この年から観客動員数が増えてきて冬の時代から脱したと思う
新日の武藤帰国試合のNKホールを見に行ったけど、あの時の盛り上がり方に復活を感じた大会だった
>>2
そのテレビ放送見て当時中1の俺はファンになりました。
あの時の武藤は中学生男子の夢が詰まってた!
セクシーターザン
トキメキのバージンレッド
万歳!! >>1
1月の時点でその後の隆盛は全く想像できなかったな。
それだけ新日のドームに全日勢の参戦の影響が大きかった。 >>5
1月の大阪大会は超満員にならなかったけど5月はチケット完売したんだよね
その前にやったプロレスおこしもきいたと思うけど >>6
一方全日の1月の大阪府立は初めて第二競技場を使用。
「ああ全日もここまで堕ちたか」と思ったが、最強タッグでは改築後初の超満員。
天龍VSブロディや鶴田VS天龍でも満員には程遠かったのに。
その後も2年は超満員(第一)が続いた。 >>7
スターケードの名前がついた大会は翌年
90年はスーパーファイトin闘強導夢 ケロの前口上・・・
聴いてる方が恥ずかしくなってくる
武道館での三沢の鶴田からの初勝利
生で見れただけに一層感動した
>>9
4月の大阪はアンドレが参戦したけどメインが鶴田、小橋vsハンセン、スパイビーだし
8月はハンセン、エースvsゴディ、ウイリアムスがメインだったからね
それぞれすぐ後に横浜文体、武道館があったから割りをくった感じかな >>2
小生、同世代。土曜の16:00TV中継あるか、
水曜日に発売されるテレパル?でチェックして、
放送があれば、やったあ!見れる!
なければ、なんだゴルフかあ。。。
確か2週間分チェックしてたっけなあ。。。 ハンセンの外人シングル対決が印象深い
vsベイダー(2月・東京ドーム)
vsホーガン(4月・東京ドーム)
vsウィリアムス(6月・千葉公園体育館)
vsゴディ(6月・日本武道館)
vsベイダー(6月・福岡国際センター)
vsウィリアムス(9月・日本武道館)
パワートレーナーが大ヒットした年でもあるね。
サムライのCM初出演でもある。
新日の後楽園7連戦の6日目見に行ったなぁ
橋本対越中 武藤、蝶野対剛、高杉の微妙なカードだった
馳はこの辺りからハジけだしたね
新日この年の3月シリーズは今思えば外人が豪華だった
ビガロ、アンダーテイカー、レーザーラモン、バザーカー、スーパーレザー、キャメロン、クリスベノワ、ロッコーロックが集合
話題は北尾、坂口引退、ジョージとマシンの抗争が中心だったけど…
>>14
当時毎週放送されてたら3月と8月の愛知大会、9月の大阪大会、10月のNK大会は中継されたかな
後楽園7連戦も2日ぐらいはやったかも
バトルライン九州の福岡大会は2週に分けてやっただろうな >>19
ホントもったいなかった〜
福岡なんて無理矢理1時間に詰め込んでたもんなぁ ・新日と全日の交流
・WWFの日本進出
・SWSの旗揚げ
・三銃士、四天王の台頭
・FMWの躍進(電流爆破開催)
・新生UWFの終焉
新日本
1.31大阪
2.10東京D
4.27NK
5.28大阪
6.12福岡
7.22札幌
8.19両国
9.14広島
10.14NK
11.1武道館
12.26浜松
この年はビッグな大会が多かったですね。
>>23
横アリ(9月)とグリーンドーム前橋(10月)がないが? >>24
グリーンドーム前橋は藤波の復帰戦とトニー・ホームの異種格闘技戦があった興行か
メインエリアが使用されたのは現在までこの大会だけ >>24
お、失礼しました!
猪木30周年メモリアルフェスティバルと、藤波辰爾復帰第1戦ですね! 盗聴盗撮犯罪者・宇野壽倫(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸202号室)の告発
盗聴盗撮犯罪者・宇野壽倫「文句があったらいつでも俺にサリンをかけに来やがれっ!! そんな野郎は俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! お前ら悪人どもは俺様が成敗してやるわいっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状)
■ 地下鉄サリン事件
オウム真理教は当時「サリン」を作ることはできなかった。
正確に言えば 「作る設備」を持っていなかった。
神区一色村の設備で作れば 全員死んでいる。「ガラクタな設備」である。
神区一色の設備を捜査したのが「警視庁」であるが さっさと「解体撤去」している。
サリンは天皇権力から与えられた。
正確に言えば オウム真理教に潜入した工作員が 「サリン」をオウムに与えた。
オウム真理教には 多数の創価学会信者と公安警察が入り込んでいた。
地下鉄サリン事件を起こせば オウムへの強制捜査が「遅れる」という策を授け「地下鉄サリン事件」を誘導したのは
天皇公安警察と創価学会である。
天皇は その体質上 大きな「事件」を欲している。
オウム科学省のトップは 日本刀で殺された「村井」という人物だ。
村井は「サリン」授受の経緯を知る人物なので 「日本刀」で殺された。
http://d.hatena.ne.jp/kouhou999/20150224 >>25
グリーンドーム前橋はサブで時々全日本やノアが使用
しているけど、ホテルのパーティー会場のような
雰囲気で妙に明るくてプロレス会場らしからぬ
ところだったような。 80年代に比べたらここら辺の年代は面白さを感じない
またプロレスが面白くなるのは95年以降ぐらいから
馬場と猪木のデビュー30周年。
9月30日、台風の中を横浜アリーナと
後楽園、梯子観戦した。
全日は、鶴田&田上対三沢&川田の
45分フルタイムを見られたよ。
>>29
まぁ面白さなんて人それぞれだが
90年代初めは、全日、新日の
四天王、三銃士がまだ発展途上だったからなぁ。
その分、当時のプロレス界の話題をさらったのが
大仁田だった。 >>21
ベイダーvsハンセンなんか5分も放送されなかったんじゃなかったっけ?
あと武藤vs蝶野、橋本vs佐々木なんかフィニッシュだけだったよね
サムライTVで後にノーカット版やってくれてありがたたわ 33お前名無しだろ2018/05/13(日) 17:21:23.13
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★★★★★ 2月10日は鶴田の入場の盛り上がりに泣きそうになり
2月11日はタイソンの敗北に呆然となった。
2日ともドームで観てたけど、一生の思い出だな。
>>2
セミの北尾とベイダービガロの絡みで会場が出来上がったとこに、とどめで武藤凱旋。あの日は大満足で帰路につけた。 関係ないけど上京して一発目の観戦だったから東京には木戸オヤジがいることを初めてしった
この年は遊園地、ライブハウス、劇場と普段と違うような場所での大会があったね。
>>34
2月9日には立正大学の入学試験が東京ドームであったぞ >>15
凄いよなあ。これだけ貢献した外国人レスラーっていないよね >>40
90年のハンセンはまさに『戦う外交官』のような活躍ぶり。
ちなみに同年にWCWでもルーガーからUSヘビー級選手権を獲得している。
>>42
それが抜けてたね。ありがとう。
ウィリアムスが乱入して三冠を奪われた試合。 >>45
「人間は腹だ!」
あのマシーン紹介してるトレーナー?の人、やけにハキハキしてて滑舌良かったな。
90年代前半、余り面白くないというカキコミあったけど
個人的には、若い三沢川田の超世代軍がエースの鶴田やハンセン相手に台頭したり、三沢の鶴田ハンセン越えと
新日ではG1開催や、天龍のWARや誠心会館、反選手会の抗争と本来の新日らしい殺伐とした所がまた見れたし
今思えば、時代の分岐点や転換期といった感じもしたな。面白かったわ。 栗栖は小さくてハゲてて武藤のフェースクラッシャーとかで簡単に負けるおじさんだったけど、あの雰囲気がカッコよく個人的に大好きな選手だった。
>>47
同じく復帰した浜口と組んで、レイジングスタッフに加勢してたな。
なんかそのヒロやゴタツからは嫌がられてたようだったがw 新日はテレビが土曜16時だった時代。もっともこれはテレ朝(関東)で、他の地方局では深夜のところが多かったらしいが。
この頃の関東地方のプヲタにはゴルフ嫌いが多そうだなw
土曜16時って17時からはアニメの時間だったし、子供には見やすいいい時間帯だったと思う。
6月の両国メインが新日軍とブロンドの10人タッグにも関わらず
ぎっしり超満員だったな
やっぱり勢いがあったんだろう
>>50
見に行ったよ。
ブロンド軍と言っても、
FMWでブレイクした栗栖の
新日復帰戦でもあったからな。
まぁそれにしても10人タッグでよく入ったよ。
セミは武藤&蝶野対マサ&橋本、
これはほんの2か月前、NKホールでやったばっかり。
あと北尾も出場する予定だったが、
相撲協会からストップが掛かったんだっけ? >>47
栗栖はFMWでは鬼のような強さだったが、後楽園5連戦で橋本真也と伝説の名勝負を戦った。
しかし栗栖はアキレス腱断絶や長期欠場をするほどの大怪我をした。
新日本のメインで戦っているレスラーはいかに練習して身体を鍛え上げて、激しい戦いをしているか思い知らされたね。 >>51
長州、星野、越中、小林、佐々木vs浜口、マシン、ヒロ斉藤、後藤、栗栖でしたよね。正規軍の面子が渋いなぁw
試合前の控室での浜さんと栗栖の変な絡みは今でもニヤけてしまう >>53
その橋本も、後に
練習して身体を鍛え上げて、激しい戦いをしていた小川から
フルボッコにされたわけだがwww 80年代を引っ張ってきた猪木と馬場が一線を退いた年代でもあったな
なんかゼロ年代を引っ張ってきた人間が一線を退いて
プロレス復活を果たした現在と重なって見える
>>55
VSブロンド戦で試合中に飯塚の顔を長州が張り倒したタッグマッチはいつだったか覚えているか? >>49
>土曜16時って17時からはアニメの時間だったし、子供には見やすいいい時間帯だったと思う。
そう、新規のファンを増やすには良い時間帯だったんだよ。
夕方の放送で知名度を高めたライガー+三銃士に比べると最初から深夜枠でのスタートだった第三世代はかなり損をしていたな今思い返すと。 ちびまる子ブーム
イカ天ブーム
B´z大ブレイク
イタリアワールドカップ
西武、巨人を4タテ
イラクのクェート侵攻
他に何あったっけ
>>55
浜さん!やったるでえー!って関西弁丸出しで言ってたな >>50
ペガサス・キッド×オーエン・ハートが名勝負だったな アニメのライガーってワープロの後にやってたんだっけ?
8月の新日両国観戦したけど板倉の頑張り、ペガサスのベルト奪取
レッキングクルーの健闘、長州の奪還
盛り上がった大会だったな
ドーム中心にするまでは
観客動員は新日全日に大きな差はついてなかった
>>69
第2次UWFができて、新日も一時的に大阪での人気が落ちた。
それでも全日よりは上だったけど。 >>34
俺も2日とも行ったよ 鶴田が出た時、ゴングがなった時は凄いドームの盛り上がり 鳥肌がたった タイソンは、2回とも見たがまさか負けるとは思わなかった ドーム連チャンだったが、なんかもの凄いもの見た満足感で一杯だったよ スーパーファイトインの翌日は、銀河スタジオでの芳賀ゆい握手会に行った。
両国10人タッグで「張れ張れ!もっと張れ!戦いのハレルヤ!」とか言ってた辻は死ねと思った。
俺本気で最強タッグ馬場、アンドレ組が優勝するんじゃないかなと思った
>>73 芳賀ゆいって伊集院光のラジオから作った架空アイドルだっけ?
とんねるずのオールナイトニッポンで流れた芳賀ゆいの歌の途中で石橋がけなしてたなww
「やめぇっ!やめぇっ!」ってww >>75
石橋が「やめやめやめ!」と曲中に喚いたのは鴻上尚史の「そして伝説へ」だと思う。
芳賀ゆいの時は「はがゆい〜?なんじゃそりゃ!」と曲紹介でコキおろしてたけど、曲中は黙ってたと思う。 藤波対剛 藤波入場時の剛の挙動不審な顔が忘れられない 試合はフライングドラゴンエルボーであっさりピン負け
>>77
誰かと至近距離でヒソヒソ話してるような挙動だったよね、剛は。
のちにオリプロで、新弟子たちを危険な職場で働かせ、その上前をピンハネして、嫌気さして離脱しようものなら
「お前、ヤクザ使ってでも殺してやるからな!」と恫喝。
あらゆる意味で引くよ、剛は・・・。 >>45,46
人間は腹だ!(スポーツトレーナー 米倉真樹氏)
鍛えた腹に・・・鍛えてない腹。。。
鍛えているのと、鍛えていないのとでは・・・こんなに差が出ます。
鍛えたほうはビシっ!と引き締まり、鍛えたないほうはたるんでボヨン〜ボヨン。
出っ張ったおなかをどうしたらひっこめられるか。体験的にいえるのは、
この『パワートレーナー』を使うと効果的ということです。
腹を鍛え、さらに腕、腰、足、そして背中と・・・腹の周りも一緒に鍛えるとよりいいでしょう。
しかも家庭でできるのがポイントです。
それには、この『パワートレーナー』がおすすめ。
朝10分、夜10分、さ、あなたも腹づくり。飯がうまい、仕事もバリバリ!心は爽やか!
男も、、、女も、油圧式だから誰でも安心だ。
”腹を決めたら”今すぐ電話を!(←ここ決め台詞)
パワートレーナーお値段は・・・月々1850円の14回払いです。 >>39
記念受験したw
となりの遊園地の音が駄々漏れ。
2.10の年だっけ? >>18
3月の久留米、広島大会がテレビ見てても活気があった。
北尾参戦はやっぱり大きかったと思う。
2月のドームから4月のNKの流れが良かった >>18
このメンバー連れて沖縄やら奄美やらの島を廻ってたんだな。 >>83
この時中止となった屋久島の大会は6月に
延期されてこの時はハンセン、オブライト、
ベイダー、ペガサスが参加したんだよね。
武藤とハンセンの唯一の対戦が鹿児島
の離島だったりもする。 4月のドーム ウォリアー対デビアスでのうぉりゃぁーコールで勝手に盛り上がっていた客席にデビアスだけが困った顔して試合してたのが印象に残ってる
>>74
馬場アンドレ組はアクシデントの時点で主力チームの対戦は全勝。
唯一残ってたのが札幌でのハンセン組戦。
例えこれに負けても1位通過は確実だった。
でも最終武道館での公式戦は組まれていなかった。
本来はどんな筋書だったのかな? ワープロがゴルフで潰れることが多かったこの時期毎週放送してた地方局はどんな試合流してたんだろう?
アンダーカードが多かったって話は聞いたことはあるけど
>>2 >>23
新日に限らずだけど、今は千葉でやらなくなったよな。
東金ぐらいか?
両国や新木場に近い人ならいいんだろうけど。 ポートアリーナも小さいサブアリーナばかり…しかも満員マークつかないことが多い
この頃から全日の外人も固定化されてきてたけど、9月のシリーズは何故かエリックエンブレイ、リチャードシャラン、スコットザボディ、リップモーガンなど1回こっきりしか来なかった外人が大挙来日してたね
トルーパーは後々大物になったけど
>>80
蝶野のセリフも4649
おまけのティーカップもw >>74
最終戦で公式戦組まれてないなら優勝はなかったのかな。アクシデントなしでも両リン以外ファンクスとの結果も難しいね。 7月の松戸大会生観戦したけどウイリアムスの急角度バックドロップを
川田が喰らったとき俺も含めて客が総立ちになって騒然となったな
間違いなく首の骨折れたと思ったし大惨事になったと思った
川田がカウント2で返したときすっげえ盛り上がって大川田コールになったね
結果は負けたけどこの試合から川田人気は定着したような気がするね
>>94
アクシデント→欠場も筋書き通りだったのかと。
馬場さんの体に本当に問題のあった部分は別のところにあったんじゃないかな。内臓系とか。 あの欠場から自力で16文はやらなくなったというか
やれなくなったから、骨折はホントなんじゃないの。
>>89
銚子はたまに来るけど木更津や館山あたりの興行はめっきり減った気がする
千葉だと今後需要ありそうなのは流山のキッコーマンアリーナかなあ >>98
船橋でも平成になってから激減した。
90年の男のプロレスは新日や全日は来ず、パイオニア戦志のみという有り様。 馳を筆頭にこの年から燻っていた中堅クラスにも光があたるようになってきたね
越中だけは出遅れた感あるけど
>>96
ところが新宿の東京医大最上階個室で入院してたのは間違いの無い事実。隣室に親父の友人が入院していてその際に何度も松葉杖姿を見掛けていたんだから >>101
越中 馳が挑戦した大阪のIWGPタッグはかなりの名勝負だと思うんだけども >>101
出遅れたのではなく長州に嫌われてたんだよ >>89
千葉公園体育館、千葉ポートアリーナ共に民間が管理するようになってからは、プロレスには貸さない。 >>84
武藤&蝶野vsハンセン&ペガサスって凄いカードだよな >>103
この年の武藤&蝶野のタッグ戦は名勝負多かった
NKホールの橋本&マサ斎藤、武道館での馳&健介もそれぞれ最高だったし 武藤、蝶野に橋本と、この頃の三銃士の成長っぷりは凄かったな
それこそ少し前の冬の時代を吹っ飛ばすかのような勢いで
新日とプロレス界の明るい未来を予感させたし、実際にその通りにもなった
そんな三銃士の二匹目のドジョウを狙って見事にコケた感があるのが
闘魂トリオと第三世代
坂口社長就任、三銃士の台頭、大都市中心型興行・・・。
ボタンの掛け違いでイマイチうまくいかなかった新日本の歯車が、いきなり勢いづいて回りだした感があったな。
いやいや。エンタメ、アミューズのプロが親会社になったのが全てよ。
Sはメガネ屋だったからね。
大都市中心興行の合間に東北巡業のシリーズとか入ってたね
ちょっと一休み感があってよかった
>>105
うわっ、千葉って最低の県だわ。
(東金を除く) さいたまはここに来て市の体育館をプロレスに貸すようになったというのにな。
現状は新日だけだけど。
闘強導夢()
ゴールドジムのtシャツ、バギーパンツ、バッシュ、ウエストポーチ、サングラス
8.16千葉公園体育館、地味に面白い大会だった気がするけど、
関西地方では高校野球(朝日放送?)中継で放送されなかったんでしょ?
@健介小林ライガーvs後藤ペガサスマシン
A浜口vs栗栖
B長州健悟vsディストラクションクルー
C蝶野武藤橋本vsソウルティカーヴィガロヴェイダー
馳と健介がチャンピオンになってIWGPタッグの価値がアジアタッグクラスに落ちたなと思った。小橋&菊地と同レベルで、武藤と蝶野が三沢&川田と同レベルの印象だった。
>>118
関西は夏の甲子園がなぁ…90年じゃないけど89年は長州vsベイダー、91年は武藤&蝶野vsベイダー&ビガロが飛んだはず。90年も武藤&蝶野vsウォリアーズが飛んだかな。 >>120
武藤&蝶野vsウォリアーズの放送は関東でもなかった
20年以上経ってサムライだかでようやく放送してくれてそれで見れた >>51
あー、思い出した。
セミは蝶野がコーナーからのダイビングローリングクラッチでマサをピンしたんだよね。あれは見事だったな。
翌年のG1決勝もそうだけど、意表を突いた技でピン取って、即座に流れるファンタスティックシティは凄い映えたな。 何だかんだ言って新日は長州政権の時代がいちばん熱くて盛り上がったよな。
90年〜96年くらいまでの。
>>121
親日は・藤原山崎や武藤越中
全日は竜玄に五輪コンビ 5月の全日の後楽園のメインの6人タッグはいい試合だったね
いつもヘロヘロだった田上の活躍ぶりにテレビでだけど本気で応援した
お前ら、11月にはスーパーセブン×獣神サンダーライガーの
夢のスーパーヒーロー対決が行われたことを忘れるな。
>>122
札幌って関東も放送しなかったのか。それは知らなかった >>119
普通に91年の暮れまで武藤、蝶野組の長期政権で良かったと思う
92年1月のドームでスタイナー兄弟に獲られるという展開で行ってほしかった >>128
放映権の関係で放送できなかったのでは?
結局その日の放送は橋本vsアレキセイチューリンの異種格闘技がメイン扱い。
蝶野選手のタイツが武藤とお揃いで赤かったんだよね。
@後藤vs栗栖
A北尾vsソ連の誰か
B長州マサvsサモアンコキーナ
C橋本vsチューリン >>131
なるほど、ウォリアーズの試合を放送できなかったということか。
それにしても関西は放送自体なかったはずだわ。
北尾は…ベルコビッチ?黒のショートタイツとシューズで出てきた時だっけ。
そうそう、武藤と蝶野、赤で揃えてきてたね この年に畑、笹崎、大矢が引退した。
キャラの薄かった3人が残っていたら、どんな存在になってたんだろう…
畑はジュニア、大矢はヒール、笹崎だけは思い浮かばない…
>>133
大矢は1年前に引退。
このとき引退したのは片山。 大矢も片山も家族を養っていけないから引退したっていうけど、その当時の新日って
そんなに安かったのかな。
>>135
金沢の本によると88年から月給制から1試合ナンボに変わったそうな。 >>119
>>130
自分も武藤蝶野政権は長く続けてほしいと思ってた。馳健も悪くはなかったけどね・・・。
だからスターケードでスタイナーズが奪取した時は「やっとIWGPタッグに箔がついた」と嬉しかったよ。
のちにベイダービガロ組が戴冠したときにやっと「これで世界タッグに並んだかな」と思えたな。
時は流れ、NWO時代に武藤蝶野組が復活したけど、両者とも大物になり過ぎて釣り合う相手がいなくなってたのはある意味不幸だった。 >>138
馳健時代はマシン、ヒロ斉藤とか越中、飯塚とか中堅クラスの挑戦者チームが多かったよねぇ 10月にIWGPタッグ選手権が予定されていたが、蝶野のケガで流れたって本当?
>>140
あった気がする
後楽園ホールでノンタイトルになって越中に代わったんじゃないかな >>141
長州、橋本、リッキーのタッグ結成があった後楽園だったかな 武藤があの熱狂の凱旋から半年そこそこで馳に2回もフォール負け
メガネスーパーに行った方が良かったかもね
もしSWS分裂がなかったら、谷津や冬木はどういう扱いにされてたんだろうな
谷津は一応鶴田のパートナーとしてずっと微妙ポジのままだったのかもしれんが、鶴田が病欠した後どういうポジになったか想像つかん
冬木は川田と違って四天王のような格上げされるとは到底思えないし、フットルースを解消しなかったか別のパートナーと組み直したかはわからんが、まあそのまま当分アジアタッグ辺りをずっと争ってたんかな
90年は日本マット界は冬から一気に春を越えて真夏になった感じがした。
Sができたことにより、新日と全日が協力体制という相乗効果。
ファンからしたらあの新日と全日の協力体制は夢が広がったし。
新日は猪木がセミリになったにも関わらず再び熱くなり。
当時は猪木的にはそれが面白くない部分でもあったらしいが。
自分が一線を退いたらたまたま新日が熱くなって。
猪木が退いたのが原因で新日が熱くなったわけではないが。
1990年は社会人になった年だから、自分の稼いだお金で心置きなくプロレス観戦しまくってたなぁ。
仕事終わりに暇だからって、ふらっと行ったり。
プロレス界が一気に盛り上がったものあって1番印象深い年だ。
90年2月は確かUWFの大阪、新日ドーム、タイソンが続いたんだよな。
ドームは水曜スペシャルだったかで放送されて、最初のハンセンの入場でサンライズが流れた瞬間は鳥肌が立ったなぁ。
あのドーム大会が日本マット界を再び熱くさせるきっかけとなった。
新日にはよくカードを聞く電話をしていた。
ドーム大会のカードをなにげなく聞いたら全日勢の名前が出てビックリ。
聞き返したもんね。
ハンセンの新日登場でかつての『ウエスタンラリアット』で入場か気になった。
でも後に雑誌に当日はハンセンは『サンライズ』で入場と。
あのドーム大会は俺の中での夢のオールスター戦だし。
79年オールスター戦はリアルで見てないから尚更。
あのドームの後半はメイン級のカードばかり。
藤波の欠場だけは本当に痛かった。
藤波がいたら鶴田との対決も実現して。間違いなく木戸が藤波になったはず。
>>144
天龍離脱直後のシリーズでは冬木は鶴田軍に組み込まれ、連日三沢や田上と試合組まれてた。
田上からフォール奪ったりそれほど酷い扱いではなかった。
もしそのまま残留してたら、おそらく一時の石川クラスの存在だったのでは?
まぁ前とあまり変わらないけど。 プロレス界的には冬の時代だったけど、1987〜1990は大学生だった事もあって
好きな時にプロレス見に行けて楽しい時代だった。
基本的には新日ファンだったけど、その頃一番好きなレスラーは天龍で第2次Uも
好きだったし、FMWの胡散臭さも気になってた(笑)
それから、どなたかが書き込んでたけど、90年のハンセンのシングル戦はどれも
素晴らしかったね。できれば新日で日本人選手とのシングルも見たかったけど
なかなか難しかったのかな。
90年は色んな交流や外人のトレードがあった。
ウイリアムスの全日移籍(に伴い新日←→全日のハシゴ参戦)
ビガロの全日初参戦
全日勢のドーム参戦
ウォリアーズの新日初参戦
ハンセンの新日参戦
シンの新日復帰
あのまんま交流が続いたらベイダーやノートンの全日初参戦もあったと思う。
ゴディの新日初参戦も。
あの時期にハンセンとベイダーが組んでたら凄かったな。
話題性、インパクト、迫力と。
鶴田とベイダーの対決も実現したかも。
猪木が現場に復帰したから交流は打ち切り?だっけ?
せめて91年いっぱいまで続けて欲しかった。
欲を言えばもっと続けて欲しかったけどね。
>>152
7年後の97年にようやく実現した。
でも90年に見たかった。
90年にはハンセンとベイダーが合体という流れにはなった。
新日でハンセンと長州が仲間割れして。
でも新日と全日の協力路線そのものが90年いっぱいで消滅。
それ以降は2000年まで交流なしに。
だが2000年の全日はそれまでの全日ではなかったし。
90年から2000年の10年は交流なかったのは勿体なかった。
その間に新日はWARやUインターとの交流はあったが。 >>151
リッキー・スティムボートの新日参戦も。 1月大阪
マサ、橋本vsベイダー、コキーナ
長州、ジョージvsマシン、後藤
佐野vsライガー
5月大阪
長州vs橋本
武藤、蝶野vs越中、馳
ベイダーvs北尾
9月大阪
ムタvsサムライシロー
蝶野vsベイダー
長州vs栗栖
やっぱり5月のカードが豪華すぎだな
北尾という大ヒールが相手とはいえ、ベイダーが会場のファンから大声援を受けるなんて88年とか89年にはちょっと想像出来なかったなぁ。
>>156
ベイダーはドームのハンセン戦で人気が不動のものとなった
って後々の記事にあった。
そういう状況での北尾戦だから声援にも拍車が掛かり。
ハンセン戦以降のベイダーには『新日イズム』を感じる様になった、とも書いてあったね。
目を負傷しながらも戦い抜いたのが最大級に評価された原因だろう。 ウイリアムスは89ワールドカップでようやく認められた。
特に橋本戦。
しかしこれからって時に全日へ。
90年は新日と全日のハシゴ参戦だったが、新日はウイリアムス売り出す気がなし。
ウイリアムスの扱いでそう感じた。
ウイリアムスも全日に比重を置いていたし。
まああの頃にベイダーとの対決を見たかった。
ウイリアムスとビガロは新日や全日で何度も対戦したが。
ウィリアムスは90年〜92年位にノートンやホームとも見たかった
ノートン戦は後で実現したが二人とも衰えてて見ててキツかった
ホームも完全なプロレスラーになった後でなくボクサーホームとの異種格闘技戦が見なかった
新日でデカく見えたウイリアムスが全日ではそう感じなかったなぁ。
全日デビュー戦が鶴田や俊二やゴディに囲まれていたにしても。
前橋大会ソウルテイカーに期待したのに見事な咬ませ犬っぷりだった
>>161
ソウルテイカー、初来日当初は蝶野にピンフォール勝ちしてたんだけどねぇ
気がつけばショボい扱いになってた… >>160
ウイリアムスの全日初戦は、その小ささにびっくりして試合が入ってこなかったなぁ ファイヤーライガーとサンダーライガーに成り立ての頃は、素晴らしい動きだった。
新日では巨大に見えたベイダーも、全日参戦したときはちんまりに見えたな
アンコ型の体格だったからコミカルですらあった
逆に蝶野と対峙したときの渕が異様に大きく見えた
>>165
TNTが新日に上がった時も「この人こんなにデカかったっけ?」と思ったなぁ。 シンが新日Uターンした時もやたら大きく見えた。
小柄な栗栖と組んでたから尚更。
前田や高野兄弟が新日に残って順調に育ってたらなあ。
ベイダー人気はドームもそうだけど、その後の4月のNKホールで北尾をピンしたことで大爆発した印象。
試合後、ベイダーが戸惑うほどの大喝采でブロディみたいに客席なだれ込んでファンと喜びをわかち合ってた。
>>170
「憎たらしい北尾をボコボコにしてくれた」
みたいな感じはあったと思う。
ベイダーが北尾をピンフォール→ベイダーとビガロが交互にボディプレス
このシーンを見て溜飲を下げたクチだったなぁ。 ドームで完全に認められて北尾との対決が更にそれに拍車を掛けたね。
あん時に初のベイダーコールが起こったはず。
4月のNKの方。
ちなみに3月の後楽園でマイクカーシュナーが北尾と対戦した時にも大声援を受けた。
マイクカーシュナーは勝手や事情がわかっておらず?本気で勘違いしたらしい。
自分が日本で大人気になったと。
>>170
その大会後の週プロのインタビューで北尾は長州さんが助けてくれなかったって
ほざいてたよね
後に対立するのはこの時からすれば当然のことだったんだろう 北尾って今の時代だったら新日のみならず全日や、大日、DDTとか色々な団体掛け持ち
してたのかな。
少しそれるけど、新日本1991年の1月〜3月のTVマッチはCSでもあまり放送されないけど理由があるのかな。
2月札幌中島体育センターぐらいしか放送されていない気が。
1.5後楽園
1.17横浜
2.10駒ヶ根
2.14千葉
3.1諏訪湖
3.6広島
3.9長崎
3.14名古屋
あのときの北尾の不人気も、やり方次第じゃビジネスチャンスだったよなあw
今のレスラーが、いっぱいいっぱいで悪役を演じてる姿を見るとホントそう思う
かなり後になってウイリアムスが雑誌でサイズの事を語ってた。
実際に相手と戦ってる時は自分のサイズ(全日では意外に小さいという事)はわからず。
しかし映像で見たら自分の小ささに驚いた、と。
『オールジャパンはテリー(ゴディ)、スタン、ジャンボと確かに大きいのが多かった』
『そう考えたら自分のサイズは彼等より劣るのも納得』
『ニュージャパンは大きな選手はレオン(ベイダー)、ビガロくらいだった』
こんな事を語っていたのを覚えてる。
ゴングか週プロかで。
ヘビー級ギリギリの選手がスーパーヘビーの相手と戦うのが新日の醍醐味だったからな
そんな事はいいからまずはスマホに替えろよ
としか言えない
天龍同盟が解散したあたりから小橋が川田より序列が上になるんじゃないかと思ったが
6月のシングル戦で川田が勝って本当に嬉しかった
>>184
タイガー、小橋組でアジアを取ってたから、
その流れで三沢、小橋組でいくのかなとは思った。 新日は橋本、蝶野、武藤の序列は状況によってコロコロ異なった。
全日は三沢が一番上で川田、小橋、田上の状況は毎回状況によって変わった。
ただいつ頃からか田上より小橋の方が上になり。
ヒロ斎藤と栗栖正伸のデスマッチ、
結末が何ともお粗末だった・・・
最後の鶴龍対決の横浜文体
ハンセンの乱入に鶴田はチャンピオンベルトをブン回して威嚇してたw
あれは素晴らしかった!
十数年後、高山がNWFベルトをブン回した時に「ジャンボスタイル」だと思った。
>>188
あの威嚇はジャンボらしくて豪快でよかったよな 天龍が抜けてショックは受けたんだけど
少ししたら「まぁ、鶴田がいるからなんとかなるだろ」
って根拠のない安心感みたいなのが自分の中であったんだよな。
鶴田が強烈なリーダーシップを張るけでも
人気や集客力が抜群な訳でもないし、
大の鶴田ファンって訳でもないのに、あの感覚はなんだったんだろうなぁ。
自分もそう思ってた
長年見続けて鶴田は断トツのエースというのが擦り込まれてたのかな〜
>>190
天龍より鶴田が抜ける方が痛いよな
壁役としては鶴田ほどうってつけの奴はいない 実際2年後に鶴田が肝炎でセミリタイアしてから全日はジワジワと落ちていったからな。
>>186
そりゃ、三銃士は同期入門で
実力も拮抗しているからな。
(そのようにアングルを組まれた。
夏のG1では蝶野無敵とか、、)
かたや四天王は、入門順では三沢が
一番先輩。年齢と入門前の実績では
田上が勝るけれど、、、(^^: >>196
越中がヒロにピンとられたのもビックリした
この頃から長州は越中を干し始めた感じがする >>196
入場テーマの「はげ山の一夜」が妙にハマってる。 >>196
その前年の1989年の秋〜90年の
春に掛けてFMWで栗栖が大ブレイク。
それで新日に電撃カムバックというのが
話題になった。
と言っても、確かにFMWを見ていないファンも
いただろうし
5人タッグがメインというのはなぁ。
俺も見に行ったけれど(苦笑) この年は全日も1月のシリーズで後楽園7回使ってたね
何気に天龍対イワンコロフとかやってたなぁ
後は小橋の7番勝負だね
あの時コロフがWWWF王者でいてくれたら世界の天龍になれたのに、
初防衛戦で1ヶ月足らずで転落してるもんな。
当時、しゃらくせえ事ばかり言いやがって〜と思って大嫌いだった辻よしなりだが、
最近プロレスリングマスターズで久々に見たら懐かしさもあって許せるように思えた。
俺も年を取ったのかなーw
相変わらず言う事はしゃらくさかったがw
ハンセン戦と北尾戦でファンから認められたベイダー
武藤凱旋で揃った三銃士
藤波の復帰
馳健の台頭
ホーム、ノートンの初来日
と、この年に後の黄金時代の兆しは見えてるよね(ベイダーは後に引き抜かれたけど)
新日 NK大会
4月 M斎藤、橋本vs武藤、蝶野
長州、北尾vsベイダー、ビガロ
越中vsマシン
5月 長州vs武藤
M斎藤、橋本、北尾vsベイダー、ビガロ、ウイリアムス
蝶野vs佐々木
10月 長州、橋本vs武藤、蝶野
M斎藤、佐々木vsベイダー、ビガロ
越中vs青柳
あきらかに10月のカードは落ちてる
意外にも5月は2階席に空席が結構あったな
5月ぐらいまでの勢いが凄かったから
下半期はちょっと落ち着いた感じはある。
馬場と猪木のデビュー記念イベントとか、
SWSの旗揚げとか話題は尽きなかったけども。
>>206
この頃のワープロって秋はゴルフが殆どで10月のカード放送なかったんだよな
武藤が長州から初めてギブアップ取ったから見たかった >>208
以前新日がノーTV用に製作してた闘魂Vスペシャルが
この年からあったら間違いなく収録してたでしょうね
解説が武藤あたりで >>208
結果覚えてないなぁ
ギブアップって、当時はまだ4の字使ってなかったと思うけど決まり手はなんだったの? >>211
さそりを返しての変形の四の字だったと思う
そうとう昔なんで間違ってたらすまぬ
後、四の字はフィニッシャーではなかったけど使ってはいた >>206の10月 長州、橋本vs武藤、蝶野なら
武藤 回転エビ固め 長州 だが >>212
変形4の字は94年のG1だね。
でも、タッグとはいえこの頃に武藤が長州から取ってたとはねぇ。 そして前後の後楽園と武道館で馳が武藤に2回フォール勝ち
闘強導夢、超実力派宣言、夢勝ちます、クラッシュザスーパーヘビー、バトルライン九州、キングオブキングスin浜松アリーナ、闘魂ツアー(闘魂シリーズではない)、、
字面見るだけでウキウキした。ピュアだったな。
新日 両国国技館
6月 長州、越中、星野、小林、佐々木vsA浜口、マシン、後藤、H斎藤、栗栖
武藤、蝶野vsM斎藤、橋本
ビガロvsウイリアムス
8月 ベイダーvs長州
武藤、蝶野vsブルーム、イーノス
ライガーvsペガサス
12月 藤波、木村vs長州、木戸
馳、佐々木vs越中、飯塚
武藤、蝶野vsビガロ、Bブラウン
大阪、NKに比べるとこの年の両国は若干カードが落ちてる感じだな
>>217
12月の両国は前月の武道館とその後の浜松の煽りを受けてこの年のビッグマッチで一番微妙なカードだったな >>217
デストラクション・クルーなつい!!
ツープラトンの馬跳びヒップドロップで蝶野が悶絶してたな
期待してたけど結局中堅外人のままで終わった NKホールは、オシャレな新会場として
4月、5月、10月と行ったが、
交通の便は悪い。会場内で飲食ダメ!
会場の外に店がない。
と条件としては良くなかった。
と同時に、カードも低下したしね。
なんだかんだで北尾には興味があったが
10月には、いなくなったし。
>>218
メインは健吾が木戸に翻弄されてヤジが凄かったし藤波もまだ試合勘が戻ってない感じでまったりな試合だったな
>>219
ブルームがSTFをロープエスケープしたときは結構盛り上がった
合体フェースクラッシャーはなかなかの威力があったと思う
>>220
NKは1階席より2階席前列の方が一番リングが近くに感じる特殊な会場だったね
閉館されてからかなりたつけどあの建物どうなるんだろう この年にブロンドアウトローズ対剛軍団の10人タッグなかったっけ?確か両国で見た記憶が。
組み合わせと結果覚えてない
>>219
WWFにいってべバリーブラザーズでまあまあ売れたな >>223
あったあった。俺も見た。結果は俺も忘れた。
板倉も出てたよね。スパルタカスとしてだっけ?それも忘れたなあ。
退屈してきた客がオリャよろしく剛の攻撃に「剛!」と遊びだして(ショアがまだない頃)、やっと面白くなりかけた段階で試合が終わったので残念だったのだけ覚えてる。 「プロレスラーの蝶野正洋です。俺は基礎体力をつけようとしている人にこのパワートレーナーを勧めています」
>>226
お待ちし〜ています〜♪
テレテレテン♪ >>223
一本目だか速攻で高杉がマシーンからボディプレスで取った試合かな 鶴田、カブキ組が世界タッグ取ったときは不思議なチームがチャンピオンになったなぁと感じた
武生市体育館だった
>>230
カブキはないなあと思った
無理があり過ぎ >>216
俺も同感!
週刊プロレスのシリーズ名と一緒にイラストが描かれてたやつ(レスラーの似顔絵?)、
あれもウキウキしてみてたわ。 >>223
それ1990年8・19の第五試合、60分3本だね。
浜口、マシン、後藤、保永、ヒロ斉藤(2−1)栗栖、剛、板倉、青柳、高杉
浜口が復活して剛が新日に参戦した両国と言ったら、時期的に、
8月しかなかったと思ったら、やはりそうだった。
ちなみにメインはIWGP戦、王者ベイダー対長州で長州が奪還。
セミは同タッグ、武藤&蝶野がブルーム&エノスを退け防衛。
俺は、この日、見に行ったが、この5人タッグは
印象に残っていなかった。 >>233
メインの長州対ベイダー覚えてないわ(笑)
試合後に長州がこの右腕に感謝的な事言った時かね? IWGPヘビーは89年の8月両国で
ベイダーが長州から奪った。
90年2月東京ドームの最初のカード発表では
そのリターンマッチが発表されたが、
そこで長州が奪回する予定だったのかな?
全日 大阪
4月 J鶴田、小橋vsハンセン、スパイビー
ゴディ、ウイリアムスvsクロファット、ファーナス
G馬場、アンドレ、カブキvs渕、高野、仲野
8月 ハンセン、エースvsゴディ、ウイリアムス
J鶴田vs小橋
三沢、川田、菊地vs田上、渕、M井上
11月 G馬場、アンドレvsゴディ、ウイリアムス
J鶴田、田上vsハンセン、スパイビー
三沢、川田vsエース、小橋
やっぱり11月は超満員になって当たり前のカードが揃ったな
>>230
シリーズ終わったらすぐにカブキがSWSに移ったんだよな。
そのせいもあってか翌年武生に来たときはリーグ戦を復活させたチャンカーにも関わらずガタッと客入りが落ちた。 >>236
最強タッグでのランニングネックブリーカードロップは子供心に痺れたなぁ。 >>236
分裂前の大阪府立でも、小橋がメインだったってこと?
88年デビューだから、キャリア2年で大会場メインって、やっぱりスター街道だったんかな。
当時見ていた人は、過剰プッシュのように感じていなかったのだろうか。
今でいうノアの清宮みたいなもので。 >>239
前年にあすなろ杯やったけどそのメンバーより上で使って行くんだなと思った
あきらかに過剰プッシュだなと個人的には思った
実際は川田より上に行くことはなかったけどね >>239
過剰プッシュには違和感を覚えて、結局、小橋が引退するまでこの人には感情移入できないまま終わったなぁ。
1年ぐらいでも海外に出されてたら少しは印象が変わったのかもしれないけど。 小橋のプッシュは確かにあったけど、過剰という程だったかな?
けっこう段階を踏んでいたと思うけど…
ただ、あの頃はネットもないし、会場観戦者、プロレス雑誌の詳細情報とテレビ中継の内容とでは差があった
例えば平成に入る前に、馬場と親子タッグを組んだりしてプッシュは始まってたんだけど
いざ小橋がテレビ中継に写るのは、その一年後のあすなろリーグでのダイジェストだと思った
川田にすげえジャーマンやってる若者に「誰だあれ、なんかすげえやつがいるな!」みたいな感じだと思う
そこからテレビに出だして、メイン近くまで登場するようになるまで早かったから過剰に見えたのもあるとは思うけどね
まあ、そもそもデビューして一年前後で馬場とタッグを組んでる事が過剰といえるかもしれないが…
小橋を初めて見たのは
デビューして3、4か月後の88年7月
後楽園ホール。名前もろくに知らなかったが
「スゲエ新人が出て来た!」と一発で
顔と名前を覚えたよ!
デビュー一年未満の
無名の新人に、これだけのインパクトを
感じたのは小橋と井上京子くらいだ。
小橋が武道館クラスの大箱でのシングルマッチだと、対ハンセンでセミファイナルに出たのが平成3年
でもいざ三冠を獲ったのが平成8年なわけだから
長いスパンで見れば過剰はあったとしてもバランスは取れてんじゃないかね?
小橋は一生懸命なプロレスでファンサービスもよかった。スーパーベビーフェイスになる要素が元々あったんだろうなぁ。
三沢、川田も含めて、うまい具合にいい素材が全日に残ったよね。
田上は結果オーライだったけど…
スレタイ見るたびに、かつての名スレ『1192年の新日本プロレス』を思い出してしまって笑う
>>246
過剰プッシュではなかろう
スタハンとのシングル連戦なんかに期待外れはなかったし 小橋は昭和プロレス、乱闘や凶器や反則込みのプロレスもやりたかったみたいだ。
小橋自身がそういうプロレスを見てきたわけだし。
でも小橋がトップで全盛の頃はそういうプロレスは皆無だった。
いつしか団体の流れ自体が危険な技の応酬のスタイルへ。
まあ昭和のプロレススタイルの方が体には楽だわな。
でも大技出すだけで済む分にはあのスタイルの方が楽。
体にはキツイどころか死に兼ねないが。
実際に三沢が…
>>251
ブッチャー・キマラとはやっているけどな。 まさにこのスレ向きな動画が。武藤凱旋の4月NKのワールドプロレスリング。
マジで、セミ・メインと、客がずっと騒ぎっぱなし。いい時代だったな。楽しかったよ。
この年はJrのリーグ戦なかったね
佐野が抜けたり野上が海外に行ってたりしたから層が薄かったね
1990年 週刊ゴング 表紙リスト
1990/1/4 北尾光司
1990/1/11.18 前田日明、天龍源一郎、長州力
1990/1/25 A猪木&S・チョチョシビリ(撮影=原悦生)
1990/2/1 WWF、全日、新日のオールスター・メンバー
1990/2/8 天龍源一郎
1990/2/15 ハルク・ホーガン
1990/2/22 2・10東京ドーム出場選手
1990/3/1 2・10東京ドーム出場選手
1990/3/8 ジャイアント馬場、アンドレ・ザ・ジャイアント
1990/3/15 長州 力
1990/3/22 船木誠勝
1990/3/29 ハルク・ホーガン
1990/4/5 4・13東京ドーム出場選手
1990/4/12 前田日明、船木誠勝
1990/4/19 U・ウオリアー、ハルク・ホーガン
1990/4/26 4・13東京ドーム出場メンバー
1990/5/3 ハルク・ホーガン、スタン・ハンセン
1990/5/10 天龍源一郎
1990/5/17 天龍源一郎
1990/5/24 天龍源一郎・ジョージ高野
1990/5/31 ジャンボ鶴田、藤波辰巳
1990/6/7 天龍源一郎、若松市政
1990/6/14 天龍源一郎、ハルク・ホーガン、阿修羅・原
1990/6/21 橋本真也
1990/6/28 三沢光晴、川田利明、小橋健太
1990年 週刊ゴング 表紙リスト
1990/7/5 ベイダーvsハンセン、長州vs浜口、橋本vs武藤、獣神サンダー・ライガー
1990/7/12 船木誠勝・前田日明
1990/7/19 橋本真也・三沢光晴
1990/7/26 天龍源一郎・佐竹雅昭
1990/8/2 SWS契約全選手
1990/8/9 アントニオ猪木、ザ・ロード・ウォリアーズ
1990/8/16 長州力、北尾光司
1990/8/23 大仁田厚&ターザン後藤
1990/8/30 船木誠勝&高田延彦
1990/9/6 長州力、ビッグバン・ベイダー、アントニオ猪木
1990/9/13 SWS契約選手
1990/9/20 ザ・グレート・ムタ
1990/9/27 アントニオ猪木 撮影/原悦生
1990/10/4 天龍源一郎
1990/10/11 T・J・シン
1990/10/18 A猪木&T・J・シン
1990/10/25 前田日明
1990/11/1 闘魂三銃士
1990/11/8 天龍源一郎
1990/11/15 前田日明、UWF神社長
1990/11/22 前田日明
1990/11/29 大仁田厚
1990/12/6 高田延彦、船木誠勝
1990/12/13 天龍源一郎、北尾光司
1990/12/20 UWF全選手
1990/12/27 UWF全選手
1991/1/3 前田日明、船木誠勝
>>255
いや、新春黄金シリーズでIWGPジュニアヘビー級挑戦者決定リーグ戦があったろ。
オーエン・ハート、ブラック・タイガーが参加。ライガーはこのシリーズより、
サンダーライガーに改名した。
ライガーが優勝、佐野に挑戦して王座奪取⇒佐野新日離脱。 新日第二の旗揚げ 4・27東京ベイNKホール
全日第二の旗揚げ 5・14東京体育館
対照的な幕開けだった。
>>254
ナイスジョブ!NKホールの前で放映してたんだね。
全然記憶にねえ。(たぶん中2の頃、見てなかったかも。) >>245
三冠の順番 三沢→川田→田上→小橋と上手く調整したよね 90年6月 新日 福岡
長州vs浜口 橋本vs武藤 ベイダーvsハンセン
ライガーvs青柳 武藤vs蝶野 橋本vs佐々木
91年7月 新日 福岡
武藤、蝶野vs馳、佐々木 橋本vsノートン
藤波、長州vsアックス、カナディアンジャイアント
ライガーvsペガサス 青柳vs松永
91年も決してカードは悪いわけじゃないけど90年があまりにも良すぎた感じだね
>>258
新日全日に関係ないが
90年の後半はSWSより
UWFの内紛の方がインパクトあったみたいだな 90年は猪木や藤波がレギュラーで不在にも関わらず新日は大盛況。
猪木はそれが気に入らなかったみたいだが。
でも橋本、蝶野、武藤と役者が揃った感じがした。
88年に三人を『闘魂三銃士』としてユニットにしたのが幸いした。
まさかこの当時は二年後を見据えてなんて事はなかっただろうが。
藤波欠場も猪木の議員当選→それに伴いセミリタイアも88年には想定外のはず。
あの三人を『闘魂三銃士』ではなくバラバラに売り出していたら。
そしたら新日もあれだけの大盛況にはならなかったと思う。
あとはベイダーの大成長、人気急上昇も手伝い。
カナディアン・ジャイアントっていたなぁ
ヒガンテに比べて色々酷かった
>>270
この年の4月からシリーズ名を刷新したけど、ビッグファイトシリーズはなぜか92年まで残った。 >>268
90年はアノキやフジナがレギュラーで不在にも関わらずシンニプロレは大盛況。
アノキはそれが気に入らなかったみたいだが。
でもハシモ、チョマサ、ムトケと役者が揃った感じがした。
88年に三人を『トウコサンジュウ』としてユニットにしたのが幸いした。
まさかこの当時は二年後を見据えてなんて事はなかっただろうが。
フジナ欠場もアノキの議員当選→それに伴いセミリタイアも88年には想定外のはず。
あの三人を『トウコサンジュウ』ではなくバラバラに売り出していたら。
そしたらシンニプロレもあれだけの大盛況にはならなかったと思う。
あとはビバベの大成長、人気急上昇も手伝い。 橋本 蝶野 武藤と飯塚 松田って差が凄かったな。
キャリア1年しか違わないのに。
三銃士がトップ扱いで売り出されてたのに飯塚と松田は前座の第一試合常連。
野上は三銃士と同期だが。
でも後々には飯塚や松田(サムライ)と組んで三銃士より格下のユニットに。
NEO闘魂トリオだっけ。
金本達からは『あいつらは怖くないしその上の三銃士を見据えてる』と。
NEO闘魂トリオは踏み台にもならないと舐められて。
金本達はNEO闘魂トリオは全く相手にしてない感じで。
そもそもあの三人は器じゃなかったんだな。
三銃士が必要以上に売り出されたのもあるが。
>>273
野上は船木に、飯塚はみのるにそれぞれすぐに抜かれてたからな。
まあ松田・飯塚の同期ながらクビ切られた大矢や片山よりマシか。 北尾の出現も大きかったんじゃないか?
5月のNKホールは大フィーバーだった。藤波猪木いなくても。
短期間ながら北尾人気は凄かったね。
対戦相手が大声援受けるというガチ現象。
ベイダーと北尾の対戦時は恐らく9割以上がベイダーに大声援。
裏を返せば北尾大人気。
その北尾が期待通りにベイダーに圧殺されて大阪は大盛り上がり。
北尾相手なら何をやっても反則にならないという。
ベイダー人気急上昇は北尾のお陰。
ビガロも北尾のお陰で株が上昇。
負けて株が上昇というのも希。
それだけ北尾は90年前半は大貢献したのだ。
>>273
新世代闘魂トリオな
ケロが何かで書いてたけど武藤・蝶野・橋本vs飯塚・野上・サムライのカード組んだらマスコミが駆け付けたから急遽名前を付けたらしい この年の最強タッグ最終戦疑惑の29分59秒が忘れられない
ハンセン組応援してたから今でも納得できないね
飯塚は何回もプッシュされてたけど、
ブレイクできないで終わったね
長州とのタッグ王者、馳とのサンボ、凱旋帰国、
JJジャックス、村上との抗争
>>275,277
たばこの吸いすぎで声ガラガラです。 >>281
飯塚は性格はプロレスに向いてなかったのかも。
チャンスっちゅうか売り出して貰ったのをものにできずに。
格闘技スタイルでプチブレイクしたがあとが続かず。
ヒールになってからもう既に10年くらいか。
30数年のキャリアでヒールのスタイルが三分一近くか。 >>254
デビュー戦以外の北尾の試合初めて見たけど、これはヤバイ。
角刈りとダサいコス、相撲で得た経験が全く生かされないしょぼい蹴り。
でも今の予定調和な動きしかしないレスラーたちと違って、
他の選手たちすら戸惑ってしまうような動きを見せる素人っぽさが、
逆にだんだん味わい深くなってきた。
惜しい人材を手放したもんだ新日は。 >>282
仲田龍はきちんと30分になったからゴング鳴らしたんだよな
だったら時間切れ引き分けなはず 北尾は前年秋に新日入り表明。
確か年末に『90年2月のドームでビガロ相手にデビュー』と。
ビガロ相手はまだだったかな?
また北尾はデビューまでにホーガン並の体に仕上げる、と。
更に自分の身長203に因んで203秒以内(3分23秒)以内でビガロを倒すとも豪語。
実際にはホーガン並の体どころか全くだらしない体。
ビガロ相手に勝利したものの203秒を遥かに越えるタイム。
しかも最後はロープに向かう方向を間違えて会場大爆笑。
事前のコメントやデビュー戦の入場からして大“失笑”ヒールになる素質あり。
北尾自身は人気者にな(れ)ると本気で思ったのかな?
せめてガウンでも着て律儀な態度なら少しは違っただろうに。
あのコスチュームやスタイルが北尾自身の希望か新日側の要望だったかはわからんが。
新日側の要望だったのなら北尾は気の毒だけど。
当時は新日本道場の幻想ってのがあったから武藤が何であんなに凄いのか不思議で仕方なかった。
北尾って、その後は巡業についたはず。おいらの田舎で、コーポラルマイクカーシュナーとシングルやった記憶が。
そのしばらく後に、長州と揉めて、フェイドアウトだったかな?
>>291
北尾が地方興行に出たのは奴の故郷の津くらいだと思うが。 >>290
橋本は強いけど武藤はショーマン的な事を言ってるプオタが当時は結構いたなぁって思い出した
普通に考えて橋本みたいな体型で強いわけ無いんだけど 北尾のデビュー戦のゴールデン特番は視聴率15%以上とったんだよね。
北尾が出て15は良かったのか悪かったのか‥‥
アレンジした北尾テーマ版サンダーストームは何か変な感じだった。
原曲はいいんだけどねえ。
北尾は全日に入って馬場さんに鍛えられたら人生違っていたと思う
>>298
そう思っているのはキチガイ信者のお前だけだと思う。 >>298
全日でエリート待遇で使ってたら人生は変わってたと思う
小川直也もそうだったと思うけど 北尾は元子と揉めて、トラブル起こしてそう。
小川は全日で純プロに専念したら違ってたかも。
ただ、総格スタイルで不器用な試合が、緊張感あって良かったのも確か。
>>293
新日はガチ、全日はショーとか言ってるバカも一定数いたよなw
90年になると逆を言ってる奴もいたが結局バカというね >>298
つまり北尾が頭を下げて
全日に練習生として入門をお願いする。
馬場がそれを了承する、ということか?
それは両方とも考えられんな。
北尾はプライドが強いし、
馬場はトラブルで相撲を辞めた人間を取らんだろ?
(輪島で懲りている)
>>300
ヘーシンクや輪島のように?
年齢的なこともあったが、結局、この二人は
プロレスで大成しなかった。
90年代以降は、こういう元エリートは取らなくなったよな。
また実際問題、北尾が全日に入門するのは89年頃か?
それで90年の初め頃にデビューしても、
またあのSWS騒動、大量離脱があったから
北尾を売り出すどころではなかっただろうな。
もしかしたら、SWSに行ったかも知れないし。 3月の新日愛知大会で北尾VSラリーキャメロン戦見た。
幻の大技サンダーストーム出したけど中途半端な感じで決まっちゃって会場が物凄いブーイングだったなw
>>303
本田多聞は採ったけど、エリート待遇ではなかったな。 >>301
長州に「朝鮮人」と言ってバスで乱闘になったんだっけ?
全日行ったら元子に「守銭奴、錢ゲバ、クソババア!」
とか面と向かって言ってくれそうw サンダーストームってテレビマッチでは見せてないよね。
キャメロン戦はノーテレのはず。
腕で相手の両足を4の字に固めてジャイアントスイング式に振り回すんだっけ?
北尾みたいな巨体じゃないとできない、とか書いてあった。
鈴木軍より北尾軍のほうがリアルヒールで力道山時代くらい客呼べるかも
>>292
ビッグファイトシリーズは久留米、
クラッシュ・ザ・スーパーヘビーは全戦参加 >>306
吉本要ったらMr.オクレに「芸なし!」か? 3月の新日の後楽園最終戦を見に行ったときに
シリーズのパンフレットが完売していて、対戦表欲しさで仕方なく北尾だけのパンフレットを買ったよ
>>309
北尾、輪島、ザ・グラップラー、ビル・アーウィン、川内
十分な戦力は揃ったな >>304
あの技、『遠心力で脚も極まる』ってテイで使うのなら、井上京子みたいにテキサスクローバーの形で振り回すべきだったよね 今思うと何でマサ斎藤がAWA獲ったときあんなに盛り上がったんだろう?
当時のAWAって価値が特にあるわけではなかったはずなのに
>>318
その辺は人によるだろうけど、個人的にはギリッギリ威光を遺してるように思えた。
加えて、王者ズビスコってのが「獲れんじゃね?」って空気を作ってたしね。
まあ、全日参戦でもうみんなハイになってたのが一番大きいんじゃない?
何しても盛り上がるというか。 >>319
同意。
夢の全日参戦でその全日との試合直前だったのもあったはず。
またマサ斎籐自体が既に47で何とか獲らせたいとの気持ちも。
あれでもっと若かったらファンの感情も違ったとは思うが。
AWAっちゅうたら日本人では鶴田に次いで二人目だし。
当時はまだ『このタイトルは日本人で●人目』って表現がよく使われてた。
まだ各タイトルもそれなりに権威あって過去の栄光が通用した時代でもあり。
まあNWAは90年では既に堕ちたタイトルで過去の権威はなかったが。 また、鶴田の試合の前でAWA戴冠って嫌らしい演出だよな
>>306
意外と元子は外様には優しいぞ。
長州とは揉めていないし、長州も元子の悪口は言ってないだろ?
>>318
マサの試合は盛り上がるぞ。小鹿戦しかり。 >>264
6月の福岡はビデオ録画して何回も視たわ。
一時間に収めるには盛り沢山な内容だった。
メインの試合だけは、ノーカットだったけど。 >>322
長州と元子の話などしていない。
バスの中で長州に「朝鮮人」と言うぐらいの北尾だから
全日行ったら元子にも悪態つくんじゃないのかと言っただけだ 若いとき美人で身長もモデル並みだったMOTOKOが北尾軍のディーバ
>>322
>意外と元子は外様には優しいぞ
最初に、北尾が全日に入門したら、
「外様」ではないだろ?
ただの「新弟子」だ。
(いくらかはエリート扱いはされただろうが)
俺は、306ではないが
その前の投稿から読んでみな。
「北尾が、新日ではなく全日に
入門して馬場に育てられたらどうなった」
という流れだ。 アームズ事務所所属な時点で、全日本でも長続きしないだろう
>>320
ラリーズビスコがいかんせん小粒というか風格がなかったからな〜 >>319
あとマサさん、アメリカで苦労してきてそのアメリカの世界三大王者の1人になったって感じで感動を呼んだんだよ。当時は。 藤波も91年にフレアー破ってNWA王者になったときは興奮したからなぁ(幻になったけど)
92年に蝶野がG1制してNWA王者になったときは相手がルードだったってことや昨年もG1優勝してるから、興奮はしなかったなぁ
>>327
つか馬場がそういう形での参戦を認めるとは思えない。 あのAWA戦はもともと藤波の復帰戦に用意されていたんじゃなかったっけ?
でもやっぱり無理で斎藤が代わりに。
AWAもNWAも落ち目は落ち目だけどもギリギリ歴史が繋がっていた時代だからなぁ。
当初は、3大世界タイトルマッチを売りにしていた。
長州×ベイダーのIWGP戦
フレアー×ムタのNWA戦
ズビスコ×藤波のAWA戦
昔は縁のなかったNWAとAWAの世界戦を同時に開催することに意義があった。
>>331
フレアーが藤波のことを高く評価しているけど、
その試合以外にそんなに対戦していないよな? >>335
復帰戦が世界タイトルマッチとは
AWAも舐められていたよなぁ。 >>335
この頃の藤波は試合なんか全然できる状態ではなかったんじゃないの? どのみち体調が万全でも全日勢が参戦したから
藤波がAWAに挑戦することはなかったな
マサもいいけど木戸がAWA獲ったら更に盛り上がったことだろう
>>336
フレアーが言うには若手の頃、海外遠征中の藤波と何度かタッグで対戦したらしい。藤波は憶えていないそうだが。 >>339
> マサもいいけど木戸がAWA獲ったら更に盛り上がったことだろう
札幌辺りで獲ったら、尚更。 木戸さんはシングルプレイヤーではなく、タッグプレイヤーだと思う。
バッドニュースブラウンがWWFから帰ってきたが、実績に違わず健悟とかにもシングルで負けてたのは寂しかった…
木戸はシングルタイトルを
取ったことはおろか
挑戦したこともないんだな。
今だったら、NEVERに挑戦して
一回くらい奪取したかも。
20年以上やっててシングル・タッグ問わずタイトルに挑戦したことない選手っているのかな?
>>340
それだけで藤波を高評価したのは凄いな。 >>345
昔はいたよ。
ミツ・ヒライとか、、
アポロ菅原はあったかな? >>343
この年に新日本に復帰したジェット・シンが約10年ぶりにアレンと顔を合わせるなり
「NYでいくら稼いだ?」と聞いてきてウンザリしたと言っていたなw >>336
週プロに藤波vsフレアーが決まったときに「東西の上手いレスラーの代表」って書かれてたけど当時はフレアーがそんなに凄いレスラーって分からなかった
のらりくらりと危なくなったら反則やリングアウトで逃げるイメージだったから
95年の平壌の猪木戦やG1参戦でようやくフレアーの凄さは分かったんだけど フレアーはうまいけど、
あの時代にはもうアメリカでもあのスタイルはあきられてた
>>349
藤波が上手いというのもイマイチわからん >>350
フレアー以上にホーガンらのマッチョ系が飽きられてたわけで
だからホーガンですら黒くなって簡単にギブするほど弱体化してもnWoがウケた
>>351
藤波はフィニッシュが弱いだけで相手の実力を引き出すのが超ウマイ 南海龍や高見州が普通にデビューしてたらどんなポジションだったんだろう?
>>293
それはセメントとかケンカで?
その当時ならセメントなら武藤でケンカなら星野勘太郎なんじゃなかった?
まぁ星野勘太郎は無類のケンカ好きって上井がコラムで書いてるよね。 リーガルがお気に入りになった頃かな。あの嫌みな所作がツボだったが、リングに入るときに靴底の水分をとるところや、フォールする再に肘を相手の顔面に押し付けるところ見てホンマモンや思ったな
>>354
セメントで
武藤にセメントの強さは語られなかったし(本人も興味無さそうだった)、船木とかが「新日道場で強かったのは武藤さん」とか言うのって相当後だったりするし
飛んだり跳ねたりのイメージが強いからか強さを当時の斜めに構えたプオタからは評価されてなかった >>355
リーガルと猪木戦は中々面白かった。シュートマッチとかじゃないんだけど。 福岡のベイダーxハンセンは本放送ではダイジェストでベイダーが攻めてるシーンばかりだったが、
CSのノーカット版ではハンセンが6割方攻めてたんで編集って怖いなって思った。
全日本の武道館って
3月
メイン 龍艦砲vsゴディ ウィリアムス(世界タッグ)
セミ 鶴田vsウィンダム(三冠)
6月
メイン 鶴田vs三沢(ノンタイトル)
セミ ゴディvsハンセン(三冠)
9月 鶴田vs三沢(三冠次期挑戦者決定戦)
セミ ハンセンvsウィリアムス(三冠)
12月
メイン ゴディ ウィリアムスvsハンセン スパイビー
セミ 鶴田 田上組vs三沢 川田
世界最強タッグ決定リーグ戦公式戦
一度も三冠がメインになっていない不思議
三沢が世界タッグで鶴田からギブアップ奪ったのって翌年9月だっけ?
ウィンダムってバリー・ウィンダム?
だとしたらずいぶん渋いカードだな
6月千葉公園
鶴田vsゴディ(三冠統一)
ハンセンvsウイリアムス
三沢、川田vsカブキ、冬木
小橋vsビガロ
仲野、田上vsDBスミス、Jスミス(アジアタッグ)
武道館でも行けるカードだったね
同シリーズの、東京体育館、広島県立、札幌中島より好カードが揃った感じ
三冠戦より挑戦者決定戦がメインは駄目でしょ・・・
最強タッグで9点同士がメインで10点同士がセミ
ハンセン組xゴディ組をセミにして、田上秋山組をメインとか全日はたまにやってくれる
>>364
ただこのカードに加えて天龍が出てたとしても、広島や名古屋は満員にならなかっただろうな。 参考までに主要カード
全日 東京体育館 8200人
馬場、鶴田vsゴディ、ウイリアムス
DBスミスvsDローデスJr
タイガーマスク、川田vs谷津、冬木
広島県立 2850人
鶴田、カブキvs川田、田上
ゴディ、ウイリアムスvsブッチャー、ロス
三沢、川田vsDBスミス、Jスミス(アジアタッグ)
愛知県 4100人
鶴田、カブキ、冬木vs三沢、川田、田上
小橋vsゴディ
馬場、渕vsシン、鶴見
これじゃ確かに天龍がいたとしても広島、愛知は満員にはならないな
実際これでも水増ししてるんだろうし
>>367
細かいけどアジアタッグは三沢と小橋だな
天龍が残ってたとして、どんなカードを組んでたのか想像が付かんな。三沢もマスク脱いだかどうかわからんし 鶴田軍はカブキと冬木なのか
2人とも残ってたら、この振り分けで
超世代軍と抗争してたのか
>>370
あとは渕と仮に残ってたら谷津かな
広島県立大会はメイン終了後にバトルロイヤルやってたんだね
続き 後楽園 2400人
川田、仲野vs冬木、菊地
ゴディvsDBスミス
鶴田、カブキ、渕vs三沢、田上、小橋
札幌中島
川田vsハンセン
ゴディ、ウイリアムスvsビガロ、DBスミス
鶴田、カブキvs三沢、小橋
武道館
鶴田vs三沢
ゴディvsハンセン(三冠統一)
小橋vsウイリアムス
川田vsビガロ
ブッチャーvsシン
千葉公園は前にカキコミしてあったから省略 へー。90年代の全日人気絶頂になったのは鶴田vs三沢の後か。
その武道館は全日お約束の16500人札止めじゃないのね。
天龍が残っていたら、90年5月の東京体育館龍VSラッシャー木村だったらしい。さすがにそれじゃあ天龍やる気なくすわ。
374だが、脱字があったので。
天龍が残っていたら、90年5月の東京体育館は天龍VSラッシャー木村だったらしい。さすがにそれじゃあ天龍やる気なくすわ。
>>367
広島のメインは当初川田高野組だったけど、
高野の腰の負傷で変更。
この頃の田上ではメイン登場は不安定な部分があったけど、なんとかこなしてた印象。 天龍、ラッシャーのシングル観たかったな。ラッシャー晩年だから敵わないだろうがマイティや寺西がセコンドなら盛り上がりそう。
本当に客入りが増えたのはサマーアクションシリーズ2からなんだと思う。
開幕の後楽園2連戦の熱量と言うと笑われるが超世代応援する人が増えてきた&2日目に切れた(風)ジャンボの底の見えない底力に期待する人の真っ二つ。そのまま良い感じで武道館まで続いている。
uwf初の東京ドーム興行の同日に札幌でやっていたハンセン天龍vs馬場木村の試合でのラッシャーは良かったよ
ハンセン天龍二人相手に気合入っていた
コツコツ当てる全然効いてなさそうな頭突きに
ハンセン・天龍のオーバーアクションが何分か続いた。
「アニキ、いい加減起きてくれ」
鶴田軍・・・谷津、カブキ、冬木、淵
若手軍・・・三沢、高野、川田、田上、小橋、仲野で構成だったんだろうな。フットルース分けないと意味ないし。
新日だと、越中・小林・木村健吾あたりは微妙な時期だった。
>>383
90年代以降は健吾はずっと微妙な位置だったと思う >>383
今も思うが、反選手会同盟とか燻ってた中堅どころをよく上手く活用したなと思う。
個人的には木戸を入れてほしかったな。
あの、七三頭をどうするのか?見たかった・・。 青柳がライガーと戦ったのがこの年か。そこから扉を閉めただ閉めていないだがきっかけと言う事にしての新日本と抗争するのが二年後?
健介と後藤達俊がタッグでぶつかると、
後藤が健介をロープに振る
↓
後藤がジャンプ
↓
健介が受け止めパワースラム
何回もこのムーブを見てきれいだと思った
天龍離脱してなければ
三沢と新天龍同盟を作るはずだったと聞いたが。
ドームでのタッグもその伏線だったのかな。
その証拠に三沢レボリューションジャンパーが作られていて
不要になったのでヤフオクで流れて出品されていたことが。
武道館という大舞台で松田納がゴタツにフォール勝ちの大金星があった
週プロは、あれだけ金を出してくれる大手スポンサーを、叩きまくった。最終的にはダメに。今じゃ信じられない時代。
パワートレーナの須藤幸三の棒読みCMが見たい
藤波のマッチョドラゴンを超えるインパクト
上田の6人タッグで長州、橋本、佐々木対浜口、後藤、栗栖ってあったよね
何気に豪華カードだし健介が後藤にラリアットでフォール負けしてた
健介は違う試合でレイガンズにも独特な丸め込みで負けてた記憶が…
ケガから復帰したタイガーってマスク剥がされて顔丸見えになることが多かったけど
三沢に戻るのは既定路線だったんだろうね
>>390
メガネはおとなしくスポンサーだけやっとけばよかったの。
選手引き抜いて新団体なんか作ったのが原因。 >>390
金を出したといっても「SWSに移籍した選手に対して」、
あるいは「使いもしない施設(道場)建設に対して」
金を出しただけでファンや、プロレス界全体には
何も寄与しなかったよ! >>390
週プロ(というかターザン)のSWS叩きの動機はともかく
SWS自体は叩かれる要素満載だったからな
今だったネットでボロクソ叩かれること間違いなし。 >>392
釜石大会。
蝶野健介vsペガサスレイガンス
負けはしたものの、パワースラム、DDTなど大技がたくさん出た試合だったよ。 >>391
「おっくうらしいね」
は耳に焼き付いているw >>368
三沢の唯一のアジアタッグ防衛戦なんだよな
この時はまだ緑のコスチュームは出来てなく覆面抜きのタイガーのままで >>395
橋本「金出してくれる人を悪く言うな」
>>396
今、あのバッシングをやったら、叩かれるのはメガネスーパーじゃなくてター山の方 >>400
>橋本「金出してくれる人を悪く言うな」
SWSがまだ旗揚げもしていない6月くらいの
橋本の発言をオウム返しにしても
なにも395の反論になっていない!
なら、その時、週プロのみならず
ゴングに載った藤波や鶴田のSWS批判を載せようか?
お前、小学生だろ?
恥かしいぞ! >>400
>橋本「金出してくれる人を悪く言うな」
ただ金出すだけなら誰も悪く言わない
>今、あのバッシングをやったら、叩かれるのはメガネスーパーじゃなくてター山の方
もしブシロードが新日本のオーナーにならず、金に物を言わせて新日本・全日本・ノア等から選手引き抜いて新団体作ってたらやっぱり叩かれてたと思う >>401
パッと見の割込みスマン。
いやいや。論点がズレてるよ。
鶴田、藤波以外もS批判してた。
ただ、大物が言えばそっちが正しいのか?って話。
スポンサーがいないと成り立たない業界では
橋本の言い分が正しいよ。人間性はクソ野郎だけど。
なんで自分の団体資金を他団体、業界全体に回さないかんの? 俺が橋本に金出す人に文句言うなって言ってるの見たの
1992年の正月の週プロだったから
SWS旗揚げの時も言ってたなら
ずっと言ってたんだな
最強タッグ前はランド・オブ・ジャイアンツ本気で期待したけど
開幕の対エース、渕組の試合見てこりゃダメだと思ったな
天龍離脱後は外人をやたらに呼んだけど定着した選手はほとんどいなかったなぁ(後のパトリオットになる選手ぐらいか)
まあでも、ププププロレスニュースのネタにはなったよね
全日本ではこの年というか天龍が離脱してから外国人対決が急増したように感じられる。
最強タッグ除いたらそれまで1シリーズで1回あるかどうかだったのか各大会で行われるようになったし。
大量離脱で日本人が減ってさらに日本人対決中心になったから外国人同士でぶつかるのが
普通になったのかな。
武藤と三沢にベルト持たせた世代交代の92年に向けた流れがこの辺から始まった感じ
>>409
鶴田と超世代軍の試合を中心に組みはじめた結果、
必然的に外国人がメインカードからあぶれてしまったからかな?
日米レスリングサミットでのホーガンvsハンセンや新日でのハンセンvsベイダーが観客から支持されたからかも
個人的にはハンセンとゴディ&ウイリアムスの対戦は好きだったが まだこの年はマイティ井上がたまにだが鶴田軍でそこそこ頑張ってたな
7月には小橋からフォール獲ったし
10月に豊田で小橋から逆にフォール獲られてからフェードアウトした
ベイダーが亡くなったんだな。90年はベイダー大活躍だったなぁ…
8月の両国のメインのベイダーvs長州はベイダーがこの年強すぎたから目を狙ったとは言え勝った長州に高まった
この年みたいに純粋にプロレス見れた時代が懐かしい
90年当時の外人ビッグ3
ベイダー、ビガロ、ウイリアムス‥‥みんなあの世に逝っちゃったな。
T・ホーム、H・ヘルナンデス、カンナム、J・スミスあたりは元気なんだろうか
>>418
クロファットとスミス以外は故人
スミスも心臓やばくて来なくなったからやばい
ホームは自殺、ヘルナンデスは心臓発作、ファーナスはパーキンソン 猪木、シンvsベイダー、浜口
ベイダー見事にヒールに徹してた
まさにベイダーの年代だった。
ご冥福をお祈りします。
間違いなくベイダーは強かった
長州戦より藤波戦の方が俺は好きだった
ベイダー ビガロ組のダブルでのボディープレスは絵面が良かったなぁ
橋本、ニールキックで長州超えの年。全日の川田のタイツが青からお馴染みの黒黄タイツに変わったのってこの頃だよね?
>>420
8.20愛知大会
ベイダー浜口vs長州マサ
マサさんと浜さんの気合だ〜ポーズ対決
妙に会場が盛り上がっていた(笑) ベイダー・浜口組は熊本で長州・ハンセン組とやったのが最初か?
>>371
広島県立体育館最後の興行と煽ってバトルロイヤルやったけど、
それで満員になるとは思えない
>>427
大分で木村、木戸組 >>428
バトルロイヤルTV放送されたらしいけど記憶にないわ
この大会は馬場がやたら田上を褒めてたのが印象に残ってる
もう一度見たいからジータスでやってほしいな >>429
このバトルはたいした見せ場もなく大物があれよあれよという間に退場になって面白くなかった。
しかも短時間で終わった上にフィニッシュの流れも正月の後楽園でのスミス優勝の時と似た感じだった。
田上ageがあったのは本来川田俊二組登場の予定だったのが俊二の怪我で田上に変更になったからグレードがしょぼくなったのを誤魔化す意味でもそう言わざるを得なかったのでは? 旧広島県立のラストは新日のほうがよかったな。
新日も北尾のおかげで超満員になったようなもんだけど。
9月の広島サンプラザはムタが出たり橋本とベイダーのシングルがあったり
カードは良かったんだけどガラガラだったんだよな
特にアリーナ後方と2階後方に空席が目立ったな
翌年の3月は前年よりかは入ってたけどそれでもギッシリとはいかなかった
92年の6月は正真正銘の札止めでやっとギッシリ埋まった
ちなみにカードは
長州、野上vs蝶野、武藤がメインで橋本vs飯塚がセミ
>>427
バトルオブザ九州だっけ?
今、思うとプレミアな対戦が多かったな。 >>434
バトルライン九州だな
武藤とハンセンのタッグ対決とかもノーテレビであったんだっけ 北尾よハンセンのタッグも予定されてたんだけど
なぜかカード変わったんだよな
なぜかって北尾はシリーズ(といっても4戦だが)全休でしょ
>>437
北尾はソウルテイカーとシングル4番勝負の予定だった バトルラインは4戦か。オブライトもいたシリーズだったね
クラブチッタ川崎でも興行やったな。
馳はこの日から黄色タイツになったんだっけ?
馳は黄色になる前の
レスリングシューズに白のハイソックスはダサかったな
>>444
記憶によると馳は後楽園ホール7連戦の初日からイエローになったはず。
後楽園ホール7連戦は8月1日から7日だっけ?
さすがに日にちは忘れたが、確か4回行ったはず。
後々のG1の両国7連戦の走り、先駆けだな。 俺は、後楽園7連戦、
初日、橋本対健介と6日目に越中が橋本を
破った日を観戦した。
橋本は、この日の前にマシンにも
破れていたと記憶している。
結局、最終日は披露が溜まり
シングル戦が無理になって武藤、蝶野と
トリオを組んで6人タッグになったと覚えている。
この間、8月4日には汐留でFMW
大仁田と後藤のノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチも
観戦した。
NGKでやったシアタープロレスで初黄色パンツだった気もしたけど…
馳が黄色にしたのは
後藤のバックドロップで臨死になった厄払いだったっけ?
>>447
最終日は最初から三銃士による6人タッグだったはずだが。 >>445 >>451-452
馳の黄色コスは客席から見て自分の体が大きく見える様にと前々から用意していたんじゃないのかな
ちなみにライガーは馳のアマレスシューズ姿は他のレスラーと違って見えて個性的で良かったのに
「長州さんにそうしろと言われたから」
なんて理由で普通のシューズに変えたのは主体性に欠けていて情けないと苦言を呈していたな
>>447
あの時の橋本は疲労が溜まったという以上に栗栖戦で栗栖のイス攻撃を右手一本で受け止めて客や関係者等を驚かせた代償に
右腕の前腕部を骨折してしまって本来なら欠場必至な状態だったのを無理して出続けていたからね 橋本は7月のチューリン戦で怪我してから翌年のG1まで歯車が狂った感じで
欠場や低調な試合が続いたな
トニー・ホーム連敗ブックは怪我が増えたから休ませるためにしたのかな?
トニー・ホームってボクサーと言う割にはデブッチョで動きが緩慢なように見えて、なんで橋本はあんなのに負けるんだろうと当時は思ってた。
辻があまりにも「T・ホームに3連敗!!」ってしつこく言うから
マサが「その話はもういいですよ」って怒ったことあったな
トニー・ホームはのちにリングスやUFCにも出たけど、UFCデビュー戦がこれまた総合初試合のランディー・クートゥアーであっさり負けたんだよなぁ
無名の選手にあっさり負けてボロクソ書かれてたけど勝てるわけ無いわ
かといって、ゴルドーとかにボコボコにされるの見るのはもっと辛い
90年とは関係ないが、日本での不人気に比べ
トニーホームはWWF(現WWE)が目茶苦茶ハマっていたね。
朝青龍なみの天然悪党人気であのまま粘っていれば絶対世界王者に…
なんか本人は悪党扱いが基本的に納得いっていなかったみたいだな。
日本でもホームはスター性あったと思う。
ただ塩すぎたから。
見た目ならベイダー ビガロ ノートンにも遜色なかった。
浜松アリーナ
ライガーvsカサス
武藤vsシン
蝶野vsテーズ
マサvsニック
馳、佐々木vsマシン、ヒロ
橋本vsホーム
長州vs藤波
せっかくの生放送だったのにカードが一般向けではなかったな
メインとライガーの試合はこれで良かったと思うけど
あと猪木が欠場したのは残念だったな
>>13
観に行った。
「オー」「コバシ」「ウィー」「スパイビー」の大合唱でしたね。
アンドレ見れたし満足はしたけど、
当時は、ああ小橋が取られるんだ。やっぱり全日は武道館の満員が大事で、地方はどうでもいいんだって思ったよ。
ウェーブもして、その週の週プロで「決して満員とは言えない二階席で途切れ途切れのウェーブが」って記事になってたけどね。 >>464
ガチとかヤオとか以前に
ああ小橋が頑張るんだけど最後は負けるんだろな
でも大会場で若手のホープに経験をって事で
メインは武道館。 >>463
ゴールデン生放送だからテーズとかシンとかのカードにしたと思う
ただ、武藤vsシンが反則決着だったり、馳健が介入で負けたりしてて試合内容的にどうなんだろとは思った
確か視聴率も9%ぐらいで二桁いかなかったんだよな >>463
本当は猪木がニックとやる予定だったんだよな。 >>463
テーズのバックドロップが見切れてて「スイッチャーーー!!」って叫んだ記憶があるw >>463
貴重なゴールデン生中継なのにオールドタイマーばっかで
ベイダービガロノートンを呼べない新日も悪い 藤波と長州も途中で放送時間切れだったし。
久々のゴールデン放送だったから放送時間内は無理だったのかも。
キューティーがゲストで来てマヌケ発言の連続で品を下げてた。
でもこの90年は2月ドームと12月浜松の二回のゴールデン放送があったな。
90年から冬の時代脱却で一気に真夏へ。
>>471
でも91年は一度もなし
92年は1.4ドーム大会がゴールデン生中継だったけど、メインはまた藤波長州戦 まだドームだけはゴールデンで放送だったけど
ただ年々視聴率は下がって、
ドームゴールデンもなくなっちゃったな
92年もドームはゴールデンだったね。
92年ドームは確かに超豪華カードが揃ってた。
ベイダー、ノートン、ホームが揃ってた。
ビガロもいたら良かったのに。
アントキノイノキ、
いやっ、あんときは新日VSWCWの対抗戦だった。ビガロも呼んでWCWの誰かとやれば良かった。
橋本の負けたら引退の時はゴールデンでやってなかった?
ゴールデンの最後はいつだっけ?猪木と蝶野が無言のままCMになった時だったかな?
全日に至っては二度目のゴールデン陥落以後は特番でもゴールデンの話しは全く出なかった。
90年代はブームといっても、新日・全日に関しては世間に届かなかったな。
>>476
でも、日テレは「はみだしプロレス」とか
ファン向けのコアな中継をやってくれたよね 8月の新日後楽園7連戦の橋本の対戦順って、
佐々木、馳、栗栖、木村、マシン、越中でラストは6人タッグでよかったっけ…
前半の方がカードいいよねぇ
あと5日目あたりに小林が木戸に39秒ワキ固めで負けたタッグマッチあったよね
俺の記憶だと90年以降の新日ゴールデン特番は、
1990年12月 浜松ドーム大会(>>463)
1992年 1月 東京ドーム大会(>>472>>474)
1996年 1月 東京ドーム大会(武藤高田戦、猪木ベイダー戦)
1998年 4月 東京ドーム大会(猪木引退試合)
2000年 4月 東京ドーム大会(橋本負けたら引退)
2001年 4月 大阪ドーム大会(藤田ノートン戦、乙葉登場)
2002年 1月 東京ドーム大会(ミルコ戦敗北直後の永田vs秋山戦)
2002年 5月 東京ドーム大会(永田高山戦、蝶野三沢戦はゴールデンでは放送されず)
ほかにあったっけ?
その他、週末夕方とか深夜には結構特番やってる 2001年の大阪ドームや福岡ドームは違ったっけ?
あと東京ドームで永田と秋山が初めて組んだやつ
90年のハンセンはMVPの活躍だよな
ベイダー、ホーガン、ゴディ、ウイリアムス...このメンツとシングルで対戦した
>>481
しかも90年の1年でだしね。
90年はベイダーも活躍したけどハンセンの方が総体的には上回った。
ハンセンが偉大でビッグすぎたからゴディもウイリアムスもハンセン越えられず。
ベイダーも凄すぎたからビガロやノートンもベイダーは越えられなかった。 >>482
改めてハンセン対ベイダーは極上の組み合わせだったんだねぇ 愛川町大会のノートン初戦を見てすげぇのが来たと率直に思った
特に馳にやったラリアットはカウンターで見事に入った
>>484
初戦見ただけで、これはエース級だなって誰もが思うほどの凄さだったね
馳はローリングクラッチするところをネックハンキングで釣り上げられてたからな〜 >>485
今思うと馳がうまいことかませ犬になってくれたよね
後日あった両国に観戦行くのでノートンの試合早く生で見たかった思い出がある
ゴタツの頑張りも見たかったけど見事な秒殺だったwww 長州のラリアットも胸筋で返されて、小鉄がこれ以上やると長州の腕折れちゃいますよみたいなこと言ってた
最初はヒゲもなくて、コスチュームもウエイトリフティングの選手みたいなんで垢抜けてなかったな。武藤がノートンを苦手にしてたんだよな。
>>486
あの時の長州&馳&健介はIWGP王者とIWGPタッグ王者だったので、しかも馳&健介はベルト巻いたばかりなのによく負け役にしたよな >>489
それだけノートンの潜在能力に賭けてたんだろうね
実際本当にすげぇと思った ノートンのベストバウトは日本デビュー戦の6人タッグだよな。
>>491
ノートンは俺も期待したね。
ただ雑誌等での紹介が少なかったのは勿体なかった。
コールされても声援は少なかった。
誰?っちゅう感じで。
あとデビュー戦はドームでも良かったかも。
ただあの頃は1・4がまだ固定されてなかったし。
まああの6人タッグ見て誰もがベイダーやビガロとの対決を見たいと思ったはず。
でもあの試合、ノートンのテーマで入場でもアレンが最後にコールされた。
まああの1試合だけでノートンは日本のファンのハートを掴んだ。
逆に前宣伝が希薄だったからこそ強烈なインパクトを残せた部分も。
回転エビからのネックバンキングは凄かったね。
あのバトルファイナル90はウイリアムスもいた。
ウイリアムス最後の新日参戦でノートン最初の新日参戦。
試合での絡みは一切なかった。
あまり知られていないノートンとウイリアムスの意外な接点。 あの6人タッグは愛川町体育館だったっけ?
コールはレイガンズ→ノートン→アレン(こんときはブラウン)の順番。
でも91年春にもこのトリオが組まれた。
そんときのコールはレイガンズ→アレン→ノートンと。
結果的にベイダーとは4戦2勝2敗のタイ。
新日がノートンをベイダーレベルで大事に重宝していたのもわかる。
後々にホームもレスラーとして活動し始めた。
ノートンとホームの新巨獣連合も良かった。
日本に来る前のノートンのライバルはエクライザーwww
この年にパニッシャー ダイス モーガン来日したんだっけ?
>>463
入場時、カーテン越しに映る武藤のシルエットがめちゃくちゃカッコ良かった
あとキューティー鈴木の名言
辻「今日はライガー選手、いつもと違う黒のコスチュームなんですけどどういう心境が伺えますか?」
キューティー「そうですね…がんばってるんでしょうね…」 それは違うな、「黒も似合いますよねっ!」って言ってたのを覚えてるぞ
確かに黒ライガー似合ってたな
逆に似合ってなかったのが翌年のドーム大会で着用した緑ライガー
馬場、ブッチャーvsアンドレ、ハンセン
猪木、シンvsベイダー、浜口
浜さんの所にビガロかウイリアムスだったら何となく似たタイプのカードだよね
>>503
あの日の新日ってメイン以外の試合は盛り上がったんですかね〜
ムタ対リッキー、マサ齊藤、長州対馳、佐々木
蝶野対TNT、橋本対ビガロあたりでしたっけ…
セレモニーは豪華レジェンドが集結してましたね、ジョニーパワーズとか >>504
藤波の復帰の5分間のエキシビジョンは良かった >>504
全体的に手抜き感があった。
猪木の30周年大会だから目立っちゃダメみたいな。
これは当時は思わなかったが。
でも当時は会場行ったが、やっぱり全体的にイマイチ。
猪木30周年セレモニーとかもあったから他が完全に見劣りしたのもあったかも。 >>503
ウイリアムスはこの日はどっちにも参加してなかったな。
90年はウイリアムスは新日、全日と梯子参戦してたが。 90年のあの交流 トレードでベイダーの全日参戦やゴディの新日参戦も期待した。
あのまま続けばあったかも。
>>505
自分もメインとこの試合は良かったと思ってる
あと試合後の空気読めないビジャノVの行動は印象にある
あのセレモニーノーカットでTV放送してほしかった この時期の新日は上期に比べて、やや落ち着いちゃってたよね
6人タッグで
武藤、蝶野、馳 vs
ノートン、サモアン、コキーナ
みたいなのが何度もやってたけど
面白かった記憶。
>>503
全日本はみんな一時代を築いた外国人エースだから、ベイダー、浜口じゃ見劣りするなぁ。
猪木・シンvsホーガン・マスカラスかvsファンクスあたりが妥当だったな。
>>504
メイン以外は全体的に散漫だった印象。
ムタvsリッキーは出オチだしw
「横浜アリーナは歓声が上に抜けるから盛り上がりにくい」ってケロが言ってた。 >>504
藤波の復帰戦は
5分のエキシビションとはいえ
感動したよ。越中も遠慮なく
藤波の腰を攻撃した。
ムタ対リッキーは
ムタの首都圏発見参だったし
天上からワイヤーをつり下げて
登場するシーンは驚いた。
まぁ、試合は今一つだったが。
レジェンドによるセレモニーは
片足を失いながら、独力でリングに上がった
ジョニーバレンタインのプロ根性に感服した! 猪木30周年のビッグマッチなのに、CSとかで完全放送したことないのかな?メインとセレモニーと、ムタ、藤波以外は見たことがない
この日は関東が台風で大変だったんだよね。それでも後楽園と掛け持ちしたファンが結構いたとか
>>512
確かに何で浜口かな〜とは思ったよね
横アリのメインで… 90年は何かと日本マット界は動きがあったから印象に残るわ。
新日ドーム大会に全日登場やS旗揚げで全日崩壊の危機。
またBIデビュー30周年記念の年でもあり。
外人のトレードもあり。
三沢がマスク脱いで大ブレイク。
後々の平成黄金期の幕開けに相応しかった。
CSか何かで蝶野vsTNT見た記憶有るんだよなぁ
確か当時はこの試合はテレビ放送無かったはず
悪い試合じゃ無かったけど盛り上がりには欠ける試合だった
タッグだったかな?藤波が長州にバックドロップを仕掛けるんだけど
腰砕けになって動けなくなってそのままピン負けっていう試合あったな
心配したけどそのシリーズの最終戦?で剛とシングルやったはず
>>518
でも片や馬場、ブッチャーvsアンドレ、ハンセンだぜ? セミリタイアの猪木に花を持たせるなら、浜口が適任かと。現役の人に勝っちゃったらマズイよ
そういえばマサ齊藤とベイダーって、どこかで仲間割れしたんでしたっけ、それとも自然消滅?
>>523
89年の新春黄金シリーズ初め頃に試合後仲間割れ >>523
自然消滅のはず。
88年には組んでいたが、89年にソ連のレッドブル軍団が登場。
それに伴い日米ソに別れた形に。
そっから各国の対抗戦の図式になり。
マサさんのベイダーへの追悼コメントも興味深い。
でも今はマサさんもヤバイらしいからコメントなんか出せる状態じゃないかな?
マサさんはすっかり痩せ細ってしまったって記事もあった。 >>524
そうだったんだ?
当時も見ていたけど記憶になかったわ。
てっきり三国対抗戦で自然消滅したのかと思うてた。
逆に敵対してたベイダーとビガロが組んだりと。 >>15
これはすげぇな、ナンバーワンやな。
1月か2月の小橋戦は確か4分強で葬った。 >>44
そのゴディ戦は、ゴディが謎のサポーターを腕にはめたりしなかった?
でそのサポーターをハンセンが奪って殴ったり。
でゴングでは、
なぜハンセンがそのサポーターで殴ったのか!?とやたらこだわってたな。 >>530
あったあった、凶器入りサポーター?
ゴディがハンセンからラリアットで三冠取ったやつだっけ 9.30の横浜アリーナに行った奴はいるが後楽園に行った奴は俺しかいなそう
横アリ、後楽園の掛け持ちした人結構いたと聞いたことあるが
>>532
知り合いで梯子観戦した人達いるよ。
梯子参戦可能な為に敢えて時間をずらした興行にしたみたい。
この時は新日⇔全日は協力関係だったし。
俺は横浜アリーナ行ったが、日にちがずれてれば後楽園ホールも行った。
両方を見たかったよ。
でも同日デビューだから仕方ない。 梯子組の為にセミが45分フルタイムにしたんじゃないか疑惑。
丁度それぐらいに横浜アリーナから駆けつけた人達が入場してきたと
>>535
そういうのあったねえ。
当時、梯子した人から聞いた。
あの日は台風だったが、電車停まらなくて良かったと。
あれで電車停まってたら梯子する人は最悪だった。
俺は梯子しなかったけどあれは梯子する価値大有りだわ。
もっと時間をずらして明らかに間に合う時間帯なら俺も梯子してたな。 >>533
俺も9.30は横浜アリーナ→後楽園
梯子観戦だった。
全日のセミは鶴田&田上対三沢&川田の
45分フルタイムで最後「全日本コール」が起きるほど
良い試合だった。
週プロには、「最初から後楽園ホールに足を運んだ
ファンだけが45分の戦いを満喫できた」とか書いてあったが
新日のメインが終わってすぐに後楽園に向かったら、
最初から観戦できたよ。 そういえば馬場の30周年大会では
キッド&スミスvsマレンコ兄弟の試合も組まれてたんだよね。
あの名勝負再現っていうのがあったのかな?
>>534
ドームで合同興行にすればよかったのにな。
猪木・シン・アンドレvs馬場・ブッチャー・ハンセンで。 馬場のデビュー30周年のカードは
9.1武道館の電光掲示板で紹介された。
「G・馬場&A.ザ.ブッチャー対アンドレ&ハンセン」と
表示された時、館内がどよめいた。
俺は一瞬、「馬場&アンドレ」か「馬場&ハンセン」の
打ち間違えかと思ったよ。
それから数日後、新日が猪木デビュー30周年で
「猪木&タイガーJ.シン」と発表したが、
俺は全日のパクリかよ!?と思った。
>>538
そのスミスはジョニーの方だよね?
ロメロスペシャルが上がらなくて「この期待外れ野郎」と叫んだ気がする ターザンが「新日は梯子するファンのためにバスとか出すべきだった」とか書いてて「何言ってるの?!」って当時思った
最初は猪木&シンは仲間割れして馬場&ブッチャーはキレイに終わる。
周りではそういう予想が多かった。
俺はさすがにそういう記念大会で仲間割れはないと思ったが。
猪木&シンも馬場&ブッチャーも。
まあ馬場&ブッチャーが仲間割れっちゅうのは意外だった。
ハッピーエンドで終わると思ったし。
新日はこれ以上はない程の盛り上がりとハッピーエンドだった。
全日はブッチャーが気の毒に見えた。
あの展開だと最後は3対1だし。
もう少しいい終わり方はなかったのかな?
30周年ハシゴ可能だったのか!
確かにハンセンもアンドレも横浜アリーナにいたしな。
猪木の方の観戦でしたが、新横浜の駅は浸水してたよね。
電車が止まらないか心配した記憶。
あとあの頃のアリーナ周辺は草ぼうぼうで何にも無かったよね。
後楽園大会ビデオ発売されたから買ったな
ブッチャーのインタビューが収録されてたのを見ると
仲間割れあるなと感じる内容だった
まあ馬場とブッチャーはそれまでも同じリングで何度も対戦していた。
しかし猪木とシンは同じリングに立つのは9年振りで新鮮味があった。
タッグ組むのは双方初めてだが。
新鮮味やインパクトでは馬場&ブッチャーより猪木&シンだったな。
昼間と夜の興行なら梯子っちゅうより普通に最初から見られた。
もう28年か。
馬場と猪木の30周年でその年数が経とうとしとる。
ベイダーと浜口も確か次のシリーズの後楽園あたりで仲間割れして、長州、浜口が復活したんだよね
95年に度々馬場とブッチャーがタッグ組んでたけど、この時は仲間割れなかったね。
>>546
猪木とシンが9年ぶりじゃなく猪木とブッチャーだろ >>550
ああ、すまん。なぜか8.26夢のオールスターのことかと思ってしまった。馬場、猪木、ブッチャー、シンの字面だけ見てたわ >>529
あの小橋が4分で寝るわけがないだろWWW >>552
1990年2月21日 '90エキサイトシリーズ開幕戦 後楽園ホール大会
〇スタン・ハンセン(4分8秒 ラリアット→体固め)小橋健太● >>547
今週のアサヒ芸能で小佐野がその辺のことを書いている。
10月のグリーンドーム前橋で長州・浜口久美が復活。 デビューから3年位までは、小橋は本当にいいレスラーだと思って素直に応援できた。
チョップ乱発するようになって、試合が雑になってからは残念だったね。
>>553
この試合何故か小橋がサンライズで入場してた。既に自分のテーマ曲のスナイパーが使われてたのに。 >>553
この日、田上はバリーウインダムに雪崩式ブレーンバスターで負けたね〜
試合時間は5分ちょっと… バリーウインダムは、鶴田の3冠に挑戦が
決っていたからね。
ちょっと日本での実績は落ちると思ったが、
そのせいもあり、3月6日の武道館は
メインが世界タッグ、天龍&ハンセン対ゴディ&ウイリアムス
セミが三冠。
>>552
この頃の小橋はまだ『期待のホープ』だったからね。
本格的に売り出される前の時期。
小橋が本格的に売り出されたのは天龍離脱後だし。
天龍が離脱して三沢はマスクを脱ぎ、川田と小橋も超世代軍としてブレイク。
むしろタイガーマスクとして燻っていた三沢より
天龍と組んだりフットルースだった川田の方が目立っていた。
少なくとも天龍離脱までは。
三沢は怪我で長期欠場したりとタイガーマスク末期は散々だったし。
でも天龍が離脱した事で三沢、川田、小橋は全面的に売り出された。
天龍離脱でこの三人が最もを得したと思う。
谷津離脱はあまり関係なく思うが。
谷津本人がどう言おうが本人の自由だけど。 週プロで高木功の住まいがあった葛西でインタビューしてる記事あったなぁ
高木が全日辞めなきゃ川田より上で扱われたかな?
新春シリーズのブレイク振り見るとそんな気がした
>>558
バリーの来日は唐突やったな。
一応まぁまあの大物扱い バリー・ウインダムは「ボーン・イン・ザ・USA」で入場。
このシリーズから登場のS・ウイリアムスの新日時代の入場曲で、
ちと紛らわしかったな。
90年3月以降にスティウィがシンニプロレに登場したときのテーマ覚えてる?
ボンユーだったと思ったけど。
あのブドカでバリウィがボンユーで入場は驚いた。
バリウィは日本定着してなかったから独自のテーマはなくて。
>>562
ウインダムが来日したのに
ハンセン、ゴディ、ウイリアムスとの絡みが
一切なかったのは残念だった。
セミのタッグでハンセンとぶつけてもよかったのに。
ディートンがフォール取られるで全然問題なかったし。 >>561
三沢>>川田>高木>小橋>>>田上
田上は四天王に入れなかったなw もしSWSが存在せず全日で世代闘争が行われたら
ナウリーダー
天龍、鶴田、谷津、カブキ、R木村、渕、M井上、鶴見、寺西、大熊
ニューリーダー
三沢、川田、小橋、高野、高木、仲野、田上、菊地、冬木、北原
馬場はたまに特別試合などで軍団関係なく入る感じ
R木村、大熊、鶴見の奮起に期待
本当は阿修羅、輪島、石川がいれば面白くなったんだけど
石川ってSWSで見たらコンディション良くて「引退した選手なのに動けてる」って思った
>>565
ウインダムは勿体なかったけど仕方ないね。
ハンセンは天龍と組んでゴディはウイリアムス。
ウインダムは適したパートナーがいなかった。
まあタッグ戦じゃないからね。
ただあの武道館だとハンセンはセミでゴディ、ウイリアムスとの世界タッグ戦は決まってた。
でもどっかでハンセン、ゴディ、ウイリアムスと対決を組んで欲しかった。
新日に登場した時も浮いていたし。
主流になれず。
やっぱ日本には不向きだったのだろう。 バリーはハンセン、ゴディ、ウィリアムスと比べると線が細いよ。この3人の中では無理だろう。
弟のケンドールに至ってはさらに細かったが。
でも「華」はあったな、バリーは。実に惜しい。もう少しごつさと一本通った所があったら日本でもかなり受けたはず。
後々に来日した時は年数も経てかなり太ってたね。
日本に定着せずNWA候補と言われていても結局は巻けず。
>>568
輪島が引退するから一緒に辞めただけで、ケガや病気で引退したわけではなかったんだっけ? エキサイトシリーズの天龍は足を痛めてたからか、最終戦の前でも鶴田にギブアップ負けしてたよね
鶴田、天龍、カブキvs三沢、川田、高野
このカード名物になったかも
>>574
殺人医師も使ってたけど、リバースじゃない方のインディアンデスロックって意外に見る機会がない技だよね >>576
マサさんと谷津が良く使ってた監獄固めとの違いがよくわからん >>577
ざっくり言うと、インディアンデスロックは『あぐら』をかかせた状態に脚を突っ込んだ形で極める技ですわ
対して監獄固めは、4の字(いわゆる『4の字固め』よりも脚を深く曲げた状態)にした相手の両脚にこちらも両脚を深く差し入れて固める技
このへん、小〜中学生あたりで友人や兄弟とプロレス技の試しがけの経験が無いとわかりにくい技かもしれない >>574
最終戦の武道館でのハンセンは青っぽいタイツだったよね >>580
そうだったね。
控え室でグッタリしたハンセンを私服のシンが心配そうに見つめる写真があった。
ちなみにシンはこの日のブッチャー戦を最後に全日離脱。
一方の破れたゴディとウイリアムスは二人で悔し泣きの写真が。 天龍が全日に残ってたら・・・・
鶴田とは組まないでしょ。天龍、川田、高木、小川、北原辺りで
新天龍同盟って感じだったんじゃないかな。
>>582
ウィリアムスに負けた時にハンセンと仲間割れ
鶴田が救出
どう考えても鶴竜復活の流れ >>96
ドリーが馬場相手にオーバーザトップロープの
危険ムーブをやったことが不穏なんだが 高木は新春ジャイアントシリーズ以降出てこなくなっちゃったんだけど本当に頭部のケガだけが理由だったのかなぁ
>>583
馬場の考えたアングルだったけど天龍が破ったんだよな 三銃士四天王DVDの特典対談めちゃくちゃオモロイな
>>583
でも天龍は鶴田にも攻撃したからそれはなさそう。
馬場はそういう意向だったのかも知れないが。
今更ジャンボとなんか組めるか!っていう拒否だろう。
この時期なら天龍からしたら自分はもうすぐ全日抜けるのがわかってただろうから。
でもあの試合はギブアップじゃなくレフェリーストップにすれば良かったのに。
それかフォール。
ギブアップしといてあとで暴れるのも価値を下げる。
例えレフェリーストップでも負けは負け。
ハンセンが怒る理由にもなる。
フォールなら尚更。
まあ天龍なあ価値を下げないならレフェリーストップが一番有効だったと思う。
天龍は最後までギブアップしなかった、となり。 >>587
ということは天龍がブルロープで鶴田を攻撃したとき鶴田は食らうはずのないものを食らったのかw
かわいそうに >>586
あの人そんな前からやってたのかぁ
せっかく扱い良くなりかけてたのに… Uインター神宮参戦が、最初川田でなくハンセンだったというのは知らんかった
>>594
92年頃に長州が返上→封印の流れ。
今で言うIWGPインターコンチネンタルみたいな位置付けのタイトルだったか。
まあ王者決定戦やらずに執行会議とやらで長州を初代王者に認定。
それに大激怒したシンが長州を付け狙い抗争が勃発。
ありゃ盛り上がらんわ。
辻の実況による初代王者の候補者
日本:長州 藤波 橋本 武藤 蝶野
アメリカ:ベイダー ビガロ シン
ソ連:ハシミコフ チョチョシビリ
なんだ?その執行会議って? >>594
92年に長州を破ってIWGPと18クラブ二冠になったムタが返上したんだったかも。 >>583
鶴田救出→天龍拒否って流れ忘れた?組むわけないじゃん
ニワカは困るね... >>591
馬場は警察にチクるつもりだったが元子が泣きながら止めたんだよ この年のスーパーパワーシリーズ
東京体育館、愛知県体育館、札幌中島体育センター別館を差しおいて千葉公園体育館のカードがやたらよかったよね
新日の年始めの後楽園大会のテレビ放送で
マシン、佐野対マサ齊藤、キャットとか蝶野、越中対木村、松田とか普段なかなか見られない試合流してたよね〜
一瞬だけ長州、畑も出てきてた。橋本、片山も見たかったなぁ
>>599
愛知県体なんてノーテレビで6人タッグだからなぁ。 >>602
3月に露橋使ったときには県体から撤退かと思ったなあ。 >>600
広島はテレビマッチで映像越しにも会場がガラガラっぽいのが見えてて、悲惨な入りだったんじゃない?
三沢がまだ素顔にタイガーのコスチュームで試合してた時期だね
つーか、このシリーズは下手すると
後楽園(確かやってた?)と最終戦の武道館以外は全部不入りだったんでは? >>604
このシリーズの後楽園のメインはいい試合だったかも
鶴田、カブキ、渕対三沢、田上、小橋で田上が覚醒した日だった >>604
開幕の東体〜前半の西日本はほぼ全滅だったが、中盤の後楽園以降の東日本は好調だった。 >>601
トーナメントか何かだったっけ?
それぞれ若手と組んでの あのトーナメント蝶野、越中が優勝して当たり前だよな
試合での「仲間割れ」って馬場・全日本では、あの時のハンセン&天龍のが最後だよね。
シン&ブッチャーが89年最強タッグで仲間割れして。
その後ハンセンは不甲斐ないパートナーに制裁を入れていたこともあったけど、あれはなしとしてw
>>594
後に武藤がそのタイトルに関して、テーズに否定的なコメントをしていたな。
「勝手に新しいタイトルを作ったりして」とか。 1月5,6日、新日後楽園では
5日のタッグトーナメントより
6日のメイン、後藤、H斉藤、保永対長州、マシン、健吾で
マシンが長州を裏切り、マスクを脱いだのが衝撃的だった。
それで、素顔でやるのかと思ったら、その後もマシンで
試合をしたが。
それを見たので、5月、全日でタイガーが試合中、マスクを
取った時もそんなにインパクトを感じなかった。
仲間割れ
90年馬場デビュー30周年 馬場&ブッチャー
95サバイバルタッグ 小橋&ハンセン は即席だから当然か
あとは98年 小橋&エース
>>612
ああ、そう言えばあったね。
98年の小橋&エースはよく覚えてないけど。 >>611
マシン、前の日は普通に試合してたからびっくりしたよね 三沢と小橋、小橋と秋山が離れた経緯って
ただ単に「発展的解消」なだけ?
試合中やコメントに伏線とかあった?
>>616
NKホールや幕張メッセでやろうとは思わなかったのかな? >>617
馬場の性格上会場費が高くて満員にならない所じゃ興行うたないだろうな
NKだといいとこ3000人ぐらいだろう >>611
双方共に正体はわかってたからね。
正体不明とか初めて見る素顔とは違ったし。 レンジャーロスもマークスカルパも一回こっきりの来日だったねぇ…
>>611
そのとき、健吾がどういう対応をしたのかが気になるなw >>621
いや、、健吾はなにか
アクションを取った記憶が
全くないなぁ。(苦笑) 鶴田、田上、渕vs三沢、小橋、菊地
ハンセン、スパイビー、ディートンvsゴディ、ウイリアムス、スリンガー
川田vsエース
NKでやったとしてもこんなカードになりそう
せっかく武藤・蝶野を看板にと思ったら、長州が全方位体制を敷いたために馳・佐々木、あげくはマシーン・ヒロにまで
タッグタイトルをプレゼントする流れは萎えた。もう少し、武藤を協力にプッシュしてほしかったな。
4月のNK再凱旋の試合が出色の試合内容だったので。
武藤と蝶野なら世界タッグ級の価値だったIWGPタッグが、馳健、マシーン斉藤でアジアタッグまで堕ちた感じ。スタイナーズ、ベイダービガロでまた盛り返したが。
91年になるが、G1は確かに大当たり。
蝶野優勝という意外性が予想外に受けて。
このG1により、蝶野が『G1男』『夏男』として評価が上がったのもプラスに。
しかし新日からしたらこのG1が最高の大人気シリーズになったのが大きかった。
それが元で今年は28回目に。
さすがにここまでくると飽きたを遥かに越えるが。
まあG1の売りは『誰が優勝するか見えない』部分。
優勝候補、大本命とされるレスラーはまず優勝せず。
●●がまさかの優勝!と。
このスレタイの90年には三銃士+健介のワンナイトトーナメントがG1の前身。
こちらは特に盛り上がらなかったが。
武藤・蝶野は華が有ったしどの試合も面白かった
nwoの時に再度組んだけどその時は全く別のタッグチームになってしまってたからなぁ
>>627
その日はライガーvs青柳の異種格闘技戦、ベイダーvsハンセンの再戦、浜口復帰で長州との一騎打ちと豪華カードがこれでもかってぐらい並んでたから仕方ない 90年の豪華カード大会は
@新日6月 福岡
A新日2月 東京ドーム
B新日11月 武道館
C全日6月 千葉
D全日9月30日 後楽園
FMWの汐留、4月のNKは結果として盛り上 がった印象。
WWFはどうだろう?UWFは思い浮かばない…
>>630
全日6月 武道館も豪華だった。
あと新日は9月 横浜アリーナかな。 >>629
そうだったね。
まああのトーナメントは橋本が優勝。
5月の大阪でも橋本は長州に勝利。
これで三銃士の序列が橋本、武藤、蝶野と橋本がトップに。
90年は橋本が徹底的にプッシュされた年でもあった。
まあ橋本も張り切りすぎて蹴りを多用して結果的に膝を壊したが。
でもIWGP巻いたのはこの3年後と意外にも遅い。
武藤の方が早くにIWGP巻いた。
ムタでだが。
まあ後楽園七連戦も橋本の為にあった様な興行だし。
その橋本も期待には応えてた活躍だったね。 >>605
なんかあの辺の
6人タッグの後楽園で
菊地に相撲ラリアット
>>608
そう、お年玉的な。
大利博が出ていた。
三沢威はライガーにやられていた。 三沢威がライガーにやられたのは89年末
タッグトーナメントは代わりに片山が急遽復帰
>>630
新日、全日を主に見てたからFMWが汐留大会成功させたとき
正直焦ったな >>630
FMWは、8月の汐留より
11月の駒沢の一周年記念の方が
感動があった。 >>638
週プロの安西記者が観客に押されて宙づりになってたのを思い出したぁ >>630
全日4月 横浜文体
新日5月 大阪府立
新日7月 札幌月寒
日米レスリングサミット 4月ドーム
かな 日米レスリングサミットは外人客が多かったね。
日本在住の外国人だけでなくわざわざこの大会の為に来日した人達も。
会痔も大盛り上がりで。
ただ新日は独自のカードに終始したのは勿体なかった。
WWF勢との絡みの試合を見たかった。
実質的に全日の興行で新日はオマケだったから仕方無いけど。
>>641
当初は長州×B・ボスマン、蝶野×J・ロバーツだったけど、
長州が新日同志の提供試合を要求して、佐藤昭雄がOKした。 >>641
2月ドームでは全日がヘルプ参戦。
その見返りでこちらは新日がヘルプ参戦の形に。
まあレスリングサミットはそこまで大変じゃなかったけど。
2月ドームはWCW勢参戦中止でヤパイ状況だったが。 後藤達俊 ヒロ斎藤 のタッグが
役割をよく分かっていて
輝いていた年
>>642
首を悪くする前の蝶野とロバーツの試合は見たかった ロバーツは後に新日に来たね。
あとWWFでロバーツがヘビをサベージの肩に噛ませたシーンは驚いた。
毒がないとは言え。
今じゃできない演出だな。
89年だったと思うが全女ではデルタ・ダーンがニシキヘビを凶器として使っていた。
ただ冬場だったから熱帯雨林が本来の生息地であるニシキヘビにとっては地獄だったようで
巡業中に死んでしまったとのこと。
>>644
後楽園のメインで
長州、蝶野対ヒロ斉藤、後藤の試合あったね >>641-643
日米レスリングサミットの前夜祭で一番目立ってたのは
ハンセン、ホーガン、アンドレらと再会した猪木だった。 アンドレが笑顔で猪木に抱き付いている写真は見ててウルッとしたなぁ
>>491
確かビガロ欠場でカードが変わったんだよね、代わりにレイガンスが入ったのかな?テレ朝のゲスト解説が橋本真也で。 >>640
月寒はカードは豪華だったけど試合内容がイマイチなのが多かった
長州、マサvsコキーナ、サモアンが一番良かったな 浜口が乱入して、長州に対して
「燃えろー!燃えてくれー!」
対戦相手はゴタツ。
月寒は
・北尾の新日離脱前最後のシングルマッチ
・橋本の異種格闘戦
・ロードウォリアーズvs武藤&蝶野
と、期待値上げてて酷い試合多かった
メインが反則負けとかなんだよ!
>>655
メインが長州&浜口vs藤波&越中だったような。
トニー・ホームvsソウルテイカーもここだったかな。
>>656
蝶野が赤のタイツを履いた試合だっけ。
最後はホーク(だったと思う)が椅子を持ち出して…。 グリーンドーム前橋を満員にしたければ6月の福岡大会並のカードにしないとな
それでも厳しいかな
>>658
前橋+高崎程度の人口だと厳しいな。
90年代はグリーンドーム前橋でもよくコンサートが行われたけど、満員になってたのか? 新日本テレビ中継個人的評価(×、△、○、◎)※4月〜12月。マッチメイク、試合内容
4.27NK○/武藤凱旋帰国
5.5後楽園×/生中継
5.24NK○/長州×武藤
5.28大阪○/長州×橋本
6.12福岡◎/ベイダー×ハンセン
6.18熊本○/日米混合タッグ
6.26両国△/10人タッグ
6.30長野×/栗栖メイン登場
7.5岩手△/長州橋本タッグ結成
7.19静岡△/浜口栗栖仲間割れ
7.22札幌×/橋本異種格闘技
8.16千葉○/闘魂三銃士タッグ結成
8.19両国△/IWGP三代タイトルマッチ
9.14広島△/G.ムタTV初登場
9.30横浜△/猪木30周年
10.25前橋△/藤波復帰第1戦
10.29三重△/T.Jシン、栗栖と結託
11.1武道館○/IWGP三代タイトルマッチ
11.28福岡×/藤波シングル勝利
12.7神奈川△/ノートン初来日試合
12.11名古屋×/武藤×ビガロ
12.13両国△/藤波長州前哨戦
12.26浜松○/ゴールデン生中継
>>661
5月の後楽園のライガーvs越中はいい試合だったな
前年にライガーからフォールされて低迷期だった越中だけど
この試合では意地を見せた
結構長い試合になったのでメインが序盤ぐらいの展開で
放送終了になったんだったな >>662
オープニングで高杉の試合が見れたのもよかった
こんで >>661
11月の博多は観戦したけど、全体的に満足。
越中、ライガー対馳、佐々木。小林対星野の2試合は素晴らしかった 武藤、蝶野vsマサ、橋本
半年で3回も行われたカード
全てマサがフォールとられてる
剛と高杉のレベルの低さに新日登場は場違いだと思ったね。
松戸大会で川田がウイリアムスのバックドロップ喰らったとき
場内一斉に悲鳴があがって総立ちになったな
>>669
あれはテレビで見たからよく覚えている。
93年頃からのバックドロップドライバーと言われていたやつと
遜色ない角度だったな。川田が2で返したのにはまた驚いたが。
メインがハンセンvs三沢の三冠王座決定戦で
渕vsピート・ロバーツという渋い世界ジュニア戦もこの日だったはず。 >>671
川田が2で返したときの場内の盛り上がりは今でも覚えてるわ
普通に取り返しのつかないことになったと思ったからね
ちなみにセミが鶴田、カブキvs小橋、田上だったけどOAされてない >>672
千葉、船橋、松戸は日プロ時代からのプロモーターがいたのはさんざん言われてる >>669
直前で川田がウィリアムスにバックドロップと囁いてるの入ってるんだよな この年の最強タッグには、木村、井上組、スレーター、ディートン組やファーナス、サンタナ組など、まだ渋いところが参加してたね
リッキーサンタナはクロファットの代替だと思うが…
サンタナがW★INGでアイスマンになったと知ったのは
ずいぶん後になってからだった。
>>676
スレ−ターはこれが最後の全日参戦でその後はWARやIWAジャパンと
インディーを主戦場にするようになった。 選手が引き抜きなどで少なくなったこともあってか
ジャイアントシリーズあたりは地方でも普通に
三沢、川田vsハンセン、スパイビーや鶴田、田上vsゴディ、ウイリアムスが行われてた
ノートンは90年暮のシリーズに初来日。
それで衝撃的なインパクトを残した。
ちなみにこのバトルファイナル90はノートン初参戦でウイリアムス最後の新日参戦。
ノートンとウイリアムスが重なっていたという意外なる事実。
絡みはなかったが。
ウイリアムスは全日(日テレ)との絡みが原因か?テレビには全く登場せず。
まあ短期間のシリーズだったが、ファンは一日にノートンとウイリアムスを見られた。
初来日で衝撃的だったノートンの方が注目されただろうが。
>>679
うちの地元も大量離脱後、メインで鶴田、田上対ゴディ、ウィリアムスだった。
しかしやっぱり田上では荷が重く、鶴田のオーが6回も出てやっと盛り上がった 1990年の時点では川田と田上の格的に
地方で組んでもおかしくないカードだったと思う。
90年から92年にかけて一生懸命2人の格上げをしていたような。
折原が全日離脱しなかったら、菊地以上にくちゃくちゃにされる存在になってたのかな〜
>>682
三沢川田が殺人魚雷に初めて勝った時は感動したわ 一瞬金沢だろ…と思ったが91年の5月頃だったか
札幌でやったノンタイトル戦で勝ったんだよね。
三沢がウィリアムスからタイガードライバーでフォール勝ちしたような。
金沢は2月の世界タッグで三沢が場外パワーボム食らったやつじゃない?
三沢がゴディ倒した時の武道館って、そのシングルがメインだったっけ?
三冠戦はなかったのかな?
その日のメインは鶴田、田上対ハンセン、スパイビーだったような
田上の不甲斐ないファイトで水を差されたようなことが書いてあった
この年も札幌でやってるけどイマイチ盛り上がらないまま
川田がゴディにフォールされてる
>>688
メインがハンセン&スパイビーvs鶴田&田上の世界タッグ。
セミが三沢vsゴディ、その前が川田vsウィリアムス。
あと馬場&木村&渕vsブッチャー&キマラT&キマラU。 小橋成長の一年だよね。メインの三沢軍vs鶴田軍の6人タッグでムーンサルトでM井上からフォールしたり
90年はデビュー2年で三沢タイガーとアジアタッグも獲ったっけ。小橋が胸を張ってメインイベンターって言えるようになったのって、やっぱり93年くらいかな?
SWS旗揚げ2連戦の裏で全日の静岡、後楽園大会があったね
小会場ながら全力で戦う全日に対してSWSは…みたいな中傷記事を当時の週プロで読んだな〜
今思うと酷い話だな…
>>693
・七番勝負
・アジアタッグ奪取2回
・クロファットにシングルで勝利
・タッグで井上、渕をフォール
・最強タッグ出場
この年の主な実績はこんなところかね。
大量離脱前から推されてはいたが。 大量離脱で推しが早まったのと強まったのは有るとは思う
無かったらもう少しゆっくり育てたと思う
8月の両国は何気に馳が健悟超えした日だった
勝った馳組にはもちろん大歓声で逆に負けても客に手を上げてアピールする健悟には
ものすごいヤジがとんでたな
俺の隣にいた鶴見五郎にそっくりなオヤジなんか
髪染めてブロンドに入っちゃえって叫んでたわ
闘いのワンダーランドで見たかったけどOAされてなかった
>>699
覚えてる。いい試合だったよね。これから馳健はノシ上がっていくんだなあって希望に満ち溢れてた。
ただノシ上がるペースが少し早かったかも。11月にはもうタッグ戴冠だもんね。 馳は死にそうになってから黄色タイツになってブレイクしたかんな。
健介と組んで二人でブレイクと。
でもスタイナー兄弟には結局は勝たせて貰えず。
またベイダー、ビガロ、ノートンクラス相手には厳しかった。
でも新日はこの二人を売り出してたがね。
馳バックドロップ→黄色パンツ→馳健タッグ→ヘルレイザースで健介とお別れ
って同じ年?
ハンセン、ウィリアムスから見たら、四天王はガキだろうから、、、
寝るように説得した、渕やマイティ、ジョーの功績はデカイ。
>>704
四天王がトップになったら寝るのは普通だろ。
トップ相手に寝なかったら、団体が成り立たなくなっちゃうじゃん。 >>702
《90年》
馳バックドロップであわや死去→黄色タイツ→馳健タッグ
《92年》
ヘルレイザーズ結成。
その前の91年夏に健介はガチ怪我で半年以上の欠場。
ここで馳健は事実上終了。
その後92年に健介が復帰しても本格的に馳健が組む事はなかった。
馳は武藤、健介はヘルレイザーズと。 >>700
この興行はハズレ試合がなく全体的にいい雰囲気だったね
パイオニアの板倉も最初は失笑されてたけど三本目あたりからその頑張りに
声援されるようになったしね
セミのタッグ選手権もブルーム、イーノス組が頑張っていい試合になった
ブルームがSTFをエスケープしたときは凄い盛り上がった ハル薗田が全日に残ってたら鶴田軍の参謀役でブレークしたと思う
鶴田、薗田vs三沢、川田とか何気に面白かっただろうな
鶴見も人手不足で、ちゃっかり日本陣営に。鶴田・鶴見の友達タッグもありそう
>>695-696
ターザンが馬場とくっついていたころだな。
今も馬場のことをさん付けしているのはターザン信者だろう。
>>699
健吾のパートナーは誰? 鶴田、カブキ、薗田、鶴見vs三沢、川田、田上、小橋
渋すぎてたまらない
また高野が離脱してなかったら鶴田のパートナーに抜擢されてたかも
高野俊二jといえばこの年の初めにゴングのスクープで全日離脱と報じられてたが、
翌週に巻頭で誤報の謝罪をしてたな。
あれは何だったんだろうか?
高野俊二はこの年のスーパーパワーシリーズは確か開幕1、2戦だけ出て欠場してしまったが、あれは怪我が理由だったのかな…
高野田上仲野vs小橋北原菊地だったね
高野と仲野は心ここに非ずって感じだった。もう離脱を決めていたんだろう
名古屋レインボーホール(現:日本ガイシホール)独特の音楽の響き方が好き。。。
>>717
入場のときも仲野と田上は走ってきたけど
高野だけ二人から離れてゆっくりリングに上がって
実況の福沢から燻しがられてたな
こういうシーンが見れたりするから
夜中に特別放送されたはみだしプロレスはありがたかった 仲野はアジアタッグ取ったけど退団しちゃったね…
ザ平均点っていう感じで好きなレスラーだったので、全日にそのまま残ってほしかったな〜
あの話はどこまでマジなんだ
どうも尾ひれつきまくってるような気がしてならない
あのドロップキック、わざとなのかアクシデントなのかはわからないけど復帰戦の阿修羅も伸ばしてるんだよな
鶴田、天龍対谷津、仲野だったよね
長州、輪島に追いやられてセミ前に組まれてたなぁ〜
>>719
はみだしプロレスあったねえ。
でもあの日のシン、鶴見ーブッチャー、スカルパは何故か放送されず。
未だに謎だ。
あのお笑いコール、シンシン七拍子等が原因で放送されなかったのかな?
あの日の一番見たかったカードだったのに残念。
また札幌でのシン、鶴見ーブッチャー、ロスも放送されず。
今は動画で見られるが。
結果的に放送されたのは武道館のシンーブッチャーのシングルのみ。
三沢がマスク脱いで急展開な状況だったからシンとブッチャーの抗争は外された?
でもハンセンとゴディ、ウイリアムスの戦いもありあのシリーズは熱かった。
また見所が沢山あったねえ。
大量離脱のダメージを感じさせず。
大量離脱はこのシリーズ終了後か。 武生市体育館の世界タッグ長い試合だったけど
なんか暑さもあってか終始重苦しくあまり盛り上がらなかった
殺人魚雷コンビ結成以来初黒星を付けた試合ではあったが
ハンセンの乱入があったり直後にカブキはSWSに行ってしまったり…。
まあカブキの試合自体が面白くないしな
当時の試合時間長くして激戦に見せる戦略を
こんなファイトスタイルに幅のない選手に割りあてるのは無理ありすぎる
>>730
>カブキの試合自体が面白くない
カブキ曰く「昔は、俺たちレスラーが客に
プロレスの見方を教えていた」←俺、カブキから
プロレスの見方を教わった覚えはない!
また曰く「今(2000年代)のレスラーは
客に媚びを売っている】←汚いペンティングに
毒霧吐いて、自分の胸を叩いて音を出すパンチの
方がずっと媚びを売っているよ!www
売らわせてくれるなww
俺は、隣のテーブルで聞いて、吹き出しそうになったが
そういう話を、関心しながら聞いているカブキオタクは
どうなんだろ?
こいつらが「そうですよね!そうですよね!」と同意するから
カブキは自分のいうことが正しい(多くの人が賛同してくれる)
と勘違いして、ムック本に書いて大顰蹙を浴びたんだよwww 佐野が新日に残ってたらペガサスのブレークはなかったかも
今思うと新日の中継にキューティーがゲストで出たの意味あったのかな?
当時どこの女子プロ団体でも地方興行に行くと
「今日はキューティー鈴木出ないの?」って聞かれたそうですよ
キューティーは新日の90年12月の浜松大会だね。
ゴールデン放送に合わせて呼んだのだろう。
武藤×シンでは二人とも大きいですねえとか。
斎藤×ニックでも斎藤選手の筋肉凄いとか。
素人娘みたいなコメントばかりだった記憶がある。
>>739
小鉄がジャパ女のコーチだったからそのルートからだな。 ジャパン女子で小鉄氏の指導を受けて
尊敬していると語っていたような。
キューティー、武藤vsシンのときは武藤のファンなんですよねと辻に言われてたな。
>>742
プロレス総選挙の時は橋本を推していたけどなW >>738
昭和の頃は、新日の会場で
「今日は馬場さん出ないの?」と尋ねる観客もいたそうだ。
逆もある。全日の会場で「猪木は出るのか?」と。
俺は全日の横浜文体で、「うおおー!猪木!!」と
叫びながら、入場してきた男に遭遇した。
無論、ロビーは凍り付いたが。 新日、全日ベルリンの壁が崩壊した記念すべき年
ドームに鶴田が登場してカブキを筆頭に全日の選手が多数セコンドで
現れた時は興奮したな〜
>>725
5/14東京大会は朝までスポーツ?で全試合放送されたのではなかったかな? >>744
当時メインで猪木しか出てこないと
非常に違和感があって、なんだか物足りなかったな
馬場が出てこないと最後の〆が奪われた感じだった
長島が引退して王一人が頑張ってる姿を見る時も同様だった >>744
そのころから、馬場にさん付けするキチガイ信者がいたのかよ? >>748
さん付けしただけで信者扱いするお前の方がキチガイ。 >>748
ただ昭和時代は圧倒的に馬場くんって呼ばれていて馬場さんというのは少数派だったね。あの当時はジャイアント馬場くんを○○させる的なイベントがあったし。 >>746
よりによって低調に終わった東京大会をほぼ全試合やったんだったな
タイガーがマスク脱いだときに初めて盛り上がった ディストラクションクルーって
蝶野をロープに引っ掛けて、馬跳びヒップドロップやって割りとキツい技だなー
って思いながら当時テレビで見てたけど
解説の小鉄が
「僕らはこの技を相手を裏と表、両方にやった」って話しててヤマハって酷いなと思った。
>>752
腰痛で欠場中の藤波がゲスト解説で、この攻撃は見てるだけで脂汗が出てくるみたいなことを言ってたねぇ >>752
あれ食らった直後から蝶野が不機嫌になって相手の二人を蹴りまくってたけど
あの頃からヤクザキックとかケンカキックとか呼ばれるようになった気がする >>754
日米レスリングサミットの後の橋本インタビューで、橋本が「あれはヤクザキックだ」と発言したのが最初だと思う。 >>754
ヤクザキックの起源は日米レスリングサミット後の週プロでの橋本のインタビューだよ。
立ち上がりぎわに蹴ってきたんで、「ヤクザキックだよ。あんなのは相手を怒らせるだけなのにな。」
というようなことを言っていた。 90年頃から本格的にプロレス熱復活した人は多そう。
冬の時代から一気に熱い真夏に。
猪木や馬場が一線を退いても凄い盛況だった。
特に新日と全日は盛り返した。
その相乗効果で大仁田まで向上という最悪な現象もあったが。
全日は全日で天龍等大量離脱で団体崩壊の危機に直面するも三沢のお蔭で窮地を脱する。
窮地を脱するどころかそれまで以上の大盛況。
嗚呼 あの頃に戻りたいわ。
>>746
シン組とブッチャー組のタッグだけ放送されず。
隠し撮り貰って何度も見たが盛り上がってた。
遅すぎたとはいえシンとブッチャーの対決だからね。
放送するべきだと思ったが。 >>759
90年4月のNKホール行っておいて良かったと未だに思うときがあるな〜
セミの試合後のベイダー、ビガロが観客席で大歓声を浴びてたのとメインの武藤のリングインの時の会場の期待感は忘れられない! >>763
キチガイを信仰する奴なんかいるかよ、キチガイw >>759
ちょうどこの年の頭に高校受験で
89年度はほとんどプロレスが見られなかったから
1990年のプロレスに関しては今でも結構よく覚えている。