>>45 >>49 そういった見方にはこう反論できる。
朝鮮や台湾は植民地ではなかった。それが日本政府の立場であった。
日本がそれらの地域を併合したのは安全保障上の判断に迫られたものであった。
下関条約で遼東半島を割譲させたのも、朝鮮の独立を前提として遼東半島を
押さえればロシアの進出を抑え込めるという判断によるものだった。
だからこそ、ヤルタ会談でソ連は海軍基地としての旅順口の租借権回復を要求した。
イギリスがインド、オランダがインドネシアを植民地にしたのは搾取が目的であったのとは
根本的に性質が異なる。事実、日本の支配の実態は搾取ではなかった。
つまり、自国の独立を維持することが国家にとって最優先であり、そのためには
搾取が目的ではなかったとしても、地政学上、他国を支配下に置く必要がある場合もある。
インドネシアの領土化の意図は、満州国建国と性質が似ている。この場合の安全保障には
資源確保という目的が加わる。
そもそも満州もインドネシアも自力でその地域を守れなかった国家や民族の地であり、
よりマシな国家によって保護国化されることによってしか搾取を免れない。
満州国建国後に大量のシナ人が流入してきた事実にこそ、マシな支配の性質が表れている。
インドネシアも当面の間、日本の支配下に入ることによってしか、独立国家への道に向かう
術はなかっただろう。
日本が欧米列強と戦ってこその脱植民地化なのだ。その戦争継続を支えるためには
美辞麗句と裏腹の一定の犠牲は避けられない。
併合前の朝鮮・台湾が国家の体を成していなかったように、開戦前の日本人から見て
部族国家のインドネシアが独立して日本への原油輸出や外交判断などの国家運営を
戦時中に自力で行えるとは思えなかっただろう。
しかし、朝鮮にハングルを普及させたのは日本であり、インドネシアの変容にも日本が寄与
したのも間違いない。そして開戦時の判断とは異なり、インドネシアの変容や軍事情勢に
よって、日本の姿勢も変化していった。
(続く)