、すぐ神田の賑にぎやかな表通りの家屋
に変形した。そうして、まだ保険をつけないうちに、火事で焼けてしまった。小六には始めから話してな
い事だから、そのままにして、わざと知らせずにおいた。
114 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:11:54.91 ID:4uTcWgUe
「そう云う訳でね、まことに宗さんにも、御気の毒だけれども、何しろ取って返しのつかない事だから仕
方がない。運だと思って諦あきらめて下さい。もっとも叔父さんさえ生きていれば、またどうともなるん
でしょうさ。小六一人ぐらいそりゃ訳はありますまいよ。よしんば、叔父さんがいなさらない、今にした
って、こっちの都合さえ好ければ、焼けた家うちと同じだけのものを、小六に返すか、それでなくっても
、当人の卒業するまでぐらいは、どうにかして世話もできるんですけれども」と云って叔母はまたほかの
内幕話をして聞かせた。それは安之助の職業についてであった。
 安之助は叔父の一人息子で、この夏大学を出たばかりの青年である。家庭で暖かに育った上に、同級の
学生ぐらいよりほかに交際のない男だから、世の中の事にはむしろ迂濶うかつと云ってもいいが、その迂
濶なところにどこか鷹揚おうような趣おもむきを具そなえて実社会へ顔を出したのである。専門は工科の
器械学だから、企業熱の下火になった今日こんにちといえども、日本中にたくさんある会社に、相応の口
の一つや二つあるのは、もちろんであるが、親譲おやゆずりの山気やまぎがどこかに潜ひそんでいるもの
と見えて、自分で自分の仕事をして見たくてならない矢先へ、同じ科の出身で、小規模ながら専有の工場
こうばを月島辺へんに建てて、独立の経営をやっている先輩に出逢ったのが縁となって、その先輩と相談
の上、自分も幾分かの資本を注つぎ込んで、いっしょに仕事をしてみようという考になった。叔母の内幕
話と云ったのはそこである。
「でね、少しあった株をみんなその方へ廻す事にしたもんだから、今じゃ本当に一文いちもんなし同然な
仕儀しぎでいるんですよ。それは世間から見ると、人数は少なし、家邸いえやしきは持っているし、楽に
見えるのも無理のないところでしょうさ。この間も原の御母おっかさんが来て、まああなたほど気楽な方
はない、いつ来て見ても万年青おもとの葉ばかり丹念に洗っているってね。真逆まさかそうでも無いんで
すけれども」と叔母が云った。
 宗助が叔母の説明を聞いた時は、ぼんやりしてとかくの返事が容易に出なかった。心のなかで、これは
神経衰弱の結果、昔のように機敏で明快な判断を、すぐ作り上げる頭が失なくなった証拠しょうこだろう
と自覚した。叔母は自分の云う通りが、宗助に本当と受けられないのを気にするように、安之助から持ち
出した資本の高まで話した。それは五千円ほどであった。安之助は当分の間、わずかな月給と、この五千
円に対する利益配当とで暮らさなければならないのだそうである。
「その配当だって、まだどうなるか分りゃしないんでさあね。旨うまく行ったところで、一割か一割五分
ぐらいなものでしょうし、また一つ間違えばまるで煙けむにならないとも限らないんですから」と叔母が
つけ加えた。
 宗助は叔母の仕打に、これと云う目立った阿漕あこぎなところも見えないので、心の中うちでは少なか
らず困ったが、小六の将来について一口の掛合かけあいもせずに帰るのはいかにも馬鹿馬鹿しい気がした
。そこで今までの問題はそこに据すえっきりにして置いて、自分が当時小六の学資として叔父に預けて行
った千円の所置を聞き糺ただして見ると、叔母は、
「宗さん、あれこそ本当に小六が使っちまったんですよ。小六が高等学校へ這入はいってからでも、もう
かれこれ七百円は掛かっているんですもの」と答えた。
 宗助はついでだから、それと同時に、叔父に保管を頼んだ書画や骨董品こっとうひんの成行なりゆきを
確かめて見た。すると、叔母は、
「ありあとんだ馬鹿な目に逢って」と云いかけたが、宗助の様子を見て、
「宗さん、何ですか、あの事はまだ御話をしなかったんでしたかね」と聞いた。宗助がいいえと答えると

「おやおや、それじゃ叔父さんが忘れちまったんですよ」と云いながら、その顛末てんまつを語って聞か
した。
 宗助が広島へ帰ると間もなく、叔父はその売捌方うりさばきかたを真田さなだとかいう懇意の男に依頼
した。この男は書画骨董の道に明るいとかいうので、平生そんなものの売買の周旋をして諸方へ出入する
そうであったが、すぐさま叔父の依頼を引き受けて、誰某だれそれがしが何を欲しいと云うから、ちょっ
と拝見とか、何々氏がこう云う物を希望だから、見せましょうとか号ごうして、品物を持って行ったぎり
115 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:12:07.05 ID:4uTcWgUe
、返して来ない。催促すると、まだ先方から戻って参りませんからとか何とか言訳をするだけでかつて埒
らちの明いた試ためしがなかったが、とうとう持ち切れなくなったと見えて、どこかへ姿を隠してしまっ
た。
「でもね、まだ屏風びょうぶが一つ残っていますよ。この間引越の時に、気がついて、こりゃ宗さんのだ
から、今度こんだついでがあったら届けて上げたらいいだろうって、安がそう云っていましたっけ」
 叔母は宗助の預けて行った品物にはまるで重きを置いていないような、ものの云い方をした。宗助も今
日きょうまで放っておくくらいだから、あまりその方面には興味を有もち得なかったので、少しも良心に
悩まされている気色けしきのない叔母の様子を見ても、別に腹は立たなかった。それでも、叔母が、
「宗さん、どうせ家うちじゃ使っていないんだから、なんなら持っておいでなすっちゃどうです。この頃
はああいうものが、大変価ねが出たと云う話じゃありませんか」と云ったときは、実際それを持って帰る
気になった。
 納戸なんどから取り出して貰って、明るい所で眺ながめると、たしかに見覚みおぼえのある二枚折であ
った。下に萩はぎ、桔梗ききょう、芒すすき、葛くず、女郎花おみなえしを隙間すきまなく描かいた上に
、真丸な月を銀で出して、その横の空あいた所へ、野路のじや空月の中なる女郎花、其一きいちと題して
ある。宗助は膝ひざを突いて銀の色の黒く焦こげた辺あたりから、葛の葉の風に裏を返している色の乾い
た様から、大福だいふくほどな大きな丸い朱の輪廓りんかくの中に、抱一ほういつと行書で書いた落款ら
っかんをつくづくと見て、父の生きている当時を憶おもい起さずにはいられなかった。
 父は正月になると、きっとこの屏風びょうぶを薄暗い蔵くらの中から出して、玄関の仕切りに立てて、
その前へ紫檀したんの角かくな名刺入を置いて、年賀を受けたものである。その時はめでたいからと云う
ので、客間の床とこには必ず虎の双幅そうふくを懸かけた。これは岸駒がんくじゃない岸岱がんたいだと
父が宗助に云って聞かせた事があるのを、宗助はいまだに記憶していた。この虎の画えには墨が着いてい
た。虎が舌を出して谷の水を呑のんでいる鼻柱が少し汚けがされたのを、父は苛ひどく気にして、宗助を
見るたびに、御前ここへ墨を塗った事を覚えているか、これは御前の小さい時分の悪戯いたずらだぞと云
って、おかしいような恨うらめしいような一種の表情をした。
 宗助は屏風びょうぶの前に畏かしこまって、自分が東京にいた昔の事を考えながら、
「叔母さん、じゃこの屏風はちょうだいして行きましょう」と云った。
「ああああ、御持ちなさいとも。何なら使に持たせて上げましょう」と叔母は好意から申し添えた。
 宗助は然しかるべく叔母に頼んで、その日はそれで切り上げて帰った。晩食ばんめしの後のち御米とい
っしょにまた縁側へ出て、暗い所で白地の浴衣ゆかたを並べて、涼みながら、画の話をした。
「安さんには、御逢いなさらなかったの」と御米が聞いた。
「ああ、安さんは土曜でも何でも夕方まで、工場にいるんだそうだ」
「随分骨が折れるでしょうね」
 御米はそう云ったなり、叔父や叔母の処置については、一言ひとことの批評も加えなかった。
「小六の事はどうしたものだろう」と宗助が聞くと、
「そうね」と云うだけであった。
「理窟りくつを云えば、こっちにも云い分はあるが、云い出せば、とどのつまりは裁判沙汰になるばかり
だから、証拠しょうこも何もなければ勝てる訳のものじゃなし」と宗助が極端を予想すると、
「裁判なんかに勝たなくたってもいいわ」と御米がすぐ云ったので、宗助は苦笑してやめた。
「つまりおれがあの時東京へ出られなかったからの事さ」
「そうして東京へ出られた時は、もうそんな事はどうでもよかったんですもの」
 夫婦はこんな話をしながら、また細い空を庇ひさしの下から覗のぞいて見て、明日あしたの天気を語り
合って蚊帳かやに這入はいった。
 次の日曜に宗助は小六を呼んで、叔母の云った通りを残らず話して聞かせて、
「叔母さんが御前に詳しい説明をしなかったのは、短兵急な御前の性質を知ってるせいか、それともまだ
小供だと思ってわざと略してしまったのか、そこはおれにも分らないが、何しろ事実は今云った通りなん
116 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:12:18.92 ID:4uTcWgUe
だよ」と教えた。
 小六にはいかに詳しい説明も腹の足しにはならなかった。ただ、
「そうですか」と云ってむずかしい不満な顔をして宗助を見た。
「仕方がないよ。叔母さんだって、安さんだって、そう悪い料簡りょうけんはないんだから」
「そりゃ、分っています」と弟は峻けわしい物の云い方をした。
「じゃおれが悪いって云うんだろう。おれは無論悪いよ。昔から今日こんにちまで悪いところだらけな男
だもの」
 宗助は横になって煙草たばこを吹かしながら、これより以上は何とも語らなかった。小六も黙って、座
敷の隅すみに立ててあった二枚折の抱一の屏風びょうぶを眺ながめていた。
「御前あの屏風を覚えているかい」とやがて兄が聞いた。
「ええ」と小六が答えた。
「一昨日おととい佐伯から届けてくれた。御父さんの持ってたもので、おれの手に残ったのは、今じゃこ
れだけだ。これが御前の学資になるなら、今すぐにでもやるが、剥はげた屏風一枚で大学を卒業する訳に
も行かずな」と宗助が云った。そうして苦笑しながら、
「この暑いのに、こんなものを立てて置くのは、気狂きちがいじみているが、入れておく所がないから、
仕方がない」と云う述懐じゅっかいをした。
 小六はこの気楽なような、ぐずのような、自分とは余りに懸かけ隔へだたっている兄を、いつも物足り
なくは思うものの、いざという場合に、けっして喧嘩けんかはし得なかった。この時も急に癇癪かんしゃ
くの角つのを折られた気味で、
「屏風はどうでも好いが、これから先さき僕はどうしたもんでしょう」と聞き出した。
「それは問題だ。何しろことしいっぱいにきまれば好い事だから、まあよく考えるさ。おれも考えて置こ
う」と宗助が云った。
 弟は彼の性質として、そんな中ぶらりんの姿は嫌きらいである、学校へ出ても落ちついて稽古けいこも
できず、下調も手につかないような境遇は、とうてい自分には堪たえられないと云う訴うったえを切にや
り出したが、宗助の態度は依然として変らなかった。小六があまり癇かんの高い不平を並べると、
「そのくらいな事でそれほど不平が並べられれば、どこへ行ったって大丈夫だ。学校をやめたって、いっ
こう差支さしつかえない。御前の方がおれよりよっぽどえらいよ」と兄が云ったので、話はそれぎり頓挫
とんざして、小六はとうとう本郷へ帰って行った。
 宗助はそれから湯を浴びて、晩食ばんめしを済まして、夜は近所の縁日へ御米といっしょに出掛けた。
そうして手頃な花物を二鉢買って、夫婦して一つずつ持って帰って来た。夜露にあてた方がよかろうと云
うので、崖下がけしたの雨戸を明けて、庭先にそれを二つ並べて置いた。
 蚊帳かやの中へ這入はいった時、御米は、
「小六さんの事はどうなって」と夫に聞くと、
「まだどうもならないさ」と宗助は答えたが、十分ばかりの後のち夫婦ともすやすや寝入ねいった。
 翌日眼が覚めて役所の生活が始まると、宗助はもう小六の事を考える暇を有もたなかった。家うちへ帰
って、のっそりしている時ですら、この問題を確的はっきり眼の前に描えがいて明らかにそれを眺ながめ
る事を憚はばかった。髪の毛の中に包んである彼の脳は、その煩わずらわしさに堪たえなかった。昔は数
学が好きで、随分込み入った幾何きかの問題を、頭の中で明暸めいりょうな図にして見るだけの根気があ
った事を憶おもい出すと、時日の割には非常に烈はげしく来たこの変化が自分にも恐ろしく映った。
 それでも日に一度ぐらいは小六の姿がぼんやり頭の奥に浮いて来る事があって、その時だけは、あいつ
の将来も何とか考えておかなくっちゃならないと云う気も起った。しかしすぐあとから、まあ急ぐにも及
ぶまいぐらいに、自分と打ち消してしまうのが常であった。そうして、胸の筋きんが一本鉤かぎに引っ掛
ったような心を抱いだいて、日を暮らしていた。
 そのうち九月も末になって、毎晩天あまの河がわが濃く見えるある宵よいの事、空から降ったように安
之助がやって来た。宗助にも御米にも思い掛けないほど稀たまな客なので、二人とも何か用があっての訪
117 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:12:30.92 ID:4uTcWgUe
問だろうと推すいしたが、はたして小六に関する件であった。
 この間月島の工場へひょっくり小六がやって来て云うには、自分の学資についての詳しい話は兄から聞
いたが、自分も今まで学問をやって来て、とうとう大学へ這入はいれずじまいになるのはいかにも残念だ
から、借金でも何でもして、行けるところまで行きたいが、何か好い工夫はあるまいかと相談をかけるの
で、安之助はよく宗さんにも話して見ようと答えると、小六はたちまちそれを遮さえぎって、兄はとうて
い相談になってくれる人じゃない。自分が大学を卒業しないから、他ひとも中途でやめるのは当然だぐら
いに考えている。元来今度の事も元を糺ただせば兄が責任者であるのに、あの通りいっこう平気なもので
、他が何を云っても取り合ってくれない。だから、ただ頼りにするのは君だけだ。叔母さんに正式に断わ
られながら、また君に依頼するのはおかしいようだが、君の方が叔母さんより話が分るだろうと思って来
たと云って、なかなか動きそうもなかったそうである。
 安之助は、そんな事はない、宗さんも君の事ではだいぶ心配して、近いうちまた家うちへ相談に来るは
ずになっているんだからと慰めて、小六を帰したんだと云う。帰るときに、小六は袂たもとから半紙を何
枚も出して、欠席届が入用にゅうようだからこれに判を押してくれと請求して、僕は退学か在学か片がつ
くまでは勉強ができないから、毎日学校へ出る必要はないんだと云ったそうである。
 安之助は忙がしいとかで、一時間足らず話して帰って行ったが、小六の所置については、両人の間に具
体的の案は別に出なかった。いずれ緩ゆっくりみんなで寄ってきめよう、都合がよければ小六も列席する
が好かろうというのが別れる時の言葉であった。二人になったとき、御米は宗助に、
「何を考えていらっしゃるの」と聞いた。宗助は両手を兵児帯へこおびの間に挟はさんで、心持肩を高く
したなり、
「おれももう一返小六みたようになって見たい」と云った。「こっちじゃ、向むこうがおれのような運命
に陥おちいるだろうと思って心配しているのに、向じゃ兄貴なんざあ眼中にないから偉いや」
 御米は茶器を引いて台所へ出た。夫婦はそれぎり話を切り上げて、また床とこを延べて寝ねた。夢の上
に高い銀河あまのがわが涼しく懸かかった。
 次の週間には、小六も来ず、佐伯からの音信たよりもなく、宗助の家庭はまた平日の無事に帰った。夫
婦は毎朝露に光る頃起きて、美しい日を廂ひさしの上に見た。夜は煤竹すすだけの台を着けた洋灯ランプ
の両側に、長い影を描えがいて坐っていた。話が途切れた時はひそりとして、柱時計の振子の音だけが聞
える事も稀まれではなかった。
 それでも夫婦はこの間に小六の事を相談した。小六がもしどうしても学問を続ける気なら無論の事、そ
うでなくても、今の下宿を一時引き上げなければならなくなるのは知れているが、そうすればまた佐伯へ
帰るか、あるいは宗助の所へ置くよりほかに途みちはない。佐伯ではいったんああ云い出したようなもの
の、頼んで見たら、当分宅うちへ置くぐらいの事は、好意上してくれまいものでもない。が、その上修業
をさせるとなると、月謝小遣その他は宗助の方で担任たんにんしなければ義理が悪い。ところがそれは家
計上宗助の堪たえるところでなかった。月々の収支を事細かに計算して見た両人ふたりは、
「とうてい駄目だね」
「どうしたって無理ですわ」と云った。
 夫婦の坐すわっている茶の間の次が台所で、台所の右に下女部屋、左に六畳が一間ひとまある。下女を
入れて三人の小人数こにんずだから、この六畳には余り必要を感じない御米は、東向の窓側にいつも自分
の鏡台を置いた。宗助も朝起きて顔を洗って、飯を済ますと、ここへ来て着物を脱ぬぎ更かえた。
「それよりか、あの六畳を空あけて、あすこへ来ちゃいけなくって」と御米が云い出した。御米の考えで
は、こうして自分の方で部屋と食物だけを分担して、あとのところを月々いくらか佐伯から助すけて貰も
らったら、小六の望み通り大学卒業までやって行かれようと云うのである。
「着物は安さんの古いのや、あなたのを直して上げたら、どうかなるでしょう」と御米が云い添えた。実
は宗助にもこんな考が、多少頭に浮かんでいた。ただ御米に遠慮がある上に、それほど気が進まなかった
ので、つい口へ出さなかったまでだから、細君からこう反対あべこべに相談を掛けられて見ると、固もと
よりそれを拒こばむだけの勇気はなかった。
118 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:12:42.94 ID:4uTcWgUe
 小六にその通りを通知して、御前さえそれで差支さしつかえなければ、おれがもう一遍佐伯へ行って掛
合って見るがと、手紙で問い合せると、小六は郵便の着いた晩、すぐ雨の降る中を、傘からかさに音を立
ててやって来て、もう学資ができでもしたように嬉うれしがった。
「何、叔母さんの方じゃ、こっちでいつまでもあなたの事を放り出したまんま、構わずにおくもんだから
、それでああおっしゃるのよ。なに兄さんだって、もう少し都合が好ければ、疾とうにもどうにかしたん
ですけれども、御存じの通りだから実際やむを得なかったんですわ。しかしこっちからこう云って行けば
、叔母さんだって、安さんだって、それでも否いやだとは云われないわ。きっとできるから安心していら
っしゃい。私わたし受合うわ」
 御米にこう受合って貰った小六は、また雨の音を頭の上に受けて本郷へ帰って行った。しかし中一日置
いて、兄さんはまだ行かないんですかと聞きに来た。また三日ばかり過ぎてから、今度は叔母さんの所へ
行って聞いたら、兄さんはまだ来ないそうだから、なるべく早く行くように勧すすめてくれと催促して行
った。
 宗助が行く行くと云って、日を暮らしているうちに世の中はようやく秋になった。その朗らかな或日曜
の午後に、宗助はあまり佐伯へ行くのが後おくれるので、この要件を手紙に認したためて番町へ相談した
のである。すると、叔母から安之助は神戸へ行って留守だと云う返事が来たのである。



 佐伯さえきの叔母の尋ねて来たのは、土曜の午後の二時過であった。その日は例になく朝から雲が出て
、突然と風が北に変ったように寒かった。叔母は竹で編んだ丸い火桶ひおけの上へ手を翳かざして、
「何ですね、御米およねさん。この御部屋は夏は涼しそうで結構だが、これからはちと寒うござんすね」
と云った。叔母は癖のある髪を、奇麗きれいに髷まげに結いって、古風な丸打の羽織の紐ひもを、胸の所
で結んでいた。酒の好きな質たちで、今でも少しずつは晩酌をやるせいか、色沢いろつやもよく、でっぷ
り肥ふとっているから、年よりはよほど若く見える。御米は叔母が来るたんびに、叔母さんは若いのねと
、後あとでよく宗助そうすけに話した。すると宗助がいつでも、若いはずだ、あの年になるまで、子供を
たった一人しか生まないんだからと説明した。御米は実際そうかも知れないと思った。そうしてこう云わ
れた後では、折々そっと六畳へ這入はいって、自分の顔を鏡に映して見た。その時は何だか自分の頬ほお
が見るたびに瘠こけて行くような気がした。御米には自分と子供とを連想して考えるほど辛つらい事はな
かったのである。裏の家主の宅うちに、小さい子供が大勢いて、それが崖がけの上の庭へ出て、ブランコ
へ乗ったり、鬼ごっこをやったりして騒ぐ声が、よく聞えると、御米はいつでも、はかないような恨うら
めしいような心持になった。今自分の前に坐っている叔母は、たった一人の男の子を生んで、その男の子
が順当に育って、立派な学士になったればこそ、叔父が死んだ今日こんにちでも、何不足のない顔をして
、腮あごなどは二重ふたえに見えるくらいに豊ゆたかなのである。御母さんは肥っているから剣呑けんの
んだ、気をつけないと卒中でやられるかも知れないと、安之助やすのすけが始終しじゅう心配するそうだ
けれども、御米から云わせると、心配する安之助も、心配される叔母も、共に幸福を享うけ合っているも
のとしか思われなかった。
「安さんは」と御米が聞いた。
「ええようやくね、あなた。一昨日おとといの晩帰りましてね。それでついつい御返事も後おくれちまっ
て、まことに済みませんような訳で」と云ったが、返事の方はそれなりにして、話はまた安之助へ戻って
来た。
「あれもね、御蔭おかげさまでようやく学校だけは卒業しましたが、これからが大事のところで、心配で
ございます。――それでもこの九月から、月島の工場の方へ出る事になりまして、まあさいわいとこの分
で勉強さえして行ってくれれば、この末ともに、そう悪い事も無かろうかと思ってるんですけれども、ま
あ若いものの事ですから、これから先どう変化へんげるか分りゃしませんよ」
 御米はただ結構でございますとか、おめでとうございますとか云う言葉を、間々あいだあいだに挟はさ
119 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:12:54.96 ID:4uTcWgUe
んでいた。
「神戸へ参ったのも、全くその方の用向なので。石油発動機とか何とか云うものを鰹船かつおぶねへ据す
え付けるんだとかってねあなた」
 御米にはまるで意味が分らなかった。分らないながらただへええと受けていると、叔母はすぐ後あとを
話した。
「私にも何のこったか、ちっとも分らなかったんですが、安之助の講釈を聞いて始めて、おやそうかいと
云うような訳でしてね。――もっとも石油発動機は今もって分らないんですけれども」と云いながら、大
きな声を出して笑った。「何でも石油を焚たいて、それで船を自由にする器械なんだそうですが、聞いて
見るとよほど重宝なものらしいんですよ。それさえ付ければ、舟を漕こぐ手間てまがまるで省けるとかで
ね。五里も十里も沖へ出るのに、大変楽なんですとさ。ところがあなた、この日本全国で鰹船の数ったら
、それこそ大したものでしょう。その鰹船が一つずつこの器械を具そなえ付けるようになったら、莫大ば
くだいな利益だって云うんで、この頃は夢中になってその方ばっかりに掛かかっているようですよ。莫大
な利益はありがたいが、そう凝こって身体からだでも悪くしちゃつまらないじゃないかって、この間も笑
ったくらいで」
 叔母はしきりに鰹船と安之助の話をした。そうして大変得意のように見えたが、小六の事はなかなか云
い出さなかった。もう疾とうに帰るはずの宗助もどうしたか帰って来なかった。
 彼はその日役所の帰りがけに駿河台下するがだいしたまで来て、電車を下りて、酸すいものを頬張ほお
ばったような口を穿すぼめて一二町歩いた後のち、ある歯医者の門かどを潜くぐったのである。三四日前
彼は御米と差向いで、夕飯の膳ぜんに着いて、話しながら箸はしを取っている際に、どうした拍子か、前
歯を逆にぎりりと噛かんでから、それが急に痛み出した。指で揺うごかすと、根がぐらぐらする。食事の
時には湯茶が染しみる。口を開けて息をすると風も染みた。宗助はこの朝歯を磨みがくために、わざと痛
い所を避よけて楊枝ようじを使いながら、口の中を鏡に照らして見たら、広島で銀を埋うめた二枚の奥歯
と、研といだように磨すり減らした不揃ぶそろの前歯とが、にわかに寒く光った。洋服に着換える時、
「御米、おれは歯の性しょうがよっぽど悪いと見えるね。こうやると大抵動くぜ」と下歯を指で動かして
見せた。御米は笑いながら、
「もう御年のせいよ」と云って白い襟えりを後へ廻って襯衣シャツへ着けた。
 宗助はその日の午後とうとう思い切って、歯医者へ寄ったのである。応接間へ通ると、大きな洋卓テー
ブルの周囲まわりに天鵞絨びろうどで張った腰掛が并ならんでいて、待ち合している三四人が、うずくま
るように腮あごを襟えりに埋うずめていた。それが皆女であった。奇麗きれいな茶色の瓦斯暖炉ガススト
ーヴには火がまだ焚たいてなかった。宗助は大きな姿見に映る白壁の色を斜ななめに見て、番の来るのを
待っていたが、あまり退屈になったので、洋卓の上に重ねてあった雑誌に眼を着けた。一二冊手に取って
見ると、いずれも婦人用のものであった。宗助はその口絵に出ている女の写真を、何枚も繰り返して眺な
がめた。それから「成功」と云う雑誌を取り上げた。その初めに、成効の秘訣ひけつというようなものが
箇条書にしてあったうちに、何でも猛進しなくってはいけないと云う一カ条と、ただ猛進してもいけない
、立派な根底の上に立って、猛進しなくってはならないと云う一カ条を読んで、それなり雑誌を伏せた。
「成功」と宗助は非常に縁の遠いものであった。宗助はこういう名の雑誌があると云う事さえ、今日こん
にちまで知らなかった。それでまた珍らしくなって、いったん伏せたのをまた開けて見ると、ふと仮名か
なの交らない四角な字が二行ほど並んでいた。それには風かぜ碧落へきらくを吹ふいて浮雲ふうん尽つき
、月つき東山とうざんに上のぼって玉ぎょく一団いちだんとあった。宗助は詩とか歌とかいうものには、
元から余り興味を持たない男であったが、どう云う訳かこの二句を読んだ時に大変感心した。対句ついく
が旨うまくできたとか何とか云う意味ではなくって、こんな景色けしきと同じような心持になれたら、人
間もさぞ嬉うれしかろうと、ひょっと心が動いたのである。宗助は好奇心からこの句の前に付いている論
文を読んで見た。しかしそれはまるで無関係のように思われた。ただこの二句が雑誌を置いた後あとでも
、しきりに彼の頭の中を徘徊はいかいした。彼の生活は実際この四五年来こういう景色に出逢った事がな
かったのである。
120 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:13:07.11 ID:4uTcWgUe
 その時向うの戸が開あいて、紙片かみぎれを持った書生が野中さんと宗助を手術室へ呼び入れた。
 中へ這入はいると、そこは応接間よりは倍も広かった。光線がなるべく余計取れるように明るく拵こし
らえた部屋の二側ふたがわに、手術用の椅子いすを四台ほど据すえて、白い胸掛をかけた受持の男が、一
人ずつ別々に療治をしていた。宗助は一番奥の方にある一脚に案内されて、これへと云われるので、踏段
のようなものの上へ乗って、椅子へ腰をおろした。書生が厚い縞入しまいりの前掛で丁寧ていねいに膝ひ
ざから下を包くるんでくれた。
 こう穏おだやかに寝ねかされた時、宗助は例の歯がさほど苦になるほど痛んでいないと云う事を発見し
た。そればかりか、肩も背せなも、腰の周まわりも、心安く落ちついて、いかにも楽に調子が取れている
事に気がついた。彼はただ仰向あおむいて天井てんじょうから下っている瓦斯管ガスかんを眺めた。そう
してこの構かまえと設備では、帰りがけに思ったより高い療治代を取られるかも知れないと気遣きづかっ
た。
 ところへ顔の割に頭の薄くなり過ぎた肥ふとった男が出て来て、大変丁寧ていねいに挨拶あいさつをし
たので、宗助は少し椅子の上で狼狽あわてたように首を動かした。肥った男は一応容体を聞いて、口中を
検査して、宗助の痛いと云う歯をちょっと揺ゆすって見たが、
「どうもこう弛ゆるみますと、とても元のように緊しまる訳には参りますまいと思いますが。何しろ中が
エソになっておりますから」と云った。
 宗助はこの宣告を淋さびしい秋の光のように感じた。もうそんな年なんでしょうかと聞いて見たくなっ
たが、少しきまりが悪いので、ただ、
「じゃ癒なおらないんですか」と念を押した。
 肥ふとった男は笑いながらこう云った。――
「まあ癒らないと申し上げるよりほかに仕方がござんせんな。やむを得なければ、思い切って抜いてしま
うんですが、今のところでは、まだそれほどでもございますまいから、ただ御痛みだけを留めておきまし
ょう。何しろエソ――エソと申しても御分りにならないかも知れませんが、中がまるで腐っております」
 宗助は、そうですかと云って、ただ肥った男のなすがままにしておいた。すると彼は器械をぐるぐる廻
して、宗助の歯の根へ穴を開け始めた。そうしてその中へ細長い針のようなものを刺し通しては、その先
を嗅かいでいたが、しまいに糸ほどな筋を引き出して、神経がこれだけ取れましたと云いながら、それを
宗助に見せてくれた。それから薬でその穴を埋うめて、明日みょうにちまたいらっしゃいと注意を与えた

 椅子いすを下りるとき、身体からだが真直まっすぐになったので、視線の位置が天井からふと庭先に移
ったら、そこにあった高さ五尺もあろうと云う大きな鉢栽はちうえの松が宗助の眼に這入はいった。その
根方の所を、草鞋わらじがけの植木屋が丁寧ていねいに薦こもで包くるんでいた。だんだん露が凝こって
霜しもになる時節なので、余裕よゆうのあるものは、もう今時分から手廻しをするのだと気がついた。
 帰りがけに玄関脇の薬局で、粉薬こぐすりのまま含嗽剤がんそうざいを受取って、それを百倍の微温湯
びおんとうに溶解して、一日十数回使用すべき注意を受けた時、宗助は会計の請求した治療代の案外廉れ
んなのを喜んだ。これならば向うで云う通り四五回通かよったところが、さして困難でもないと思って、
靴を穿はこうとすると、今度は靴の底がいつの間にか破れている事に気がついた。
 宅うちへ着いた時は一足違ひとあしちがいで叔母がもう帰ったあとであった。宗助は、
「おお、そうだったか」と云いながら、はなはだ面倒そうに洋服を脱ぎ更かえて、いつもの通り火鉢ひば
ちの前に坐った。御米は襯衣シャツや洋袴ズボンや靴足袋くつたびを一抱ひとかかえにして六畳へ這入は
いった。宗助はぼんやりして、煙草たばこを吹かし始めたが、向うの部屋で、刷毛ブラッシを掛ける音が
し出した時、
「御米、佐伯の叔母さんは何とか云って来たのかい」と聞いた。
 歯痛しつうが自おのずから治おさまったので、秋に襲おそわれるような寒い気分は、少し軽くなったけ
れども、やがて御米が隠袋ポッケットから取り出して来た粉薬を、温ぬるま湯に溶といて貰もらって、し
きりに含嗽うがいを始めた。その時彼は縁側えんがわへ立ったまま、
121 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:13:18.98 ID:4uTcWgUe
「どうも日が短かくなったなあ」と云った。
 やがて日が暮れた。昼間からあまり車の音を聞かない町内は、宵よいの口くちから寂しんとしていた。
夫婦は例の通り洋灯ランプの下もとに寄った。広い世の中で、自分達の坐っている所だけが明るく思われ
た。そうしてこの明るい灯影に、宗助は御米だけを、御米は宗助だけを意識して、洋灯の力の届かない暗
い社会は忘れていた。彼らは毎晩こう暮らして行く裡うちに、自分達の生命を見出していたのである。
 この静かな夫婦は、安之助の神戸から土産みやげに買って来たと云う養老昆布ようろうこぶの缶かんを
がらがら振って、中から山椒さんしょ入いりの小さく結んだ奴を撰より出しながら、緩ゆっくり佐伯から
の返事を語り合った。
「しかし月謝と小遣こづかいぐらいは都合してやってくれても好さそうなもんじゃないか」
「それができないんだって。どう見積っても両方寄せると、十円にはなる。十円と云う纏まとまった御金
を、今のところ月々出すのは骨が折れるって云うのよ」
「それじゃことしの暮まで二十何円ずつか出してやるのも無理じゃないか」
「だから、無理をしても、もう一二カ月のところだけは間に合せるから、そのうちにどうかして下さいと
、安さんがそう云うんだって」
「実際できないのかな」
「そりゃ私わたしには分らないわ。何しろ叔母さんが、そう云うのよ」
「鰹舟かつおぶねで儲もうけたら、そのくらい訳なさそうなもんじゃないか」
「本当ね」
 御米は低い声で笑った。宗助もちょっと口の端はたを動かしたが、話はそれで途切とぎれてしまった。
しばらくしてから、
「何しろ小六は家うちへ来るときめるよりほかに道はあるまいよ。後あとはその上の事だ。今じゃ学校へ
は出ているんだね」と宗助が云った。
「そうでしょう」と御米が答えるのを聞き流して、彼は珍らしく書斎に這入はいった。一時間ほどして、
御米がそっと襖ふすまを開あけて覗のぞいて見ると、机に向って、何か読んでいた。
「勉強? もう御休みなさらなくって」と誘われた時、彼は振り返って、
「うん、もう寝よう」と答えながら立ち上った。
 寝る時、着物を脱いで、寝巻の上に、絞しぼりの兵児帯へこおびをぐるぐる巻きつけながら、
「今夜は久し振に論語を読んだ」と云った。
「論語に何かあって」と御米が聞き返したら、宗助は、
「いや何にもない」と答えた。それから、「おい、おれの歯はやっぱり年のせいだとさ。ぐらぐらするの
はとても癒なおらないそうだ」と云いつつ、黒い頭を枕の上に着けた。



 小六ころくはともかくも都合しだい下宿を引き払って兄の家へ移る事に相談が調ととのった。御米およ
ねは六畳に置きつけた桑くわの鏡台を眺ながめて、ちょっと残り惜しい顔をしたが、
「こうなると少し遣場やりばに困るのね」と訴えるように宗助そうすけに告げた。実際ここを取り上げら
れては、御米の御化粧おつくりをする場所が無くなってしまうのである。宗助は何の工夫もつかずに、立
ちながら、向うの窓側まどぎわに据すえてある鏡の裏を斜はすに眺ながめた。すると角度の具合で、そこ
に御米の襟元えりもとから片頬が映っていた。それがいかにも血色のわるい横顔なのに驚ろかされて、
「御前おまい、どうかしたのかい。大変色が悪いよ」と云いながら、鏡から眼を放して、実際の御米の姿
を見た。鬢びんが乱れて、襟の後うしろの辺あたりが垢あかで少し汚よごれていた。御米はただ、
「寒いせいなんでしょう」と答えて、すぐ西側に付いている。一間いっけんの戸棚とだなを明けた。下に
は古い創きずだらけの箪笥たんすがあって、上には支那鞄しなかばんと柳行李やなぎごりが二つ三つ載の
っていた。
122 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:13:30.99 ID:4uTcWgUe
「こんなもの、どうしたって片づけようがないわね」
「だからそのままにしておくさ」
 小六のここへ引移って来るのは、こう云う点から見て、夫婦のいずれにも、多少迷惑であった。だから
来ると云って約束しておきながら、今だに来ない小六に対しては、別段の催促もしなかった。一日延びれ
ば延びただけ窮屈が逃げたような気がどこかでした。小六にもちょうどそれと同じ憚はばかりがあったの
で、いられる限かぎりは下宿にいる方が便利だと胸をきめたものか、つい一日一日と引越を前さきへ送っ
ていた。その癖くせ彼の性質として、兄夫婦のごとく、荏苒じんぜんの境に落ちついてはいられなかった
のである。
 そのうち薄い霜しもが降おりて、裏の芭蕉ばしょうを見事に摧くだいた。朝は崖上がけうえの家主やぬ
しの庭の方で、鵯ひよどりが鋭どい声を立てた。夕方には表を急ぐ豆腐屋の喇叭らっぱに交って、円明寺
の木魚の音が聞えた。日はますます短かくなった。そうして御米の顔色は、宗助が鏡の中に認めた時より
も、爽さやかにはならなかった。夫おっとが役所から帰って来て見ると、六畳で寝ている事が一二度あっ
た。どうかしたかと尋ねると、ただ少し心持が悪いと答えるだけであった。医者に見て貰えと勧めると、
それには及ばないと云って取り合わなかった。
 宗助は心配した。役所へ出ていてもよく御米の事が気にかかって、用の邪魔になるのを意識する時もあ
った。ところがある日帰りがけに突然電車の中で膝ひざを拍うった。その日は例になく元気よく格子こう
しを明けて、すぐと勢いきおいよく今日はどうだいと御米に聞いた。御米がいつもの通り服や靴足袋くつ
たびを一纏ひとまとめにして、六畳へ這入はいる後あとから追ついて来て、
「御米、御前おまい子供ができたんじゃないか」と笑いながら云った。御米は返事もせずに俯向うつむい
てしきりに夫の背広せびろの埃ほこりを払った。刷毛ブラッシの音がやんでもなかなか六畳から出て来な
いので、また行って見ると、薄暗い部屋の中で、御米はたった一人寒そうに、鏡台の前に坐すわっていた
。はいと云って立ったが、その声が泣いた後の声のようであった。
 その晩夫婦は火鉢ひばちに掛けた鉄瓶てつびんを、双方から手で掩おおうようにして差し向った。
「どうですな世の中は」と宗助が例にない浮いた調子を出した。御米の頭の中には、夫婦にならない前の
、宗助と自分の姿が奇麗きれいに浮んだ。
「ちっと、面白くしようじゃないか。この頃ごろはいかにも不景気だよ」と宗助がまた云った。二人はそ
れから今度の日曜にはいっしょにどこへ行こうか、ここへ行こうかと、しばらくそればかり話し合ってい
た。それから二人の春着の事が題目になった。宗助の同僚の高木とか云う男が、細君に小袖こそでとかを
強請ねだられた時、おれは細君の虚栄心を満足させるために稼かせいでるんじゃないと云って跳はねつけ
たら、細君がそりゃ非道ひどい、実際寒くなっても着て出るものがないんだと弁解するので、寒ければや
むを得ない、夜具を着るとか、毛布けっとを被かぶるとかして、当分我慢しろと云った話を、宗助はおか
しく繰り返して御米を笑わした。御米は夫のこの様子を見て、昔がまた眼の前に戻ったような気がした。
「高木の細君は夜具でも構わないが、おれは一つ新らしい外套マントを拵こしらえたいな。この間歯医者
へ行ったら、植木屋が薦こもで盆栽ぼんさいの松の根を包んでいたので、つくづくそう思った」
「外套が欲しいって」
「ああ」
 御米は夫の顔を見て、さも気の毒だと云う風に、
「御拵おこしらえなさいな。月賦で」と云った。宗助は、
「まあ止そうよ」と急に侘わびしく答えた。そうして「時に小六はいつから来る気なんだろう」と聞いた

「来るのは厭なんでしょう」と御米が答えた。御米には、自分が始めから小六に嫌きらわれていると云う
自覚があった。それでも夫の弟だと思うので、なるべくは反そりを合せて、少しでも近づけるように近づ
けるようにと、今日こんにちまで仕向けて来た。そのためか、今では以前と違って、まあ普通の小舅こじ
ゅうとぐらいの親しみはあると信じているようなものの、こんな場合になると、つい実際以上にも気を回
して、自分だけが小六の来ない唯一ゆいいつの原因のように考えられるのであった。
123 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:13:43.01 ID:4uTcWgUe
「そりゃ下宿からこんな所へ移るのは好かあないだろうよ。ちょうどこっちが迷惑を感ずる通り、向うで
も窮屈を感ずる訳だから。おれだって、小六が来ないとすれば、今のうち思い切って外套マントを作るだ
けの勇気があるんだけれども」
 宗助は男だけに思い切ってこう云ってしまった。けれどもこれだけでは御米の心を尽していなかった。
御米は返事もせずに、しばらく黙っていたが、細い腮あごを襟えりの中へ埋うめたまま、上眼うわめを使
って、
「小六さんは、まだ私の事を悪にくんでいらっしゃるでしょうか」と聞き出した。宗助が東京へ来た当座
は、時々これに類似の質問を御米から受けて、その都度つど慰めるのにだいぶ骨の折れた事もあったが、
近来は全く忘れたように何も云わなくなったので、宗助もつい気に留めなかったのである。
「またヒステリーが始まったね。好いじゃないか小六なんぞが、どう思ったって。おれさえついてれば」
「論語にそう書いてあって」
 御米はこんな時に、こういう冗談じょうだんを云う女であった。宗助は
「うん、書いてある」と答えた。それで二人の会話がしまいになった。
 翌日宗助が眼を覚さますと、亜鉛張トタンばりの庇ひさしの上で寒い音がした。御米が襷掛たすきがけ
のまま枕元へ来て、
「さあ、もう時間よ」と注意したとき、彼はこの点滴てんてきの音を聞きながら、もう少し暖かい蒲団ふ
とんの中に温ぬくもっていたかった。けれども血色のよくない御米の、かいがいしい姿を見るや否いなや

「おい」と云って直すぐ起き上った。
 外は濃い雨に鎖とざされていた。崖がけの上の孟宗竹もうそうちくが時々鬣たてがみを振ふるうように
、雨を吹いて動いた。この侘わびしい空の下へ濡ぬれに出る宗助に取って、力になるものは、暖かい味噌
汁みそしると暖かい飯よりほかになかった。
「また靴の中が濡ぬれる。どうしても二足持っていないと困る」と云って、底に小さい穴のあるのを仕方
なしに穿はいて、洋袴ズボンの裾すそを一寸いっすんばかりまくり上げた。
 午過ひるすぎに帰って来て見ると、御米は金盥かなだらいの中に雑巾ぞうきんを浸つけて、六畳の鏡台
の傍そばに置いていた。その上の所だけ天井てんじょうの色が変って、時々雫しずくが落ちて来た。
「靴ばかりじゃない。家うちの中まで濡ぬれるんだね」と云って宗助は苦笑した。御米はその晩夫のため
に置炬燵おきごたつへ火を入れて、スコッチの靴下と縞羅紗しまらしゃの洋袴ズボンを乾かした。
 明あくる日もまた同じように雨が降った。夫婦もまた同じように同じ事を繰り返した。その明る日もま
だ晴れなかった。三日目の朝になって、宗助は眉まゆを縮めて舌打をした。
「いつまで降る気なんだ。靴がじめじめして我慢にも穿はけやしない」
「六畳だって困るわ、ああ漏もっちゃ」
 夫婦は相談して、雨が晴れしだい、家根を繕つくろって貰うように家主やぬしへ掛け合う事にした。け
れども靴の方は何ともしようがなかった。宗助はきしんで這入はいらないのを無理に穿はいて出て行った

 幸さいわいにその日は十一時頃からからりと晴れて、垣に雀すずめの鳴く小春日和こはるびよりになっ
た。宗助が帰った時、御米は例いつもより冴さえ冴ざえしい顔色をして、
「あなた、あの屏風びょうぶを売っちゃいけなくって」と突然聞いた。抱一ほういつの屏風はせんだって
佐伯さえきから受取ったまま、元の通り書斎の隅に立ててあったのである。二枚折だけれども、座敷の位
置と広さから云っても、実はむしろ邪魔な装飾であった。南へ廻すと、玄関からの入口を半分塞ふさいで
しまうし、東へ出すと暗くなる、と云って、残る一方へ立てれば床の間を隠すので、宗助は、
「せっかく親爺おやじの記念かたみだと思って、取って来たようなものの、しようがないねこれじゃ、場
塞ばふさげで」と零こぼした事も一二度あった。その都度つど御米は真丸な縁ふちの焼けた銀の月と、絹
地からほとんど区別できないような穂芒ほすすきの色を眺ながめて、こんなものを珍重する人の気が知れ
ないと云うような見えをした。けれども、夫を憚はばかって、明白あからさまには何とも云い出さなかっ
124 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:13:55.01 ID:4uTcWgUe
た。ただ一返いっぺん
「これでもいい絵なんでしょうかね」と聞いた事があった。その時宗助は始めて抱一の名を御米に説明し
て聞かした。しかしそれは自分が昔むかし父から聞いた覚おぼえのある、朧気おぼろげな記憶を好加減い
いかげんに繰り返すに過ぎなかった。実際の画えの価値や、また抱一についての詳しい歴史などに至ると
宗助にもその実じつはなはだ覚束おぼつかなかったのである。
 ところがそれが偶然御米のために妙な行為の動機を構成かたちづくる原因となった。過去一週間夫と自
分の間に起った会話に、ふとこの知識を結びつけて考え得た彼女はちょっと微笑ほほえんだ。この日雨が
上って、日脚ひあしがさっと茶の間の障子しょうじに射した時、御米は不断着の上へ、妙な色の肩掛とも
、襟巻えりまきともつかない織物を纏まとって外へ出た。通りを二丁目ほど来て、それを電車の方角へ曲
って真直まっすぐに来ると、乾物かんぶつ屋と麺麭パン屋の間に、古道具を売っているかなり大きな店が
あった。御米はかつてそこで足の畳み込める食卓を買った記憶がある。今火鉢ひばちに掛けてある鉄瓶て
つびんも、宗助がここから提さげて帰ったものである。
 御米は手を袖そでにして道具屋の前に立ち留まった。見ると相変らず新らしい鉄瓶がたくさん並べてあ
った。そのほかには時節柄とでも云うのか火鉢ひばちが一番多く眼に着いた。しかし骨董こっとうと名の
つくほどのものは、一つもないようであった。ひとり何とも知れぬ大きな亀の甲こうが、真向まむこうに
釣るしてあって、その下から長い黄ばんだ払子ほっすが尻尾しっぽのように出ていた。それから紫檀した
んの茶棚ちゃだなが一つ二つ飾ってあったが、いずれも狂くるいの出そうな生なまなものばかりであった
。しかし御米にはそんな区別はいっこう映らなかった。ただ掛物も屏風びょうぶも一つも見当らない事だ
け確かめて、中へ這入はいった。
 御米は無論夫が佐伯から受取った屏風びょうぶを、いくらかに売り払うつもりでわざわざここまで足を
運んだのであるが、広島以来こう云う事にだいぶ経験を積んだ御蔭おかげで、普通の細君のような努力も
苦痛も感ぜずに、思い切って亭主と口を利きく事ができた。亭主は五十恰好かっこうの色の黒い頬の瘠こ
けた男で、鼈甲べっこうの縁ふちを取った馬鹿に大きな眼鏡めがねを掛けて、新聞を読みながら、疣いぼ
だらけの唐金からかねの火鉢に手を翳かざしていた。
「そうですな、拝見に出てもようがす」と軽く受合ったが、別に気の乗った様子もないので、御米は腹の
中で少し失望した。しかし自分からがすでに大した望を抱いだいて出て来た訳でもないので、こう簡易に
受けられると、こっちから頼むようにしても、見て貰わなければならなかった。
「ようがす。じゃのちほど伺いましょう。今小僧がちょっと出ておりませんからな」
 御米はこの存在ぞんざいな言葉を聞いてそのまま宅うちへ帰ったが、心の中では、はたして道具屋が来
るか来ないかはなはだ疑わしく思った。一人でいつものように簡単な食事を済まして、清きよに膳を下げ
さしていると、いきなり御免下さいと云って、大きな声を出して道具屋が玄関からやって来た。座敷へ上
げて、例の屏風を見せると、なるほどと云って裏だの縁だのを撫なでていたが、
「御払おはらいになるなら」と少し考えて、「六円に頂いておきましょう」と否々いやいやそうに価ねを
付けた。御米には道具屋の付けた相場が至当のように思われた。けれども一応宗助に話してからでなくっ
ては、余り専断過ぎると心づいた上、品物の歴史が歴史だけに、なおさら遠慮して、いずれ帰ったらよく
相談して見た上でと答えたまま、道具屋を帰そうとした。道具屋は出掛に、
「じゃ、奥さんせっかくだから、もう一円奮発しましょう。それで御払い下さい」と云った。御米はその
時思い切って、
「でも、道具屋さん、ありゃ抱一ほういつですよ」と答えて、腹の中ではひやりとした。道具屋は、平気
で、
「抱一は近来流行はやりませんからな」と受け流したが、じろじろ御米の姿を眺ながめた上、
「じゃなおよく御相談なすって」と云い捨てて帰って行った。
 御米はその時の模様を詳しく話した後あとで、
「売っちゃいけなくって」とまた無邪気に聞いた。
 宗助の頭の中には、この間から物質上の欲求が、絶えず動いていた。ただ地味な生活をしなれた結果と
125 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:14:07.05 ID:4uTcWgUe
して、足らぬ家計くらしを足ると諦あきらめる癖がついているので、毎月きまって這入はいるもののほか
には、臨時に不意の工面くめんをしてまで、少しでも常以上に寛くつろいでみようと云う働は出なかった
。話を聞いたとき彼はむしろ御米の機敏な才覚に驚ろかされた。同時にはたしてそれだけの必要があるか
を疑った。御米の思おもわくを聞いて見ると、ここで十円足らずの金が入はいれば、宗助の穿はく新らし
い靴を誂あつらえた上、銘仙めいせんの一反ぐらいは買えると云うのである。宗助はそれもそうだと思っ
た。けれども親から伝わった抱一の屏風びょうぶを一方に置いて、片方に新らしい靴及び新らしい銘仙め
いせんを並べて考えて見ると、この二つを交換する事がいかにも突飛とっぴでかつ滑稽こっけいであった

「売るなら売っていいがね。どうせ家うちに在あったって邪魔になるばかりだから。けれどもおれはまだ
靴は買わないでも済むよ。この間中みたように、降り続けに降られると困るが、もう天気も好くなったか
ら」
「だってまた降ると困るわ」
 宗助は御米に対して永久に天気を保証する訳にも行かなかった。御米も降らない前に是非屏風を売れと
も云いかねた。二人は顔を見合して笑っていた。やがて、
「安過ぎるでしょうか」と御米が聞いた。
「そうさな」と宗助が答えた。
 彼は安いと云われれば、安いような気がした。もし買手があれば、買手の出すだけの金はいくらでも取
りたかった。彼は新聞で、近来古書画の入札が非常に高価になった事を見たような心持がした。せめてそ
んなものが一幅でもあったらと思った。けれどもそれは自分の呼吸する空気の届くうちには、落ちていな
いものと諦あきらめていた。
「買手にも因よるだろうが、売手にも因るんだよ。いくら名画だって、おれが持っていた分にはとうてい
そう高く売れっこはないさ。しかし七円や八円てえな、余あんまり安いようだね」
 宗助は抱一の屏風を弁護すると共に、道具屋をも弁護するような語気を洩もらした。そうしてただ自分
だけが弁護に価あたいしないもののように感じた。御米も少し気を腐らした気味で、屏風の話はそれなり
にした。
 翌日あくるひ宗助は役所へ出て、同僚の誰彼にこの話をした。すると皆申し合せたように、それは価ね
じゃないと云った。けれども誰も自分が周旋して、相当の価に売払ってやろうと云うものはなかった。ま
たどう云う筋を通れば、馬鹿な目に逢わないで済むという手続を教えてくれるものもなかった。宗助はや
っぱり横町の道具屋に屏風を売るよりほかに仕方がなかった。それでなければ元の通り、邪魔でも何でも
座敷へ立てておくよりほかに仕方がなかった。彼は元の通りそれを座敷へ立てておいた。すると道具屋が
来て、あの屏風を十五円に売ってくれと云い出した。夫婦は顔を見合して微笑ほほえんだ。もう少し売ら
ずに置いてみようじゃないかと云って、売らずにおいた。すると道具屋がまた来た。また売らなかった。
御米は断るのが面白くなって来た。四度目よたびめには知らない男を一人連れて来たが、その男とこそこ
そ相談して、とうとう三十五円に価を付けた。その時夫婦も立ちながら相談した。そうしてついに思い切
って屏風を売り払った。



 円明寺の杉が焦こげたように赭黒あかぐろくなった。天気の好い日には、風に洗われた空の端はずれに
、白い筋の嶮けわしく見える山が出た。年は宗助そうすけ夫婦を駆かって日ごとに寒い方へ吹き寄せた。
朝になると欠かさず通る納豆売なっとううりの声が、瓦かわらを鎖とざす霜しもの色を連想せしめた。宗
助は床の中でその声を聞きながら、また冬が来たと思い出した。御米およねは台所で、今年も去年のよう
に水道の栓せんが氷ってくれなければ助かるがと、暮から春へ掛けての取越苦労をした。夜になると夫婦
とも炬燵こたつにばかり親しんだ。そうして広島や福岡の暖かい冬を羨うらやんだ。
「まるで前の本多さんみたようね」と御米が笑った。前の本多さんと云うのは、やはり同じ構内かまえう
126 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:14:19.01 ID:4uTcWgUe
ちに住んで、同じ坂井の貸家を借りている隠居夫婦であった。小女こおんなを一人使って、朝から晩まで
ことりと音もしないように静かな生計くらしを立てていた。御米が茶の間で、たった一人裁縫しごとをし
ていると、時々御爺おじいさんと云う声がした。それはこの本多の御婆さんが夫を呼ぶ声であった。門口
かどぐちなどで行き逢うと、丁寧ていねいに時候の挨拶あいさつをして、ちと御話にいらっしゃいと云う
が、ついぞ行った事もなければ、向うからも来た試ためしがない。したがって夫婦の本多さんに関する知
識は極きわめて乏しかった。ただ息子が一人あって、それが朝鮮の統監府とうかんふとかで、立派な役人
になっているから、月々その方の仕送しおくりで、気楽に暮らして行かれるのだと云う事だけを、出入で
いりの商人のあるものから耳にした。
「御爺さんはやっぱり植木を弄いじっているかい」
「だんだん寒くなったから、もうやめたんでしょう。縁の下に植木鉢がたくさん並んでるわ」
 話はそれから前の家うちを離れて、家主やぬしの方へ移った。これは、本多とはまるで反対で、夫婦か
ら見ると、この上もない賑にぎやかそうな家庭に思われた。この頃は庭が荒れているので、大勢の小供が
崖がけの上へ出て騒ぐ事はなくなったが、ピヤノの音は毎晩のようにする。折々は下女か何ぞの、台所の
方で高笑をする声さえ、宗助の茶の間まで響いて来た。
「ありゃいったい何をする男なんだい」と宗助が聞いた。この問は今までも幾度か御米に向って繰り返さ
れたものであった。
「何にもしないで遊あすんでるんでしょう。地面や家作を持って」と御米が答えた。この答も今までにも
う何遍か宗助に向って繰り返されたものであった。
 宗助はこれより以上立ち入って、坂井の事を聞いた事がなかった。学校をやめた当座は、順境にいて得
意な振舞をするものに逢うと、今に見ろと云う気も起った。それがしばらくすると、単なる憎悪ぞうおの
念に変化した。ところが一二年このかたは全く自他の差違に無頓着むとんじゃくになって、自分は自分の
ように生れついたもの、先は先のような運を持って世の中へ出て来たもの、両方共始から別種類の人間だ
から、ただ人間として生息する以外に、何の交渉も利害もないのだと考えるようになってきた。たまに世
間話のついでとして、ありゃいったい何をしている人だぐらいは聞きもするが、それより先は、教えて貰
う努力さえ出すのが面倒だった。御米にもこれと同じ傾きがあった。けれどもその夜よは珍らしく、坂井
の主人は四十恰好かっこうの髯ひげのない人であると云う事やら、ピヤノを弾くのは惣領そうりょうの娘
で十二三になると云う事やら、またほかの家うちの小供が遊びに来ても、ブランコへ乗せてやらないと云
う事やらを話した。
「なぜほかの家の子供はブランコへ乗せないんだい」
「つまり吝けちなんでしょう。早く悪くなるから」
 宗助は笑い出した。彼はそのくらい吝嗇けちな家主が、屋根が漏もると云えば、すぐ瓦師かわらしを寄
こしてくれる、垣が腐ったと訴えればすぐ植木屋に手を入れさしてくれるのは矛盾だと思ったのである。
 その晩宗助の夢には本多の植木鉢も坂井のブランコもなかった。彼は十時半頃床に入って、万象に疲れ
た人のように鼾いびきをかいた。この間から頭の具合がよくないため、寝付ねつきの悪いのを苦にしてい
た御米は、時々眼を開けて薄暗い部屋を眺ながめた。細い灯ひが床の間の上に乗せてあった。夫婦は夜中
よじゅう灯火あかりを点つけておく習慣がついているので、寝る時はいつでも心しんを細目にして洋灯ラ
ンプをここへ上げた。
 御米は気にするように枕の位置を動かした。そうしてそのたびに、下にしている方の肩の骨を、蒲団ふ
とんの上で滑すべらした。しまいには腹這はらばいになったまま、両肱りょうひじを突いて、しばらく夫
の方を眺めていた。それから起き上って、夜具の裾すそに掛けてあった不断着を、寝巻ねまきの上へ羽織
はおったなり、床の間の洋灯を取り上げた。
「あなたあなた」と宗助の枕元へ来て曲こごみながら呼んだ。その時夫はもう鼾をかいていなかった。け
れども、元の通り深い眠ねむりから来る呼吸いきを続けていた。御米はまた立ち上って、洋灯を手にした
まま、間あいの襖ふすまを開けて茶の間へ出た。暗い部屋が茫漠ぼんやり手元の灯に照らされた時、御米
は鈍く光る箪笥たんすの環かんを認めた。それを通り過ぎると黒く燻くすぶった台所に、腰障子こししょ
127 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:14:31.06 ID:4uTcWgUe
うじの紙だけが白く見えた。御米は火の気けのない真中に、しばらく佇たたずんでいたが、やがて右手に
当る下女部屋の戸を、音のしないようにそっと引いて、中へ洋灯の灯を翳かざした。下女は縞しまも色も
判然はっきり映らない夜具の中に、土竜もぐらのごとく塊かたまって寝ていた。今度は左側の六畳を覗の
ぞいた。がらんとして淋さみしい中に、例の鏡台が置いてあって、鏡の表が夜中だけに凄すごく眼に応こ
たえた。
 御米は家中を一回ひとまわり回った後あと、すべてに異状のない事を確かめた上、また床の中へ戻った
。そうしてようやく眼を眠った。今度は好い具合に、眼蓋まぶたのあたりに気を遣つかわないで済むよう
に覚えて、しばらくするうちに、うとうととした。
 するとまたふと眼が開あいた。何だかずしんと枕元で響いたような心持がする。耳を枕から離して考え
ると、それはある大きな重いものが、裏の崖から自分達の寝ている座敷の縁の外へ転がり落ちたとしか思
われなかった。しかし今眼が覚さめるすぐ前に起った出来事で、けっして夢の続じゃないと考えた時、御
米は急に気味を悪くした。そうして傍に寝ている夫の夜具の袖そでを引いて、今度は真面目まじめに宗助
を起し始めた。
 宗助はそれまで全くよく寝ていたが、急に眼が覚さめると、御米が、
「あなたちょっと起きて下さい」と揺ゆすっていたので、半分は夢中に、
「おい、好し」とすぐ蒲団ふとんの上へ起き直った。御米は小声で先刻さっきからの様子を話した。
「音は一遍した限ぎりなのかい」
「だって今したばかりなのよ」
 二人はそれで黙った。ただじっと外の様子を伺っていた。けれども世間は森しんと静であった。いつま
で耳を峙そばだてていても、再び物の落ちて来る気色けしきはなかった。宗助は寒いと云いながら、単衣
ひとえの寝巻の上へ羽織を被かぶって、縁側えんがわへ出て、雨戸を一枚繰った。外を覗のぞくと何にも
見えない。ただ暗い中から寒い空気がにわかに肌に逼せまって来た。宗助はすぐ戸を閉たてた。
 ※(「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37)かきがねをおろして座敷へ戻るや否や、また蒲団
の中へ潜もぐり込んだが、
「何にも変った事はありゃしない。多分御前おまいの夢だろう」と云って、宗助は横になった。御米はけ
っして夢でないと主張した。たしかに頭の上で大きな音がしたのだと固執こしつした。宗助は夜具から半
分出した顔を、御米の方へ振り向けて、
「御米、お前は神経が過敏になって、近頃どうかしているよ。もう少し頭を休めてよく寝る工夫でもしな
くっちゃいけない」と云った。
 その時次の間の柱時計が二時を打った。その音で二人ともちょっと言葉を途切らして、黙って見ると、
夜はさらに静まり返ったように思われた。二人は眼が冴さえて、すぐ寝つかれそうにもなかった。御米が

「でもあなたは気楽ね。横になると十分経たたないうちに、もう寝ていらっしゃるんだから」と云った。
「寝る事は寝るが、気が楽で寝られるんじゃない。つまり疲れるからよく寝るんだろう」と宗助が答えた

 こんな話をしているうちに、宗助はまた寝入ってしまった。御米は依然として、のつそつ床の中で動い
ていた。すると表をがらがらと烈はげしい音を立てて車が一台通った。近頃御米は時々夜明前の車の音を
聞いて驚ろかされる事があった。そうしてそれを思い合わせると、いつも似寄った刻限なので、必竟ひっ
きょうは毎朝同じ車が同じ所を通るのだろうと推測した。多分牛乳を配達するためかなどで、ああ急ぐに
違ないときめていたから、この音を聞くと等しく、もう夜が明けて、隣人の活動が始ったごとくに、心丈
夫になった。そうこうしていると、どこかで鶏とりの声が聞えた。またしばらくすると、下駄げたの音を
高く立てて往来を通るものがあった。そのうち清きよが下女部屋の戸を開けて厠かわやへ起きた模様だっ
たが、やがて茶の間へ来て時計を見ているらしかった。この時床の間に置いた洋灯ランプの油が減って、
短かい心しんに届かなくなったので、御米の寝ている所は真暗になっていた。そこへ清の手にした灯火あ
かりの影が、襖ふすまの間から射し込んだ。
128 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:14:43.08 ID:4uTcWgUe
「清かい」と御米が声を掛けた。
 清はそれからすぐ起きた。三十分ほど経たって御米も起きた。また三十分ほど経って宗助もついに起き
た。平常いつもは好い時分に御米がやって来て、
「もう起きてもよくってよ」と云うのが例であった。日曜とたまの旗日はたびには、それが、
「さあもう起きてちょうだい」に変るだけであった。しかし今日は昨夕ゆうべの事が何となく気にかかる
ので、御米の迎むかえに来ないうち宗助は床を離れた。そうして直すぐ崖下の雨戸を繰った。
 下から覗のぞくと、寒い竹が朝の空気に鎖とざされてじっとしている後うしろから、霜しもを破る日の
色が射して、幾分か頂いただきを染めていた。その二尺ほど下の勾配こうばいの一番急な所に生えている
枯草が、妙に摺すり剥むけて、赤土の肌を生々なまなましく露出した様子に、宗助はちょっと驚ろかされ
た。それから一直線に降おりて、ちょうど自分の立っている縁鼻えんばなの土が、霜柱を摧くだいたよう
に荒れていた。宗助は大きな犬でも上から転がり落ちたのじゃなかろうかと思った。しかし犬にしてはい
くら大きいにしても、余り勢が烈し過ぎると思った。
 宗助は玄関から下駄を提さげて来て、すぐ庭へ下りた。縁の先へ便所が折れ曲って突き出しているので
、いとど狭い崖下が、裏へ抜ける半間ほどの所はなおさら狭苦しくなっていた。御米は掃除屋そうじやが
来るたびに、この曲り角を気にしては、
「あすこがもう少し広いといいけれども」と危険あぶながるので、よく宗助から笑われた事があった。
 そこを通り抜けると、真直まっすぐに台所まで細い路が付いている。元は枯枝の交った杉垣があって、
隣の庭の仕切りになっていたが、この間家主が手を入れた時、穴だらけの杉葉を奇麗きれいに取り払って
、今では節ふしの多い板塀いたべいが片側を勝手口まで塞ふさいでしまった。日当りの悪い上に、樋とい
から雨滴あまだればかり落ちるので、夏になると秋海棠しゅうかいどうがいっぱい生える。その盛りな頃
は青い葉が重なり合って、ほとんど通り路がなくなるくらい茂って来る。始めて越した年は、宗助も御米
もこの景色けしきを見て驚ろかされたくらいである。この秋海棠は杉垣のまだ引き抜かれない前から、何
年となく地下に蔓はびこっていたもので、古家ふるやの取り毀こぼたれた今でも、時節が来ると昔の通り
芽を吹くものと解った時、御米は、
「でも可愛いわね」と喜んだ。
 宗助が霜を踏んで、この記念の多い横手へ出た時、彼の眼は細長い路次ろじの一点に落ちた。そうして
彼は日の通わない寒さの中にはたと留まった。
 彼の足元には黒塗の蒔絵まきえの手文庫が放り出してあった。中味はわざわざそこへ持って来て置いて
行ったように、霜の上にちゃんと据すわっているが、蓋ふたは二三尺離れて、塀へいの根に打ちつけられ
たごとくに引っ繰り返って、中を張った千代紙ちよがみの模様が判然はっきり見えた。文庫の中から洩も
れた、手紙や書付類が、そこいらに遠慮なく散らばっている中に、比較的長い一通がわざわざ二尺ばかり
広げられて、その先が紙屑のごとく丸めてあった。宗助は近づいて、この揉苦茶もみくちゃになった紙の
下を覗のぞいて覚えず苦笑した。下には大便が垂れてあった。
 土の上に散らばっている書類を一纏ひとまとめにして、文庫の中へ入れて、霜と泥に汚れたまま宗助は
勝手口まで持って来た。腰障子こししょうじを開けて、清に
「おいこれをちょっとそこへ置いてくれ」と渡すと、清は妙な顔をして、不思議そうにそれを受取った。
御米は奥で座敷へ払塵はたきを掛けていた。宗助はそれから懐手ふところでをして、玄関だの門の辺あた
りをよく見廻ったが、どこにも平常と異なる点は認められなかった。
 宗助はようやく家うちへ入った。茶の間へ来て例の通り火鉢ひばちの前へ坐すわったが、すぐ大きな声
を出して御米を呼んだ。御米は、
「起き抜けにどこへ行っていらしったの」と云いながら奥から出て来た。
「おい昨夜ゆうべ枕元で大きな音がしたのは、やっぱり夢じゃなかったんだ。泥棒だよ。泥棒が坂井さん
の崖がけの上から宅うちの庭へ飛び下りた音だ。今裏へ回って見たら、この文庫が落ちていて、中にはい
っていた手紙なんぞが、むちゃくちゃに放り出してあった。おまけに御馳走ごちそうまで置いて行った」
 宗助は文庫の中から、二三通の手紙を出して御米に見せた。それには皆みんな坂井の名宛なあてが書い
129 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:14:55.07 ID:4uTcWgUe
てあった。御米は吃驚びっくりして立膝のまま、
「坂井さんじゃほかに何か取られたでしょうか」と聞いた。宗助は腕組をして、
「ことに因よると、まだ何かやられたね」と答えた。
 夫婦はともかくもと云うので、文庫をそこへ置いたなり朝飯の膳ぜんに着いた。しかし箸はしを動かす
間まも泥棒の話は忘れなかった。御米は自分の耳と頭のたしかな事を夫に誇った。宗助は耳と頭のたしか
でない事を幸福とした。
「そうおっしゃるけれど、これが坂井さんでなくって、宅で御覧なさい。あなたみたように、ぐうぐう寝
ていらしったら困るじゃないの」と御米が宗助をやり込めた。
「なに、宅なんぞへ這入はいる気遣きづかいはないから大丈夫だ」と宗助も口の減らない返事をした。
 そこへ清が突然台所から顔を出して、
「この間拵こしらえた旦那様の外套マントでも取られようものなら、それこそ騒ぎでございましたね。御
宅おうちでなくって坂井さんだったから、本当に結構でございます」と真面目まじめに悦よろこびの言葉
を述べたので、宗助も御米も少し挨拶あいさつに窮きゅうした。
 食事を済ましても、出勤の時刻にはまだだいぶ間があった。坂井では定めて騒いでるだろうと云うので
、文庫は宗助が自分で持って行ってやる事にした。蒔絵まきえではあるが、ただ黒地に亀甲形きっこうが
たを金きんで置いただけの事で、別に大して金目の物とも思えなかった。御米は唐桟とうざんの風呂敷ふ
ろしきを出してそれを包くるんだ。風呂敷が少し小さいので、四隅よすみを対むこう同志繋つないで、真
中にこま結びを二つ拵こしらえた。宗助がそれを提さげたところは、まるで進物の菓子折のようであった

 座敷で見ればすぐ崖の上だが、表から廻ると、通りを半町ばかり来て、坂を上のぼって、また半町ほど
逆に戻らなければ、坂井の門前へは出られなかった。宗助は石の上へ芝を盛って扇骨木かなめを奇麗きれ
いに植えつけた垣に沿うて門内に入った。
 家いえの内はむしろ静か過ぎるくらいしんとしていた。摺硝子すりガラスの戸が閉たててある玄関へ来
て、ベルを二三度押して見たが、ベルが利きかないと見えて誰も出て来なかった。宗助は仕方なしに勝手
口へ廻った。そこにも摺硝子の嵌はまった腰障子こししょうじが二枚閉ててあった。中では器物を取り扱
う音がした。宗助は戸を開けて、瓦斯七輪ガスしちりんを置いた板の間に蹲踞しゃがんでいる下女に挨拶
あいさつをした。
「これはこちらのでしょう。今朝私わたしの家うちの裏に落ちていましたから持って来ました」と云いな
がら、文庫を出した。
 下女は「そうでございましたか、どうも」と簡単に礼を述べて、文庫を持ったまま、板の間の仕切まで
行って、仲働なかばたらきらしい女を呼び出した。そこで小声に説明をして、品物を渡すと、仲働はそれ
を受取ったなり、ちょっと宗助の方を見たがすぐ奥へ入った。入いれ違ちがえに、十二三になる丸顔の眼
の大きな女の子と、その妹らしい揃そろいのリボンを懸かけた子がいっしょに馳かけて来て、小さい首を
二つ並べて台所へ出した。そうして宗助の顔を眺ながめながら、泥棒よと耳語ささやきやった。宗助は文
庫を渡してしまえば、もう用が済んだのだから、奥の挨拶はどうでもいいとして、すぐ帰ろうかと考えた

「文庫は御宅のでしょうね。いいんでしょうね」と念を押して、何なにも知らない下女を気の毒がらして
いるところへ、最前の仲働が出て来て、
「どうぞ御通り下さい」と丁寧ていねいに頭を下げたので、今度は宗助の方が少し痛み入るようになった
。下女はいよいよしとやかに同じ請求を繰り返した。宗助は痛み入る境を通り越して、ついに迷惑を感じ
出した。ところへ主人が自分で出て来た。
 主人は予想通り血色の好い下膨しもぶくれの福相ふくそうを具そなえていたが、御米の云ったように髭
ひげのない男ではなかった。鼻の下に短かく刈り込んだのを生やして、ただ頬ほおから腮あごを奇麗きれ
いに蒼あおくしていた。
「いやどうもとんだ御手数ごてかずで」と主人は眼尻めじりに皺しわを寄せながら礼を述べた。米沢よね
130 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:15:07.08 ID:4uTcWgUe
ざわの絣かすりを着た膝ひざを板の間に突いて、宗助からいろいろ様子を聞いている態度が、いかにも緩
ゆっくりしていた。宗助は昨夕ゆうべから今朝へかけての出来事を一通り掻かい撮つまんで話した上、文
庫のほかに何か取られたものがあるかないかを尋ねて見た。主人は机の上に置いた金時計を一つ取られた
由よしを答えた。けれどもまるで他ひとのものでも失なくなした時のように、いっこう困ったと云う気色
けしきはなかった。時計よりはむしろ宗助の叙述の方に多くの興味を有もって、泥棒が果して崖を伝って
裏から逃げるつもりだったろうか、または逃げる拍子ひょうしに、崖から落ちたものだろうかと云うよう
な質問を掛けた。宗助は固もとより返答ができなかった。
 そこへ最前の仲働が、奥から茶や莨たばこを運んで来たので、宗助はまた帰りはぐれた。主人はわざわ
ざ座蒲団ざぶとんまで取り寄せて、とうとうその上へ宗助の尻を据すえさした。そうして今朝けさ早く来
た刑事の話をし始めた。刑事の判定によると、賊は宵よいから邸内に忍び込んで、何でも物置かなぞに隠
れていたに違ない。這入口はいりくちはやはり勝手である。燐寸マッチを擦すって蝋燭ろうそくを点とも
して、それを台所にあった小桶こおけの中へ立てて、茶の間へ出たが、次の部屋には細君と子供が寝てい
るので、廊下伝いに主人の書斎へ来て、そこで仕事をしていると、この間生れた末の男の子が、乳を呑の
む時刻が来たものか、眼を覚さまして泣き出したため、賊は書斎の戸を開けて庭へ逃げたらしい。
「平常いつものように犬がいると好かったんですがね。あいにく病気なので、四五日前病院へ入れてしま
ったもんですから」と主人は残念がった。宗助も、
「それは惜しい事でした」と答えた。すると主人はその犬の種ブリードやら血統やら、時々猟かりに連れ
て行く事や、いろいろな事を話し始めた。
「猟りょうは好ですから。もっとも近来は神経痛で少し休んでいますが。何しろ秋口から冬へ掛けて鴫し
ぎなぞを打ちに行くと、どうしても腰から下は田の中へ浸つかって、二時間も三時間も暮らさなければな
らないんですから、全く身体からだには好くないようです」
 主人は時間に制限のない人と見えて、宗助が、なるほどとか、そうですか、とか云っていると、いつま
でも話しているので、宗助はやむを得ず中途で立ち上がった。
「これからまた例の通り出かけなければなりませんから」と切り上げると、主人は始めて気がついたよう
に、忙がしいところを引き留めた失礼を謝した。そうしていずれまた刑事が現状を見に行くかも知れない
から、その時はよろしく願うと云うような事を述べた。最後に、
「どうかちと御話に。私も近頃はむしろ閑ひまな方ですから、また御邪魔に出ますから」と丁寧ていねい
に挨拶をした。門を出て急ぎ足に宅うちへ帰ると、毎朝出る時刻よりも、もう三十分ほど後れていた。
「あなたどうなすったの」と御米が気を揉もんで玄関へ出た。宗助はすぐ着物を脱いで洋服に着換えなが
ら、
「あの坂井と云う人はよっぽど気楽な人だね。金があるとああ緩ゆっくりできるもんかな」と云った。



「小六ころくさん、茶の間から始めて。それとも座敷の方を先にして」と御米およねが聞いた。
 小六は四五日前とうとう兄の所へ引き移った結果として、今日の障子しょうじの張替はりかえを手伝わ
なければならない事となった。彼は昔むかし叔父の家にいた時、安之助やすのすけといっしょになって、
自分の部屋の唐紙からかみを張り替えた経験がある。その時は糊のりを盆に溶といたり、箆へらを使って
見たり、だいぶ本式にやり出したが、首尾好く乾かして、いざ元の所へ建てるという段になると、二枚と
も反そっ繰くり返って敷居の溝みぞへ嵌はまらなかった。それからこれも安之助と共同して失敗した仕事
であるが、叔母の云いつけで、障子を張らせられたときには、水道でざぶざぶ枠わくを洗ったため、やっ
ぱり乾いた後で、惣体そうたいに歪ゆがみができて非常に困難した。
「姉さん、障子を張るときは、よほど慎重にしないと失策しくじるです。洗っちゃ駄目ですぜ」と云いな
がら、小六は茶の間の縁側えんがわからびりびり破き始めた。
 縁先は右の方に小六のいる六畳が折れ曲って、左には玄関が突き出している。その向うを塀へいが縁と
131 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:15:19.09 ID:4uTcWgUe
平行に塞ふさいでいるから、まあ四角な囲内かこいうちと云っていい。夏になるとコスモスを一面に茂ら
して、夫婦とも毎朝露の深い景色けしきを喜んだ事もあるし、また塀の下へ細い竹を立てて、それへ朝顔
を絡からませた事もある。その時は起き抜けに、今朝咲いた花の数を勘定かんじょうし合って二人が楽た
のしみにした。けれども秋から冬へかけては、花も草もまるで枯れてしまうので、小さな砂漠さばくみた
ように、眺ながめるのも気の毒なくらい淋さびしくなる。小六はこの霜しもばかり降りた四角な地面を背
にして、しきりに障子の紙を剥はがしていた。
 時々寒い風が来て、後うしろから小六の坊主頭と襟えりの辺あたりを襲おそった。そのたびに彼は吹ふ
き曝さらしの縁から六畳の中へ引っ込みたくなった。彼は赤い手を無言のまま働らかしながら、馬尻バケ
ツの中で雑巾ぞうきんを絞しぼって障子の桟さんを拭き出した。
「寒いでしょう、御気の毒さまね。あいにく御天気が時雨しぐれたもんだから」と御米が愛想あいそを云
って、鉄瓶てつびんの湯を注つぎ注つぎ、昨日きのう煮た糊のりを溶いた。
 小六は実際こんな用をするのを、内心では大いに軽蔑けいべつしていた。ことに昨今自分がやむなく置
かれた境遇からして、この際多少自己を侮辱しているかの観を抱いだいて雑巾を手にしていた。昔し叔父
の家で、これと同じ事をやらせられた時は、暇潰ひまつぶしの慰みとして、不愉快どころかかえって面白
かった記憶さえあるのに、今じゃこのくらいな仕事よりほかにする能力のないものと、強いて周囲から諦
あきらめさせられたような気がして、縁側の寒いのがなおのこと癪しゃくに触った。
 それで嫂あによめには快よい返事さえ碌ろくにしなかった。そうして頭の中で、自分の下宿にいた法科
大学生が、ちょっと散歩に出るついでに、資生堂へ寄って、三つ入りの石鹸シャボンと歯磨を買うのにさ
え、五円近くの金を払う華奢かしゃを思い浮べた。するとどうしても自分一人が、こんな窮境に陥おちい
るべき理由がないように感ぜられた。それから、こんな生活状態に甘んじて一生を送る兄夫婦がいかにも
憫然ふびんに見えた。彼らは障子を張る美濃紙みのがみを買うのにさえ気兼きがねをしやしまいかと思わ
れるほど、小六から見ると、消極的な暮し方をしていた。
「こんな紙じゃ、またすぐ破けますね」と云いながら、小六は巻いた小口を一尺ほど日に透すかして、二
三度力任せに鳴らした。
「そう? でも宅うちじゃ小供がないから、それほどでもなくってよ」と答えた御米は糊を含ました刷毛
はけを取ってとんとんとんと桟の上を渡した。
 二人は長く継ついだ紙を双方から引き合って、なるべく垂たるみのできないように力つとめたが、小六
が時々面倒臭そうな顔をすると、御米はつい遠慮が出て、好加減いいかげんに髪剃かみそりで小口を切り
落してしまう事もあった。したがってでき上ったものには、所々のぶくぶくがだいぶ目についた。御米は
情なさけなさそうに、戸袋に立て懸かけた張り立ての障子を眺ながめた。そうして心の中うちで、相手が
小六でなくって、夫であったならと思った。
「皺しわが少しできたのね」
「どうせ僕の御手際おてぎわじゃ旨うまく行かない」
「なに兄さんだって、そう御上手じゃなくってよ。それに兄さんはあなたよりよっぽど無精ぶしょうね」
 小六は何にも答えなかった。台所から清きよが持って来た含嗽茶碗うがいぢゃわんを受け取って、戸袋
の前へ立って、紙が一面に濡ぬれるほど霧を吹いた。二枚目を張ったときは、先に霧を吹いた分がほぼ乾
いて皺しわがおおかた平らになっていた。三枚目を張ったとき、小六は腰が痛くなったと云い出した。実
を云うと御米の方は今朝けさから頭が痛かったのである。
「もう一枚張って、茶の間だけ済ましてから休みましょう」と云った。
 茶の間を済ましているうちに午ひるになったので、二人は食事を始めた。小六が引き移ってからこの四
五日しごんち、御米は宗助そうすけのいない午飯ひるはんを、いつも小六と差向さしむかいで食べる事に
なった。宗助といっしょになって以来、御米の毎日膳ぜんを共にしたものは、夫よりほかになかった。夫
の留守の時は、ただ独ひとり箸はしを執とるのが多年の習慣ならわしであった。だから突然この小舅こじ
ゅうとと自分の間に御櫃おはちを置いて、互に顔を見合せながら、口を動かすのが、御米に取っては一種
異いな経験であった。それも下女が台所で働らいているときは、まだしもだが、清の影も音もしないとな
132 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:15:31.10 ID:4uTcWgUe
ると、なおのこと変に窮屈な感じが起った。無論小六よりも御米の方が年上であるし、また従来の関係か
ら云っても、両性を絡からみつける艶つやっぽい空気は、箝束的けんそくてきな初期においてすら、二人
の間に起り得べきはずのものではなかった。御米は小六と差向さしむかいに膳に着くときのこの気ぶっせ
いな心持が、いつになったら消えるだろうと、心の中うちで私ひそかに疑ぐった。小六が引き移るまでは
、こんな結果が出ようとは、まるで気がつかなかったのだからなおさら当惑した。仕方がないからなるべ
く食事中に話をして、せめて手持無沙汰てもちぶさたな隙間すきまだけでも補おうと力つとめた。不幸に
して今の小六は、この嫂あによめの態度に対してほどの好い調子を出すだけの余裕と分別ふんべつを頭の
中に発見し得なかったのである。
「小六さん、下宿は御馳走ごちそうがあって」
 こんな質問に逢うと、小六は下宿から遊びに来た時分のように、淡泊たんぱくな遠慮のない答をする訳
に行かなくなった。やむを得ず、
「なにそうでもありません」ぐらいにしておくと、その語気がからりと澄んでいないので、御米の方では
、自分の待遇が悪いせいかと解釈する事もあった。それがまた無言の間あいだに、小六の頭に映る事もあ
った。
 ことに今日は頭の具合が好くないので、膳に向っても、御米はいつものように力つとめるのが退儀たい
ぎであった。力つとめて失敗するのはなお厭いやであった。それで二人とも障子しょうじを張るときより
も言葉少なに食事を済ました。
 午後は手が慣なれたせいか、朝に比べると仕事が少し果取はかどった。しかし二人の気分は飯前よりも
かえって縁遠くなった。ことに寒い天気が二人の頭に応こたえた。起きた時は、日を載のせた空がしだい
に遠退とおのいて行くかと思われるほどに、好く晴れていたが、それが真蒼まっさおに色づく頃から急に
雲が出て、暗い中で粉雪こゆきでも醸かもしているように、日の目を密封した。二人は交かわる交がわる
火鉢に手を翳かざした。
「兄さんは来年になると月給が上がるんでしょう」
 ふと小六がこんな問を御米にかけた。御米はその時畳の上の紙片かみぎれを取って、糊に汚よごれた手
を拭いていたが、全く思も寄らないという顔をした。
「どうして」
「でも新聞で見ると、来年から一般に官吏の増俸があると云う話じゃありませんか」
 御米はそんな消息を全く知らなかった。小六から詳しい説明を聞いて、始めてなるほどと首肯うなずい
た。
「全くね。これじゃ誰だって、やって行けないわ。御肴おさかなの切身なんか、私わたしが東京へ来てか
らでも、もう倍になってるんですもの」と云った。肴の切身の値段になると小六の方が全く無識であった
。御米に注意されて始めてそれほどむやみに高くなるものかと思った。
 小六にちょっとした好奇心の出たため、二人の会話は存外素直に流れて行った。御米は裏の家主の十八
九時代に物価の大変安かった話を、この間宗助から聞いた通り繰り返した。その時分は蕎麦そばを食うに
しても、盛もりかけが八厘、種たねものが二銭五厘であった。牛肉は普通なみが一人前いちにんまえ四銭
で、ロースは六銭であった。寄席よせは三銭か四銭であった。学生は月に七円ぐらい国から貰もらえば中
ちゅうの部であった。十円も取るとすでに贅沢ぜいたくと思われた。
「小六さんも、その時分だと訳なく大学が卒業できたのにね」と御米が云った。
「兄さんもその時分だと大変暮しやすい訳ですね」と小六が答えた。
 座敷の張易はりかえが済んだときにはもう三時過になった。そうこうしているうちには、宗助も帰って
来るし、晩の支度したくも始めなくってはならないので、二人はこれを一段落として、糊や髪剃かみそり
を片づけた。小六は大きな伸のびを一つして、握にぎり拳こぶしで自分の頭をこんこんと叩たたいた。
「どうも御苦労さま。疲れたでしょう」と御米は小六を労いたわった。小六はそれよりも口淋くちさむし
い思がした。この間文庫を届けてやった礼に、坂井からくれたと云う菓子を、戸棚とだなから出して貰っ
て食べた。御米は御茶を入れた。
133 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:15:43.12 ID:4uTcWgUe
「坂井と云う人は大学出なんですか」
「ええ、やっぱりそうなんですって」
 小六は茶を飲んで煙草たばこを吹いた。やがて、
「兄さんは増俸の事をまだあなたに話さないんですか」と聞いた。
「いいえ、ちっとも」と御米が答えた。
「兄さんみたようになれたら好いだろうな。不平も何もなくって」
 御米は特別の挨拶あいさつもしなかった。小六はそのまま起たって六畳へ這入はいったが、やがて火が
消えたと云って、火鉢を抱かかえてまた出て来た。彼は兄の家いえに厄介やっかいになりながら、もう少
し立てば都合がつくだろうと慰めた安之助の言葉を信じて、学校は表向おもてむき休学の体ていにして一
時の始末をつけたのである。



 裏の坂井と宗助そうすけとは文庫が縁になって思わぬ関係がついた。それまでは月に一度こちらから清
きよに家賃を持たしてやると、向むこうからその受取を寄こすだけの交渉に過ぎなかったのだから、崖が
けの上に西洋人が住んでいると同様で、隣人としての親みは、まるで存在していなかったのである。
 宗助が文庫を届けた日の午後に、坂井の云った通り、刑事が宗助の家の裏手から崖下を検しらべに来た
が、その時坂井もいっしょだったので、御米およねは始めて噂うわさに聞いた家主の顔を見た。髭ひげの
ないと思ったのに、髭を生やしているのと、自分なぞに対しても、存外丁寧ていねいな言葉を使うのが、
御米には少し案外であった。
「あなた、坂井さんはやっぱり髭を生やしていてよ」と宗助が帰ったとき、御米はわざわざ注意した。
 それから二日ばかりして、坂井の名刺を添えた立派な菓子折を持って、下女が礼に来たが、せんだって
はいろいろ御世話になりまして、ありがとう存じます、いずれ主人が自身に伺うはずでございますがと云
いおいて、帰って行った。
 その晩宗助は到来の菓子折の葢ふたを開けて、唐饅頭とうまんじゅうを頬張ほおばりながら、
「こんなものをくれるところをもって見ると、それほど吝けちでもないようだね。他ひとの家うちの子を
ブランコへ乗せてやらないって云うのは嘘だろう」と云った。御米も、
「きっと嘘よ」と坂井を弁護した。
 夫婦と坂井とは泥棒の這入はいらない前より、これだけ親しみの度が増したようなものの、それ以上に
接近しようと云う念は、宗助の頭にも、御米の胸にも宿らなかった。利害の打算から云えば無論の事、単
に隣人の交際とか情誼じょうぎとか云う点から見ても、夫婦はこれよりも前進する勇気を有もたなかった
のである。もし自然がこのままに無為むいの月日を駆かったなら、久しからぬうちに、坂井は昔の坂井に
なり、宗助は元の宗助になって、崖の上と崖の下に互の家が懸かけ隔へだたるごとく、互の心も離れ離れ
になったに違なかった。
 ところがそれからまた二日置いて、三日目の暮れ方に、獺かわうその襟えりの着いた暖かそうな外套マ
ントを着て、突然坂井が宗助の所へやって来た。夜間客に襲おそわれつけない夫婦は、軽微の狼狽ろうば
いを感じたくらい驚ろかされたが、座敷へ上げて話して見ると、坂井は丁寧に先日の礼を述べた後のち、
「御蔭で取られた品物がまた戻りましたよ」と云いながら、白縮緬しろちりめんの兵児帯へこおびに巻き
付けた金鎖を外はずして、両葢りょうぶたの金時計を出して見せた。
 規則だから警察へ届ける事は届けたが、実はだいぶ古い時計なので、取られてもそれほど惜しくもない
ぐらいに諦あきらめていたら、昨日きのうになって、突然差出人の不明な小包が着いて、その中にちゃん
と自分の失なくしたのが包くるんであったんだと云う。
「泥棒も持ち扱かったんでしょう。それとも余り金にならないんで、やむを得ず返してくれる気になった
んですかね。何しろ珍らしい事で」と坂井は笑っていた。それから、
「何私から云うと、実はあの文庫の方がむしろ大切な品でしてね。祖母ばばが昔し御殿へ勤めていた時分
134 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:15:55.13 ID:4uTcWgUe
、戴いただいたんだとか云って、まあ記念かたみのようなものですから」と云うような事も説明して聞か
した。
 その晩坂井はそんな話を約二時間もして帰って行ったが、相手になった宗助も、茶の間で聞いていた御
米も、大変談話の材料に富んだ人だと思わぬ訳に行かなかった。後あとで、
「世間の広い方かたね」と御米が評した。
「閑ひまだからさ」と宗助が解釈した。
 次の日宗助が役所の帰りがけに、電車を降りて横町の道具屋の前まで来ると、例の獺かわうその襟えり
を着けた坂井の外套マントがちょっと眼に着いた。横顔を往来の方へ向けて、主人を相手に何か云ってい
る。主人は大きな眼鏡を掛けたまま、下から坂井の顔を見上げている。宗助は挨拶あいさつをすべき折で
もないと思ったから、そのまま行き過ぎようとして、店の正面まで来ると、坂井の眼が往来へ向いた。
「やあ昨夜は。今御帰りですか」と気軽に声をかけられたので、宗助も愛想あいそなく通り過ぎる訳にも
行かなくなって、ちょっと歩調を緩ゆるめながら、帽子を取った。すると坂井は、用はもう済んだと云う
風をして、店から出て来た。
「何か御求めですか」と宗助が聞くと、
「いえ、何」と答えたまま、宗助と並んで家うちの方へ歩き出した。六七間来たとき、
「あの爺じじい、なかなか猾ずるい奴ですよ。崋山かざんの偽物にせものを持って来て押付おっつけよう
としやがるから、今叱りつけてやったんです」と云い出した。宗助は始めて、この坂井も余裕よゆうある
人に共通な好事こうずを道楽にしているのだと心づいた。そうしてこの間売り払った抱一ほういつの屏風
びょうぶも、最初からこう云う人に見せたら、好かったろうにと、腹の中で考えた。
「あれは書画には明るい男なんですか」
「なに書画どころか、まるで何も分らない奴です。あの店の様子を見ても分るじゃありませんか。骨董こ
っとうらしいものは一つも並んでいやしない。もとが紙屑屋かみくずやから出世してあれだけになったん
ですからね」
 坂井は道具屋の素性すじょうをよく知っていた。出入でいりの八百屋の阿爺おやじの話によると、坂井
の家は旧幕の頃何とかの守かみと名乗ったもので、この界隈かいわいでは一番古い門閥家もんばつかなの
だそうである。瓦解がかいの際、駿府すんぷへ引き上げなかったんだとか、あるいは引き上げてまた出て
来たんだとか云う事も耳にしたようであるが、それは判然はっきり宗助の頭に残っていなかった。
「小さい内から悪戯いたずらものでね。あいつが餓鬼大将がきだいしょうになってよく喧嘩けんかをしに
行った事がありますよ」と坂井は御互の子供の時の事まで一口洩もらした。それがまたどうして崋山の贋
物にせものを売り込もうと巧たくんだのかと聞くと、坂井は笑って、こう説明した。――
「なに親父おやじの代から贔屓ひいきにしてやってるものですから、時々何なんだ蚊かだって持って来る
んです。ところが眼も利きかない癖に、ただ慾ばりたがってね、まことに取扱い悪にくい代物しろもので
す。それについこの間抱一の屏風を買って貰って、味を占めたんでね」
 宗助は驚ろいた。けれども話の途中を遮さえぎる訳に行かなかったので、黙っていた。坂井は道具屋が
それ以来乗気になって、自身に分りもしない書画類をしきりに持ち込んで来る事やら、大坂出来の高麗焼
こうらいやきを本物だと思って、大事に飾っておいた事やら話した末、
「まあ台所だいどこで使う食卓ちゃぶだいか、たかだか新あらの鉄瓶てつびんぐらいしか、あんな所じゃ
買えたもんじゃありません」と云った。
 そのうち二人は坂の上へ出た。坂井はそこを右へ曲る、宗助はそこを下へ下りなければならなかった。
宗助はもう少しいっしょに歩いて、屏風びょうぶの事を聞きたかったが、わざわざ回まわり路みちをする
のも変だと心づいて、それなり分れた。分れる時、
「近い中うち御邪魔に出てもようございますか」と聞くと、坂井は、
「どうぞ」と快よく答えた。
 その日は風もなくひとしきり日も照ったが、家うちにいると底冷そこびえのする寒さに襲おそわれると
か云って、御米はわざわざ置炬燵おきごたつに宗助の着物を掛けて、それを座敷の真中に据すえて、夫の
135 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:16:07.15 ID:4uTcWgUe
帰りを待ち受けていた。
 この冬になって、昼のうち炬燵こたつを拵こしらえたのは、その日が始めてであった。夜は疾とうから
用いていたが、いつも六畳に置くだけであった。
「座敷の真中にそんなものを据えて、今日はどうしたんだい」
「でも、御客も何もないからいいでしょう。だって六畳の方は小六ころくさんがいて、塞ふさがっている
んですもの」
 宗助は始めて自分の家に小六のいる事に気がついた。襯衣シャツの上から暖かい紡績織ぼうせきおりを
掛けて貰って、帯をぐるぐる巻きつけたが、
「ここは寒帯だから炬燵でも置かなくっちゃ凌しのげない」と云った。小六の部屋になった六畳は、畳こ
そ奇麗きれいでないが、南と東が開あいていて、家中うちじゅうで一番暖かい部屋なのである。
 宗助は御米の汲くんで来た熱い茶を湯呑ゆのみから二口ほど飲んで、
「小六はいるのかい」と聞いた。小六は固もとよりいたはずである。けれども六畳はひっそりして人のい
るようにも思われなかった。御米が呼びに立とうとするのを、用はないからいいと留めたまま、宗助は炬
燵蒲団ぶとんの中へ潜もぐり込んで、すぐ横になった。一方口いっぽうぐちに崖を控えている座敷には、
もう暮方の色が萌きざしていた。宗助は手枕をして、何を考えるともなく、ただこの暗く狭い景色けしき
を眺ながめていた。すると御米と清が台所で働く音が、自分に関係のない隣の人の活動のごとくに聞えた
。そのうち、障子だけがただ薄白く宗助の眼に映るように、部屋の中が暮れて来た。彼はそれでもじっと
して動かずにいた。声を出して洋灯ランプの催促もしなかった。
 彼が暗い所から出て、晩食ばんめしの膳ぜんに着いた時は、小六も六畳から出て来て、兄の向うに坐す
わった。御米は忙しいので、つい忘れたと云って、座敷の戸を締しめに立った。宗助は弟に夕方になった
ら、ちと洋灯ランプを点つけるとか、戸を閉たてるとかして、忙せわしい姉の手伝でもしたら好かろうと
注意したかったが、昨今引き移ったばかりのものに、気まずい事を云うのも悪かろうと思ってやめた。
 御米が座敷から帰って来るのを待って、兄弟は始めて茶碗に手を着けた。その時宗助はようやく今日役
所の帰りがけに、道具屋の前で坂井に逢った事と、坂井があの大きな眼鏡めがねを掛けている道具屋から
、抱一ほういつの屏風びょうぶを買ったと云う話をした。御米は、
「まあ」と云ったなり、しばらく宗助の顔を見ていた。
「じゃきっとあれよ。きっとあれに違ないわね」
 小六は始めのうち何にも口を出さなかったが、だんだん兄夫婦の話を聞いているうちに、ほぼ関係が明
暸めいりょうになったので、
「全体いくらで売ったのです」と聞いた。御米は返事をする前にちょっと夫の顔を見た。
 食事が終ると、小六はじきに六畳へ這入はいった。宗助はまた炬燵こたつへ帰った。しばらくして御米
も足を温ぬくめに来た。そうして次の土曜か日曜には坂井へ行って、一つ屏風を見て来たらいいだろうと
云うような事を話し合った。
 次の日曜になると、宗助は例の通り一週に一返いっぺんの楽寝らくねを貪ぼったため、午前ひるまえ半
日をとうとう空くうに潰つぶしてしまった。御米はまた頭が重いとか云って、火鉢ひばちの縁ふちに倚よ
りかかって、何をするのも懶ものうそうに見えた。こんな時に六畳が空あいていれば、朝からでも引込む
場所があるのにと思うと、宗助は小六に六畳をあてがった事が、間接に御米の避難場を取り上げたと同じ
結果に陥おちいるので、ことに済まないような気がした。
 心持が悪ければ、座敷へ床を敷いて寝たら好かろうと注意しても、御米は遠慮して容易に応じなかった
。それではまた炬燵でも拵こしらえたらどうだ、自分も当るからと云って、とうとう櫓やぐらと掛蒲団か
けぶとんを清きよに云いつけて、座敷へ運ばした。
 小六は宗助が起きる少し前に、どこかへ出て行って、今朝けさは顔さえ見せなかった。宗助は御米に向
って別段その行先を聞き糺ただしもしなかった。この頃では小六に関係した事を云い出して、御米にその
返事をさせるのが、気の毒になって来た。御米の方から、進んで弟の讒訴ざんそでもするようだと、叱る
にしろ、慰さめるにしろ、かえって始末が好いと考える時もあった。
136 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:16:19.15 ID:4uTcWgUe
 午ひるになっても御米は炬燵から出なかった。宗助はいっそ静かに寝かしておく方が身体からだのため
によかろうと思ったので、そっと台所へ出て、清にちょっと上の坂井まで行ってくるからと告げて、不断
着の上へ、袂たもとの出る短いインヴァネスを纏まとって表へ出た。
 今まで陰気な室へやにいた所為せいか、通とおりへ来ると急にからりと気が晴れた。肌の筋肉が寒い風
に抵抗して、一時に緊縮するような冬の心持の鋭どく出るうちに、ある快感を覚えたので、宗助は御米も
ああ家うちにばかり置いては善よくない、気候が好くなったら、ちと戸外の空気を呼吸させるようにして
やらなくては毒だと思いながら歩いた。
 坂井の家の門を入ったら、玄関と勝手口の仕切になっている生垣いけがきの目に、冬に似合わないぱっ
とした赤いものが見えた。傍そばへ寄ってわざわざ検しらべると、それは人形に掛ける小さい夜具であっ
た。細い竹を袖そでに通して、落ちないように、扇骨木かなめの枝に寄せ掛けた手際てぎわが、いかにも
女の子の所作しょさらしく殊勝しゅしょうに思われた。こう云う悪戯いたずらをする年頃の娘は固もとよ
りの事、子供と云う子供を育て上げた経験のない宗助は、この小さい赤い夜具の尋常に日に干してある有
様をしばらく立って眺ながめていた。そうして二十年も昔に父母が、死んだ妹いもとのために飾った、赤
い雛段ひなだんと五人囃ごにんばやしと、模様の美くしい干菓子と、それから甘いようで辛からい白酒を
思い出した。
 坂井の主人は在宅ではあったけれども、食事中だと云うので、しばらく待たせられた。宗助は座に着く
や否や、隣の室へやで小さい夜具を干した人達の騒ぐ声を耳にした。下女が茶を運ぶために襖ふすまを開
けると、襖の影から大きな眼が四つほどすでに宗助を覗のぞいていた。火鉢を持って出ると、その後あと
からまた違った顔が見えた。始めてのせいか、襖の開閉あけたてのたびに出る顔がことごとく違っていて
、子供の数が何人あるか分らないように思われた。ようやく下女が退さがりきりに退がると、今度は誰だ
か唐紙からかみを一寸ほど細目に開けて、黒い光る眼だけをその間から出した。宗助も面白くなって、黙
って手招ぎをして見た。すると唐紙をぴたりと閉たてて、向う側で三四人が声を合して笑い出した。
 やがて一人の女の子が、
「よう、御姉様またいつものように叔母さんごっこしましょうよ」と云い出した。すると姉らしいのが、
「ええ、今日は西洋の叔母さんごっこよ。東作さんは御父さまだからパパで、雪子さんは御母さまだから
ママって云うのよ。よくって」と説明した。その時また別の声で、
「おかしいわね。ママだって」と云って嬉うれしそうに笑ったものがあった。
「私わたしそれでもいつも御祖母おばばさまなのよ。御祖母さまの西洋の名がなくっちゃいけないわねえ
。御祖母さまは何て云うの」と聞いたものもあった。
「御祖母さまはやっぱりババでいいでしょう」と姉がまた説明した。
 それから当分の間は、御免下さいましだの、どちらからいらっしゃいましたのと盛さかんに挨拶あいさ
つの言葉が交換されていた。その間にはちりんちりんと云う電話の仮色こわいろも交った。すべてが宗助
には陽気で珍らしく聞えた。
 そこへ奥の方から足音がして、主人がこっちへ出て来たらしかったが、次の間へ入るや否や、
「さあ、御前達はここで騒ぐんじゃない。あっちへ行っておいで。御客さまだから」と制した。その時、
誰だかすぐに、
「厭いやだよ。御父おとっちゃんべい。大きい御馬買ってくれなくっちゃ、あっちへ行かないよ」と答え
た。声は小さい男の子の声であった。年が行かないためか、舌がよく回らないので、抗弁のしようがいか
にも億劫おっくうで手間がかかった。宗助はそこを特に面白く思った。
 主人が席に着いて、長い間待たした失礼を詫わびている間に、子供は遠くへ行ってしまった。
「大変御賑おにぎやかで結構です」と宗助が今自分の感じた通を述べると、主人はそれを愛嬌あいきょう
と受取ったものと見えて、
「いや御覧のごとく乱雑な有様で」と言訳らしい返事をしたが、それを緒いとくちに、子供の世話の焼け
て、夥おびただしく手のかかる事などをいろいろ宗助に話して聞かした。その中うちで綺麗きれいな支那
製の花籃はなかごのなかへ炭団たどんを一杯盛もって床の間に飾ったと云う滑稽こっけいと、主人の編上
137 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:16:31.20 ID:4uTcWgUe
の靴のなかへ水を汲み込んで、金魚を放したと云う悪戯いたずらが、宗助には大変耳新しかった。しかし
、女の子が多いので服装に物が要いるとか、二週間も旅行して帰ってくると、急にみんなの背が一寸いっ
すんずつも伸びているので、何だか後うしろから追いつかれるような心持がするとか、もう少しすると、
嫁入の支度で忙殺ぼうさつされるのみならず、きっと貧殺ひんさつされるだろうとか云う話になると、子
供のない宗助の耳にはそれほどの同情も起し得なかった。かえって主人が口で子供を煩冗うるさがる割に
、少しもそれを苦にする様子の、顔にも態度にも見えないのを羨うらやましく思った。
 好い加減な頃を見計みはからって宗助は、せんだって話のあった屏風びょうぶをちょっと見せて貰えま
いかと、主人に申し出た。主人はさっそく引き受けて、ぱちぱちと手を鳴らして、召使を呼んだが、蔵く
らの中にしまってあるのを取り出して来るように命じた。そうして宗助の方を向いて、
「つい二三日前までそこへ立てておいたのですが、例の子供が面白半分にわざと屏風の影へ集まって、い
ろいろな悪戯をするものですから、傷でもつけられちゃ大変だと思ってしまい込んでしまいました」と云
った。
 宗助は主人のこの言葉を聞いた時、今更手数てかずをかけて、屏風を見せて貰うのが、気の毒にもなり
、また面倒にもなった。実を云うと彼の好奇心は、それほど強くなかったのである。なるほどいったん他
ひとの所有に帰したものは、たとい元が自分のであったにしろ、無かったにしろ、そこを突き留めたとこ
ろで、実際上には何の効果もない話に違なかった。
 けれども、屏風は宗助の申し出た通り、間もなく奥から縁伝いに運び出されて、彼の眼の前に現れた。
そうしてそれが予想通りついこの間まで自分の座敷に立ててあった物であった。この事実を発見した時、
宗助の頭には、これと云って大した感動も起らなかった。ただ自分が今坐っている畳の色や、天井の柾目
まさめや、床の置物や、襖ふすまの模様などの中に、この屏風を立てて見て、それに、召使が二人がかり
で、蔵の中から大事そうに取り出して来たと云う所作しょさを付け加えて考えると、自分が持っていた時
よりは、たしかに十倍以上貴たっとい品のように眺ながめられただけであった。彼は即座に云うべき言葉
を見出し得なかったので、いたずらに、見慣れたものの上に、さらに新らしくもない眼を据すえていた。
 主人は宗助をもってある程度の鑑賞家と誤解した。立ちながら屏風の縁ふちへ手を掛けて、宗助の面お
もてと屏風の面とを比較していたが、宗助が容易に批評を下さないので、
「これは素性すじょうのたしかなものです。出が出ですからね」と云った。宗助は、ただ
「なるほど」と云った。
 主人はやがて宗助の後へ回って来て、指でそこここを指さしながら、品評やら説明やらした。その中う
ちには、さすが御大名だけあって、好い絵の具を惜気おしげもなく使うのがこの画家の特色だから、色が
いかにもみごとであると云うような、宗助には耳新らしいけれども、普通一般に知れ渡った事もだいぶ交
っていた。
 宗助は好い加減な頃を見計らって、丁寧ていねいに礼を述べて元の席に復した。主人も蒲団ふとんの上
に直った。そうして、今度は野路のじや空云々という題句やら書体やらについて語り出した。宗助から見
ると、主人は書にも俳句にも多くの興味を有もっていた。いつの間にこれほどの知識を頭の中へ貯たくわ
え得らるるかと思うくらい、すべてに心得のある男らしく思われた。宗助は己おのれを恥じて、なるべく
物数ものかずを云わないようにして、ただ向うの話だけに耳を借す事を力つとめた。
 主人は客がこの方面の興味に乏しい様子を見て、再び話を画えの方へ戻した。碌ろくなものはないけれ
ども、望ならば所蔵の画帖がじょうや幅物を見せてもいいと親切に申し出した。宗助はせっかくの好意を
辞退しない訳に行かなかった。その代りに、失礼ですがと前置をして、主人がこの屏風を手に入れるにつ
いて、どれほどの金額を払ったかを尋ねた。
「まあ掘出し物ですね。八十円で買いました」と主人はすぐ答えた。
 宗助は主人の前に坐って、この屏風に関するいっさいの事を自白しようか、しまいかと思案したが、ふ
と打ち明けるのも一興だろうと心づいて、とうとう実はこれこれだと、今までの顛末てんまつを詳しく話
し出した。主人は時々へえ、へえと驚ろいたような言葉を挟はさんで聞いていたが、しまいに、
「じゃあなたは別に書画が好きで、見にいらしった訳でもないんですね」と自分の誤解を、さも面白い経
138 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:16:43.19 ID:4uTcWgUe
験でもしたように笑い出した。同時に、そう云う訳なら、自分が直じかに宗助から相当の値で譲って貰え
ばよかったに、惜しい事をしたと云った。最後に横町の道具屋をひどく罵ののしって、怪けしからん奴や
つだと云った。
 宗助と坂井とはこれからだいぶ親しくなった。



 佐伯さえきの叔母も安之助やすのすけもその後とんと宗助そうすけの宅うちへは見えなかった。宗助は
固もとより麹町こうじまちへ行く余暇を有もたなかった。またそれだけの興味もなかった。親類とは云い
ながら、別々の日が二人の家を照らしていた。
 ただ小六ころくだけが時々話しに出かける様子であったが、これとても、そう繁々しげしげ足を運ぶ訳
でもないらしかった。それに彼は帰って来て、叔母の家の消息をほとんど御米およねに語らないのを常と
しておった。御米はこれを故意こいから出る小六の仕打かとも疑うたぐった。しかし自分が佐伯に対して
特別の利害を感じない以上、御米は叔母の動静を耳にしない方を、かえって喜こんだ。
 それでも時々は、先方さきの様子を、小六と兄の対話から聞き込む事もあった。一週間ほど前に、小六
は兄に、安之助がまた新発明の応用に苦心している話をした。それは印気インキの助けを借らないで、鮮
明な印刷物を拵こしらえるとか云う、ちょっと聞くとすこぶる重宝な器械についてであった。話題の性質
から云っても、自分とは全く利害の交渉のないむずかしい事なので、御米は例の通り黙って口を出さずに
いたが、宗助は男だけに幾分か好奇心が動いたと見えて、どうして印気を使わずに印刷ができるかなどと
問い糺ただしていた。
 専門上の知識のない小六が、精密な返答をし得るはずは無論なかった。彼はただ安之助から聞いたまま
を、覚えている限り念を入れて説明した。この印刷術は近来英国で発明になったもので、根本的にいうと
やはり電気の利用に過ぎなかった。電気の一極を活字と結びつけておいて、他の一極を紙に通じて、その
紙を活字の上へ圧おしつけさえすれば、すぐできるのだと小六が云った。色は普通黒であるが、手加減し
だいで赤にも青にもなるから色刷などの場合には、絵の具を乾かす時間が省はぶけるだけでも大変重宝で
、これを新聞に応用すれば、印気インキや印気ロールの費ついえを節約する上に、全体から云って、少く
とも従来の四分の一の手数がなくなる点から見ても、前途は非常に有望な事業であると、小六はまた安之
助の話した通りを繰り返した。そうしてその有望な前途を、安之助がすでに手の中うちに握ったかのごと
き口気こうきであった。かつその多望な安之助の未来のなかには、同じく多望な自分の影が、含まれてい
るように、眼を輝やかした。その時宗助はいつもの調子で、むしろ穏やかに、弟の云う事を聞いていたが
、聞いてしまった後あとでも、別にこれという眼立った批評は加えなかった。実際こんな発明は、宗助か
ら見ると、本当のようでもあり、また嘘のようでもあり、いよいよそれが世間に行われるまでは、賛成も
反対もできかねたのである。
「じゃ鰹船かつおぶねの方はもう止したの」と、今まで黙っていた御米が、この時始めて口を出した。
「止したんじゃないんですが、あの方は費用が随分かかるので、いくら便利でも、そう誰も彼も拵こしら
える訳に行かないんだそうです」と小六が答えた。小六は幾分か安之助の利害を代表しているような口振
であった。それから三人の間に、しばらく談話が交換されたが、しまいに、
「やっぱり何をしたって、そう旨うまく行くもんじゃあるまいよ」と云った宗助の言葉と、
「坂井さんみたように、御金があって遊んでいるのが一番いいわね」と云った御米の言葉を聞いて、小六
はまた自分の部屋へ帰って行った。
 こう云う機会に、佐伯の消息は折々夫婦の耳へ洩もれる事はあるが、そのほかには、全く何をして暮ら
しているか、互に知らないで過す月日が多かった。
 ある時御米は宗助にこんな問を掛けた。
「小六さんは、安さんの所へ行くたんびに、小遣こづかいでも貰もらって来るんでしょうか」
 今まで小六について、それほどの注意を払っていなかった宗助は、突然この問に逢って、すぐ、「なぜ
139 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:16:55.20 ID:4uTcWgUe
」と聞き返した。御米はしばらく逡巡ためらった末、
「だって、この頃よく御酒を呑のんで帰って来る事があるのよ」と注意した。
「安さんが例の発明や、金儲かねもうけの話をするとき、その聞き賃に奢おごるのかも知れない」と云っ
て宗助は笑っていた。会話はそれなりでつい発展せずにしまった。
 越えて三日目の夕方に、小六はまた飯時めしどきを外はずして帰って来なかった。しばらく待ち合せて
いたが、宗助はついに空腹だとか云い出して、ちょっと湯にでも行って時間を延ばしたらという御米の小
六に対する気兼きがねに頓着とんじゃくなく、食事を始めた。その時御米は夫に、
「小六さんに御酒を止やめるように、あなたから云っちゃいけなくって」と切り出した。
「そんなに意見しなければならないほど飲むのか」と宗助は少し案外な顔をした。
 御米はそれほどでもないと、弁護しなければならなかった。けれども実際は誰もいない昼間のうちなど
に、あまり顔を赤くして帰って来られるのが、不安だったのである。宗助はそれなり放っておいた。しか
し腹の中では、はたして御米の云うごとく、どこかで金を借りるか、貰うかして、それほど好きもしない
ものを、わざと飲むのではなかろうかと疑ぐった。
 そのうち年がだんだん片寄って、夜が世界の三分の二を領りょうするように押しつまって来た。風が毎
日吹いた。その音を聞いているだけでも生活ライフに陰気な響を与えた。小六はどうしても、六畳に籠こ
もって、一日を送るに堪たえなかった。落ちついて考えれば考えるほど、頭が淋さむしくって、いたたま
れなくなるばかりであった。茶の間へ出て嫂あによめと話すのはなお厭いやであった。やむを得ず外へ出
た。そうして友達の宅うちをぐるぐる回って歩いた。友達も始のうちは、平生いつもの小六に対するよう
に、若い学生のしたがる面白い話をいくらでもした。けれども小六はそう云う話が尽きても、まだやって
来た。それでしまいには、友達が、小六は、退屈の余りに訪問をして、談話の復習に耽ふけるものだと評
した。たまには学校の下読したよみやら研究やらに追われている多忙の身だと云う風もして見せた。小六
は友達からそう呑気のんきな怠けもののように取り扱われるのを、大変不愉快に感じた。けれども宅に落
ちついては、読書も思索も、まるでできなかった。要するに彼ぐらいの年輩の青年が、一人前の人間にな
る階梯かいていとして、修おさむべき事、力つとむべき事には、内部の動揺やら、外部の束縛やらで、い
っさい手が着かなかったのである。
 それでも冷たい雨が横に降ったり、雪融ゆきどけの道がはげしく泥ぬかったりする時は、着物を濡ぬら
さなければならず、足袋たびの泥を乾かさなければならない面倒があるので、いかな小六も時によると、
外出を見合せる事があった。そう云う日には、実際困却すると見えて、時々六畳から出て来て、のそりと
火鉢の傍そばへ坐って、茶などを注ついで飲んだ。そうしてそこに御米でもいると、世間話の一つや二つ
はしないとも限らなかった。
「小六さん御酒好き」と御米が聞いた事があった。
「もう直じき御正月ね。あなた御雑煮おぞうにいくつ上がって」と聞いた事もあった。
 そう云う場合が度重たびかさなるに連つれて、二人の間は少しずつ近寄る事ができた。しまいには、姉
さんちょっとここを縫って下さいと、小六の方から進んで、御米に物を頼むようになった。そうして御米
が絣かすりの羽織を受取って、袖口そでくちの綻ほころびを繕つくろっている間、小六は何にもせずにそ
こへ坐すわって、御米の手先を見つめていた。これが夫だと、いつまでも黙って針を動かすのが、御米の
例であったが、相手が小六の時には、そう投遣なげやりにできないのが、また御米の性質であった。だか
らそんな時には力めても話をした。話の題目で、ややともすると小六の口に宿りたがるものは、彼の未来
をどうしたら好かろうと云う心配であった。
「だって小六さんなんか、まだ若いじゃありませんか。何をしたってこれからだわ。そりゃ兄さんの事よ
。そう悲観してもいいのは」
 御米は二度ばかりこういう慰め方をした。三度目には、
「来年になれば、安さんの方でどうか都合して上げるって受合って下すったんじゃなくって」と聞いた。
小六はその時不慥ふたしかな表情をして、
「そりゃ安さんの計画が、口でいう通り旨うまく行けば訳はないんでしょうが、だんだん考えると、何だ
140 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:17:07.21 ID:4uTcWgUe
か少し当にならないような気がし出してね。鰹船かつおぶねもあんまり儲もうからないようだから」と云
った。御米は小六の憮然ぶぜんとしている姿を見て、それを時々酒気を帯びて帰って来る、どこかに殺気
さっきを含んだ、しかも何が癪しゃくに障さわるんだか訳が分らないでいてはなはだ不平らしい小六と比
較すると、心の中うちで気の毒にもあり、またおかしくもあった。その時は、
「本当にね。兄さんにさえ御金があると、どうでもして上げる事ができるんだけれども」と、御世辞でも
何でもない、同情の意を表した。
 その夕暮であったか、小六はまた寒い身体からだを外套マントに包くるんで出て行ったが、八時過に帰
って来て、兄夫婦の前で、袂たもとから白い細長い袋を出して、寒いから蕎麦掻そばがきを拵こしらえて
食おうと思って、佐伯へ行った帰りに買って来たと云った。そうして御米が湯を沸わかしているうちに、
煮出しを拵えるとか云って、しきりに鰹節かつぶしを掻かいた。
 その時宗助夫婦は、最近の消息として、安之助の結婚がとうとう春まで延びた事を聞いた。この縁談は
安之助が学校を卒業すると間もなく起ったもので、小六が房州から帰って、叔母に学資の供給を断わられ
る時分には、もうだいぶ話が進んでいたのである。正式の通知が来ないので、いつ纏まとまったか、宗助
はまるで知らなかったが、ただ折々佐伯へ行っては、何か聞いて来る小六を通じてのみ、彼は年内に式を
挙げるはずの新夫婦を予想した。その他には、嫁の里がある会社員で、有福な生計くらしをしている事と
、その学校が女学館であるという事と、兄弟がたくさんあると云う事だけを、同じく小六を通じて耳にし
た。写真にせよ顔を知ってるのは小六ばかりであった。
「好い器量?」と御米が聞いた事がある。
「まあ好い方でしょう」と小六が答えた事がある。
 その晩はなぜ暮のうちに式を済まさないかと云うのが、蕎麦掻のでき上る間、三人の話題になった。御
米は方位でも悪いのだろうと臆測おくそくした。宗助は押しつまって日がないからだろうと考えた。独ひ
とり小六だけが、
「やっぱり物質的の必要かららしいです。先が何でもよほど派出はでな家うちなんで、叔母さんの方でも
そう単簡たんかんに済まされないんでしょう」といつにない世帯染みた事を云った。

十一

 御米およねのぶらぶらし出したのは、秋も半なかば過ぎて、紅葉もみじの赤黒く縮ちぢれる頃であった
。京都にいた時分は別として、広島でも福岡でも、あまり健康な月日を送った経験のない御米は、この点
に掛けると、東京へ帰ってからも、やはり仕合せとは云えなかった。この女には生れ故郷の水が、性しょ
うに合わないのだろうと、疑ぐれば疑ぐられるくらい、御米は一時悩んだ事もあった。
 近頃はそれがだんだん落ちついて来て、宗助そうすけの気を揉もむ機会ばあいも、年に幾度と勘定かん
じょうができるくらい少なくなったから、宗助は役所の出入でいりに、御米はまた夫の留守の立居たちい
に、等しく安心して時間を過す事ができたのである。だからことしの秋が暮れて、薄い霜しもを渡る風が
、つらく肌を吹く時分になって、また少し心持が悪くなり出しても、御米はそれほど苦にもならなかった
。始のうちは宗助にさえ知らせなかった。宗助が見つけて、医者に掛かれと勧めても、容易に掛からなか
った。
 そこへ小六ころくが引越して来た。宗助はその頃の御米を観察して、体質の状態やら、精神の模様やら
、夫おっとだけによく知っていたから、なるべくは、人数ひとかずを殖ふやして宅うちの中を混雑ごたつ
かせたくないとは思ったが、事情やむを得ないので、成るがままにしておくよりほかに、手段の講じよう
もなかった。ただ口の先で、なるべく安静にしていなくてはいけないと云う矛盾した助言は与えた。御米
は微笑して、
「大丈夫よ」と云った。この答を得た時、宗助はなおの事安心ができなくなった。ところが不思議にも、
御米の気分は、小六が引越して来てから、ずっと引立った。自分に責任の少しでも加わったため、心が緊
張したものと見えて、かえって平生よりは、かいがいしく夫や小六の世話をした。小六にはそれがまるで
141 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:17:31.22 ID:4uTcWgUe
もなお課長として本省にいないのを遺憾いかんとした。彼は東京へ移ってから不思議とまだ病気をした事
がなかった。したがってまだ欠勤届を出した事がなかった。学校を中途でやめたなり、本はほとんど読ま
ないのだから、学問は人並にできないが、役所でやる仕事に差支さしつかえるほどの頭脳ではなかった。
 彼はいろいろな事情を綜合そうごうして考えた上、まあ大丈夫だろうと腹の中できめた。そうして爪の
先で軽く鉄瓶の縁ふちを敲たたいた。その時座敷で、
「あなたちょっと」と云う御米の苦しそうな声が聞えたので、我知らず立ち上がった。
 座敷へ来て見ると、御米は眉まゆを寄せて、右の手で自分の肩を抑おさえながら、胸まで蒲団ふとんの
外へ乗り出していた。宗助はほとんど器械的に、同じ所へ手を出した。そうして御米の抑えている上から
、固く骨の角かどを攫つかんだ。
「もう少し後うしろの方」と御米が訴えるように云った。宗助の手が御米の思う所へ落ちつくまでには、
二度も三度もそこここと位置を易かえなければならなかった。指で圧おしてみると、頸くびと肩の継目の
少し背中へ寄った局部が、石のように凝こっていた。御米は男の力いっぱいにそれを抑えてくれと頼んだ
。宗助の額からは汗が煮染にじみ出した。それでも御米の満足するほどは力が出なかった。
 宗助は昔の言葉で早打肩はやうちかたというのを覚えていた。小さい時祖父じじいから聞いた話に、あ
る侍さむらいが馬に乗ってどこかへ行く途中で、急にこの早打肩はやうちかたに冒おかされたので、すぐ
馬から飛んで下りて、たちまち小柄こづかを抜くや否いなや、肩先を切って血を出したため、危うい命を
取り留めたというのがあったが、その話が今明らかに記憶の焼点しょうてんに浮んで出た。その時宗助は
これはならんと思った。けれどもはたして刃物を用いて、肩の肉を突いていいものやら、悪いものやら、
決しかねた。
 御米はいつになく逆上のぼせて、耳まで赤くしていた。頭が熱いかと聞くと苦しそうに熱いと答えた。
宗助は大きな声を出して清に氷嚢こおりぶくろへ冷たい水を入れて来いと命じた。氷嚢があいにく無かっ
たので、清は朝の通り金盥かなだらいに手拭てぬぐいを浸つけて持って来た。清が頭を冷やしているうち
、宗助はやはり精いっぱい肩を抑えていた。時々少しはいいかと聞いても、御米は微かすかに苦しいと答
えるだけであった。宗助は全く心細くなった。思い切って、自分で馳かけ出して医者を迎むかいに行こう
としたが、後あとが心配で一足も表へ出る気にはなれなかった。
「清、御前急いで通りへ行って、氷嚢を買って医者を呼んで来い。まだ早いから起きてるだろう」
 清はすぐ立って茶の間の時計を見て、
「九時十五分でございます」と云いながら、それなり勝手口へ回って、ごそごそ下駄を探さがしていると
ころへ、旨うまい具合に外から小六が帰って来た。例の通り兄には挨拶あいさつもしないで、自分の部屋
へ這入はいろうとするのを、宗助はおい小六と烈はげしく呼び止めた。小六は茶の間で少し躊躇ちゅうち
ょしていたが、兄からまた二声ほど続けざまに大きな声を掛けられたので、やむを得ず低い返事をして、
襖ふすまから顔を出した。その顔は酒気しゅきのまだ醒さめない赤い色を眼の縁ふちに帯びていた。部屋
の中を覗のぞき込んで、始めて吃驚びっくりした様子で、
「どうかなすったんですか」と酔よいが一時に去ったような表情をした。
 宗助は清に命じた通りを、小六に繰り返して、早くしてくれと急せき立てた。小六は外套マントも脱ぬ
がずに、すぐ玄関へ取って返した。
「兄さん、医者まで行くのは急いでも時間が掛かりますから、坂井さんの電話を借りて、すぐ来るように
頼みましょう」
「ああ。そうしてくれ」と宗助は答えた。そうして小六の帰る間、清に何返なんべんとなく金盥の水を易
かえさしては、一生懸命に御米の肩を圧おしつけたり、揉もんだりしてみた。御米の苦しむのを、何もせ
ずにただ見ているに堪たえなかったから、こうして自分の気を紛まぎらしていたのである。
 この時の宗助に取って、医者の来るのを今か今かと待ち受ける心ほど苛つらいものはなかった。彼は御
米の肩を揉みながらも、絶えず表の物音に気を配った。
 ようやく医者が来たときは、始めて夜が明けたような心持がした。医者は商売柄だけあって、少しも狼
狽うろたえた様子を見せなかった。小さい折鞄おりかばんを脇に引き付けて、落ちつき払った態度で、慢
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山師さん
2016/05/18(水) 16:17:43.23 ID:4uTcWgUe
性病の患者でも取り扱うように緩ゆっくりした診察をした。その逼せまらない顔色を傍はたで見ていたせ
いか、わくわくした宗助の胸もようやく治おさまった。
 医者は芥子からしを局部へ貼はる事と、足を湿布しっぷで温める事と、それから頭を氷で冷す事とを、
応急手段として宗助に注意した。そうして自分で芥子を掻かいて、御米の肩から頸くびの根へ貼りつけて
くれた。湿布は清と小六とで受持った。宗助は手拭てぬぐいの上から氷嚢こおりぶくろを額の上に当てが
った。
 とかくするうち約一時間も経った。医者はしばらく経過を見て行こうと云って、それまで御米の枕元に
坐すわっていた。世間話も折々は交まじえたが、おおかたは無言のまま二人共に御米の容体を見守る事が
多かった。夜よは例のごとく静しずかに更ふけた。
「だいぶ冷えますな」と医者が云った。宗助は気の毒になったので、あとの注意をよく聞いた上、遠慮な
く引き取ってくれるようにと頼んだ。その時御米は先刻さっきよりはだいぶ軽快になっていたからである

「もう大丈夫でしょう。頓服とんぷくを一回上げますから今夜飲んで御覧なさい。多分寝られるだろうと
思います」と云って医者は帰った。小六はすぐその後あとを追って出て行った。
 小六が薬取に行った間に、御米は
「もう何時」と云いながら、枕元の宗助を見上げた。宵よいとは違って頬から血が退ひいて、洋灯ランプ
に照らされた所が、ことに蒼白あおじろく映った。宗助は黒い毛の乱れたせいだろうと思って、わざわざ
鬢びんの毛を掻き上げてやった。そうして、
「少しはいいだろう」と聞いた。
「ええよっぽど楽になったわ」と御米はいつもの通り微笑を洩もらした。御米は大抵苦しい場合でも、宗
助に微笑を見せる事を忘れなかった。茶の間では、清が突伏したまま鼾いびきをかいていた。
「清を寝かしてやって下さい」と御米が宗助に頼んだ。
 小六が薬取りから帰って来て、医者の云いつけ通り服薬を済ましたのは、もうかれこれ十二時近くであ
った。それから二十分と経たないうちに、病人はすやすや寝入った。
「好い塩梅あんばいだ」と宗助が御米の顔を見ながら云った。小六もしばらく嫂あによめの様子を見守っ
ていたが、
「もう大丈夫でしょう」と答えた。二人は氷嚢を額からおろした。
 やがて小六は自分の部屋へ這入はいる。宗助は御米の傍そばへ床を延べていつものごとく寝た。五六時
間の後のち冬の夜は錐きりのような霜しもを挟さしはさんで、からりと明け渡った。それから一時間する
と、大地を染める太陽が、遮さえぎるもののない蒼空あおぞらに憚はばかりなく上のぼった。御米はまだ
すやすや寝ていた。
 そのうち朝餉あさげも済んで、出勤の時刻がようやく近づいた。けれども御米は眠りから覚さめる気色
けしきもなかった。宗助は枕辺まくらべに曲こごんで、深い寝息を聞きながら、役所へ行こうか休もうか
と考えた。

十二

 朝の内は役所で常のごとく事務を執とっていたが、折々昨夕ゆうべの光景が眼に浮ぶに連れて、自然御
米およねの病気が気に罹かかるので、仕事は思うように運ばなかった。時には変な間違をさえした。宗助
そうすけは午ひるになるのを待って、思い切って宅うちへ帰って来た。
 電車の中では、御米の眼がいつ頃覚さめたろう、覚めた後は心持がだいぶ好くなったろう、発作ほっさ
ももう起る気遣きづかいなかろうと、すべて悪くない想像ばかり思い浮べた。いつもと違って、乗客の非
常に少ない時間に乗り合わせたので、宗助は周囲の刺戟しげきに気を使う必要がほとんどなかった。それ
で自由に頭の中へ現われる画を何枚となく眺ながめた。そのうちに、電車は終点に来た。
 宅の門口かどぐちまで来ると、家の中はひっそりして、誰もいないようであった。格子こうしを開けて
143 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:17:55.24 ID:4uTcWgUe
、靴を脱いで、玄関に上がっても、出て来るものはなかった。宗助はいつものように縁側えんがわから茶
の間へ行かずに、すぐ取付とっつきの襖ふすまを開けて、御米の寝ている座敷へ這入はいった。見ると、
御米は依然として寝ていた。枕元の朱塗の盆に散薬さんやくの袋と洋杯が載のっていて、その洋杯コップ
の水が半分残っているところも朝と同じであった。頭を床の間の方へ向けて、左の頬と芥子からしを貼っ
た襟元えりもとが少し見えるところも朝と同じであった。呼息いきよりほかに現実世界と交通のないよう
に思われる深い眠ねむりも朝見た通りであった。すべてが今朝出掛に頭の中へ収めて行った光景と少しも
変っていなかった。宗助は外套マントも脱がずに、上から曲こごんで、すうすういう御米の寝息をしばら
く聞いていた。御米は容易に覚めそうにも見えなかった。宗助は昨夕ゆうべ御米が散薬を飲んでから以後
の時間を指を折って勘定した。そうしてようやく不安の色を面おもてに表わした。昨夕までは寝られない
のが心配になったが、こう前後不覚に長く寝るところを眼まのあたりに見ると、寝る方が何かの異状では
ないかと考え出した。
 宗助は蒲団ふとんへ手を掛けて二三度軽く御米を揺振ゆすぶった。御米の髪が括枕くくりまくらの上で
、波を打つように動いたが、御米は依然としてすうすう寝ていた。宗助は御米を置いて、茶の間から台所
へ出た。流し元の小桶こおけの中に茶碗と塗椀が洗わないまま浸つけてあった。下女部屋を覗のぞくと、
清きよが自分の前に小さな膳ぜんを控えたなり、御櫃おはちに倚よりかかって突伏していた。宗助はまた
六畳の戸を引いて首を差し込んだ。そこには小六ころくが掛蒲団を一枚頭から引被って寝ていた。
 宗助は一人で着物を着換えたが、脱ぎ捨てた洋服も、人手を借りずに自分で畳んで、押入にしまった。
それから火鉢へ火を継ついで、湯を沸わかす用意をした。二三分は火鉢に持たれて考えていたが、やがて
立ち上がって、まず小六から起しにかかった。次に清を起した。二人とも驚ろいて飛び起きた。小六に御
米の今朝から今までの様子を聞くと、実は余り眠いので、十一時半頃飯を食って寝たのだが、それまでは
御米もよく熟睡していたのだと云う。
「医者へ行ってね。昨夜ゆうべの薬を戴いただいてから寝出して、今になっても眼が覚めませんが、差支
さしつかえないでしょうかって聞いて来てくれ」
「はあ」
 小六は簡単な返事をして出て行った。宗助はまた座敷へ来て御米の顔を熟視した。起してやらなくって
は悪いような、また起しては身体からだへ障さわるような、分別ふんべつのつかない惑まどいを抱いだい
て腕組をした。
 間もなく小六が帰って来て、医者はちょうど往診に出かけるところであった、訳を話したら、では今か
ら一二軒寄ってすぐ行こうと答えた、と告げた。宗助は医者が見えるまで、こうして放っておいて構わな
いのかと小六に問い返したが、小六は医者が以上よりほかに何にも語らなかったと云うだけなので、やむ
を得ず元のごとく枕辺まくらべにじっと坐っていた。そうして心の中うちで、医者も小六も不親切過ぎる
ように感じた。彼はその上昨夕ゆうべ御米を介抱している時に帰って来た小六の顔を思い出して、なお不
愉快になった。小六が酒を呑のむ事は、御米の注意で始めて知ったのであるが、その後気をつけて弟の様
子をよく見ていると、なるほど何だか真面目まじめでないところもあるようなので、いつかみっちり異見
でもしなければなるまいくらいに考えてはいたが、面白くもない二人の顔を御米に見せるのが、気の毒な
ので、今日きょうまでわざと遠慮していたのである。
「云い出すなら御米の寝ている今である。今ならどんな気不味きまずいことを双方で言い募つのったって
、御米の神経に障る気遣きづかいはない」
 ここまで考えついたけれども、知覚のない御米の顔を見ると、またその方が気がかりになって、すぐに
でも起したい心持がするので、つい決し兼てぐずぐずしていた。そこへようやく医者が来てくれた。
 昨夕の折鞄おりかばんをまた丁寧ていねいに傍わきへ引きつけて、緩ゆっくり巻煙草まきたばこを吹か
しながら、宗助の云うことを、はあはあと聞いていたが、どれ拝見致しましょうと御米の方へ向き直った
。彼は普通の場合のように病人の脈を取って、長い間自分の時計を見つめていた。それから黒い聴診器を
心臓の上に当てた。それを丁寧にあちらこちらと動かした。最後に丸い穴の開あいた反射鏡を出して、宗
助に蝋燭ろうそくを点つけてくれと云った。宗助は蝋燭を持たないので、清に洋灯ランプを点つけさした
144 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:18:07.25 ID:4uTcWgUe
。医者は眠っている御米の眼を押し開けて、仔細しさいに反射鏡の光を睫まつげの奥に集めた。診察はそ
れで終った。
「少し薬が利きき過ぎましたね」と云って宗助の方へ向き直ったが、宗助の眼の色を見るや否いなや、す
ぐ、
「しかし御心配になる事はありません。こう云う場合に、もし悪い結果が起るとすると、きっと心臓か脳
を冒おかすものですが、今拝見したところでは双方共異状は認められませんから」と説明してくれた。宗
助はそれでようやく安心した。医者はまた自分の用いた眠り薬が比較的新らしいもので、学理上、他の睡
眠剤のように有害でない事や、またその効目ききめが患者の体質に因よって、程度に大変な相違のある事
などを語って帰った。帰るとき宗助は、
「では寝られるだけ寝かしておいても差支さしつかえありませんか」と聞いたら、医者は用さえなければ
別に起す必要もあるまいと答えた。
 医者が帰ったあとで、宗助は急に空腹になった。茶の間へ出ると、先刻さっき掛けておいた鉄瓶てつび
んがちんちん沸たぎっていた。清を呼んで、膳ぜんを出せと命ずると、清は困った顔つきをして、まだ何
の用意もできていないと答えた。なるほど晩食ばんめしには少し間があった。宗助は楽々と火鉢の傍そば
に胡坐あぐらを掻かいて、大根の香こうの物ものを噛かみながら湯漬ゆづけを四杯ほどつづけざまに掻か
き込んだ。それから約三十分ほどしたら御米の眼がひとりでに覚さめた。

十三

 新年の頭を拵こしらえようという気になって、宗助そうすけは久し振に髪結床かみゆいどこの敷居を跨
またいだ。暮のせいか客がだいぶ立て込んでいるので、鋏はさみの音が二三カ所で、同時にちょきちょき
鳴った。この寒さを無理に乗り越して、一日も早く春に入ろうと焦慮あせるような表通の活動を、宗助は
今見て来たばかりなので、その鋏の音が、いかにも忙せわしない響となって彼の鼓膜を打った。
 しばらく煖炉ストーブの傍はたで煙草たばこを吹かして待っている間に、宗助は自分と関係のない大き
な世間の活動に否応なしに捲まき込まれて、やむを得ず年を越さなければならない人のごとくに感じた。
正月を眼の前へ控えた彼は、実際これという新らしい希望もないのに、いたずらに周囲から誘われて、何
だかざわざわした心持を抱いだいていたのである。
 御米およねの発作ほっさはようやく落ちついた。今では平日いつものごとく外へ出ても、家うちの事が
それほど気にかからないぐらいになった。余所よそに比べると閑静な春の支度も、御米から云えば、年に
一度の忙がしさには違なかったので、あるいはいつも通りの準備さえ抜いて、常よりも簡単に年を越す覚
悟をした宗助は、蘇生よみがえったようにはっきりした妻さいの姿を見て、恐ろしい悲劇が一歩遠退とお
のいた時のごとくに、胸を撫なでおろした。しかしその悲劇がまたいついかなる形で、自分の家族を捕と
らえに来るか分らないと云う、ぼんやりした掛念けねんが、折々彼の頭のなかに霧きりとなってかかった

 年の暮に、事を好むとしか思われない世間の人が、故意わざと短い日を前へ押し出したがって齷齪あく
せくする様子を見ると、宗助はなおの事この茫漠ぼうばくたる恐怖の念に襲おそわれた。成ろうことなら
、自分だけは陰気な暗い師走しわすの中うちに一人残っていたい思さえ起った。ようやく自分の番が来て
、彼は冷たい鏡のうちに、自分の影を見出した時、ふとこの影は本来何者だろうと眺ながめた。首から下
は真白な布に包まれて、自分の着ている着物の色も縞しまも全く見えなかった。その時彼はまた床屋の亭
主が飼っている小鳥の籠かごが、鏡の奥に映っている事に気がついた。鳥が止とまり木ぎの上をちらりち
らりと動いた。
 頭へ香においのする油を塗られて、景気のいい声を後うしろから掛けられて、表へ出たときは、それで
も清々せいせいした心持であった。御米の勧め通り髪を刈った方が、結局つまり気を新たにする効果があ
ったのを、冷たい空気の中で、宗助は自覚した。
 水道税の事でちょっと聞き合せる必要が生じたので、宗助は帰り路に坂井へ寄った。下女が出て来て、
145 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:18:19.33 ID:4uTcWgUe
こちらへと云うから、いつもの座敷へ案内するかと思うと、そこを通り越して、茶の間へ導びいていった
。すると茶の間の襖ふすまが二尺ばかり開あいていて、中から三四人の笑い声が聞えた。坂井の家庭は相
変らず陽気であった。
 主人は光沢つやの好い長火鉢ながひばちの向側に坐っていた。細君は火鉢を離れて、少し縁側えんがわ
の障子しょうじの方へ寄って、やはりこちらを向いていた。主人の後うしろに細長い黒い枠わくに嵌はめ
た柱時計がかかっていた。時計の右が壁で、左が袋戸棚ふくろとだなになっていた。その張交はりまぜに
石摺いしずりだの、俳画だの、扇の骨を抜いたものなどが見えた。
 主人と細君のほかに、筒袖つつそでの揃そろいの模様の被布ひふを着た女の子が二人肩を擦すりつけ合
って坐っていた。片方は十二三で、片方は十とおぐらいに見えた。大きな眼を揃えて、襖ふすまの陰から
入って来た宗助の方を向いたが、二人の眼元にも口元にも、今笑ったばかりの影が、まだゆたかに残って
いた。宗助は一応室へやの内を見回して、この親子のほかに、まだ一人妙な男が、一番入口に近い所に畏
かしこまっているのを見出した。
 宗助は坐って五分と立たないうちに、先刻さっきの笑声は、この変な男と坂井の家族との間に取り換わ
された問答から出る事を知った。男は砂埃すなほこりでざらつきそうな赤い毛と、日に焼けて生涯しょう
がい褪さめっこない強い色を有もっていた。瀬戸物の釦ボタンの着いた白木綿しろもめんの襯衣シャツを
着て、手織の硬こわい布子ぬのこの襟えりから財布の紐ひもみたような長い丸打まるうちをかけた様子は
、滅多めったに東京などへ出る機会のない遠い山の国のものとしか受け取れなかった。その上男はこの寒
いのに膝小僧ひざこぞうを少し出して、紺こんの落ちた小倉こくらの帯の尻に差した手拭てぬぐいを抜い
ては鼻の下を擦こすった。
「これは甲斐かいの国から反物たんものを背負しょってわざわざ東京まで出て来る男なんです」と坂井の
主人が紹介すると、男は宗助の方を向いて、
「どうか旦那、一つ買っておくれ」と挨拶あいさつをした。
 なるほど銘仙めいせんだの御召おめしだの、白紬しろつむぎだのがそこら一面に取り散らしてあった。
宗助はこの男の形装なりや言葉遣ことばづかいのおかしい割に、立派な品物を背中へ乗せて歩行あるくの
をむしろ不思議に思った。主人の細君の説明によると、この織屋の住んでいる村は焼石ばかりで、米も粟
あわも収とれないから、やむを得ず桑くわを植えて蚕かいこを飼うんだそうであるが、よほど貧しい所と
見えて、柱時計を持っている家が一軒だけで、高等小学へ通う小供が三人しかないという話であった。
「字の書けるものは、この人ぎりなんだそうですよ」と云って細君は笑った。すると織屋も、
「本当のこんだよ、奥さん。読み書き算筆さんぴつのできるものは、おれよりほかにねえんだからね。全
く非道ひどい所にゃ違ない」と真面目に細君の云う事を首肯うけがった。
 織屋はいろいろの反物を主人や細君の前へ突きつけては、「買っておくれ」という言葉をしきりに繰り
返した。そりゃ高いよいくらいくらに御負けなどと云われると、「値じゃねえね」とか、「拝むからそれ
で買っておくれ」とか、「まあ目方を見ておくれ」とかすべて異様な田舎いなかびた答をした。そのたび
に皆みんなが笑った。主人夫婦はまた閑ひまだと見えて、面白半分にいつまでも織屋を相手にした。
「織屋、御前そうして荷を背負しょって、外へ出て、時分どきになったら、やっぱり御膳ごぜんを食べる
んだろうね」と細君が聞いた。
「飯を食わねえでいられるもんじゃないよ。腹の減る事ちゅうたら」
「どんな所で食べるの」
「どんな所で食べるちゅうて、やっぱり茶屋で食うだね」
 主人は笑いながら茶屋とは何だと聞いた。織屋は、飯を食わす所が茶屋だと答えた。それから東京へ出
立でたてには飯が非常に旨うまいので、腹を据すえて食い出すと、大抵の宿屋は叶かなわない、三度三度
食っちゃ気の毒だと云うような事を話して、また皆みんなを笑わした。
 織屋はしまいに撚糸よりいとの紬つむぎと、白絽しろろを一匹いっぴき細君に売りつけた。宗助はこの
押しつまった暮に、夏の絽を買う人を見て余裕よゆうのあるものはまた格別だと感じた。すると、主人が
宗助に向って、
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山師さん
2016/05/18(水) 16:18:31.24 ID:4uTcWgUe
「どうですあなたも、ついでに何か一つ。奥さんの不断着でも」と勧めた。細君もこう云う機会に買って
置くと、幾割か値安に買える便宜べんぎを説いた。そうして、
「なに、御払おはらいはいつでもいいんです」と受合ってくれた。宗助はとうとう御米のために銘仙めい
せんを一反買う事にした。主人はそれをさんざん値切って三円に負けさした。
 織屋は負けた後あとでまた、
「全く値じゃねえね。泣きたくなるね」と云ったので、大勢がまた一度に笑った。
 織屋はどこへ行ってもこういう鄙ひなびた言葉を使って通しているらしかった。毎日馴染なじみの家を
ぐるぐる回まわって歩いているうちには、背中の荷がだんだん軽かろくなって、しまいに紺こんの風呂敷
ふろしきと真田紐さなだひもだけが残る。その時分にはちょうど旧の正月が来るので、ひとまず国元へ帰
って、古い春を山の中で越して、それからまた新らしい反物を背負えるだけ背負って出て来るのだと云っ
た。そうして養蚕ようさんの忙せわしい四月の末か五月の初までに、それを悉皆すっかり金に換えて、ま
た富士の北影の焼石ばかりころがっている小村へ帰って行くのだそうである。
「宅うちへ来出してから、もう四五年になりますが、いつ見ても同じ事で、少しも変らないんですよ」と
細君が注意した。
「実際珍らしい男です」と主人も評語を添えた。三日も外へ出ないと、町幅がいつの間にか取り広げられ
ていたり、一日新聞を読まないと、電車の開通を知らずに過したりする今の世に、年に二度も東京へ出な
がら、こう山男の特色をどこまでも維持して行くのは、実際珍らしいに違なかった。宗助はつくづくこの
織屋の容貌ようぼうやら態度やら服装やら言葉使やらを観察して、一種気の毒な思をなした。
 彼は坂井を辞して、家うちへ帰る途中にも、折々インヴァネスの羽根の下に抱えて来た銘仙の包つつみ
を持ち易かえながら、それを三円という安い価ねで売った男の、粗末な布子ぬのこの縞しまと、赤くてば
さばさした髪の毛と、その油気あぶらけのない硬こわい髪の毛が、どういう訳か、頭の真中で立派に左右
に分けられている様を、絶えず眼の前に浮べた。
 宅では御米が、宗助に着せる春の羽織をようやく縫い上げて、圧おしの代りに坐蒲団ざぶとんの下へ入
れて、自分でその上へ坐っているところであった。
「あなた今夜敷いて寝て下さい」と云って、御米は宗助を顧かえりみた。夫から、坂井へ来ていた甲斐か
いの男の話を聞いた時は、御米もさすがに大きな声を出して笑った。そうして宗助の持って帰った銘仙め
いせんの縞柄しまがらと地合じあいを飽あかず眺ながめては、安い安いと云った。銘仙は全く品しなの良
いいものであった。
「どうして、そう安く売って割に合うんでしょう」としまいに聞き出した。
「なに中へ立つ呉服屋が儲もうけ過ぎてるのさ」と宗助はその道に明るいような事を、この一反の銘仙か
ら推断して答えた。
 夫婦の話はそれから、坂井の生活に余裕のある事と、その余裕のために、横町の道具屋などに意外な儲
もうけ方かたをされる代りに、時とするとこう云う織屋などから、差し向き不用のものを廉価れんかに買
っておく便宜べんぎを有している事などに移って、しまいにその家庭のいかにも陽気で、賑にぎやかな模
様に落ちて行った。宗助はその時突然語調を更かえて、
「なに金があるばかりじゃない。一つは子供が多いからさ。子供さえあれば、大抵貧乏な家うちでも陽気
になるものだ」と御米を覚さとした。
 その云い方が、自分達の淋さみしい生涯しょうがいを、多少自みずから窘たしなめるような苦にがい調
子を、御米の耳に伝えたので、御米は覚えず膝ひざの上の反物から手を放して夫の顔を見た。宗助は坂井
から取って来た品が、御米の嗜好しこうに合ったので、久しぶりに細君を喜ばせてやった自覚があるばか
りだったから、別段そこには気がつかなかった。御米もちょっと宗助の顔を見たなりその時は何にも云わ
なかった。けれども夜よに入いって寝る時間が来るまで御米はそれをわざと延ばしておいたのである。
 二人はいつもの通り十時過床に入ったが、夫の眼がまだ覚さめている頃を見計らって、御米は宗助の方
を向いて話しかけた。
「あなた先刻さっき小供がないと淋さむしくっていけないとおっしゃってね」
147 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:18:43.29 ID:4uTcWgUe
 宗助はこれに類似の事を普般的に云った覚おぼえはたしかにあった。けれどもそれは強あながちに、自
分達の身の上について、特に御米の注意を惹ひくために口にした、故意の観察でないのだから、こう改た
まって聞き糺ただされると、困るよりほかはなかった。
「何も宅うちの事を云ったのじゃないよ」
 この返事を受けた御米は、しばらく黙っていた。やがて、
「でも宅の事を始終淋しい淋しいと思っていらっしゃるから、必竟つまりあんな事をおっしゃるんでしょ
う」と前とほぼ似たような問を繰り返した。宗助は固もとよりそうだと答えなければならない或物を頭の
中に有もっていた。けれども御米を憚はばかって、それほど明白地あからさまな自白をあえてし得なかっ
た。この病気上りの細君の心を休めるためには、かえってそれを冗談じょうだんにして笑ってしまう方が
善よかろうと考えたので、
「淋しいと云えば、そりゃ淋しくないでもないがね」と調子を易かえてなるべく陽気に出たが、そこで詰
まったぎり、新らしい文句も、面白い言葉も容易に思いつけなかった。やむを得ず、
「まあいいや。心配するな」と云った。御米はまた何とも答えなかった。宗助は話題を変えようと思って

「昨夕ゆうべも火事があったね」と世間話をし出した。すると御米は急に、
「私は実にあなたに御気の毒で」と切なそうに言訳を半分して、またそれなり黙ってしまった。洋灯ラン
プはいつものように床の間の上に据すえてあった。御米は灯ひに背そむいていたから、宗助には顔の表情
が判然はっきり分らなかったけれども、その声は多少涙でうるんでいるように思われた。今まで仰向あお
むいて天井を見ていた彼は、すぐ妻の方へ向き直った。そうして薄暗い影になった御米の顔をじっと眺な
がめた。御米も暗い中からじっと宗助を見ていた。そうして、
「疾とうからあなたに打ち明けて謝罪あやまろう謝罪まろうと思っていたんですが、つい言い悪にくかっ
たもんだから、それなりにしておいたのです」と途切れ途切れに云った。宗助には何の意味かまるで解ら
なかった。多少はヒステリーのせいかとも思ったが、全然そうとも決しかねて、しばらく茫然ぼんやりし
ていた。すると御米が思い詰めた調子で、
「私にはとても子供のできる見込はないのよ」と云い切って泣き出した。
 宗助はこの可憐な自白をどう慰さめていいか分別に余って当惑していたうちにも、御米に対してはなは
だ気の毒だという思が非常に高まった。
「子供なんざ、無くてもいいじゃないか。上の坂井さんみたようにたくさん生れて御覧、傍はたから見て
いても気の毒だよ。まるで幼稚園のようで」
「だって一人もできないときまっちまったら、あなただって好よかないでしょう」
「まだできないときまりゃしないじゃないか。これから生れるかも知れないやね」
 御米はなおと泣き出した。宗助も途方とほうに暮れて、発作の治まるのを穏やかに待っていた。そうし
て、緩ゆっくり御米の説明を聞いた。
 夫婦は和合同棲どうせいという点において、人並以上に成功したと同時に、子供にかけては、一般の隣
人よりも不幸であった。それも始から宿る種がなかったのなら、まだしもだが、育つべきものを中途で取
り落したのだから、さらに不幸の感が深かった。
 始めて身重みおもになったのは、二人が京都を去って、広島に瘠世帯やせじょたいを張っている時であ
った。懐妊かいにんと事がきまったとき、御米はこの新らしい経験に対して、恐ろしい未来と、嬉うれし
い未来を一度に夢に見るような心持を抱いだいて日を過ごした。宗助はそれを眼に見えない愛の精に、一
種の確証となるべき形を与えた事実と、ひとり解釈して少なからず喜んだ。そうして自分の命を吹き込ん
だ肉の塊かたまりが、目の前に踊る時節を指を折って楽しみに待った。ところが胎児は、夫婦の予期に反
して、五カ月まで育って突然下おりてしまった。その時分の夫婦の活計くらしは苦しい苛つらい月ばかり
続いていた。宗助は流産した御米の蒼あおい顔を眺めて、これも必竟つまりは世帯の苦労から起るんだと
判じた。そうして愛情の結果が、貧のために打ち崩くずされて、永く手の裡うちに捕える事のできなくな
ったのを残念がった。御米はひたすら泣いた。
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山師さん
2016/05/18(水) 16:19:19.44 ID:4uTcWgUe
ぐり込んで、人の世を遠ざけるように、眼を堅く閉つぶってしまう事もあった。
 そのうち定期の三週間も過ぎて、御米の身体は自おのずからすっきりなった。御米は奇麗きれいに床を
払って、新らしい気のする眉まゆを再び鏡に照らした。それは更衣ころもがえの時節であった。御米も久
しぶりに綿の入いった重いものを脱ぬぎ棄すてて、肌に垢あかの触れない軽い気持を爽さわやかに感じた
。春と夏の境をぱっと飾る陽気な日本の風物は、淋さむしい御米の頭にも幾分かの反響を与えた。けれど
も、それはただ沈んだものを掻かき立てて、賑にぎやかな光りのうちに浮かしたまでであった。御米の暗
い過去の中にその時一種の好奇心が萌きざしたのである。
 天気の勝すぐれて美くしいある日の午前、御米はいつもの通り宗助を送り出してから直じきに、表へ出
た。もう女は日傘ひがさを差して外を行くべき時節であった。急いで日向ひなたを歩くと額の辺あたりが
少し汗ばんだ。御米は歩き歩き、着物を着換える時、箪笥を開けたら、思わず一番目の抽出の底にしまっ
てあった、新らしい位牌に手が触れた事を思いつづけて、とうとうある易者えきしゃの門を潜くぐった。
 彼女は多数の文明人に共通な迷信を子供の時から持っていた。けれども平生はその迷信がまた多数の文
明人と同じように、遊戯的に外に現われるだけで済んでいた。それが実生活の厳かな部分を冒おかすよう
になったのは、全く珍らしいと云わなければならなかった。御米はその時真面目まじめな態度と真面目な
心を有もって、易者の前に坐って、自分が将来子を生むべき、また子を育てるべき運命を天から与えられ
るだろうかを確めた。易者は大道に店を出して、往来の人の身の上を一二銭で占うらなう人と、少しも違
った様子もなく、算木さんぎをいろいろに並べて見たり、筮竹ぜいちくを揉もんだり数えたりした後で、
仔細しさいらしく腮あごの下の髯ひげを握って何か考えたが、終りに御米の顔をつくづく眺ながめた末、
「あなたには子供はできません」と落ちつき払って宣告した。御米は無言のまま、しばらく易者の言葉を
頭の中で噛かんだり砕くだいたりした。それから顔を上げて、
「なぜでしょう」と聞き返した。その時御米は易者が返事をする前に、また考えるだろうと思った。とこ
ろが彼はまともに御米の眼の間を見詰めたまま、すぐ
「あなたは人に対してすまない事をした覚おぼえがある。その罪が祟たたっているから、子供はけっして
育たない」と云い切った。御米はこの一言いちげんに心臓を射抜かれる思があった。くしゃりと首を折っ
たなり家うちへ帰って、その夜は夫の顔さえろくろく見上げなかった。
 御米の宗助に打ち明けないで、今まで過したというのは、この易者の判断であった。宗助は床の間に乗
せた細い洋灯ランプの灯ひが、夜の中に沈んで行きそうな静かな晩に、始めて御米の口からその話を聞い
たとき、さすがに好い気味はしなかった。
「神経の起った時、わざわざそんな馬鹿な所へ出かけるからさ。銭ぜにを出して下らない事を云われてつ
まらないじゃないか。その後もその占うらないの宅うちへ行くのかい」
「恐ろしいから、もうけっして行かないわ」
「行かないがいい。馬鹿気ている」
 宗助はわざと鷹揚おうような答をしてまた寝てしまった。

十四

 宗助そうすけと御米およねとは仲の好い夫婦に違なかった。いっしょになってから今日こんにちまで六
年ほどの長い月日を、まだ半日も気不味きまずく暮した事はなかった。言逆いさかいに顔を赤らめ合った
試ためしはなおなかった。二人は呉服屋の反物を買って着た。米屋から米を取って食った。けれどもその
他には一般の社会に待つところのきわめて少ない人間であった。彼らは、日常の必要品を供給する以上の
意味において、社会の存在をほとんど認めていなかった。彼らに取って絶対に必要なものは御互だけで、
その御互だけが、彼らにはまた充分であった。彼らは山の中にいる心を抱いだいて、都会に住んでいた。
 自然の勢いきおいとして、彼らの生活は単調に流れない訳に行かなかった。彼らは複雑な社会の煩わず
らいを避け得たと共に、その社会の活動から出るさまざまの経験に直接触れる機会を、自分と塞ふさいで
しまって、都会に住みながら、都会に住む文明人の特権を棄すてたような結果に到着した。彼らも自分達
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山師さん
2016/05/18(水) 16:20:19.38 ID:4uTcWgUe
 それから一週間ばかりの中に、安井はとうとう宗助に話した通り、学校近くの閑静な所に一戸を構えた
。それは京都に共通な暗い陰気な作りの上に、柱や格子こうしを黒赤く塗って、わざと古臭ふるくさく見
せた狭い貸家であった。門口かどぐちに誰の所有ともつかない柳が一本あって、長い枝がほとんど軒に触
さわりそうに風に吹かれる様を宗助は見た。庭も東京と違って、少しは整っていた。石の自由になる所だ
けに、比較的大きなのが座敷の真正面に据すえてあった。その下には涼しそうな苔こけがいくらでも生え
た。裏には敷居の腐った物置が空からのままがらんと立っている後うしろに、隣の竹藪たけやぶが便所の
出入ではいりに望まれた。
 宗助のここを訪問したのは、十月に少し間のある学期の始めであった。残暑がまだ強いので宗助は学校
の往復に、蝙蝠傘こうもりがさを用いていた事を今に記憶していた。彼は格子の前で傘を畳んで、内を覗
のぞき込んだ時、粗あらい縞しまの浴衣ゆかたを着た女の影をちらりと認めた。格子の内は三和土たたき
で、それが真直まっすぐに裏まで突き抜けているのだから、這入ってすぐ右手の玄関めいた上り口を上ら
ない以上は、暗いながら一筋に奥の方まで見える訳であった。宗助は浴衣の後影うしろかげが、裏口へ出
る所で消えてなくなるまでそこに立っていた。それから格子を開けた。玄関へは安井自身が現れた。
 座敷へ通ってしばらく話していたが、さっきの女は全く顔を出さなかった。声も立てず、音もさせなか
った。広い家でないから、つい隣の部屋ぐらいにいたのだろうけれども、いないのとまるで違わなかった
。この影のように静かな女が御米であった。
 安井は郷里の事、東京の事、学校の講義の事、何くれとなく話した。けれども、御米の事については一
言いちごんも口にしなかった。宗助も聞く勇気に乏しかった。その日はそれなり別れた。
 次の日二人が顔を合したとき、宗助はやはり女の事を胸の中に記憶していたが、口へ出しては一言ひと
ことも語らなかった。安井も何気ない風をしていた。懇意な若い青年が心易立こころやすだてに話し合う
遠慮のない題目は、これまで二人の間に何度となく交換されたにもかかわらず、安井はここへ来て、息詰
ったごとくに見えた。宗助もそこを無理にこじ開けるほどの強い好奇心は有もたなかった。したがって女
は二人の意識の間に挟はさまりながら、つい話頭に上らないで、また一週間ばかり過ぎた。
 その日曜に彼はまた安井を訪とうた。それは二人の関係している或会について用事が起ったためで、女
とは全く縁故のない動機から出た淡泊たんぱくな訪問であった。けれども座敷へ上がって、同じ所へ坐ら
せられて、垣根に沿うた小さな梅の木を見ると、この前来た時の事が明らかに思い出された。その日も座
敷の外は、しんとして静しずかであった。宗助はその静かなうちに忍んでいる若い女の影を想像しない訳
に行かなかった。同時にその若い女はこの前と同じように、けっして自分の前に出て来る気遣きづかいは
あるまいと信じていた。
 この予期の下もとに、宗助は突然御米に紹介されたのである。その時御米はこの間のように粗あらい浴
衣ゆかたを着てはいなかった。これからよそへ行くか、または今外から帰って来たと云う風な粧よそおい
をして、次の間から出て来た。宗助にはそれが意外であった。しかし大した綺羅きらを着飾った訳でもな
いので、衣服の色も、帯の光も、それほど彼を驚かすまでには至らなかった。その上御米は若い女にあり
がちの嬌羞きょうしゅうというものを、初対面の宗助に向って、あまり多く表わさなかった。ただ普通の
人間を静にして言葉寡すくなに切りつめただけに見えた。人の前へ出ても、隣の室へやに忍んでいる時と
、あまり区別のないほど落ちついた女だという事を見出した宗助は、それから推して、御米のひっそりし
ていたのは、穴勝あながち恥かしがって、人の前へ出るのを避けるためばかりでもなかったんだと思った

 安井は御米を紹介する時、
「これは僕の妹いもとだ」という言葉を用いた。宗助は四五分対坐して、少し談話を取り換わしているう
ちに、御米の口調くちょうのどこにも、国訛くになまりらしい音おんの交まじっていない事に気がついた

「今まで御国の方に」と聞いたら、御米が返事をする前に安井が、
「いや横浜に長く」と答えた。
 その日は二人して町へ買物に出ようと云うので、御米は不断着ふだんぎを脱ぎ更えて、暑いところをわ
150 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:20:43.43 ID:4uTcWgUe
紅葉もみじも三人で観た。嵯峨さがから山を抜けて高雄たかおへ歩く途中で、御米は着物の裾すそを捲ま
くって、長襦袢ながじゅばんだけを足袋たびの上まで牽ひいて、細い傘かさを杖つえにした。山の上から
一町も下に見える流れに日が射して、水の底が明らかに遠くから透すかされた時、御米は
「京都は好い所ね」と云って二人を顧かえりみた。それをいっしょに眺めた宗助にも、京都は全く好い所
のように思われた。
 こう揃そろって外へ出た事も珍らしくはなかった。家うちの中で顔を合わせる事はなおしばしばあった
。或時宗助が例のごとく安井を尋ねたら、安井は留守で、御米ばかり淋さみしい秋の中に取り残されたよ
うに一人坐すわっていた。宗助は淋さむしいでしょうと云って、つい座敷に上り込んで、一つ火鉢ひばち
の両側に手を翳かざしながら、思ったより長話をして帰った。或時宗助がぽかんとして、下宿の机に倚よ
りかかったまま、珍らしく時間の使い方に困っていると、ふと御米がやって来た。そこまで買物に出たか
ら、ついでに寄ったんだとか云って、宗助の薦すすめる通り、茶を飲んだり菓子を食べたり、緩ゆっくり
寛くつろいだ話をして帰った。
 こんな事が重なって行くうちに、木この葉はがいつの間まにか落ちてしまった。そうして高い山の頂い
ただきが、ある朝真白に見えた。吹ふき曝さらしの河原かわらが白くなって、橋を渡る人の影が細く動い
た。その年の京都の冬は、音を立てずに肌を透とおす陰忍いんにんな質たちのものであった。安井はこの
悪性の寒気かんきにあてられて、苛ひどいインフルエンザに罹かかった。熱が普通の風邪かぜよりもよほ
ど高かったので、始は御米も驚ろいたが、それは一時いちじの事で、すぐ退ひいたには退いたから、これ
でもう全快と思うと、いつまで立っても判然はっきりしなかった。安井は黐もちのような熱に絡からみつ
かれて、毎日その差し引きに苦しんだ。
 医者は少し呼吸器を冒おかされているようだからと云って、切に転地を勧めた。安井は心ならず押入の
中の柳行李やなぎごうりに麻縄あさなわを掛けた。御米は手提鞄てさげかばんに錠じょうをおろした。宗
助は二人を七条まで見送って、汽車が出るまで室へやの中へ這入はいって、わざと陽気な話をした。プラ
ットフォームへ下りた時、窓の内から、
「遊びに来たまえ」と安井が云った。
「どうぞ是非」と御米が言った。
 汽車は血色の好い宗助の前をそろそろ過ぎて、たちまち神戸の方に向って煙を吐はいた。
 病人は転地先で年を越した。絵端書えはがきは着いた日から毎日のように寄こした。それにいつでも遊
びに来いと繰り返して書いてない事はなかった。御米の文字も一二行ずつは必ず交まじっていた。宗助は
安井と御米から届いた絵端書を別にして机の上に重ねて置いた。外から帰るとそれが直すぐ眼に着いた。
時々はそれを一枚ずつ順に読み直したり、見直したりした。しまいにもうすっかり癒なおったから帰る。
しかしせっかくここまで来ながら、ここで君の顔を見ないのは遺憾いかんだから、この手紙が着きしだい
、ちょっとでいいから来いという端書が来た。無事と退屈を忌いむ宗助を動かすには、この十数言じゅう
すうげんで充分であった。宗助は汽車を利用してその夜のうちに安井の宿に着いた。
 明るい灯火ともしびの下に三人が待設けた顔を合わした時、宗助は何よりもまず病人の色沢いろつやの
回復して来た事に気がついた。立つ前よりもかえって好いくらいに見えた。安井自身もそんな心持がする
と云って、わざわざ襯衣シャツの袖そでを捲まくり上げて、青筋の入った腕を独ひとりで撫なでていた。
御米も嬉うれしそうに眼を輝かした。宗助にはその活溌かっぱつな目遣めづかいがことに珍らしく受取れ
た。今まで宗助の心に映じた御米は、色と音の撩乱りょうらんする裏なかに立ってさえ、極きわめて落ち
ついていた。そうしてその落ちつきの大部分はやたらに動かさない眼の働らきから来たとしか思われなか
った。
 次の日三人は表へ出て遠く濃い色を流す海を眺めた。松の幹から脂やにの出る空気を吸った。冬の日は
短い空を赤裸々に横切っておとなしく西へ落ちた。落ちる時、低い雲を黄に赤に竈かまどの火の色に染め
て行った。風は夜に入っても起らなかった。ただ時々松を鳴らして過ぎた。暖かい好い日が宗助の泊って
いる三日の間続いた。
 宗助はもっと遊んで行きたいと云った。御米はもっと遊んで行きましょうと云った。安井は宗助が遊び
151 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:20:55.45 ID:4uTcWgUe
に来たから好い天気になったんだろうと云った。三人はまた行李こうりと鞄かばんを携たずさえて京都へ
帰った。冬は何事もなく北風を寒い国へ吹きやった。山の上を明らかにした斑まだらな雪がしだいに落ち
て、後から青い色が一度に芽を吹いた。
 宗助は当時を憶おもい出すたびに、自然の進行がそこではたりと留まって、自分も御米もたちまち化石
してしまったら、かえって苦はなかったろうと思った。事は冬の下から春が頭を擡もたげる時分に始まっ
て、散り尽した桜の花が若葉に色を易かえる頃に終った。すべてが生死しょうしの戦たたかいであった。
青竹を炙あぶって油を絞しぼるほどの苦しみであった。大風は突然不用意の二人を吹き倒したのである。
二人が起き上がった時はどこもかしこもすでに砂だらけであったのである。彼らは砂だらけになった自分
達を認めた。けれどもいつ吹き倒されたかを知らなかった。
 世間は容赦なく彼らに徳義上の罪を背負しょわした。しかし彼ら自身は徳義上の良心に責められる前に
、いったん茫然ぼうぜんとして、彼らの頭が確たしかであるかを疑った。彼らは彼らの眼に、不徳義な男
女なんにょとして恥ずべく映る前に、すでに不合理な男女として、不可思議に映ったのである。そこに言
訳らしい言訳が何にもなかった。だからそこに云うに忍びない苦痛があった。彼らは残酷な運命が気紛き
まぐれに罪もない二人の不意を打って、面白半分穽おとしあなの中に突き落したのを無念に思った。
 曝露ばくろの日がまともに彼らの眉間みけんを射たとき、彼らはすでに徳義的に痙攣けいれんの苦痛を
乗り切っていた。彼らは蒼白あおしろい額を素直に前に出して、そこに※(「陷のつくり+炎」、第3水
準1-87-64)ほのおに似た烙印やきいんを受けた。そうして無形の鎖で繋つながれたまま、手を携
たずさえてどこまでも、いっしょに歩調を共にしなければならない事を見出した。彼らは親を棄すてた。
親類を棄てた。友達を棄てた。大きく云えば一般の社会を棄てた。もしくはそれらから棄てられた。学校
からは無論棄てられた。ただ表向だけはこちらから退学した事になって、形式の上に人間らしい迹あとを
留とどめた。
 これが宗助と御米の過去であった。

十五

 この過去を負わされた二人は、広島へ行っても苦しんだ。福岡へ行っても苦しんだ。東京へ出て来ても
、依然として重い荷に抑おさえつけられていた。佐伯さえきの家とは親しい関係が結べなくなった。叔父
は死んだ。叔母と安之助やすのすけはまだ生きているが、生きている間に打ち解けた交際つきあいはでき
ないほど、もう冷淡の日を重ねてしまった。今年はまだ歳暮にも行かなかった。向むこうからも来なかっ
た。家いえに引取った小六ころくさえ腹の底では兄に敬意を払っていなかった。二人が東京へ出たてには
、単純な小供の頭から、正直に御米およねを悪にくんでいた。御米にも宗助そうすけにもそれがよく分っ
ていた。夫婦は日の前に笑み、月の前に考えて、静かな年を送り迎えた。今年ももう尽きる間際まぎわま
で来た。
 通町とおりちょうでは暮の内から門並揃かどなみそろいの注連飾しめかざりをした。往来の左右に何十
本となく並んだ、軒より高い笹ささが、ことごとく寒い風に吹かれて、さらさらと鳴った。宗助も二尺余
りの細い松を買って、門の柱に釘付くぎづけにした。それから大きな赤い橙だいだいを御供おそなえの上
に載のせて、床の間に据すえた。床にはいかがわしい墨画すみえの梅が、蛤はまぐりの格好かっこうをし
た月を吐はいてかかっていた。宗助にはこの変な軸の前に、橙と御供を置く意味が解らなかった。
「いったいこりゃ、どう云う了見りょうけんだね」と自分で飾りつけた物を眺ながめながら、御米に聞い
た。御米にも毎年こうする意味はとんと解らなかった。
「知らないわ。ただそうしておけばいいのよ」と云って台所へ去った。宗助は、
「こうしておいて、つまり食うためか」と首を傾けて御供の位置を直した。
 伸餅のしもちは夜業よなべに俎まないたを茶の間まで持ち出して、みんなで切った。庖丁ほうちょうが
足りないので、宗助は始からしまいまで手を出さなかった。力のあるだけに小六が一番多く切った。その
代り不同も一番多かった。中には見かけの悪い形のものも交った。変なのができるたびに清きよが声を出
152 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:21:07.47 ID:4uTcWgUe
して笑った。小六は庖丁の背に濡布巾ぬれぶきんをあてがって、硬い耳の所を断ち切りながら、
「格好はどうでも、食いさいすればいいんだ」と、うんと力を入れて耳まで赤くした。
 そのほかに迎年げいねんの支度としては、小殿原ごまめを熬いって、煮染にしめを重詰にするくらいな
ものであった。大晦日おおみそかの夜よに入いって、宗助は挨拶あいさつかたがた屋賃を持って、坂井の
家に行った。わざと遠慮して勝手口へ回ると、摺硝子すりガラスへ明るい灯ひが映って、中はざわざわし
ていた。上あがり框がまちに帳面を持って腰をかけた掛取らしい小僧が、立って宗助に挨拶をした。茶の
間には主人も細君もいた。その片隅かたすみに印袢天しるしばんてんを着た出入でいりのものらしいのが
、下を向いて、小ちさい輪飾わかざりをいくつも拵こしらえていた。傍そばに譲葉ゆずりはと裏白うらじ
ろと半紙と鋏はさみが置いてあった。若い下女が細君の前に坐って、釣銭らしい札さつと銀貨を畳に並べ
ていた。主人は宗助を見て、
「いやどうも」と云った。「押しつまってさぞ御忙おいそがしいでしょう。この通りごたごたです。さあ
どうぞこちらへ。何ですな、御互に正月にはもう飽あきましたな。いくら面白いものでも四十辺ぺん以上
繰り返すと厭いやになりますね」
 主人は年の送迎に煩わずらわしいような事を云ったが、その態度にはどこと指してくさくさしたところ
は認められなかった。言葉遣ことばづかいは活溌かっぱつであった。顔はつやつやしていた。晩食ばんし
ょくに傾けた酒の勢いきおいが、まだ頬の上に差しているごとく思われた。宗助は貰い煙草たばこをして
二三十分ばかり話して帰った。
 家うちでは御米が清を連れて湯に行くとか云って、石鹸入シャボンいれを手拭てぬぐいに包くるんで、
留守居を頼む夫の帰かえりを待ち受けていた。
「どうなすったの、随分長かったわね」と云って時計を眺めた。時計はもう十時近くであった。その上清
は湯の戻りに髪結かみゆいの所へ回って頭を拵こしらえるはずだそうであった。閑静な宗助の活計くらし
も、大晦日おおみそかにはそれ相応そうおうの事件が寄せて来た。
「払はらいはもう皆みんな済んだのかい」と宗助は立ちながら御米に聞いた。御米はまだ薪屋まきやが一
軒残っていると答えた。
「来たら払ってちょうだい」と云って懐ふところの中から汚よごれた男持の紙入と、銀貨入の蟇口がまぐ
ちを出して、宗助に渡した。
「小六はどうした」と夫はそれを受取ながら云った。
「先刻さっき大晦日の夜の景色けしきを見て来るって出て行ったのよ。随分御苦労さまね。この寒いのに
」と云う御米の後あとに追ついて、清は大きな声を出して笑った。やがて、
「御若いから」と評しながら、勝手口へ行って、御米の下駄げたを揃そろえた。
「どこの夜景を見る気なんだ」
「銀座から日本橋通のだって」
 御米はその時もう框かまちから下おりかけていた。すぐ腰障子こししょうじを開ける音がした。宗助は
その音を聞き送って、たった一人火鉢ひばちの前に坐って、灰になる炭の色を眺ながめていた。彼の頭に
は明日あしたの日の丸が映った。外を乗り回す人の絹帽子きぬぼうしの光が見えた。洋剣サアベルの音だ
の、馬の嘶いななきだの、遣羽子やりはごの声が聞えた。彼は今から数時間の後のちまた年中行事のうち
で、もっとも人の心を新にすべく仕組まれた景物に出逢わなければならなかった。
 陽気そうに見えるもの、賑にぎやかそうに見えるものが、幾組となく彼の心の前を通り過ぎたが、その
中で彼の臂ひじを把とって、いっしょに引張って行こうとするものは一つもなかった。彼はただ饗宴きょ
うえんに招かれない局外者として、酔う事を禁じられたごとくに、また酔う事を免まぬかれた人であった
。彼は自分と御米の生命ライフを、毎年平凡な波瀾はらんのうちに送る以上に、面前まのあたり大した希
望も持っていなかった。こうして忙がしい大晦日に、一人家を守る静かさが、ちょうど彼の平生の現実を
代表していた。
 御米は十時過に帰って来た。いつもより光沢つやの好い頬を灯ひに照らして、湯の温ぬくもりのまだ抜
けない襟えりを少し開けるように襦袢じゅばんを重ねていた。長い襟首がよく見えた。
153 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:21:19.45 ID:4uTcWgUe
「どうも込んで込んで、洗う事も桶おけを取る事もできないくらいなの」と始めて緩ゆっくり息を吐つい
た。
 清の帰ったのは十一時過であった。これも綺麗きれいな頭を障子から出して、ただ今、どうも遅くなり
ましたと挨拶あいさつをしたついでに、あれから二人とか三人とか待ち合したと云う話をした。
 ただ小六だけは容易に帰らなかった。十二時を打ったとき、宗助はもう寝ようと云い出した。御米は今
日に限って、先へ寝るのも変なものだと思って、できるだけ話を繋つないでいた。小六は幸さいわいにし
て間もなく帰った。日本橋から銀座へ出てそれから、水天宮の方へ廻ったところが、電車が込んで何台も
待ち合わしたために遅くなったという言訳をした。
 白牡丹はくぼたんへ這入はいって、景物の金時計でも取ろうと思ったが、何も買うものがなかったので
、仕方なしに鈴の着いた御手玉おてだまを一箱買って、そうして幾百となく器械で吹き上げられる風船を
一つ攫つかんだら、金時計は当らないで、こんなものがあたったと云って、袂たもとから倶楽部くらぶ洗
粉あらいこを一袋出した。それを御米の前に置いて、
「姉さんに上げましょう」と云った。それから鈴を着けた、梅の花の形に縫った御手玉を宗助の前に置い
て、
「坂井の御嬢さんにでも御上げなさい」と云った。
 事に乏しい一小家族の大晦日おおみそかは、それで終りを告げた。

十六

 正月は二日目の雪を率ひきいて注連飾しめかざりの都を白くした。降りやんだ屋根の色がもとに復かえ
る前、夫婦は亜鉛張トタンばりの庇ひさしを滑すべり落ちる雪の音に幾遍か驚ろかされた。夜半よなかに
はどさと云う響がことにはなはだしかった。小路こうじの泥濘ぬかるみは雨上りと違って一日いちんちや
二日ふつかでは容易に乾かなかった。外から靴を汚よごして帰って来る宗助そうすけが、御米およねの顔
を見るたびに、
「こりゃいけない」と云いながら玄関へ上った。その様子があたかも御米を路を悪くした責任者と見傚み
なしている風に受取られるので、御米はしまいに、
「どうも済みません。本当に御気の毒さま」と云って笑い出した。宗助は別に返すべき冗談じょうだんも
有もたなかった。
「御米ここから出かけるには、どこへ行くにも足駄あしだを穿はかなくっちゃならないように見えるだろ
う。ところが下町へ出ると大違だ。どの通もどの通もからからで、かえって埃ほこりが立つくらいだから
、足駄なんぞ穿はいちゃきまりが悪くって歩けやしない。つまりこう云う所に住んでいる我々は一世紀が
た後おくれる事になるんだね」
 こんな事を口にする宗助は、別に不足らしい顔もしていなかった。御米も夫の鼻の穴を潜くぐる煙草た
ばこの煙けむを眺めるくらいな気で、それを聞いていた。
「坂井さんへ行って、そう云っていらっしゃいな」と軽い返事をした。
「そうして屋賃でも負けて貰う事にしよう」と答えたまま、宗助はついに坂井へは行かなかった。
 その坂井には元日の朝早く名刺を投げ込んだだけで、わざと主人の顔を見ずに門を出たが、義理のある
所を一日のうちにほぼ片づけて夕方帰って見ると、留守の間に坂井がちゃんと来ていたので恐縮した。二
日は雪が降っただけで何事もなく過ぎた。三日目の日暮ひくれに下女が使に来て、御閑おひまならば、旦
那様と奥さまと、それから若旦那様に是非今晩御遊びにいらっしゃるようにと云って帰った。
「何をするんだろう」と宗助は疑ぐった。
「きっと歌加留多うたがるたでしょう。小供が多いから」と御米が云った。「あなた行っていらっしゃい

「せっかくだから御前行くが好い。おれは歌留多は久しく取らないから駄目だ」
「私も久しく取らないから駄目ですわ」
154 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:21:31.46 ID:4uTcWgUe
 二人は容易に行こうとはしなかった。しまいに、では若旦那がみんなを代表して行くが宜よかろうとい
う事になった。
「若旦那行って来い」と宗助が小六ころくに云った。小六は苦笑にがわらいして立った。夫婦は若旦那と
云う名を小六に冠かむらせる事を大変な滑稽こっけいのように感じた。若旦那と呼ばれて、苦笑いする小
六の顔を見ると、等しく声を出して笑い出した。小六は春らしい空気の中うちから出た。そうして一町ほ
どの寒さを横切って、また春らしい電灯の下もとに坐った。
 その晩小六は大晦日おおみそかに買った梅の花の御手玉おてだまを袂たもとに入れて、これは兄から差
上げますとわざわざ断って、坂井の御嬢さんに贈物にした。その代り帰りには、福引に当った小さな裸人
形を同じ袂へ入れて来た。その人形の額が少し欠けて、そこだけ墨で塗ってあった。小六は真面目まじめ
な顔をして、これが袖萩そではぎだそうですと云って、それを兄夫婦の前に置いた。なぜ袖萩だか夫婦に
は分らなかった。小六には無論分らなかったのを、坂井の奥さんが叮嚀ていねいに説明してくれたそうで
あるが、それでも腑ふに落ちなかったので、主人がわざわざ半切はんきれに洒落しゃれと本文ほんもんを
並べて書いて、帰ったらこれを兄さんと姉さんに御見せなさいと云って渡したとかいう話であった。小六
は袂を探ってその書付を取り出して見せた。それに「此この垣かき一重ひとえが黒鉄くろがねの」と認し
たためた後に括弧かっこをして、(此この餓鬼がき額ひたえが黒欠くろがけの)とつけ加えてあったので
、宗助と御米はまた春らしい笑を洩もらした。
「随分念の入った趣向しゅこうだね。いったい誰の考かんがえだい」と兄が聞いた。
「誰ですかな」と小六はやっぱりつまらなそうな顔をして、人形をそこへ放り出したまま、自分の室へや
に帰った。
 それから二三日して、たしか七日なぬかの夕方に、また例の坂井の下女が来て、もし御閑おひまならど
うぞ御話にと、叮嚀ていねいに主人の命を伝えた。宗助と御米は洋灯ランプを点つけてちょうど晩食ばん
めしを始めたところであった。宗助はその時茶碗を持ちながら、
「春もようやく一段落が着いた」と語っていた。そこへ清が坂井からの口上を取り次いだので、御米は夫
の顔を見て微笑した。宗助は茶碗を置いて、
「まだ何か催おしがあるのかい」と少し迷惑そうな眉まゆをした。坂井の下女に聞いて見ると、別に来客
もなければ、何の支度もないという事であった。その上細君は子供を連れて親類へ呼ばれて行って留守だ
という話までした。
「それじゃ行こう」と云って宗助は出掛けた。宗助は一般の社交を嫌きらっていた。やむを得なければ会
合の席などへ顔を出す男でなかった。個人としての朋友ともだちも多くは求めなかった。訪問はする暇を
有もたなかった。ただ坂井だけは取除とりのけであった。折々は用もないのにこっちからわざわざ出掛け
て行って、時を潰つぶして来る事さえあった。その癖坂井は世の中でもっとも社交的の人であった。この
社交的な坂井と、孤独な宗助が二人寄って話ができるのは、御米にさえ妙に見える現象であった。坂井は

「あっちへ行きましょう」と云って、茶の間を通り越して、廊下伝いに小さな書斎へ入った。そこには棕
梠しゅろの筆で書いたような、大きな硬こわい字が五字ばかり床の間にかかっていた。棚たなの上に見事
な白い牡丹ぼたんが活いけてあった。そのほか机でも蒲団ふとんでもことごとく綺麗きれいであった。坂
井は始め暗い入口に立って、
「さあどうぞ」と云いながら、どこかぴちりと捩ひねって、電気灯を点つけた。それから、
「ちょっと待ちたまえ」と云って、燐寸マッチで瓦斯煖炉ガスだんろを焚たいた。瓦斯煖炉は室へやに比
例したごく小さいものであった。坂井はしかる後蒲団を薦すすめた。
「これが僕の洞窟どうくつで、面倒になるとここへ避難するんです」
 宗助も厚い綿わたの上で、一種の静かさを感じた。瓦斯の燃える音が微かすかにしてしだいに背中から
ほかほか煖まって来た。
「ここにいると、もうどことも交渉はない。全く気楽です。悠ゆっくりしていらっしゃい。実際正月と云
うものは予想外に煩瑣うるさいものですね。私も昨日きのうまででほとんどへとへとに降参させられまし
155 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:21:55.59 ID:4uTcWgUe
、頭はいつまでも小供ですからね。かえって始末が悪いかも知れない」
 主人はここでちょっと笑ったが、やがて、
「どうです、私わたしの所へ書生に寄こしちゃ、少しは社会教育になるかも知れない」と云った。主人の
書生は彼の犬が病気で病院へ這入はいる一カ月前とかに、徴兵検査に合格して入営したぎり今では一人も
いないのだそうであった。
 宗助は小六の所置をつける好機会が、求めざるに先だって、春と共に自おのずから回めぐって来たのを
喜こんだ。同時に、今まで世間に向って、積極的に好意と親切を要求する勇気を有もたなかった彼は、突
然この主人の申もうし出いでに逢って少しまごつくくらい驚ろいた。けれどもできるならなりたけ早く弟
を坂井に預けて置いて、この変動から出る自分の余裕よゆうに、幾分か安之助の補助を足して、そうして
本人の希望通り、高等の教育を受けさしてやろうという分別をした。そこで打ち明けた話を腹蔵なく主人
にすると、主人はなるほどなるほどと聞いているだけであったが、しまいに雑作ぞうさなく、
「そいつは好いでしょう」と云ったので、相談はほぼその座で纏まとまった。
 宗助はそこで辞して帰ればよかったのである。また辞して帰ろうとしたのである。ところが主人からま
あ緩ゆっくりなさいと云って留められた。主人は夜は長い、まだ宵よいだと云って時計まで出して見せた
。実際彼は退屈らしかった。宗助も帰ればただ寝るよりほかに用のない身体からだなので、ついまた尻を
据すえて、濃い煙草たばこを新らしく吹かし始めた。しまいには主人の例に傚ならって、柔らかい座蒲団
ざぶとんの上で膝ひざさえ崩くずした。
 主人は小六の事に関聯して、
「いや弟おととなどを有っていると、随分厄介やっかいなものですよ。私わたくしも一人やくざなのを世
話をした覚がありますがね」と云って、自分の弟が大学にいるとき金のかかった事などを、自分が学生時
代の質朴しつぼくさに比べていろいろ話した。宗助はこの派出好はでずきな弟が、その後どんな径路を取
って、どう発展したかを、気味の悪い運命の意思を窺うかがう一端として、主人に聞いて見た。主人は卒

「冒険者アドヴェンチュアラー」と、頭も尾しっぽもない一句を投げるように吐いた。
 この弟は卒業後主人の紹介で、ある銀行に這入はいったが、何でも金を儲もうけなくっちゃいけないと
口癖のように云っていたそうで、日露戦争後間もなく、主人の留めるのも聞かずに、大いに発展して見た
いとかとなえてついに満洲へ渡ったのだと云う。そこで何を始めるかと思うと、遼河りょうがを利用して
、豆粕大豆まめかすだいずを船で下くだす、大仕掛な運送業を経営して、たちまち失敗してしまったのだ
そうである。元より当人は、資本主ではなかったのだけれども、いよいよという暁あかつきに、勘定して
見ると大きな欠損と事がきまったので、無論事業は継続する訳に行かず、当人は必然の結果、地位を失っ
たぎりになった。
「それから後あと私わたしもどうしたかよく知らなかったんですが、その後のちようやく聞いて見ると、
驚ろきましたね。蒙古もうこへ這入って漂浪うろついているんです。どこまで山気やまぎがあるんだか分
らないんで、私も少々剣呑けんのんになってるんですよ。それでも離れているうちは、まあどうかしてい
るだろうぐらいに思って放っておきます。時たま音便たよりがあったって、蒙古もうこという所は、水に
乏しい所で、暑い時には往来へ泥溝どぶの水を撒まくとかね、またはその泥溝の水が無くなると、今度は
馬の小便を撒くとか、したがってはなはだ臭いとか、まあそんな手紙が来るだけですから、――そりゃあ
金の事も云って来ますが、なに東京と蒙古だから打遣うちやっておけばそれまでです。だから離れてさえ
いれば、まあいいんですが、そいつが去年の暮突然出て来ましてね」
 主人は思いついたように、床の柱にかけた、綺麗きれいな房のついた一種の装飾物を取りおろした。
 それは錦の袋に這入はいった一尺ばかりの刀であった。鞘さやは何なにとも知れぬ緑色の雲母きららの
ようなものでできていて、その所々が三カ所ほど巻いてあった。中身は六寸ぐらいしかなかった。したが
って刃はも薄かった。けれども鞘の格好かっこうはあたかも六角の樫かしの棒のように厚かった。よく見
ると、柄つかの後うしろに細い棒が二本並んで差さっていた。結果は鞘を重ねて離れないために銀の鉢巻
をしたと同じであった。主人は
156 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:22:07.52 ID:4uTcWgUe
「土産みやげにこんなものを持って来ました。蒙古刀もうことうだそうです」と云いながら、すぐ抜いて
見せた。後うしろに差してあった象牙ぞうげのような棒も二本抜いて見せた。
「こりゃ箸はしですよ。蒙古人は始終しじゅうこれを腰へぶら下げていて、いざ御馳走ごちそうという段
になると、この刀を抜いて肉を切って、そうしてこの箸で傍そばから食うんだそうです」
 主人はことさらに刀と箸を両手に持って、切ったり食ったりする真似をして見せた。宗助はひたすらに
その精巧な作りを眺ながめた。
「まだ蒙古人の天幕テントに使うフェルトも貰いましたが、まあ昔の毛氈もうせんと変ったところもあり
ませんね」
 主人は蒙古人の上手に馬を扱う事や、蒙古犬の瘠やせて細長くて、西洋のグレー・ハウンドに似ている
事や、彼らが支那人のためにだんだん押し狭せばめられて行く事や、――すべて近頃あっちから帰ったと
いう弟に聞いたままを宗助に話した。宗助はまた自分のいまだかつて耳にした事のない話だけに、一々少
なからぬ興味を有もってそれを聞いて行った。そのうちに、元来この弟は蒙古で何をしているのだろうと
いう好奇心が出た。そこでちょっと主人に尋ねて見ると、主人は、
「冒険者アドヴェンチュアラー」と再び先刻さっきの言葉を力強く繰り返した。「何をしているか分らな
い。私には、牧畜をやっています。しかも成功していますと云うんですがね、いっこう当あてにはなりま
せん。今までもよく法螺ほらを吹いて私を欺だましたもんです。それに今度東京へ出て来た用事と云うの
がよっぽど妙です。何とか云う蒙古王のために、金を二万円ばかり借りたい。もし借してやらないと自分
の信用に関わるって奔走しているんですからね。そのとっぱじめに捕まったのは私だが、いくら蒙古王だ
って、いくら広い土地を抵当にするったって、蒙古と東京じゃ催促さえできやしませんもの。で、私が断
ると、蔭かげへ廻って妻さいに、兄さんはあれだから大きな仕事ができっこないって、威張っているんで
す。しようがない」
 主人はここで少し笑ったが、妙に緊張した宗助の顔を見て、
「どうです一遍逢って御覧になっちゃ、わざわざ毛皮の着いただぶだぶしたものなんか着て、ちょっと面
白いですよ。何なら御紹介しましょう。ちょうど明後日あさっての晩呼んで飯を食わせる事になっている
から。――なに引っ掛っちゃいけませんがね。黙って向むこうに喋舌しゃべらして、聞いている分には、
少しも危険はありません。ただ面白いだけです」としきりに勧すすめ出した。宗助は多少心を動かした。
「おいでになるのは御令弟だけですか」
「いやほかに一人弟おととの友達で向むこうからいっしょに来たものが、来るはずになっています。安井
とか云って私はまだ逢った事もない男ですが、弟がしきりに私に紹介したがるから、実はそれで二人を呼
ぶ事にしたんです」
 宗助はその夜蒼あおい顔をして坂井の門を出た。

十七

 宗助そうすけと御米およねの一生を暗く彩いろどった関係は、二人の影を薄くして、幽霊ゆうれいのよ
うな思をどこかに抱いだかしめた。彼らは自己の心のある部分に、人に見えない結核性の恐ろしいものが
潜ひそんでいるのを、仄ほのかに自覚しながら、わざと知らぬ顔に互と向き合って年を過した。
 当初彼らの頭脳に痛く応こたえたのは、彼らの過あやまちが安井の前途に及ぼした影響であった。二人
の頭の中で沸わき返った凄すごい泡あわのようなものがようやく静まった時、二人は安井もまた半途で学
校を退しりぞいたという消息を耳にした。彼らは固もとより安井の前途を傷きずつけた原因をなしたに違
なかった。次に安井が郷里に帰ったという噂うわさを聞いた。次に病気に罹かかって家に寝ているという
報知しらせを得た。二人はそれを聞くたびに重い胸を痛めた。最後に安井が満洲に行ったと云う音信たよ
りが来た。宗助は腹の中で、病気はもう癒なおったのだろうかと思った。または満洲行の方が嘘うそでは
なかろうかと考えた。安井は身体からだから云っても、性質から云っても、満洲や台湾に向く男ではなか
ったからである。宗助はできるだけ手を回して、事の真疑を探った。そうして、或る関係から、安井がた
157 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:22:19.51 ID:4uTcWgUe
しかに奉天にいる事を確め得た。同時に彼の健康で、活溌かっぱつで、多忙である事も確め得た。その時
夫婦は顔を見合せて、ほっという息を吐ついた。
「まあよかろう」と宗助が云った。
「病気よりはね」と御米が云った。
 二人はそれから以後安井の名を口にするのを避けた。考え出す事さえもあえてしなかった。彼らは安井
を半途で退学させ、郷里へ帰らせ、病気に罹らせ、もしくは満洲へ駆かりやった罪に対して、いかに悔恨
の苦しみを重ねても、どうする事もできない地位に立っていたからである。
「御米、御前信仰の心が起った事があるかい」と或時宗助が御米に聞いた。御米は、ただ、
「あるわ」と答えただけで、すぐ「あなたは」と聞き返した。
 宗助は薄笑いをしたぎり、何とも答えなかった。その代り推おして、御米の信仰について、詳しい質問
も掛けなかった。御米には、それが仕合しあわせかも知れなかった。彼女はその方面に、これというほど
判然はっきりした凝こり整った何物も有もっていなかったからである。二人はとかくして会堂の腰掛ベン
チにも倚よらず、寺院の門も潜くぐらずに過ぎた。そうしてただ自然の恵から来る月日つきひと云う緩和
剤かんわざいの力だけで、ようやく落ちついた。時々遠くから不意に現れる訴うったえも、苦しみとか恐
れとかいう残酷の名を付けるには、あまり微かすかに、あまり薄く、あまりに肉体と慾得を離れ過ぎるよ
うになった。必竟ひっきょうずるに、彼らの信仰は、神を得なかったため、仏ほとけに逢わなかったため
、互を目標めじるしとして働らいた。互に抱だき合って、丸い円を描えがき始めた。彼らの生活は淋さみ
しいなりに落ちついて来た。その淋しい落ちつきのうちに、一種の甘い悲哀を味わった。文芸にも哲学に
も縁のない彼らは、この味を舐なめ尽しながら、自分で自分の状態を得意がって自覚するほどの知識を有
もたなかったから、同じ境遇にある詩人や文人などよりも、一層純粋であった。――これが七日なのかの
晩に坂井へ呼ばれて、安井の消息を聞くまでの夫婦の有様であった。
 その夜宗助は家に帰って御米の顔を見るや否いなや、
「少し具合が悪いから、すぐ寝よう」と云って、火鉢ひばちに倚よりながら、帰かえりを待ち受けていた
御米を驚ろかした。
「どうなすったの」と御米は眼を上げて宗助を眺ながめた。宗助はそこに突っ立っていた。
 宗助が外から帰って来て、こんな風をするのは、ほとんど御米の記憶にないくらい珍らしかった。御米
は卒然何とも知れない恐怖の念に襲おそわれたごとくに立ち上がったが、ほとんど器械的に、戸棚とだな
から夜具蒲団やぐふとんを取り出して、夫の云いつけ通り床を延べ始めた。その間宗助はやっぱり懐手ふ
ところでをして傍そばに立っていた。そうして床が敷けるや否や、そこそこに着物を脱ぎ捨てて、すぐそ
の中に潜もぐり込んだ。御米は枕元を離れ得なかった。
「どうなすったの」
「何だか、少し心持が悪い。しばらくこうしてじっとしていたら、よくなるだろう」
 宗助の答は半ば夜着の下から出た。その声が籠こもったように御米の耳に響いた時、御米は済まない顔
をして、枕元に坐すわったなり動かなかった。
「あっちへ行っていてもいいよ。用があれば呼ぶから」
 御米はようやく茶の間へ帰った。
 宗助は夜具を被かぶったまま、ひとり硬くなって眼を眠ねむっていた。彼はこの暗い中で、坂井から聞
いた話を何度となく反覆した。彼は満洲にいる安井の消息を、家主たる坂井の口を通して知ろうとは、今
が今まで予期していなかった。もう少しの事で、その安井と同じ家主の家へ同時に招かれて、隣り合せか
、向い合せに坐る運命になろうとは、今夜晩食ばんめしを済ますまで、夢にも思いがけなかった。彼は寝
ながら過去二三時間の経過を考えて、そのクライマックスが突如として、いかにも不意に起ったのを不思
議に感じた。かつ悲しく感じた。彼はこれほど偶然な出来事を借りて、後うしろから断りなしに足絡あし
がらをかけなければ、倒す事のできないほど強いものとは、自分ながら任じていなかったのである。自分
のような弱い男を放り出すには、もっと穏当おんとうな手段でたくさんでありそうなものだと信じていた
のである。
158 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:22:31.61 ID:4uTcWgUe
 小六ころくから坂井の弟、それから満洲、蒙古もうこ、出京、安井、――こう談話の迹あとを辿たどれ
ば辿るほど、偶然の度はあまりにはなはだしかった。過去の痛恨を新あらたにすべく、普通の人が滅多め
ったに出逢わないこの偶然に出逢うために、千百人のうちから撰えり出されなければならないほどの人物
であったかと思うと、宗助は苦しかった。また腹立たしかった。彼は暗い夜着の中で熱い息を吐ついた。
 この二三年の月日でようやく癒なおりかけた創口きずぐちが、急に疼うずき始めた。疼くに伴つれて熱
ほてって来た。再び創口が裂けて、毒のある風が容赦なく吹き込みそうになった。宗助はいっそのこと、
万事を御米に打ち明けて、共に苦しみを分って貰おうかと思った。
「御米、御米」と二声呼んだ。
 御米はすぐ枕元へ来て、上から覗のぞき込むように宗助を見た。宗助は夜具の襟えりから顔を全く出し
た。次の間の灯ひが御米の頬を半分照らしていた。
「熱い湯を一杯貰おう」
 宗助はとうとう言おうとした事を言い切る勇気を失って、嘘うそを吐ついてごまかした。
 翌日宗助は例のごとく起きて、平日と変る事なく食事を済ました。そうして給仕をしてくれる御米の顔
に、多少安心の色が見えたのを、嬉うれしいような憐あわれなような一種の情緒じょうしょをもって眺な
がめた。
「昨夕ゆうべは驚ろいたわ。どうなすったのかと思って」
 宗助は下を向いて茶碗に注ついだ茶を呑のんだだけであった。何と答えていいか、適当な言葉を見出さ
なかったからである。
 その日は朝からから風が吹き荒すさんで、折々埃ほこりと共に行く人の帽を奪った。熱があると悪いか
ら、一日休んだらと云う御米の心配を聞き捨てにして、例の通り電車へ乗った宗助は、風の音と車の音の
中に首を縮ちぢめて、ただ一つ所を見つめていた。降りる時、ひゅうという音がして、頭の上の針線はり
がねが鳴ったのに気がついて、空を見たら、この猛烈な自然の力の狂う間に、いつもより明らかな日がの
そりと出ていた。風は洋袴ズボンの股またを冷たくして過ぎた。宗助にはその砂を捲まいて向うの堀の方
へ進んで行く影が、斜めに吹かれる雨の脚あしのように判然はっきり見えた。
 役所では用が手に着かなかった。筆を持って頬杖ほおづえを突いたまま何か考えた。時々は不必要な墨
を妄みだりに磨すりおろした。煙草たばこはむやみに呑んだ。そうしては、思い出したように窓硝子まど
ガラスを通して外を眺めた。外は見るたびに風の世界であった。宗助はただ早く帰りたかった。
 ようやく時間が来て家うちへ帰ったとき、御米は不安らしく宗助の顔を見て、
「どうもなくって」と聞いた。宗助はやむを得ず、どうもないが、ただ疲れたと答えて、すぐ炬燵こたつ
の中へ入ったなり、晩食ばんめしまで動かなかった。そのうち風は日と共に落ちた。昼の反動で四隣あた
りは急にひっそり静まった。
「好い案排あんばいね、風が無くなって。昼間のように吹かれると、家に坐っていても何だか気味が悪く
ってしようがないわ」
 御米の言葉には、魔物でもあるかのように、風を恐れる調子があった。宗助は落ちついて、
「今夜は少し暖あったかいようだね。穏おだやかで好い御正月だ」と云った。飯を済まして煙草たばこを
一本吸う段になって、突然、
「御米、寄席よせへでも行って見ようか」と珍らしく細君を誘った。御米は無論否いなむ理由を有もたな
かった。小六は義太夫などを聞くより、宅うちにいて餅もちでも焼いて食った方が勝手だというので、留
守を頼んで二人出た。
 少し時間が遅れたので、寄席はいっぱいであった。二人は座蒲団ざぶとんを敷く余地もない一番後うし
ろの方に、立膝たてひざをするように割り込まして貰った。
「大変な人ね」
「やっぱり春だから入るんだろう」
 二人は小声で話しながら、大きな部屋にぎっしり詰まった人の頭を見回みまわした。その頭のうちで、
高座こうざに近い前の方は、煙草の煙で霞かすんでいるようにぼんやり見えた。宗助にはこの累々るいる
159 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:22:43.55 ID:4uTcWgUe
いたる黒いものが、ことごとくこう云う娯楽の席へ来て、面白く半夜を潰つぶす事のできる余裕のある人
らしく思われた。彼はどの顔を見ても羨うらやましかった。
 彼は高座の方を正視して、熱心に浄瑠璃じょうるりを聞こうと力つとめた。けれどもいくら力めても面
白くならなかった。時々眼を外そらして、御米の顔を偸ぬすみ見た。見るたびに御米の視線は正しい所を
向いていた。傍そばに夫のいる事はほとんど忘れて、真面目まじめに聴いているらしかった。宗助は羨う
らやましい人のうちに、御米まで勘定かんじょうしなければならなかった。
 中入の時、宗助は御米に、
「どうだ、もう帰ろうか」と云い掛けた。御米はその唐突とうとつなのに驚ろかされた。
「厭なの」と聞いた。宗助は何とも答えなかった。御米は、
「どうでもいいわ」と半分夫の意に忤さからわないような挨拶あいさつをした。宗助はせっかく連れて来
た御米に対して、かえって気の毒な心が起った。とうとうしまいまで辛抱しんぼうして坐っていた。
 家うちへ帰ると、小六は火鉢ひばちの前に胡坐あぐらを掻かいて、背表紙せびょうしの反そり返るのも
構わずに、手に持った本を上から翳かざして読んでいた。鉄瓶てつびんは傍わきへ卸おろしたなり、湯は
生温なまぬるく冷さめてしまった。盆の上に焼き余りの餅が三切みきれか四片よきれ載のせてあった。網
の下から小皿に残った醤油の色が見えた。
 小六は席を立って、
「面白かったですか」と聞いた。夫婦は十分ほど身体からだを炬燵こたつで暖めた上すぐ床へ入った。
 翌日になっても宗助の心に落ちつきが来なかった事は、ほぼ前の日と同じであった。役所が退ひけて、
例の通り電車へ乗ったが、今夜自分と前後して、安井が坂井の家へ客に来ると云う事を想像すると、どう
しても、わざわざその人と接近するために、こんな速力で、家うちへ帰って行くのが不合理に思われた。
同時に安井はその後どんなに変化したろうと思うと、よそから一目彼の様子が眺ながめたくもあった。
 坂井が一昨日おとといの晩、自分の弟おととを評して、一口に「冒険者アドヴェンチュアラー」と云っ
た、その音おんが今宗助の耳に高く響き渡った。宗助はこの一語の中に、あらゆる自暴と自棄と、不平と
憎悪ぞうおと、乱倫と悖徳はいとくと、盲断と決行とを想像して、これらの一角いっかくに触れなければ
ならないほどの坂井の弟と、それと利害を共にすべく満洲からいっしょに出て来た安井が、いかなる程度
の人物になったかを、頭の中で描えがいて見た。描かれた画えは無論冒険者アドヴェンチュアラーの字面
じづらの許す範囲内で、もっとも強い色彩を帯びたものであった。
 かように、堕落の方面をとくに誇張した冒険者アドヴェンチュアラーを頭の中で拵こしらえ上げた宗助
は、その責任を自身一人で全く負わなければならないような気がした。彼はただ坂井へ客に来る安井の姿
を一目見て、その姿から、安井の今日こんにちの人格を髣髴ほうふつしたかった。そうして、自分の想像
ほど彼は堕落していないという慰藉いしゃを得たかった。
 彼は坂井の家いえの傍そばに立って、向むこうに知れずに、他ひとを窺うかがうような便利な場所はあ
るまいかと考えた。不幸にして、身を隠すべきところを思いつき得なかった。もし日が落ちてから来ると
すれば、こちらが認められない便宜べんぎがあると同時に、暗い中を通る人の顔の分らない不都合があっ
た。
 そのうち電車が神田へ来た。宗助はいつもの通りそこで乗り換えて家うちの方へ向いて行くのが苦痛に
なった。彼の神経は一歩でも安井の来る方角へ近づくに堪たえなかった。安井をよそながら見たいという
好奇心は、始めからさほど強くなかっただけに、乗換の間際まぎわになって、全く抑おさえつけられてし
まった。彼は寒い町を多くの人のごとく歩いた。けれども多くの人のごとくに判然はっきりした目的は有
もっていなかった。そのうち店に灯ひが点ついた。電車も灯火あかりを照ともした。宗助はある牛肉店に
上がって酒を呑のみ出した。一本は夢中に呑んだ。二本目は無理に呑んだ。三本目にも酔えなかった。宗
助は背を壁に持たして、酔って相手のない人のような眼をして、ぼんやりどこかを見つめていた。
 時刻が時刻なので、夕飯ゆうめしを食いに来る客は入れ代り立ち代り来た。その多くは用弁的ようべん
てきに飲食いんしょくを済まして、さっさと勘定かんじょうをして出て行くだけであった。宗助は周囲の
ざわつく中に黙然もくねんとして、他ひとの倍も三倍も時を過ごしたごとくに感じた末、ついに坐り切れ
160 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:22:55.65 ID:4uTcWgUe
ずに席を立った。
 表は左右から射す店の灯で明らかであった。軒先を通る人は、帽も衣装いしょうもはっきり物色する事
ができた。けれども広い寒さを照らすには余りに弱過ぎた。夜は戸とごとの瓦斯ガスと電灯を閑却かんき
ゃくして、依然として暗く大きく見えた。宗助はこの世界と調和するほどな黒味の勝った外套マントに包
まれて歩いた。その時彼は自分の呼吸する空気さえ灰色になって、肺の中の血管に触れるような気がした

 彼はこの晩に限って、ベルを鳴らして忙がしそうに眼の前を往ったり来たりする電車を利用する考かん
がえが起らなかった。目的を有もって途みちを行く人と共に、抜目なく足を運ばす事を忘れた。しかも彼
は根の締しまらない人間として、かく漂浪ひょうろうの雛形ひながたを演じつつある自分の心を省かえり
みて、もしこの状態が長く続いたらどうしたらよかろうと、ひそかに自分の未来を案じ煩わずらった。今
日こんにちまでの経過から推おして、すべての創口きずぐちを癒合ゆごうするものは時日であるという格
言を、彼は自家の経験から割り出して、深く胸に刻みつけていた。それが一昨日おとといの晩にすっかり
崩くずれたのである。
 彼は黒い夜の中を歩るきながら、ただどうかしてこの心から逃れ出たいと思った。その心はいかにも弱
くて落ちつかなくって、不安で不定で、度胸がなさ過ぎて希知けちに見えた。彼は胸を抑おさえつける一
種の圧迫の下もとに、いかにせば、今の自分を救う事ができるかという実際の方法のみを考えて、その圧
迫の原因になった自分の罪や過失は全くこの結果から切り放してしまった。その時の彼は他ひとの事を考
える余裕よゆうを失って、ことごとく自己本位になっていた。今までは忍耐で世を渡って来た。これから
は積極的に人世観を作り易かえなければならなかった。そうしてその人世観は口で述べるもの、頭で聞く
ものでは駄目であった。心の実質が太くなるものでなくては駄目であった。
 彼は行く行く口の中で何遍も宗教の二字を繰り返した。けれどもその響は繰り返す後あとからすぐ消え
て行った。攫つかんだと思う煙が、手を開けるといつの間にか無くなっているように、宗教とははかない
文字であった。
 宗教と関聯かんれんして宗助は坐禅ざぜんという記憶を呼び起した。昔し京都にいた時分彼の級友に相
国寺しょうこくじへ行って坐禅をするものがあった。当時彼はその迂濶うかつを笑っていた。「今の世に
……」と思っていた。その級友の動作が別に自分と違ったところもないようなのを見て、彼はますます馬
鹿馬鹿しい気を起した。
 彼は今更ながら彼の級友が、彼の侮蔑ぶべつに値あたいする以上のある動機から、貴重な時間を惜しま
ずに、相国寺へ行ったのではなかろうかと考え出して、自分の軽薄を深く恥じた。もし昔から世俗で云う
通り安心あんじんとか立命りつめいとかいう境地に、坐禅の力で達する事ができるならば、十日とおかや
二十日はつか役所を休んでも構わないからやって見たいと思った。けれども彼はこの道にかけては全くの
門外漢であった。したがって、これより以上明瞭めいりょうな考かんがえも浮ばなかった。
 ようやく家うちへ辿たどり着いた時、彼は例のような御米と、例のような小六と、それから例のような
茶の間と座敷と洋灯ランプと箪笥たんすを見て、自分だけが例にない状態の下もとに、この四五時間を暮
していたのだという自覚を深くした。火鉢ひばちには小さな鍋なべが掛けてあって、その葢ふたの隙間す
きまから湯気が立っていた。火鉢の傍わきには彼の常に坐る所に、いつもの座蒲団ざぶとんを敷いて、そ
の前にちゃんと膳立ぜんだてがしてあった。
 宗助は糸底いとぞこを上にしてわざと伏せた自分の茶碗と、この二三年来朝晩使い慣なれた木の箸はし
を眺ながめて、
「もう飯は食わないよ」と云った。御米は多少不本意らしい風もした。
「おやそう。余あんまり遅いから、おおかたどこかで召上めしやがったろうとは思ったけれど、もしまだ
だといけないから」と云いながら、布巾ふきんで鍋なべの耳を撮つまんで、土瓶敷どびんしきの上におろ
した。それから清きよを呼んで膳ぜんを台所へ退さげさした。
 宗助はこういう風に、何ぞ事故ができて、役所の退出ひけからすぐ外へ回って遅くなる場合には、いつ
でもその顛末てんまつの大略を、帰宅早々御米に話すのを例にしていた。御米もそれを聞かないうちは気
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山師さん
2016/05/18(水) 16:23:07.58 ID:4uTcWgUe
がすまなかった。けれども今夜に限って彼は神田で電車を降りた事も、牛肉屋へ上った事も、無理に酒を
呑のんだ事も、まるで話したくなかった。何も知らない御米はまた平常の通り無邪気にそれからそれへと
聞きたがった。
「何別にこれという理由わけもなかったのだけれども、――ついあすこいらで牛ぎゅうが食いたくなった
だけの事さ」
「そうして御腹おなかを消化こなすために、わざわざここまで歩るいていらしったの」
「まあ、そうだ」
 御米はおかしそうに笑った。宗助はむしろ苦しかった。しばらくして、
「留守に坂井さんから迎いに来なかったかい」と聞いた。
「いいえ、なぜ」
「一昨日おとといの晩行ったとき、御馳走ごちそうするとか云っていたからさ」
「また?」
 御米は少し呆あきれた顔をした。宗助はそれなり話を切り上げて寝た。頭の中をざわざわ何か通った。
時々眼を開けて見ると、例のごとく洋灯ランプが暗くして床の間の上に載のせてあった。御米はさも心地
好さそうに眠っていた。ついこの間までは、自分の方が好く寝られて、御米は幾晩も睡眠の不足に悩まさ
れたのであった。宗助は眼を閉じながら、明らかに次の間の時計の音を聞かなければならない今の自分を
さらに心苦しく感じた。その時計は最初は幾つも続けざまに打った。それが過ぎると、びんとただ一つ鳴
った。その濁った音が彗星ほうきぼしの尾のようにほうと宗助の耳朶みみたぶにしばらく響いていた。次
には二つ鳴った。はなはだ淋さみしい音であった。宗助はその間に、何とかして、もっと鷹揚おうように
生きて行く分別をしなければならないと云う決心だけをした。三時は朦朧もうろうとして聞えたような聞
えないようなうちに過ぎた。四時、五時、六時はまるで知らなかった。ただ世の中が膨ふくれた。天が波
を打って伸びかつ縮んだ。地球が糸で釣るした毬まりのごとくに大きな弧線こせんを描えがいて空間に揺
うごいた。すべてが恐ろしい魔の支配する夢であった。七時過に彼ははっとして、この夢から覚さめた。
御米がいつもの通り微笑して枕元に曲かがんでいた。冴さえた日は黒い世の中を疾とくにどこかへ追いや
っていた。

十八

 宗助そうすけは一封の紹介状を懐ふところにして山門さんもんを入った。彼はこれを同僚の知人の某な
にがしから得た。その同僚は役所の往復に、電車の中で洋服の隠袋かくしから菜根譚さいこんたんを出し
て読む男であった。こう云う方面に趣味のない宗助は、固もとより菜根譚の何物なるかを知らなかった。
ある日一つ車の腰掛に膝を並べて乗った時、それは何だと聞いて見た。同僚は小形の黄色い表紙を宗助の
前に出して、こんな妙な本だと答えた。宗助は重ねてどんな事が書いてあるかと尋ねた。その時同僚は、
一口に説明のできる格好かっこうな言葉を有もっていなかったと見えて、まあ禅学の書物だろうというよ
うな妙な挨拶あいさつをした。宗助は同僚から聞いたこの返事をよく覚えていた。
 紹介状を貰う四五日前しごんちまえ、彼はこの同僚の傍そばへ行って、君は禅学をやるのかと、突然質
問を掛けた。同僚は強く緊張した宗助の顔を見てすこぶる驚ろいた様子であったが、いややらない、ただ
慰なぐさみ半分にあんな書物を読むだけだと、すぐ逃げてしまった。宗助は多少失望に弛ゆるんだ下唇し
たくちびるを垂れて自分の席に帰った。
 その日帰りがけに、彼らはまた同じ電車に乗り合わした。先刻さっき宗助の様子を、気の毒に観察した
同僚は、彼の質問の奥に雑談以上のある意味を認めたものと見えて、前よりはもっと親切にその方面の話
をして聞かした。しかし自分はいまだかつて参禅という事をした経験がないと自白した。もし詳くわしい
話が聞きたければ、幸い自分の知り合によく鎌倉へ行く男があるから紹介してやろうと云った。宗助は車
の中でその人の名前と番地を手帳に書き留めた。そうして次の日同僚の手紙を持ってわざわざ回り道をし
て訪問に出かけた。宗助の懐ふところにした書状はその折席上で認したためて貰ったものであった。
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山師さん
2016/05/18(水) 16:23:19.57 ID:4uTcWgUe
 役所は病気になって十日ばかり休む事にした。御米およねの手前もやはり病気だと取り繕つくろった。
「少し脳が悪いから、一週間ほど役所を休んで遊あすんで来るよ」と云った。御米はこの頃の夫の様子の
どこかに異状があるらしく思われるので、内心では始終しじゅう心配していた矢先だから、平生煮え切ら
ない宗助の果断を喜んだ。けれどもその突然なのにも全く驚ろいた。
「遊びに行くって、どこへいらっしゃるの」と眼を丸くしないばかりに聞いた。
「やっぱり鎌倉辺が好かろうと思っている」と宗助は落ちついて答えた。地味な宗助とハイカラな鎌倉と
はほとんど縁の遠いものであった。突然二つのものを結びつけるのは滑稽こっけいであった。御米も微笑
を禁じ得なかった。
「まあ御金持ね。私わたしもいっしょに連れてってちょうだい」と云った。宗助は愛すべき細君のこの冗
談じょうだんを味わう余裕を有たなかった。真面目まじめな顔をして、
「そんな贅沢ぜいたくな所へ行くんじゃないよ。禅寺へ留とめて貰もらって、一週間か十日、ただ静かに
頭を休めて見るだけの事さ。それもはたして好くなるか、ならないか分らないが、空気のいい所へ行くと
、頭には大変違うと皆みんな云うから」と弁解した。
「そりゃ違いますわ。だから行っていらっしゃいとも。今のは本当の冗談よ」
 御米は善良な夫に調戯からかったのを、多少済まないように感じた。宗助はその翌日あくるひすぐ貰っ
て置いた紹介状を懐ふところにして、新橋から汽車に乗ったのである。
 その紹介状の表には釈宜道しゃくぎどう様と書いてあった。
「この間まで侍者じしゃをしていましたが、この頃では塔頭たっちゅうにある古い庵室に手を入れて、そ
こに住んでいるとか聞きました。どうですか、まあ着いたら尋ねて御覧なさい。庵の名はたしか一窓庵い
っそうあんでした」と書いてくれる時、わざわざ注意があったので、宗助は礼を云って手紙を受取りなが
ら、侍者じしゃだの塔頭たっちゅうだのという自分には全く耳新らしい言葉の説明を聞いて帰ったのであ
る。
 山門を入ると、左右には大きな杉があって、高く空を遮さえぎっているために、路が急に暗くなった。
その陰気な空気に触れた時、宗助は世の中と寺の中との区別を急に覚さとった。静かな境内けいだいの入
口に立った彼は、始めて風邪ふうじゃを意識する場合に似た一種の悪寒さむけを催した。
 彼はまず真直まっすぐに歩るき出した。左右にも行手いくてにも、堂のようなものや、院のようなもの
がちょいちょい見えた。けれども人の出入でいりはいっさいなかった。ことごとく寂寞せきばくとして錆
さび果はてていた。宗助はどこへ行って、宜道ぎどうのいる所を教えて貰おうかと考えながら、誰も通ら
ない路の真中に立って四方を見回みまわした。
 山の裾すそを切り開いて、一二丁奥へ上のぼるように建てた寺だと見えて、後うしろの方は樹きの色で
高く塞ふさがっていた。路の左右も山続やまつづきか丘続の地勢に制せられて、けっして平ではないよう
であった。その小高い所々に、下から石段を畳んで、寺らしい門を高く構えたのが二三軒目に着いた。平
地ひらちに垣を繞めぐらして、点在しているのは、幾多いくらもあった。近寄って見ると、いずれも門瓦
もんがわらの下に、院号やら庵号やらが額にしてかけてあった。
 宗助は箔はくの剥はげた古い額を一二枚読んで歩いたが、ふと一窓庵から先へ探さがし出して、もしそ
こに手紙の名宛なあての坊さんがいなかったら、もっと奥へ行って尋ねる方が便利だろうと思いついた。
それから逆戻りをして塔頭を一々調べにかかると、一窓庵は山門を這入はいるや否やすぐ右手の方の高い
石段の上にあった。丘外おかはずれなので、日当ひあたりの好い、からりとした玄関先を控えて、後うし
ろの山の懐ふところに暖まっているような位置に冬を凌しのぐ気色けしきに見えた。宗助は玄関を通り越
して庫裡くりの方から土間に足を入れた。上り口の障子しょうじの立ててある所まで来て、たのむたのむ
と二三度呼んで見た。しかし誰も出て来てくれるものはなかった。宗助はしばらくそこに立ったまま、中
の様子を窺うかがっていた。いつまで立っていても音沙汰おとさたがないので、宗助は不思議な思いをし
て、また庫裡を出て門の方へ引返した。すると石段の下から剃立そりたての頭を青く光らした坊さんが上
って来た。年はまだ二十四五としか見えない若い色白の顔であった。宗助は門の扉の所に待ち合わして、
「宜道さんとおっしゃる方はこちらにおいででしょうか」と聞いた。
163 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:23:31.62 ID:4uTcWgUe
「私が宜道です」と若い僧は答えた。宗助は少し驚ろいたが、また嬉うれしくもあった。すぐ懐中から例
の紹介状を出して渡すと、宜道は立ちながら封を切って、その場で読み下くだした。やがて手紙を巻き返
して封筒へ入れると、
「ようこそ」と云って、叮嚀ていねいに会釈えしゃくしたなり、先に立って宗助を導いた。二人は庫裡に
下駄げたを脱いで、障子を開けて内へ這入った。そこには大きな囲炉裏いろりが切ってあった。宜道は鼠
木綿ねずみもめんの上に羽織はおっていた薄い粗末な法衣ころもを脱いで釘くぎにかけて、
「御寒うございましょう」と云って、囲炉裏の中に深く埋いけてあった炭を灰の下から掘り出した。
 この僧は若いに似合わずはなはだ落ちついた話振はなしぶりをする男であった。低い声で何か受答えを
した後あとで、にやりと笑う具合などは、まるで女のような感じを宗助に与えた。宗助は心のうちに、こ
の青年がどういう機縁の元もとに、思い切って頭を剃そったものだろうかと考えて、その様子のしとやか
なところを、何となく憐あわれに思った。
「大変御静なようですが、今日はどなたも御留守なんですか」
「いえ、今日に限らず、いつも私一人です。だから用のあるときは構わず明け放しにして出ます。今もち
ょっと下まで行って用を足して参りました。それがためせっかくおいでのところを失礼致しました」
 宜道はこの時改めて遠来の人に対して自分の不在を詫わびた。この大きな庵を、たった一人で預かって
いるさえ、相応に骨が折れるのに、その上に厄介やっかいが増したらさぞ迷惑だろうと、宗助は少し気の
毒な色をほかに動かした。すると宜道は、
「いえ、ちっとも御遠慮には及びません。道のためでございますから」とゆかしい事を云った。そうして
、目下自分の所に、宗助のほかに、まだ一人世話になっている居士こじのある旨むねを告げた。この居士
は山へ来てもう二年になるとかいう話であった。宗助はそれから二三日して、始めてこの居士を見たが、
彼は剽軽ひょうきんな羅漢らかんのような顔をしている気楽そうな男であった。細い大根だいこを三四本
ぶら下げて、今日は御馳走ごちそうを買って来たと云って、それを宜道に煮てもらって食った。宜道も宗
助もその相伴しょうばんをした。この居士は顔が坊さんらしいので、時々僧堂の衆に交って、村の御斎お
ときなどに出かける事があるとか云って宜道が笑っていた。
 そのほか俗人で山へ修業に来ている人の話もいろいろ聞いた。中に筆墨ふですみを商あきなう男がいた
。背中へ荷をいっぱい負しょって、二十日はつかなり三十日さんじゅうにちなり、そこら中回って歩いて
、ほぼ売り尽してしまうと山へ帰って来て坐禅をする。それからしばらくして食うものがなくなると、ま
た筆墨を背に載のせて行商に出る。彼はこの両面の生活を、ほとんど循環小数じゅんかんしょうすうのご
とく繰り返して、飽あく事を知らないのだと云う。
 宗助は一見いっけんこだわりの無さそうなこれらの人の月日と、自分の内面にある今の生活とを比べて
、その懸隔けんかくの甚はなはだしいのに驚ろいた。そんな気楽な身分だから坐禅ざぜんができるのか、
あるいは坐禅をした結果そういう気楽な心になれるのか迷った。
「気楽ではいけません。道楽にできるものなら、二十年も三十年も雲水うんすいをして苦しむものはあり
ません」と宜道は云った。
 彼は坐禅をするときの一般の心得や、老師ろうしから公案こうあんの出る事や、その公案に一生懸命噛
かじりついて、朝も晩も昼も夜も噛りつづけに噛らなくてはいけない事やら、すべて今の宗助には心元な
く見える助言じょごんを与えた末、
「御室おへやへ御案内しましょう」と云って立ち上がった。
 囲炉裏いろりの切ってある所を出て、本堂を横に抜けて、その外はずれにある六畳の座敷の障子しょう
じを縁から開けて、中へ案内された時、宗助は始めて一人遠くに来た心持がした。けれども頭の中は、周
囲の幽静な趣おもむきと反照はんしょうするためか、かえって町にいるときよりも動揺した。
 約一時間もしたと思う頃宜道の足音がまた本堂の方から響いた。
「老師ろうしが相見しょうけんになるそうでございますから、御都合が宜よろしければ参りましょう」と
云って、丁寧ていねいに敷居の上に膝ひざを突いた。
 二人はまた寺を空からにして連立って出た。山門の通りをほぼ一丁ほど奥へ来ると、左側に蓮池はすい
164 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:23:55.62 ID:4uTcWgUe
無限で無数で無尽蔵で、けっして宗助の命令によって、留まる事も休む事もなかった。断ち切ろうと思え
ば思うほど、滾々こんこんとして湧わいて出た。
 宗助は怖こわくなって、急に日常の我を呼び起して、室の中を眺ながめた。室は微かすかな灯ひで薄暗
く照らされていた。灰の中に立てた線香は、まだ半分ほどしか燃えていなかった。宗助は恐るべく時間の
長いのに始めて気がついた。
 宗助はまた考え始めた。すると、すぐ色のあるもの、形のあるものが頭の中を通り出した。ぞろぞろと
群がる蟻ありのごとくに動いて行く、あとからまたぞろぞろと群がる蟻のごとくに現われた。じっとして
いるのはただ宗助の身体からだだけであった。心は切ないほど、苦しいほど、堪えがたいほど動いた。
 そのうちじっとしている身体も、膝頭ひざがしらから痛み始めた。真直に延ばしていた脊髄がしだいし
だいに前の方に曲って来た。宗助は両手で左の足の甲を抱かかえるようにして下へおろした。彼は何をす
る目的めあてもなく室へやの中に立ち上がった。障子しょうじを明けて表へ出て、門前をぐるぐる駈かけ
回まわって歩きたくなった。夜はしんとしていた。寝ている人も起きている人もどこにもおりそうには思
えなかった。宗助は外へ出る勇気を失った。じっと生きながら妄想もうぞうに苦しめられるのはなお恐ろ
しかった。
 彼は思い切ってまた新らしい線香を立てた。そうしてまたほぼ前ぜんと同じ過程を繰り返した。最後に
、もし考えるのが目的だとすれば、坐って考えるのも寝て考えるのも同じだろうと分別した。彼は室の隅
すみに畳んであった薄汚ない蒲団ふとんを敷いて、その中に潜もぐり込んだ。すると先刻さっきからの疲
れで、何を考える暇もないうちに、深い眠りに落ちてしまった。
 眼が覚さめると枕元の障子がいつの間にか明るくなって、白い紙にやがて日の逼せまるべき色が動いた
。昼も留守るすを置かずに済む山寺は、夜に入っても戸を閉たてる音を聞かなかったのである。宗助は自
分が坂井の崖下がけしたの暗い部屋に寝ていたのでないと意識するや否いなや、すぐ起き上がった。縁へ
出ると、軒端のきばに高く大覇王樹おおさぼてんの影が眼に映った。宗助はまた本堂の仏壇の前を抜けて
、囲炉裏いろりの切ってある昨日きのうの茶の間へ出た。そこには昨日の通り宜道の法衣ころもが折釘お
りくぎにかけてあった。そうして本人は勝手の竈かまどの前に蹲踞うずくまって、火を焚たいていた。宗
助を見て、
「御早う」と慇懃いんぎんに礼をした。「先刻さっき御誘い申そうと思いましたが、よく御寝おやすみの
ようでしたから、失礼して一人参りました」
 宗助はこの若い僧が、今朝夜明がたにすでに参禅を済まして、それから帰って来て、飯を炊かしいでい
るのだという事を知った。
 見ると彼は左の手でしきりに薪まきを差し易かえながら、右の手に黒い表紙の本を持って、用の合間合
間にそれを読んでいる様子であった。宗助は宜道に書物の名を尋ねた。それは碧巌集へきがんしゅうとい
うむずかしい名前のものであった。宗助は腹の中で、昨夕ゆうべのように当途あてどもない考かんがえに
耽ふけって脳を疲らすより、いっそその道の書物でも借りて読む方が、要領を得る捷径ちかみちではなか
ろうかと思いついた。宜道にそう云うと、宜道は一も二もなく宗助の考を排斥した。
「書物を読むのはごく悪うございます。有体ありていに云うと、読書ほど修業の妨さまたげになるものは
無いようです。私共でも、こうして碧巌などを読みますが、自分の程度以上のところになると、まるで見
当けんとうがつきません。それを好加減いいかげんに揣摩しまする癖がつくと、それが坐る時の妨になっ
て、自分以上の境界きょうがいを予期して見たり、悟を待ち受けて見たり、充分突込んで行くべきところ
に頓挫とんざができます。大変毒になりますから、御止しになった方がよいでしょう。もし強しいて何か
御読みになりたければ、禅関策進ぜんかんさくしんというような、人の勇気を鼓舞こぶしたり激励したり
するものが宜よろしゅうございましょう。それだって、ただ刺戟しげきの方便として読むだけで、道その
物とは無関係です」
 宗助には宜道の意味がよく解らなかった。彼はこの生若なまわかい青い頭をした坊さんの前に立って、
あたかも一個の低能児であるかのごとき心持を起した。彼の慢心は京都以来すでに銷磨しょうまし尽して
いた。彼は平凡を分として、今日こんにちまで生きて来た。聞達ぶんたつほど彼の心に遠いものはなかっ
165 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:24:07.62 ID:4uTcWgUe
た。彼はただありのままの彼として、宜道の前に立ったのである。しかも平生の自分より遥はるかに無力
無能な赤子あかごであると、さらに自分を認めざるを得なくなった。彼に取っては新らしい発見であった
。同時に自尊心を根絶するほどの発見であった。
 宜道が竈へっついの火を消して飯をむらしている間に、宗助は台所から下りて庭の井戸端いどばたへ出
て顔を洗った。鼻の先にはすぐ雑木山ぞうきやまが見えた。その裾すその少し平たいらな所を拓ひらいて
、菜園が拵こしらえてあった。宗助は濡ぬれた頭を冷たい空気に曝さらして、わざと菜園まで下りて行っ
た。そうして、そこに崖がけを横に掘った大きな穴を見出した。宗助はしばらくその前に立って、暗い奥
の方を眺ながめていた。やがて、茶の間へ帰ると、囲炉裏いろりには暖かい火が起って、鉄瓶てつびんに
湯の沸たぎる音が聞えた。
「手がないものだから、つい遅くなりまして御気の毒です。すぐ御膳ごぜんに致しましょう。しかしこん
な所だから上げるものがなくって困ります。その代り明日あしたあたりは御馳走ごちそうに風呂ふろでも
立てましょう」と宜道が云ってくれた。宗助はありがたく囲炉裏いろりの向むこうに坐った。
 やがて食事を了おえて、わが室へやへ帰った宗助は、また父母未生ふぼみしょう以前いぜんと云う稀有
けうな問題を眼の前に据すえて、じっと眺ながめた。けれども、もともと筋の立たない、したがって発展
のしようのない問題だから、いくら考えてもどこからも手を出す事はできなかった。そうして、すぐ考え
るのが厭いやになった。宗助はふと御米にここへ着いた消息を書かなければならない事に気がついた。彼
は俗用の生じたのを喜こぶごとくに、すぐ鞄かばんの中から巻紙と封じ袋を取り出して、御米にやる手紙
を書き始めた。まずここの閑静な事、海に近いせいか、東京よりはよほど暖かい事、空気の清朗な事、紹
介された坊さんの親切な事、食事の不味まずい事、夜具蒲団やぐふとんの綺麗きれいに行かない事、など
を書き連ねているうちに、はや三尺余りの長さになったので、そこで筆を擱おいたが、公案に苦しめられ
ている事や、坐禅をして膝ひざの関節を痛くしている事や、考えるためにますます神経衰弱が劇はげしく
なりそうな事は、噫おくびにも出さなかった。彼はこの手紙に切手を貼はって、ポストに入れなければな
らない口実を求めて、早速山を下った。そうして父母未生以前と、御米と、安井に、脅おびやかされなが
ら、村の中をうろついて帰った。
 午ひるには、宜道から話のあった居士こじに会った。この居士は茶碗を出して、宜道に飯を盛よそって
貰もらうとき、憚はばかり様とも何とも云わずに、ただ合掌がっしょうして礼を述べたり、相図をしたり
した。このくらい静かに物事を為するのが法だとか云った。口を利きかず、音を立てないのは、考えの邪
魔になると云う精神からだそうであった。それほど真剣にやるべきものをと、宗助は昨夜からの自分が、
何となく恥ずかしく思われた。
 食後三人は囲炉裏の傍はたでしばらく話した。その時居士は、自分が坐禅をしながら、いつか気がつか
ずにうとうとと眠ってしまっていて、はっと正気に帰る間際まぎわに、おや悟ったなと喜ぶことがあるが
、さていよいよ眼を開あいて見ると、やっぱり元の通の自分なので失望するばかりだと云って、宗助を笑
わした。こう云う気楽な考で、参禅している人もあると思うと、宗助も多少は寛くつろいだ。けれども三
人が分れ分れに自分の室へやに入る時、宜道が、
「今夜は御誘い申しますから、これから夕方までしっかり御坐りなさいまし」と真面目まじめに勧すすめ
たとき、宗助はまた一種の責任を感じた。消化こなれない堅い団子が胃に滞とどこおっているような不安
な胸を抱いだいて、わが室へ帰って来た。そうしてまた線香を焚たいて坐わり出した。その癖くせ夕方ま
では坐り続けられなかった。どんな解答にしろ一つ拵こしらえておかなければならないと思いながらも、
しまいには根気が尽きて、早く宜道が夕食ゆうめしの報知しらせに本堂を通り抜けて来てくれれば好いと
、そればかり気にかかった。
 日は懊悩おうのうと困憊こんぱいの裡うちに傾むいた。障子しょうじに映る時の影がしだいに遠くへ立
ち退のくにつれて、寺の空気が床ゆかの下から冷え出した。風は朝から枝を吹かなかった。縁側えんがわ
に出て、高い庇ひさしを仰ぐと、黒い瓦かわらの小口だけが揃そろって、長く一列に見える外に、穏おだ
やかな空が、蒼あおい光をわが底の方に沈めつつ、自分と薄くなって行くところであった。
166 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:24:19.65 ID:4uTcWgUe
十九

「危険あぶのうございます」と云って宜道ぎどうは一足先へ暗い石段を下りた。宗助そうすけはあとから
続いた。町と違って夜になると足元が悪いので、宜道は提灯ちょうちんを点つけてわずか一丁ばかりの路
みちを照らした。石段を下り切ると、大きな樹の枝が左右から二人の頭に蔽おい被かぶさるように空を遮
さえぎった。闇やみだけれども蒼い葉の色が二人の着物の織目に染み込むほどに宗助を寒がらせた。提灯
の灯ひにもその色が多少映る感じがあった。その提灯は一方に大きな樹の幹を想像するせいか、はなはだ
小さく見えた。光の地面に届く尺数もわずかであった。照らされた部分は明るい灰色の断片となって暗い
中にほっかり落ちた。そうして二人の影が動くに伴つれて動いた。
 蓮池れんちを行き過ぎて、左へ上のぼる所は、夜はじめての宗助に取って、少し足元が滑なめらかに行
かなかった。土の中に根を食っている石に、一二度下駄げたの台を引っ掛けた。蓮池の手前から横に切れ
る裏路もあるが、この方は凸凹とつおうが多くて、慣なれない宗助には近くても不便だろうと云うので、
宜道はわざわざ広い方を案内したのである。
 玄関を入ると、暗い土間に下駄がだいぶ並んでいた。宗助は曲こごんで、人の履物はきものを踏まない
ようにそっと上へのぼった。室へやは八畳ほどの広さであった。その壁際かべぎわに列を作って、六七人
の男が一側ひとかわに並んでいた。中に頭を光らして、黒い法衣ころもを着た僧も交っていた。他ほかの
ものは大概袴はかまを穿はいていた。この六七人の男は上あがり口ぐちと奥へ通ずる三尺の廊下ろうか口
を残して、行儀よく鉤かぎの手てに並んでいた。そうして、一言ひとことも口を利きかなかった。宗助は
これらの人の顔を一目見て、まずその峻刻しゅんこくなのに気を奪われた。彼らは皆固く口を結んでいた
。事ありげな眉まゆを強く寄せていた。傍そばにどんな人がいるか見向きもしなかった。いかなるものが
外から入って来ても、全く注意しなかった。彼らは活きた彫刻のように己おのれを持して、火の気のない
室へやに粛然しゅくぜんと坐っていた。宗助の感覚には、山寺の寒さ以上に、一種厳おごそかな気が加わ
った。
 やがて寂寞せきばくの中うちに、人の足音が聞えた。初は微かすかに響いたが、しだいに強く床ゆかを
踏んで、宗助の坐っている方へ近づいて来た。しまいに一人の僧が廊下口からぬっと現れた。そうして宗
助の傍そばを通って、黙って外の暗がりへ抜けて行った。すると遠くの奥の方で鈴れいを振る音がした。
 この時宗助と並んで厳粛げんしゅくに控えていた男のうちで、小倉こくらの袴はかまを着けた一人が、
やはり無言のまま立ち上がって、室の隅すみの廊下口の真正面へ来て着座した。そこには高さ二尺幅一尺
ほどの木の枠わくの中に、銅鑼どらのような形をした、銅鑼よりも、ずっと重くて厚そうなものがかかっ
ていた。色は蒼黒あおぐろく貧しい灯ひに照らされていた。袴を着けた男は、台の上にある撞木しゅもく
を取り上げて、銅鑼に似た鐘の真中を二つほど打ち鳴らした。そうして、ついと立って、廊下口を出て、
奥の方へ進んで行った。今度は前と反対に、足音がだんだん遠くの方へ去るに従って、微かすかになった
。そうして一番しまいにぴたりとどこかで留まった。宗助は坐いながら、はっとした。彼はこの袴を着け
た男の身の上に、今何事が起りつつあるだろうかを想像したのである。けれども奥はしんとして静まり返
っていた。宗助と並んでいるものも、一人として顔の筋肉を動かすものはなかった。ただ宗助は心の中で
、奥からの何物かを待ち受けた。すると忽然こつぜんとして鈴を振る響が彼の耳に応こたえた。同時に長
い廊下を踏んで、こちらへ近づく足音がした。袴を着けた男はまた廊下口から現われて、無言のまま玄関
を下りて、霜しもの裡うちに消え去った。入れ代ってまた新らしい男が立って、最前の鐘を打った。そう
して、また廊下を踏み鳴らして奥の方へ行った。宗助は沈黙の間に行われるこの順序を見ながら、膝ひざ
に手を載のせて、自分の番の来るのを待っていた。
 自分より一人置いて前の男が立って行った時は、ややしばらくしてから、わっと云う大きな声が、奥の
方で聞えた。その声は距離が遠いので、劇はげしく宗助の鼓膜を打つほど、強くは響かなかったけれども
、たしかに精一杯せいいっぱい威を振ふるったものであった。そうしてただ一人いちにんの咽喉のどから
出た個人の特色を帯びていた。自分のすぐ前の人が立った時は、いよいよわが番が回って来たと云う意識
に制せられて、一層落ちつきを失った。
167 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:24:31.59 ID:4uTcWgUe
 宗助はこの間の公案に対して、自分だけの解答は準備していた。けれども、それははなはだ覚束おぼつ
かない薄手うすでのものに過ぎなかった。室中しつちゅうに入る以上は、何か見解けんげを呈しない訳に
行かないので、やむを得ず納まらないところを、わざと納まったように取繕とりつくろった、その場限り
の挨拶あいさつであった。彼はこの心細い解答で、僥倖ぎょうこうにも難関を通過して見たいなどとは、
夢にも思い設けなかった。老師をごまかす気は無論なかった。その時の宗助はもう少し真面目まじめであ
ったのである。単に頭から割り出した、あたかも画えにかいた餅もちのような代物しろものを持って、義
理にも室中に入らなければならない自分の空虚な事を恥じたのである。
 宗助は人のするごとくに鐘を打った。しかも打ちながら、自分は人並にこの鐘を撞木で敲たたくべき権
能けんのうがないのを知っていた。それを人並に鳴らして見る猿のごとき己おのれを深く嫌忌けんきした

 彼は弱味のある自分に恐れを抱きつつ、入口を出て冷たい廊下へ足を踏み出した。廊下は長く続いた。
右側にある室へやはことごとく暗かった。角を二つ折れ曲ると、向むこうの外はずれの障子に灯影ひかげ
が差した。宗助はその敷居際しきいぎわへ来て留まった。
 室中に入るものは老師に向って三拝するのが礼であった。拝しかたは普通の挨拶あいさつのように頭を
畳に近く下げると同時に、両手の掌てのひらを上向うえむきに開いて、それを頭の左右に並べたまま、少
し物を抱かかえた心持に耳の辺あたりまで上げるのである。宗助は敷居際に跪ひざまずいて形かたのごと
く拝を行なった。すると座敷の中で、
「一拝いっぱいで宜よろしい」と云う会釈えしゃくがあった。宗助はあとを略して中へ入った。
 室の中はただ薄暗い灯ひに照らされていた。その弱い光は、いかに大字だいじな書物をも披見ひけんせ
しめぬ程度のものであった。宗助は今日こんにちまでの経験に訴えて、これくらい微かすかな灯火ともし
びに、夜を営なむ人間を憶おもい起す事ができなかった。その光は無論月よりも強かった。かつ月のごと
く蒼白あおじろい色ではなかった。けれどももう少しで朦朧もうろうの境さかいに沈むべき性質たちのも
のであった。
 この静かな判然はっきりしない灯火の力で、宗助は自分を去る四五尺の正面に、宜道のいわゆる老師な
るものを認めた。彼の顔は例によって鋳物いもののように動かなかった。色は銅あかがねであった。彼は
全身に渋しぶに似た柿かきに似た茶に似た色の法衣ころもを纏まとっていた。足も手も見えなかった。た
だ頸くびから上が見えた。その頸から上が、厳粛げんしゅくと緊張の極度に安んじて、いつまで経っても
変る恐おそれを有せざるごとくに人を魅みした。そうして頭には一本の毛もなかった。
 この面前に気力なく坐すわった宗助の、口にした言葉はただ一句で尽きた。
「もっと、ぎろりとしたところを持って来なければ駄目だ」とたちまち云われた。「そのくらいな事は少
し学問をしたものなら誰でも云える」
 宗助は喪家そうかの犬のごとく室中を退いた。後に鈴れいを振る音が烈はげしく響いた。

二十

 障子しょうじの外で野中さん、野中さんと呼ぶ声が二度ほど聞えた。宗助そうすけは半睡はんすいの裡
うちにはいと応こたえたつもりであったが、返事を仕切らない先に、早く知覚を失って、また正体なく寝
入ってしまった。
 二度目に眼が覚さめた時、彼は驚ろいて飛び起きた。縁側えんがわへ出ると、宜道ぎどうが鼠木綿ねず
みもめんの着物に襷たすきを掛けて、甲斐甲斐かいがいしくそこいらを拭いていた。赤く凍かじかんだ手
で、濡雑巾ぬれぞうきんを絞しぼりながら、例のごとく柔和やさしいにこやかな顔をして、
「御早う」と挨拶あいさつした。彼は今朝もまたとくに参禅を済ました後のち、こうして庵に帰って働い
ていたのである。宗助はわざわざ呼び起されても起き得なかった自分の怠慢を省かえりみて、全くきまり
の悪い思をした。
「今朝もつい寝忘れて失礼しました」
168 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:24:43.64 ID:4uTcWgUe
 彼はこそこそ勝手口から井戸端いどばたの方へ出た。そうして冷たい水を汲くんでできるだけ早く顔を
洗った。延びかかった髯ひげが、頬の辺あたりで手を刺すようにざらざらしたが、今の宗助にはそれを苦
にするほどの余裕はなかった。彼はしきりに宜道と自分とを対照して考えた。
 紹介状を貰うときに東京で聞いたところによると、この宜道という坊さんは、大変性質たちのいい男で
、今では修業もだいぶでき上がっていると云う話だったが、会って見ると、まるで一丁字いっていじもな
い小廝こもののように丁寧ていねいであった。こうして襷掛たすきがけで働いているところを見ると、ど
うしても一個の独立した庵あんの主人らしくはなかった。納所なっしょとも小坊主とも云えた。
 この矮小わいしょうな若僧じゃくそうは、まだ出家をしない前、ただの俗人としてここへ修業に来た時
、七日の間結跏けっかしたぎり少しも動かなかったのである。しまいには足が痛んで腰が立たなくなって
、厠かわやへ上のぼる折などは、やっとの事壁伝いに身体からだを運んだのである。その時分の彼は彫刻
家であった。見性けんしょうした日に、嬉うれしさの余り、裏の山へ馳かけ上って、草木国土そうもくこ
くど悉皆成仏しっかいじょうぶつと大きな声を出して叫んだ。そうしてついに頭を剃そってしまった。
 この庵を預かるようになってから、もう二年になるが、まだ本式に床を延べて、楽に足を延ばして寝た
事はないと云った。冬でも着物のまま壁に倚もたれて坐睡ざすいするだけだと云った。侍者じしゃをして
いた頃などは、老師の犢鼻褌ふんどしまで洗わせられたと云った。その上少しの暇を偸ぬすんで坐りでも
すると、後うしろから来て意地の悪い邪魔をされる、毒吐どくづかれる、頭の剃り立てには何の因果いん
がで坊主になったかと悔む事が多かったと云った。
「ようやくこの頃になって少し楽になりました。しかしまだ先がございます。修業は実際苦しいものです
。そう容易にできるものなら、いくら私共が馬鹿だって、こうして十年も二十年も苦しむ訳がございませ
ん」
 宗助はただ惘然ぼうぜんとした。自己の根気と精力の足らない事をはがゆく思う上に、それほど歳月を
掛けなければ成就じょうじゅできないものなら、自分は何しにこの山の中までやって来たか、それからが
第一の矛盾であった。
「けっして損になる気遣きづかいはございません。十分じっぷん坐れば、十分の功があり、二十分坐れば
二十分の徳があるのは無論です。その上最初を一つ奇麗きれいにぶち抜いておけば、あとはこう云う風に
始終しじゅうここにおいでにならないでも済みますから」
 宗助は義理にもまた自分の室へやへ帰って坐らなければならなかった。
 こんな時に宜道が来て、
「野中さん提唱ていしょうです」と誘ってくれると、宗助は心から嬉しい気がした。彼は禿頭はげあたま
を捕つらまえるような手の着けどころのない難題に悩まされて、坐いながらじっと煩悶はんもんするのを
、いかにも切なく思った。どんなに精力を消耗しょうこうする仕事でもいいから、もう少し積極的に身体
からだを働らかしたく思った。
 提唱のある場所は、やはり一窓庵から一町も隔へだたっていた。蓮池れんちの前を通り越して、それを
左へ曲らずに真直まっすぐに突き当ると、屋根瓦やねがわらを厳いかめしく重ねた高い軒が、松の間に仰
あおがれた。宜道は懐ふところに黒い表紙の本を入れていた。宗助は無論手ぶらであった。提唱ていしょ
うと云うのが、学校でいう講義の意味である事さえ、ここへ来て始めて知った。
 室へやは高い天井てんじょうに比例して広くかつ寒かった。色の変った畳の色が古い柱と映てり合って
、昔を物語るように寂さび果てていた。そこに坐っている人々も皆地味に見えた。席次不同に思い思いの
座を占めてはいるが、高声こうせいに語るもの、笑うものは一人もなかった。僧は皆紺麻こんあさの法衣
ころもを着て、正面の曲※(「碌のつくり」、第3水準1-84-27)きょくろくの左右に列を作って
向い合せに並んだ。その曲※(「碌のつくり」、第3水準1-84-27)は朱で塗ってあった。
 やがて老師が現われた。畳を見つめていた宗助には、彼がどこを通って、どこからここへ出たかさっぱ
り分らなかった。ただ彼の落ちつき払って曲※(「碌のつくり」、第3水準1-84-27)に倚よる重
々しい姿を見た。一人の若い僧が立ちながら、紫むらさきの袱紗ふくさを解いて、中から取り出した書物
を、恭うやうやしく卓上に置くところを見た。またその礼拝らいはいして退しりぞく態さまを[#「態を
169 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:24:55.72 ID:4uTcWgUe
」は底本では「熊を」]見た。
 この時堂上の僧は一斉いっせいに合掌がっしょうして、夢窓国師むそうこくしの遺誡いかいを誦じゅし
始めた。思い思いに席を取った宗助の前後にいる居士こじも皆同音どうおんに調子を合せた。聞いている
と、経文のような、普通の言葉のような、一種の節を帯びた文字であった。
「我に三等の弟子あり。いわゆる猛烈にして諸縁しょえんを放下ほうげし、専一に己事こじを究明するこ
れを上等と名づく。修業純ならず駁雑はくざつ学を好む、これを中等と云う」と云々という、余り長くは
ないものであった。宗助は始め夢窓国師むそうこくしの何人なんびとなるかを知らなかった。宜道からこ
の夢窓国師と大燈国師だいとうこくしとは、禅門中興の祖であると云う事を教わったのである。平生跛ち
んばで充分に足を組む事ができないのを憤いきどおって、死ぬ間際まぎわに、今日きょうこそおれの意の
ごとくにして見せると云いながら、悪い方の足を無理に折っぺしょって、結跏けっかしたため、血が流れ
て法衣ころもを煮染にじましたという大燈国師の話もその折おり宜道から聞いた。
 やがて提唱が始まった。宜道は懐ふところから例の書物を出して、頁ページを半なかば擦ずらして宗助
の前へ置いた。それは宗門無尽燈論しゅうもんむじんとうろんと云う書物であった。始めて聞きに出た時
、宜道は、
「ありがたい結構な本です」と宗助に教えてくれた。白隠和尚はくいんおしょうの弟子の東嶺とうれい和
尚とかいう人の編輯へんしゅうしたもので、重に禅を修行するものが、浅い所から深い所へ進んで行く径
路やら、それに伴なう心境の変化やらを秩序立てて書いたものらしかった。
 中途から顔を出した宗助には、よくも解げせなかったけれども、講者こうじゃは能弁の方で、黙って聞
いているうちに、大変面白いところがあった。その上参禅の士を鼓舞こぶするためか、古来からこの道に
苦しんだ人の閲歴譚えつれきだんなどを取とり交まぜて、一段の精彩を着けるのが例であった。この日も
その通りであったが、或所へ来ると、突然語調を改めて、
「この頃室中に来って、どうも妄想もうぞうが起っていけないなどと訴えるものがあるが」と急に入室者
の不熱心を戒しめ出したので、宗助は覚えずぎくりとした。室中に入って、その訴うったえをなしたもの
は実に彼自身であった。
 一時間の後宜道と宗助は袖そでをつらねてまた一窓庵に帰った。その帰り路に宜道は、
「ああして提唱のある時に、よく参禅者の不心得を諷ふうせられます」と云った。宗助は何も答えなかっ
た。

二十一

 そのうち、山の中の日は、一日一日と経たった。御米およねからはかなり長い手紙がもう二本来た。も
っとも二本とも新たに宗助そうすけの心を乱すような心配事は書いてなかった。宗助は常の細君思いに似
ずついに返事を出すのを怠った。彼は山を出る前に、何とかこの間の問題に片をつけなければ、せっかく
来た甲斐かいがないような、また宜道ぎどうに対してすまないような気がしていた。眼が覚さめている時
は、これがために名状しがたい一種の圧迫を受けつづけに受けた。したがって日が暮れて夜が明けて、寺
で見る太陽の数が重なるにつけて、あたかも後から追いかけられでもするごとく気を焦いらった。けれど
も彼は最初の解決よりほかに、一歩もこの問題にちかづく術すべを知らなかった。彼はまたいくら考えて
もこの最初の解決は確なものであると信じていた。ただ理窟りくつから割り出したのだから、腹の足たし
にはいっこうならなかった。彼はこの確なものを放り出して、さらにまた確なものを求めようとした。け
れどもそんなものは少しも出て来なかった。
 彼は自分の室へやで独ひとり考えた。疲れると、台所から下りて、裏の菜園へ出た。そうして崖がけの
下に掘った横穴の中へ這入はいって、じっと動かずにいた。宜道は気が散るようでは駄目だと云った。だ
んだん集注して凝こり固まって、しまいに鉄の棒のようにならなくては駄目だと云った。そう云う事を聞
けば聞くほど、実際にそうなるのが、困難になった。
「すでに頭の中に、そうしようと云う下心があるからいけないのです」と宜道がまた云って聞かした。宗
170 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:41:47.53 ID:4uTcWgUe
 宗助はただ惘然ぼうぜんとした。自己の根気と精力の足らない事をはがゆく思う上に、それほど歳月を
掛けなければ成就じょうじゅできないものなら、自分は何しにこの山の中までやって来たか、それからが
第一の矛盾であった。
「けっして損になる気遣きづかいはございません。十分じっぷん坐れば、十分の功があり、二十分坐れば
二十分の徳があるのは無論です。その上最初を一つ奇麗きれいにぶち抜いておけば、あとはこう云う風に
始終しじゅうここにおいでにならないでも済みますから」
 宗助は義理にもまた自分の室へやへ帰って坐らなければならなかった。
 こんな時に宜道が来て、
「野中さん提唱ていしょうです」と誘ってくれると、宗助は心から嬉しい気がした。彼は禿頭はげあたま
を捕つらまえるような手の着けどころのない難題に悩まされて、坐いながらじっと煩悶はんもんするのを
、いかにも切なく思った。どんなに精力を消耗しょうこうする仕事でもいいから、もう少し積極的に身体
からだを働らかしたく思った。
 提唱のある場所は、やはり一窓庵から一町も隔へだたっていた。蓮池れんちの前を通り越して、それを
左へ曲らずに真直まっすぐに突き当ると、屋根瓦やねがわらを厳いかめしく重ねた高い軒が、松の間に仰
あおがれた。宜道は懐ふところに黒い表紙の本を入れていた。宗助は無論手ぶらであった。提唱ていしょ
うと云うのが、学校でいう講義の意味である事さえ、ここへ来て始めて知った。
 室へやは高い天井てんじょうに比例して広くかつ寒かった。色の変った畳の色が古い柱と映てり合って
、昔を物語るように寂さび果てていた。そこに坐っている人々も皆地味に見えた。席次不同に思い思いの
座を占めてはいるが、高声こうせいに語るもの、笑うものは一人もなかった。僧は皆紺麻こんあさの法衣
ころもを着て、正面の曲※(「碌のつくり」、第3水準1-84-27)きょくろくの左右に列を作って
向い合せに並んだ。その曲※(「碌のつくり」、第3水準1-84-27)は朱で塗ってあった。
 やがて老師が現われた。畳を見つめていた宗助には、彼がどこを通って、どこからここへ出たかさっぱ
り分らなかった。ただ彼の落ちつき払って曲※(「碌のつくり」、第3水準1-84-27)に倚よる重
々しい姿を見た。一人の若い僧が立ちながら、紫むらさきの袱紗ふくさを解いて、中から取り出した書物
を、恭うやうやしく卓上に置くところを見た。またその礼拝らいはいして退しりぞく態さまを[#「態を
」は底本では「熊を」]見た。
 この時堂上の僧は一斉いっせいに合掌がっしょうして、夢窓国師むそうこくしの遺誡いかいを誦じゅし
始めた。思い思いに席を取った宗助の前後にいる居士こじも皆同音どうおんに調子を合せた。聞いている
と、経文のような、普通の言葉のような、一種の節を帯びた文字であった。
「我に三等の弟子あり。いわゆる猛烈にして諸縁しょえんを放下ほうげし、専一に己事こじを究明するこ
れを上等と名づく。修業純ならず駁雑はくざつ学を好む、これを中等と云う」と云々という、余り長くは
ないものであった。宗助は始め夢窓国師むそうこくしの何人なんびとなるかを知らなかった。宜道からこ
の夢窓国師と大燈国師だいとうこくしとは、禅門中興の祖であると云う事を教わったのである。平生跛ち
んばで充分に足を組む事ができないのを憤いきどおって、死ぬ間際まぎわに、今日きょうこそおれの意の
ごとくにして見せると云いながら、悪い方の足を無理に折っぺしょって、結跏けっかしたため、血が流れ
て法衣ころもを煮染にじましたという大燈国師の話もその折おり宜道から聞いた。
 やがて提唱が始まった。宜道は懐ふところから例の書物を出して、頁ページを半なかば擦ずらして宗助
の前へ置いた。それは宗門無尽燈論しゅうもんむじんとうろんと云う書物であった。始めて聞きに出た時
、宜道は、
「ありがたい結構な本です」と宗助に教えてくれた。白隠和尚はくいんおしょうの弟子の東嶺とうれい和
尚とかいう人の編輯へんしゅうしたもので、重に禅を修行するものが、浅い所から深い所へ進んで行く径
路やら、それに伴なう心境の変化やらを秩序立てて書いたものらしかった。
 中途から顔を出した宗助には、よくも解げせなかったけれども、講者こうじゃは能弁の方で、黙って聞
いているうちに、大変面白いところがあった。その上参禅の士を鼓舞こぶするためか、古来からこの道に
苦しんだ人の閲歴譚えつれきだんなどを取とり交まぜて、一段の精彩を着けるのが例であった。この日も
171 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:41:59.45 ID:4uTcWgUe
その通りであったが、或所へ来ると、突然語調を改めて、
「この頃室中に来って、どうも妄想もうぞうが起っていけないなどと訴えるものがあるが」と急に入室者
の不熱心を戒しめ出したので、宗助は覚えずぎくりとした。室中に入って、その訴うったえをなしたもの
は実に彼自身であった。
 一時間の後宜道と宗助は袖そでをつらねてまた一窓庵に帰った。その帰り路に宜道は、
「ああして提唱のある時に、よく参禅者の不心得を諷ふうせられます」と云った。宗助は何も答えなかっ
た。

二十一

 そのうち、山の中の日は、一日一日と経たった。御米およねからはかなり長い手紙がもう二本来た。も
っとも二本とも新たに宗助そうすけの心を乱すような心配事は書いてなかった。宗助は常の細君思いに似
ずついに返事を出すのを怠った。彼は山を出る前に、何とかこの間の問題に片をつけなければ、せっかく
来た甲斐かいがないような、また宜道ぎどうに対してすまないような気がしていた。眼が覚さめている時
は、これがために名状しがたい一種の圧迫を受けつづけに受けた。したがって日が暮れて夜が明けて、寺
で見る太陽の数が重なるにつけて、あたかも後から追いかけられでもするごとく気を焦いらった。けれど
も彼は最初の解決よりほかに、一歩もこの問題にちかづく術すべを知らなかった。彼はまたいくら考えて
もこの最初の解決は確なものであると信じていた。ただ理窟りくつから割り出したのだから、腹の足たし
にはいっこうならなかった。彼はこの確なものを放り出して、さらにまた確なものを求めようとした。け
れどもそんなものは少しも出て来なかった。
 彼は自分の室へやで独ひとり考えた。疲れると、台所から下りて、裏の菜園へ出た。そうして崖がけの
下に掘った横穴の中へ這入はいって、じっと動かずにいた。宜道は気が散るようでは駄目だと云った。だ
んだん集注して凝こり固まって、しまいに鉄の棒のようにならなくては駄目だと云った。そう云う事を聞
けば聞くほど、実際にそうなるのが、困難になった。
「すでに頭の中に、そうしようと云う下心があるからいけないのです」と宜道がまた云って聞かした。宗
助はいよいよ窮した。忽然こつぜん安井の事を考え出した。安井がもし坂井の家へ頻繁ひんぱんに出入で
いりでもするようになって、当分満洲へ帰らないとすれば、今のうちあの借家しゃくやを引き上げて、ど
こかへ転宅するのが上分別じょうふんべつだろう。こんな所にぐずぐずしているより、早く東京へ帰って
その方の所置をつけた方がまだ実際的かも知れない。緩ゆっくり構えて、御米にでも知れるとまた心配が
殖ふえるだけだと思った。
「私のようなものにはとうてい悟さとりは開かれそうに有りません」と思いつめたように宜道を捕つらま
えて云った。それは帰る二三日にさんち前の事であった。
「いえ信念さえあれば誰でも悟れます」と宜道は躊躇ちゅうちょもなく答えた。「法華ほっけの凝こり固
まりが夢中に太鼓を叩たたくようにやって御覧なさい。頭の巓辺てっぺんから足の爪先までがことごとく
公案で充実したとき、俄然がぜんとして新天地が現前するのでございます」
 宗助は自分の境遇やら性質が、それほど盲目的に猛烈な働はたらきをあえてするに適しない事を深く悲
しんだ。いわんや自分のこの山で暮らすべき日はすでに限られていた。彼は直截ちょくせつに生活の葛藤
かっとうを切り払うつもりで、かえって迂濶うかつに山の中へ迷い込んだ愚物ぐぶつであった。
 彼は腹の中でこう考えながら、宜道の面前で、それだけの事を言い切る力がなかった。彼は心からこの
若い禅僧の勇気と熱心と真面目まじめと親切とに敬意を表していたのである。
「道は近きにあり、かえってこれを遠きに求むという言葉があるが実際です。つい鼻の先にあるのですけ
れども、どうしても気がつきません」と宜道はさも残念そうであった。宗助はまた自分の室へやに退しり
ぞいて線香を立てた。
 こう云う状態は、不幸にして宗助の山を去らなければならない日まで、目に立つほどの新生面を開く機
会なく続いた。いよいよ出立の朝になって宗助は潔いさぎよく未練を抛なげ棄すてた。
172 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:42:11.51 ID:4uTcWgUe
「永々御世話になりました。残念ですが、どうも仕方がありません。もう当分御眼にかかる折もございま
すまいから、随分御機嫌ごきげんよう」と宜道に挨拶あいさつをした。宜道は気の毒そうであった。
「御世話どころか、万事不行届でさぞ御窮屈でございましたろう。しかしこれほど御坐りになってもだい
ぶ違います。わざわざおいでになっただけの事は充分ございます」と云った。しかし宗助にはまるで時間
を潰つぶしに来たような自覚が明らかにあった。それをこう取り繕つくろって云って貰もらうのも、自分
の腑甲斐ふがいなさからであると、独ひとり恥じ入った。
「悟の遅速は全く人の性質たちで、それだけでは優劣にはなりません。入りやすくても後あとで塞つかえ
て動かない人もありますし、また初め長く掛かっても、いよいよと云う場合に非常に痛快にできるのもあ
ります。けっして失望なさる事はございません。ただ熱心が大切です。亡なくなられた洪川和尚こうせん
おしょうなどは、もと儒教をやられて、中年からの修業でございましたが、僧になってから三年の間と云
うものまるで一則いっそくも通らなかったです。それで私わしは業ごうが深くて悟れないのだと云って、
毎朝厠かわやに向って礼拝らいはいされたくらいでありましたが、後にはあのような知識になられました
。これなどはもっとも好い例です」
 宜道はこんな話をして、暗あんに宗助が東京へ帰ってからも、全くこの方を断念しないようにあらかじ
め間接の注意を与えるように見えた。宗助は謹つつしんで、宜道のいう事に耳を借した。けれども腹の中
では大事がもうすでに半分去ったごとくに感じた。自分は門を開あけて貰いに来た。けれども門番は扉の
向側むこうがわにいて、敲たたいてもついに顔さえ出してくれなかった。ただ、
「敲いても駄目だ。独ひとりで開けて入れ」と云う声が聞えただけであった。彼はどうしたらこの門の閂
かんのきを開ける事ができるかを考えた。そうしてその手段と方法を明らかに頭の中で拵こしらえた。け
れどもそれを実地に開ける力は、少しも養成する事ができなかった。したがって自分の立っている場所は
、この問題を考えない昔と毫ごうも異なるところがなかった。彼は依然として無能無力に鎖ざされた扉の
前に取り残された。彼は平生自分の分別を便たよりに生きて来た。その分別が今は彼に祟たたったのを口
惜くちおしく思った。そうして始から取捨も商量も容いれない愚なものの一徹一図を羨うらやんだ。もし
くは信念に篤あつい善男善女の、知慧も忘れ思議も浮ばぬ精進しょうじんの程度を崇高と仰いだ。彼自身
は長く門外に佇立たたずむべき運命をもって生れて来たものらしかった。それは是非もなかった。けれど
も、どうせ通れない門なら、わざわざそこまで辿たどりつくのが矛盾であった。彼は後うしろを顧かえり
みた。そうしてとうていまた元の路へ引き返す勇気を有もたなかった。彼は前を眺ながめた。前には堅固
な扉がいつまでも展望を遮さえぎっていた。彼は門を通る人ではなかった。また門を通らないで済む人で
もなかった。要するに、彼は門の下に立ち竦すくんで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった。
 宗助は立つ前に、宜道と連れだって、老師の許もとへちょっと暇乞いとまごいに行った。老師は二人を
蓮池れんちの上の、縁に勾欄こうらんの着いた座敷に通した。宜道は自みずから次の間に立って、茶を入
れて出た。
「東京はまだ寒いでしょう」と老師が云った。「少しでも手がかりができてからだと、帰ったあとも楽だ
けれども。惜しい事で」
 宗助は老師のこの挨拶あいさつに対して、丁寧ていねいに礼を述べて、また十日前に潜くぐった山門を
出た。甍いらかを圧する杉の色が、冬を封じて黒く彼の後うしろに聳そびえた。

二十二

 家の敷居を跨またいだ宗助そうすけは、己おのれにさえ憫然びんぜんな姿を描えがいた。彼は過去十日
間毎朝頭を冷水れいすいで濡ぬらしたなり、いまだかつて櫛くしの歯を通した事がなかった。髭ひげは固
もとより剃そる暇いとまを有もたなかった。三度とも宜道ぎどうの好意で白米の炊かしいだのを食べたに
は食べたが、副食物と云っては、菜の煮たのか、大根の煮たのぐらいなものであった。彼の顔は自おのず
から蒼あおかった。出る前よりも多少面窶おもやつれていた。その上彼は一窓庵で考えつづけに考えた習
慣がまだ全く抜け切らなかった。どこかに卵を抱いだく牝鶏めんどりのような心持が残って、頭が平生の
173 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:42:23.51 ID:4uTcWgUe
通り自由に働らかなかった。その癖くせ一方では坂井の事が気にかかった。坂井と云うよりも、坂井のい
わゆる冒険者アドヴェンチュアラーとして宗助の耳に響いたその弟おととと、その弟の友達として彼の胸
を騒がした安井の消息が気にかかった。けれども彼は自身に家主の宅へ出向いて、それを聞き糺ただす勇
気を有たなかった。間接にそれを御米およねに問うことはなおできなかった。彼は山にいる間さえ、御米
がこの事件について何事も耳にしてくれなければいいがと気遣きづかわない日はなかったくらいである。
宗助は年来住み慣れた家の座敷に坐って、
「汽車に乗ると短かい道中でも気のせいか疲れるね。留守中に別段変った事はなかったかい」と聞いた。
実際彼は短かい汽車旅行にさえ堪たえかねる顔つきをしていた。
 御米はいかな場合にも夫の前に忘れなかった笑顔さえ作り得なかった。と云って、せっかく保養に行っ
た転地先から今帰って来たばかりの夫に、行かない前よりかえって健康が悪くなったらしいとは、気の毒
で露骨に話し悪にくかった。わざと活溌かっぱつに、
「いくら保養でも、家うちへ帰ると、少しは気疲きづかれが出るものよ。けれどもあなたは余あんまり爺
々汚じじむさいわ。後生ごしょうだから一休ひとやすみしたら御湯に行って頭を刈って髭ひげを剃すって
来てちょうだい」と云いながら、わざわざ机の引出から小さな鏡を出して見せた。
 宗助は御米の言葉を聞いて、始めて一窓庵の空気を風で払ったような心持がした。一たび山を出て家へ
帰ればやはり元の宗助であった。
「坂井さんからはその後何とも云って来ないかい」
「いいえ何とも」
「小六ころくの事も」
「いいえ」
 その小六は図書館へ行って留守だった。宗助は手拭てぬぐいと石鹸シャボンを持って外へ出た。
 明る日役所へ出ると、みんなから病気はどうだと聞かれた。中には少し瘠やせたようですねと云うもの
もあった。宗助にはそれが無意識の冷評の意味に聞えた。菜根譚さいこんたんを読む男はただどうです旨
うまく行きましたかと尋ねた。宗助はこの問にもだいぶ痛い思をした。
 その晩はまた御米と小六から代る代る鎌倉の事を根掘り葉掘り問われた。
「気楽でしょうね。留守居るすいも何もおかないで出られたら」と御米が云った。
「それで一日いちんちいくら出すと置いてくれるんです」と小六が聞いた。「鉄砲でも担かついで行って
、猟りょうでもしたら面白かろう」とも云った。
「しかし退屈ね。そんなに淋さむしくっちゃ。朝から晩まで寝ていらっしゃる訳にも行かないでしょう」
と御米がまた云った。
「もう少し滋養物が食える所でなくっちゃあ、やっぱり身体からだによくないでしょう」と小六がまた云
った。
 宗助はその夜床の中へ入って、明日あしたこそ思い切って、坂井へ行って安井の消息をそれとなく聞き
糺ただして、もし彼がまだ東京にいて、なおしばしば坂井と往復があるようなら、遠くの方へ引越してし
まおうと考えた。
 次の日は平凡に宗助の頭を照らして、事なき光を西に落した。夜よに入いって彼は、
「ちょっと坂井さんまで行って来る」と云い捨てて門を出た。月のない坂を上って、瓦斯灯ガスとうに照
らされた砂利を鳴らしながら潜戸くぐりどを開けた時、彼は今夜ここで安井に落ち合うような万一はまず
起らないだろうと度胸を据すえた。それでもわざと勝手口へ回って、御客来ですかと聞くことは忘れなか
った。
「よくおいでです。どうも相変らず寒いじゃありませんか」と云う常の通り元気の好い主人を見ると、子
供を大勢自分の前へ並べて、その中うちの一人と掛声をかけながら、じゃん拳けんをやっていた。相手の
女の子の年は、六つばかりに見えた。赤い幅のあるリボンを蝶々ちょうちょうのように頭の上にくっつけ
て、主人に負けないほどの勢で、小さな手を握り固めてさっと前へ出した。その断然たる様子と、その握
にぎり拳こぶしの小ささと、これに反して主人の仰山ぎょうさんらしく大きな拳骨げんこつが、対照にな
174 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:42:35.62 ID:4uTcWgUe
って皆みんなの笑を惹ひいた。火鉢ひばちの傍はたに見ていた細君は、
「そら今度こんだこそ雪子の勝だ」と云って愉快そうに綺麗きれいな歯を露あらわした。子供の膝ひざの
傍そばには白だの赤だの藍あいだのの硝子玉ガラスだまがたくさんあった。主人は、
「とうとう雪子に負けた」と席を外はずして、宗助の方を向いたが、「どうですまた洞窟とうくつへでも
引き込みますかな」と云って立ち上がった。
 書斎の柱には、例のごとく錦の袋に入れた蒙古刀もうことうが振ぶら下さがっていた。花活はないけに
はどこで咲いたか、もう黄色い菜の花が挿さしてあった。宗助は床柱の中途を華はなやかに彩いろどる袋
に眼を着けて、
「相変らず掛かっておりますな」と云った。そうして主人の気色けしきを頭の奥から窺うかがった。主人
は、
「ええちと物数奇ものずき過ぎますね、蒙古刀は」と答えた。「ところが弟おととの野郎そんな玩具おも
ちゃを持って来ては、兄貴を籠絡ろうらくするつもりだから困りものじゃありませんか」
「御舎弟ごしゃていはその後どうなさいました」と宗助は何気ない風を示した。
「ええようやく四五日前帰りました。ありゃ全く蒙古向ですね。御前のような夷狄いてきは東京にゃ調和
しないから早く帰れったら、私わたしもそう思うって帰って行きました。どうしても、ありゃ万里の長城
の向側むこうがわにいるべき人物ですよ。そうしてゴビの沙漠さばくの中で金剛石ダイヤモンドでも捜し
ていればいいんです」
「もう一人の御伴侶おつれは」
「安井ですか、あれも無論いっしょです。ああなると落ちついちゃいられないと見えますね。何でも元は
京都大学にいたこともあるんだとか云う話ですが。どうして、ああ変化したものですかね」
 宗助は腋わきの下から汗が出た。安井がどう変って、どう落ちつかないのか、全く聞く気にはならなか
った。ただ自分が主人に安井と同じ大学にいた事を、まだ洩もらさなかったのを天祐てんゆうのようにあ
りがたく思った。けれども主人はその弟と安井とを晩餐ばんさんに呼ぶとき、自分をこの二人に紹介しよ
うと申し出た男である。辞退をしてその席へ顔を出す不面目だけはやっと免まぬかれたようなものの、そ
の晩主人が何かの機会はずみについ自分の名を二人に洩もらさないとは限らなかった。宗助は後暗うしろ
ぐらい人の、変名へんみょうを用いて世を渡る便利を切に感じた。彼は主人に向って、「あなたはもしや
私の名を安井の前で口にしやしませんか」と聞いて見たくて堪たまらなかった。けれども、それだけはど
うしても聞けなかった。
 下女が平たい大きな菓子皿に妙な菓子を盛って出た。一丁の豆腐ぐらいな大きさの金玉糖きんぎょくと
うの中に、金魚が二疋透すいて見えるのを、そのまま庖丁ほうちょうの刃を入れて、元の形を崩くずさず
に、皿に移したものであった。宗助は一目見て、ただ珍らしいと感じた。けれども彼の頭はむしろ他の方
面に気を奪われていた。すると主人が、
「どうです一つ」と例いつもの通りまず自分から手を出した。
「これはね、昨日きのうある人の銀婚式に呼ばれて、貰もらって来たのだから、すこぶるおめでたいので
す。あなたも一切ぐらい肖あやかってもいいでしょう」
 主人は肖りたい名の下もとに、甘垂あまたるい金玉糖きんぎょくとうを幾切か頬張ほおばった。これは
酒も呑み、茶も呑み、飯も菓子も食えるようにできた、重宝で健康な男であった。
「何実を云うと、二十年も三十年も夫婦が皺しわだらけになって生きていたって、別におめでたくもあり
ませんが、そこが物は比較的なところでね。私はいつか清水谷の公園の前を通って驚ろいた事がある」と
変な方面へ話を持って行った。こういう風に、それからそれへと客を飽あかせないように引張って行くの
が、社交になれた主人の平生の調子であった。
 彼の云うところによると、清水谷から弁慶橋へ通じる泥溝どぶのような細い流の中に、春先になると無
数の蛙かえるが生れるのだそうである。その蛙が押し合い鳴き合って生長するうちに、幾百組か幾千組の
恋が泥渠どぶの中で成立する。そうしてそれらの愛に生きるものが重ならないばかりに隙間すきまなく清
水谷から弁慶橋へ続いて、互に睦むつまじく浮いていると、通り掛りの小僧だの閑人ひまじんが、石を打
175 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:42:47.66 ID:4uTcWgUe
ちつけて、無残にも蛙の夫婦を殺して行くものだから、その数がほとんど勘定かんじょうし切れないほど
多くなるのだそうである。
「死屍累々ししるいるいとはあの事ですね。それが皆みんな夫婦なんだから実際気の毒ですよ。つまりあ
すこを二三丁通るうちに、我々は悲劇にいくつ出逢うか分らないんです。それを考えると御互は実に幸福
でさあ。夫婦になってるのが悪にくらしいって、石で頭を破わられる恐れは、まあ無いですからね。しか
も双方ともに二十年も三十年も安全なら、全くおめでたいに違ありませんよ。だから一切ぐらい肖ってお
く必要もあるでしょう」と云って、主人はわざと箸はしで金玉糖を挟はさんで、宗助の前に出した。宗助
は苦笑しながら、それを受けた。
 こんな冗談交じょうだんまじりの話を、主人はいくらでも続けるので、宗助はやむを得ず或る辺までは
釣られて行った。けれども腹の中はけっして主人のように太平楽たいへいらくには行かなかった。辞して
表へ出て、また月のない空を眺ながめた時は、その深く黒い色の下に、何とも知れない一種の悲哀と物凄
ものすごさを感じた。
 彼は坂井の家に、ただいやしくも免まぬかれんとする料簡りょうけんで行った。そうして、その目的を
達するために、恥と不愉快を忍んで、好意と真率しんそつの気に充みちた主人に対して、政略的に談話を
駆かった。しかも知ろうと思う事はことごとく知る事ができなかった。己おのれの弱点に付いては、一言
ひとことも彼の前に自白するの勇気も必要も認めなかった。
 彼の頭を掠かすめんとした雨雲あまぐもは、辛かろうじて、頭に触れずに過ぎたらしかった。けれども
、これに似た不安はこれから先何度でも、いろいろな程度において、繰り返さなければすまないような虫
の知らせがどこかにあった。それを繰り返させるのは天の事であった。それを逃げて回るのは宗助の事で
あった。

二十三

 月が変ってから寒さがだいぶ緩ゆるんだ。官吏の増俸問題につれて必然起るべく、多数の噂うわさに上
った局員課員の淘汰とうたも、月末までにほぼ片づいた。その間ぽつりぽつりと首を斬きられる知人や未
知人の名前を絶えず耳にした宗助そうすけは、時々家へ帰って御米およねに、
「今度こんだはおれの番かも知れない」と云う事があった。御米はそれを冗談じょうだんとも聞き、また
本気とも聞いた。まれには隠れた未来を故意に呼び出す不吉な言葉とも解釈した。それを口にする宗助の
胸の中にも、御米と同じような雲が去来した。
 月が改って、役所の動揺もこれで一段落だと沙汰さたせられた時、宗助は生き残った自分の運命を顧か
えりみて、当然のようにも思った。また偶然のようにも思った。立ちながら、御米を見下して、
「まあ助かった」とむずかし気げに云った。その嬉うれしくも悲しくもない様子が、御米には天から落ち
た滑稽こっけいに見えた。
 また二三日して宗助の月給が五円昇った。
「原則通り二割五分増さないでも仕方があるまい。休やめられた人も、元給のままでいる人もたくさんあ
るんだから」と云った宗助は、この五円に自己以上の価値をもたらし帰ったごとく満足の色を見せた。御
米は無論の事心のうちに不足を訴えるべき余地を見出さなかった。
 翌日あくるひの晩宗助はわが膳ぜんの上に頭かしらつきの魚うおの、尾を皿の外に躍おどらす態さまを
眺めた。小豆あずきの色に染まった飯の香かおりを嗅かいだ。御米はわざわざ清をやって、坂井の家に引
き移った小六ころくを招いた。小六は、
「やあ御馳走ごちそうだなあ」と云って勝手から入って来た。
 梅がちらほらと眼に入いるようになった。早いのはすでに色を失なって散りかけた。雨は煙るように降
り始めた。それが霽はれて、日に蒸むされるとき、地面からも、屋根からも、春の記憶を新にすべき湿気
がむらむらと立ち上のぼった。背戸せどに干した雨傘あまがさに、小犬がじゃれかかって、蛇じゃの目の
色がきらきらする所に陽炎かげろうが燃えるごとく長閑のどかに思われる日もあった。
176 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:42:59.58 ID:4uTcWgUe
「ようやく冬が過ぎたようね。あなた今度こんだの土曜に佐伯さえきの叔母さんのところへ回って、小六
さんの事をきめていらっしゃいよ。あんまりいつまでも放っておくと、また安やすさんが忘れてしまうか
ら」と御米が催促した。宗助は、
「うん、思い切って行って来きよう」と答えた。小六は坂井の好意で、そこの書生に住み込んだ。その上
に宗助と安之助が、不足のところを分担する事ができたらと小六に云って聞かしたのは、宗助自身であっ
た。小六は兄の運動を待たずに、すぐ安之助に直談判じきだんぱんをした。そうして、形式的に宗助の方
から依頼すればすぐ安之助が引き受けるまでに自分で埒らちを明けたのである。
 小康はかくして事を好まない夫婦の上に落ちた。ある日曜の午ひる宗助は久しぶりに、四日目の垢あか
を流すため横町の洗場に行ったら、五十ばかりの頭を剃そった男と、三十代の商人あきんどらしい男が、
ようやく春らしくなったと云って、時候の挨拶あいさつを取り換わしていた。若い方が、今朝始めて鶯う
ぐいすの鳴声を聞いたと話すと、坊さんの方が、私わたしは二三日前にも一度聞いた事があると答えてい
た。
「まだ鳴きはじめだから下手だね」
「ええ、まだ充分に舌したが回りません」
 宗助は家うちへ帰って御米にこの鶯の問答を繰り返して聞かせた。御米は障子しょうじの硝子ガラスに
映る麗うららかな日影をすかして見て、
「本当にありがたいわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉まゆを張った。宗助は縁
に出て長く延びた爪を剪きりながら、
「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏はさみを動かしていた。




底本:「夏目漱石全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1988(昭和63)年3月29日第1刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版夏目漱石全集5」筑摩書房
   1971(昭和46)年
初出:「朝日新聞」
   1910(明治43)年3月1日〜6月12日
入力:柴田卓治
校正:高橋知仁
1999年4月22日公開
2015年3月7日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.j
p/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。



●表記について
このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
[#…]は、入力者による注を表す記号です。
「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。

●図書カード
177 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:51:59.73 ID:4uTcWgUe
 宗助そうすけは先刻さっきから縁側えんがわへ坐蒲団ざぶとんを持ち出して、日当りの好さそうな所へ
気楽に胡坐あぐらをかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。
秋日和あきびよりと名のつくほどの上天気なので、往来を行く人の下駄げたの響が、静かな町だけに、朗
らかに聞えて来る。肱枕ひじまくらをして軒から上を見上げると、奇麗きれいな空が一面に蒼あおく澄ん
でいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に較くらべて見ると、非常に広大である。たまの日
曜にこうして緩ゆっくり空を見るだけでもだいぶ違うなと思いながら、眉まゆを寄せて、ぎらぎらする日
をしばらく見つめていたが、眩まぼ[#ルビの「まぼ」はママ]しくなったので、今度はぐるりと寝返り
をして障子しょうじの方を向いた。障子の中では細君が裁縫しごとをしている。
「おい、好い天気だな」と話しかけた。細君は、
「ええ」と云いったなりであった。宗助も別に話がしたい訳でもなかったと見えて、それなり黙ってしま
った。しばらくすると今度は細君の方から、
「ちっと散歩でもしていらっしゃい」と云った。しかしその時は宗助がただうんと云う生返事なまへんじ
を返しただけであった。
 二三分して、細君は障子しょうじの硝子ガラスの所へ顔を寄せて、縁側に寝ている夫の姿を覗のぞいて
見た。夫はどう云う了見りょうけんか両膝りょうひざを曲げて海老えびのように窮屈になっている。そう
して両手を組み合わして、その中へ黒い頭を突っ込んでいるから、肱ひじに挟はさまれて顔がちっとも見
えない。
「あなたそんな所へ寝ると風邪かぜ引ひいてよ」と細君が注意した。細君の言葉は東京のような、東京で
ないような、現代の女学生に共通な一種の調子を持っている。
 宗助は両肱の中で大きな眼をぱちぱちさせながら、
「寝やせん、大丈夫だ」と小声で答えた。
 それからまた静かになった。外を通る護謨車ゴムぐるまのベルの音が二三度鳴った後あとから、遠くで
鶏の時音ときをつくる声が聞えた。宗助は仕立したておろしの紡績織ぼうせきおりの背中へ、自然じねん
と浸み込んで来る光線の暖味あたたかみを、襯衣シャツの下で貪むさぼるほど味あじわいながら、表の音
を聴きくともなく聴いていたが、急に思い出したように、障子越しの細君を呼んで、
「御米およね、近来きんらいの近きんの字はどう書いたっけね」と尋ねた。細君は別に呆あきれた様子も
なく、若い女に特有なけたたましい笑声も立てず、
「近江おうみのおうの字じゃなくって」と答えた。
「その近江おうみのおうの字が分らないんだ」
 細君は立て切った障子を半分ばかり開けて、敷居の外へ長い物指ものさしを出して、その先で近の字を
縁側へ書いて見せて、
「こうでしょう」と云ったぎり、物指の先を、字の留った所へ置いたなり、澄み渡った空を一しきり眺な
がめ入った。宗助は細君の顔も見ずに、
「やっぱりそうか」と云ったが、冗談じょうだんでもなかったと見えて、別に笑もしなかった。細君も近
の字はまるで気にならない様子で、
「本当に好い御天気だわね」と半なかば独ひとり言ごとのように云いながら、障子を開けたまままた裁縫
しごとを始めた。すると宗助は肱で挟んだ頭を少し擡もたげて、
「どうも字と云うものは不思議だよ」と始めて細君の顔を見た。
「なぜ」
「なぜって、いくら容易やさしい字でも、こりゃ変だと思って疑ぐり出すと分らなくなる。この間も今日
こんにちの今こんの字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違った
ような気がする。しまいには見れば見るほど今こんらしくなくなって来る。――御前おまいそんな事を経
験した事はないかい」
「まさか」
「おれだけかな」と宗助は頭へ手を当てた。
178 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:52:11.82 ID:4uTcWgUe
「あなたどうかしていらっしゃるのよ」
「やっぱり神経衰弱のせいかも知れない」
「そうよ」と細君は夫の顔を見た。夫はようやく立ち上った。
 針箱と糸屑いとくずの上を飛び越すように跨またいで、茶の間の襖ふすまを開けると、すぐ座敷である
。南が玄関で塞ふさがれているので、突き当りの障子が、日向ひなたから急に這入はいって来た眸ひとみ
には、うそ寒く映った。そこを開けると、廂ひさしに逼せまるような勾配こうばいの崖がけが、縁鼻えん
ばなから聳そびえているので、朝の内は当って然しかるべきはずの日も容易に影を落さない。崖には草が
生えている。下からして一側ひとかわも石で畳んでないから、いつ壊くずれるか分らない虞おそれがある
のだけれども、不思議にまだ壊れた事がないそうで、そのためか家主やぬしも長い間昔のままにして放っ
てある。もっとも元は一面の竹藪たけやぶだったとかで、それを切り開く時に根だけは掘り返さずに土堤
どての中に埋めて置いたから、地じは存外緊しまっていますからねと、町内に二十年も住んでいる八百屋
の爺おやじが勝手口でわざわざ説明してくれた事がある。その時宗助はだって根が残っていれば、また竹
が生えて藪になりそうなものじゃないかと聞き返して見た。すると爺は、それがね、ああ切り開かれて見
ると、そう甘うまく行くもんじゃありませんよ。しかし崖だけは大丈夫です。どんな事があったって壊く
えっこはねえんだからと、あたかも自分のものを弁護でもするように力りきんで帰って行った。
 崖は秋に入いっても別に色づく様子もない。ただ青い草の匂においが褪さめて、不揃ぶそろにもじゃも
じゃするばかりである。薄すすきだの蔦つただのと云う洒落しゃれたものに至ってはさらに見当らない。
その代り昔の名残なごりの孟宗もうそうが中途に二本、上の方に三本ほどすっくりと立っている。それが
多少黄に染まって、幹に日の射さすときなぞは、軒から首を出すと、土手の上に秋の暖味あたたかみを眺
ながめられるような心持がする。宗助は朝出て四時過に帰る男だから、日の詰つまるこの頃は、滅多めっ
たに崖の上を覗のぞく暇ひまを有もたなかった。暗い便所から出て、手水鉢ちょうずばちの水を手に受け
ながら、ふと廂ひさしの外を見上げた時、始めて竹の事を思い出した。幹の頂いただきに濃こまかな葉が
集まって、まるで坊主頭ぼうずあたまのように見える。それが秋の日に酔って重く下を向いて、寂ひっそ
りと重なった葉が一枚も動かない。
 宗助は障子を閉たてて座敷へ帰って、机の前へ坐った。座敷とは云いながら客を通すからそう名づける
までで、実は書斎とか居間とか云う方が穏当である。北側に床とこがあるので、申訳のために変な軸じく
を掛けて、その前に朱泥しゅでいの色をした拙せつな花活はないけが飾ってある。欄間らんまには額がく
も何もない。ただ真鍮しんちゅうの折釘おれくぎだけが二本光っている。その他には硝子戸ガラスどの張
った書棚が一つある。けれども中には別にこれと云って目立つほどの立派なものも這入っていない。
 宗助は銀金具ぎんかなぐの付いた机の抽出ひきだしを開けてしきりに中を検しらべ出したが、別に何も
見つけ出さないうちに、はたりと締あきらめてしまった。それから硯箱すずりばこの葢ふたを取って、手
紙を書き始めた。一本書いて封をして、ちょっと考えたが、
「おい、佐伯さえきのうちは中六番町なかろくばんちょう何番地だったかね」と襖越ごしに細君に聞いた

「二十五番地じゃなくって」と細君は答えたが、宗助が名宛を書き終る頃になって、
「手紙じゃ駄目よ、行ってよく話をして来なくっちゃ」と付け加えた。
「まあ、駄目までも手紙を一本出しておこう。それでいけなかったら出掛けるとするさ」と云い切ったが
、細君が返事をしないので、
「ねえ、おい、それで好いだろう」と念を押した。
 細君は悪いとも云い兼ねたと見えて、その上争いもしなかった。宗助は郵便を持ったまま、座敷から直
すぐ玄関に出た。細君は夫の足音を聞いて始めて、座を立ったが、これは茶の間の縁伝えんづたいに玄関
に出た。
「ちょっと散歩に行って来るよ」
「行っていらっしゃい」と細君は微笑しながら答えた。
 三十分ばかりして格子こうしががらりと開あいたので、御米はまた裁縫しごとの手をやめて、縁伝いに
179 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:52:23.81 ID:4uTcWgUe
玄関へ出て見ると、帰ったと思う宗助の代りに、高等学校の制帽を被かぶった、弟の小六ころくが這入は
いって来た。袴はかまの裾すそが五六寸しか出ないくらいの長い黒羅紗くろらしゃのマントの釦ボタンを
外はずしながら、
「暑い」と云っている。
「だって余あんまりだわ。この御天気にそんな厚いものを着て出るなんて」
「何、日が暮れたら寒いだろうと思って」と小六は云訳いいわけを半分しながら、嫂あによめの後あとに
跟ついて、茶の間へ通ったが、縫い掛けてある着物へ眼を着けて、
「相変らず精が出ますね」と云ったなり、長火鉢ながひばちの前へ胡坐あぐらをかいた。嫂は裁縫を隅す
みの方へ押しやっておいて、小六の向むこうへ来て、ちょっと鉄瓶てつびんをおろして炭を継つぎ始めた

「御茶ならたくさんです」と小六が云った。
「厭いや?」と女学生流に念を押した御米は、
「じゃ御菓子は」と云って笑いかけた。
「あるんですか」と小六が聞いた。
「いいえ、無いの」と正直に答えたが、思い出したように、「待ってちょうだい、あるかも知れないわ」
と云いながら立ち上がる拍子ひょうしに、横にあった炭取を取り退のけて、袋戸棚ふくろとだなを開けた
。小六は御米の後姿うしろすがたの、羽織はおりが帯で高くなった辺あたりを眺ながめていた。何を探さ
がすのだかなかなか手間てまが取れそうなので、
「じゃ御菓子も廃よしにしましょう。それよりか、今日は兄さんはどうしました」と聞いた。
「兄さんは今ちょいと」と後向のまま答えて、御米はやはり戸棚の中を探している。やがてぱたりと戸を
締めて、
「駄目よ。いつの間まにか兄さんがみんな食べてしまった」と云いながら、また火鉢の向むこうへ帰って
来た。
「じゃ晩に何か御馳走ごちそうなさい」
「ええしてよ」と柱時計を見ると、もう四時近くである。御米は「四時、五時、六時」と時間を勘定かん
じょうした。小六は黙って嫂の顔を見ていた。彼は実際嫂の御馳走には余り興味を持ち得なかったのであ
る。
「姉さん、兄さんは佐伯さえきへ行ってくれたんですかね」と聞いた。
「この間から行く行くって云ってる事は云ってるのよ。だけど、兄さんも朝出て夕方に帰るんでしょう。
帰ると草臥くたびれちまって、御湯に行くのも大儀そうなんですもの。だから、そう責めるのも実際御気
の毒よ」
「そりゃ兄さんも忙がしいには違なかろうけれども、僕もあれがきまらないと気がかりで落ちついて勉強
もできないんだから」と云いながら、小六は真鍮しんちゅうの火箸ひばしを取って火鉢ひばちの灰の中へ
何かしきりに書き出した。御米はその動く火箸の先を見ていた。
「だから先刻さっき手紙を出しておいたのよ」と慰めるように云った。
「何て」
「そりゃ私わたしもつい見なかったの。けれども、きっとあの相談よ。今に兄さんが帰って来たら聞いて
御覧なさい。きっとそうよ」
「もし手紙を出したのなら、その用には違ないでしょう」
「ええ、本当に出したのよ。今兄さんがその手紙を持って、出しに行ったところなの」
 小六はこれ以上弁解のような慰藉いしゃのような嫂あによめの言葉に耳を借したくなかった。散歩に出
る閑ひまがあるなら、手紙の代りに自分で足を運んでくれたらよさそうなものだと思うと余り好い心持で
もなかった。座敷へ来て、書棚の中から赤い表紙の洋書を出して、方々頁ページを剥はぐって見ていた。

180 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:54:04.12 ID:4uTcWgUe
や、野中さんちょっとと云う上官の様子ばかりが眼に浮かんだ。
 魚勝と云う肴屋さかなやの前を通り越して、その五六軒先の露次ろじとも横丁ともつかない所を曲ると
、行き当りが高い崖がけで、その左右に四五軒同じ構かまえの貸家が並んでいる。ついこの間までは疎ま
ばらな杉垣の奥に、御家人ごけにんでも住み古したと思われる、物寂ものさびた家も一つ地所のうちに混
まじっていたが、崖の上の坂井さかいという人がここを買ってから、たちまち萱葺かやぶきを壊して、杉
垣を引き抜いて、今のような新らしい普請ふしんに建て易かえてしまった。宗助の家うちは横丁を突き当
って、一番奥の左側で、すぐの崖下だから、多少陰気ではあるが、その代り通りからはもっとも隔ってい
るだけに、まあ幾分か閑静だろうと云うので、細君と相談の上、とくにそこを択えらんだのである。
 宗助は七日なのかに一返の日曜ももう暮れかかったので、早く湯にでも入いって、暇があったら髪でも
刈って、そうして緩ゆっくり晩食ばんめしを食おうと思って、急いで格子こうしを開けた。台所の方で皿
小鉢さらこばちの音がする。上がろうとする拍子ひょうしに、小六ころくの脱ぬぎ棄すてた下駄げたの上
へ、気がつかずに足を乗せた。曲こごんで位置を調ととのえているところへ小六が出て来た。台所の方で
御米およねが、
「誰? 兄さん?」と聞いた。宗助は、
「やあ、来ていたのか」と云いながら座敷へ上った。先刻さっき郵便を出してから、神田を散歩して、電
車を降りて家へ帰るまで、宗助の頭には小六の小の字も閃ひらめかなかった。宗助は小六の顔を見た時、
何となく悪い事でもしたようにきまりが好くなかった。
「御米、御米」と細君を台所から呼んで、
「小六が来たから、何か御馳走ごちそうでもするが好い」と云いつけた。細君は、忙がしそうに、台所の
障子しょうじを開け放したまま出て来て、座敷の入口に立っていたが、この分り切った注意を聞くや否や

「ええ今直じき」と云ったなり、引き返そうとしたが、また戻って来て、
「その代り小六さん、憚はばかり様さま。座敷の戸を閉たてて、洋灯ランプを点つけてちょうだい。今私
わたしも清きよも手が放せないところだから」と依頼たのんだ。小六は簡単に、
「はあ」と云って立ち上がった。
 勝手では清が物を刻む音がする。湯か水をざあと流しへ空あける音がする。「奥様これはどちらへ移し
ます」と云う声がする。「姉さん、ランプの心しんを剪きる鋏はさみはどこにあるんですか」と云う小六
の声がする。しゅうと湯が沸たぎって七輪しちりんの火へかかった様子である。
 宗助は暗い座敷の中で黙然もくねんと手焙てあぶりへ手を翳かざしていた。灰の上に出た火の塊かたま
りだけが色づいて赤く見えた。その時裏の崖がけの上の家主やぬしの家の御嬢さんがピヤノを鳴らし出し
た。宗助は思い出したように立ち上がって、座敷の雨戸を引きに縁側えんがわへ出た。孟宗竹もうそうち
くが薄黒く空の色を乱す上に、一つ二つの星が燦きらめいた。ピヤノの音ねは孟宗竹の後うしろから響い
た。



 宗助そうすけと小六ころくが手拭てぬぐいを下げて、風呂ふろから帰って来た時は、座敷の真中に真四
角な食卓を据すえて、御米およねの手料理が手際てぎわよくその上に並べてあった。手焙てあぶりの火も
出がけよりは濃い色に燃えていた。洋灯ランプも明るかった。
 宗助が机の前の座蒲団ざぶとんを引き寄せて、その上に楽々らくらくと胡坐あぐらを掻かいた時、手拭
と石鹸シャボンを受取った御米は、
「好い御湯だった事?」と聞いた。宗助はただ一言ひとこと、
「うん」と答えただけであったが、その様子は素気そっけないと云うよりも、むしろ湯上りで、精神が弛
緩しかんした気味に見えた。
「なかなか好い湯でした」と小六が御米の方を見て調子を合せた。
「しかしああ込んじゃ溜たまらないよ」と宗助が机の端はじへ肱ひじを持たせながら、倦怠けたるそうに
云った。宗助が風呂に行くのは、いつでも役所が退ひけて、家うちへ帰ってからの事だから、ちょうど人
の立て込む夕食前ゆうめしまえの黄昏たそがれである。彼はこの二三カ月間ついぞ、日の光に透すかして
181 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:54:48.51 ID:4uTcWgUe
清きよも手が放せないところだから」と依頼たのんだ。小六は簡単に、
「はあ」と云って立ち上がった。
 勝手では清が物を刻む音がする。湯か水をざあと流しへ空あける音がする。「奥様これはどちらへ移し
ます」と云う声がする。「姉さん、ランプの心しんを剪きる鋏はさみはどこにあるんですか」と云う小六
の声がする。しゅうと湯が沸たぎって七輪しちりんの火へかかった様子である。
 宗助は暗い座敷の中で黙然もくねんと手焙てあぶりへ手を翳かざしていた。灰の上に出た火の塊かたま
りだけが色づいて赤く見えた。その時裏の崖がけの上の家主やぬしの家の御嬢さんがピヤノを鳴らし出し
た。宗助は思い出したように立ち上がって、座敷の雨戸を引きに縁側えんがわへ出た。孟宗竹もうそうち
くが薄黒く空の色を乱す上に、一つ二つの星が燦きらめいた。ピヤノの音ねは孟宗竹の後うしろから響い
た。



 宗助そうすけと小六ころくが手拭てぬぐいを下げて、風呂ふろから帰って来た時は、座敷の真中に真四
角な食卓を据すえて、御米およねの手料理が手際てぎわよくその上に並べてあった。手焙てあぶりの火も
出がけよりは濃い色に燃えていた。洋灯ランプも明るかった。
 宗助が机の前の座蒲団ざぶとんを引き寄せて、その上に楽々らくらくと胡坐あぐらを掻かいた時、手拭
と石鹸シャボンを受取った御米は、
「好い御湯だった事?」と聞いた。宗助はただ一言ひとこと、
「うん」と答えただけであったが、その様子は素気そっけないと云うよりも、むしろ湯上りで、精神が弛
緩しかんした気味に見えた。
「なかなか好い湯でした」と小六が御米の方を見て調子を合せた。
「しかしああ込んじゃ溜たまらないよ」と宗助が机の端はじへ肱ひじを持たせながら、倦怠けたるそうに
云った。宗助が風呂に行くのは、いつでも役所が退ひけて、家うちへ帰ってからの事だから、ちょうど人
の立て込む夕食前ゆうめしまえの黄昏たそがれである。彼はこの二三カ月間ついぞ、日の光に透すかして
湯の色を眺ながめた事がない。それならまだしもだが、ややともすると三日も四日もまるで銭湯の敷居を
跨またがずに過してしまう。日曜になったら、朝早く起きて何よりも第一に奇麗きれいな湯に首だけ浸つ
かってみようと、常は考えているが、さてその日曜が来て見ると、たまに悠ゆっくり寝られるのは、今日
ばかりじゃないかと云う気になって、つい床のうちでぐずぐずしているうちに、時間が遠慮なく過ぎて、
ええ面倒だ、今日はやめにして、その代り今度こんだの日曜に行こうと思い直すのが、ほとんど惰性のよ
うになっている。
「どうかして、朝湯にだけは行きたいね」と宗助が云った。
「その癖朝湯に行ける日は、きっと寝坊ねぼうなさるのね」と細君は調戯からかうような口調であった。
小六は腹の中でこれが兄の性来うまれつきの弱点であると思い込んでいた。彼は自分で学校生活をしてい
るにもかかわらず、兄の日曜が、いかに兄にとって貴たっといかを会得えとくできなかった。六日間の暗
い精神作用を、ただこの一日で暖かに回復すべく、兄は多くの希望を二十四時間のうちに投げ込んでいる
。だからやりたい事があり過ぎて、十の二三も実行できない。否、その二三にしろ進んで実行にかかると
、かえってそのために費やす時間の方が惜しくなって来て、ついまた手を引込めて、じっとしているうち
に日曜はいつか暮れてしまうのである。自分の気晴しや保養や、娯楽もしくは好尚こうしょうについてで
すら、かように節倹しなければならない境遇にある宗助が、小六のために尽さないのは、尽さないのでは
ない、頭に尽す余裕よゆうのないのだとは、小六から見ると、どうしても受取れなかった。兄はただ手前
勝手な男で、暇があればぶらぶらして細君と遊んでばかりいて、いっこう頼りにも力にもなってくれない
、真底は情合じょうあいに薄い人だぐらいに考えていた。
 けれども、小六がそう感じ出したのは、つい近頃の事で、実を云うと、佐伯との交渉が始まって以来の
話である。年の若いだけ、すべてに性急な小六は、兄に頼めば今日明日きょうあすにも方かたがつくもの
と、思い込んでいたのに、何日いつまでも埒らちが明かないのみか、まだ先方へ出かけてもくれないので
、だいぶ不平になったのである。
182 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:55:00.50 ID:4uTcWgUe
 ところが今日帰りを待ち受けて逢あって見ると、そこが兄弟で、別に御世辞も使わないうちに、どこか
暖味あたたかみのある仕打も見えるので、つい云いたい事も後廻しにして、いっしょに湯になんぞ這入は
いって、穏やかに打ち解けて話せるようになって来た。
 兄弟は寛くつろいで膳ぜんについた。御米も遠慮なく食卓の一隅ひとすみを領りょうした。宗助も小六
も猪口ちょくを二三杯ずつ干した。飯にかかる前に、宗助は笑いながら、
「うん、面白いものが有ったっけ」と云いながら、袂たもとから買って来た護謨風船ゴムふうせんの達磨
だるまを出して、大きく膨ふくらませて見せた。そうして、それを椀わんの葢ふたの上へ載のせて、その
特色を説明して聞かせた。御米も小六も面白がって、ふわふわした玉を見ていた。しまいに小六が、ふう
っと吹いたら達磨は膳ぜんの上から畳の上へ落ちた。それでも、まだ覆かえらなかった。
「それ御覧」と宗助が云った。
 御米は女だけに声を出して笑ったが、御櫃おはちの葢ふたを開けて、夫の飯を盛よそいながら、
「兄さんも随分呑気のんきね」と小六の方を向いて、半ば夫を弁護するように云った。宗助は細君から茶
碗を受取って、一言ひとことの弁解もなく食事を始めた。小六も正式に箸はしを取り上げた。
 達磨はそれぎり話題に上のぼらなかったが、これが緒いとくちになって、三人は飯の済むまで無邪気に
長閑のどかな話をつづけた。しまいに小六が気を換えて、
「時に伊藤さんもとんだ事になりましたね」と云い出した。宗助は五六日前伊藤公暗殺の号外を見たとき
、御米の働いている台所へ出て来て、「おい大変だ、伊藤さんが殺された」と云って、手に持った号外を
御米のエプロンの上に乗せたなり書斎へ這入はいったが、その語気からいうと、むしろ落ちついたもので
あった。
「あなた大変だって云う癖に、ちっとも大変らしい声じゃなくってよ」と御米が後あとから冗談じょうだ
ん半分にわざわざ注意したくらいである。その後日ごとの新聞に伊藤公の事が五六段ずつ出ない事はない
が、宗助はそれに目を通しているんだか、いないんだか分らないほど、暗殺事件については平気に見えた
。夜帰って来て、御米が飯の御給仕をするときなどに、「今日も伊藤さんの事が何か出ていて」と聞く事
があるが、その時には「うんだいぶ出ている」と答えるぐらいだから、夫の隠袋かくしの中に畳んである
今朝の読殻よみがらを、後あとから出して読んで見ないと、その日の記事は分らなかった。御米もつまり
は夫が帰宅後の会話の材料として、伊藤公を引合に出すぐらいのところだから、宗助が進まない方向へは
、たって話を引張りたくはなかった。それでこの二人の間には、号外発行の当日以後、今夜小六がそれを
云い出したまでは、公おおやけには天下を動かしつつある問題も、格別の興味をもって迎えられていなか
ったのである。
「どうして、まあ殺されたんでしょう」と御米は号外を見たとき、宗助に聞いたと同じ事をまた小六に向
って聞いた。
「短銃ピストルをポンポン連発したのが命中めいちゅうしたんです」と小六は正直に答えた。
「だけどさ。どうして、まあ殺されたんでしょう」
 小六は要領を得ないような顔をしている。宗助は落ちついた調子で、
「やっぱり運命だなあ」と云って、茶碗の茶を旨うまそうに飲んだ。御米はこれでも納得なっとくができ
なかったと見えて、
「どうしてまた満洲まんしゅうなどへ行ったんでしょう」と聞いた。
「本当にな」と宗助は腹が張って充分物足りた様子であった。
「何でも露西亜ロシアに秘密な用があったんだそうです」と小六が真面目まじめな顔をして云った。御米
は、
「そう。でも厭いやねえ。殺されちゃ」と云った。
「おれみたような腰弁こしべんは、殺されちゃ厭だが、伊藤さんみたような人は、哈爾賓ハルピンへ行っ
て殺される方がいいんだよ」と宗助が始めて調子づいた口を利きいた。
「あら、なぜ」
「なぜって伊藤さんは殺されたから、歴史的に偉い人になれるのさ。ただ死んで御覧、こうはいかないよ

「なるほどそんなものかも知れないな」と小六は少し感服したようだったが、やがて、
183 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:55:12.54 ID:4uTcWgUe
「とにかく満洲だの、哈爾賓だのって物騒な所ですね。僕は何だか危険なような心持がしてならない」と
云った。
「そりゃ、色んな人が落ち合ってるからね」
 この時御米は妙な顔をして、こう答えた夫の顔を見た。宗助もそれに気がついたらしく、
「さあ、もう御膳おぜんを下げたら好かろう」と細君を促うながして、先刻さっきの達磨だるまをまた畳
の上から取って、人指指ひとさしゆびの先へ載のせながら、
「どうも妙だよ。よくこう調子好くできるものだと思ってね」と云っていた。
 台所から清きよが出て来て、食い散らした皿小鉢さらこばちを食卓ごと引いて行った後で、御米も茶を
入れ替えるために、次の間へ立ったから、兄弟は差向いになった。
「ああ奇麗きれいになった。どうも食った後は汚ないものでね」と宗助は全く食卓に未練のない顔をした
。勝手の方で清がしきりに笑っている。
「何がそんなにおかしいの、清」と御米が障子越しょうじごしに話しかける声が聞えた。清はへえと云っ
てなお笑い出した。兄弟は何にも云わず、半なかば下女の笑い声に耳を傾けていた。
 しばらくして、御米が菓子皿と茶盆を両手に持って、また出て来た。藤蔓ふじづるの着いた大きな急須
きゅうすから、胃にも頭にも応こたえない番茶を、湯呑ゆのみほどな大きな茶碗ちゃわんに注ついで、両
人ふたりの前へ置いた。
「何だって、あんなに笑うんだい」と夫が聞いた。けれども御米の顔は見ずにかえって菓子皿の中を覗の
ぞいていた。
「あなたがあんな玩具おもちゃを買って来て、面白そうに指の先へ乗せていらっしゃるからよ。子供もな
い癖に」
 宗助は意にも留めないように、軽く「そうか」と云ったが、後あとから緩ゆっくり、
「これでも元は子供があったんだがね」と、さも自分で自分の言葉を味わっている風につけ足して、生温
なまぬるい眼を挙げて細君を見た。御米はぴたりと黙ってしまった。
「あなた御菓子食べなくって」と、しばらくしてから小六の方へ向いて話し掛けたが、
「ええ食べます」と云う小六の返事を聞き流して、ついと茶の間へ立って行った。兄弟はまた差向いにな
った。
 電車の終点から歩くと二十分近くもかかる山の手の奥だけあって、まだ宵よいの口くちだけれども、四
隣あたりは存外静かである。時々表を通る薄歯の下駄の響が冴さえて、夜寒よさむがしだいに増して来る
。宗助は懐手ふところでをして、
「昼間は暖あったかいが、夜になると急に寒くなるね。寄宿じゃもう蒸汽スチームを通しているかい」と
聞いた。
「いえ、まだです。学校じゃよっぽど寒くならなくっちゃ、蒸汽なんか焚たきゃしません」
「そうかい。それじゃ寒いだろう」
「ええ。しかし寒いくらいどうでも構わないつもりですが」と云ったまま、小六はすこし云い淀よどんで
いたが、しまいにとうとう思い切って、
「兄さん、佐伯さえきの方はいったいどうなるんでしょう。先刻さっき姉さんから聞いたら、今日手紙を
出して下すったそうですが」
「ああ出した。二三日中に何とか云って来るだろう。その上でまたおれが行くともどうともしようよ」
 小六は兄の平気な態度を、心の中うちでは飽足らず眺ながめた。しかし宗助の様子にどこと云って、他
ひとを激させるような鋭するどいところも、自みずからを庇護かばうような卑いやしい点もないので、喰
くってかかる勇気はさらに出なかった。ただ
「じゃ今日きょうまであのままにしてあったんですか」と単に事実を確めた。
「うん、実は済まないがあのままだ。手紙も今日やっとの事で書いたくらいだ。どうも仕方がないよ。近
頃神経衰弱でね」と真面目まじめに云う。小六は苦笑した。
「もし駄目なら、僕は学校をやめて、いっそ今のうち、満洲か朝鮮へでも行こうかと思ってるんです」
「満洲か朝鮮? ひどくまた思い切ったもんだね。だって、御前先刻さっき満洲は物騒で厭いやだって云
ったじゃないか」
184 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:55:24.55 ID:4uTcWgUe
 用談はこんなところに往ったり来たりして、ついに要領を得なかった。しまいに宗助が、
「まあ、好いや、そう心配しないでも、どうかなるよ。何しろ返事の来しだい、おれがすぐ知らせてやる
。その上でまた相談するとしよう」と云ったので、談話はなしに区切がついた。
 小六が帰りがけに茶の間を覗のぞいたら、御米は何にもしずに、長火鉢ながひばちに倚よりかかってい
た。
「姉さん、さようなら」と声を掛けたら、「おや御帰り」と云いながらようやく立って来た。



 小六ころくの苦くにしていた佐伯さえきからは、予期の通り二三日して返事があったが、それは極きわ
めて簡単なもので、端書はがきでも用の足りるところを、鄭重ていちょうに封筒へ入れて三銭の切手を貼
はった、叔母の自筆に過ぎなかった。
 役所から帰って、筒袖つつそでの仕事着を、窮屈そうに脱ぬぎ易かえて、火鉢ひばちの前へ坐すわるや
否や、抽出ひきだしから一寸ほどわざと余して差し込んであった状袋に眼が着いたので、御米およねの汲
んで出す番茶を一口呑のんだまま、宗助そうすけはすぐ封を切った。
「へえ、安やすさんは神戸へ行ったんだってね」と手紙を読みながら云った。
「いつ?」と御米は湯呑を夫の前に出した時の姿勢のままで聞いた。
「いつとも書いてないがね。何しろ遠からぬうちには帰京仕るべく候間と書いてあるから、もうじき帰っ
て来るんだろう」
「遠からぬうちなんて、やっぱり叔母さんね」
 宗助は御米の批評に、同意も不同意も表しなかった。読んだ手紙を巻き納めて、投げるようにそこへ放
り出して、四五日目になる、ざらざらした腮あごを、気味わるそうに撫なで廻した。
 御米はすぐその手紙を拾ったが、別に読もうともしなかった。それを膝ひざの上へ乗せたまま、夫の顔
を見て、
「遠からぬうちには帰京仕つかまつるべく候間、どうだって云うの」と聞いた。
「いずれ帰ったら、安之助やすのすけと相談して何とか御挨拶ごあいさつを致しますと云うのさ」
「遠からぬうちじゃ曖昧あいまいね。いつ帰るとも書いてなくって」
「いいや」
 御米は念のため、膝の上の手紙を始めて開いて見た。そうしてそれを元のように畳んで、
「ちょっとその状袋を」と手を夫おっとの方へ出した。宗助は自分と火鉢の間に挟まっている青い封筒を
取って細君に渡した。御米はそれをふっと吹いて、中を膨ふくらまして手紙を収めた。そうして台所へ立
った。
 宗助はそれぎり手紙の事には気を留めなかった。今日役所で同僚が、この間英吉利イギリスから来遊し
たキチナー元帥に、新橋の傍そばで逢あったと云う話を思い出して、ああ云う人間になると、世界中どこ
へ行っても、世間を騒がせるようにできているようだが、実際そういう風に生れついて来たものかも知れ
ない。自分の過去から引き摺ずってきた運命や、またその続きとして、これから自分の眼前に展開されべ
き[#「展開されべき」はママ]将来を取って、キチナーと云う人のそれに比べて見ると、とうてい同じ
人間とは思えないぐらい懸かけ隔へだたっている。
 こう考えて宗助はしきりに煙草たばこを吹かした。表は夕方から風が吹き出して、わざと遠くの方から
襲おそって来るような音がする。それが時々やむと、やんだ間は寂しんとして、吹き荒れる時よりはなお
淋さびしい。宗助は腕組をしながら、もうそろそろ火事の半鐘はんしょうが鳴り出す時節だと思った。
 台所へ出て見ると、細君は七輪しちりんの火を赤くして、肴さかなの切身を焼いていた。清きよは流し
元に曲こごんで漬物を洗っていた。二人とも口を利きかずにせっせと自分のやる事をやっている。宗助は
障子しょうじを開けたなり、しばらく肴から垂たる汁つゆか膏あぶらの音を聞いていたが、無言のままま
た障子を閉たてて元の座へ戻った。細君は眼さえ肴から離さなかった。
 食事を済まして、夫婦が火鉢を間あいに向い合った時、御米はまた
「佐伯の方は困るのね」と云い出した。
185 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:56:12.62 ID:4uTcWgUe

「だって、近頃の相場なら、捨売すてうりにしたって、あの時叔父の拵らえてくれた金の倍にはなるんだ
もの。あんまり馬鹿馬鹿しいからね」と宗助が云い出すと、御米は淋さみしそうに笑って、
「また地面? いつまでもあの事ばかり考えていらっしゃるのね。だって、あなたが万事宜よろしく願い
ますと、叔父さんにおっしゃったんでしょう」と云う。
「そりゃ仕方がないさ。あの場合ああでもしなければ方ほうがつかないんだもの」と宗助が云う。
「だからさ。叔父さんの方では、御金の代りに家うちと地面を貰ったつもりでいらっしゃるかも知れなく
ってよ」と御米が云う。
 そう云われると、宗助も叔父の処置に一理あるようにも思われて、口では、
「そのつもりが好くないじゃないか」と答弁するようなものの、この問題はその都度つどしだいしだいに
背景の奥に遠ざかって行くのであった。
 夫婦がこんな風に淋しく睦むつまじく暮らして来た二年目の末に、宗助はもとの同級生で、学生時代に
は大変懇意であった杉原と云う男に偶然出逢った。杉原は卒業後高等文官試験に合格して、その時すでに
或省に奉職していたのだが、公務上福岡と佐賀へ出張することになって、東京からわざわざやって来たの
である。宗助は所の新聞で、杉原のいつ着いて、どこに泊っているかをよく知ってはいたが、失敗者とし
ての自分に顧かえりみて、成効者せいこうしゃの前に頭を下げる対照を恥ずかしく思った上に、自分は在
学当時の旧友に逢うのを、特に避けたい理由を持っていたので、彼の旅館を訪ねる気は毛頭なかった。
 ところが杉原の方では、妙な引掛りから、宗助のここに燻くすぶっている事を聞き出して、強しいて面
会を希望するので、宗助もやむを得ず我がを折った。宗助が福岡から東京へ移れるようになったのは、全
くこの杉原の御蔭おかげである。杉原から手紙が来て、いよいよ事がきまったとき、宗助は箸はしを置い
て、
「御米、とうとう東京へ行けるよ」と云った。
「まあ結構ね」と御米が夫の顔を見た。
 東京に着いてから二三週間は、眼の回まわるように日が経たった。新らしく世帯を有もって、新らしい
仕事を始める人に、あり勝ちな急忙せわしなさと、自分達を包む大都の空気の、日夜劇はげしく震盪しん
とうする刺戟しげきとに駆かられて、何事をもじっと考える閑ひまもなく、また落ちついて手を下くだす
分別も出なかった。
 夜汽車で新橋へ着いた時は、久しぶりに叔父夫婦の顔を見たが、夫婦とも灯ひのせいか晴れやかな色に
は宗助の眼に映らなかった。途中に事故があって、着ちゃくの時間が珍らしく三十分ほど後れたのを、宗
助の過失ででもあるかのように、待草臥まちくたびれた気色けしきであった。
 宗助がこの時叔母から聞いた言葉は、
「おや宗そうさん、しばらく御目に掛かからないうちに、大変御老おふけなすった事」という一句であっ
た。御米はその折おり始めて叔父夫婦に紹介された。
「これがあの……」と叔母は逡巡ためらって宗助の方を見た。御米は何と挨拶あいさつのしようもないの
で、無言のままただ頭を下げた。
 小六も無論叔父夫婦と共に二人を迎いに来ていた。宗助は一眼その姿を見たとき、いつの間にか自分を
凌しのぐように大きくなった、弟の発育に驚ろかされた。小六はその時中学を出て、これから高等学校へ
這入はいろうという間際まぎわであった。宗助を見て、「兄さん」とも「御帰りなさい」とも云わないで
、ただ不器用に挨拶をした。
 宗助と御米は一週ばかり宿屋住居ずまいをして、それから今の所に引き移った。その時は叔父夫婦がい
ろいろ世話を焼いてくれた。細々こまごましい台所道具のようなものは買うまでもあるまい、古いのでよ
ければと云うので、小人数に必要なだけ一通り取り揃そろえて送って来た。その上、
「御前も新世帯だから、さぞ物要ものいりが多かろう」と云って金を六十円くれた。
 家うちを持ってかれこれ取り紛まぎれているうちに、早はや半月余よも経ったが、地方にいる時分あん
なに気にしていた家邸いえやしきの事は、ついまだ叔父に言い出さずにいた。ある時御米が、
「あなたあの事を叔父さんにおっしゃって」と聞いた。宗助はそれで急に思い出したように、
「うん、まだ云わないよ」と答えた。
186 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:56:25.05 ID:4uTcWgUe
ろも、自みずからを庇護かばうような卑いやしい点もないので、喰
くってかかる勇気はさらに出なかった。ただ
「じゃ今日きょうまであのままにしてあったんですか」と単に事実を確めた。
「うん、実は済まないがあのままだ。手紙も今日やっとの事で書いたくらいだ。どうも仕方がないよ。近
頃神経衰弱でね」と真面目まじめに云う。小六は苦笑した。
「もし駄目なら、僕は学校をやめて、いっそ今のうち、満洲か朝鮮へでも行こうかと思ってるんです」
「満洲か朝鮮? ひどくまた思い切ったもんだね。だって、御前先刻さっき満洲は物騒で厭いやだって云
ったじゃないか」
 用談はこんなところに往ったり来たりして、ついに要領を得なかった。しまいに宗助が、
「まあ、好いや、そう心配しないでも、どうかなるよ。何しろ返事の来しだい、おれがすぐ知らせてやる
。その上でまた相談するとしよう」と云ったので、談話はなしに区切がついた。
 小六が帰りがけに茶の間を覗のぞいたら、御米は何にもしずに、長火鉢ながひばちに倚よりかかってい
た。
「姉さん、さようなら」と声を掛けたら、「おや御帰り」と云いながらようやく立って来た。



 小六ころくの苦くにしていた佐伯さえきからは、予期の通り二三日して返事があったが、それは極きわ
めて簡単なもので、端書はがきでも用の足りるところを、鄭重ていちょうに封筒へ入れて三銭の切手を貼
はった、叔母の自筆に過ぎなかった。
 役所から帰って、筒袖つつそでの仕事着を、窮屈そうに脱ぬぎ易かえて、火鉢ひばちの前へ坐すわるや
否や、抽出ひきだしから一寸ほどわざと余して差し込んであった状袋に眼が着いたので、御米およねの汲
んで出す番茶を一口呑のんだまま、宗助そうすけはすぐ封を切った。
「へえ、安やすさんは神戸へ行ったんだってね」と手紙を読みながら云った。
「いつ?」と御米は湯呑を夫の前に出した時の姿勢のままで聞いた。
「いつとも書いてないがね。何しろ遠からぬうちには帰京仕るべく候間と書いてあるから、もうじき帰っ
て来るんだろう」
「遠からぬうちなんて、やっぱり叔母さんね」
 宗助は御米の批評に、同意も不同意も表しなかった。読んだ手紙を巻き納めて、投げるようにそこへ放
り出して、四五日目になる、ざらざらした腮あごを、気味わるそうに撫なで廻した。
 御米はすぐその手紙を拾ったが、別に読もうともしなかった。それを膝ひざの上へ乗せたまま、夫の顔
を見て、
「遠からぬうちには帰京仕つかまつるべく候間、どうだって云うの」と聞いた。
「いずれ帰ったら、安之助やすのすけと相談して何とか御挨拶ごあいさつを致しますと云うのさ」
「遠からぬうちじゃ曖昧あいまいね。いつ帰るとも書いてなくって」
「いいや」
 御米は念のため、膝の上の手紙を始めて開いて見た。そうしてそれを元のように畳んで、
「ちょっとその状袋を」と手を夫おっとの方へ出した。宗助は自分と火鉢の間に挟まっている青い封筒を
取って細君に渡した。御米はそれをふっと吹いて、中を膨ふくらまして手紙を収めた。そうして台所へ立
った。
 宗助はそれぎり手紙の事には気を留めなかった。今日役所で同僚が、この間英吉利イギリスから来遊し
たキチナー元帥に、新橋の傍そばで逢あったと云う話を思い出して、ああ云う人間になると、世界中どこ
へ行っても、世間を騒がせるようにできているようだが、実際そういう風に生れついて来たものかも知れ
ない。自分の過去から引き摺ずってきた運命や、またその続きとして、これから自分の眼前に展開されべ
き[#「展開されべき」はママ]将来を取って、キチナーと云う人のそれに比べて見ると、とうてい同じ
人間とは思えないぐらい懸かけ隔へだたっている。
 こう考えて宗助はしきりに煙草たばこを吹かした。表は夕方から風が吹き出して、わざと遠くの方から
187 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:57:00.47 ID:4uTcWgUe
 宗助そうすけは先刻さっきから縁側えんがわへ坐蒲団ざぶとんを持ち出して、日当りの好さそうな所へ
気楽に胡坐あぐらをかいて見たが、やがて手に持っている雑誌を放り出すと共に、ごろりと横になった。
秋日和あきびよりと名のつくほどの上天気なので、往来を行く人の下駄げたの響が、静かな町だけに、朗
らかに聞えて来る。肱枕ひじまくらをして軒から上を見上げると、奇麗きれいな空が一面に蒼あおく澄ん
でいる。その空が自分の寝ている縁側の、窮屈な寸法に較くらべて見ると、非常に広大である。たまの日
曜にこうして緩ゆっくり空を見るだけでもだいぶ違うなと思いながら、眉まゆを寄せて、ぎらぎらする日
をしばらく見つめていたが、眩まぼ[#ルビの「まぼ」はママ]しくなったので、今度はぐるりと寝返り
をして障子しょうじの方を向いた。障子の中では細君が裁縫しごとをしている。
「おい、好い天気だな」と話しかけた。細君は、
「ええ」と云いったなりであった。宗助も別に話がしたい訳でもなかったと見えて、それなり黙ってしま
った。しばらくすると今度は細君の方から、
「ちっと散歩でもしていらっしゃい」と云った。しかしその時は宗助がただうんと云う生返事なまへんじ
を返しただけであった。
 二三分して、細君は障子しょうじの硝子ガラスの所へ顔を寄せて、縁側に寝ている夫の姿を覗のぞいて
見た。夫はどう云う了見りょうけんか両膝りょうひざを曲げて海老えびのように窮屈になっている。そう
して両手を組み合わして、その中へ黒い頭を突っ込んでいるから、肱ひじに挟はさまれて顔がちっとも見
えない。
「あなたそんな所へ寝ると風邪かぜ引ひいてよ」と細君が注意した。細君の言葉は東京のような、東京で
ないような、現代の女学生に共通な一種の調子を持っている。
 宗助は両肱の中で大きな眼をぱちぱちさせながら、
「寝やせん、大丈夫だ」と小声で答えた。
 それからまた静かになった。外を通る護謨車ゴムぐるまのベルの音が二三度鳴った後あとから、遠くで
鶏の時音ときをつくる声が聞えた。宗助は仕立したておろしの紡績織ぼうせきおりの背中へ、自然じねん
と浸み込んで来る光線の暖味あたたかみを、襯衣シャツの下で貪むさぼるほど味あじわいながら、表の音
を聴きくともなく聴いていたが、急に思い出したように、障子越しの細君を呼んで、
「御米およね、近来きんらいの近きんの字はどう書いたっけね」と尋ねた。細君は別に呆あきれた様子も
なく、若い女に特有なけたたましい笑声も立てず、
「近江おうみのおうの字じゃなくって」と答えた。
「その近江おうみのおうの字が分らないんだ」
 細君は立て切った障子を半分ばかり開けて、敷居の外へ長い物指ものさしを出して、その先で近の字を
縁側へ書いて見せて、
「こうでしょう」と云ったぎり、物指の先を、字の留った所へ置いたなり、澄み渡った空を一しきり眺な
がめ入った。宗助は細君の顔も見ずに、
「やっぱりそうか」と云ったが、冗談じょうだんでもなかったと見えて、別に笑もしなかった。細君も近
の字はまるで気にならない様子で、
「本当に好い御天気だわね」と半なかば独ひとり言ごとのように云いながら、障子を開けたまままた裁縫
しごとを始めた。すると宗助は肱で挟んだ頭を少し擡もたげて、
「どうも字と云うものは不思議だよ」と始めて細君の顔を見た。
「なぜ」
「なぜって、いくら容易やさしい字でも、こりゃ変だと思って疑ぐり出すと分らなくなる。この間も今日
こんにちの今こんの字で大変迷った。紙の上へちゃんと書いて見て、じっと眺めていると、何だか違った
ような気がする。しまいには見れば見るほど今こんらしくなくなって来る。――御前おまいそんな事を経
験した事はないかい」
「まさか」
「おれだけかな」と宗助は頭へ手を当てた。
「あなたどうかしていらっしゃるのよ」
「やっぱり神経衰弱のせいかも知れない」
188 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:57:12.53 ID:4uTcWgUe
「そうよ」と細君は夫の顔を見た。夫はようやく立ち上った。
 針箱と糸屑いとくずの上を飛び越すように跨またいで、茶の間の襖ふすまを開けると、すぐ座敷である
。南が玄関で塞ふさがれているので、突き当りの障子が、日向ひなたから急に這入はいって来た眸ひとみ
には、うそ寒く映った。そこを開けると、廂ひさしに逼せまるような勾配こうばいの崖がけが、縁鼻えん
ばなから聳そびえているので、朝の内は当って然しかるべきはずの日も容易に影を落さない。崖には草が
生えている。下からして一側ひとかわも石で畳んでないから、いつ壊くずれるか分らない虞おそれがある
のだけれども、不思議にまだ壊れた事がないそうで、そのためか家主やぬしも長い間昔のままにして放っ
てある。もっとも元は一面の竹藪たけやぶだったとかで、それを切り開く時に根だけは掘り返さずに土堤
どての中に埋めて置いたから、地じは存外緊しまっていますからねと、町内に二十年も住んでいる八百屋
の爺おやじが勝手口でわざわざ説明してくれた事がある。その時宗助はだって根が残っていれば、また竹
が生えて藪になりそうなものじゃないかと聞き返して見た。すると爺は、それがね、ああ切り開かれて見
ると、そう甘うまく行くもんじゃありませんよ。しかし崖だけは大丈夫です。どんな事があったって壊く
えっこはねえんだからと、あたかも自分のものを弁護でもするように力りきんで帰って行った。
 崖は秋に入いっても別に色づく様子もない。ただ青い草の匂においが褪さめて、不揃ぶそろにもじゃも
じゃするばかりである。薄すすきだの蔦つただのと云う洒落しゃれたものに至ってはさらに見当らない。
その代り昔の名残なごりの孟宗もうそうが中途に二本、上の方に三本ほどすっくりと立っている。それが
多少黄に染まって、幹に日の射さすときなぞは、軒から首を出すと、土手の上に秋の暖味あたたかみを眺
ながめられるような心持がする。宗助は朝出て四時過に帰る男だから、日の詰つまるこの頃は、滅多めっ
たに崖の上を覗のぞく暇ひまを有もたなかった。暗い便所から出て、手水鉢ちょうずばちの水を手に受け
ながら、ふと廂ひさしの外を見上げた時、始めて竹の事を思い出した。幹の頂いただきに濃こまかな葉が
集まって、まるで坊主頭ぼうずあたまのように見える。それが秋の日に酔って重く下を向いて、寂ひっそ
りと重なった葉が一枚も動かない。
 宗助は障子を閉たてて座敷へ帰って、机の前へ坐った。座敷とは云いながら客を通すからそう名づける
までで、実は書斎とか居間とか云う方が穏当である。北側に床とこがあるので、申訳のために変な軸じく
を掛けて、その前に朱泥しゅでいの色をした拙せつな花活はないけが飾ってある。欄間らんまには額がく
も何もない。ただ真鍮しんちゅうの折釘おれくぎだけが二本光っている。その他には硝子戸ガラスどの張
った書棚が一つある。けれども中には別にこれと云って目立つほどの立派なものも這入っていない。
 宗助は銀金具ぎんかなぐの付いた机の抽出ひきだしを開けてしきりに中を検しらべ出したが、別に何も
見つけ出さないうちに、はたりと締あきらめてしまった。それから硯箱すずりばこの葢ふたを取って、手
紙を書き始めた。一本書いて封をして、ちょっと考えたが、
「おい、佐伯さえきのうちは中六番町なかろくばんちょう何番地だったかね」と襖越ごしに細君に聞いた

「二十五番地じゃなくって」と細君は答えたが、宗助が名宛を書き終る頃になって、
「手紙じゃ駄目よ、行ってよく話をして来なくっちゃ」と付け加えた。
「まあ、駄目までも手紙を一本出しておこう。それでいけなかったら出掛けるとするさ」と云い切ったが
、細君が返事をしないので、
「ねえ、おい、それで好いだろう」と念を押した。
 細君は悪いとも云い兼ねたと見えて、その上争いもしなかった。宗助は郵便を持ったまま、座敷から直
すぐ玄関に出た。細君は夫の足音を聞いて始めて、座を立ったが、これは茶の間の縁伝えんづたいに玄関
に出た。
「ちょっと散歩に行って来るよ」
「行っていらっしゃい」と細君は微笑しながら答えた。
 三十分ばかりして格子こうしががらりと開あいたので、御米はまた裁縫しごとの手をやめて、縁伝いに
玄関へ出て見ると、帰ったと思う宗助の代りに、高等学校の制帽を被かぶった、弟の小六ころくが這入は
いって来た。袴はかまの裾すそが五六寸しか出ないくらいの長い黒羅紗くろらしゃのマントの釦ボタンを
外はずしながら、
「暑い」と云っている。
189 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:57:24.57 ID:4uTcWgUe
「だって余あんまりだわ。この御天気にそんな厚いものを着て出るなんて」
「何、日が暮れたら寒いだろうと思って」と小六は云訳いいわけを半分しながら、嫂あによめの後あとに
跟ついて、茶の間へ通ったが、縫い掛けてある着物へ眼を着けて、
「相変らず精が出ますね」と云ったなり、長火鉢ながひばちの前へ胡坐あぐらをかいた。嫂は裁縫を隅す
みの方へ押しやっておいて、小六の向むこうへ来て、ちょっと鉄瓶てつびんをおろして炭を継つぎ始めた

「御茶ならたくさんです」と小六が云った。
「厭いや?」と女学生流に念を押した御米は、
「じゃ御菓子は」と云って笑いかけた。
「あるんですか」と小六が聞いた。
「いいえ、無いの」と正直に答えたが、思い出したように、「待ってちょうだい、あるかも知れないわ」
と云いながら立ち上がる拍子ひょうしに、横にあった炭取を取り退のけて、袋戸棚ふくろとだなを開けた
。小六は御米の後姿うしろすがたの、羽織はおりが帯で高くなった辺あたりを眺ながめていた。何を探さ
がすのだかなかなか手間てまが取れそうなので、
「じゃ御菓子も廃よしにしましょう。それよりか、今日は兄さんはどうしました」と聞いた。
「兄さんは今ちょいと」と後向のまま答えて、御米はやはり戸棚の中を探している。やがてぱたりと戸を
締めて、
「駄目よ。いつの間まにか兄さんがみんな食べてしまった」と云いながら、また火鉢の向むこうへ帰って
来た。
「じゃ晩に何か御馳走ごちそうなさい」
「ええしてよ」と柱時計を見ると、もう四時近くである。御米は「四時、五時、六時」と時間を勘定かん
じょうした。小六は黙って嫂の顔を見ていた。彼は実際嫂の御馳走には余り興味を持ち得なかったのであ
る。
「姉さん、兄さんは佐伯さえきへ行ってくれたんですかね」と聞いた。
「この間から行く行くって云ってる事は云ってるのよ。だけど、兄さんも朝出て夕方に帰るんでしょう。
帰ると草臥くたびれちまって、御湯に行くのも大儀そうなんですもの。だから、そう責めるのも実際御気
の毒よ」
「そりゃ兄さんも忙がしいには違なかろうけれども、僕もあれがきまらないと気がかりで落ちついて勉強
もできないんだから」と云いながら、小六は真鍮しんちゅうの火箸ひばしを取って火鉢ひばちの灰の中へ
何かしきりに書き出した。御米はその動く火箸の先を見ていた。
「だから先刻さっき手紙を出しておいたのよ」と慰めるように云った。
「何て」
「そりゃ私わたしもつい見なかったの。けれども、きっとあの相談よ。今に兄さんが帰って来たら聞いて
御覧なさい。きっとそうよ」
「もし手紙を出したのなら、その用には違ないでしょう」
「ええ、本当に出したのよ。今兄さんがその手紙を持って、出しに行ったところなの」
 小六はこれ以上弁解のような慰藉いしゃのような嫂あによめの言葉に耳を借したくなかった。散歩に出
る閑ひまがあるなら、手紙の代りに自分で足を運んでくれたらよさそうなものだと思うと余り好い心持で
もなかった。座敷へ来て、書棚の中から赤い表紙の洋書を出して、方々頁ページを剥はぐって見ていた。



 そこに気のつかなかった宗助そうすけは、町の角かどまで来て、切手と「敷島しきしま」を同じ店で買
って、郵便だけはすぐ出したが、その足でまた同じ道を戻るのが何だか不足だったので、啣くわえ煙草た
ばこの煙けむを秋の日に揺ゆらつかせながら、ぶらぶら歩いているうちに、どこか遠くへ行って、東京と
云う所はこんな所だと云う印象をはっきり頭の中へ刻みつけて、そうしてそれを今日の日曜の土産みやげ
に家うちへ帰って寝ねようと云う気になった。彼は年来東京の空気を吸って生きている男であるのみなら
190 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:58:05.68 ID:4uTcWgUe
ず、毎日役所の行通ゆきかよいには電車を利用して、賑にぎやかな町を二度ずつはきっと往いったり来た
りする習慣になっているのではあるが、身体からだと頭に楽らくがないので、いつでも上うわの空そらで
素通りをする事になっているから、自分がその賑やかな町の中に活いきていると云う自覚は近来とんと起
った事がない。もっとも平生へいぜいは忙がしさに追われて、別段気にも掛からないが、七日なのかに一
返いっぺんの休日が来て、心がゆったりと落ちつける機会に出逢であうと、不断の生活が急にそわそわし
た上調子うわちょうしに見えて来る。必竟ひっきょう自分は東京の中に住みながら、ついまだ東京という
ものを見た事がないんだという結論に到着すると、彼はそこにいつも妙な物淋さびしさを感ずるのである

 そう云う時には彼は急に思い出したように町へ出る。その上懐ふところに多少余裕よゆうでもあると、
これで一つ豪遊でもしてみようかと考える事もある。けれども彼の淋しみは、彼を思い切った極端に駆か
り去るほどに、強烈の程度なものでないから、彼がそこまで猛進する前に、それも馬鹿馬鹿しくなってや
めてしまう。のみならず、こんな人の常態として、紙入の底が大抵の場合には、軽挙を戒いましめる程度
内に膨ふくらんでいるので、億劫おっくうな工夫を凝こらすよりも、懐手ふところでをして、ぶらりと家
うちへ帰る方が、つい楽になる。だから宗助の淋さびしみは単なる散歩か勧工場かんこうば縦覧ぐらいな
ところで、次の日曜まではどうかこうか慰藉いしゃされるのである。
 この日も宗助はともかくもと思って電車へ乗った。ところが日曜の好天気にもかかわらず、平常よりは
乗客が少ないので例になく乗心地が好かった。その上乗客がみんな平和な顔をして、どれもこれも悠ゆっ
たりと落ちついているように見えた。宗助は腰を掛けながら、毎朝例刻に先を争って席を奪い合いながら
、丸の内方面へ向う自分の運命を顧かえりみた。出勤刻限の電車の道伴みちづれほど殺風景なものはない
。革かわにぶら下がるにしても、天鵞絨びろうどに腰を掛けるにしても、人間的な優やさしい心持の起っ
た試ためしはいまだかつてない。自分もそれでたくさんだと考えて、器械か何ぞと膝ひざを突き合せ肩を
並べたかのごとくに、行きたい所まで同席して不意と下りてしまうだけであった。前の御婆さんが八つぐ
らいになる孫娘の耳の所へ口を付けて何か云っているのを、傍そばに見ていた三十恰好がっこうの商家の
御神おかみさんらしいのが、可愛らしがって、年を聞いたり名を尋ねたりするところを眺ながめていると
、今更いまさらながら別の世界に来たような心持がした。
 頭の上には広告が一面に枠わくに嵌はめて掛けてあった。宗助は平生これにさえ気がつかなかった。何
心なしに一番目のを読んで見ると、引越は容易にできますと云う移転会社の引札ひきふだであった。その
次には経済を心得る人は、衛生に注意する人は、火の用心を好むものは、と三行に並べておいてその後あ
とに瓦斯竈ガスがまを使えと書いて、瓦斯竈から火の出ている画えまで添えてあった。三番目には露国文
豪トルストイ伯傑作「千古の雪」と云うのと、バンカラ喜劇小辰こたつ大一座と云うのが、赤地に白で染
め抜いてあった。
 宗助は約十分もかかって、すべての広告を丁寧ていねいに三返ほど読み直した。別に行って見ようと思
うものも、買って見たいと思うものも無かったが、ただこれらの広告が判然はっきりと自分の頭に映って
、そうしてそれを一々読み終おおせた時間のあった事と、それをことごとく理解し得たと云う心の余裕よ
ゆうが、宗助には少なからぬ満足を与えた。彼の生活はこれほどの余裕にすら誇りを感ずるほどに、日曜
以外の出入ではいりには、落ちついていられないものであった。
 宗助は駿河台下するがだいしたで電車を降りた。降りるとすぐ右側の窓硝子まどガラスの中に美しく並
べてある洋書に眼がついた。宗助はしばらくその前に立って、赤や青や縞しまや模様の上に、鮮あざやか
に叩たたき込んである金文字を眺めた。表題の意味は無論解るが、手に取って、中を検しらべて見ようと
いう好奇心はちっとも起らなかった。本屋の前を通ると、きっと中へ這入はいって見たくなったり、中へ
這入ると必ず何か欲しくなったりするのは、宗助から云うと、すでに一昔ひとむかし前の生活である。た
だ Historyヒストリ ofオフ Gamblingガムブリング(博奕史ばくえきし)と云うの
が、ことさらに美装して、一番真中に飾られてあったので、それが幾分か彼の頭に突飛とっぴな新し味を
加えただけであった。
191 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:58:21.25 ID:4uTcWgUe
締あきらめてしまった。それから硯箱すずりばこの葢ふたを取って、手
紙を書き始めた。一本書いて封をして、ちょっと考えたが、
「おい、佐伯さえきのうちは中六番町なかろくばんちょう何番地だったかね」と襖越ごしに細君に聞いた

「二十五番地じゃなくって」と細君は答えたが、宗助が名宛を書き終る頃になって、
「手紙じゃ駄目よ、行ってよく話をして来なくっちゃ」と付け加えた。
「まあ、駄目までも手紙を一本出しておこう。それでいけなかったら出掛けるとするさ」と云い切ったが
、細君が返事をしないので、
「ねえ、おい、それで好いだろう」と念を押した。
 細君は悪いとも云い兼ねたと見えて、その上争いもしなかった。宗助は郵便を持ったまま、座敷から直
すぐ玄関に出た。細君は夫の足音を聞いて始めて、座を立ったが、これは茶の間の縁伝えんづたいに玄関
に出た。
「ちょっと散歩に行って来るよ」
「行っていらっしゃい」と細君は微笑しながら答えた。
 三十分ばかりして格子こうしががらりと開あいたので、御米はまた裁縫しごとの手をやめて、縁伝いに
玄関へ出て見ると、帰ったと思う宗助の代りに、高等学校の制帽を被かぶった、弟の小六ころくが這入は
いって来た。袴はかまの裾すそが五六寸しか出ないくらいの長い黒羅紗くろらしゃのマントの釦ボタンを
外はずしながら、
「暑い」と云っている。
「だって余あんまりだわ。この御天気にそんな厚いものを着て出るなんて」
「何、日が暮れたら寒いだろうと思って」と小六は云訳いいわけを半分しながら、嫂あによめの後あとに
跟ついて、茶の間へ通ったが、縫い掛けてある着物へ眼を着けて、
「相変らず精が出ますね」と云ったなり、長火鉢ながひばちの前へ胡坐あぐらをかいた。嫂は裁縫を隅す
みの方へ押しやっておいて、小六の向むこうへ来て、ちょっと鉄瓶てつびんをおろして炭を継つぎ始めた

「御茶ならたくさんです」と小六が云った。
「厭いや?」と女学生流に念を押した御米は、
「じゃ御菓子は」と云って笑いかけた。
「あるんですか」と小六が聞いた。
「いいえ、無いの」と正直に答えたが、思い出したように、「待ってちょうだい、あるかも知れないわ」
と云いながら立ち上がる拍子ひょうしに、横にあった炭取を取り退のけて、袋戸棚ふくろとだなを開けた
。小六は御米の後姿うしろすがたの、羽織はおりが帯で高くなった辺あたりを眺ながめていた。何を探さ
がすのだかなかなか手間てまが取れそうなので、
「じゃ御菓子も廃よしにしましょう。それよりか、今日は兄さんはどうしました」と聞いた。
「兄さんは今ちょいと」と後向のまま答えて、御米はやはり戸棚の中を探している。やがてぱたりと戸を
締めて、
「駄目よ。いつの間まにか兄さんがみんな食べてしまった」と云いながら、また火鉢の向むこうへ帰って
来た。
「じゃ晩に何か御馳走ごちそうなさい」
「ええしてよ」と柱時計を見ると、もう四時近くである。御米は「四時、五時、六時」と時間を勘定かん
じょうした。小六は黙って嫂の顔を見ていた。彼は実際嫂の御馳走には余り興味を持ち得なかったのであ
る。
「姉さん、兄さんは佐伯さえきへ行ってくれたんですかね」と聞いた。
「この間から行く行くって云ってる事は云ってるのよ。だけど、兄さんも朝出て夕方に帰るんでしょう。
帰ると草臥くたびれちまって、御湯に行くのも大儀そうなんですもの。だから、そう責めるのも実際御気
の毒よ」
「そりゃ兄さんも忙がしいには違なかろうけれども、僕もあれがきまらないと気がかりで落ちついて勉強
192 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:58:33.30 ID:4uTcWgUe
もできないんだから」と云いながら、小六は真鍮しんちゅうの火箸ひばしを取って火鉢ひばちの灰の中へ
何かしきりに書き出した。御米はその動く火箸の先を見ていた。
「だから先刻さっき手紙を出しておいたのよ」と慰めるように云った。
「何て」
「そりゃ私わたしもつい見なかったの。けれども、きっとあの相談よ。今に兄さんが帰って来たら聞いて
御覧なさい。きっとそうよ」
「もし手紙を出したのなら、その用には違ないでしょう」
「ええ、本当に出したのよ。今兄さんがその手紙を持って、出しに行ったところなの」
 小六はこれ以上弁解のような慰藉いしゃのような嫂あによめの言葉に耳を借したくなかった。散歩に出
る閑ひまがあるなら、手紙の代りに自分で足を運んでくれたらよさそうなものだと思うと余り好い心持で
もなかった。座敷へ来て、書棚の中から赤い表紙の洋書を出して、方々頁ページを剥はぐって見ていた。



 そこに気のつかなかった宗助そうすけは、町の角かどまで来て、切手と「敷島しきしま」を同じ店で買
って、郵便だけはすぐ出したが、その足でまた同じ道を戻るのが何だか不足だったので、啣くわえ煙草た
ばこの煙けむを秋の日に揺ゆらつかせながら、ぶらぶら歩いているうちに、どこか遠くへ行って、東京と
云う所はこんな所だと云う印象をはっきり頭の中へ刻みつけて、そうしてそれを今日の日曜の土産みやげ
に家うちへ帰って寝ねようと云う気になった。彼は年来東京の空気を吸って生きている男であるのみなら
ず、毎日役所の行通ゆきかよいには電車を利用して、賑にぎやかな町を二度ずつはきっと往いったり来た
りする習慣になっているのではあるが、身体からだと頭に楽らくがないので、いつでも上うわの空そらで
素通りをする事になっているから、自分がその賑やかな町の中に活いきていると云う自覚は近来とんと起
った事がない。もっとも平生へいぜいは忙がしさに追われて、別段気にも掛からないが、七日なのかに一
返いっぺんの休日が来て、心がゆったりと落ちつける機会に出逢であうと、不断の生活が急にそわそわし
た上調子うわちょうしに見えて来る。必竟ひっきょう自分は東京の中に住みながら、ついまだ東京という
ものを見た事がないんだという結論に到着すると、彼はそこにいつも妙な物淋さびしさを感ずるのである

 そう云う時には彼は急に思い出したように町へ出る。その上懐ふところに多少余裕よゆうでもあると、
これで一つ豪遊でもしてみようかと考える事もある。けれども彼の淋しみは、彼を思い切った極端に駆か
り去るほどに、強烈の程度なものでないから、彼がそこまで猛進する前に、それも馬鹿馬鹿しくなってや
めてしまう。のみならず、こんな人の常態として、紙入の底が大抵の場合には、軽挙を戒いましめる程度
内に膨ふくらんでいるので、億劫おっくうな工夫を凝こらすよりも、懐手ふところでをして、ぶらりと家
うちへ帰る方が、つい楽になる。だから宗助の淋さびしみは単なる散歩か勧工場かんこうば縦覧ぐらいな
ところで、次の日曜まではどうかこうか慰藉いしゃされるのである。
 この日も宗助はともかくもと思って電車へ乗った。ところが日曜の好天気にもかかわらず、平常よりは
乗客が少ないので例になく乗心地が好かった。その上乗客がみんな平和な顔をして、どれもこれも悠ゆっ
たりと落ちついているように見えた。宗助は腰を掛けながら、毎朝例刻に先を争って席を奪い合いながら
、丸の内方面へ向う自分の運命を顧かえりみた。出勤刻限の電車の道伴みちづれほど殺風景なものはない
。革かわにぶら下がるにしても、天鵞絨びろうどに腰を掛けるにしても、人間的な優やさしい心持の起っ
た試ためしはいまだかつてない。自分もそれでたくさんだと考えて、器械か何ぞと膝ひざを突き合せ肩を
並べたかのごとくに、行きたい所まで同席して不意と下りてしまうだけであった。前の御婆さんが八つぐ
らいになる孫娘の耳の所へ口を付けて何か云っているのを、傍そばに見ていた三十恰好がっこうの商家の
御神おかみさんらしいのが、可愛らしがって、年を聞いたり名を尋ねたりするところを眺ながめていると
、今更いまさらながら別の世界に来たような心持がした。
 頭の上には広告が一面に枠わくに嵌はめて掛けてあった。宗助は平生これにさえ気がつかなかった。何
心なしに一番目のを読んで見ると、引越は容易にできますと云う移転会社の引札ひきふだであった。その
次には経済を心得る人は、衛生に注意する人は、火の用心を好むものは、と三行に並べておいてその後あ
193 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:58:45.32 ID:4uTcWgUe
とに瓦斯竈ガスがまを使えと書いて、瓦斯竈から火の出ている画えまで添えてあった。三番目には露国文
豪トルストイ伯傑作「千古の雪」と云うのと、バンカラ喜劇小辰こたつ大一座と云うのが、赤地に白で染
め抜いてあった。
 宗助は約十分もかかって、すべての広告を丁寧ていねいに三返ほど読み直した。別に行って見ようと思
うものも、買って見たいと思うものも無かったが、ただこれらの広告が判然はっきりと自分の頭に映って
、そうしてそれを一々読み終おおせた時間のあった事と、それをことごとく理解し得たと云う心の余裕よ
ゆうが、宗助には少なからぬ満足を与えた。彼の生活はこれほどの余裕にすら誇りを感ずるほどに、日曜
以外の出入ではいりには、落ちついていられないものであった。
 宗助は駿河台下するがだいしたで電車を降りた。降りるとすぐ右側の窓硝子まどガラスの中に美しく並
べてある洋書に眼がついた。宗助はしばらくその前に立って、赤や青や縞しまや模様の上に、鮮あざやか
に叩たたき込んである金文字を眺めた。表題の意味は無論解るが、手に取って、中を検しらべて見ようと
いう好奇心はちっとも起らなかった。本屋の前を通ると、きっと中へ這入はいって見たくなったり、中へ
這入ると必ず何か欲しくなったりするのは、宗助から云うと、すでに一昔ひとむかし前の生活である。た
だ Historyヒストリ ofオフ Gamblingガムブリング(博奕史ばくえきし)と云うの
が、ことさらに美装して、一番真中に飾られてあったので、それが幾分か彼の頭に突飛とっぴな新し味を
加えただけであった。
 宗助は微笑しながら、急忙せわしい通りを向側むこうがわへ渡って、今度は時計屋の店を覗のぞき込ん
だ。金時計だの金鎖が幾つも並べてあるが、これもただ美しい色や恰好かっこうとして、彼の眸ひとみに
映るだけで、買いたい了簡りょうけんを誘致するには至らなかった。その癖彼は一々絹糸で釣るした価格
札ねだんふだを読んで、品物と見較みくらべて見た。そうして実際金時計の安価なのに驚ろいた。
 蝙蝠傘屋こうもりがさやの前にもちょっと立ちどまった。西洋小間物こまものを売る店先では、礼帽シ
ルクハットの傍わきにかけてあった襟飾えりかざりに眼がついた。自分の毎日かけているのよりも大変柄
がらが好かったので、価ねを聞いてみようかと思って、半分店の中へ這入はいりかけたが、明日あしたか
ら襟飾りなどをかけ替えたところが下らない事だと思い直すと、急に蟇口がまぐちの口を開けるのが厭い
やになって行き過ぎた。呉服店でもだいぶ立見をした。鶉御召うずらおめしだの、高貴織こうきおりだの
、清凌織せいりょうおりだの、自分の今日こんにちまで知らずに過ぎた名をたくさん覚えた。京都の襟新
えりしんと云う家うちの出店の前で、窓硝子まどガラスへ帽子の鍔つばを突きつけるように近く寄せて、
精巧に刺繍ぬいをした女の半襟はんえりを、いつまでも眺ながめていた。その中うちにちょうど細君に似
合いそうな上品なのがあった。買って行ってやろうかという気がちょっと起るや否いなや、そりゃ五六年
前ぜんの事だと云う考が後あとから出て来て、せっかく心持の好い思いつきをすぐ揉もみ消してしまった
。宗助は苦笑しながら窓硝子を離れてまた歩き出したが、それから半町ほどの間は何だかつまらないよう
な気分がして、往来にも店先にも格段の注意を払わなかった。
 ふと気がついて見ると角に大きな雑誌屋があって、その軒先には新刊の書物が大きな字で広告してある
。梯子はしごのような細長い枠わくへ紙を張ったり、ペンキ塗の一枚板へ模様画みたような色彩を施こし
たりしてある。宗助はそれを一々読んだ。著者の名前も作物さくぶつの名前も、一度は新聞の広告で見た
ようでもあり、また全く新奇のようでもあった。
 この店の曲り角の影になった所で、黒い山高帽を被かぶった三十ぐらいの男が地面の上へ気楽そうに胡
坐あぐらをかいて、ええ御子供衆の御慰おなぐさみと云いながら、大きな護謨風船ゴムふうせんを膨ふく
らましている。それが膨れると自然と達磨だるまの恰好かっこうになって、好加減いいかげんな所に眼口
まで墨で書いてあるのに宗助は感心した。その上一度息を入れると、いつまでも膨れている。かつ指の先
へでも、手の平の上へでも自由に尻が据すわる。それが尻の穴へ楊枝ようじのような細いものを突っ込む
としゅうっと一度に収縮してしまう。
 忙がしい往来の人は何人でも通るが、誰も立ちどまって見るほどのものはない。山高帽の男は賑にぎや
かな町の隅に、冷やかに胡坐あぐらをかいて、身の周囲まわりに何事が起りつつあるかを感ぜざるものの
194 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:58:57.36 ID:4uTcWgUe
ごとくに、ええ御子供衆の御慰みと云っては、達磨を膨らましている。宗助は一銭五厘出して、その風船
を一つ買って、しゅっと縮ましてもらって、それを袂たもとへ入れた。奇麗きれいな床屋へ行って、髪を
刈りたくなったが、どこにそんな奇麗なのがあるか、ちょっと見つからないうちに、日が限かぎって来た
ので、また電車へ乗って、宅うちの方へ向った。
 宗助が電車の終点まで来て、運転手に切符を渡した時には、もう空の色が光を失いかけて、湿った往来
に、暗い影が射さし募つのる頃であった。降りようとして、鉄の柱を握ったら、急に寒い心持がした。い
っしょに降りた人は、皆みんな離れ離れになって、事あり気に忙がしく歩いて行く。町のはずれを見ると
、左右の家の軒から家根やねへかけて、仄白ほのしろい煙りが大気の中に動いているように見える。宗助
も樹きの多い方角に向いて早足に歩を移した。今日の日曜も、暢のんびりした御天気も、もうすでにおし
まいだと思うと、少しはかないようなまた淋さみしいような一種の気分が起って来た。そうして明日あし
たからまた例によって例のごとく、せっせと働らかなくてはならない身体からだだと考えると、今日半日
の生活が急に惜しくなって、残る六日半むいかはんの非精神的な行動が、いかにもつまらなく感ぜられた
。歩いているうちにも、日当の悪い、窓の乏しい、大きな部屋の模様や、隣りに坐すわっている同僚の顔
や、野中さんちょっとと云う上官の様子ばかりが眼に浮かんだ。
 魚勝と云う肴屋さかなやの前を通り越して、その五六軒先の露次ろじとも横丁ともつかない所を曲ると
、行き当りが高い崖がけで、その左右に四五軒同じ構かまえの貸家が並んでいる。ついこの間までは疎ま
ばらな杉垣の奥に、御家人ごけにんでも住み古したと思われる、物寂ものさびた家も一つ地所のうちに混
まじっていたが、崖の上の坂井さかいという人がここを買ってから、たちまち萱葺かやぶきを壊して、杉
垣を引き抜いて、今のような新らしい普請ふしんに建て易かえてしまった。宗助の家うちは横丁を突き当
って、一番奥の左側で、すぐの崖下だから、多少陰気ではあるが、その代り通りからはもっとも隔ってい
るだけに、まあ幾分か閑静だろうと云うので、細君と相談の上、とくにそこを択えらんだのである。
 宗助は七日なのかに一返の日曜ももう暮れかかったので、早く湯にでも入いって、暇があったら髪でも
刈って、そうして緩ゆっくり晩食ばんめしを食おうと思って、急いで格子こうしを開けた。台所の方で皿
小鉢さらこばちの音がする。上がろうとする拍子ひょうしに、小六ころくの脱ぬぎ棄すてた下駄げたの上
へ、気がつかずに足を乗せた。曲こごんで位置を調ととのえているところへ小六が出て来た。台所の方で
御米およねが、
「誰? 兄さん?」と聞いた。宗助は、
「やあ、来ていたのか」と云いながら座敷へ上った。先刻さっき郵便を出してから、神田を散歩して、電
車を降りて家へ帰るまで、宗助の頭には小六の小の字も閃ひらめかなかった。宗助は小六の顔を見た時、
何となく悪い事でもしたようにきまりが好くなかった。
「御米、御米」と細君を台所から呼んで、
「小六が来たから、何か御馳走ごちそうでもするが好い」と云いつけた。細君は、忙がしそうに、台所の
障子しょうじを開け放したまま出て来て、座敷の入口に立っていたが、この分り切った注意を聞くや否や

「ええ今直じき」と云ったなり、引き返そうとしたが、また戻って来て、
「その代り小六さん、憚はばかり様さま。座敷の戸を閉たてて、洋灯ランプを点つけてちょうだい。今私
わたしも清きよも手が放せないところだから」と依頼たのんだ。小六は簡単に、
「はあ」と云って立ち上がった。
 勝手では清が物を刻む音がする。湯か水をざあと流しへ空あける音がする。「奥様これはどちらへ移し
ます」と云う声がする。「姉さん、ランプの心しんを剪きる鋏はさみはどこにあるんですか」と云う小六
の声がする。しゅうと湯が沸たぎって七輪しちりんの火へかかった様子である。
 宗助は暗い座敷の中で黙然もくねんと手焙てあぶりへ手を翳かざしていた。灰の上に出た火の塊かたま
りだけが色づいて赤く見えた。その時裏の崖がけの上の家主やぬしの家の御嬢さんがピヤノを鳴らし出し
た。宗助は思い出したように立ち上がって、座敷の雨戸を引きに縁側えんがわへ出た。孟宗竹もうそうち
くが薄黒く空の色を乱す上に、一つ二つの星が燦きらめいた。ピヤノの音ねは孟宗竹の後うしろから響い
た。
195 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:59:09.35 ID:4uTcWgUe


 宗助そうすけと小六ころくが手拭てぬぐいを下げて、風呂ふろから帰って来た時は、座敷の真中に真四
角な食卓を据すえて、御米およねの手料理が手際てぎわよくその上に並べてあった。手焙てあぶりの火も
出がけよりは濃い色に燃えていた。洋灯ランプも明るかった。
 宗助が机の前の座蒲団ざぶとんを引き寄せて、その上に楽々らくらくと胡坐あぐらを掻かいた時、手拭
と石鹸シャボンを受取った御米は、
「好い御湯だった事?」と聞いた。宗助はただ一言ひとこと、
「うん」と答えただけであったが、その様子は素気そっけないと云うよりも、むしろ湯上りで、精神が弛
緩しかんした気味に見えた。
「なかなか好い湯でした」と小六が御米の方を見て調子を合せた。
「しかしああ込んじゃ溜たまらないよ」と宗助が机の端はじへ肱ひじを持たせながら、倦怠けたるそうに
云った。宗助が風呂に行くのは、いつでも役所が退ひけて、家うちへ帰ってからの事だから、ちょうど人
の立て込む夕食前ゆうめしまえの黄昏たそがれである。彼はこの二三カ月間ついぞ、日の光に透すかして
湯の色を眺ながめた事がない。それならまだしもだが、ややともすると三日も四日もまるで銭湯の敷居を
跨またがずに過してしまう。日曜になったら、朝早く起きて何よりも第一に奇麗きれいな湯に首だけ浸つ
かってみようと、常は考えているが、さてその日曜が来て見ると、たまに悠ゆっくり寝られるのは、今日
ばかりじゃないかと云う気になって、つい床のうちでぐずぐずしているうちに、時間が遠慮なく過ぎて、
ええ面倒だ、今日はやめにして、その代り今度こんだの日曜に行こうと思い直すのが、ほとんど惰性のよ
うになっている。
「どうかして、朝湯にだけは行きたいね」と宗助が云った。
「その癖朝湯に行ける日は、きっと寝坊ねぼうなさるのね」と細君は調戯からかうような口調であった。
小六は腹の中でこれが兄の性来うまれつきの弱点であると思い込んでいた。彼は自分で学校生活をしてい
るにもかかわらず、兄の日曜が、いかに兄にとって貴たっといかを会得えとくできなかった。六日間の暗
い精神作用を、ただこの一日で暖かに回復すべく、兄は多くの希望を二十四時間のうちに投げ込んでいる
。だからやりたい事があり過ぎて、十の二三も実行できない。否、その二三にしろ進んで実行にかかると
、かえってそのために費やす時間の方が惜しくなって来て、ついまた手を引込めて、じっとしているうち
に日曜はいつか暮れてしまうのである。自分の気晴しや保養や、娯楽もしくは好尚こうしょうについてで
すら、かように節倹しなければならない境遇にある宗助が、小六のために尽さないのは、尽さないのでは
ない、頭に尽す余裕よゆうのないのだとは、小六から見ると、どうしても受取れなかった。兄はただ手前
勝手な男で、暇があればぶらぶらして細君と遊んでばかりいて、いっこう頼りにも力にもなってくれない
、真底は情合じょうあいに薄い人だぐらいに考えていた。
 けれども、小六がそう感じ出したのは、つい近頃の事で、実を云うと、佐伯との交渉が始まって以来の
話である。年の若いだけ、すべてに性急な小六は、兄に頼めば今日明日きょうあすにも方かたがつくもの
と、思い込んでいたのに、何日いつまでも埒らちが明かないのみか、まだ先方へ出かけてもくれないので
、だいぶ不平になったのである。
 ところが今日帰りを待ち受けて逢あって見ると、そこが兄弟で、別に御世辞も使わないうちに、どこか
暖味あたたかみのある仕打も見えるので、つい云いたい事も後廻しにして、いっしょに湯になんぞ這入は
いって、穏やかに打ち解けて話せるようになって来た。
 兄弟は寛くつろいで膳ぜんについた。御米も遠慮なく食卓の一隅ひとすみを領りょうした。宗助も小六
も猪口ちょくを二三杯ずつ干した。飯にかかる前に、宗助は笑いながら、
「うん、面白いものが有ったっけ」と云いながら、袂たもとから買って来た護謨風船ゴムふうせんの達磨
だるまを出して、大きく膨ふくらませて見せた。そうして、それを椀わんの葢ふたの上へ載のせて、その
特色を説明して聞かせた。御米も小六も面白がって、ふわふわした玉を見ていた。しまいに小六が、ふう
っと吹いたら達磨は膳ぜんの上から畳の上へ落ちた。それでも、まだ覆かえらなかった。
「それ御覧」と宗助が云った。
 御米は女だけに声を出して笑ったが、御櫃おはちの葢ふたを開けて、夫の飯を盛よそいながら、
196 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:59:21.46 ID:4uTcWgUe
「兄さんも随分呑気のんきね」と小六の方を向いて、半ば夫を弁護するように云った。宗助は細君から茶
碗を受取って、一言ひとことの弁解もなく食事を始めた。小六も正式に箸はしを取り上げた。
 達磨はそれぎり話題に上のぼらなかったが、これが緒いとくちになって、三人は飯の済むまで無邪気に
長閑のどかな話をつづけた。しまいに小六が気を換えて、
「時に伊藤さんもとんだ事になりましたね」と云い出した。宗助は五六日前伊藤公暗殺の号外を見たとき
、御米の働いている台所へ出て来て、「おい大変だ、伊藤さんが殺された」と云って、手に持った号外を
御米のエプロンの上に乗せたなり書斎へ這入はいったが、その語気からいうと、むしろ落ちついたもので
あった。
「あなた大変だって云う癖に、ちっとも大変らしい声じゃなくってよ」と御米が後あとから冗談じょうだ
ん半分にわざわざ注意したくらいである。その後日ごとの新聞に伊藤公の事が五六段ずつ出ない事はない
が、宗助はそれに目を通しているんだか、いないんだか分らないほど、暗殺事件については平気に見えた
。夜帰って来て、御米が飯の御給仕をするときなどに、「今日も伊藤さんの事が何か出ていて」と聞く事
があるが、その時には「うんだいぶ出ている」と答えるぐらいだから、夫の隠袋かくしの中に畳んである
今朝の読殻よみがらを、後あとから出して読んで見ないと、その日の記事は分らなかった。御米もつまり
は夫が帰宅後の会話の材料として、伊藤公を引合に出すぐらいのところだから、宗助が進まない方向へは
、たって話を引張りたくはなかった。それでこの二人の間には、号外発行の当日以後、今夜小六がそれを
云い出したまでは、公おおやけには天下を動かしつつある問題も、格別の興味をもって迎えられていなか
ったのである。
「どうして、まあ殺されたんでしょう」と御米は号外を見たとき、宗助に聞いたと同じ事をまた小六に向
って聞いた。
「短銃ピストルをポンポン連発したのが命中めいちゅうしたんです」と小六は正直に答えた。
「だけどさ。どうして、まあ殺されたんでしょう」
 小六は要領を得ないような顔をしている。宗助は落ちついた調子で、
「やっぱり運命だなあ」と云って、茶碗の茶を旨うまそうに飲んだ。御米はこれでも納得なっとくができ
なかったと見えて、
「どうしてまた満洲まんしゅうなどへ行ったんでしょう」と聞いた。
「本当にな」と宗助は腹が張って充分物足りた様子であった。
「何でも露西亜ロシアに秘密な用があったんだそうです」と小六が真面目まじめな顔をして云った。御米
は、
「そう。でも厭いやねえ。殺されちゃ」と云った。
「おれみたような腰弁こしべんは、殺されちゃ厭だが、伊藤さんみたような人は、哈爾賓ハルピンへ行っ
て殺される方がいいんだよ」と宗助が始めて調子づいた口を利きいた。
「あら、なぜ」
「なぜって伊藤さんは殺されたから、歴史的に偉い人になれるのさ。ただ死んで御覧、こうはいかないよ

「なるほどそんなものかも知れないな」と小六は少し感服したようだったが、やがて、
「とにかく満洲だの、哈爾賓だのって物騒な所ですね。僕は何だか危険なような心持がしてならない」と
云った。
「そりゃ、色んな人が落ち合ってるからね」
 この時御米は妙な顔をして、こう答えた夫の顔を見た。宗助もそれに気がついたらしく、
「さあ、もう御膳おぜんを下げたら好かろう」と細君を促うながして、先刻さっきの達磨だるまをまた畳
の上から取って、人指指ひとさしゆびの先へ載のせながら、
「どうも妙だよ。よくこう調子好くできるものだと思ってね」と云っていた。
 台所から清きよが出て来て、食い散らした皿小鉢さらこばちを食卓ごと引いて行った後で、御米も茶を
入れ替えるために、次の間へ立ったから、兄弟は差向いになった。
「ああ奇麗きれいになった。どうも食った後は汚ないものでね」と宗助は全く食卓に未練のない顔をした
。勝手の方で清がしきりに笑っている。
197 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:59:33.46 ID:4uTcWgUe
「何がそんなにおかしいの、清」と御米が障子越しょうじごしに話しかける声が聞えた。清はへえと云っ
てなお笑い出した。兄弟は何にも云わず、半なかば下女の笑い声に耳を傾けていた。
 しばらくして、御米が菓子皿と茶盆を両手に持って、また出て来た。藤蔓ふじづるの着いた大きな急須
きゅうすから、胃にも頭にも応こたえない番茶を、湯呑ゆのみほどな大きな茶碗ちゃわんに注ついで、両
人ふたりの前へ置いた。
「何だって、あんなに笑うんだい」と夫が聞いた。けれども御米の顔は見ずにかえって菓子皿の中を覗の
ぞいていた。
「あなたがあんな玩具おもちゃを買って来て、面白そうに指の先へ乗せていらっしゃるからよ。子供もな
い癖に」
 宗助は意にも留めないように、軽く「そうか」と云ったが、後あとから緩ゆっくり、
「これでも元は子供があったんだがね」と、さも自分で自分の言葉を味わっている風につけ足して、生温
なまぬるい眼を挙げて細君を見た。御米はぴたりと黙ってしまった。
「あなた御菓子食べなくって」と、しばらくしてから小六の方へ向いて話し掛けたが、
「ええ食べます」と云う小六の返事を聞き流して、ついと茶の間へ立って行った。兄弟はまた差向いにな
った。
 電車の終点から歩くと二十分近くもかかる山の手の奥だけあって、まだ宵よいの口くちだけれども、四
隣あたりは存外静かである。時々表を通る薄歯の下駄の響が冴さえて、夜寒よさむがしだいに増して来る
。宗助は懐手ふところでをして、
「昼間は暖あったかいが、夜になると急に寒くなるね。寄宿じゃもう蒸汽スチームを通しているかい」と
聞いた。
「いえ、まだです。学校じゃよっぽど寒くならなくっちゃ、蒸汽なんか焚たきゃしません」
「そうかい。それじゃ寒いだろう」
「ええ。しかし寒いくらいどうでも構わないつもりですが」と云ったまま、小六はすこし云い淀よどんで
いたが、しまいにとうとう思い切って、
「兄さん、佐伯さえきの方はいったいどうなるんでしょう。先刻さっき姉さんから聞いたら、今日手紙を
出して下すったそうですが」
「ああ出した。二三日中に何とか云って来るだろう。その上でまたおれが行くともどうともしようよ」
 小六は兄の平気な態度を、心の中うちでは飽足らず眺ながめた。しかし宗助の様子にどこと云って、他
ひとを激させるような鋭するどいところも、自みずからを庇護かばうような卑いやしい点もないので、喰
くってかかる勇気はさらに出なかった。ただ
「じゃ今日きょうまであのままにしてあったんですか」と単に事実を確めた。
「うん、実は済まないがあのままだ。手紙も今日やっとの事で書いたくらいだ。どうも仕方がないよ。近
頃神経衰弱でね」と真面目まじめに云う。小六は苦笑した。
「もし駄目なら、僕は学校をやめて、いっそ今のうち、満洲か朝鮮へでも行こうかと思ってるんです」
「満洲か朝鮮? ひどくまた思い切ったもんだね。だって、御前先刻さっき満洲は物騒で厭いやだって云
ったじゃないか」
 用談はこんなところに往ったり来たりして、ついに要領を得なかった。しまいに宗助が、
「まあ、好いや、そう心配しないでも、どうかなるよ。何しろ返事の来しだい、おれがすぐ知らせてやる
。その上でまた相談するとしよう」と云ったので、談話はなしに区切がついた。
 小六が帰りがけに茶の間を覗のぞいたら、御米は何にもしずに、長火鉢ながひばちに倚よりかかってい
た。
「姉さん、さようなら」と声を掛けたら、「おや御帰り」と云いながらようやく立って来た。



 小六ころくの苦くにしていた佐伯さえきからは、予期の通り二三日して返事があったが、それは極きわ
めて簡単なもので、端書はがきでも用の足りるところを、鄭重ていちょうに封筒へ入れて三銭の切手を貼
198 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:59:45.39 ID:4uTcWgUe
はった、叔母の自筆に過ぎなかった。
 役所から帰って、筒袖つつそでの仕事着を、窮屈そうに脱ぬぎ易かえて、火鉢ひばちの前へ坐すわるや
否や、抽出ひきだしから一寸ほどわざと余して差し込んであった状袋に眼が着いたので、御米およねの汲
んで出す番茶を一口呑のんだまま、宗助そうすけはすぐ封を切った。
「へえ、安やすさんは神戸へ行ったんだってね」と手紙を読みながら云った。
「いつ?」と御米は湯呑を夫の前に出した時の姿勢のままで聞いた。
「いつとも書いてないがね。何しろ遠からぬうちには帰京仕るべく候間と書いてあるから、もうじき帰っ
て来るんだろう」
「遠からぬうちなんて、やっぱり叔母さんね」
 宗助は御米の批評に、同意も不同意も表しなかった。読んだ手紙を巻き納めて、投げるようにそこへ放
り出して、四五日目になる、ざらざらした腮あごを、気味わるそうに撫なで廻した。
 御米はすぐその手紙を拾ったが、別に読もうともしなかった。それを膝ひざの上へ乗せたまま、夫の顔
を見て、
「遠からぬうちには帰京仕つかまつるべく候間、どうだって云うの」と聞いた。
「いずれ帰ったら、安之助やすのすけと相談して何とか御挨拶ごあいさつを致しますと云うのさ」
「遠からぬうちじゃ曖昧あいまいね。いつ帰るとも書いてなくって」
「いいや」
 御米は念のため、膝の上の手紙を始めて開いて見た。そうしてそれを元のように畳んで、
「ちょっとその状袋を」と手を夫おっとの方へ出した。宗助は自分と火鉢の間に挟まっている青い封筒を
取って細君に渡した。御米はそれをふっと吹いて、中を膨ふくらまして手紙を収めた。そうして台所へ立
った。
 宗助はそれぎり手紙の事には気を留めなかった。今日役所で同僚が、この間英吉利イギリスから来遊し
たキチナー元帥に、新橋の傍そばで逢あったと云う話を思い出して、ああ云う人間になると、世界中どこ
へ行っても、世間を騒がせるようにできているようだが、実際そういう風に生れついて来たものかも知れ
ない。自分の過去から引き摺ずってきた運命や、またその続きとして、これから自分の眼前に展開されべ
き[#「展開されべき」はママ]将来を取って、キチナーと云う人のそれに比べて見ると、とうてい同じ
人間とは思えないぐらい懸かけ隔へだたっている。
 こう考えて宗助はしきりに煙草たばこを吹かした。表は夕方から風が吹き出して、わざと遠くの方から
襲おそって来るような音がする。それが時々やむと、やんだ間は寂しんとして、吹き荒れる時よりはなお
淋さびしい。宗助は腕組をしながら、もうそろそろ火事の半鐘はんしょうが鳴り出す時節だと思った。
 台所へ出て見ると、細君は七輪しちりんの火を赤くして、肴さかなの切身を焼いていた。清きよは流し
元に曲こごんで漬物を洗っていた。二人とも口を利きかずにせっせと自分のやる事をやっている。宗助は
障子しょうじを開けたなり、しばらく肴から垂たる汁つゆか膏あぶらの音を聞いていたが、無言のままま
た障子を閉たてて元の座へ戻った。細君は眼さえ肴から離さなかった。
 食事を済まして、夫婦が火鉢を間あいに向い合った時、御米はまた
「佐伯の方は困るのね」と云い出した。
「まあ仕方がない。安さんが神戸から帰るまで待つよりほかに道はあるまい」
「その前にちょっと叔母さんに逢って話をしておいた方が好かなくって」
「そうさ。まあそのうち何とか云って来るだろう。それまで打遣うっちゃっておこうよ」
「小六さんが怒ってよ。よくって」と御米はわざと念を押しておいて微笑した。宗助は下眼を使って、手
に持った小楊枝こようじを着物の襟えりへ差した。
 中一日なかいちんち置いて、宗助はようやく佐伯からの返事を小六に知らせてやった。その時も手紙の
尻しりに、まあそのうちどうかなるだろうと云う意味を、例のごとく付け加えた。そうして当分はこの事
件について肩が抜けたように感じた。自然の経過なりゆきがまた窮屈に眼の前に押し寄せて来るまでは、
忘れている方が面倒がなくって好いぐらいな顔をして、毎日役所へ出てはまた役所から帰って来た。帰り
も遅いが、帰ってから出かけるなどという億劫おっくうな事は滅多めったになかった。客はほとんど来な
い。用のない時は清を十時前に寝ねかす事さえあった。夫婦は毎夜同じ火鉢の両側に向き合って、食後一
199 :
山師さん
2016/05/18(水) 16:59:57.39 ID:4uTcWgUe
時間ぐらい話をした。話の題目は彼らの生活状態に相応した程度のものであった。けれども米屋の払を、
この三十日みそかにはどうしたものだろうという、苦しい世帯話は、いまだかつて一度も彼らの口には上
らなかった。と云って、小説や文学の批評はもちろんの事、男と女の間を陽炎かげろうのように飛び廻る
、花やかな言葉のやりとりはほとんど聞かれなかった。彼らはそれほどの年輩でもないのに、もうそこを
通り抜けて、日ごとに地味になって行く人のようにも見えた。または最初から、色彩の薄い極きわめて通
俗の人間が、習慣的に夫婦の関係を結ぶために寄り合ったようにも見えた。
 上部うわべから見ると、夫婦ともそう物に屈托くったくする気色けしきはなかった。それは彼らが小六
の事に関して取った態度について見てもほぼ想像がつく。さすが女だけに御米は一二度、
「安さんは、まだ帰らないんでしょうかね。あなた今度こんだの日曜ぐらいに番町まで行って御覧なさら
なくって」と注意した事があるが、宗助は、
「うん、行っても好い」ぐらいな返事をするだけで、その行っても好い日曜が来ると、まるで忘れたよう
に済ましている。御米もそれを見て、責める様子もない。天気が好いと、
「ちと散歩でもしていらっしゃい」と云う。雨が降ったり、風が吹いたりすると、
「今日は日曜で仕合せね」と云う。
 幸にして小六はその後ご一度もやって来ない。この青年は、至って凝こり性しょうの神経質で、こうと
思うとどこまでも進んで来るところが、書生時代の宗助によく似ている代りに、ふと気が変ると、昨日き
のうの事はまるで忘れたように引っ繰り返って、けろりとした顔をしている。そこも兄弟だけあって、昔
の宗助にそのままである。それから、頭脳が比較的明暸めいりょうで、理路に感情を注つぎ込むのか、ま
たは感情に理窟りくつの枠わくを張るのか、どっちか分らないが、とにかく物に筋道を付けないと承知し
ないし、また一返いっぺん筋道が付くと、その筋道を生かさなくってはおかないように熱中したがる。そ
の上体質の割合に精力がつづくから、若い血気に任せて大抵の事はする。
 宗助は弟を見るたびに、昔の自分が再び蘇生そせいして、自分の眼の前に活動しているような気がして
ならなかった。時には、はらはらする事もあった。また苦々にがにがしく思う折もあった。そう云う場合
には、心のうちに、当時の自分が一図に振舞った苦い記憶を、できるだけしばしば呼び起させるために、
とくに天が小六を自分の眼の前に据すえ付けるのではなかろうかと思った。そうして非常に恐ろしくなっ
た。こいつもあるいはおれと同一の運命に陥おちいるために生れて来たのではなかろうかと考えると、今
度は大いに心がかりになった。時によると心がかりよりは不愉快であった。
 けれども、今日こんにちまで宗助は、小六に対して意見がましい事を云った事もなければ、将来につい
て注意を与えた事もなかった。彼の弟に対する待遇方ほうはただ普通凡庸ぼんようのものであった。彼の
今の生活が、彼のような過去を有っている人とは思えないほどに、沈んでいるごとく、彼の弟を取り扱う
様子にも、過去と名のつくほどの経験を有もった年長者の素振そぶりは容易に出なかった。
 宗助と小六の間には、まだ二人ほど男の子が挟はさまっていたが、いずれも早世そうせいしてしまった
ので、兄弟とは云いながら、年は十とおばかり違っている。その上宗助はある事情のために、一年の時京
都へ転学したから、朝夕ちょうせきいっしょに生活していたのは、小六の十二三の時までである。宗助は
剛情ごうじょうな聴きかぬ気の腕白小僧としての小六をいまだに記憶している。その時分は父も生きてい
たし、家うちの都合も悪くはなかったので、抱車夫かかえしゃふを邸内の長屋に住まわして、楽に暮して
いた。この車夫に小六よりは三つほど年下の子供があって、始終しじゅう小六の御相手をして遊んでいた
。ある夏の日盛りに、二人して、長い竿さおのさきへ菓子袋を括くくり付けて、大きな柿の木の下で蝉せ
みの捕りくらをしているのを、宗助が見て、兼坊けんぼうそんなに頭を日に照らしつけると霍乱かくらん
になるよ、さあこれを被かぶれと云って、小六の古い夏帽を出してやった。すると、小六は自分の所有物
を兄が無断で他ひとにくれてやったのが、癪しゃくに障さわったので、突然いきなり兼坊の受取った帽子
を引ったくって、それを地面の上へ抛なげつけるや否や、馳かけ上がるようにその上へ乗って、くしゃり
と麦藁帽むぎわらぼうを踏み潰つぶしてしまった。宗助は縁から跣足はだしで飛んで下りて、小六の頭を
200 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:00:09.45 ID:4uTcWgUe
擲なぐりつけた。その時から、宗助の眼には、小六が小悪こにくらしい小僧として映った。
 二年の時宗助は大学を去らなければならない事になった。東京の家うちへも帰かえれない事になった。
京都からすぐ広島へ行って、そこに半年ばかり暮らしているうちに父が死んだ。母は父よりも六年ほど前
に死んでいた。だから後には二十五六になる妾めかけと、十六になる小六が残っただけであった。
 佐伯から電報を受け取って、久しぶりに出京した宗助は、葬式を済ました上、家うちの始末をつけよう
と思ってだんだん調べて見ると、あると思った財産は案外に少なくって、かえって無いつもりの借金がだ
いぶあったに驚ろかされた。叔父の佐伯に相談すると、仕方がないから邸やしきを売るが好かろうと云う
話であった。妾めかけは相当の金をやってすぐ暇を出す事にきめた。小六は当分叔父の家に引き取って世
話をして貰もらう事にした。しかし肝心かんじんの家屋敷はすぐ右から左へと売れる訳わけには行かなか
った。仕方がないから、叔父に一時の工面くめんを頼んで、当座の片をつけて貰った。叔父は事業家でい
ろいろな事に手を出しては失敗する、云わば山気やまぎの多い男であった。宗助が東京にいる時分も、よ
く宗助の父を説きつけては、旨うまい事を云って金を引き出したものである。宗助の父にも慾があったか
も知れないが、この伝でんで叔父の事業に注つぎ込んだ金高はけっして少ないものではなかった。
 父の亡くなったこの際にも、叔父の都合は元と余り変っていない様子であったが、生前の義理もあるし
、またこう云う男の常として、いざと云う場合には比較的融通のつくものと見えて、叔父は快よく整理を
引き受けてくれた。その代り宗助は自分の家屋敷の売却方についていっさいの事を叔父に一任してしまっ
た。早く云うと、急場の金策に対する報酬として土地家屋を提供したようなものである。叔父は、
「何しろ、こう云うものは買手を見て売らないと損だからね」と云った。
 道具類も積せきばかり取って、金目にならないものは、ことごとく売り払ったが、五六幅の掛物と十二
三点の骨董品こっとうひんだけは、やはり気長に欲しがる人を探さがさないと損だと云う叔父の意見に同
意して、叔父に保管を頼む事にした。すべてを差し引いて手元に残った有金は、約二千円ほどのものであ
ったが、宗助はそのうちの幾分を、小六の学資として、使わなければならないと気がついた。しかし月々
自分の方から送るとすると、今日こんにちの位置が堅固でない当時、はなはだ実行しにくい結果に陥おち
いりそうなので、苦しくはあったが、思い切って、半分だけを叔父に渡して、何分宜よろしくと頼んだ。
自分が中途で失敗しくじったから、せめて弟だけは物にしてやりたい気もあるので、この千円が尽きたあ
とは、またどうにか心配もできようしまたしてくれるだろうぐらいの不慥ふたしかな希望を残して、また
広島へ帰って行った。
 それから半年ばかりして、叔父の自筆で、家はとうとう売れたから安心しろと云う手紙が来たが、いく
らに売れたとも何とも書いてないので、折り返して聞き合せると、二週間ほど経たっての返事に、優に例
の立替を償つぐなうに足る金額だから心配しなくても好いとあった。宗助はこの返事に対して少なからず
不満を感じたには感じたが、同じ書信の中に、委細はいずれ御面会の節云々とあったので、すぐにも東京
へ行きたいような気がして、実はこうこうだがと、相談半分細君に話して見ると、御米は気の毒そうな顔
をして、
「でも、行けないんだから、仕方がないわね」と云って、例のごとく微笑した。その時宗助は始めて細君
から宣告を受けた人のように、しばらく腕組をして考えたが、どう工夫したって、抜ける事のできないよ
うな位地いちと事情の下もとに束縛そくばくされていたので、ついそれなりになってしまった。
 仕方がないから、なお三四回書面で往復を重ねて見たが、結果はいつも同じ事で、版行はんこうで押し
たようにいずれ御面会の節を繰り返して来るだけであった。
「これじゃしようがないよ」と宗助は腹が立ったような顔をして御米を見た。三カ月ばかりして、ようや
く都合がついたので、久し振りに御米を連れて、出京しようと思う矢先に、つい風邪かぜを引いて寝ねた
のが元で、腸窒扶斯ちょうチフスに変化したため、六十日余りを床の上に暮らした上に、あとの三十日ほ
どは充分仕事もできないくらい衰えてしまった。
 病気が本復してから間もなく、宗助はまた広島を去って福岡の方へ移らなければならない身となった。
移る前に、好い機会だからちょっと東京まで出たいものだと考えているうちに、今度もいろいろの事情に
201 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:00:21.46 ID:4uTcWgUe
制せられて、ついそれも遂行すいこうせずに、やはり下り列車の走る方かたに自己の運命を托した。その
頃は東京の家を畳むとき、懐ふところにして出た金は、ほとんど使い果たしていた。彼の福岡生活は前後
二年を通じて、なかなかの苦闘であった。彼は書生として京都にいる時分、種々の口実の下もとに、父か
ら臨時随意に多額の学資を請求して、勝手しだいに消費した昔をよく思い出して、今の身分と比較しつつ
、しきりに因果いんがの束縛を恐れた。ある時はひそかに過ぎた春を回顧して、あれが己おれの栄華の頂
点だったんだと、始めて醒さめた眼に遠い霞かすみを眺ながめる事もあった。いよいよ苦しくなった時、
「御米、久しく放っておいたが、また東京へ掛合かけあってみようかな」と云い出した。御米は無論逆さ
からいはしなかった。ただ下を向いて、
「駄目よ。だって、叔父さんに全く信用がないんですもの」と心細そうに答えた。
「向うじゃこっちに信用がないかも知れないが、こっちじゃまた向うに信用がないんだ」と宗助は威張っ
て云い出したが、御米の俯目ふしめになっている様子を見ると、急に勇気が挫くじける風に見えた。こん
な問答を最初は月に一二返ぐらい繰り返していたが、後のちには二月ふたつきに一返になり、三月みつき
に一返になり、とうとう、
「好いいや、小六さえどうかしてくれれば。あとの事はいずれ東京へ出たら、逢あった上で話をつけらあ
。ねえ御米、そうすると、しようじゃないか」と云い出した。
「それで、好よござんすとも」と御米は答えた。
 宗助は佐伯の事をそれなり放ってしまった。単なる無心は、自分の過去に対しても、叔父に向って云い
出せるものでないと、宗助は考えていた。したがってその方の談判は、始めからいまだかつて筆にした事
がなかった。小六からは時々手紙が来たが、極きわめて短かい形式的のものが多かった。宗助は父の死ん
だ時、東京で逢った小六を覚えているだけだから、いまだに小六を他愛たわいない小供ぐらいに想像する
ので、自分の代理に叔父と交渉させようなどと云う気は無論起らなかった。
 夫婦は世の中の日の目を見ないものが、寒さに堪たえかねて、抱き合って暖だんを取るような具合に、
御互同志を頼りとして暮らしていた。苦しい時には、御米がいつでも、宗助に、
「でも仕方がないわ」と云った。宗助は御米に、
「まあ我慢するさ」と云った。
 二人の間には諦あきらめとか、忍耐とか云うものが断えず動いていたが、未来とか希望と云うものの影
はほとんど射さないように見えた。彼らは余り多く過去を語らなかった。時としては申し合わせたように
、それを回避する風さえあった。御米が時として、
「そのうちにはまたきっと好い事があってよ。そうそう悪い事ばかり続くものじゃないから」と夫おっと
を慰さめるように云う事があった。すると、宗助にはそれが、真心まごころある妻さいの口を藉かりて、
自分を翻弄ほんろうする運命の毒舌のごとくに感ぜられた。宗助はそう云う場合には何にも答えずにただ
苦笑するだけであった。御米がそれでも気がつかずに、なにか云い続けると、
「我々は、そんな好い事を予期する権利のない人間じゃないか」と思い切って投げ出してしまう。細君は
ようやく気がついて口を噤つぐんでしまう。そうして二人が黙って向き合っていると、いつの間にか、自
分達は自分達の拵こしらえた、過去という暗い大きな窖あなの中に落ちている。
 彼らは自業自得じごうじとくで、彼らの未来を塗抹とまつした。だから歩いている先の方には、花やか
な色彩を認める事ができないものと諦あきらめて、ただ二人手を携たずさえて行く気になった。叔父の売
り払ったと云う地面家作についても、固もとより多くの期待は持っていなかった。時々考え出したように

「だって、近頃の相場なら、捨売すてうりにしたって、あの時叔父の拵らえてくれた金の倍にはなるんだ
もの。あんまり馬鹿馬鹿しいからね」と宗助が云い出すと、御米は淋さみしそうに笑って、
「また地面? いつまでもあの事ばかり考えていらっしゃるのね。だって、あなたが万事宜よろしく願い
ますと、叔父さんにおっしゃったんでしょう」と云う。
「そりゃ仕方がないさ。あの場合ああでもしなければ方ほうがつかないんだもの」と宗助が云う。
「だからさ。叔父さんの方では、御金の代りに家うちと地面を貰ったつもりでいらっしゃるかも知れなく
ってよ」と御米が云う。
 そう云われると、宗助も叔父の処置に一理あるようにも思われて、口では、
202 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:00:33.44 ID:4uTcWgUe
「そのつもりが好くないじゃないか」と答弁するようなものの、この問題はその都度つどしだいしだいに
背景の奥に遠ざかって行くのであった。
 夫婦がこんな風に淋しく睦むつまじく暮らして来た二年目の末に、宗助はもとの同級生で、学生時代に
は大変懇意であった杉原と云う男に偶然出逢った。杉原は卒業後高等文官試験に合格して、その時すでに
或省に奉職していたのだが、公務上福岡と佐賀へ出張することになって、東京からわざわざやって来たの
である。宗助は所の新聞で、杉原のいつ着いて、どこに泊っているかをよく知ってはいたが、失敗者とし
ての自分に顧かえりみて、成効者せいこうしゃの前に頭を下げる対照を恥ずかしく思った上に、自分は在
学当時の旧友に逢うのを、特に避けたい理由を持っていたので、彼の旅館を訪ねる気は毛頭なかった。
 ところが杉原の方では、妙な引掛りから、宗助のここに燻くすぶっている事を聞き出して、強しいて面
会を希望するので、宗助もやむを得ず我がを折った。宗助が福岡から東京へ移れるようになったのは、全
くこの杉原の御蔭おかげである。杉原から手紙が来て、いよいよ事がきまったとき、宗助は箸はしを置い
て、
「御米、とうとう東京へ行けるよ」と云った。
「まあ結構ね」と御米が夫の顔を見た。
 東京に着いてから二三週間は、眼の回まわるように日が経たった。新らしく世帯を有もって、新らしい
仕事を始める人に、あり勝ちな急忙せわしなさと、自分達を包む大都の空気の、日夜劇はげしく震盪しん
とうする刺戟しげきとに駆かられて、何事をもじっと考える閑ひまもなく、また落ちついて手を下くだす
分別も出なかった。
 夜汽車で新橋へ着いた時は、久しぶりに叔父夫婦の顔を見たが、夫婦とも灯ひのせいか晴れやかな色に
は宗助の眼に映らなかった。途中に事故があって、着ちゃくの時間が珍らしく三十分ほど後れたのを、宗
助の過失ででもあるかのように、待草臥まちくたびれた気色けしきであった。
 宗助がこの時叔母から聞いた言葉は、
「おや宗そうさん、しばらく御目に掛かからないうちに、大変御老おふけなすった事」という一句であっ
た。御米はその折おり始めて叔父夫婦に紹介された。
「これがあの……」と叔母は逡巡ためらって宗助の方を見た。御米は何と挨拶あいさつのしようもないの
で、無言のままただ頭を下げた。
 小六も無論叔父夫婦と共に二人を迎いに来ていた。宗助は一眼その姿を見たとき、いつの間にか自分を
凌しのぐように大きくなった、弟の発育に驚ろかされた。小六はその時中学を出て、これから高等学校へ
這入はいろうという間際まぎわであった。宗助を見て、「兄さん」とも「御帰りなさい」とも云わないで
、ただ不器用に挨拶をした。
 宗助と御米は一週ばかり宿屋住居ずまいをして、それから今の所に引き移った。その時は叔父夫婦がい
ろいろ世話を焼いてくれた。細々こまごましい台所道具のようなものは買うまでもあるまい、古いのでよ
ければと云うので、小人数に必要なだけ一通り取り揃そろえて送って来た。その上、
「御前も新世帯だから、さぞ物要ものいりが多かろう」と云って金を六十円くれた。
 家うちを持ってかれこれ取り紛まぎれているうちに、早はや半月余よも経ったが、地方にいる時分あん
なに気にしていた家邸いえやしきの事は、ついまだ叔父に言い出さずにいた。ある時御米が、
「あなたあの事を叔父さんにおっしゃって」と聞いた。宗助はそれで急に思い出したように、
「うん、まだ云わないよ」と答えた。
「妙ね、あれほど気にしていらしったのに」と御米がうす笑をした。
「だって、落ちついて、そんな事を云い出す暇ひまがないんだもの」と宗助が弁解した。
 また十日ほど経たった。すると今度こんだは宗助の方から、
「御米、あの事はまだ云わないよ。どうも云うのが面倒で厭いやになった」と云い出した。
「厭なのを無理におっしゃらなくってもいいわ」と御米が答えた。
「好いかい」と宗助が聞き返した。
「好いかいって、もともとあなたの事じゃなくって。私は先せんからどうでも好いんだわ」と御米が答え
た。
 その時宗助は、
203 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:00:45.49 ID:4uTcWgUe
「じゃ、鹿爪しかつめらしく云い出すのも何だか妙だから、そのうち機会おりがあったら、聞くとしよう
。なにそのうち聞いて見る機会おりがきっと出て来るよ」と云って延ばしてしまった。
 小六は何不足なく叔父の家に寝起ねおきしていた。試験を受けて高等学校へ這入はいれれば、寄宿へ入
舎しなければならないと云うので、その相談まですでに叔父と打合せがしてあるようであった。新らしく
出京した兄からは別段学資の世話を受けないせいか、自分の身の上については叔父ほどに親しい相談も持
ち込んで来なかった。従兄弟いとこの安之助とは今までの関係上大変仲が好かった。かえってこの方が兄
弟らしかった。
 宗助は自然叔父の家うちに足が遠くなるようになった。たまに行っても、義理一遍の訪問に終る事が多
いので、帰り路にはいつもつまらない気がしてならなかった。しまいには時候の挨拶あいさつを済ますと
、すぐ帰りたくなる事もあった。こう云う時には三十分と坐すわって、世間話に時間を繋つなぐのにさえ
骨が折れた。向うでも何だか気が置けて窮屈だと云う風が見えた。
「まあいいじゃありませんか」と叔母が留めてくれるのが例であるが、そうすると、なおさらいにくい心
持がした。それでも、たまには行かないと、心のうちで気が咎とがめるような不安を感ずるので、また行
くようになった。折々は、
「どうも小六が御厄介ごやっかいになりまして」とこっちから頭を下げて礼を云う事もあった。けれども
、それ以上は、弟の将来の学資についても、また自分が叔父に頼んで、留守中に売り払って貰もらった地
所家作についても、口を切るのがつい面倒になった。しかし宗助が興味を有もたない叔父の所へ、不精無
精ふしょうぶしょうにせよ、時たま出掛けて行くのは、単に叔父甥おいの血属関係を、世間並に持ち堪こ
たえるための義務心からではなくって、いつか機会があったら、片をつけたい或物を胸の奥に控えていた
結果に過ぎないのは明かであった。
「宗さんはどうもすっかり変っちまいましたね」と叔母が叔父に話す事があった。すると叔父は、
「そうよなあ。やっぱり、ああ云う事があると、永ながくまで後あとへ響くものだからな」と答えて、因
果いんがは恐ろしいと云う風をする。叔母は重ねて、
「本当に、怖こわいもんですね。元はあんな寝入ねいった子こじゃなかったが――どうもはしゃぎ過ぎる
くらい活溌かっぱつでしたからね。それが二三年見ないうちに、まるで別の人みたように老ふけちまって
。今じゃあなたより御爺おじいさん御爺さんしていますよ」と云う。
「真逆まさか」と叔父がまた答える。
「いえ、頭や顔は別として、様子がさ」と叔母がまた弁解する。
 こんな会話が老夫婦の間に取り換わされたのは、宗助が出京して以来一度や二度ではなかった。実際彼
は叔父の所へ来ると、老人の眼に映る通りの人間に見えた。
 御米はどう云うものか、新橋へ着いた時、老人夫婦に紹介されたぎり、かつて叔父の家の敷居を跨また
いだ事がない。むこうから見えれば叔父さん叔母さんと丁寧ていねいに接待するが、帰りがけに、
「どうです、ちと御出かけなすっちゃ」などと云われると、ただ、
「ありがとう」と頭を下げるだけで、ついぞ出掛けた試ためしはなかった。さすがの宗助さえ一度は、
「叔父さんの所へ一度行って見ちゃ、どうだい」と勧すすめた事があるが、
「でも」と変な顔をするので、宗助はそれぎりけっしてその事を云い出さなかった。
 両家族はこの状態で約一年ばかりを送った。すると宗助よりも気分は若いと許された叔父が突然死んだ
。病症は脊髄脳膜炎せきずいのうまくえんとかいう劇症げきしょうで、二三日風邪かぜの気味で寝ねてい
たが、便所へ行った帰りに、手を洗おうとして、柄杓ひしゃくを持ったまま卒倒したなり、一日いちんち
経たつか経たないうちに冷たくなってしまったのである。
「御米、叔父はとうとう話をしずに死んでしまったよ」と宗助が云った。
「あなたまだ、あの事を聞くつもりだったの、あなたも随分執念深しゅうねんぶかいのね」と御米が云っ
た。
 それからまた一年ばかり経ったら、叔父の子の安之助が大学を卒業して、小六が高等学校の二年生にな
った。叔母は安之助といっしょに中六番町に引き移った。
 三年目の夏休みに小六は房州の海水浴へ行った。そこに一月余りも滞在しているうちに九月になり掛け
たので、保田ほたから向うへ突切つっきって、上総かずさの海岸を九十九里伝いに、銚子ちょうしまで来
204 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:00:57.44 ID:4uTcWgUe
たが、そこから思い出したように東京へ帰った。宗助の所へ見えたのは、帰ってから、まだ二三日しか立
たない、残暑の強い午後である。真黒に焦こげた顔の中に、眼だけ光らして、見違えるように蛮色ばんし
ょくを帯びた彼は、比較的日の遠い座敷へ這入はいったなり横になって、兄の帰りを待ち受けていたが、
宗助の顔を見るや否や、むっくり起き上がって、
「兄さん、少し御話があって来たんですが」と開き直られたので、宗助は少し驚ろいた気味で、暑苦しい
洋服さえ脱ぎ更かえずに、小六の話を聞いた。
 小六の云うところによると、二三日前彼が上総から帰った晩、彼の学資はこの暮限り、気の毒ながら出
してやれないと叔母から申し渡されたのだそうである。小六は父が死んで、すぐと叔父に引き取られて以
来、学校へも行けるし、着物も自然ひとりでにできるし、小遣こづかいも適宜てきぎに貰えるので、父の
存生中ぞんしょうちゅうと同じように、何不足なく暮らせて来た惰性から、その日その晩までも、ついぞ
学資と云う問題を頭に思い浮べた事がなかったため、叔母の宣告を受けた時は、茫然ぼんやりしてとかく
の挨拶あいさつさえできなかったのだと云う。
 叔母は気の毒そうに、なぜ小六の世話ができなくなったかを、女だけに、一時間も掛かって委くわしく
説明してくれたそうである。それには叔父の亡なくなった事やら、継ついで起る経済上の変化やら、また
安之助の卒業やら、卒業後に控えている結婚問題やらが這入っていたのだと云う。
「できるならば、せめて高等学校を卒業するまでと思って、今日きょうまでいろいろ骨を折ったんだけれ
ども」
 叔母はこう云ったと小六は繰り返した。小六はその時ふと兄が、先年父の葬式の時に出京して、万事を
片づけた後、広島へ帰るとき、小六に、御前の学資は叔父さんに預けてあるからと云った事があるのを思
い出して、叔母に始めて聞いて見ると、叔母は案外な顔をして、
「そりゃ、あの時、宗そうさんが若干いくらか置いて行きなすった事は、行きなすったが、それはもうあ
りゃしないよ。叔父さんのまだ生きて御出おいでの時分から、御前の学資は融通して来たんだから」と答
えた。
 小六は兄から自分の学資がどれほどあって、何年分の勘定かんじょうで、叔父に預けられたかを、聞い
ておかなかったから、叔母からこう云われて見ると、一言ひとことも返しようがなかった。
「御前おまえも一人じゃなし、兄さんもある事だからよく相談をして見たら好いだろう。その代り私わた
しも宗さんに逢って、とっくり訳わけを話しましょうから。どうも、宗さんも余あんまり近頃は御出おい
ででないし、私も御無沙汰ごぶさたばかりしているのでね、つい御前の事は御話をする訳にも行かなかっ
たんだよ」と叔母は最後につけ加えたそうである。
 小六から一部始終いちぶしじゅうを聞いた時、宗助はただ弟の顔を眺ながめて、一口、
「困ったな」と云った。昔のように赫かっと激して、すぐ叔母の所へ談判に押し掛ける気色けしきもなけ
れば、今まで自分に対して、世話にならないでも済む人のように、よそよそしく仕向けて来た弟の態度が
、急に方向を転じたのを、悪にくいと思う様子も見えなかった。
 自分の勝手に作り上げた美くしい未来が、半分壊くずれかかったのを、さも傍はたの人のせいででもあ
るかのごとく心を乱している小六の帰る姿を見送った宗助は、暗い玄関の敷居の上に立って、格子こうし
の外に射す夕日をしばらく眺ながめていた。
 その晩宗助は裏から大きな芭蕉ばしょうの葉を二枚剪きって来て、それを座敷の縁に敷いて、その上に
御米と並んで涼すずみながら、小六の事を話した。
「叔母さんは、こっちで、小六さんの世話をしろって云う気なんじゃなくって」と御米が聞いた。
「まあ、逢って聞いて見ないうちは、どう云う料簡りょうけんか分らないがね」と宗助が云うと、御米は

「きっとそうよ」と答えながら、暗がりで団扇うちわをはたはた動かした。宗助は何も云わずに、頸くび
を延ばして、庇ひさしと崖がけの間に細く映る空の色を眺めた。二人はそのまましばらく黙っていたが、
良ややあって、
「だってそれじゃ無理ね」と御米がまた云った。
「人間一人大学を卒業させるなんて、おれの手際てぎわじゃ到底とても駄目だ」と宗助は自分の能力だけ
を明らかにした。
205 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:01:09.45 ID:4uTcWgUe
 会話はそこで別の題目に移って、再び小六の上にも叔母の上にも帰って来なかった。それから二三日す
るとちょうど土曜が来たので、宗助は役所の帰りに、番町の叔母の所へ寄って見た。叔母は、
「おやおや、まあ御珍らしい事」と云って、いつもよりは愛想あいそよく宗助を款待もてなしてくれた。
その時宗助は厭いやなのを我慢して、この四五年来溜めて置いた質問を始めて叔母に掛けた。叔母は固も
とよりできるだけは弁解しない訳に行かなかった。
 叔母の云うところによると、宗助の邸宅やしきを売払った時、叔父の手に這入はいった金は、たしかに
は覚えていないが、何でも、宗助のために、急場の間に合せた借財を返した上、なお四千五百円とか四千
三百円とか余ったそうである。ところが叔父の意見によると、あの屋敷は宗助が自分に提供して行ったの
だから、たといいくら余ろうと、余った分は自分の所得と見傚みなして差支さしつかえない。しかし宗助
の邸宅を売って儲もうけたと云われては心持が悪いから、これは小六の名義で保管して置いて、小六の財
産にしてやる。宗助はあんな事をして廃嫡はいちゃくにまでされかかった奴だから、一文いちもんだって
取る権利はない。
「宗さん怒っちゃいけませんよ。ただ叔父さんの云った通りを話すんだから」と叔母が断った。宗助は黙
ってあとを聞いていた。
 小六の名義で保管されべき財産は、不幸にして、叔父の手腕で、すぐ神田の賑にぎやかな表通りの家屋
に変形した。そうして、まだ保険をつけないうちに、火事で焼けてしまった。小六には始めから話してな
い事だから、そのままにして、わざと知らせずにおいた。
「そう云う訳でね、まことに宗さんにも、御気の毒だけれども、何しろ取って返しのつかない事だから仕
方がない。運だと思って諦あきらめて下さい。もっとも叔父さんさえ生きていれば、またどうともなるん
でしょうさ。小六一人ぐらいそりゃ訳はありますまいよ。よしんば、叔父さんがいなさらない、今にした
って、こっちの都合さえ好ければ、焼けた家うちと同じだけのものを、小六に返すか、それでなくっても
、当人の卒業するまでぐらいは、どうにかして世話もできるんですけれども」と云って叔母はまたほかの
内幕話をして聞かせた。それは安之助の職業についてであった。
 安之助は叔父の一人息子で、この夏大学を出たばかりの青年である。家庭で暖かに育った上に、同級の
学生ぐらいよりほかに交際のない男だから、世の中の事にはむしろ迂濶うかつと云ってもいいが、その迂
濶なところにどこか鷹揚おうような趣おもむきを具そなえて実社会へ顔を出したのである。専門は工科の
器械学だから、企業熱の下火になった今日こんにちといえども、日本中にたくさんある会社に、相応の口
の一つや二つあるのは、もちろんであるが、親譲おやゆずりの山気やまぎがどこかに潜ひそんでいるもの
と見えて、自分で自分の仕事をして見たくてならない矢先へ、同じ科の出身で、小規模ながら専有の工場
こうばを月島辺へんに建てて、独立の経営をやっている先輩に出逢ったのが縁となって、その先輩と相談
の上、自分も幾分かの資本を注つぎ込んで、いっしょに仕事をしてみようという考になった。叔母の内幕
話と云ったのはそこである。
「でね、少しあった株をみんなその方へ廻す事にしたもんだから、今じゃ本当に一文いちもんなし同然な
仕儀しぎでいるんですよ。それは世間から見ると、人数は少なし、家邸いえやしきは持っているし、楽に
見えるのも無理のないところでしょうさ。この間も原の御母おっかさんが来て、まああなたほど気楽な方
はない、いつ来て見ても万年青おもとの葉ばかり丹念に洗っているってね。真逆まさかそうでも無いんで
すけれども」と叔母が云った。
 宗助が叔母の説明を聞いた時は、ぼんやりしてとかくの返事が容易に出なかった。心のなかで、これは
神経衰弱の結果、昔のように機敏で明快な判断を、すぐ作り上げる頭が失なくなった証拠しょうこだろう
と自覚した。叔母は自分の云う通りが、宗助に本当と受けられないのを気にするように、安之助から持ち
出した資本の高まで話した。それは五千円ほどであった。安之助は当分の間、わずかな月給と、この五千
円に対する利益配当とで暮らさなければならないのだそうである。
「その配当だって、まだどうなるか分りゃしないんでさあね。旨うまく行ったところで、一割か一割五分
ぐらいなものでしょうし、また一つ間違えばまるで煙けむにならないとも限らないんですから」と叔母が
つけ加えた。
 宗助は叔母の仕打に、これと云う目立った阿漕あこぎなところも見えないので、心の中うちでは少なか
206 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:01:21.75 ID:4uTcWgUe
らず困ったが、小六の将来について一口の掛合かけあいもせずに帰るのはいかにも馬鹿馬鹿しい気がした
。そこで今までの問題はそこに据すえっきりにして置いて、自分が当時小六の学資として叔父に預けて行
った千円の所置を聞き糺ただして見ると、叔母は、
「宗さん、あれこそ本当に小六が使っちまったんですよ。小六が高等学校へ這入はいってからでも、もう
かれこれ七百円は掛かっているんですもの」と答えた。
 宗助はついでだから、それと同時に、叔父に保管を頼んだ書画や骨董品こっとうひんの成行なりゆきを
確かめて見た。すると、叔母は、
「ありあとんだ馬鹿な目に逢って」と云いかけたが、宗助の様子を見て、
「宗さん、何ですか、あの事はまだ御話をしなかったんでしたかね」と聞いた。宗助がいいえと答えると

「おやおや、それじゃ叔父さんが忘れちまったんですよ」と云いながら、その顛末てんまつを語って聞か
した。
 宗助が広島へ帰ると間もなく、叔父はその売捌方うりさばきかたを真田さなだとかいう懇意の男に依頼
した。この男は書画骨董の道に明るいとかいうので、平生そんなものの売買の周旋をして諸方へ出入する
そうであったが、すぐさま叔父の依頼を引き受けて、誰某だれそれがしが何を欲しいと云うから、ちょっ
と拝見とか、何々氏がこう云う物を希望だから、見せましょうとか号ごうして、品物を持って行ったぎり
、返して来ない。催促すると、まだ先方から戻って参りませんからとか何とか言訳をするだけでかつて埒
らちの明いた試ためしがなかったが、とうとう持ち切れなくなったと見えて、どこかへ姿を隠してしまっ
た。
「でもね、まだ屏風びょうぶが一つ残っていますよ。この間引越の時に、気がついて、こりゃ宗さんのだ
から、今度こんだついでがあったら届けて上げたらいいだろうって、安がそう云っていましたっけ」
 叔母は宗助の預けて行った品物にはまるで重きを置いていないような、ものの云い方をした。宗助も今
日きょうまで放っておくくらいだから、あまりその方面には興味を有もち得なかったので、少しも良心に
悩まされている気色けしきのない叔母の様子を見ても、別に腹は立たなかった。それでも、叔母が、
「宗さん、どうせ家うちじゃ使っていないんだから、なんなら持っておいでなすっちゃどうです。この頃
はああいうものが、大変価ねが出たと云う話じゃありませんか」と云ったときは、実際それを持って帰る
気になった。
 納戸なんどから取り出して貰って、明るい所で眺ながめると、たしかに見覚みおぼえのある二枚折であ
った。下に萩はぎ、桔梗ききょう、芒すすき、葛くず、女郎花おみなえしを隙間すきまなく描かいた上に
、真丸な月を銀で出して、その横の空あいた所へ、野路のじや空月の中なる女郎花、其一きいちと題して
ある。宗助は膝ひざを突いて銀の色の黒く焦こげた辺あたりから、葛の葉の風に裏を返している色の乾い
た様から、大福だいふくほどな大きな丸い朱の輪廓りんかくの中に、抱一ほういつと行書で書いた落款ら
っかんをつくづくと見て、父の生きている当時を憶おもい起さずにはいられなかった。
 父は正月になると、きっとこの屏風びょうぶを薄暗い蔵くらの中から出して、玄関の仕切りに立てて、
その前へ紫檀したんの角かくな名刺入を置いて、年賀を受けたものである。その時はめでたいからと云う
ので、客間の床とこには必ず虎の双幅そうふくを懸かけた。これは岸駒がんくじゃない岸岱がんたいだと
父が宗助に云って聞かせた事があるのを、宗助はいまだに記憶していた。この虎の画えには墨が着いてい
た。虎が舌を出して谷の水を呑のんでいる鼻柱が少し汚けがされたのを、父は苛ひどく気にして、宗助を
見るたびに、御前ここへ墨を塗った事を覚えているか、これは御前の小さい時分の悪戯いたずらだぞと云
って、おかしいような恨うらめしいような一種の表情をした。
 宗助は屏風びょうぶの前に畏かしこまって、自分が東京にいた昔の事を考えながら、
「叔母さん、じゃこの屏風はちょうだいして行きましょう」と云った。
「ああああ、御持ちなさいとも。何なら使に持たせて上げましょう」と叔母は好意から申し添えた。
 宗助は然しかるべく叔母に頼んで、その日はそれで切り上げて帰った。晩食ばんめしの後のち御米とい
っしょにまた縁側へ出て、暗い所で白地の浴衣ゆかたを並べて、涼みながら、画の話をした。
「安さんには、御逢いなさらなかったの」と御米が聞いた。
「ああ、安さんは土曜でも何でも夕方まで、工場にいるんだそうだ」
207 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:01:33.50 ID:4uTcWgUe
「随分骨が折れるでしょうね」
 御米はそう云ったなり、叔父や叔母の処置については、一言ひとことの批評も加えなかった。
「小六の事はどうしたものだろう」と宗助が聞くと、
「そうね」と云うだけであった。
「理窟りくつを云えば、こっちにも云い分はあるが、云い出せば、とどのつまりは裁判沙汰になるばかり
だから、証拠しょうこも何もなければ勝てる訳のものじゃなし」と宗助が極端を予想すると、
「裁判なんかに勝たなくたってもいいわ」と御米がすぐ云ったので、宗助は苦笑してやめた。
「つまりおれがあの時東京へ出られなかったからの事さ」
「そうして東京へ出られた時は、もうそんな事はどうでもよかったんですもの」
 夫婦はこんな話をしながら、また細い空を庇ひさしの下から覗のぞいて見て、明日あしたの天気を語り
合って蚊帳かやに這入はいった。
 次の日曜に宗助は小六を呼んで、叔母の云った通りを残らず話して聞かせて、
「叔母さんが御前に詳しい説明をしなかったのは、短兵急な御前の性質を知ってるせいか、それともまだ
小供だと思ってわざと略してしまったのか、そこはおれにも分らないが、何しろ事実は今云った通りなん
だよ」と教えた。
 小六にはいかに詳しい説明も腹の足しにはならなかった。ただ、
「そうですか」と云ってむずかしい不満な顔をして宗助を見た。
「仕方がないよ。叔母さんだって、安さんだって、そう悪い料簡りょうけんはないんだから」
「そりゃ、分っています」と弟は峻けわしい物の云い方をした。
「じゃおれが悪いって云うんだろう。おれは無論悪いよ。昔から今日こんにちまで悪いところだらけな男
だもの」
 宗助は横になって煙草たばこを吹かしながら、これより以上は何とも語らなかった。小六も黙って、座
敷の隅すみに立ててあった二枚折の抱一の屏風びょうぶを眺ながめていた。
「御前あの屏風を覚えているかい」とやがて兄が聞いた。
「ええ」と小六が答えた。
「一昨日おととい佐伯から届けてくれた。御父さんの持ってたもので、おれの手に残ったのは、今じゃこ
れだけだ。これが御前の学資になるなら、今すぐにでもやるが、剥はげた屏風一枚で大学を卒業する訳に
も行かずな」と宗助が云った。そうして苦笑しながら、
「この暑いのに、こんなものを立てて置くのは、気狂きちがいじみているが、入れておく所がないから、
仕方がない」と云う述懐じゅっかいをした。
 小六はこの気楽なような、ぐずのような、自分とは余りに懸かけ隔へだたっている兄を、いつも物足り
なくは思うものの、いざという場合に、けっして喧嘩けんかはし得なかった。この時も急に癇癪かんしゃ
くの角つのを折られた気味で、
「屏風はどうでも好いが、これから先さき僕はどうしたもんでしょう」と聞き出した。
「それは問題だ。何しろことしいっぱいにきまれば好い事だから、まあよく考えるさ。おれも考えて置こ
う」と宗助が云った。
 弟は彼の性質として、そんな中ぶらりんの姿は嫌きらいである、学校へ出ても落ちついて稽古けいこも
できず、下調も手につかないような境遇は、とうてい自分には堪たえられないと云う訴うったえを切にや
り出したが、宗助の態度は依然として変らなかった。小六があまり癇かんの高い不平を並べると、
「そのくらいな事でそれほど不平が並べられれば、どこへ行ったって大丈夫だ。学校をやめたって、いっ
こう差支さしつかえない。御前の方がおれよりよっぽどえらいよ」と兄が云ったので、話はそれぎり頓挫
とんざして、小六はとうとう本郷へ帰って行った。
 宗助はそれから湯を浴びて、晩食ばんめしを済まして、夜は近所の縁日へ御米といっしょに出掛けた。
そうして手頃な花物を二鉢買って、夫婦して一つずつ持って帰って来た。夜露にあてた方がよかろうと云
うので、崖下がけしたの雨戸を明けて、庭先にそれを二つ並べて置いた。
 蚊帳かやの中へ這入はいった時、御米は、
「小六さんの事はどうなって」と夫に聞くと、
208 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:01:57.49 ID:4uTcWgUe
「とうてい駄目だね」
「どうしたって無理ですわ」と云った。
 夫婦の坐すわっている茶の間の次が台所で、台所の右に下女部屋、左に六畳が一間ひとまある。下女を
入れて三人の小人数こにんずだから、この六畳には余り必要を感じない御米は、東向の窓側にいつも自分
の鏡台を置いた。宗助も朝起きて顔を洗って、飯を済ますと、ここへ来て着物を脱ぬぎ更かえた。
「それよりか、あの六畳を空あけて、あすこへ来ちゃいけなくって」と御米が云い出した。御米の考えで
は、こうして自分の方で部屋と食物だけを分担して、あとのところを月々いくらか佐伯から助すけて貰も
らったら、小六の望み通り大学卒業までやって行かれようと云うのである。
「着物は安さんの古いのや、あなたのを直して上げたら、どうかなるでしょう」と御米が云い添えた。実
は宗助にもこんな考が、多少頭に浮かんでいた。ただ御米に遠慮がある上に、それほど気が進まなかった
ので、つい口へ出さなかったまでだから、細君からこう反対あべこべに相談を掛けられて見ると、固もと
よりそれを拒こばむだけの勇気はなかった。
 小六にその通りを通知して、御前さえそれで差支さしつかえなければ、おれがもう一遍佐伯へ行って掛
合って見るがと、手紙で問い合せると、小六は郵便の着いた晩、すぐ雨の降る中を、傘からかさに音を立
ててやって来て、もう学資ができでもしたように嬉うれしがった。
「何、叔母さんの方じゃ、こっちでいつまでもあなたの事を放り出したまんま、構わずにおくもんだから
、それでああおっしゃるのよ。なに兄さんだって、もう少し都合が好ければ、疾とうにもどうにかしたん
ですけれども、御存じの通りだから実際やむを得なかったんですわ。しかしこっちからこう云って行けば
、叔母さんだって、安さんだって、それでも否いやだとは云われないわ。きっとできるから安心していら
っしゃい。私わたし受合うわ」
 御米にこう受合って貰った小六は、また雨の音を頭の上に受けて本郷へ帰って行った。しかし中一日置
いて、兄さんはまだ行かないんですかと聞きに来た。また三日ばかり過ぎてから、今度は叔母さんの所へ
行って聞いたら、兄さんはまだ来ないそうだから、なるべく早く行くように勧すすめてくれと催促して行
った。
 宗助が行く行くと云って、日を暮らしているうちに世の中はようやく秋になった。その朗らかな或日曜
の午後に、宗助はあまり佐伯へ行くのが後おくれるので、この要件を手紙に認したためて番町へ相談した
のである。すると、叔母から安之助は神戸へ行って留守だと云う返事が来たのである。



 佐伯さえきの叔母の尋ねて来たのは、土曜の午後の二時過であった。その日は例になく朝から雲が出て
、突然と風が北に変ったように寒かった。叔母は竹で編んだ丸い火桶ひおけの上へ手を翳かざして、
「何ですね、御米およねさん。この御部屋は夏は涼しそうで結構だが、これからはちと寒うござんすね」
と云った。叔母は癖のある髪を、奇麗きれいに髷まげに結いって、古風な丸打の羽織の紐ひもを、胸の所
で結んでいた。酒の好きな質たちで、今でも少しずつは晩酌をやるせいか、色沢いろつやもよく、でっぷ
り肥ふとっているから、年よりはよほど若く見える。御米は叔母が来るたんびに、叔母さんは若いのねと
、後あとでよく宗助そうすけに話した。すると宗助がいつでも、若いはずだ、あの年になるまで、子供を
たった一人しか生まないんだからと説明した。御米は実際そうかも知れないと思った。そうしてこう云わ
れた後では、折々そっと六畳へ這入はいって、自分の顔を鏡に映して見た。その時は何だか自分の頬ほお
が見るたびに瘠こけて行くような気がした。御米には自分と子供とを連想して考えるほど辛つらい事はな
かったのである。裏の家主の宅うちに、小さい子供が大勢いて、それが崖がけの上の庭へ出て、ブランコ
へ乗ったり、鬼ごっこをやったりして騒ぐ声が、よく聞えると、御米はいつでも、はかないような恨うら
めしいような心持になった。今自分の前に坐っている叔母は、たった一人の男の子を生んで、その男の子
が順当に育って、立派な学士になったればこそ、叔父が死んだ今日こんにちでも、何不足のない顔をして
、腮あごなどは二重ふたえに見えるくらいに豊ゆたかなのである。御母さんは肥っているから剣呑けんの
んだ、気をつけないと卒中でやられるかも知れないと、安之助やすのすけが始終しじゅう心配するそうだ
けれども、御米から云わせると、心配する安之助も、心配される叔母も、共に幸福を享うけ合っているも
209 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:02:09.62 ID:4uTcWgUe
のとしか思われなかった。
「安さんは」と御米が聞いた。
「ええようやくね、あなた。一昨日おとといの晩帰りましてね。それでついつい御返事も後おくれちまっ
て、まことに済みませんような訳で」と云ったが、返事の方はそれなりにして、話はまた安之助へ戻って
来た。
「あれもね、御蔭おかげさまでようやく学校だけは卒業しましたが、これからが大事のところで、心配で
ございます。――それでもこの九月から、月島の工場の方へ出る事になりまして、まあさいわいとこの分
で勉強さえして行ってくれれば、この末ともに、そう悪い事も無かろうかと思ってるんですけれども、ま
あ若いものの事ですから、これから先どう変化へんげるか分りゃしませんよ」
 御米はただ結構でございますとか、おめでとうございますとか云う言葉を、間々あいだあいだに挟はさ
んでいた。
「神戸へ参ったのも、全くその方の用向なので。石油発動機とか何とか云うものを鰹船かつおぶねへ据す
え付けるんだとかってねあなた」
 御米にはまるで意味が分らなかった。分らないながらただへええと受けていると、叔母はすぐ後あとを
話した。
「私にも何のこったか、ちっとも分らなかったんですが、安之助の講釈を聞いて始めて、おやそうかいと
云うような訳でしてね。――もっとも石油発動機は今もって分らないんですけれども」と云いながら、大
きな声を出して笑った。「何でも石油を焚たいて、それで船を自由にする器械なんだそうですが、聞いて
見るとよほど重宝なものらしいんですよ。それさえ付ければ、舟を漕こぐ手間てまがまるで省けるとかで
ね。五里も十里も沖へ出るのに、大変楽なんですとさ。ところがあなた、この日本全国で鰹船の数ったら
、それこそ大したものでしょう。その鰹船が一つずつこの器械を具そなえ付けるようになったら、莫大ば
くだいな利益だって云うんで、この頃は夢中になってその方ばっかりに掛かかっているようですよ。莫大
な利益はありがたいが、そう凝こって身体からだでも悪くしちゃつまらないじゃないかって、この間も笑
ったくらいで」
 叔母はしきりに鰹船と安之助の話をした。そうして大変得意のように見えたが、小六の事はなかなか云
い出さなかった。もう疾とうに帰るはずの宗助もどうしたか帰って来なかった。
 彼はその日役所の帰りがけに駿河台下するがだいしたまで来て、電車を下りて、酸すいものを頬張ほお
ばったような口を穿すぼめて一二町歩いた後のち、ある歯医者の門かどを潜くぐったのである。三四日前
彼は御米と差向いで、夕飯の膳ぜんに着いて、話しながら箸はしを取っている際に、どうした拍子か、前
歯を逆にぎりりと噛かんでから、それが急に痛み出した。指で揺うごかすと、根がぐらぐらする。食事の
時には湯茶が染しみる。口を開けて息をすると風も染みた。宗助はこの朝歯を磨みがくために、わざと痛
い所を避よけて楊枝ようじを使いながら、口の中を鏡に照らして見たら、広島で銀を埋うめた二枚の奥歯
と、研といだように磨すり減らした不揃ぶそろの前歯とが、にわかに寒く光った。洋服に着換える時、
「御米、おれは歯の性しょうがよっぽど悪いと見えるね。こうやると大抵動くぜ」と下歯を指で動かして
見せた。御米は笑いながら、
「もう御年のせいよ」と云って白い襟えりを後へ廻って襯衣シャツへ着けた。
 宗助はその日の午後とうとう思い切って、歯医者へ寄ったのである。応接間へ通ると、大きな洋卓テー
ブルの周囲まわりに天鵞絨びろうどで張った腰掛が并ならんでいて、待ち合している三四人が、うずくま
るように腮あごを襟えりに埋うずめていた。それが皆女であった。奇麗きれいな茶色の瓦斯暖炉ガススト
ーヴには火がまだ焚たいてなかった。宗助は大きな姿見に映る白壁の色を斜ななめに見て、番の来るのを
待っていたが、あまり退屈になったので、洋卓の上に重ねてあった雑誌に眼を着けた。一二冊手に取って
見ると、いずれも婦人用のものであった。宗助はその口絵に出ている女の写真を、何枚も繰り返して眺な
がめた。それから「成功」と云う雑誌を取り上げた。その初めに、成効の秘訣ひけつというようなものが
箇条書にしてあったうちに、何でも猛進しなくってはいけないと云う一カ条と、ただ猛進してもいけない
、立派な根底の上に立って、猛進しなくってはならないと云う一カ条を読んで、それなり雑誌を伏せた。
「成功」と宗助は非常に縁の遠いものであった。宗助はこういう名の雑誌があると云う事さえ、今日こん
にちまで知らなかった。それでまた珍らしくなって、いったん伏せたのをまた開けて見ると、ふと仮名か
210 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:02:21.56 ID:4uTcWgUe
なの交らない四角な字が二行ほど並んでいた。それには風かぜ碧落へきらくを吹ふいて浮雲ふうん尽つき
、月つき東山とうざんに上のぼって玉ぎょく一団いちだんとあった。宗助は詩とか歌とかいうものには、
元から余り興味を持たない男であったが、どう云う訳かこの二句を読んだ時に大変感心した。対句ついく
が旨うまくできたとか何とか云う意味ではなくって、こんな景色けしきと同じような心持になれたら、人
間もさぞ嬉うれしかろうと、ひょっと心が動いたのである。宗助は好奇心からこの句の前に付いている論
文を読んで見た。しかしそれはまるで無関係のように思われた。ただこの二句が雑誌を置いた後あとでも
、しきりに彼の頭の中を徘徊はいかいした。彼の生活は実際この四五年来こういう景色に出逢った事がな
かったのである。
 その時向うの戸が開あいて、紙片かみぎれを持った書生が野中さんと宗助を手術室へ呼び入れた。
 中へ這入はいると、そこは応接間よりは倍も広かった。光線がなるべく余計取れるように明るく拵こし
らえた部屋の二側ふたがわに、手術用の椅子いすを四台ほど据すえて、白い胸掛をかけた受持の男が、一
人ずつ別々に療治をしていた。宗助は一番奥の方にある一脚に案内されて、これへと云われるので、踏段
のようなものの上へ乗って、椅子へ腰をおろした。書生が厚い縞入しまいりの前掛で丁寧ていねいに膝ひ
ざから下を包くるんでくれた。
 こう穏おだやかに寝ねかされた時、宗助は例の歯がさほど苦になるほど痛んでいないと云う事を発見し
た。そればかりか、肩も背せなも、腰の周まわりも、心安く落ちついて、いかにも楽に調子が取れている
事に気がついた。彼はただ仰向あおむいて天井てんじょうから下っている瓦斯管ガスかんを眺めた。そう
してこの構かまえと設備では、帰りがけに思ったより高い療治代を取られるかも知れないと気遣きづかっ
た。
 ところへ顔の割に頭の薄くなり過ぎた肥ふとった男が出て来て、大変丁寧ていねいに挨拶あいさつをし
たので、宗助は少し椅子の上で狼狽あわてたように首を動かした。肥った男は一応容体を聞いて、口中を
検査して、宗助の痛いと云う歯をちょっと揺ゆすって見たが、
「どうもこう弛ゆるみますと、とても元のように緊しまる訳には参りますまいと思いますが。何しろ中が
エソになっておりますから」と云った。
 宗助はこの宣告を淋さびしい秋の光のように感じた。もうそんな年なんでしょうかと聞いて見たくなっ
たが、少しきまりが悪いので、ただ、
「じゃ癒なおらないんですか」と念を押した。
 肥ふとった男は笑いながらこう云った。――
「まあ癒らないと申し上げるよりほかに仕方がござんせんな。やむを得なければ、思い切って抜いてしま
うんですが、今のところでは、まだそれほどでもございますまいから、ただ御痛みだけを留めておきまし
ょう。何しろエソ――エソと申しても御分りにならないかも知れませんが、中がまるで腐っております」
 宗助は、そうですかと云って、ただ肥った男のなすがままにしておいた。すると彼は器械をぐるぐる廻
して、宗助の歯の根へ穴を開け始めた。そうしてその中へ細長い針のようなものを刺し通しては、その先
を嗅かいでいたが、しまいに糸ほどな筋を引き出して、神経がこれだけ取れましたと云いながら、それを
宗助に見せてくれた。それから薬でその穴を埋うめて、明日みょうにちまたいらっしゃいと注意を与えた

 椅子いすを下りるとき、身体からだが真直まっすぐになったので、視線の位置が天井からふと庭先に移
ったら、そこにあった高さ五尺もあろうと云う大きな鉢栽はちうえの松が宗助の眼に這入はいった。その
根方の所を、草鞋わらじがけの植木屋が丁寧ていねいに薦こもで包くるんでいた。だんだん露が凝こって
霜しもになる時節なので、余裕よゆうのあるものは、もう今時分から手廻しをするのだと気がついた。
 帰りがけに玄関脇の薬局で、粉薬こぐすりのまま含嗽剤がんそうざいを受取って、それを百倍の微温湯
びおんとうに溶解して、一日十数回使用すべき注意を受けた時、宗助は会計の請求した治療代の案外廉れ
んなのを喜んだ。これならば向うで云う通り四五回通かよったところが、さして困難でもないと思って、
靴を穿はこうとすると、今度は靴の底がいつの間にか破れている事に気がついた。
 宅うちへ着いた時は一足違ひとあしちがいで叔母がもう帰ったあとであった。宗助は、
「おお、そうだったか」と云いながら、はなはだ面倒そうに洋服を脱ぎ更かえて、いつもの通り火鉢ひば
ちの前に坐った。御米は襯衣シャツや洋袴ズボンや靴足袋くつたびを一抱ひとかかえにして六畳へ這入は
211 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:02:33.50 ID:4uTcWgUe
いった。宗助はぼんやりして、煙草たばこを吹かし始めたが、向うの部屋で、刷毛ブラッシを掛ける音が
し出した時、
「御米、佐伯の叔母さんは何とか云って来たのかい」と聞いた。
 歯痛しつうが自おのずから治おさまったので、秋に襲おそわれるような寒い気分は、少し軽くなったけ
れども、やがて御米が隠袋ポッケットから取り出して来た粉薬を、温ぬるま湯に溶といて貰もらって、し
きりに含嗽うがいを始めた。その時彼は縁側えんがわへ立ったまま、
「どうも日が短かくなったなあ」と云った。
 やがて日が暮れた。昼間からあまり車の音を聞かない町内は、宵よいの口くちから寂しんとしていた。
夫婦は例の通り洋灯ランプの下もとに寄った。広い世の中で、自分達の坐っている所だけが明るく思われ
た。そうしてこの明るい灯影に、宗助は御米だけを、御米は宗助だけを意識して、洋灯の力の届かない暗
い社会は忘れていた。彼らは毎晩こう暮らして行く裡うちに、自分達の生命を見出していたのである。
 この静かな夫婦は、安之助の神戸から土産みやげに買って来たと云う養老昆布ようろうこぶの缶かんを
がらがら振って、中から山椒さんしょ入いりの小さく結んだ奴を撰より出しながら、緩ゆっくり佐伯から
の返事を語り合った。
「しかし月謝と小遣こづかいぐらいは都合してやってくれても好さそうなもんじゃないか」
「それができないんだって。どう見積っても両方寄せると、十円にはなる。十円と云う纏まとまった御金
を、今のところ月々出すのは骨が折れるって云うのよ」
「それじゃことしの暮まで二十何円ずつか出してやるのも無理じゃないか」
「だから、無理をしても、もう一二カ月のところだけは間に合せるから、そのうちにどうかして下さいと
、安さんがそう云うんだって」
「実際できないのかな」
「そりゃ私わたしには分らないわ。何しろ叔母さんが、そう云うのよ」
「鰹舟かつおぶねで儲もうけたら、そのくらい訳なさそうなもんじゃないか」
「本当ね」
 御米は低い声で笑った。宗助もちょっと口の端はたを動かしたが、話はそれで途切とぎれてしまった。
しばらくしてから、
「何しろ小六は家うちへ来るときめるよりほかに道はあるまいよ。後あとはその上の事だ。今じゃ学校へ
は出ているんだね」と宗助が云った。
「そうでしょう」と御米が答えるのを聞き流して、彼は珍らしく書斎に這入はいった。一時間ほどして、
御米がそっと襖ふすまを開あけて覗のぞいて見ると、机に向って、何か読んでいた。
「勉強? もう御休みなさらなくって」と誘われた時、彼は振り返って、
「うん、もう寝よう」と答えながら立ち上った。
 寝る時、着物を脱いで、寝巻の上に、絞しぼりの兵児帯へこおびをぐるぐる巻きつけながら、
「今夜は久し振に論語を読んだ」と云った。
「論語に何かあって」と御米が聞き返したら、宗助は、
「いや何にもない」と答えた。それから、「おい、おれの歯はやっぱり年のせいだとさ。ぐらぐらするの
はとても癒なおらないそうだ」と云いつつ、黒い頭を枕の上に着けた。



 小六ころくはともかくも都合しだい下宿を引き払って兄の家へ移る事に相談が調ととのった。御米およ
ねは六畳に置きつけた桑くわの鏡台を眺ながめて、ちょっと残り惜しい顔をしたが、
「こうなると少し遣場やりばに困るのね」と訴えるように宗助そうすけに告げた。実際ここを取り上げら
れては、御米の御化粧おつくりをする場所が無くなってしまうのである。宗助は何の工夫もつかずに、立
ちながら、向うの窓側まどぎわに据すえてある鏡の裏を斜はすに眺ながめた。すると角度の具合で、そこ
に御米の襟元えりもとから片頬が映っていた。それがいかにも血色のわるい横顔なのに驚ろかされて、
「御前おまい、どうかしたのかい。大変色が悪いよ」と云いながら、鏡から眼を放して、実際の御米の姿
212 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:02:45.52 ID:4uTcWgUe
を見た。鬢びんが乱れて、襟の後うしろの辺あたりが垢あかで少し汚よごれていた。御米はただ、
「寒いせいなんでしょう」と答えて、すぐ西側に付いている。一間いっけんの戸棚とだなを明けた。下に
は古い創きずだらけの箪笥たんすがあって、上には支那鞄しなかばんと柳行李やなぎごりが二つ三つ載の
っていた。
「こんなもの、どうしたって片づけようがないわね」
「だからそのままにしておくさ」
 小六のここへ引移って来るのは、こう云う点から見て、夫婦のいずれにも、多少迷惑であった。だから
来ると云って約束しておきながら、今だに来ない小六に対しては、別段の催促もしなかった。一日延びれ
ば延びただけ窮屈が逃げたような気がどこかでした。小六にもちょうどそれと同じ憚はばかりがあったの
で、いられる限かぎりは下宿にいる方が便利だと胸をきめたものか、つい一日一日と引越を前さきへ送っ
ていた。その癖くせ彼の性質として、兄夫婦のごとく、荏苒じんぜんの境に落ちついてはいられなかった
のである。
 そのうち薄い霜しもが降おりて、裏の芭蕉ばしょうを見事に摧くだいた。朝は崖上がけうえの家主やぬ
しの庭の方で、鵯ひよどりが鋭どい声を立てた。夕方には表を急ぐ豆腐屋の喇叭らっぱに交って、円明寺
の木魚の音が聞えた。日はますます短かくなった。そうして御米の顔色は、宗助が鏡の中に認めた時より
も、爽さやかにはならなかった。夫おっとが役所から帰って来て見ると、六畳で寝ている事が一二度あっ
た。どうかしたかと尋ねると、ただ少し心持が悪いと答えるだけであった。医者に見て貰えと勧めると、
それには及ばないと云って取り合わなかった。
 宗助は心配した。役所へ出ていてもよく御米の事が気にかかって、用の邪魔になるのを意識する時もあ
った。ところがある日帰りがけに突然電車の中で膝ひざを拍うった。その日は例になく元気よく格子こう
しを明けて、すぐと勢いきおいよく今日はどうだいと御米に聞いた。御米がいつもの通り服や靴足袋くつ
たびを一纏ひとまとめにして、六畳へ這入はいる後あとから追ついて来て、
「御米、御前おまい子供ができたんじゃないか」と笑いながら云った。御米は返事もせずに俯向うつむい
てしきりに夫の背広せびろの埃ほこりを払った。刷毛ブラッシの音がやんでもなかなか六畳から出て来な
いので、また行って見ると、薄暗い部屋の中で、御米はたった一人寒そうに、鏡台の前に坐すわっていた
。はいと云って立ったが、その声が泣いた後の声のようであった。
 その晩夫婦は火鉢ひばちに掛けた鉄瓶てつびんを、双方から手で掩おおうようにして差し向った。
「どうですな世の中は」と宗助が例にない浮いた調子を出した。御米の頭の中には、夫婦にならない前の
、宗助と自分の姿が奇麗きれいに浮んだ。
「ちっと、面白くしようじゃないか。この頃ごろはいかにも不景気だよ」と宗助がまた云った。二人はそ
れから今度の日曜にはいっしょにどこへ行こうか、ここへ行こうかと、しばらくそればかり話し合ってい
た。それから二人の春着の事が題目になった。宗助の同僚の高木とか云う男が、細君に小袖こそでとかを
強請ねだられた時、おれは細君の虚栄心を満足させるために稼かせいでるんじゃないと云って跳はねつけ
たら、細君がそりゃ非道ひどい、実際寒くなっても着て出るものがないんだと弁解するので、寒ければや
むを得ない、夜具を着るとか、毛布けっとを被かぶるとかして、当分我慢しろと云った話を、宗助はおか
しく繰り返して御米を笑わした。御米は夫のこの様子を見て、昔がまた眼の前に戻ったような気がした。
「高木の細君は夜具でも構わないが、おれは一つ新らしい外套マントを拵こしらえたいな。この間歯医者
へ行ったら、植木屋が薦こもで盆栽ぼんさいの松の根を包んでいたので、つくづくそう思った」
「外套が欲しいって」
「ああ」
 御米は夫の顔を見て、さも気の毒だと云う風に、
「御拵おこしらえなさいな。月賦で」と云った。宗助は、
「まあ止そうよ」と急に侘わびしく答えた。そうして「時に小六はいつから来る気なんだろう」と聞いた

「来るのは厭なんでしょう」と御米が答えた。御米には、自分が始めから小六に嫌きらわれていると云う
自覚があった。それでも夫の弟だと思うので、なるべくは反そりを合せて、少しでも近づけるように近づ
けるようにと、今日こんにちまで仕向けて来た。そのためか、今では以前と違って、まあ普通の小舅こじ
213 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:02:57.55 ID:4uTcWgUe
ゅうとぐらいの親しみはあると信じているようなものの、こんな場合になると、つい実際以上にも気を回
して、自分だけが小六の来ない唯一ゆいいつの原因のように考えられるのであった。
「そりゃ下宿からこんな所へ移るのは好かあないだろうよ。ちょうどこっちが迷惑を感ずる通り、向うで
も窮屈を感ずる訳だから。おれだって、小六が来ないとすれば、今のうち思い切って外套マントを作るだ
けの勇気があるんだけれども」
 宗助は男だけに思い切ってこう云ってしまった。けれどもこれだけでは御米の心を尽していなかった。
御米は返事もせずに、しばらく黙っていたが、細い腮あごを襟えりの中へ埋うめたまま、上眼うわめを使
って、
「小六さんは、まだ私の事を悪にくんでいらっしゃるでしょうか」と聞き出した。宗助が東京へ来た当座
は、時々これに類似の質問を御米から受けて、その都度つど慰めるのにだいぶ骨の折れた事もあったが、
近来は全く忘れたように何も云わなくなったので、宗助もつい気に留めなかったのである。
「またヒステリーが始まったね。好いじゃないか小六なんぞが、どう思ったって。おれさえついてれば」
「論語にそう書いてあって」
 御米はこんな時に、こういう冗談じょうだんを云う女であった。宗助は
「うん、書いてある」と答えた。それで二人の会話がしまいになった。
 翌日宗助が眼を覚さますと、亜鉛張トタンばりの庇ひさしの上で寒い音がした。御米が襷掛たすきがけ
のまま枕元へ来て、
「さあ、もう時間よ」と注意したとき、彼はこの点滴てんてきの音を聞きながら、もう少し暖かい蒲団ふ
とんの中に温ぬくもっていたかった。けれども血色のよくない御米の、かいがいしい姿を見るや否いなや

「おい」と云って直すぐ起き上った。
 外は濃い雨に鎖とざされていた。崖がけの上の孟宗竹もうそうちくが時々鬣たてがみを振ふるうように
、雨を吹いて動いた。この侘わびしい空の下へ濡ぬれに出る宗助に取って、力になるものは、暖かい味噌
汁みそしると暖かい飯よりほかになかった。
「また靴の中が濡ぬれる。どうしても二足持っていないと困る」と云って、底に小さい穴のあるのを仕方
なしに穿はいて、洋袴ズボンの裾すそを一寸いっすんばかりまくり上げた。
 午過ひるすぎに帰って来て見ると、御米は金盥かなだらいの中に雑巾ぞうきんを浸つけて、六畳の鏡台
の傍そばに置いていた。その上の所だけ天井てんじょうの色が変って、時々雫しずくが落ちて来た。
「靴ばかりじゃない。家うちの中まで濡ぬれるんだね」と云って宗助は苦笑した。御米はその晩夫のため
に置炬燵おきごたつへ火を入れて、スコッチの靴下と縞羅紗しまらしゃの洋袴ズボンを乾かした。
 明あくる日もまた同じように雨が降った。夫婦もまた同じように同じ事を繰り返した。その明る日もま
だ晴れなかった。三日目の朝になって、宗助は眉まゆを縮めて舌打をした。
「いつまで降る気なんだ。靴がじめじめして我慢にも穿はけやしない」
「六畳だって困るわ、ああ漏もっちゃ」
 夫婦は相談して、雨が晴れしだい、家根を繕つくろって貰うように家主やぬしへ掛け合う事にした。け
れども靴の方は何ともしようがなかった。宗助はきしんで這入はいらないのを無理に穿はいて出て行った

 幸さいわいにその日は十一時頃からからりと晴れて、垣に雀すずめの鳴く小春日和こはるびよりになっ
た。宗助が帰った時、御米は例いつもより冴さえ冴ざえしい顔色をして、
「あなた、あの屏風びょうぶを売っちゃいけなくって」と突然聞いた。抱一ほういつの屏風はせんだって
佐伯さえきから受取ったまま、元の通り書斎の隅に立ててあったのである。二枚折だけれども、座敷の位
置と広さから云っても、実はむしろ邪魔な装飾であった。南へ廻すと、玄関からの入口を半分塞ふさいで
しまうし、東へ出すと暗くなる、と云って、残る一方へ立てれば床の間を隠すので、宗助は、
「せっかく親爺おやじの記念かたみだと思って、取って来たようなものの、しようがないねこれじゃ、場
塞ばふさげで」と零こぼした事も一二度あった。その都度つど御米は真丸な縁ふちの焼けた銀の月と、絹
地からほとんど区別できないような穂芒ほすすきの色を眺ながめて、こんなものを珍重する人の気が知れ
ないと云うような見えをした。けれども、夫を憚はばかって、明白あからさまには何とも云い出さなかっ
214 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:03:09.60 ID:4uTcWgUe
た。ただ一返いっぺん
「これでもいい絵なんでしょうかね」と聞いた事があった。その時宗助は始めて抱一の名を御米に説明し
て聞かした。しかしそれは自分が昔むかし父から聞いた覚おぼえのある、朧気おぼろげな記憶を好加減い
いかげんに繰り返すに過ぎなかった。実際の画えの価値や、また抱一についての詳しい歴史などに至ると
宗助にもその実じつはなはだ覚束おぼつかなかったのである。
 ところがそれが偶然御米のために妙な行為の動機を構成かたちづくる原因となった。過去一週間夫と自
分の間に起った会話に、ふとこの知識を結びつけて考え得た彼女はちょっと微笑ほほえんだ。この日雨が
上って、日脚ひあしがさっと茶の間の障子しょうじに射した時、御米は不断着の上へ、妙な色の肩掛とも
、襟巻えりまきともつかない織物を纏まとって外へ出た。通りを二丁目ほど来て、それを電車の方角へ曲
って真直まっすぐに来ると、乾物かんぶつ屋と麺麭パン屋の間に、古道具を売っているかなり大きな店が
あった。御米はかつてそこで足の畳み込める食卓を買った記憶がある。今火鉢ひばちに掛けてある鉄瓶て
つびんも、宗助がここから提さげて帰ったものである。
 御米は手を袖そでにして道具屋の前に立ち留まった。見ると相変らず新らしい鉄瓶がたくさん並べてあ
った。そのほかには時節柄とでも云うのか火鉢ひばちが一番多く眼に着いた。しかし骨董こっとうと名の
つくほどのものは、一つもないようであった。ひとり何とも知れぬ大きな亀の甲こうが、真向まむこうに
釣るしてあって、その下から長い黄ばんだ払子ほっすが尻尾しっぽのように出ていた。それから紫檀した
んの茶棚ちゃだなが一つ二つ飾ってあったが、いずれも狂くるいの出そうな生なまなものばかりであった
。しかし御米にはそんな区別はいっこう映らなかった。ただ掛物も屏風びょうぶも一つも見当らない事だ
け確かめて、中へ這入はいった。
 御米は無論夫が佐伯から受取った屏風びょうぶを、いくらかに売り払うつもりでわざわざここまで足を
運んだのであるが、広島以来こう云う事にだいぶ経験を積んだ御蔭おかげで、普通の細君のような努力も
苦痛も感ぜずに、思い切って亭主と口を利きく事ができた。亭主は五十恰好かっこうの色の黒い頬の瘠こ
けた男で、鼈甲べっこうの縁ふちを取った馬鹿に大きな眼鏡めがねを掛けて、新聞を読みながら、疣いぼ
だらけの唐金からかねの火鉢に手を翳かざしていた。
「そうですな、拝見に出てもようがす」と軽く受合ったが、別に気の乗った様子もないので、御米は腹の
中で少し失望した。しかし自分からがすでに大した望を抱いだいて出て来た訳でもないので、こう簡易に
受けられると、こっちから頼むようにしても、見て貰わなければならなかった。
「ようがす。じゃのちほど伺いましょう。今小僧がちょっと出ておりませんからな」
 御米はこの存在ぞんざいな言葉を聞いてそのまま宅うちへ帰ったが、心の中では、はたして道具屋が来
るか来ないかはなはだ疑わしく思った。一人でいつものように簡単な食事を済まして、清きよに膳を下げ
さしていると、いきなり御免下さいと云って、大きな声を出して道具屋が玄関からやって来た。座敷へ上
げて、例の屏風を見せると、なるほどと云って裏だの縁だのを撫なでていたが、
「御払おはらいになるなら」と少し考えて、「六円に頂いておきましょう」と否々いやいやそうに価ねを
付けた。御米には道具屋の付けた相場が至当のように思われた。けれども一応宗助に話してからでなくっ
ては、余り専断過ぎると心づいた上、品物の歴史が歴史だけに、なおさら遠慮して、いずれ帰ったらよく
相談して見た上でと答えたまま、道具屋を帰そうとした。道具屋は出掛に、
「じゃ、奥さんせっかくだから、もう一円奮発しましょう。それで御払い下さい」と云った。御米はその
時思い切って、
「でも、道具屋さん、ありゃ抱一ほういつですよ」と答えて、腹の中ではひやりとした。道具屋は、平気
で、
「抱一は近来流行はやりませんからな」と受け流したが、じろじろ御米の姿を眺ながめた上、
「じゃなおよく御相談なすって」と云い捨てて帰って行った。
 御米はその時の模様を詳しく話した後あとで、
「売っちゃいけなくって」とまた無邪気に聞いた。
 宗助の頭の中には、この間から物質上の欲求が、絶えず動いていた。ただ地味な生活をしなれた結果と
して、足らぬ家計くらしを足ると諦あきらめる癖がついているので、毎月きまって這入はいるもののほか
には、臨時に不意の工面くめんをしてまで、少しでも常以上に寛くつろいでみようと云う働は出なかった
215 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:03:21.61 ID:4uTcWgUe
。話を聞いたとき彼はむしろ御米の機敏な才覚に驚ろかされた。同時にはたしてそれだけの必要があるか
を疑った。御米の思おもわくを聞いて見ると、ここで十円足らずの金が入はいれば、宗助の穿はく新らし
い靴を誂あつらえた上、銘仙めいせんの一反ぐらいは買えると云うのである。宗助はそれもそうだと思っ
た。けれども親から伝わった抱一の屏風びょうぶを一方に置いて、片方に新らしい靴及び新らしい銘仙め
いせんを並べて考えて見ると、この二つを交換する事がいかにも突飛とっぴでかつ滑稽こっけいであった

「売るなら売っていいがね。どうせ家うちに在あったって邪魔になるばかりだから。けれどもおれはまだ
靴は買わないでも済むよ。この間中みたように、降り続けに降られると困るが、もう天気も好くなったか
ら」
「だってまた降ると困るわ」
 宗助は御米に対して永久に天気を保証する訳にも行かなかった。御米も降らない前に是非屏風を売れと
も云いかねた。二人は顔を見合して笑っていた。やがて、
「安過ぎるでしょうか」と御米が聞いた。
「そうさな」と宗助が答えた。
 彼は安いと云われれば、安いような気がした。もし買手があれば、買手の出すだけの金はいくらでも取
りたかった。彼は新聞で、近来古書画の入札が非常に高価になった事を見たような心持がした。せめてそ
んなものが一幅でもあったらと思った。けれどもそれは自分の呼吸する空気の届くうちには、落ちていな
いものと諦あきらめていた。
「買手にも因よるだろうが、売手にも因るんだよ。いくら名画だって、おれが持っていた分にはとうてい
そう高く売れっこはないさ。しかし七円や八円てえな、余あんまり安いようだね」
 宗助は抱一の屏風を弁護すると共に、道具屋をも弁護するような語気を洩もらした。そうしてただ自分
だけが弁護に価あたいしないもののように感じた。御米も少し気を腐らした気味で、屏風の話はそれなり
にした。
 翌日あくるひ宗助は役所へ出て、同僚の誰彼にこの話をした。すると皆申し合せたように、それは価ね
じゃないと云った。けれども誰も自分が周旋して、相当の価に売払ってやろうと云うものはなかった。ま
たどう云う筋を通れば、馬鹿な目に逢わないで済むという手続を教えてくれるものもなかった。宗助はや
っぱり横町の道具屋に屏風を売るよりほかに仕方がなかった。それでなければ元の通り、邪魔でも何でも
座敷へ立てておくよりほかに仕方がなかった。彼は元の通りそれを座敷へ立てておいた。すると道具屋が
来て、あの屏風を十五円に売ってくれと云い出した。夫婦は顔を見合して微笑ほほえんだ。もう少し売ら
ずに置いてみようじゃないかと云って、売らずにおいた。すると道具屋がまた来た。また売らなかった。
御米は断るのが面白くなって来た。四度目よたびめには知らない男を一人連れて来たが、その男とこそこ
そ相談して、とうとう三十五円に価を付けた。その時夫婦も立ちながら相談した。そうしてついに思い切
って屏風を売り払った。



 円明寺の杉が焦こげたように赭黒あかぐろくなった。天気の好い日には、風に洗われた空の端はずれに
、白い筋の嶮けわしく見える山が出た。年は宗助そうすけ夫婦を駆かって日ごとに寒い方へ吹き寄せた。
朝になると欠かさず通る納豆売なっとううりの声が、瓦かわらを鎖とざす霜しもの色を連想せしめた。宗
助は床の中でその声を聞きながら、また冬が来たと思い出した。御米およねは台所で、今年も去年のよう
に水道の栓せんが氷ってくれなければ助かるがと、暮から春へ掛けての取越苦労をした。夜になると夫婦
とも炬燵こたつにばかり親しんだ。そうして広島や福岡の暖かい冬を羨うらやんだ。
「まるで前の本多さんみたようね」と御米が笑った。前の本多さんと云うのは、やはり同じ構内かまえう
ちに住んで、同じ坂井の貸家を借りている隠居夫婦であった。小女こおんなを一人使って、朝から晩まで
ことりと音もしないように静かな生計くらしを立てていた。御米が茶の間で、たった一人裁縫しごとをし
ていると、時々御爺おじいさんと云う声がした。それはこの本多の御婆さんが夫を呼ぶ声であった。門口
かどぐちなどで行き逢うと、丁寧ていねいに時候の挨拶あいさつをして、ちと御話にいらっしゃいと云う
216 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:03:33.58 ID:4uTcWgUe
が、ついぞ行った事もなければ、向うからも来た試ためしがない。したがって夫婦の本多さんに関する知
識は極きわめて乏しかった。ただ息子が一人あって、それが朝鮮の統監府とうかんふとかで、立派な役人
になっているから、月々その方の仕送しおくりで、気楽に暮らして行かれるのだと云う事だけを、出入で
いりの商人のあるものから耳にした。
「御爺さんはやっぱり植木を弄いじっているかい」
「だんだん寒くなったから、もうやめたんでしょう。縁の下に植木鉢がたくさん並んでるわ」
 話はそれから前の家うちを離れて、家主やぬしの方へ移った。これは、本多とはまるで反対で、夫婦か
ら見ると、この上もない賑にぎやかそうな家庭に思われた。この頃は庭が荒れているので、大勢の小供が
崖がけの上へ出て騒ぐ事はなくなったが、ピヤノの音は毎晩のようにする。折々は下女か何ぞの、台所の
方で高笑をする声さえ、宗助の茶の間まで響いて来た。
「ありゃいったい何をする男なんだい」と宗助が聞いた。この問は今までも幾度か御米に向って繰り返さ
れたものであった。
「何にもしないで遊あすんでるんでしょう。地面や家作を持って」と御米が答えた。この答も今までにも
う何遍か宗助に向って繰り返されたものであった。
 宗助はこれより以上立ち入って、坂井の事を聞いた事がなかった。学校をやめた当座は、順境にいて得
意な振舞をするものに逢うと、今に見ろと云う気も起った。それがしばらくすると、単なる憎悪ぞうおの
念に変化した。ところが一二年このかたは全く自他の差違に無頓着むとんじゃくになって、自分は自分の
ように生れついたもの、先は先のような運を持って世の中へ出て来たもの、両方共始から別種類の人間だ
から、ただ人間として生息する以外に、何の交渉も利害もないのだと考えるようになってきた。たまに世
間話のついでとして、ありゃいったい何をしている人だぐらいは聞きもするが、それより先は、教えて貰
う努力さえ出すのが面倒だった。御米にもこれと同じ傾きがあった。けれどもその夜よは珍らしく、坂井
の主人は四十恰好かっこうの髯ひげのない人であると云う事やら、ピヤノを弾くのは惣領そうりょうの娘
で十二三になると云う事やら、またほかの家うちの小供が遊びに来ても、ブランコへ乗せてやらないと云
う事やらを話した。
「なぜほかの家の子供はブランコへ乗せないんだい」
「つまり吝けちなんでしょう。早く悪くなるから」
 宗助は笑い出した。彼はそのくらい吝嗇けちな家主が、屋根が漏もると云えば、すぐ瓦師かわらしを寄
こしてくれる、垣が腐ったと訴えればすぐ植木屋に手を入れさしてくれるのは矛盾だと思ったのである。
 その晩宗助の夢には本多の植木鉢も坂井のブランコもなかった。彼は十時半頃床に入って、万象に疲れ
た人のように鼾いびきをかいた。この間から頭の具合がよくないため、寝付ねつきの悪いのを苦にしてい
た御米は、時々眼を開けて薄暗い部屋を眺ながめた。細い灯ひが床の間の上に乗せてあった。夫婦は夜中
よじゅう灯火あかりを点つけておく習慣がついているので、寝る時はいつでも心しんを細目にして洋灯ラ
ンプをここへ上げた。
 御米は気にするように枕の位置を動かした。そうしてそのたびに、下にしている方の肩の骨を、蒲団ふ
とんの上で滑すべらした。しまいには腹這はらばいになったまま、両肱りょうひじを突いて、しばらく夫
の方を眺めていた。それから起き上って、夜具の裾すそに掛けてあった不断着を、寝巻ねまきの上へ羽織
はおったなり、床の間の洋灯を取り上げた。
「あなたあなた」と宗助の枕元へ来て曲こごみながら呼んだ。その時夫はもう鼾をかいていなかった。け
れども、元の通り深い眠ねむりから来る呼吸いきを続けていた。御米はまた立ち上って、洋灯を手にした
まま、間あいの襖ふすまを開けて茶の間へ出た。暗い部屋が茫漠ぼんやり手元の灯に照らされた時、御米
は鈍く光る箪笥たんすの環かんを認めた。それを通り過ぎると黒く燻くすぶった台所に、腰障子こししょ
うじの紙だけが白く見えた。御米は火の気けのない真中に、しばらく佇たたずんでいたが、やがて右手に
当る下女部屋の戸を、音のしないようにそっと引いて、中へ洋灯の灯を翳かざした。下女は縞しまも色も
判然はっきり映らない夜具の中に、土竜もぐらのごとく塊かたまって寝ていた。今度は左側の六畳を覗の
ぞいた。がらんとして淋さみしい中に、例の鏡台が置いてあって、鏡の表が夜中だけに凄すごく眼に応こ
たえた。
 御米は家中を一回ひとまわり回った後あと、すべてに異状のない事を確かめた上、また床の中へ戻った
217 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:03:45.63 ID:4uTcWgUe
。そうしてようやく眼を眠った。今度は好い具合に、眼蓋まぶたのあたりに気を遣つかわないで済むよう
に覚えて、しばらくするうちに、うとうととした。
 するとまたふと眼が開あいた。何だかずしんと枕元で響いたような心持がする。耳を枕から離して考え
ると、それはある大きな重いものが、裏の崖から自分達の寝ている座敷の縁の外へ転がり落ちたとしか思
われなかった。しかし今眼が覚さめるすぐ前に起った出来事で、けっして夢の続じゃないと考えた時、御
米は急に気味を悪くした。そうして傍に寝ている夫の夜具の袖そでを引いて、今度は真面目まじめに宗助
を起し始めた。
 宗助はそれまで全くよく寝ていたが、急に眼が覚さめると、御米が、
「あなたちょっと起きて下さい」と揺ゆすっていたので、半分は夢中に、
「おい、好し」とすぐ蒲団ふとんの上へ起き直った。御米は小声で先刻さっきからの様子を話した。
「音は一遍した限ぎりなのかい」
「だって今したばかりなのよ」
 二人はそれで黙った。ただじっと外の様子を伺っていた。けれども世間は森しんと静であった。いつま
で耳を峙そばだてていても、再び物の落ちて来る気色けしきはなかった。宗助は寒いと云いながら、単衣
ひとえの寝巻の上へ羽織を被かぶって、縁側えんがわへ出て、雨戸を一枚繰った。外を覗のぞくと何にも
見えない。ただ暗い中から寒い空気がにわかに肌に逼せまって来た。宗助はすぐ戸を閉たてた。
 ※(「金+饌のつくり」、第4水準2-91-37)かきがねをおろして座敷へ戻るや否や、また蒲団
の中へ潜もぐり込んだが、
「何にも変った事はありゃしない。多分御前おまいの夢だろう」と云って、宗助は横になった。御米はけ
っして夢でないと主張した。たしかに頭の上で大きな音がしたのだと固執こしつした。宗助は夜具から半
分出した顔を、御米の方へ振り向けて、
「御米、お前は神経が過敏になって、近頃どうかしているよ。もう少し頭を休めてよく寝る工夫でもしな
くっちゃいけない」と云った。
 その時次の間の柱時計が二時を打った。その音で二人ともちょっと言葉を途切らして、黙って見ると、
夜はさらに静まり返ったように思われた。二人は眼が冴さえて、すぐ寝つかれそうにもなかった。御米が

「でもあなたは気楽ね。横になると十分経たたないうちに、もう寝ていらっしゃるんだから」と云った。
「寝る事は寝るが、気が楽で寝られるんじゃない。つまり疲れるからよく寝るんだろう」と宗助が答えた

 こんな話をしているうちに、宗助はまた寝入ってしまった。御米は依然として、のつそつ床の中で動い
ていた。すると表をがらがらと烈はげしい音を立てて車が一台通った。近頃御米は時々夜明前の車の音を
聞いて驚ろかされる事があった。そうしてそれを思い合わせると、いつも似寄った刻限なので、必竟ひっ
きょうは毎朝同じ車が同じ所を通るのだろうと推測した。多分牛乳を配達するためかなどで、ああ急ぐに
違ないときめていたから、この音を聞くと等しく、もう夜が明けて、隣人の活動が始ったごとくに、心丈
夫になった。そうこうしていると、どこかで鶏とりの声が聞えた。またしばらくすると、下駄げたの音を
高く立てて往来を通るものがあった。そのうち清きよが下女部屋の戸を開けて厠かわやへ起きた模様だっ
たが、やがて茶の間へ来て時計を見ているらしかった。この時床の間に置いた洋灯ランプの油が減って、
短かい心しんに届かなくなったので、御米の寝ている所は真暗になっていた。そこへ清の手にした灯火あ
かりの影が、襖ふすまの間から射し込んだ。
「清かい」と御米が声を掛けた。
 清はそれからすぐ起きた。三十分ほど経たって御米も起きた。また三十分ほど経って宗助もついに起き
た。平常いつもは好い時分に御米がやって来て、
「もう起きてもよくってよ」と云うのが例であった。日曜とたまの旗日はたびには、それが、
「さあもう起きてちょうだい」に変るだけであった。しかし今日は昨夕ゆうべの事が何となく気にかかる
ので、御米の迎むかえに来ないうち宗助は床を離れた。そうして直すぐ崖下の雨戸を繰った。
 下から覗のぞくと、寒い竹が朝の空気に鎖とざされてじっとしている後うしろから、霜しもを破る日の
色が射して、幾分か頂いただきを染めていた。その二尺ほど下の勾配こうばいの一番急な所に生えている
218 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:03:57.66 ID:4uTcWgUe
枯草が、妙に摺すり剥むけて、赤土の肌を生々なまなましく露出した様子に、宗助はちょっと驚ろかされ
た。それから一直線に降おりて、ちょうど自分の立っている縁鼻えんばなの土が、霜柱を摧くだいたよう
に荒れていた。宗助は大きな犬でも上から転がり落ちたのじゃなかろうかと思った。しかし犬にしてはい
くら大きいにしても、余り勢が烈し過ぎると思った。
 宗助は玄関から下駄を提さげて来て、すぐ庭へ下りた。縁の先へ便所が折れ曲って突き出しているので
、いとど狭い崖下が、裏へ抜ける半間ほどの所はなおさら狭苦しくなっていた。御米は掃除屋そうじやが
来るたびに、この曲り角を気にしては、
「あすこがもう少し広いといいけれども」と危険あぶながるので、よく宗助から笑われた事があった。
 そこを通り抜けると、真直まっすぐに台所まで細い路が付いている。元は枯枝の交った杉垣があって、
隣の庭の仕切りになっていたが、この間家主が手を入れた時、穴だらけの杉葉を奇麗きれいに取り払って
、今では節ふしの多い板塀いたべいが片側を勝手口まで塞ふさいでしまった。日当りの悪い上に、樋とい
から雨滴あまだればかり落ちるので、夏になると秋海棠しゅうかいどうがいっぱい生える。その盛りな頃
は青い葉が重なり合って、ほとんど通り路がなくなるくらい茂って来る。始めて越した年は、宗助も御米
もこの景色けしきを見て驚ろかされたくらいである。この秋海棠は杉垣のまだ引き抜かれない前から、何
年となく地下に蔓はびこっていたもので、古家ふるやの取り毀こぼたれた今でも、時節が来ると昔の通り
芽を吹くものと解った時、御米は、
「でも可愛いわね」と喜んだ。
 宗助が霜を踏んで、この記念の多い横手へ出た時、彼の眼は細長い路次ろじの一点に落ちた。そうして
彼は日の通わない寒さの中にはたと留まった。
 彼の足元には黒塗の蒔絵まきえの手文庫が放り出してあった。中味はわざわざそこへ持って来て置いて
行ったように、霜の上にちゃんと据すわっているが、蓋ふたは二三尺離れて、塀へいの根に打ちつけられ
たごとくに引っ繰り返って、中を張った千代紙ちよがみの模様が判然はっきり見えた。文庫の中から洩も
れた、手紙や書付類が、そこいらに遠慮なく散らばっている中に、比較的長い一通がわざわざ二尺ばかり
広げられて、その先が紙屑のごとく丸めてあった。宗助は近づいて、この揉苦茶もみくちゃになった紙の
下を覗のぞいて覚えず苦笑した。下には大便が垂れてあった。
 土の上に散らばっている書類を一纏ひとまとめにして、文庫の中へ入れて、霜と泥に汚れたまま宗助は
勝手口まで持って来た。腰障子こししょうじを開けて、清に
「おいこれをちょっとそこへ置いてくれ」と渡すと、清は妙な顔をして、不思議そうにそれを受取った。
御米は奥で座敷へ払塵はたきを掛けていた。宗助はそれから懐手ふところでをして、玄関だの門の辺あた
りをよく見廻ったが、どこにも平常と異なる点は認められなかった。
 宗助はようやく家うちへ入った。茶の間へ来て例の通り火鉢ひばちの前へ坐すわったが、すぐ大きな声
を出して御米を呼んだ。御米は、
「起き抜けにどこへ行っていらしったの」と云いながら奥から出て来た。
「おい昨夜ゆうべ枕元で大きな音がしたのは、やっぱり夢じゃなかったんだ。泥棒だよ。泥棒が坂井さん
の崖がけの上から宅うちの庭へ飛び下りた音だ。今裏へ回って見たら、この文庫が落ちていて、中にはい
っていた手紙なんぞが、むちゃくちゃに放り出してあった。おまけに御馳走ごちそうまで置いて行った」
 宗助は文庫の中から、二三通の手紙を出して御米に見せた。それには皆みんな坂井の名宛なあてが書い
てあった。御米は吃驚びっくりして立膝のまま、
「坂井さんじゃほかに何か取られたでしょうか」と聞いた。宗助は腕組をして、
「ことに因よると、まだ何かやられたね」と答えた。
 夫婦はともかくもと云うので、文庫をそこへ置いたなり朝飯の膳ぜんに着いた。しかし箸はしを動かす
間まも泥棒の話は忘れなかった。御米は自分の耳と頭のたしかな事を夫に誇った。宗助は耳と頭のたしか
でない事を幸福とした。
「そうおっしゃるけれど、これが坂井さんでなくって、宅で御覧なさい。あなたみたように、ぐうぐう寝
ていらしったら困るじゃないの」と御米が宗助をやり込めた。
「なに、宅なんぞへ這入はいる気遣きづかいはないから大丈夫だ」と宗助も口の減らない返事をした。
 そこへ清が突然台所から顔を出して、
219 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:04:09.63 ID:4uTcWgUe
「この間拵こしらえた旦那様の外套マントでも取られようものなら、それこそ騒ぎでございましたね。御
宅おうちでなくって坂井さんだったから、本当に結構でございます」と真面目まじめに悦よろこびの言葉
を述べたので、宗助も御米も少し挨拶あいさつに窮きゅうした。
 食事を済ましても、出勤の時刻にはまだだいぶ間があった。坂井では定めて騒いでるだろうと云うので
、文庫は宗助が自分で持って行ってやる事にした。蒔絵まきえではあるが、ただ黒地に亀甲形きっこうが
たを金きんで置いただけの事で、別に大して金目の物とも思えなかった。御米は唐桟とうざんの風呂敷ふ
ろしきを出してそれを包くるんだ。風呂敷が少し小さいので、四隅よすみを対むこう同志繋つないで、真
中にこま結びを二つ拵こしらえた。宗助がそれを提さげたところは、まるで進物の菓子折のようであった

 座敷で見ればすぐ崖の上だが、表から廻ると、通りを半町ばかり来て、坂を上のぼって、また半町ほど
逆に戻らなければ、坂井の門前へは出られなかった。宗助は石の上へ芝を盛って扇骨木かなめを奇麗きれ
いに植えつけた垣に沿うて門内に入った。
 家いえの内はむしろ静か過ぎるくらいしんとしていた。摺硝子すりガラスの戸が閉たててある玄関へ来
て、ベルを二三度押して見たが、ベルが利きかないと見えて誰も出て来なかった。宗助は仕方なしに勝手
口へ廻った。そこにも摺硝子の嵌はまった腰障子こししょうじが二枚閉ててあった。中では器物を取り扱
う音がした。宗助は戸を開けて、瓦斯七輪ガスしちりんを置いた板の間に蹲踞しゃがんでいる下女に挨拶
あいさつをした。
「これはこちらのでしょう。今朝私わたしの家うちの裏に落ちていましたから持って来ました」と云いな
がら、文庫を出した。
 下女は「そうでございましたか、どうも」と簡単に礼を述べて、文庫を持ったまま、板の間の仕切まで
行って、仲働なかばたらきらしい女を呼び出した。そこで小声に説明をして、品物を渡すと、仲働はそれ
を受取ったなり、ちょっと宗助の方を見たがすぐ奥へ入った。入いれ違ちがえに、十二三になる丸顔の眼
の大きな女の子と、その妹らしい揃そろいのリボンを懸かけた子がいっしょに馳かけて来て、小さい首を
二つ並べて台所へ出した。そうして宗助の顔を眺ながめながら、泥棒よと耳語ささやきやった。宗助は文
庫を渡してしまえば、もう用が済んだのだから、奥の挨拶はどうでもいいとして、すぐ帰ろうかと考えた

「文庫は御宅のでしょうね。いいんでしょうね」と念を押して、何なにも知らない下女を気の毒がらして
いるところへ、最前の仲働が出て来て、
「どうぞ御通り下さい」と丁寧ていねいに頭を下げたので、今度は宗助の方が少し痛み入るようになった
。下女はいよいよしとやかに同じ請求を繰り返した。宗助は痛み入る境を通り越して、ついに迷惑を感じ
出した。ところへ主人が自分で出て来た。
 主人は予想通り血色の好い下膨しもぶくれの福相ふくそうを具そなえていたが、御米の云ったように髭
ひげのない男ではなかった。鼻の下に短かく刈り込んだのを生やして、ただ頬ほおから腮あごを奇麗きれ
いに蒼あおくしていた。
「いやどうもとんだ御手数ごてかずで」と主人は眼尻めじりに皺しわを寄せながら礼を述べた。米沢よね
ざわの絣かすりを着た膝ひざを板の間に突いて、宗助からいろいろ様子を聞いている態度が、いかにも緩
ゆっくりしていた。宗助は昨夕ゆうべから今朝へかけての出来事を一通り掻かい撮つまんで話した上、文
庫のほかに何か取られたものがあるかないかを尋ねて見た。主人は机の上に置いた金時計を一つ取られた
由よしを答えた。けれどもまるで他ひとのものでも失なくなした時のように、いっこう困ったと云う気色
けしきはなかった。時計よりはむしろ宗助の叙述の方に多くの興味を有もって、泥棒が果して崖を伝って
裏から逃げるつもりだったろうか、または逃げる拍子ひょうしに、崖から落ちたものだろうかと云うよう
な質問を掛けた。宗助は固もとより返答ができなかった。
 そこへ最前の仲働が、奥から茶や莨たばこを運んで来たので、宗助はまた帰りはぐれた。主人はわざわ
ざ座蒲団ざぶとんまで取り寄せて、とうとうその上へ宗助の尻を据すえさした。そうして今朝けさ早く来
た刑事の話をし始めた。刑事の判定によると、賊は宵よいから邸内に忍び込んで、何でも物置かなぞに隠
れていたに違ない。這入口はいりくちはやはり勝手である。燐寸マッチを擦すって蝋燭ろうそくを点とも
して、それを台所にあった小桶こおけの中へ立てて、茶の間へ出たが、次の部屋には細君と子供が寝てい
220 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:04:21.74 ID:4uTcWgUe
るので、廊下伝いに主人の書斎へ来て、そこで仕事をしていると、この間生れた末の男の子が、乳を呑の
む時刻が来たものか、眼を覚さまして泣き出したため、賊は書斎の戸を開けて庭へ逃げたらしい。
「平常いつものように犬がいると好かったんですがね。あいにく病気なので、四五日前病院へ入れてしま
ったもんですから」と主人は残念がった。宗助も、
「それは惜しい事でした」と答えた。すると主人はその犬の種ブリードやら血統やら、時々猟かりに連れ
て行く事や、いろいろな事を話し始めた。
「猟りょうは好ですから。もっとも近来は神経痛で少し休んでいますが。何しろ秋口から冬へ掛けて鴫し
ぎなぞを打ちに行くと、どうしても腰から下は田の中へ浸つかって、二時間も三時間も暮らさなければな
らないんですから、全く身体からだには好くないようです」
 主人は時間に制限のない人と見えて、宗助が、なるほどとか、そうですか、とか云っていると、いつま
でも話しているので、宗助はやむを得ず中途で立ち上がった。
「これからまた例の通り出かけなければなりませんから」と切り上げると、主人は始めて気がついたよう
に、忙がしいところを引き留めた失礼を謝した。そうしていずれまた刑事が現状を見に行くかも知れない
から、その時はよろしく願うと云うような事を述べた。最後に、
「どうかちと御話に。私も近頃はむしろ閑ひまな方ですから、また御邪魔に出ますから」と丁寧ていねい
に挨拶をした。門を出て急ぎ足に宅うちへ帰ると、毎朝出る時刻よりも、もう三十分ほど後れていた。
「あなたどうなすったの」と御米が気を揉もんで玄関へ出た。宗助はすぐ着物を脱いで洋服に着換えなが
ら、
「あの坂井と云う人はよっぽど気楽な人だね。金があるとああ緩ゆっくりできるもんかな」と云った。



「小六ころくさん、茶の間から始めて。それとも座敷の方を先にして」と御米およねが聞いた。
 小六は四五日前とうとう兄の所へ引き移った結果として、今日の障子しょうじの張替はりかえを手伝わ
なければならない事となった。彼は昔むかし叔父の家にいた時、安之助やすのすけといっしょになって、
自分の部屋の唐紙からかみを張り替えた経験がある。その時は糊のりを盆に溶といたり、箆へらを使って
見たり、だいぶ本式にやり出したが、首尾好く乾かして、いざ元の所へ建てるという段になると、二枚と
も反そっ繰くり返って敷居の溝みぞへ嵌はまらなかった。それからこれも安之助と共同して失敗した仕事
であるが、叔母の云いつけで、障子を張らせられたときには、水道でざぶざぶ枠わくを洗ったため、やっ
ぱり乾いた後で、惣体そうたいに歪ゆがみができて非常に困難した。
「姉さん、障子を張るときは、よほど慎重にしないと失策しくじるです。洗っちゃ駄目ですぜ」と云いな
がら、小六は茶の間の縁側えんがわからびりびり破き始めた。
 縁先は右の方に小六のいる六畳が折れ曲って、左には玄関が突き出している。その向うを塀へいが縁と
平行に塞ふさいでいるから、まあ四角な囲内かこいうちと云っていい。夏になるとコスモスを一面に茂ら
して、夫婦とも毎朝露の深い景色けしきを喜んだ事もあるし、また塀の下へ細い竹を立てて、それへ朝顔
を絡からませた事もある。その時は起き抜けに、今朝咲いた花の数を勘定かんじょうし合って二人が楽た
のしみにした。けれども秋から冬へかけては、花も草もまるで枯れてしまうので、小さな砂漠さばくみた
ように、眺ながめるのも気の毒なくらい淋さびしくなる。小六はこの霜しもばかり降りた四角な地面を背
にして、しきりに障子の紙を剥はがしていた。
 時々寒い風が来て、後うしろから小六の坊主頭と襟えりの辺あたりを襲おそった。そのたびに彼は吹ふ
き曝さらしの縁から六畳の中へ引っ込みたくなった。彼は赤い手を無言のまま働らかしながら、馬尻バケ
ツの中で雑巾ぞうきんを絞しぼって障子の桟さんを拭き出した。
「寒いでしょう、御気の毒さまね。あいにく御天気が時雨しぐれたもんだから」と御米が愛想あいそを云
って、鉄瓶てつびんの湯を注つぎ注つぎ、昨日きのう煮た糊のりを溶いた。
 小六は実際こんな用をするのを、内心では大いに軽蔑けいべつしていた。ことに昨今自分がやむなく置
かれた境遇からして、この際多少自己を侮辱しているかの観を抱いだいて雑巾を手にしていた。昔し叔父
の家で、これと同じ事をやらせられた時は、暇潰ひまつぶしの慰みとして、不愉快どころかかえって面白
221 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:04:33.63 ID:4uTcWgUe
かった記憶さえあるのに、今じゃこのくらいな仕事よりほかにする能力のないものと、強いて周囲から諦
あきらめさせられたような気がして、縁側の寒いのがなおのこと癪しゃくに触った。
 それで嫂あによめには快よい返事さえ碌ろくにしなかった。そうして頭の中で、自分の下宿にいた法科
大学生が、ちょっと散歩に出るついでに、資生堂へ寄って、三つ入りの石鹸シャボンと歯磨を買うのにさ
え、五円近くの金を払う華奢かしゃを思い浮べた。するとどうしても自分一人が、こんな窮境に陥おちい
るべき理由がないように感ぜられた。それから、こんな生活状態に甘んじて一生を送る兄夫婦がいかにも
憫然ふびんに見えた。彼らは障子を張る美濃紙みのがみを買うのにさえ気兼きがねをしやしまいかと思わ
れるほど、小六から見ると、消極的な暮し方をしていた。
「こんな紙じゃ、またすぐ破けますね」と云いながら、小六は巻いた小口を一尺ほど日に透すかして、二
三度力任せに鳴らした。
「そう? でも宅うちじゃ小供がないから、それほどでもなくってよ」と答えた御米は糊を含ました刷毛
はけを取ってとんとんとんと桟の上を渡した。
 二人は長く継ついだ紙を双方から引き合って、なるべく垂たるみのできないように力つとめたが、小六
が時々面倒臭そうな顔をすると、御米はつい遠慮が出て、好加減いいかげんに髪剃かみそりで小口を切り
落してしまう事もあった。したがってでき上ったものには、所々のぶくぶくがだいぶ目についた。御米は
情なさけなさそうに、戸袋に立て懸かけた張り立ての障子を眺ながめた。そうして心の中うちで、相手が
小六でなくって、夫であったならと思った。
「皺しわが少しできたのね」
「どうせ僕の御手際おてぎわじゃ旨うまく行かない」
「なに兄さんだって、そう御上手じゃなくってよ。それに兄さんはあなたよりよっぽど無精ぶしょうね」
 小六は何にも答えなかった。台所から清きよが持って来た含嗽茶碗うがいぢゃわんを受け取って、戸袋
の前へ立って、紙が一面に濡ぬれるほど霧を吹いた。二枚目を張ったときは、先に霧を吹いた分がほぼ乾
いて皺しわがおおかた平らになっていた。三枚目を張ったとき、小六は腰が痛くなったと云い出した。実
を云うと御米の方は今朝けさから頭が痛かったのである。
「もう一枚張って、茶の間だけ済ましてから休みましょう」と云った。
 茶の間を済ましているうちに午ひるになったので、二人は食事を始めた。小六が引き移ってからこの四
五日しごんち、御米は宗助そうすけのいない午飯ひるはんを、いつも小六と差向さしむかいで食べる事に
なった。宗助といっしょになって以来、御米の毎日膳ぜんを共にしたものは、夫よりほかになかった。夫
の留守の時は、ただ独ひとり箸はしを執とるのが多年の習慣ならわしであった。だから突然この小舅こじ
ゅうとと自分の間に御櫃おはちを置いて、互に顔を見合せながら、口を動かすのが、御米に取っては一種
異いな経験であった。それも下女が台所で働らいているときは、まだしもだが、清の影も音もしないとな
ると、なおのこと変に窮屈な感じが起った。無論小六よりも御米の方が年上であるし、また従来の関係か
ら云っても、両性を絡からみつける艶つやっぽい空気は、箝束的けんそくてきな初期においてすら、二人
の間に起り得べきはずのものではなかった。御米は小六と差向さしむかいに膳に着くときのこの気ぶっせ
いな心持が、いつになったら消えるだろうと、心の中うちで私ひそかに疑ぐった。小六が引き移るまでは
、こんな結果が出ようとは、まるで気がつかなかったのだからなおさら当惑した。仕方がないからなるべ
く食事中に話をして、せめて手持無沙汰てもちぶさたな隙間すきまだけでも補おうと力つとめた。不幸に
して今の小六は、この嫂あによめの態度に対してほどの好い調子を出すだけの余裕と分別ふんべつを頭の
中に発見し得なかったのである。
「小六さん、下宿は御馳走ごちそうがあって」
 こんな質問に逢うと、小六は下宿から遊びに来た時分のように、淡泊たんぱくな遠慮のない答をする訳
に行かなくなった。やむを得ず、
「なにそうでもありません」ぐらいにしておくと、その語気がからりと澄んでいないので、御米の方では
、自分の待遇が悪いせいかと解釈する事もあった。それがまた無言の間あいだに、小六の頭に映る事もあ
った。
 ことに今日は頭の具合が好くないので、膳に向っても、御米はいつものように力つとめるのが退儀たい
ぎであった。力つとめて失敗するのはなお厭いやであった。それで二人とも障子しょうじを張るときより
222 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:04:45.78 ID:4uTcWgUe
も言葉少なに食事を済ました。
 午後は手が慣なれたせいか、朝に比べると仕事が少し果取はかどった。しかし二人の気分は飯前よりも
かえって縁遠くなった。ことに寒い天気が二人の頭に応こたえた。起きた時は、日を載のせた空がしだい
に遠退とおのいて行くかと思われるほどに、好く晴れていたが、それが真蒼まっさおに色づく頃から急に
雲が出て、暗い中で粉雪こゆきでも醸かもしているように、日の目を密封した。二人は交かわる交がわる
火鉢に手を翳かざした。
「兄さんは来年になると月給が上がるんでしょう」
 ふと小六がこんな問を御米にかけた。御米はその時畳の上の紙片かみぎれを取って、糊に汚よごれた手
を拭いていたが、全く思も寄らないという顔をした。
「どうして」
「でも新聞で見ると、来年から一般に官吏の増俸があると云う話じゃありませんか」
 御米はそんな消息を全く知らなかった。小六から詳しい説明を聞いて、始めてなるほどと首肯うなずい
た。
「全くね。これじゃ誰だって、やって行けないわ。御肴おさかなの切身なんか、私わたしが東京へ来てか
らでも、もう倍になってるんですもの」と云った。肴の切身の値段になると小六の方が全く無識であった
。御米に注意されて始めてそれほどむやみに高くなるものかと思った。
 小六にちょっとした好奇心の出たため、二人の会話は存外素直に流れて行った。御米は裏の家主の十八
九時代に物価の大変安かった話を、この間宗助から聞いた通り繰り返した。その時分は蕎麦そばを食うに
しても、盛もりかけが八厘、種たねものが二銭五厘であった。牛肉は普通なみが一人前いちにんまえ四銭
で、ロースは六銭であった。寄席よせは三銭か四銭であった。学生は月に七円ぐらい国から貰もらえば中
ちゅうの部であった。十円も取るとすでに贅沢ぜいたくと思われた。
「小六さんも、その時分だと訳なく大学が卒業できたのにね」と御米が云った。
「兄さんもその時分だと大変暮しやすい訳ですね」と小六が答えた。
 座敷の張易はりかえが済んだときにはもう三時過になった。そうこうしているうちには、宗助も帰って
来るし、晩の支度したくも始めなくってはならないので、二人はこれを一段落として、糊や髪剃かみそり
を片づけた。小六は大きな伸のびを一つして、握にぎり拳こぶしで自分の頭をこんこんと叩たたいた。
「どうも御苦労さま。疲れたでしょう」と御米は小六を労いたわった。小六はそれよりも口淋くちさむし
い思がした。この間文庫を届けてやった礼に、坂井からくれたと云う菓子を、戸棚とだなから出して貰っ
て食べた。御米は御茶を入れた。
「坂井と云う人は大学出なんですか」
「ええ、やっぱりそうなんですって」
 小六は茶を飲んで煙草たばこを吹いた。やがて、
「兄さんは増俸の事をまだあなたに話さないんですか」と聞いた。
「いいえ、ちっとも」と御米が答えた。
「兄さんみたようになれたら好いだろうな。不平も何もなくって」
 御米は特別の挨拶あいさつもしなかった。小六はそのまま起たって六畳へ這入はいったが、やがて火が
消えたと云って、火鉢を抱かかえてまた出て来た。彼は兄の家いえに厄介やっかいになりながら、もう少
し立てば都合がつくだろうと慰めた安之助の言葉を信じて、学校は表向おもてむき休学の体ていにして一
時の始末をつけたのである。



 裏の坂井と宗助そうすけとは文庫が縁になって思わぬ関係がついた。それまでは月に一度こちらから清
きよに家賃を持たしてやると、向むこうからその受取を寄こすだけの交渉に過ぎなかったのだから、崖が
けの上に西洋人が住んでいると同様で、隣人としての親みは、まるで存在していなかったのである。
 宗助が文庫を届けた日の午後に、坂井の云った通り、刑事が宗助の家の裏手から崖下を検しらべに来た
が、その時坂井もいっしょだったので、御米およねは始めて噂うわさに聞いた家主の顔を見た。髭ひげの
223 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:04:57.67 ID:4uTcWgUe
ないと思ったのに、髭を生やしているのと、自分なぞに対しても、存外丁寧ていねいな言葉を使うのが、
御米には少し案外であった。
「あなた、坂井さんはやっぱり髭を生やしていてよ」と宗助が帰ったとき、御米はわざわざ注意した。
 それから二日ばかりして、坂井の名刺を添えた立派な菓子折を持って、下女が礼に来たが、せんだって
はいろいろ御世話になりまして、ありがとう存じます、いずれ主人が自身に伺うはずでございますがと云
いおいて、帰って行った。
 その晩宗助は到来の菓子折の葢ふたを開けて、唐饅頭とうまんじゅうを頬張ほおばりながら、
「こんなものをくれるところをもって見ると、それほど吝けちでもないようだね。他ひとの家うちの子を
ブランコへ乗せてやらないって云うのは嘘だろう」と云った。御米も、
「きっと嘘よ」と坂井を弁護した。
 夫婦と坂井とは泥棒の這入はいらない前より、これだけ親しみの度が増したようなものの、それ以上に
接近しようと云う念は、宗助の頭にも、御米の胸にも宿らなかった。利害の打算から云えば無論の事、単
に隣人の交際とか情誼じょうぎとか云う点から見ても、夫婦はこれよりも前進する勇気を有もたなかった
のである。もし自然がこのままに無為むいの月日を駆かったなら、久しからぬうちに、坂井は昔の坂井に
なり、宗助は元の宗助になって、崖の上と崖の下に互の家が懸かけ隔へだたるごとく、互の心も離れ離れ
になったに違なかった。
 ところがそれからまた二日置いて、三日目の暮れ方に、獺かわうその襟えりの着いた暖かそうな外套マ
ントを着て、突然坂井が宗助の所へやって来た。夜間客に襲おそわれつけない夫婦は、軽微の狼狽ろうば
いを感じたくらい驚ろかされたが、座敷へ上げて話して見ると、坂井は丁寧に先日の礼を述べた後のち、
「御蔭で取られた品物がまた戻りましたよ」と云いながら、白縮緬しろちりめんの兵児帯へこおびに巻き
付けた金鎖を外はずして、両葢りょうぶたの金時計を出して見せた。
 規則だから警察へ届ける事は届けたが、実はだいぶ古い時計なので、取られてもそれほど惜しくもない
ぐらいに諦あきらめていたら、昨日きのうになって、突然差出人の不明な小包が着いて、その中にちゃん
と自分の失なくしたのが包くるんであったんだと云う。
「泥棒も持ち扱かったんでしょう。それとも余り金にならないんで、やむを得ず返してくれる気になった
んですかね。何しろ珍らしい事で」と坂井は笑っていた。それから、
「何私から云うと、実はあの文庫の方がむしろ大切な品でしてね。祖母ばばが昔し御殿へ勤めていた時分
、戴いただいたんだとか云って、まあ記念かたみのようなものですから」と云うような事も説明して聞か
した。
 その晩坂井はそんな話を約二時間もして帰って行ったが、相手になった宗助も、茶の間で聞いていた御
米も、大変談話の材料に富んだ人だと思わぬ訳に行かなかった。後あとで、
「世間の広い方かたね」と御米が評した。
「閑ひまだからさ」と宗助が解釈した。
 次の日宗助が役所の帰りがけに、電車を降りて横町の道具屋の前まで来ると、例の獺かわうその襟えり
を着けた坂井の外套マントがちょっと眼に着いた。横顔を往来の方へ向けて、主人を相手に何か云ってい
る。主人は大きな眼鏡を掛けたまま、下から坂井の顔を見上げている。宗助は挨拶あいさつをすべき折で
もないと思ったから、そのまま行き過ぎようとして、店の正面まで来ると、坂井の眼が往来へ向いた。
「やあ昨夜は。今御帰りですか」と気軽に声をかけられたので、宗助も愛想あいそなく通り過ぎる訳にも
行かなくなって、ちょっと歩調を緩ゆるめながら、帽子を取った。すると坂井は、用はもう済んだと云う
風をして、店から出て来た。
「何か御求めですか」と宗助が聞くと、
「いえ、何」と答えたまま、宗助と並んで家うちの方へ歩き出した。六七間来たとき、
「あの爺じじい、なかなか猾ずるい奴ですよ。崋山かざんの偽物にせものを持って来て押付おっつけよう
としやがるから、今叱りつけてやったんです」と云い出した。宗助は始めて、この坂井も余裕よゆうある
人に共通な好事こうずを道楽にしているのだと心づいた。そうしてこの間売り払った抱一ほういつの屏風
びょうぶも、最初からこう云う人に見せたら、好かったろうにと、腹の中で考えた。
「あれは書画には明るい男なんですか」
224 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:05:09.72 ID:4uTcWgUe
「なに書画どころか、まるで何も分らない奴です。あの店の様子を見ても分るじゃありませんか。骨董こ
っとうらしいものは一つも並んでいやしない。もとが紙屑屋かみくずやから出世してあれだけになったん
ですからね」
 坂井は道具屋の素性すじょうをよく知っていた。出入でいりの八百屋の阿爺おやじの話によると、坂井
の家は旧幕の頃何とかの守かみと名乗ったもので、この界隈かいわいでは一番古い門閥家もんばつかなの
だそうである。瓦解がかいの際、駿府すんぷへ引き上げなかったんだとか、あるいは引き上げてまた出て
来たんだとか云う事も耳にしたようであるが、それは判然はっきり宗助の頭に残っていなかった。
「小さい内から悪戯いたずらものでね。あいつが餓鬼大将がきだいしょうになってよく喧嘩けんかをしに
行った事がありますよ」と坂井は御互の子供の時の事まで一口洩もらした。それがまたどうして崋山の贋
物にせものを売り込もうと巧たくんだのかと聞くと、坂井は笑って、こう説明した。――
「なに親父おやじの代から贔屓ひいきにしてやってるものですから、時々何なんだ蚊かだって持って来る
んです。ところが眼も利きかない癖に、ただ慾ばりたがってね、まことに取扱い悪にくい代物しろもので
す。それについこの間抱一の屏風を買って貰って、味を占めたんでね」
 宗助は驚ろいた。けれども話の途中を遮さえぎる訳に行かなかったので、黙っていた。坂井は道具屋が
それ以来乗気になって、自身に分りもしない書画類をしきりに持ち込んで来る事やら、大坂出来の高麗焼
こうらいやきを本物だと思って、大事に飾っておいた事やら話した末、
「まあ台所だいどこで使う食卓ちゃぶだいか、たかだか新あらの鉄瓶てつびんぐらいしか、あんな所じゃ
買えたもんじゃありません」と云った。
 そのうち二人は坂の上へ出た。坂井はそこを右へ曲る、宗助はそこを下へ下りなければならなかった。
宗助はもう少しいっしょに歩いて、屏風びょうぶの事を聞きたかったが、わざわざ回まわり路みちをする
のも変だと心づいて、それなり分れた。分れる時、
「近い中うち御邪魔に出てもようございますか」と聞くと、坂井は、
「どうぞ」と快よく答えた。
 その日は風もなくひとしきり日も照ったが、家うちにいると底冷そこびえのする寒さに襲おそわれると
か云って、御米はわざわざ置炬燵おきごたつに宗助の着物を掛けて、それを座敷の真中に据すえて、夫の
帰りを待ち受けていた。
 この冬になって、昼のうち炬燵こたつを拵こしらえたのは、その日が始めてであった。夜は疾とうから
用いていたが、いつも六畳に置くだけであった。
「座敷の真中にそんなものを据えて、今日はどうしたんだい」
「でも、御客も何もないからいいでしょう。だって六畳の方は小六ころくさんがいて、塞ふさがっている
んですもの」
 宗助は始めて自分の家に小六のいる事に気がついた。襯衣シャツの上から暖かい紡績織ぼうせきおりを
掛けて貰って、帯をぐるぐる巻きつけたが、
「ここは寒帯だから炬燵でも置かなくっちゃ凌しのげない」と云った。小六の部屋になった六畳は、畳こ
そ奇麗きれいでないが、南と東が開あいていて、家中うちじゅうで一番暖かい部屋なのである。
 宗助は御米の汲くんで来た熱い茶を湯呑ゆのみから二口ほど飲んで、
「小六はいるのかい」と聞いた。小六は固もとよりいたはずである。けれども六畳はひっそりして人のい
るようにも思われなかった。御米が呼びに立とうとするのを、用はないからいいと留めたまま、宗助は炬
燵蒲団ぶとんの中へ潜もぐり込んで、すぐ横になった。一方口いっぽうぐちに崖を控えている座敷には、
もう暮方の色が萌きざしていた。宗助は手枕をして、何を考えるともなく、ただこの暗く狭い景色けしき
を眺ながめていた。すると御米と清が台所で働く音が、自分に関係のない隣の人の活動のごとくに聞えた
。そのうち、障子だけがただ薄白く宗助の眼に映るように、部屋の中が暮れて来た。彼はそれでもじっと
して動かずにいた。声を出して洋灯ランプの催促もしなかった。
 彼が暗い所から出て、晩食ばんめしの膳ぜんに着いた時は、小六も六畳から出て来て、兄の向うに坐す
わった。御米は忙しいので、つい忘れたと云って、座敷の戸を締しめに立った。宗助は弟に夕方になった
ら、ちと洋灯ランプを点つけるとか、戸を閉たてるとかして、忙せわしい姉の手伝でもしたら好かろうと
注意したかったが、昨今引き移ったばかりのものに、気まずい事を云うのも悪かろうと思ってやめた。
225 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:05:26.68 ID:4uTcWgUe
 御米が座敷から帰って来るのを待って、兄弟は始めて茶碗に手を着けた。その時宗助はようやく今日役
所の帰りがけに、道具屋の前で坂井に逢った事と、坂井があの大きな眼鏡めがねを掛けている道具屋から
、抱一ほういつの屏風びょうぶを買ったと云う話をした。御米は、
「まあ」と云ったなり、しばらく宗助の顔を見ていた。
「じゃきっとあれよ。きっとあれに違ないわね」
 小六は始めのうち何にも口を出さなかったが、だんだん兄夫婦の話を聞いているうちに、ほぼ関係が明
暸めいりょうになったので、
「全体いくらで売ったのです」と聞いた。御米は返事をする前にちょっと夫の顔を見た。
 食事が終ると、小六はじきに六畳へ這入はいった。宗助はまた炬燵こたつへ帰った。しばらくして御米
も足を温ぬくめに来た。そうして次の土曜か日曜には坂井へ行って、一つ屏風を見て来たらいいだろうと
云うような事を話し合った。
 次の日曜になると、宗助は例の通り一週に一返いっぺんの楽寝らくねを貪ぼったため、午前ひるまえ半
日をとうとう空くうに潰つぶしてしまった。御米はまた頭が重いとか云って、火鉢ひばちの縁ふちに倚よ
りかかって、何をするのも懶ものうそうに見えた。こんな時に六畳が空あいていれば、朝からでも引込む
場所があるのにと思うと、宗助は小六に六畳をあてがった事が、間接に御米の避難場を取り上げたと同じ
結果に陥おちいるので、ことに済まないような気がした。
 心持が悪ければ、座敷へ床を敷いて寝たら好かろうと注意しても、御米は遠慮して容易に応じなかった
。それではまた炬燵でも拵こしらえたらどうだ、自分も当るからと云って、とうとう櫓やぐらと掛蒲団か
けぶとんを清きよに云いつけて、座敷へ運ばした。
 小六は宗助が起きる少し前に、どこかへ出て行って、今朝けさは顔さえ見せなかった。宗助は御米に向
って別段その行先を聞き糺ただしもしなかった。この頃では小六に関係した事を云い出して、御米にその
返事をさせるのが、気の毒になって来た。御米の方から、進んで弟の讒訴ざんそでもするようだと、叱る
にしろ、慰さめるにしろ、かえって始末が好いと考える時もあった。
 午ひるになっても御米は炬燵から出なかった。宗助はいっそ静かに寝かしておく方が身体からだのため
によかろうと思ったので、そっと台所へ出て、清にちょっと上の坂井まで行ってくるからと告げて、不断
着の上へ、袂たもとの出る短いインヴァネスを纏まとって表へ出た。
 今まで陰気な室へやにいた所為せいか、通とおりへ来ると急にからりと気が晴れた。肌の筋肉が寒い風
に抵抗して、一時に緊縮するような冬の心持の鋭どく出るうちに、ある快感を覚えたので、宗助は御米も
ああ家うちにばかり置いては善よくない、気候が好くなったら、ちと戸外の空気を呼吸させるようにして
やらなくては毒だと思いながら歩いた。
 坂井の家の門を入ったら、玄関と勝手口の仕切になっている生垣いけがきの目に、冬に似合わないぱっ
とした赤いものが見えた。傍そばへ寄ってわざわざ検しらべると、それは人形に掛ける小さい夜具であっ
た。細い竹を袖そでに通して、落ちないように、扇骨木かなめの枝に寄せ掛けた手際てぎわが、いかにも
女の子の所作しょさらしく殊勝しゅしょうに思われた。こう云う悪戯いたずらをする年頃の娘は固もとよ
りの事、子供と云う子供を育て上げた経験のない宗助は、この小さい赤い夜具の尋常に日に干してある有
様をしばらく立って眺ながめていた。そうして二十年も昔に父母が、死んだ妹いもとのために飾った、赤
い雛段ひなだんと五人囃ごにんばやしと、模様の美くしい干菓子と、それから甘いようで辛からい白酒を
思い出した。
 坂井の主人は在宅ではあったけれども、食事中だと云うので、しばらく待たせられた。宗助は座に着く
や否や、隣の室へやで小さい夜具を干した人達の騒ぐ声を耳にした。下女が茶を運ぶために襖ふすまを開
けると、襖の影から大きな眼が四つほどすでに宗助を覗のぞいていた。火鉢を持って出ると、その後あと
からまた違った顔が見えた。始めてのせいか、襖の開閉あけたてのたびに出る顔がことごとく違っていて
、子供の数が何人あるか分らないように思われた。ようやく下女が退さがりきりに退がると、今度は誰だ
か唐紙からかみを一寸ほど細目に開けて、黒い光る眼だけをその間から出した。宗助も面白くなって、黙
って手招ぎをして見た。すると唐紙をぴたりと閉たてて、向う側で三四人が声を合して笑い出した。
 やがて一人の女の子が、
「よう、御姉様またいつものように叔母さんごっこしましょうよ」と云い出した。すると姉らしいのが、
226 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:05:45.71 ID:4uTcWgUe
「なるほど」と云った。
 主人はやがて宗助の後へ回って来て、指でそこここを指さしながら、品評やら説明やらした。その中う
ちには、さすが御大名だけあって、好い絵の具を惜気おしげもなく使うのがこの画家の特色だから、色が
いかにもみごとであると云うような、宗助には耳新らしいけれども、普通一般に知れ渡った事もだいぶ交
っていた。
 宗助は好い加減な頃を見計らって、丁寧ていねいに礼を述べて元の席に復した。主人も蒲団ふとんの上
に直った。そうして、今度は野路のじや空云々という題句やら書体やらについて語り出した。宗助から見
ると、主人は書にも俳句にも多くの興味を有もっていた。いつの間にこれほどの知識を頭の中へ貯たくわ
え得らるるかと思うくらい、すべてに心得のある男らしく思われた。宗助は己おのれを恥じて、なるべく
物数ものかずを云わないようにして、ただ向うの話だけに耳を借す事を力つとめた。
 主人は客がこの方面の興味に乏しい様子を見て、再び話を画えの方へ戻した。碌ろくなものはないけれ
ども、望ならば所蔵の画帖がじょうや幅物を見せてもいいと親切に申し出した。宗助はせっかくの好意を
辞退しない訳に行かなかった。その代りに、失礼ですがと前置をして、主人がこの屏風を手に入れるにつ
いて、どれほどの金額を払ったかを尋ねた。
「まあ掘出し物ですね。八十円で買いました」と主人はすぐ答えた。
 宗助は主人の前に坐って、この屏風に関するいっさいの事を自白しようか、しまいかと思案したが、ふ
と打ち明けるのも一興だろうと心づいて、とうとう実はこれこれだと、今までの顛末てんまつを詳しく話
し出した。主人は時々へえ、へえと驚ろいたような言葉を挟はさんで聞いていたが、しまいに、
「じゃあなたは別に書画が好きで、見にいらしった訳でもないんですね」と自分の誤解を、さも面白い経
験でもしたように笑い出した。同時に、そう云う訳なら、自分が直じかに宗助から相当の値で譲って貰え
ばよかったに、惜しい事をしたと云った。最後に横町の道具屋をひどく罵ののしって、怪けしからん奴や
つだと云った。
 宗助と坂井とはこれからだいぶ親しくなった。



 佐伯さえきの叔母も安之助やすのすけもその後とんと宗助そうすけの宅うちへは見えなかった。宗助は
固もとより麹町こうじまちへ行く余暇を有もたなかった。またそれだけの興味もなかった。親類とは云い
ながら、別々の日が二人の家を照らしていた。
 ただ小六ころくだけが時々話しに出かける様子であったが、これとても、そう繁々しげしげ足を運ぶ訳
でもないらしかった。それに彼は帰って来て、叔母の家の消息をほとんど御米およねに語らないのを常と
しておった。御米はこれを故意こいから出る小六の仕打かとも疑うたぐった。しかし自分が佐伯に対して
特別の利害を感じない以上、御米は叔母の動静を耳にしない方を、かえって喜こんだ。
 それでも時々は、先方さきの様子を、小六と兄の対話から聞き込む事もあった。一週間ほど前に、小六
は兄に、安之助がまた新発明の応用に苦心している話をした。それは印気インキの助けを借らないで、鮮
明な印刷物を拵こしらえるとか云う、ちょっと聞くとすこぶる重宝な器械についてであった。話題の性質
から云っても、自分とは全く利害の交渉のないむずかしい事なので、御米は例の通り黙って口を出さずに
いたが、宗助は男だけに幾分か好奇心が動いたと見えて、どうして印気を使わずに印刷ができるかなどと
問い糺ただしていた。
 専門上の知識のない小六が、精密な返答をし得るはずは無論なかった。彼はただ安之助から聞いたまま
を、覚えている限り念を入れて説明した。この印刷術は近来英国で発明になったもので、根本的にいうと
やはり電気の利用に過ぎなかった。電気の一極を活字と結びつけておいて、他の一極を紙に通じて、その
紙を活字の上へ圧おしつけさえすれば、すぐできるのだと小六が云った。色は普通黒であるが、手加減し
だいで赤にも青にもなるから色刷などの場合には、絵の具を乾かす時間が省はぶけるだけでも大変重宝で
、これを新聞に応用すれば、印気インキや印気ロールの費ついえを節約する上に、全体から云って、少く
とも従来の四分の一の手数がなくなる点から見ても、前途は非常に有望な事業であると、小六はまた安之
助の話した通りを繰り返した。そうしてその有望な前途を、安之助がすでに手の中うちに握ったかのごと
227 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:05:57.76 ID:4uTcWgUe
き口気こうきであった。かつその多望な安之助の未来のなかには、同じく多望な自分の影が、含まれてい
るように、眼を輝やかした。その時宗助はいつもの調子で、むしろ穏やかに、弟の云う事を聞いていたが
、聞いてしまった後あとでも、別にこれという眼立った批評は加えなかった。実際こんな発明は、宗助か
ら見ると、本当のようでもあり、また嘘のようでもあり、いよいよそれが世間に行われるまでは、賛成も
反対もできかねたのである。
「じゃ鰹船かつおぶねの方はもう止したの」と、今まで黙っていた御米が、この時始めて口を出した。
「止したんじゃないんですが、あの方は費用が随分かかるので、いくら便利でも、そう誰も彼も拵こしら
える訳に行かないんだそうです」と小六が答えた。小六は幾分か安之助の利害を代表しているような口振
であった。それから三人の間に、しばらく談話が交換されたが、しまいに、
「やっぱり何をしたって、そう旨うまく行くもんじゃあるまいよ」と云った宗助の言葉と、
「坂井さんみたように、御金があって遊んでいるのが一番いいわね」と云った御米の言葉を聞いて、小六
はまた自分の部屋へ帰って行った。
 こう云う機会に、佐伯の消息は折々夫婦の耳へ洩もれる事はあるが、そのほかには、全く何をして暮ら
しているか、互に知らないで過す月日が多かった。
 ある時御米は宗助にこんな問を掛けた。
「小六さんは、安さんの所へ行くたんびに、小遣こづかいでも貰もらって来るんでしょうか」
 今まで小六について、それほどの注意を払っていなかった宗助は、突然この問に逢って、すぐ、「なぜ
」と聞き返した。御米はしばらく逡巡ためらった末、
「だって、この頃よく御酒を呑のんで帰って来る事があるのよ」と注意した。
「安さんが例の発明や、金儲かねもうけの話をするとき、その聞き賃に奢おごるのかも知れない」と云っ
て宗助は笑っていた。会話はそれなりでつい発展せずにしまった。
 越えて三日目の夕方に、小六はまた飯時めしどきを外はずして帰って来なかった。しばらく待ち合せて
いたが、宗助はついに空腹だとか云い出して、ちょっと湯にでも行って時間を延ばしたらという御米の小
六に対する気兼きがねに頓着とんじゃくなく、食事を始めた。その時御米は夫に、
「小六さんに御酒を止やめるように、あなたから云っちゃいけなくって」と切り出した。
「そんなに意見しなければならないほど飲むのか」と宗助は少し案外な顔をした。
 御米はそれほどでもないと、弁護しなければならなかった。けれども実際は誰もいない昼間のうちなど
に、あまり顔を赤くして帰って来られるのが、不安だったのである。宗助はそれなり放っておいた。しか
し腹の中では、はたして御米の云うごとく、どこかで金を借りるか、貰うかして、それほど好きもしない
ものを、わざと飲むのではなかろうかと疑ぐった。
 そのうち年がだんだん片寄って、夜が世界の三分の二を領りょうするように押しつまって来た。風が毎
日吹いた。その音を聞いているだけでも生活ライフに陰気な響を与えた。小六はどうしても、六畳に籠こ
もって、一日を送るに堪たえなかった。落ちついて考えれば考えるほど、頭が淋さむしくって、いたたま
れなくなるばかりであった。茶の間へ出て嫂あによめと話すのはなお厭いやであった。やむを得ず外へ出
た。そうして友達の宅うちをぐるぐる回って歩いた。友達も始のうちは、平生いつもの小六に対するよう
に、若い学生のしたがる面白い話をいくらでもした。けれども小六はそう云う話が尽きても、まだやって
来た。それでしまいには、友達が、小六は、退屈の余りに訪問をして、談話の復習に耽ふけるものだと評
した。たまには学校の下読したよみやら研究やらに追われている多忙の身だと云う風もして見せた。小六
は友達からそう呑気のんきな怠けもののように取り扱われるのを、大変不愉快に感じた。けれども宅に落
ちついては、読書も思索も、まるでできなかった。要するに彼ぐらいの年輩の青年が、一人前の人間にな
る階梯かいていとして、修おさむべき事、力つとむべき事には、内部の動揺やら、外部の束縛やらで、い
っさい手が着かなかったのである。
 それでも冷たい雨が横に降ったり、雪融ゆきどけの道がはげしく泥ぬかったりする時は、着物を濡ぬら
さなければならず、足袋たびの泥を乾かさなければならない面倒があるので、いかな小六も時によると、
外出を見合せる事があった。そう云う日には、実際困却すると見えて、時々六畳から出て来て、のそりと
火鉢の傍そばへ坐って、茶などを注ついで飲んだ。そうしてそこに御米でもいると、世間話の一つや二つ
228 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:06:09.83 ID:4uTcWgUe
はしないとも限らなかった。
「小六さん御酒好き」と御米が聞いた事があった。
「もう直じき御正月ね。あなた御雑煮おぞうにいくつ上がって」と聞いた事もあった。
 そう云う場合が度重たびかさなるに連つれて、二人の間は少しずつ近寄る事ができた。しまいには、姉
さんちょっとここを縫って下さいと、小六の方から進んで、御米に物を頼むようになった。そうして御米
が絣かすりの羽織を受取って、袖口そでくちの綻ほころびを繕つくろっている間、小六は何にもせずにそ
こへ坐すわって、御米の手先を見つめていた。これが夫だと、いつまでも黙って針を動かすのが、御米の
例であったが、相手が小六の時には、そう投遣なげやりにできないのが、また御米の性質であった。だか
らそんな時には力めても話をした。話の題目で、ややともすると小六の口に宿りたがるものは、彼の未来
をどうしたら好かろうと云う心配であった。
「だって小六さんなんか、まだ若いじゃありませんか。何をしたってこれからだわ。そりゃ兄さんの事よ
。そう悲観してもいいのは」
 御米は二度ばかりこういう慰め方をした。三度目には、
「来年になれば、安さんの方でどうか都合して上げるって受合って下すったんじゃなくって」と聞いた。
小六はその時不慥ふたしかな表情をして、
「そりゃ安さんの計画が、口でいう通り旨うまく行けば訳はないんでしょうが、だんだん考えると、何だ
か少し当にならないような気がし出してね。鰹船かつおぶねもあんまり儲もうからないようだから」と云
った。御米は小六の憮然ぶぜんとしている姿を見て、それを時々酒気を帯びて帰って来る、どこかに殺気
さっきを含んだ、しかも何が癪しゃくに障さわるんだか訳が分らないでいてはなはだ不平らしい小六と比
較すると、心の中うちで気の毒にもあり、またおかしくもあった。その時は、
「本当にね。兄さんにさえ御金があると、どうでもして上げる事ができるんだけれども」と、御世辞でも
何でもない、同情の意を表した。
 その夕暮であったか、小六はまた寒い身体からだを外套マントに包くるんで出て行ったが、八時過に帰
って来て、兄夫婦の前で、袂たもとから白い細長い袋を出して、寒いから蕎麦掻そばがきを拵こしらえて
食おうと思って、佐伯へ行った帰りに買って来たと云った。そうして御米が湯を沸わかしているうちに、
煮出しを拵えるとか云って、しきりに鰹節かつぶしを掻かいた。
 その時宗助夫婦は、最近の消息として、安之助の結婚がとうとう春まで延びた事を聞いた。この縁談は
安之助が学校を卒業すると間もなく起ったもので、小六が房州から帰って、叔母に学資の供給を断わられ
る時分には、もうだいぶ話が進んでいたのである。正式の通知が来ないので、いつ纏まとまったか、宗助
はまるで知らなかったが、ただ折々佐伯へ行っては、何か聞いて来る小六を通じてのみ、彼は年内に式を
挙げるはずの新夫婦を予想した。その他には、嫁の里がある会社員で、有福な生計くらしをしている事と
、その学校が女学館であるという事と、兄弟がたくさんあると云う事だけを、同じく小六を通じて耳にし
た。写真にせよ顔を知ってるのは小六ばかりであった。
「好い器量?」と御米が聞いた事がある。
「まあ好い方でしょう」と小六が答えた事がある。
 その晩はなぜ暮のうちに式を済まさないかと云うのが、蕎麦掻のでき上る間、三人の話題になった。御
米は方位でも悪いのだろうと臆測おくそくした。宗助は押しつまって日がないからだろうと考えた。独ひ
とり小六だけが、
「やっぱり物質的の必要かららしいです。先が何でもよほど派出はでな家うちなんで、叔母さんの方でも
そう単簡たんかんに済まされないんでしょう」といつにない世帯染みた事を云った。

十一

 御米およねのぶらぶらし出したのは、秋も半なかば過ぎて、紅葉もみじの赤黒く縮ちぢれる頃であった
。京都にいた時分は別として、広島でも福岡でも、あまり健康な月日を送った経験のない御米は、この点
に掛けると、東京へ帰ってからも、やはり仕合せとは云えなかった。この女には生れ故郷の水が、性しょ
うに合わないのだろうと、疑ぐれば疑ぐられるくらい、御米は一時悩んだ事もあった。
229 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:06:21.76 ID:4uTcWgUe
 近頃はそれがだんだん落ちついて来て、宗助そうすけの気を揉もむ機会ばあいも、年に幾度と勘定かん
じょうができるくらい少なくなったから、宗助は役所の出入でいりに、御米はまた夫の留守の立居たちい
に、等しく安心して時間を過す事ができたのである。だからことしの秋が暮れて、薄い霜しもを渡る風が
、つらく肌を吹く時分になって、また少し心持が悪くなり出しても、御米はそれほど苦にもならなかった
。始のうちは宗助にさえ知らせなかった。宗助が見つけて、医者に掛かれと勧めても、容易に掛からなか
った。
 そこへ小六ころくが引越して来た。宗助はその頃の御米を観察して、体質の状態やら、精神の模様やら
、夫おっとだけによく知っていたから、なるべくは、人数ひとかずを殖ふやして宅うちの中を混雑ごたつ
かせたくないとは思ったが、事情やむを得ないので、成るがままにしておくよりほかに、手段の講じよう
もなかった。ただ口の先で、なるべく安静にしていなくてはいけないと云う矛盾した助言は与えた。御米
は微笑して、
「大丈夫よ」と云った。この答を得た時、宗助はなおの事安心ができなくなった。ところが不思議にも、
御米の気分は、小六が引越して来てから、ずっと引立った。自分に責任の少しでも加わったため、心が緊
張したものと見えて、かえって平生よりは、かいがいしく夫や小六の世話をした。小六にはそれがまるで
通じなかったが、宗助から見ると、御米が在来よりどれほど力つとめているかがよく解った。宗助は心の
うちで、このまめやかな細君に新らしい感謝の念を抱いだくと同時に、こう気を張り過ぎる結果が、一度
に身体からだに障さわるような騒ぎでも引き起してくれなければいいがと心配した。
 不幸にも、この心配が暮の二十日過はつかすぎになって、突然事実になりかけたので、宗助は予期の恐
怖に火が点ついたように、いたく狼狽ろうばいした。その日は判然はっきり土に映らない空が、朝から重
なり合って、重い寒さが終日人の頭を抑おさえつけていた。御米は前の晩にまた寝られないで、休ませ損
そくなった頭を抱えながら、辛抱して働らき出したが、起たったり動いたりするたびに、多少脳に応こた
える苦痛はあっても、比較的明るい外界の刺戟しげきに紛まぎれたためか、じっと寝ていながら、頭だけ
が冴さえて痛むよりは、かえって凌しのぎやすかった。とかくして夫を送り出すまでは、しばらくしたら
またいつものように折り合って来る事と思って我慢していた。ところが宗助がいなくなって、自分の義務
に一段落が着いたという気の弛ゆるみが出ると等しく、濁った天気がそろそろ御米の頭を攻め始めた。空
を見ると凍こおっているようであるし、家うちの中にいると、陰気な障子しょうじの紙を透とおして、寒
さが浸しみ込んで来るかと思われるくらいだのに、御米の頭はしきりに熱ほてって来た。仕方がないから
、今朝あげた蒲団ふとんをまた出して来て、座敷へ延べたまま横になった。それでも堪たえられないので
、清に濡手拭ぬれてぬぐいを絞しぼらして頭へ乗せた。それが直じき生温なまぬるくなるので、枕元に金
盥かなだらいを取り寄せて時々絞しぼり易かえた。
 午ひるまでこんな姑息手段こそくしゅだんで断えず額を冷やして見たが、いっこうはかばかしい験げん
もないので、御米は小六のために、わざわざ起きて、いっしょに食事をする根気もなかった。清きよにい
いつけて膳立ぜんだてをさせて、それを小六に薦すすめさしたまま、自分はやはり床を離れずにいた。そ
うして、平生夫のする柔やわらかい括枕くくりまくらを持って来て貰って、堅いのと取り替えた。御米は
髪の損こわれるのを、女らしく苦にする勇気にさえ乏しかったのである。
 小六は六畳から出て来て、ちょっと襖ふすまを開けて、御米の姿を覗のぞき込んだが、御米が半なかば
床の間の方を向いて、眼を塞ふさいでいたので、寝ついたとでも思ったものか、一言ひとことの口も利き
かずに、またそっと襖を閉めた。そうして、たった一人大きな食卓を専領して、始めからさらさらと茶漬
を掻かき込む音をさせた。
 二時頃になって、御米はやっとの事、とろとろと眠ったが、眼が覚さめたら額を捲まいた濡れ手拭がほ
とんど乾くくらい暖かになっていた。その代り頭の方は少し楽になった。ただ肩から背筋せすじへ掛けて
、全体に重苦しいような感じが新らしく加わった。御米は何でも精をつけなくては毒だという考から、一
人で起きて遅い午飯ひるはんを軽く食べた。
「御気分はいかがでございます」と清が御給仕をしながら、しきりに聞いた。御米はだいぶいいようだっ
たので、床を上げて貰って、火鉢に倚よったなり、宗助の帰りを待ち受けた。
230 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:06:33.85 ID:4uTcWgUe
 宗助は例刻に帰って来た。神田の通りで、門並かどなみ旗を立てて、もう暮の売出しを始めた事だの、
勧工場かんこうばで紅白の幕を張って楽隊に景気をつけさしている事だのを話した末、
「賑にぎやかだよ。ちょっと行って御覧。なに電車に乗って行けば訳はない」と勧めた。そうして自分は
寒さに腐蝕ふしょくされたように赤い顔をしていた。
 御米はこう宗助から労いたわられた時、何だか自分の身体の悪い事を訴たえるに忍びない心持がした。
実際またそれほど苦しくもなかった。それでいつもの通り何気なにげない顔をして、夫に着物を着換えさ
したり、洋服を畳んだりして夜よに入いった。
 ところが九時近くになって、突然宗助に向って、少し加減が悪いから先へ寝たいと云い出した。今まで
平生の通り機嫌よく話していただけに、宗助はこの言葉を聞いてちょっと驚ろいたが、大した事でもない
と云う御米の保証に、ようやく安心してすぐ休む支度をさせた。
 御米が床とこへ這入はいってから、約二十分ばかりの間、宗助は耳の傍はたに鉄瓶てつびんの音を聞き
ながら、静な夜を丸心まるじんの洋灯ランプに照らしていた。彼は来年度に一般官吏に増俸の沙汰さたが
あるという評判を思い浮べた。またその前に改革か淘汰とうたが行われるに違ないという噂に思い及んだ
。そうして自分はどっちの方へ編入されるのだろうと疑った。彼は自分を東京へ呼んでくれた杉原が、今
もなお課長として本省にいないのを遺憾いかんとした。彼は東京へ移ってから不思議とまだ病気をした事
がなかった。したがってまだ欠勤届を出した事がなかった。学校を中途でやめたなり、本はほとんど読ま
ないのだから、学問は人並にできないが、役所でやる仕事に差支さしつかえるほどの頭脳ではなかった。
 彼はいろいろな事情を綜合そうごうして考えた上、まあ大丈夫だろうと腹の中できめた。そうして爪の
先で軽く鉄瓶の縁ふちを敲たたいた。その時座敷で、
「あなたちょっと」と云う御米の苦しそうな声が聞えたので、我知らず立ち上がった。
 座敷へ来て見ると、御米は眉まゆを寄せて、右の手で自分の肩を抑おさえながら、胸まで蒲団ふとんの
外へ乗り出していた。宗助はほとんど器械的に、同じ所へ手を出した。そうして御米の抑えている上から
、固く骨の角かどを攫つかんだ。
「もう少し後うしろの方」と御米が訴えるように云った。宗助の手が御米の思う所へ落ちつくまでには、
二度も三度もそこここと位置を易かえなければならなかった。指で圧おしてみると、頸くびと肩の継目の
少し背中へ寄った局部が、石のように凝こっていた。御米は男の力いっぱいにそれを抑えてくれと頼んだ
。宗助の額からは汗が煮染にじみ出した。それでも御米の満足するほどは力が出なかった。
 宗助は昔の言葉で早打肩はやうちかたというのを覚えていた。小さい時祖父じじいから聞いた話に、あ
る侍さむらいが馬に乗ってどこかへ行く途中で、急にこの早打肩はやうちかたに冒おかされたので、すぐ
馬から飛んで下りて、たちまち小柄こづかを抜くや否いなや、肩先を切って血を出したため、危うい命を
取り留めたというのがあったが、その話が今明らかに記憶の焼点しょうてんに浮んで出た。その時宗助は
これはならんと思った。けれどもはたして刃物を用いて、肩の肉を突いていいものやら、悪いものやら、
決しかねた。
 御米はいつになく逆上のぼせて、耳まで赤くしていた。頭が熱いかと聞くと苦しそうに熱いと答えた。
宗助は大きな声を出して清に氷嚢こおりぶくろへ冷たい水を入れて来いと命じた。氷嚢があいにく無かっ
たので、清は朝の通り金盥かなだらいに手拭てぬぐいを浸つけて持って来た。清が頭を冷やしているうち
、宗助はやはり精いっぱい肩を抑えていた。時々少しはいいかと聞いても、御米は微かすかに苦しいと答
えるだけであった。宗助は全く心細くなった。思い切って、自分で馳かけ出して医者を迎むかいに行こう
としたが、後あとが心配で一足も表へ出る気にはなれなかった。
「清、御前急いで通りへ行って、氷嚢を買って医者を呼んで来い。まだ早いから起きてるだろう」
 清はすぐ立って茶の間の時計を見て、
「九時十五分でございます」と云いながら、それなり勝手口へ回って、ごそごそ下駄を探さがしていると
ころへ、旨うまい具合に外から小六が帰って来た。例の通り兄には挨拶あいさつもしないで、自分の部屋
へ這入はいろうとするのを、宗助はおい小六と烈はげしく呼び止めた。小六は茶の間で少し躊躇ちゅうち
ょしていたが、兄からまた二声ほど続けざまに大きな声を掛けられたので、やむを得ず低い返事をして、
231 :
山師さん
2016/05/18(水) 17:06:45.75 ID:4uTcWgUe
襖ふすまから顔を出した。その顔は酒気しゅきのまだ醒さめない赤い色を眼の縁ふちに帯びていた。部屋
の中を覗のぞき込んで、始めて吃驚びっくりした様子で、
「どうかなすったんですか」と酔よいが一時に去ったような表情をした。
 宗助は清に命じた通りを、小六に繰り返して、早くしてくれと急せき立てた。小六は外套マントも脱ぬ
がずに、すぐ玄関へ取って返した。
「兄さん、医者まで行くのは急いでも時間が掛かりますから、坂井さんの電話を借りて、すぐ来るように
頼みましょう」
「ああ。そうしてくれ」と宗助は答えた。そうして小六の帰る間、清に何返なんべんとなく金盥の水を易
かえさしては、一生懸命に御米の肩を圧おしつけたり、揉もんだりしてみた。御米の苦しむのを、何もせ
ずにただ見ているに堪たえなかったから、こうして自分の気を紛まぎらしていたのである。
 この時の宗助に取って、医者の来るのを今か今かと待ち受ける心ほど苛つらいものはなかった。彼は御
米の肩を揉みながらも、絶えず表の物音に気を配った。
 ようやく医者が来たときは、始めて夜が明けたような心持がした。医者は商売柄だけあって、少しも狼
狽うろたえた様子を見せなかった。小さい折鞄おりかばんを脇に引き付けて、落ちつき払った態度で、慢
性病の患者でも取り扱うように緩ゆっくりした診察をした。その逼せまらない顔色を傍はたで見ていたせ
いか、わくわくした宗助の胸もようやく治おさまった。
 医者は芥子からしを局部へ貼はる事と、足を湿布しっぷで温める事と、それから頭を氷で冷す事とを、
応急手段として宗助に注意した。そうして自分で芥子を掻かいて、御米の肩から頸くびの根へ貼りつけて
くれた。湿布は清と小六とで受持った。宗助は手拭てぬぐいの上から氷嚢こおりぶくろを額の上に当てが
った。
 とかくするうち約一時間も経った。医者はしばらく経過を見て行こうと云って、それまで御米の枕元に
坐すわっていた。世間話も折々は交まじえたが、おおかたは無言のまま二人共に御米の容体を見守る事が
多かった。夜よは例のごとく静しずかに更ふけた。
「だいぶ冷えますな」と医者が云った。宗助は気の毒になったので、あとの注意をよく聞いた上、遠慮な
く引き取ってくれるようにと頼んだ。その時御米は先刻さっきよりはだいぶ軽快になっていたからである

「もう大丈夫でしょう。頓服とんぷくを一回上げますから今夜飲んで御覧なさい。多分寝られるだろうと
思います」と云って医者は帰った。小六はすぐその後あとを追って出て行った。
 小六が薬取に行った間に、御米は
「もう何時」と云いながら、枕元の宗助を見上げた。宵よいとは違って頬から血が退ひいて、洋灯ランプ
に照らされた所が、ことに蒼白あおじろく映った。宗助は黒い毛の乱れたせいだろうと思って、わざわざ
鬢びんの毛を掻き上げてやった。そうして、
「少しはいいだろう」と聞いた。
「ええよっぽど楽になったわ」と御米はいつもの通り微笑を洩もらした。御米は大抵苦しい場合でも、宗
助に微笑を見せる事を忘れなかった。茶の間では、清が突伏したまま鼾いびきをかいていた。
「清を寝かしてやって下さい」と御米が宗助に頼んだ。
 小六が薬取りから帰って来て、医者の云いつけ通り服薬を済ましたのは、もうかれこれ十二時近くであ
った。それから二十分と経たないうちに、病人はすやすや寝入った。
「好い塩梅あんばいだ」と宗助が御米の顔を見ながら云った。小六もしばらく嫂あによめの様子を見守っ
ていたが、
「もう大丈夫でしょう」と答えた。二人は氷嚢を額からおろした。
 やがて小六は自分の部屋へ這入はいる。宗助は御米の傍そばへ床を延べていつものごとく寝た。五六時
間の後のち冬の夜は錐きりのような霜しもを挟さしはさんで、からりと明け渡った。それから一時間する
と、大地を染める太陽が、遮さえぎるもののない蒼空あおぞらに憚はばかりなく上のぼった。御米はまだ
すやすや寝ていた。
 そのうち朝餉あさげも済んで、出勤の時刻がようやく近づいた。けれども御米は眠りから覚さめる気色
けしきもなかった。宗助は枕辺まくらべに曲こごんで、深い寝息を聞きながら、役所へ行こうか休もうか
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