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元子さんそんな悪女じゃないよ 馬場の防波堤役 我儘なレスラーは厳しくしなきゃまとめられない 社長になってそれがわかったのか三沢と元子は和解して 電話で長話する仲になってたって
★A 『元子は鶴田は“鶴田君”三沢は“三沢君”と呼んでた』 『しかし武藤は“武藤さん”と呼ぶ』 ★B 『武藤より一回り上の鶴田を君付けで武藤をさ付けん?』 『おかしいだろ、それ』 ★俺 『元子は鶴田も三沢も若い頃から知ってるからだよ』 『武藤はある程度の年齢で関連持ったからその年齢の武藤に君付けでは呼べないだろ』 『鶴田は大卒22、三沢は高卒18、武藤は実績あって38だからだよ』 ★A 『そっかー』 ★B 『納得』
>>5 元子は鶴田のことは「ジャンボ」と呼んでた
三沢や川田はいつまでも高卒のイメージで君づけ
前スレの続きだけどキム・ドク最大の失敗は日本陣営に入ってタイガー戸口なんて名前に変えたこと
新日本移籍の時にキム・ドクに戻せばよかった
馬場・鶴田対大木・ドクの日韓対決が好きだった。 インタータッグとったとき大木が「ソウルまで来い」と挑発、ジャッジに怒った鶴田がジョー樋口に八つ当たり、タイトル取られた大木がこなきじじいのように泣きじゃくり、全日本にしては珍しく感情のぶつかり合いを見せてて面白かったわ。
タイトルを取り返した時に 馬場が嫌味ったらしい顔で大木に指差して挑発 日本では常時ベビーの馬場らしくもない顔だった
ドクの全日時代を知らないのだけど、プロレス自体は上手いのかな? 田コロのvs猪木と、インディーで大暴れしてた時くらいしか 記憶にない。分かりやすくいうと誰タイプだったの?
キム・ドクスレでも語られた話だが戸口が残っても鶴田は追い抜けなかったとは思う ただ馬場はデカいレスラーが好きなのでNo.3からはなかなか落ちなかったはず そうなると影響が出たのは天龍なんだよな 戸口が抜けないままで35歳位になって天龍が石川位のポジションで終わった可能性がある
>>12 それはない。
天龍への期待は他の力士転向レスラーとは違った。
これは自分の印象だが、ルックスにも華があったから
いずれにしても第三の男になってたと思う。
タイミング的にはもう少し遅くなってたろうけど。
戸口が全日本に残ってたら阿修羅の代わりに移籍直後のハンセンのラリアット食らって谷津の代わりに移籍直後のスティーブ・ウイリアムスのバックドロップ食らって怪我してSWS行き
うーん、天龍の華ってのも結果論的な印象もあるんじゃないかな。 天龍入門の時期にもし玉麒麟が入門していたとしたらどうだったんだろう? 玉麒麟の方が天龍よりもでかいしちょっと二枚目じゃないか。 番付もそう変わらないし。
テリーに憧れて似合わないローリングクレイドルを使う天龍 ホーガンに憧れて似合わないギロチンドロップを使う北尾
戸口げ全日本に残ってたら天龍が勝手にいじけて米国に定着してるところに坂口から声をかけられてランボーテンリューのリングネームでオカッパカツラかぶって新日本に参戦してたかも
安易にアックスボンバーでなく、レッグドロップ使う辺り 北尾がアメプロ好きなのよくわかる。 天龍はファンク道場で修行後の試合なんか見ると アームホイップからのアームロックなど多用し、相撲臭さを抜こうと頑張ってたのが伝わってきたな。
>>13 「直接、誘ったのは天龍だけだよ!」と馬場もコメントしている。
>>20 これは馬場から直接誘われたに入らないのか?
前田「第1次U崩壊時に馬場から、前田と高田だけ来てくれと誘われた」
安生「馬場さんから全日に出ないか?と電話があった」
天龍の日本デビュー戦のローリングクレイドル、メヒコグランデ(リッキー・ロメロ)がもう少しうまく回ってやりゃよかったのに。
アマリロで習った技より天龍チョップに興奮してたよ 逆水平じゃなくて相撲の突っ張り
>誘ったのは天龍だけ これって、北尾か誰かのプロレス転向が取り沙汰されていたときの インタビューに対する答えじゃなかったっけ?
>>24 当時、バラエティ番組でお笑い芸人によるプロレス・コントのなかで、「せこい技」の典型として天龍チョップをやってたね。
子供のころのプロレスごっこでも天龍チョップは盤石のネタだったな。 倉持風に「天龍チョップ天龍チョップ天龍チョップ!」と言いながら攻めていって、 まったくダメージ与えられずに反撃されるというお約束だったわ
団体内の純然たる序列とか格ではどうかわからんけど 人気の面とか、馬場からのフォール勝ちとか 実質天龍は鶴田を超えたと言っていいのかな?
>>33 天龍は団体の一枚看板になったからな、これは残念ながら鶴田には一生なかったこと。
団体トップという意味では超えたが 強さでは超えられなかった。
ジャンボと藤波は、なんか常に「あと一歩」って感じなんだよな。
>>34 1991年の鶴田は完全に
全日の一枚看板だっただろ?
1月ハンセンから3冠を奪取して
4月武道館の三沢戦では、前年の借りを
10倍にして返すバックドロップで完勝。
川田、ウイリアムスにも勝って防衛。
全く敵なしで「鶴田最強説」も出て、
この年の「プロレス大賞、最優秀選手」
にも選ばれた。
またこの年の前半は馬場はずっと欠場していたし。
こんなことを書くと、「鶴田オタ」に
認定されそうだが(苦笑)事実だよ。
>>40 ちゅうか、時期エースっぽいポジション与えられたから、野心持ちようがない。
>>40 俺もこれ、思った。
性格的に近いと言うか。
鶴田の次のエース様が馬場夫妻に盾ついて日テレと共謀して放映権奪っちまったからな 「形だけの社長なんてゴメンだ権限よこせ」 こんな態度は鶴田では考えられないわな
>>43 野心て社長になることか?
それは違うだろ。
鶴田はプロレス団体の社長になる気はサラサラなかったろう。
>>34 天龍が一枚看板の時代なんてない。
天龍のトップは鶴田の土台という上げ底のおかげだからな。
>>44 ジャンボでなく、三沢の事言ってんでないのか?
>>45 一枚看板ってSWSだよ、もちろん全日ではない。ホーガンやウォリアーズ呼んだけど、
実質的に団体で日本のただ一人のエースとして、東京ドームを満員にしたからね。
>>47 >日本のただ一人のエースとして、東京ドームを満員にしたからね
わはははははは
あの2回のドーム大会、どれだけ只券を配ったのか知らないのか?
ああ、笑い過ぎて腹が痛い。
鶴田はプロレスの世界王者とか リング上の一枚看板の大エースとか 団体の社長(経営者)とかに強い魅力を感じる人ではなかったんでしょ 入団してプロレスの仕組み知ってクーデター未遂事件の顛末とかから 異常なほど自分の仕仕事に執着の無かったタイプと思うわ (もちろん人間だから全く“0”ってことではないだろうけど限りなく少ないという意味で) 力道山から始まって馬場猪木天龍藤波前田三沢武藤から 現在の新日における棚橋やオカダまで・・・ この三つ無しにプロスポーツ選手とか芸能人とかが 長期間トップの位置で仕事続けるなんてまあ珍しいでしょ たいていはみんな本心ではそうなりたくてもなれないから 俺は興味ないよという態を装ったり 渋いプロフェッショナルの職人とか陰の実力者、道場の主、業界の重鎮だのといった ポジションに自他ともに位置づけることで満足・納得するんだけど 鶴田の場合本当に興味が無いというか最初から冷めた諦観のようなものがあった気がする
全日のドームは熱量無かったねえ。客の 新日の10.9とまでは行かなくてももう少しなんとかならなかったかな 菊池が頭突きの音をマイクで拾わせて轟かせたくらいしか印象にない
鶴田は十分すぎるほどの待遇だった。 だがプロレス団体の社長に良いイメージは持ってなかったろう。 転身したかったはず。
鶴田は「この世界が変なのは社長にならないとトップじゃないみたいな感覚があることだ 僕はそうは思わない」と言ってたな そういう考え方は現在のレスラー達の方が共感するかもしれん
>>14 まぁ戸口の抜けた穴埋めるために阿修羅を入れたようなもんだからね
鶴藤長天の時代は良くも悪くも新世代の群雄割拠で、まず、すでに力道山だの日プロだののキーワードは殆ど 潰えてた時代であり、さらに馬場や猪木によってレールや土台が築かれたうえで演目を行う時代になってしまった。 早い話、プロ野球なんかでもそう。王や長嶋じゃなく原や江川、掛布、宇野、門田、石毛・・(まあいいやw)。 高度成長(右肩上がり)も終わって、国力も安定してくりゃスポーツ、文化も多様化するyね、って話。。
>>56 戸口の抜けた穴を埋めるために天龍をアメリカから呼び戻したんだよ。
戸口が抜けなかったら天龍はナガサキみたいに放っておかれた可能性もあった。
>>54 そもそも馬場自体、社長になるつもりなんかなかったし、猪木だって日プロ解雇されて仕方なくだったし
ナガサキは80年のジャイアントシリーズで凱旋、いきなりメイン抜擢だったけど、 いかんせん、あの風貌なので…。 あの帰国は新日の「キラー・カーンの凱旋近し」を先読みし先手を取って ウチにだってこんな秘密兵器が居るぞ!ってことだったのかな。 桜田はしばらく日本に定着してたけどチャンスをものにしたって感じじゃなかったな。 トンガと組ませて80年の最強タッグに出せばよかったのに。
所詮、日プロ残党。せいぜい海外で頑張ってね状態。。。
日本リーグ争覇戦の、これはなんとかならなかったのかな?これだと鶴田と桜田が
同格みたいになってしまう。せめて桜田の方はリングアウト負けにするとか。
タナカが勝つパターンとしては、反則勝ち以外に説得力がないからかな?
1回戦
◇ タナカ(反則14分40秒)桜田 ◆
準決勝
◇ 田中(反則6分25秒)鶴田 ◆
http://www.showapuroresu.com/league/japan.htm サクラダは仮に生え抜きだったとしてもねぇ 新日本はよく藤原を売ったなと思う
>>59 馬場はともかく猪木は先輩達差し置いてしれっと日プロの社長の座を狙ってたんじゃないかと思う。
馬場は自分が反対していたNETテレビの放送解禁がなかったら、 日プロのサラリーマンレスラーを続けていた可能性もあると思えるよな。 もちろん芳の里や遠藤が、信用できる経営者だったらの条件付きだが。 猪木はどんなパターンでも、いずれは独立して経営者の道を選んでいたと思う。
多団体時代の今だから そんな風にも思えるが 当時の日プロ一強状態を考えると 猪木の独立はかなり無謀 猪木本人も思いもよらなかったことと語ってるし クーデター事件以降の混乱を日プロが上手く収めてたら 新日は継続不可能だったと思う
>>60 桜田はあの凱旋帰国のシリーズは、開幕戦でもカマタから一本取ったり、流血戦を演じたりで目立ったから、
「凱旋帰国」としての扱いはオッケーだったな。ただ、次の最強タッグでは、負け役がぐっと増えた印象。
戸口、桜田組でもエントリーさせてよかったのにとは思うが、白星配給係になったかな。
天龍と鶴田はずっと天竜のほうが強いと思ってたけど あの急角度パワーボム見てから鶴田ヤバいやつじゃねとオモタ
桜田は移籍先の新日でも契約更新してもらえなかったからな ぶっちゃけ試合がつまらなかった やっぱりイマイチなレスラーだったよ
桜田はSWS分裂後、ほんの一瞬だけNOWのエースになっていたよな。すぐ終わったけど。
>>68 >ただ、次の最強タッグでは、負け役がぐっと増えた印象。
桜田は80年最強タッグは出てないぞ、と思ったけど『もしも出てたら』の話か。
うん。戸口も桜田も一度も出てないから、よく読んでね。
80最強タッグは日本人チーム1チームしかエントリーされてないんだよね 戸口は天龍は来日無し。石川ケガ。
唐突な質問で悪いけど Gスピの馬場夫妻の号で、佐藤のインタビューの所だったと思うけど 鶴田と石川と佐藤が、三人揃ってベルト巻いて乾杯してる時っていつの大会? おそらく防衛か奪取の後の控室なんだけど、全日軍の中に大木?も一緒に乾杯してる あと天龍も最後列で乾杯してた、戸口はいなかったと思う 自分の記憶にある鶴田と佐藤石川のタイトル戦の時期は、1983年の初頭ぐらい? ヘラクレス・ヘルナンデスに鶴田が防衛 あとは佐藤石川がジョーとマシンにアジア防衛ぐらいで… あと、大木が全日正規軍の側にいた時なんてあったの?
桜田はポーカーフェイスで声も出さずに、淡々と試合をしてるだけにみえた
>>76 某全日熱戦譜ブログによると、'81スーパー・パワー・シリーズ
6月11日の後楽園ホール大会で鶴田はスヌーカ相手に防衛
佐藤石川がケビンとデビットのエリック兄弟からアジアタッグを奪回している
天龍はアメリカから一年ぶりに帰国、大木は日本陣営として来日とあるね
>>62 鶴田を木村相手に寝かすわけにはいかないからこうしたと思っていたけど
一応は交流団体のエースなんだから 一度くらい木村にフォール負けしてやってもいいだろうに
>>78 大木は国際を抜けた後、全日にインターを返す代わりにアジアヘビーのベルトを返してもらって、
何度か参戦してたんだよね
>>71 桜田の試合がつまらないといあことはない。
>>75 戸口と石川はハノーバートーナメントに行ってたんだよ。
天龍は海外修行継続。
後、前も書いたけど、天龍は件のロビンソンと組んでインタータッグに挑戦した時、当初はこの試合が終わったらまたアメリカに行っちまおうと思ってたけらしいけど、その場合
全日は誰をNo.3にするつもりだったんだろうね。石川?トンガ?まさか大木?
ナガサキも色んなネームだったが、Mスーパースターも多かった。 Mスーパースター ビルイーディー ビリークラッシャー ボロ(ジート?)モンゴル アックスデモリッション Mスーパースターが一番定着してるが。
>>84 「素顔はビリー・クラッシャー」って言われても、誰やそいつはって感じだったな
>>83 天龍自身がそう思ってただけで、
全日としては残して3に天龍を据えるつもりだっただろう。
じゃなきゃ天龍を抜擢した意味がない。
>>75 80年最強タッグの頃って、馬場&鶴田以外に日本人で注目される人材なんかいなかったなw
ブッチャーとシークの抗争、依然残るファンクスの遺恨(もう末期だったが)、リッキーの初来日、脇を固めるニック組とロビンソン組だった。
そしてロビンソン組の相方レスソントンは本家のマクガーク派NWAジュニア王者で、
藤波や木村健らの保持するエディグラハム(親日派)由来のNWAインタジュニアとの権威争いの真っただ中の全日参加だったな。
ただ、木村健が10月にチャボの軍門に下って王座喪失状態であったが・・。
>>83 当時、馬場が阿修羅を誘ったときの口説き文句が「三番手でどうだ?」
>>88 ソントンの王座はその後、佐山タイガーからコブラへ。チャボの王座はその後、
大仁田から井上、三沢タイガーと渡り全日の看板タイトルになって行く不思議。
>>90 80〜83年ごろまで、誰が三番手とかはっきりしたものはなくて、テレビマッチの頻度とかから天龍、阿修羅、石川にジュニアから大仁田あたりが三番手候補なのかな?くらいの感じだったけどな。
鶴田&谷津vs健吾&木戸
5:00〜 鶴田「ハイキックやらせて?」
16:10で鶴田は木戸にバックドロップやろうとしたが健吾にカットされてる。
ケツはルーテーズプレスだから、もしバックドロップやっても決まらなかったということだな。
VIDEO 阿修羅原「ハンセン移籍初試合の相手に組まれて、三分弱でピンフォ―ル負け、どこが三番手なんだよ…」
>>94 あんな壮絶な玉砕見たことないよ
出来るのは阿修羅原だけ
見事な仕事をしたといえる
>>95 ハンセンも「完璧な相手だった」と認めているよね。
>>92 少なくとも81年暮れの最強タッグ時点で天龍&原なんか極道とどっこいの白星配給だったが
82年に入って段々と天龍が頭角表してきたような。資質では原や石川より体格もあるし
技もどん欲に卍だの延髄だのw取入れ意欲的だった。コスも黒基調になって精悍さも増したな。
>>78 >>81 そっか、ドリーがインター争奪でチャンピオンになった直後か
というか、その頃は子供でリアルタイムでは覚えてないけど…
でもドリーが今さらインターのチャンピオン?という空気はなかったの?
まだまだファンクス人気は絶対だったんだろうけど…ブロディの欠場で予定が狂ったとか?
同時期のライバル団体の新日は佐山タイガーがデビューし、猪木が既成のチャンピオンベル返上でIWGPに本格的にでしょ?
ドリーがチャンピオンで新鮮味も何も無さそうな…それともブロディ売り出しありきのドリーのチャンピオン?
>>98 インター王座復活を決めた時から、いずれは鶴田に巻かせるって既定路線でしょう。
すぐに巻かせるのでなければ、ベルトの権威を出すためには実力者同士が
王座を争う必要がある。当時の全日のメンツの中だと、ドリーとブロディがそれを
行うのが適任だったんだろうね。2人の試合もかなり相性良かった感じはあった。
あの時点ならドリーが最適任だと思う。 欲を言えばオープン選手権の頃は欲張りすぎとして、 昭和54年あたりのウエイトがもうちょっとあった頃のドリーがいいんだけれど。
インター王者時代を除くと シングルプレーヤーとしてのドリーはもっと活かせたはずだと思う PWFを一度は任せても良かったし チャンピオンカーニバルに出したり 鶴田王者時代のインターに挑戦させるくらいして欲しかったな
ドリー対ブロディといえばディンク君のGJが光るな。
あの頃は倉持の実況も良かった。ハンセンがテリーの首にロープを巻き付けて引き摺り回し絞首刑の時の「もうやめてくれスタン・ハンセン!」も忘れられないフレーズだ
これが医者になったディンクさん?
ドリーが復活インタ王者はいいとして その後のドリーブロディドリーブロディのイッテコイは要らなかったよな。
そうかな? ドリーとブロディが争ってるようなベルトのタイトルマッチで鶴田が勝てるのかよ!?って思って、それだけにリングアウトとはいえ勝った時は興奮出来たんだぜ。
>>104 息子さんなら良い意味で端整な顔立ちは受け継いでるな
いや、目は親父よりぱっちりしてるから甘さは息子の方が上かも
ブロディにやられた頃はエリック兄弟みたいな顔立ちだったが、時がたつとやはりドリー系だな
ファンクスはテリーは顔立ちがマ−ドックと何となく似てて、愛嬌がある顔だが
ドリーはマジでハンサムだと思う、ウェストテキサス大の頃のフットボールの写真なんて俳優みたいだ
自分は復活インターってのは ドリーがまず一旦王座に就くことでそれを抗争通じて奪ったことによるブロディの格上げ 〜ブッチャーに代わる(敵方)これからの外国人TOPだよって売り出しと受け止めてたな
>>109 確かに、当時のディンク少年はデビッド・フォン・エリックみたいな感じだったなw
デビッドの言葉を借りれば『血は水よりも濃い』か。
マードック、ローデス、マリガン、ティム・ブルックス。この4人は一説には皆、血縁関係にあるという記事もどこかで見た。
マリガンとマードックは実際に縁戚関係だけど。マードックとローデスも雰囲気が似ている所があるし、血縁関係であっても不自然じゃない。
ドリーとブロディは噛み合ったね。個人的にブロディが一番噛み合った相手のような気がする。
日本の試合もそうだけど、プエルトリコの試合も面白い。ここではドリーがヒールでブロディがベビーなんだけど、これがまたいい。
>>112 マードックとマリガンの縁戚関係はよくわからないけど、マードックとブルックスはいとこ同士なんだってね。
>>109 何たって「世界のアイドル」だから>ドリー
マードック、ローデス、マリガン、ブルックス この四人の血縁関係が本当だとして B・ウインダムのような長身ハンサムが、この血を受け継いでるのが面白いな 特にマリガンの息子というのが凄いな、母方の血が濃かったんだろうか?
>>116 恐らくロッキー羽田だろうが記者か誰かに怒声浴びせてて、馬場が苦い顔してたよね。
いまジータスで龍原砲vsブロディ・リッチのPWF世界タッグやってる。 川崎市体育館二階席ガラガラだな。 まさかこの試合がブロディの日本ラストマッチになるとは思わなかったよね…
9割ブロディ組が攻めて、一瞬のパワーボムで防衛。っていう不思議な試合だった。
ジータス面白いね。自分は天龍革命〜天龍離脱までの鶴龍二本柱中心に回っていたこの時代の全日が一番好きだな。四天王とは俺の中では鶴田天龍ハンセンブロディだ。
もしケガがなく、ブロディ・スヌーカ組だったら引き分け防衛かね? 川崎だから暴動はないだろう
>>111 ドリーはかっこいい禿げ方だよな。うまい具合に前頭部にチョコンと髪が残っていて。
>>109 昔、プロレスか医者かと進路に迷っていると記事があった。
数年前に不沈艦のインタビューでディンク君がハンセンの地元の病院で医師として
勤務していてハンセンの子供たちは大変にお世話になったらしく「不思議な縁を
感じる!」と語っていた。
>>91 チャボの全日本登場よりソントンの新日本登場の方が早かったんだよな
解説では前年のインタージュニアを無かったように語っていたが
これまで何度もいろんな人が同じような感想を語っていたが 前年のブロディ復帰後から、この時期までのブロディ絡みのビッグマッチの吐き出し方が凄い、いや早い 最強タッグのハンセン戦 春の鶴田との連戦 谷津戦 天龍戦 そして夏に予定されてたハンセンとのシングル あとウォリアーズ戦? 鶴田ブロディvs天龍ハンセン このあたりが予定されたんだからねえ… バーバラ夫人の「フランクはあと1・2年で引退するつもりだった」という証言もあるし… はたまた馬場の意識が変わったのか? 前年の天龍革命が始まってすぐに鶴田との連戦、天龍vs輪島 鶴田vs天龍 年明けても天龍vsハンセンや鶴田vsタイガーなども組んだし この頃の馬場、いや全日はビッグマッチのカード消化のペースが速いと感じてた
>>126 やっぱりプロレスラーになろうなんてのは裕福じゃなきゃできないんだね。
ハンセンもファンクスも元々金持ちだったんだ。
>>128 この頃のマット界は流れが異常に早かった
両リンでも大満足と言っていたアホがいたが、内容が悪いと容赦なくブーイングが飛ぶ時代。
尊敬しあっていた鶴田とブロディが1勝1敗の星を取り合って最後・・とか運命としか思えない。
>>128 この頃のマット界は流れが異常に早かった
両リンでも大満足と言っていたアホがいたが、内容が悪いと容赦なくブーイングが飛ぶ時代。
尊敬しあっていた鶴田とブロディが1勝1敗の星を取り合って最後・・とか運命としか思えない。
俺もこの頃が好きだわ、天龍同盟がブレイクしてるのにブロディやブッチャーが出てきて主役が目まぐるしく動いてる
夢を壊すようで悪いが 超獣コンビvsウォリアーズ、鶴田ブロディvs天龍ハンセン は実現しなかったと思う。ハンセンゴディvsウォリアーズでさえ実現しなかったんだから
超獣コンビVSマスカラス兄弟のように、ブロディとホークの間でいろいろ揉めそうだな。
>>1 10
オープンタッグ以降はテリーの兄貴としての印象になっていたドリーの再格上げの意味もありそう
インターナショナルは初代が超大物テーズで箔をつけて その後に力道山だったからそれをなぞったのでもあると思う トーナメントは馬場ファンクスブリスコと元NWA王者4人とブッチャーにブロディだから いかに気合が入ってたか分かるし復活後の一人目の王者は超大物のドリーで 箔をつけようとした
王者の大木はともかくだが エリックと猪木以外の挑戦者は二流揃いだったから ドリーでロンダリングするのはわかる。 ただ初防衛戦は大木、あるいは大木が辞退しての戸口にしてほしかった。 あるいはドリー対ブリスコでNWAの本流みたいなものを表明してくれてたら。 松戸はドリー(54分エビ固め)ブリスコでよかったのに。
>>137 ドリー対戸口…誰得?
ドリー対テリーが何故いけないのかよくわからんわ?
>>137 ブリスコは準々決勝でプロディに圧倒され、二度と全日に呼ばれなかったんだし。
まだ乱入絡みで負けた、テリーの方がマシって判断じゃないか?
>>138 ドリーvsテリー、は武道館級のカードをムダ使いした...と当時言われていた
いくらなんでも松戸とは...
>>140 サプライズ(演出)だからよかったんだよ。
事前告知してストーリーを作れるようなものじゃないだろ。
>>137 ブリスコはそのシリーズ、鶴田のUNに挑戦して1−2で敗れている。最終戦でインター挑戦は無いな〜
そのころの大木と戸口は無関係に近かったから、譲る?とかドラマ性が無いな
サプライズは分かるけども、大会場でできなかったかね? 蔵前は無理でも東体とか。
>>142 というより、
ドリー対戸口の初防衛戦組むようなマッチメイカーがいたら、首だろ。
>>139 テリーの方がマシ?
ドリーの相手としては最高のカードだろが。
テレビの前で狂喜乱舞したわ。
>>137 ドリーvs戸口っていいね!大木がセコンドで。松戸だし(失礼!)
そうすれば戸口のテンションも上がり、移籍は無かった。
くじ引きなんだから、戸口でもブルックスでも良かったんだよ。 ならドリーvs戸口にして、勝者にテリーとか。 セコンドに馬場鶴田大木がいて会場中が戸口コールになったかも?
当時の月刊プロレスでの我が心の名勝負でドリーが馬場に挑戦した大阪でのインター戦を懐古してたな
特別興行的なもので夢のカードを組めなかったかな。 ドリーvsテリー 馬場vs鶴田 大木vsドク マスカラスvsドスカラス ハンセン&ブロディvsシン&上田 小鹿vs大熊 百田兄vs百田弟
>>149 馬場・大木vs鶴田・戸口でいいんじゃないか?
大阪あたりならいい興行だ。
釜炊きの手じゃねえなと正体見破ったシュワルツェネッガーに 顔面パンチとショルダースルーだけで葬られたタイガー戸口 プロレスラーなんだからもうちょっと頑丈さを見せてほしかった
映画の内容にまで口出せるわけないだろ 馬場みたいに最初から断るという選択肢も
戸口は当時アメリカのアクターズユニオンにも加盟してたからお声がかかったんだよ。 チョイ役でもシュワとの一騎討ちなら喜んで出るだろう。
タイガー戸口は必殺のキウイロール使えばシユワルツェネッガーに勝てたよ
>>143 全くだね
せめてチャンピオンカーニバル最終戦の大阪府立と逆でも良かった
松戸ではせっかく力道山伝統のインターを復活させたのに
PWFやUNと似たようなベルトがひとつ増えただけ
という印象になってしまった
>>138 もう離脱が決まってた戸口に対し、
全日がわざわざそんな「盗人に追い銭」みたいな真似するわけないし。
正直、戸口はこの年のエキサイトシリーズから久々に参戦したけど
もう「第三の男」から単なる中堅レスラーって感じになってた。
百田の兄弟対決って1度くらい行われてる?ルーテーズ杯とかリーグ戦くらい?
まあファンが百田兄弟にそういう要望とかまずなかったしw >兄弟対決 百田義浩ってブッチャーか誰かに襲われたのがきっかけでレスラー転向とかだったっけ?
ゴディ対ウイリアムスも寝技ばっかりでつまんない試合だったし
>>149 みたいなのは盛り上がらないことが多い
でも日本人の同門同士だと盛り上がる
天龍VS輪島も輪島にナマを入れ返す勇気があれば盛り上がったというか天下取れたのに
松戸のドリーvsテリーは会場の勿体無さもそうだが その上で、アラフォー同士の兄弟に60分フルタイム近くまで戦わせるのが… もう少し早いタイムで、例えばドリーのリングアウト勝ちとかできただろうにね 全日の良心というのか…ブロディ欠場の会場のファンに対してのお詫びというのか…
>>130 あのころのブーイングって試合内容というよりも
ちょっとした茶化しが入っていたようにも思える。
谷津のオリャ!や川田のシャーみたいな感じで。
面白半分でブーって飛ばすような感じで。
あの時はブロディ欠場があったんでそれを超えるインパクトを残す必要があったからね それがドリーVSテリーだった 抽選の時にテリーが笑顔で挑戦者確定の紙をドリーに見せて ドリーが戸惑った後に握手するシーンは良かったと思う
>>167 大阪限定で「アホの大熊!」のコールが
あったらしいね。
俺は聞いたことないけど。
>>160 もう離脱が決まってたって、戸口はいつ発表だったの?ブッチャーもいきなりだったんでは?
>>168 試合はマッタリしてた。
ドリーがテリーをフォークで刺すとかやらないとw
そもそも日本人VSファンクスでもヌルくてつまんないのにファンク兄弟でやって見世物になるわけがない
>>168 あの時のブロディって本当に怪我だったのかな?
もしかして裏で何か問題が起きたとか
>>174 トラブルではなく急用で緊急帰国。
でもそれは客に言えないからやむを得ずブロディはケガでの負傷欠場と。
それに伴いファンクス対決も土壇場で決まり。
前に何かの記事に書いてあったから事実だろう。
フレアーがドタキャンした時もテリーが負け役をやったしテリーの男気を感じるわ
81年のチャンカンもそうだが、スレーターが予定通りに参加していても、インター争奪戦の筋書きは大して変わらなかったかな? ブリスコみたいに2回戦で敗退てとこか。
ブロディ、帰国してからけっこう試合してない。抜けてるのかもだけど
https://www.cagematch.net/?id=2& ;nr=786&page=4&s=700
>>137 もうブリスコにはその力は無かったんじゃないのかな?
猪木と新日で戦ったのが最後の輝きだったような気がする。
ワープロのPがこの試合を「猪木ってレスリングできるんだ!」と評価していた。
>>159 そうなんだよ。松戸でのインター、大田区での三冠
この辺がなんだかんだ言っても「格に欠ける」感じがするんだよね。
客数は少なくても後楽園ホールならそれほど思わないんだけども。
インターヘビー王者決定シリーズは横浜文体や愛知県体でも組まれてたが 順番を変えられなかったのかね? もっとも横浜や名古屋でやったところでガラガラだったろうが。
おれがプロレス観るようになたのが80年秋からだから ブリスコを初めて観たのが81年のチャンカーだったんだけど 既に過去の人だと思ってた 最近、プロレスクラシックで70年代のブリスコの試合観ると結構面白い試合してるんだよね 4の字固めの入り方が好き
>>183 だよな、完璧なマッチメイクなんて存在しない。
後からなら何とでも言えるわけで。
1964年のジャイアント馬場は知っている話のコピペだらけでしょうもない本だったが、 ブリスコ自伝から引用したNWAレンタル秘話と、力道山死後、アメリカ定着を諦めて帰ってきた理由が 実は山口組三代目・田岡一雄の説得(≒脅迫)によるものだったという話は興味深かった
インターヘビーの優勝戦を松戸で組む全日が悪い... ブロディ欠場のサプライズは4年後、仙台の新日本で行われる。。
>>185 「力道山に恩義がある」とか「日本のプロレスを守るため」
といった理由がウソだって事は判っていたが
まさかヤクザに脅されていたとはな
英語が上手く喋れないから東郷にギャラ騙し取られたくないとか
ホームシックで日本に帰りたかったとかだと思ってた
>>137 ロビンソン末期みたいにブロディに蹴散らされてたブリスコにその役目は任せられない
馬場は一般紙のインタビューで 「田岡さんには本当に世話になりましてね。今でも感謝しているんですよ。」とか言ってたよ 田岡会長の葬式の時も「ジャイアント馬場」と書かれた花を出していたとか
>>185 馬場がオレは山口組だと絡んできた三下に
それがどうした山口組の組長ならオレも知ってるぞと冷たく言い放ち
震え上がらせたって話に信憑性出てくるな
>>186 結果的には両方ともブロディが出なくて大正解だったw
シリーズのツアー参加して日本に馴染めずホームシックで途中帰国してしまった外国人選手どれくらいいるのかな?
>>182 ブリスコほど長期のNWA王者が元王者になって格下げされたレスラーも少ない。
ドリー、テリー、レイス、フレアー、みんな魅力を増しているくらいなのに。
おまけに王者時代は馬場に勝ち越しているのに……。
鶴田にUN決定戦で負け、猪木に賞金マッチで負けているんだから
また上げるわけにはいきにくいんだろうがなあ。
リアルタイムで見た初めてのNWA王者だったから思い入れあるんだ。
>>183 >>184 違う、違う
不満なんじゃなくて
ブロディ欠場でそれでも会場のファンを満足させようとする全日やファンクスの労に頭が下がる、という意味よ。
昔は暴力団との付き合いは必要悪と容認されていた 一般企業でも暴力団と付き合いが無い企業の方が少なかった程
>>197 そもそも大物政治家が893に依頼して竹下登へのほめ殺しをやめさせてもらった位だからね
日本プロレスリング協会 会長 児玉誉士夫 副会長 田岡一雄
1972(昭和47)暮れ、ジャイアント馬場は、山口組田岡一雄組長のもとを訪れ、 全日本プロレスの地方試合(兵庫県以西)の興業権を売り渡しました。 ちなみに売り渡した興業数は80から90、興業権250万円だったものを 馬場は220万円で売ったのです。 山口組は、馬場から買い取った興業権を、直系の興業会社を通じて地方の 興業主たちにひと試合300万円で売り込みをかけ、強引にすべて買い取ら せた。馬場から買い取った金額と、地方の興業主に売り渡したときに生じた 差額の80万円を、売り渡した試合数を掛け合わせてでた合計額が、 そのまま山口組への上納金として組の金庫に納まったわけです。 これは田岡一雄組長が亡くなった1981(昭和56)まで続いたそうです。 全日本プロレスは1980(昭和55)年に来日した外国人レスラーのギャラ から差し引いて納める源泉徴収税を滞納し、税務署から督促が来たことが ありました。それでも、興業権を破格値で山口組へ売り渡すことは 止めなかったのです。
>>115 ウインダムの妹がマイク・ロトンドと結婚してワイアットに血が繋がってるのも忘れずに
>>180 後楽園でのインター戦はドリーがブロディから奪還した一戦が初なんだよな
結局はそれが単独として唯一となったが
>>203 86年鶴田VSハンセンのインター、AWA、PWFトリプルタイトルマッチと、89年鶴田VSは
206、途中送信してしまった。 86年鶴田VSハンセンのインター、AWA、PWFトリプルタイトルマッチと、89年鶴田VSハンセンの三冠統一戦もインターが懸けられている。 単独のタイトルマッチではないけどね。
>>194 レイスはちょうどNWA世界王座を手放してる時期にUNを獲り
これを鶴田に奪還された直後に馬場からPWFを奪取。
NWAを持ってなくてもレイスの価値は落ちないし、
レイスからベルトを奪還した鶴田の格もちょっぴり上がる。
本当に絶妙なレイスの巧い使い方。
UNやPWFを腰に巻くレイスもやっぱりカッコいい。
日本でのブッチャーとの抗争は、ファンクスよりレイスの方が先だったんだよね。
>>205 >85年9月に鶴田とレイスがやってる
後楽園ホールで組まれたやつか
もしかしてレイスの日本でのシングルでのメインのラストになるか?
>>194 G.キニスキーも坂口との
UN王座決定戦で破れているな(72年)。
ちなみにNWA王者期間は
キニスキー(3年1か月)の方が
ブリスコ(2年5か月)より長い。
まぁブリスコは日プロ時代
猪木に負けているから、新日で
NWF戦(懸賞マッチ)で敗れても
格下げ感は薄かったよ。
>>210 86年スーパーパワーシリーズ沼津での
鶴田のインター挑戦でしょう。
カーンが裏切った大会。
生の為レイスの試合は最後まで収まらなかった。
>>212 あーなるほど
「恩知らずのキラーカーン」の時か
確かカーンの裏切りって予兆というか、けっこう伏線を張ってて大事に持ってってたよね
ウォリアーズに高野がノサれてカーンが代役、そして長州も出てきたらカーンが抵抗…みたいな
そして両国の長州戦につながる…
この頃の長州はほんとストーリーの主軸って感じだったな
鶴龍以外に、マシンやカーンや原や、そして両国や大阪でシングルで仕留める…みたいな
番外編では同じく両国のメインで、テリーまでも仕留められてしまった
>>208 レイスはそれだけ価値があったしキャラも立っていた。
方やバックランドはWWF王者降りてからは価値がなくなった。
その後のバックランドの扱いっちゅうかそれ以前に来日も大幅に減った。
WWF王者時代から82年以降は来日が減ったが。
82年からバックランドは新日のレギュラー外された感じがしたし。
レイスはついにインタータッグへの挑戦はなかったんだよね。ニックは現役王者時代に1度挑戦してるけど。
恩知らずのキラーカーンって言ってもカーンさんは長州に恩とかないよね…(´・ω・`)
>>194 しかし一旦新日に上がってまた全日にすぐ出られたな>ブリスコ
(ブロディやブッチャーの例を除く)
>>208 NWA王者の時と違いPWFやUNに挑戦する時のレイスって結構アグレッシブに来るので
凄味があったなあ
>>216 長州とカーンの仲が不和になりかけていたときウォリアーズにボコられているカーンを長州が助けて手を差し伸べたが、カーンが長州を攻撃したから恩知らずと言ったんだよ。
>>190 馬場以上に付き合いの深い「美空ひばり」は堂々と葬儀に来ていた。
>>199 林が週プロのコラム連載で書いていた日プロ時代に地方の体育館が一斉に使用お断りになった
のはこの影響だった。映画・仁義なき戦い・頂上作戦の中でも描かれた893壊滅頂上作戦
の一環だった。
昭和時代は地方で買い興行する際、警察署や役所等に書類を届出に行くと、どこそこの親分に挨拶に行けよって言われたって話をもある
>>215 ニックは87年の最後の来日でも鶴田のインターの挑戦してる
>>215 日プロ時代はあるよ。
1968年2月26日、大阪府立
with ブルーザー、VS G・馬場&A.猪木
>>208 鶴田、馬場とタイトルの取り合いした後にNWA世界王者に2年ぶりに返り咲き。このレイス返り咲きで直前までタイトル争ってた馬場、鶴田の価値も上がるもんね。
>>222 ブルクラとレイス、ヘニングで散々やり合ってたのに
正しく日本でしかありえないタッグやな
子供の頃はファンクスのファンだったから 同世代のレイスが何度もNWAチャンプになってたのは複雑だったな プロレス雑誌の歴史を読んでも、ドリーは15年くらい前、テリーは5年以上も前に転落してそれっきり… それに兄弟ともに王座を奪ったのがレイスだったし まあ互いの全盛の頃はともかく、83年にレイスが6度目の王者になった時は驚きと微妙な思いがあったもんだ 「全米ではレイスやフレアーはバリバリの一線で、ファンクスは日本だけ通用する過去のレスラーなんだろうか…」 みたいな感じ… 雑誌の記事でも、ブリスコ兄弟なんかレーテイングスでベテランながらも10位以内に入ってるのに 自分の記憶では80年代の頃はファンクスは入っていなかった。 レイスの話で盛り上がってるからガキなりの切ない心情を思い出したよ… まあそれでもレイスは馬場と共闘してたし、ファンク一家という事で別に嫌いではなかったけどw
70年代後半以降で、ファンクスの活躍を聞いたのは南部地区でヒール、ロス地区でタッグ王者 あとはデトロイト地区での試合とかそんなもんか。ホームグラウンドのテキサス(アマリロ)での活躍って まるで伝わってこなかったような。。逆にブリスコは王座転落後も長くアメリカでは人気が 定着してた。
ファンクスに限らずハンセンブロディとかNWA王座と縁のないレスラーが多かったからあまり気にならなかったけどなあ
当時専門誌に載ってる海外記事みてると 80年代前期でもブルクラとかスチーブンスとかコワルスキーとかまで まだ現役でAWAやNWAのある地区だと メインでタイトル戦やったり抗争が売りになってたりしてて なんかアメプロって随分時代にとり残されてるんじゃ?とか思ったな ファンクスやレイス、ブリスコ、ニックあたりが“ベテラン”の上限で ガニアやテーズは偉い人だから「特別枠」ってかんじ 実際の年齢とかよくわからない頃はなんかそういうイメージだった あの頃は三十過ぎたら横綱も引退間近、三十五過ぎたら野球選手もそろそろ引退 ましてあんなに身体激しく痛めつけるレスラーだもん 猪木や馬場も40過ぎていつまで見れるのかな?いつまでやってるんだろ? って思ってた少年時代w まさかあれから30年以上たってあの頃のレスラーのうち 生きてて消息がはっきりしてる日本人レスラーのけっこうな割合が 未だマットに上がってるとは…
>>226 ドリー、テリーは全米モーストヘイテッド(最も憎まれた奴)のランキングで80年代は入っていたんじゃないかな。
それと、83年1月号の別ゴンでのレイスのインタビューでは、NWA王座争いで、自分が最もマークしてるのはドリーで、ハンセン、ブロディは眼中にないという話をしていたのが印象的。
レイス「私はドリーよりテリーを評価する。テリーはアメリカでは地元以外大ヒールだが、 ベビーとしてもいいのは日本のファンが一番よくわかってるはず。 ドリーは感情表現ができなくてベビーしかできない」
>>228 ファンクスは78年にアマリロ地区のプロモート権をマードック&マリガンに売却して、プロモーター業から足を洗ってる
テリーのNWA世界選手権を持ってた時代。アマリロ地区は青息吐息で王者としての収入はアマリロ地区の補填にいってたらしいよ
猪木はドリー>テリーと言う評価で 鶴田は「2人とも偉大なレスラーですが僕はアマレス出身なのでドリーさん贔屓になる」 天龍は「ドリーよりテリーの方が凄い」
>>228 ファンクスは日本遠征のギャラとブッキング料で食えたから米国でそんなに試合する必要がなかったんだろ
テリーは衰えてからもWCW,WWF,ECWとかオファーあったけど、 見せるプロレスできないドリーはアメプロから完全にリストラされてたからね
>>237 見せるプロレスできないってアホか。
ドリーもWWFにオファーされてただろ。
>>233 >>236 80年代のドリーはフロリダ→ミッドアトランティック→プエルトリコと
客入りの芳しくない地区のブッカーを任されてはその都度テコ入れに成功していたので
週プロや週ゴンの海外ページではマット界の再建王なんて称されていたな
ただどのテリトリーでも契約期間が終わると同時に離れてしまっていたのは全日との繋がりを優先していたからなのか
それとも性格的に一つの場所に長居するのを好まなかったからなのか今一つよく分からない
ハンセンは『ドリーよりテリーの方が熱くなれる』と。 シンは『ドリーは痩せ細った割りにはパワー、破壊力が凄い』
晩年と言うには少し早いかも?だが突然ムーンサルト使い始めたり ECWでハードコアやったり テリーはある意味自傷的なところが見てる側の心を掴めたよね それは同時期のドリーにはなかった スタイルの違いと言ってしまえばそれまでなんだが
関係者の誰が言ってたけどその頃のテリーの狂い咲きな状況をとらえて でもドリーの方がテリーよりも、プロレスが好きなんですよ〜。 なんてのがあった。
>>240 シンはいつの時期の頃のドリーを「痩せ細った」なんて言ってるのかね?
ドリーが細いのは1980年代に入ったわずか数年ぐらい、ちょうどシンが全日に移籍した頃か?
でも1982年の頃には分厚い体に戻ってて、シンよりも体格が良く見えたけどね
>>239 フロリダかミッドアトランティックのどちらかか忘れたけど
ドリーがフレアーを招いて
自らNWA王座に挑戦して、60分を終始押し切ってドローという記事で胸が熱くなった覚えがある
「ドリーってまだまだ60分できるんだ、さすがだな」
「60分ノーフォールで押し切るなんてフレアーとはいえ強いな」と嬉しかった
確か鶴田が1-0で60分ドローになった蔵前、その時期から半年ぐらい経ってからの試合
無表情で淡々と技を繰り出すのはターミネーター的なヒールとしてはいいかも シークの手首を無表情なままぶっ壊したという狂気も演じれるし
>>239 フロリダ、ミッドアトランティックは最後まで残った地区の1つだぞ。
88年はWWF対ミッドアトランティック・ジョージア・フロリダのNWAでCNNに身売り。
ファンクスとか呼ぶときはファーストクラスではないよね?ビジネス?
>>243 81年最強タッグだからシンの移籍間もない時期だね。
雑誌で言ってた。
特にエルボースマッシュが効いたと。
でもそういうレスラーのコメントも今となれば本当かわからない。
単発的なコメントはもちろんロングインタとかも。
多少はその趣旨のコメントは出してただろうが。
ハンセンの“テキサスの化石になれ”はマスコミが付けたみたいだし。
ロングインタなんて中途半端に略したから、変なのがまた登場しちゃったじゃねーかw
>>245 あんまり深い意味はなく、あくまで連想だけど
ドリーの外国でのヒールっぷりって
日本のファン目線でいうと、K・コワルスキー的雰囲気に見えてたのかな?
>>248 どこまでの真偽は別にして、ヒール然としたシンがそんな事を言ったんだ、けっこう新鮮だな
猪木ぐらいしか、シンが認めた発言て聞いた事がなかったから
それでも81年の最強タッグはシンは割を食ったなあ…すべてハンセン乱入にもっていかれた
>>248 プロレスマスコミはインタビューを適当に捏造するからなあ。
レスラー間でも言ってない悪口を掲載されて、揉め事も結構あったんじゃないかねえ。
鶴田「カーンはあんな顔に生んでくれた親に感謝しなきゃw」 カーン激怒
>>253 三沢がまだ超世代の頃だったかに、武藤との対戦を煽られて
「やるしかない!」みたいな事言ったように東スポに書かれ、三沢が怒ったとかあったようだ。
>>252 カウボーイキャラ=ヒールという地区が多かった
父の代、命からがらポーランドから逃れてきたユダヤ人なのにナチスギミックで活躍したマレンコ父
>>258 ボブループのマネージャー役かなんかで、新日に来ていたよね。
リング下からステッキ使って、猪木にちょっかい出していた記憶がある。
逃げた先で仕事がなきゃ食うために自分ができることやるしかないだろ。
>>243 でも82年頃ならシンはシンで凄い体してたからねえ。
ブロディがこの頃から細くなってきた印象。
鶴田に倣ってスタミナ重視で減量して細くなり。
ドリーとブロディだとむしろドリーの方が体付きがよく見えた。
ハンセンは相変わらず太い体だったからブロディとはやはり体付きの差を感じたな。
>>254 猪木も村松友視との対談でカーンの顔の事色々言ってたけどなw
>>254 「カーンは凄いですね。全米どこでもメインを張れる。大したもんですよ」
なんて如才なく言っとけば良かったのに。
別に鶴田はカーンの顔の出来以前に、当時のカーンについても
それほど興味なんて無かったろうに。
妙なサービス精神、リップサービスというか…
>>259 スーツ、ズボンで猪木にブレンバスター食らってた
>>262 猪木はカーンとか健吾とか、坂口が連れて来て新日に合流したメンバーを
あまり信用してなかったような気がする。これは日プロ崩壊後に全日に
合流してきた小鹿や羽田を、馬場があまり信用していなかったのに似ているな。
>>253 平成新日だけど、後楽園の質問会で「週プロとゴングのどっちが好きですか?」の問に蝶野が「お、俺はゴングの方が・・・」って答えたのを週プロは忠実に再現してたのに、ゴングは「俺はゴングが好き!」って掲載してて笑えた。
>>259 ボブループより、
マスクドスーパースターのマネジャーだろうが。
あの葉巻攻撃は子供心に恐ろしかった。
ブッチャー、シーク、ボリスマレンコが恐いレスラートップ3だったわ。
>>255 それが原因で、三沢はしばらく東スポと絶縁してたからな。
プロレス大賞なかなか取れなかったのもそのため。
>>269 工藤めぐみが引退直前?だかに『みんな私を越えられない』と。
でも実際は『みんな私にはなれない』
『私は私、逆に私は他の人にはなれない』
そういう意味を記者が『私を越えられない』と書いた。
意図的か言葉の取り違えかわからんが。
>>261 ブロディの初来日の頃はプロレス見てない、1981年の時が初見なんだ
ここでもよく「初来日のガタイに比べて…」と残念がる人が多いみたいね
自分は1981年の時でも、あの野獣のような風貌にアリスートみたいな体格には凄い体だと思ってたな
それにスヌーカと組んでたから、あの鋼の肉体にさらに筋肉を上乗せして厚みを増したような感じに見えた
新日に上がったときは猪木との対戦が多かったから、とんでもなくデカくみえたねw
ドリーやハンセンとの比較というより、スヌーカとの比較を感じてたからブロディの体がさらに凄く見えたのかも
ブロディ初来日の筋肉の鎧捨てたからこそ伝説になれたと思う 前田がインタビュー掲載前に確認させろってなに言ってんだろうと思ってたけど 発言変えられるのしょっちゅうだったんだろうね 前田もカーンも信じやすいのか疑い深いのか アイツがこんなこと言ってましたよと吹き込まれるとすぐに信じて 激怒したり包丁購入したりする
ブロディはドリー戦では攻めまくってるように見えて、柳のように受け流すドリーの前に大汗かいて 攻め疲れしてる印象があるんだよね。最後はお約束の両者流血で反則か両リンだけど。
>>271 そうか?
太めのキンコングだったと書かれて写真もぷよぷよだったぞ。
ファンクスとハンセン・ブロディそれぞれのシングルは ドリーVSブロディ、テリーVSハンセンは名勝負になるけど 相手を入れ替えてドリーVSハンセン、テリーVSブロディになると途端に印象に残らなくなるんだよな
>>276 結果論だけど、前者の組み合わせはタイトル戦やら興行のメインとして
最初から売りがあり、勝負論の匂いがするけど
後者は最強タッグ中の「夢の対決」的な試合として組まれたり
あとはPWFタッグ決勝がポイントの大会での特別試合的な感じで
最初から両リンや反則ありきな感じがするのもあると思う
>>271 いや、自分も初来日の体より、ウェート落とした体のほうが精悍で良いとは思うんだけど
当時を見ていたスレの人々は「怪物性が失せた」みたいな意見が多かったから
でも個人的には落としてからも例えば
1981最強タッグ蔵前で通路の奥でハンセンと共に入場するとき
後ろからハンセンとブロディを写すシーンがあったけど、ブロディの脚の太さと張りはもの凄いと思ったよ
ワッチョイ 563d-rlbp が生きていること自体が間違い
新日に行った頃は老化してたもんね、ブロディ。 81年頃は今から考えると痩せた理由もアレだし、少し痩せすぎの ようにも思えるけど、アスリートっぽくて説得力ある身体付きだと 当時自分も思ったな。
>>272 俺もそう思う。
ブロディがマッチョだったらヘラクレスヘルナンデス程度の選手で終わってた。
>>248 兄弟間でもエルボースマシュのツボはドリーしか知らないとテリーが語っていた。
>>262 坂口と小鉄の不仲を新間が批判して「TV局を連れてきたのは誰のお蔭なんだ!」と
言う言葉に全てが語っている。今でも坂口嫌いのカーンは「本当は郷里の先輩の
馬場さんの元に行きたかった・・・」と話している。
大分前のナガサキ「ブロディは少しポッチャリしてたが、ダイエットするとのことで 1日ツナ缶2つしか食べないという極端なダイエットをやって痩せた」
>>281 でも新日時代はまだ体格をキープしてたと思う
猪木と60分フルタイムやった86年秋の頃はまだしも(前田戦ボイコット前くらい)
1年後に全日の武道館で復帰した時は明らかに細くなってた
その一年の間に何かあったんだろうか?
腰やヒザの影響でトレーニングできなかったか、意図的に晩年用に減らしたのか
ブロディが全日復帰した時には髪や髭も白っぽくなってきてたしな。 それはそれで良い感じだったがw
今日はプロレススーパースター列伝でも描かれたレイスとマスカラスのNWA戦の日 会場は一宮だが視聴率はどれだけあったのかな
「移民の歌」はブロディのテーマとしてアレンジされたのを先に聴いてて、 その時は洋楽ロックなんか全然知らなくて、ただ「カッコいい曲だなあ」という印象だった。 のちに洋楽メタルなんかを聴くようになって、ZEPのオリジナルを聴いたときなぜかニヤけてしまったw 「吹けよ風〜」や「スターサイクル」なんかもプロレスで先に聴いたな。。
音楽の入り口にもなるしアメリカの地名も覚えるし 文章読むのも好きになるしプロレスはいいことばっかりだよ
>>290 確かに地名覚えたり、本読むのが苦痛じゃなくなった。
>いいことばっかりだよ うーん。 変に裏読みして素直に物事に反応できない悪癖がついてしまったがな。 プロレスファンでなかったらこんなに妄想癖もひどくなかったと思うし。
小学生の頃にルチャに夢中になって簡単なスペイン語の言葉や文章は自然に理解できるようになってたw やっぱ語学は子供の頃から勉強したほうがいいよ
ウェストテキサス大学は超エリート校なのだという間違った情報を小学生時代にいやと いうほど刷り込まれたな。
>>292 奥深さだの表現とか言い出すと、ちょっとウザったい評論家気取りになりそうだが、
プロレスの魅力というものを自分なりに見出すのは楽しい。社会生活で「あ、プロレス的だな」って
場面が割りとあるし。。w
マードックのテーマ曲は「線路は続くよどこまでも」
35秒〜
VIDEO ミネアポリスとかセントルイスとかすごい大都市なんだろう、と子供の頃思った。
ミネアポリスなんてプリンスファンとプロレスファンしか知らないだろうな
セントルイスも、有名なのは「田園調布に家が建つ」くらいだろw
ロサンゼルスといえば伏魔殿かLAメタルかで話の流れは分かれる デトロイトといえばザシークかKISSかで・・。
>>301 アマリロの空港に降り立つとスピニングトーホールドがエンドレスで流れているとか。
>>305 現在のアマリロの住民たちでファンク一家を覚えている人はどれくらいいるのだろう?
>>263 若手の頃のゴタツが若手の頃のターザン後藤にあんな顔の悪いやつが同じ名前なんて冗談じゃないと怒り心頭なんてこともあったのだが、多分これの意趣返しだろうな
テネシーはプヲタかプレスリーファンか永ちゃんファンしか知らんな
あぁ、今俺の頭の中でスターウォーズのテーマが鳴り響いてるw
>>309 あぁ、今俺の頭の中で日テレのスポーツテーマが鳴り響いてるw
アメスポ好きな人は知ってるんじゃないか MLBとかNBAとかNFLなど
>>285 全日復帰のジャイアントシリーズだったかの時は結構
ポチャってたけど、最強タッグの時は見事に落としてて
びっくりした記憶がある。
私の中ではこの頃から亡くなるまでがブロディのピークだな。
専門誌か新聞か忘れたけど、痩せたブロディを見て 「ブロディは怪物じゃなくなった」なんてけなしてんのかほめてんのかわからない記事を思い出した 確かチェーンを持たずに静かに入場するシリーズがあったが あれは何だったんだろう
NWA世界戦やったのかな
ゴリラ・モンスーンがコーネル大学出のインテリだという記述をみた当時、そんな大学知らないやと思ったが、 後にノーベル賞受賞者を多く輩出しているエリート大学と知って、さすがモンスーンと唸ったわ。
>>299 >>300 どっちもメジャーリークの本拠地だから
>>312 ハンセン 135 ブロディ 135 シン 120 マードック 120 アドニス 115 当時から子供ながらにいい加減だと思った。 >>254 >>263 >>307 マジレスするとその対談での発言が掲載された当時ゴタツはまだ新日に入門していなかった
昔ファイトのI編集長や竹内宏介が書いていたけど
鶴田が悪く言われていた理由の一つに鶴田自身この手の軽口を叩くのが好きな一方で
自分を扱った記事やインタビューを仔細にチェックしては
「こんな事は喋ってない」
「どういう意味なんだよこの記事は」
等と一々細かい部分にクレームをつけてくる性格だったからだとか
後年藤波を事ある事に揶揄していたのも82〜83年頃藤波がプロレスアルバムや一般週刊誌のインタビューの中で
「あの人は前座(の世界の厳しさ)を知らない」
と鶴田を評していたのに腹を立てて根に持ち続けていたかららしい
>>317 俺が小学低学年くらいの頃に発売されてたプロレス大百科みたいな本には
ハンセンの身長体重が「189センチ 123キロ」の記述の奴が多かった、何故か当時。
子供ながらに絶対そんなはずないと思ってたがw
>>317 考えてみれば体重120sだの130sだの、数字で見慣れちゃうと「お、こいつ重いな」とか
「100キロそこそこなんか殆どジュニアじゃん軽いな〜」ってエラソーな見方するがw、
実際体重3桁ってデカい(重い)よな。。
Googleではジャイアント馬場が体重90kg、ハンセンが146kgとなってる。
身長が190cm越えた普通体型の人でも体重は90kgくらいはあるな。
135キロってのは丁度300パウンドなんだよな。 それでその数字が良く使われる。 しかし晩年でも流石に馬場が90キロってこたあ無いだろ。
>>318 この時のカーンの反論が
「自分は悪く言われても構わないが、親を侮辱するのは許せない」というガチなものw
掲載した月刊プロレス自体が「カーン可哀そう、鶴田はひでぇ」論の火付け役、放火犯という感じだった。
確かこれ、猪木−村松のテーブルマッチの猪木の代役で鶴田が登場したときの発言だったと思うけど、
猪木の代わりに馬場の弟子の鶴田が出たってだけで価値のある「出オチ」になってて
鶴田としては義理と使命を十二分に果たしてんだから
いくら村松や月刊プロレスの記者に乗せられ、煽られたといえども
"敵地"で余計なこと言うべきじゃなかったんだよな。
向こうはいくらでも鶴田の発言を悪意で加工し、
その言われた対象にご注進して、「スクープ記事」が作れるんだからw
ジャンボは日米レスリングサミットの時もハクとのタッグで 試合後に「谷津と同格か、それ以上だよ」とハクを誉めたんだよな。 決して、悪意があって谷津を引き合いに出した訳ではないんだろうけど。 相手によっては誤解されるかも。
>>327 確かにブロディとのIWGPタッグリーグ戦でのシングルや
タッグの試合見ると、ほとんど一緒だった。
カーンの抗議文を面白おかしく載せる編集部もどうかしてるわ。
>>328 SWSでナチュラル・パワーズは活躍したけど、実質ハクが中心になって暴れていたからな
谷津は結局タッグでしか良い試合出来ないんじゃないかと当時揶揄されていた
ホーガンに挑戦したWWF世界戦もクソだったし
>>331 あれは北尾のせいで、ホーガンがめちゃめちゃ機嫌悪かったから仕方ない。
>>330 「カットなった」は正しくは「カッとなった」だよな。当時は誤植多かったんだろうなw
ハンセンは日本の友人に日本のプロレス雑誌の記事を訳させて 内容を知っていた プロレス入りした頃からの週給を細かく覚えている位で けっこう神経質な性格だったらしい
ハンセンは主戦場が日本みたいなもんだしなw 他にもブッチャーやシンみたいな 日本でトップ取ってる外人は少なからず日本の事情は把握しておきたいだろう。。
>>330 別にカーンが顔だけで売れた、なて言ってないのにな。
カーンって結構色んな人のこと批判してるけど、
本人の早合点とかもあるんじゃなかろうか。
>>331 まぁ全日時代もシングルでは、コレといった試合が思い浮かばない。
タッグだと長州と組んで、鶴龍とのインタタッグや最強タッグの試合はどれも良かったけど。
>>337 なんか
「鶴田が自分のこと言及したから、
(被害者ぶれる)いい機会だから日頃思ってる鶴田への偏見をぶちまけてやろう」って感じだね。
鶴田からしてみれば「ああ、また例の何も知らない日プロ出身者の勝手な決めつけか」
で済ましたんだろうけど。
ヨウツベにカーンの試合数何試合ある?それがすべてでは?
ようつべだって(嘲笑) バカ丸出しだな。 もう死語だよ。
小沢は思い込みが激しいんだよな メキシコでのアンドレ戦が消滅したのは浜田のせいだってずーっとグチグチ言ってた そのくせ去年雑誌で対談させたら否定され、しどろもどろで何も言えなかったからな たぶん鶴田も生きてて会わせたら、思い違いしてたとか詫び入れるんじゃねえの
鶴田とカーンのシングルは一回あったよね。 でも85年夏のジャパンのシリーズでのタッグマッチで鶴田の右腕を執拗に痛めつけリングアウト負けに追い込んだ試合が印象深い。 この時鶴田に怨みをぶつけたのだろうか?
小沢って、プロレスそのものがあまり好きじゃなかったんじゃないかな? あの年齢でスッパリ辞めて、一度も戻って来なかった人は珍しいと思うし。
長州「あのマスコミっていうのもホントどうしようもねぇな アイツラみんなくたばったらクソぶっかけてやるんだ! ホントだよ書いとけよこれは!」
>>334 それぐらいの性格だから、あれほどのトップ外人になれたんだろうな。
>>335 シンと言えば例の「お前か!オレがメキシコでマスカラスに負けたなんて記事を書いたのは!!
来週号でオレをフロントページに持ってくると約束するか!?」w
>>343 あれは腕の故障で入院するからカーンにやられたって奴だろ
長州のガグリオンの時に鶴田が奇襲して球場に追い込んだ時と同じだよ。
もっともその入院で肝炎感染が判明して8年以上肝炎隠してリングに上がったのは酷いけどな。
>>345 最後にWWFに上がっていた時も、ホーガンのライバルまで務めたから、もっと居座れたんだろうけど、あっさり辞めちゃったな。
ホーガンには引き止められたらしいけど。
>>350 外注はバイキンプロレスが大好きお前だろw
>>334 全日に移籍した後も新日側の自分への発言(悪口)はかなり気にしていたらしい・・・
>>346 「「相撲取りは嫌いだ」「輪島は嫌いだ」と面白おかしく書かれたが
おれは一度もそんなことを言ったことがないからな!
輪島はキツい部分もあったけど一生懸命やっていたよ!
全然ちがうな!輪島は綱をはっていただけのことはある
相撲協会にも筋を通していたしあいつ(北尾)はちがうもの!」
>>318 >「あの人は前座(の世界の厳しさ)を知らない」
その言葉がマジかどうかは別にして
藤波
↑
長州
「オレはお前のかませ犬じゃない」
↑
藤原
「アイツ(長州)はエリート、オレはゴミ、下には下がいる事を思い知らせてやる」
どんどん下に流れていくのが面白い
よくいえば下克上なんだろうけど、新日はそういう感情を生かすのが上手い
鶴田も藤波に根に持つんじゃなくて
「若くして神輿に乗せられたオレの思いがわかんのか?」ぐらいの情念を前面に出せば
もう少し共感を得られたんでは?と思う
でも後年に鶴田が言ってた
「自分は若くして世界の強豪に当てられて、貴重な経験をした」
「しかし同年代の連中がキャリアを積んで上がってきた頃、それは大体10年経てば30代くらい」
「その同年代が上がってきた時点では、僕は怪物になってやろうと思ってた」
この言葉は良かったと思うよ
それまでの長き「善戦マン」という時期さえも、全て肯定的に捉えられるような
なんていうか鶴田の不人気時代さえも全部一発でプラスに転換させられるというか
鶴田の言葉の中では稀有の名言だと思う
昭和の最後の武道館を1階スタンドで観たんだけど隣に30前後の清楚で地味めな女性2 人組が座ってた。全試合終了後の客もまばらな席にジャージ姿の渕が現れ女性と話しは じめた。「いかがでしたか?」とか「また次回も」とか言ってたな。帰りはいつも神保 町で飲みながらその日の総括をするんだがその日の議題は渕の女性問題だった。けっこ う美形な女性だったが結論は「小口後援者の会社に勤める事務職の女性で多分、独身の の渕に底の社長がお見合い風に紹介した」という結論に達した。
渕はジャージだったがシャワーを浴びたか香水を使ったか、いい匂いがしたのを憶えて いる。二人組だったのはやはりプロレス会場に当時女性は少数だったし来づらいだろう から渕がきを利かせて友達を誘えるよう切符を複数枚用意したんだろう。そのあとがん ばってください、と声を掛け握手してもらったが「何をだよ?」とニヤけながら返事さ れたな。二人のどっちもいずれ劣らぬ、という感じだったし結婚まではいかなかったん だなあ。
358 失礼 いずれ劣らぬ でなくいずれ菖蒲か杜若 でした。 二人ともまずまずのルックス、片方は眼鏡着用、どちらを選んでも正解といっていい くらいのお顔でした。
>>347 くだらねー茶々入れてんなよ
ボケ、カス、クソ
>>355 でも、当時は輪島全日入団で、輪島の話題で持ち切りになった時は、長州かなり臍曲げてたそうだ。
輪島がメインの試合始まると、試合を見ずに「お前ら、帰るぞ!」と会場あとにしたりとか。
最近は渋谷の独り暮らしも諦めて加須で隠遁生活を送るハメになっているからな
>>364 長州移籍で話題満載で怒ったブロディと同じ心境になったんだな。
まあ輪島も移籍当時の長州も悪くないんだが。
長州は北尾問題の時は輪島は一生懸命やってたからな。 と言っていたけどそれは北尾と比べてと言いたかったかな?
輪島は下手な中堅や若手よりも頑張ってたとは思うけどな もしかすると稽古不足で遊んでばっかりといわれてた 横綱時代よりも一生懸命だったかもしれない
池袋東武百貨店に勤務してたんだが格闘技戦後にあのラジャライオンが来た。といっても 客じゃなく一週間限定の催事だが6階のリビング売り場で「パキスタン絨毯の手織り実演販売 の実演者、としてだった。竪琴を横においたような手動の織機を素人目に見ても不器用そうに がちゃんこがちゃんこいわせて操作してた。「演者ラジャライオン(格闘家)」の垂れ幕も あったな。でも値段表示が一切無かったしどう考えても100万単位の絨毯をラジャが 作ったからといって買うもの好きもい無かったろうな。サインはくれたよ。 rajalion 229,と書いてくれた。社食ではいつもカレーを食ってた。 伝え聞く体臭はなかったよ。
けっこう腰の低い気さくなおとなしい人だった。正体を知らぬ女子社員にもけっこう モテてたよ。当時はスマホがなかったが今なら写真攻めにあったろう。 ラジャが店内を移動するとどよめきが起こった。プロレス好きの先輩が拙い英語と筆談 でラジャとコミュニケーションを図ったが馬場戦については、だまされた、みたいな事 を言っていたらしい。
確か川田の話だったかな? 輪島が日本デビュー前に、若手と一緒に海外で合同合宿みたいなのをやってた時 練習場に行く時のワゴン車の中では、輪島は死んだような顔だったらしい それで練習後の車の中では元気になって、宿泊所では若手に料理を振舞ってたとか とにかく馬場が鬼コーチで、馬場の前ではとにかく元横綱の肩書きも一回リセットてな感じだったと まあその姿勢で必死に取り組めたのは、輪島もインタビューで言ってたが 「全日の選手の皆が僕の事を「輪島」じゃなく「横綱」と呼んでくれた」 「自分の中に残ってる綱を張ったというギリギリのプライド認めた上で迎えてくれた、あれで自分はゼロから必死にやろうと思えた」
>>372 > とにかく馬場が鬼コーチで、馬場の前ではとにかく元横綱の肩書きも一回リセットてな感じだったと
巡業とかで移動する時も、当時まだ練習生だった小橋なんかが気を使って
輪島の荷物を持ってやったりした所、馬場が「自分で運ばせろ!」とか怒ったそうだからな。
馬場は猪木よりスポーツエリートは優遇しそうなイメージだけに、このエピソードは意外だった・・。
アントン・ヘーシンク入団も馬場が望んだ訳じゃなく 視聴率向上を目指した日テレのゴリ押しだったからな まったくプロレスを覚えようとしないヘーシンクに馬場は怒り心頭
>>372 デビュー前じゃなくて88年8月七尾でやったサマー・キャンプでしょ
馬場が最終日前に帰ったら酒飲んでカラオケ歌って元気になったって
>>374 自分は世代でないのでリアルタイムで見てないが、かなり酷かったようでw
プロ転向直後の小川もかなり酷かったけど
タッグで、どうカットに入っていいか解らず、エプロンでモサ〜ッと突っ立ってたりとか。
上がってる動画で馬場が解説で「輪島は練習しない」と評していたのを見たけど、元々受け入れる気もそんなになかったのかな
何度かここで言われてるけど 輪島は全日時代の悪口や、恨み言を一切言わないね むしろスポーツ年齢の晩年時代の思い出みたいな語り口でさ とはいえ天龍や小鹿やカブキの悪口もオレはそんなに印象が悪くない なんていうか「有名人」の息子みたいな感じというのかな ああいう言い方をしながら、もしそれに軽々しく同調する輩がいたら 全力で「おまえらに馬場さんの何がわかるんだ」と全力で馬場を守ろうとするんじゃないかな 美化するんじゃなくて、なんかそんな気がする 輪島は勿論だけど、上記の三人だって馬場のお骨に手を合わせたり、鶴田の墓に行ったりするじゃん 本当の恨みつらみがあったら行けないよ
>>377 やっぱ、全日中継ゴールデン復帰も視聴率が思った程でなかったし、ジャパンもいつ独立するか解らない。
で、そのテコ入れと言うか、保険みたいな意味合いで受け入れたんでは?
>>379 最初はどこから出てきた話なのか双方の話が
違うんだよな。
全日本からの接触という話もあったり、
石川個人の案とか、輪島の関係者の案
とかいろいろ証言がある。
輪島が力士を引退して 花籠を襲名するときのパーティーの写真に 馬場が写ってたくらいだから 元々、親交があったんだろう
>>381 馬場の還暦祝いだったかで武蔵丸とかの武蔵川部屋の力士が来てた覚えがある
小鉄はダメなレスラーも無理やり褒め称えるが、馬場は褒め称える事はしなかった。 マサ斎藤は馬場以上にダメ出しが多かったが。
>>380 どこが先導したというより
全日、日テレ、輪島といろんな方面の思惑や利害関係が一致したようにも思える。
ただ、後に全日は輪島の件があってか、角界から睨まれて田上やテンタの入団の際、相当気を使ったようだが。
輪島の初戦が歴代最高視聴率らしいしせいこうだったんじゃないかな
カブキに限らずレスラーは誰か鶴田の墓に行ったの? 天龍は特番で行ってたけど
馬場は自分が巨人の出身ってのがあって 基本最初から一般人とは違う図抜けた資質を持つ他競技のエリートが好きだったんだが 同時にその世界では成功できなかったためなのか 他競技でいくら実績あるエリートでも プロレスでそうそうすぐに上手く適応・通用するってもんじゃあないよっていうロジックで プロレスラーの立場やプライドを発信してたからね 他競技出身のエリートである馬場が プロレスラーやプロレス興行、試合の組み立て等に対しては そういうコンサヴァな価値観を持っていたのに対して 所謂レスラーとしてほぼ純粋培養の猪木が ラディカルな価値観を持つに至ったのが興味深いところだけど
>>388 鶴田を帰国後すぐ2に抜擢した馬場。
長州、谷津をかませ犬として使った猪木。
>>387 フレアー ブッチャー レイスは行ったらしいね
あとレスラーじゃないけど若林アナも
>>390 あと元週刊ゴングの編集長だった
小佐野氏も行っている。
30過ぎてラグビーからプロレスに転向した原なんかは入団先が国際プロレスだったのが 皮肉にも功を奏したのかも。人材不足だから早くにエース候補のポジションで活躍できたわけだし まあさすがに他団体との比較になると実力不足は顕著だったが、 それでも本人もその辺の自覚は持ち続け、崩壊〜全日入りとキャリアを重ねるうちに ほぼメーンエベンタークラスまで行けたからこれは評価できる。。
87年末くらいだったか、ヤクルトの投手宮城がプロレス転向の噂があった時、馬場はゴングで「本人が死に物狂いでやれば別だが、23歳では遅い。」と歯牙にもかけないコメントだった。 馬場もプロレス入りした時は22歳だったことについては、「だって俺はこんなにデカいんだから」と言い放っていたけど、宮城も193cmあったんだよな。
>>393 東スポ一面になっていたよね
購入していないけどヤクルトファンだったのでその見出しだけは覚えている
結局、宮城はプロレスラーになることなくニセ韓国人として韓国プロ野球でプレーし、のち政治家秘書.に
馬場はもし大学行ったなら60年春に卒業。 ちょうどプロレス入りしたのも60年春で22歳。 生前インタでそうコメントしていた。 大学卒の鶴田も22歳でプロレス入り。 遅くとも22歳が馬場のラインだったのでは?
>>383 9 :お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR)[sage]:2018/09/16(日) 21:13:53.51 ID:XaVAqh7yK
訂正
>>1-7 >>10-999 お前らはチンポ派?それともチンコ派?
チン●を形容する時の話だ。
俺はチンポだな。
398咲くわ 馬場は腕立て伏せが一回もできなかったらしいぞ。
>>389 当時の団体の状況にもよるしね。
それに長州も谷津もヤングライオン的な扱いはされてはない、中堅上位くらいからじっくり育てられた。
>>396 鶴田はアマレスというバックボーンが
あったからだろ?
それなら、多聞なんか30歳で入門だ!
格闘技の経験がなく大卒(22歳以上)で
全日に入門したのは大森くらいだな。
>>398 佐藤昭雄によれば試合前に三百回から四百回腕立てしてたって
ドリー戦で脱水症状になるまでは
弟のジェリーのバックボーンがネットで調べても判明出来ない
アマレスは学生時代兄貴同様にやってたのかな?
ピッチャーは基本的に腕立て伏せNGじゃないの? 肘に負担かかるから。
>>390 フレアー、レイスが山梨まで足を運んだってこと?
戸口はGスピリッツの取材で実際に鶴田の兄の
農園まで足を運んでたね。
>>400 海外だと大卒で格闘技経験なしでプロレス入りは普通の話。
>>383 小鉄は育成方針は体が小さくアマスポーツで実績のない藤波は褒めて伸ばして
自信過剰でプロレスを舐めていた長州は鼻柱をへし折る所から始めて使い分けている。
服部は 「長州ってすげえ強かったじゃん アマレスじゃゴッチなんて長州には全く敵わなかったよ」と言ってるし ポーゴは 「小鉄とのスパーで対等に渡り合って小鉄に逆恨みされて新日を追い出された」と言ってるし 全然鼻柱をへし折られてないやんけ
馬場は強さに相当コンプレックスあったんだろうね よそから来た人を勝たせようとか光らせようとかしなかったから 必要以上にマウントとろうとするんだよな
>>407 サベージは野球、サベージの弟のザ・ジニアス、エドワード・カーペンティアは体操選手。
ホーガンはロックンローラーとボディビルダー、用心棒、ウエイトリフター、プロモーターの息子も多い。
プロレスの強さと、それ以外の格闘技やガチで勝ち負け競ってるスポーツの強さをごっちゃにしてもな。 馬場から猪木的な物欲しげな強さに対するコンプレックスとか一切、感じたことないけど 普通、団体のエース張ってるうちはそういうアングルになるのは当たり前のことだろう。 長州の場合はスパーリングで小鉄、ゴッチやその他を翻弄(そりゃ当たり前だw)して 「なんだこいつら、こんな程度でレスラーを名乗ってるのかw」って態度だったんだろうけど 小鉄は「お前は一人の客も呼べない、カネの稼げないペーペーなんだから 客を呼べる、俺たちの飯代を稼いでくれるレスラーの負け役をまずはしっかりこなせ!」って 感じで鼻っ柱を折ったんだと思う。
>>411 プロ野球→プロレスは、世界でも馬場とサベージだけかな?
クロマティは別として。
逆のプロレス→プロ野球だと、飯田敏光という人がいるらしいね。
192cmで恵まれた体格だけど、プロレスは短期廃業。
>>414 元ダイエーの山之内がデビューしてたら二人目の
レスラーになってたね。
>>414 ボボ・ブラジルが黒人リーグで
プレイしていた、と言われている。
よくナチュラルで強いっつう評判を聞くが、マリガンとかスタッドとか。あとマードックみたいな天才肌。 総じてトップクラスには上り詰められない例が多いがw、こういったタイプは馬場から見ればどう感じてたんだろう。 やっぱ社長目線で単にファン受けがイマイチなタイプとするか、実はちょっと一目置くとか。。
レスラーとしては尊敬もしてるし評価もしてるだろうが 観客動員に結び付かない以上、社長としては扱いを致しかねるとしか… マードックがエースのシリーズはブッチャーと比べると四割減という情けない結果
マードック、輪島をサポートしたいとかで全日本復帰を匂わしていたが 何故ダメになったのだろう? もう一度全日本で観たかったな。
>>420 戻らなくて良かったよ。ブッチャーのこと人種差別イジメするし、最低の人間じゃん。
そーいyあ80年のエキサイトシリーズでマードックが鶴田を降してUN戴冠したが、 あの試合はマードックの実力を認識したな。たいして派手さのない展開だったが じわじわ鶴田を追い込んで寄り切り勝ち。普段はおちゃらけたトンパチキャラ?だが たまにギラリとにらみを利かすファイトをやってのけるから侮れない。85年のブロディ戦もそう。
マードックが復帰したがっていた1986年は引き抜き防止協定があったから 簡単には復帰できない あと樋口が「もうあいつの面倒は見たくない!」と言っていたとか 新日側も1987年に猪木のタッグパートナーの座を用意した位だから まだ放出したくなかったんだと思う
長州はパンチパーマ時代は自分の試合の出番になると 「ちょっとマンガやってくるわ」って言ってたんだろ
>>414 竹下民夫がトンボ・ユ二オンズにいたらしいが真偽不明
日本プロ野球のホームページになかったので一軍の試合に出てないのは確か
竹下は大相撲の前歴もあるがこちらも真偽不明
相撲レファレンスで四股名・竹下で検索しても出てこない
>>423 > 新日側も1987年に猪木のタッグパートナーの座を用意した位だから
> まだ放出したくなかったんだと思う
でも、なんかこの時期の新日はナウリーダーVSニューリーダーとかやってて、マードックはナウリーダーの助っ人という形で便利屋の印象が強いな。
常にNo.2の位置だったマードックだから、仕方ないかもだが。
マードックは新日では猪木限定だけど 「ギリで大会場でのシングルメイン」を任せられるつぶしがきく感じ
>>405 それしかないだろw 書いてあるとうりだよ
>>427 ホーガンもアンドレも日本に来なくなってしまって
1987年頃はマードックが新日本の暫定外人エースだった感じ
ただB・ベイダーがデビューしたらまた2,3番手に戻っちゃうんだけどね
>>428 だからって、86年のIWGP決勝を任せたのは期待ハズレもいいとこだったw
>>431 そういえばマードックは、ベイダーやレッドブル軍団とギリギリ同じ時期に新日に居たんだっけ。
確かベルコビッチとやった試合が、新日最後の試合だったような?
>>431 あとビガロもいたかな
マードックの暫定エース→ベイダーが一本立ちするまで
海賊ガスパーズをつなぎでやりくりしてた印象
>>432 あれは猪木-前田の決勝を回避するために、マードックに前田の決勝進出を食い止めさせたのもある
でもあの時期の前田を差し置いて決勝戦に進出させるギリの格はあったんだね、マードックには…
もちろん九割以上のファンはがっかりしただろうけど。
>>432 ベイダーとマードックは88年〜89年まで新日で一緒だった。
マードックに対しては常に「イエッサー」だった。
マードックは新日本に8年もレギュラーでいんだな。
全日本も8年だから、全く同じ期間いたことになる。
>>434 前田もマードックには一目置いてたからな
前田「マードックは真面目にやってればNWA王者になって長い期間防衛できたと思う」
とかプヲタみたいなことも言ってた
>>436 マードックが
「プロレスやりたいのか、ケンカやりたいのかハッキリしろ!オレはどちらでもいいぞ」
って言ってたよな
当時はガキだからあんまり意味がわからんかったが、マードックもちょいとドスのある事を言うよな
それから前田はマードックのお尻ペロンに付き合うようになった
なんか両者の格が見えたかもな
>>434 俺もガッカリした一人だったが、新日らしからぬサプライズ無しの展開に。
ある意味、マードックで手堅くいったという事か。
>>435 マードックのイメージからすると、飽きっぽい感じがしたが、全日新日と双方で8年ずつか。
89年にFMWに行くが、当時の週プロのインタビューで「正直なとこ、新日には嫌気がさした」
と語ってたが、何があったかは語ってないようだった。
>>435 439 試作だが、
試合ではベイダーはマードックにガンガン入れてたな。
>>426 猪木はロビンソンと引き分け
その後の馬場VSロビンソンで、実況でも殊更「日本ではロビンソンに勝った選手はいません!」を強調し、猪木の名前まで出してロビンソンを上げまくって
結果馬場が勝った。
それをエースだから当たり前なんて思考停止丸出しのレスしてくんなよ
マードックはタッグでもいいから猪木から フォール勝ちした実績があれば印象が違うんだけど、やるたびに完敗してるからなぁ。 全日本で言えばカマタやスレータークラスの 選手を無理やり最強外人に盛り立ててる印象があった。
え?マードック猪木にタッグでもフォール勝ちしてないの?
>>440 それは猪木への対抗意識ではあっても
>>410 とは違うと言ってんだよ。
>>438 9 :お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR)[sage]:2018/09/16(日) 21:13:53.51 ID:XaVAqh7yK
訂正
>>1-7 >>10-999 お前らはチンポ派?それともチンコ派?
チン●を形容する時の話だ。
俺はチンポだな。
>>424 木戸のリーゼントと通じるものがあるな。
猪木vsマードックは水戸黄門の印籠みたいな試合 結果は100パーわかってるんだけど、観戦しても安心して家路につける試合内容 マードックのブレーンバスター ↓ 空中で体ひねって着地→バックドロップ→延髄 または 着地→延髄→卍
馬場がマスカラスとかリッキーとか衰えてからのテリー・ファンクとかには手厳しいのをツベで発見 流行に敏感だったんだなと驚く ドリーだけは腐っても使い続けてたけど
馬場がマスカラスとかリッキーとか衰えてからのテリー・ファンクとかには手厳しいのをツベで発見 流行に敏感だったんだなと驚く ドリーだけは腐っても使い続けてたけど
↑いまだに若者ぶって「ツベ」と 書いたばかりではなく 同じ内容を2度も送信した 痛いオッサンを発見!
>>451 まだ若いけどな
オッサンといえばオッサンだけど
二度押ししちゃったようでな
>>448 >>410 への返信なんだからわかるだろ普通。アホか。
>>450 実際 テリー人気、リッキー人気はあったが
ドリーは人気はない。職人タイプ。黙々と。
だからかも。
>>454 世界のアイドル"テキサスの若馬"ドリー・ファンクJr.に失礼だろ
>>438 ソ連のレスラーが上がるようになって嫌気がさしたのかも。
>>438 ベイダー、ビガロ、ウイリアムスの売り出し。
ソ連勢の参戦。
こういう状況でマードックは自分の居場所が無くなったと確信。
それでマードックは新日離脱。
全日にも戻れず大仁田のFMWへ。
これは大仁田が声を掛けたらしい。
マードックは大仁田の助っ人の立場でFMW参戦。
相手役にはルダック。
大型のマードックに釣り合い取る為に。
ルダックなら大型でマードックとも釣り合いが取れた。
もし全日に戻るのが可能ならマードックは確実に全日に戻った。
でも89年の時点で全日にもマードックの居場所はなかった。
ハンセンと再び組ませたら面白かったが、ハンセンは天龍と組んでたし。
でもハンセン、マードックVSブッチャー、シンなんか見たかったが。
あと久々の鶴田や天龍との対決とかも。
需要はあったとは思うけど。
マードックとシンの組み合わせってありそうで無かったな。 見事にすれ違い。
>>458 マードックが全日に戻れるタイミングは結果論になるけど
1987年秋にブッチャー・ブロディ・スヌーカの時だね、他レスラーとの人間関係は抜きにしてだけど
これも結果論だけど、翌年にブロディは急逝し、スヌーカも遠ざかったわけだから
1988年のマードックしだいでは、平成になっても居場所を作り続けられたかもしれない
スパイビーやエースなんかも初来日し、大型対決で盛り上がったかも
ウォリアーズとマードックの戦いも新鮮で面白そう
>>460 この時期マードックはスレーターと組んで
WCWに上がってたけど、どうせなら
全日本で実現させた方が面白かったかも。
天龍・ハンセン対マードック・スレーター
ってちょっとレトロだけど武骨な
マッチメイクだよ。
87か89にマードック戻ってきたら面白かったね 87は急きょ猪木・マードック組にされ引き止められちゃった
マードックは熱さとか激しさがなかったから 全日行ってももうついてこれなかったんじゃないかな 上手さを基本省エネファイトとひょうきんプロレスに使ってたし 馬場がギャラ以上の仕事しないって言ってたのも そういう部分のことを言ってたんだろうし
新日に行ってからのマードックはタッグ屋というイメージだな 特に印象深いパートナーは ボブオートン アドニス スーパスター 凄いのはこの三人とそれぞれ組んでもクオリティが高く、 リーグ戦で決勝戦に進んでも何の違和感がない格を持ってたと思う あと新日に移籍当初、ローデスと再結成タッグで長州を短時間で料理した時は説得力バツグンの強さだったね
>>435 ベイダーマサ斎藤vsマードックアドニスでは
ベイダーが一方的にマードック攻め続けた
>>439 省略ジジイみたいなくだらない自己顕示は止めろ
目立ちたければ濃いプロレス話してみろ
それができねえから省略ジジイみたいな真似する
>>458 185 お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR) 2018/09/18(火) 09:11:18.36 ID:/xfISYbeK
マスカ
ドスカ
エルカ
美味しいマスカットはドスカ?
そんなもんエルカ!
このスレの低脳諸君よ、採点を求む!
>>458 9 :お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR)[sage]:2018/09/16(日) 21:13:53.51 ID:XaVAqh7yK
訂正
>>1-7 >>10-999 お前らはチンポ派?それともチンコ派?
チン●を形容する時の話だ。
俺はチンポだな。
>>461 スレーターとのコンビは90年に入ってからでなかったかな?
だとしたら、ゴディ・ウィリアムスとの試合なんか見たかった。
>>450 >>454 >>456 ドリーはブッカー兼任だったしレスラー仲間からの人望もあったから
今では老害の極みみたいになってしまっているドリーだけど
その昔山田隆がアメリカマット取材中インフルエンザに感染して倒れた時親身になって看病をしたのがドリー
「オフ・ザ・リング」の伊ケ崎光雄がテリーの取材にアマリロへ出向いた後
ヒューストンやフロリダのビッグマッチを取材する為空港に行ったら
飛行機の故障を理由に欠航になるトラブルに見舞われてしまう事があった
この時も試合に間に合わないと諦めかけていたのに航空会社の担当者と交渉して代わりの便を確保してあげたのがドリー
他に活字になっていなくても様々な形でドリーの世話になった人が少なくないからこそ
今でもドリーが来日する度に応援するファン関係者がいるんじゃないのかな
>>460-463 マードックは88年頃から足が細くなってスピードスタミナも落ちていたから
あの時全日に復帰しても天龍革命の影響でハードヒット化が進んだ全日ではそれ程の活躍は出来なかっただろうね
マードックはセンスでやってたから、練習なんてしていなかっただろうな、あの腹だと。
コックスVSマードックはパンチとか単純な殴り合いがほとんどだったけど殺気じみたギラギラした良い試合だったな というかあの試合はもはや狂気 ああいうギラギラした殺気だった試合を新日に行ったマードックが出来なかったというかさせてもらえなかったのが残念 お尻から落ちるブサイクなブレンバスターとかお尻ペロンとかはやめてほしかったな
>>472 コックスはギミックの人種差別主義者、マードックは根っからの人種差別主義者。
散々イジメられ、新日でまた一緒になってしまったブッチャーは本当に悲劇だった。
アレンも相当な嫌がらせ受けて、マードックだけは大嫌いだったみたいだし。
>>471 最後に来日したのが藤原組だったが
藤原は「マードックは練習している体じゃないけど天才」と言ってたな
>>472 プロレス教科書:ラフスタイル編
VIDEO 現役レスラーの方々は学んでほしいね。
アレンはマードックととことん話し合って和解したって マードックも差別は悪いことだとは分かってたんだよ
>>470 ドリーにケチつける訳じゃないが山田隆に関しては相当眉唾だな
山田隆の記事はほぼ作り話
無い話でも美談にしたり全く逆のエピソードも平気で作り上げるでっち上げ散歩道
>>472 でも、新日でのブロディとのシングルはコックス戦に近かったかも?
殺伐とした雰囲気では、コックス戦が上だったと思うが。
あと新日ではレッドブル軍団のベルコビッチとの試合なんか
噛み合わないかと思ったが、アメプロスタイルで試合を組み立て、やっぱ天才だったな。
俺は全日時代のマードックはファンクス、NWA王者の陰に隠れた感じでほとんど印象にない。 逆に新日では猪木、藤波、健吾、前田との試合は立ってよし、寝てよしで凄いと思った。 地方に行けば客をいじるというマニアが多い大都市とは違う、地方向けプロレスをやったプロ。 大味だった全日時代より、技が出た新日の方が合ってたような気がする。
>>442 するわけないだろ。
猪木は勝ちブックおやじだからな。
マードックは痛風持ちで心臓の薬も飲んでたってミスター高橋が書いてたな
>>481 糖尿もあったはず。
これでは長生き出来ないわな。
最後の来日となった藤原戦のあと、帰国する直前
わざわざ空港から、藤原のところに「また、呼んでくれ」と電話あったとか。
藤原は「コイツ、変わったことするな?」と思ってたら、そっから3週間後に亡くなったそうだ。
山田さん大好きだったけどな。落ち着いてほのぼのとしてるし物知り爺さんみたいで全日本の世界観にあってた たまに放送席が写った時の真顔の怖さに違和感を感じたけど、兼かおるのナレーションの人と同じで顔で判断しちゃいけないんだなと
田鶴浜さんはタザハマさんとしてキン肉マンのキャラで出てたけど 山田さんもなんかの漫画に出てた記憶あるんだが思い出せない 「愛しのボッチャー」だったかな?
>>484 タザハマさんと中野さんの隣に解説でいなかったか?
あれ、中野さんは観客だっけ?
あと「ケツが割れたな、こりゃ」って委員長?だっけ
なんか記憶がゴチャゴチャになってるわ
ちなみに同時期か少し後にやってた「リッキー台風」も熱かった
>>484 ボッチャーに出てたね、もろブルドック顔でw
>>483 山田さん、三沢タイガーのデビュー戦のとき「佐山が見たいんだよ」、「帰れ」などリングサイドのしつこい野次に余程むかついたのか、いつもよりは強い口調で「新しいタイガーでいいと思います」と解説で三沢擁護してたね。
新日信者も全日会場に来たからな。 嫌なら見に来なきゃいいのに。
>>485 「ケツが割れたなこりゃ」はタザハマさんでアデランスの中野さんはアニメでは解説者だったけど原作では放送席に座らないモブキャラ。
キン肉マンに山田さんモデルの解説者は出てないよ。2回目のオリンピックで山本小鉄さんがモデルの山本私鉄さんなら出てたけどw
>>487 TVで見てて「佐山じゃねえじゃねえか〜ッ!」とかデカい声が聞こえてきたからな
現地じゃもっと凄かったんじゃないか
しかしわざわざ全日本のリングサイドを買ってそんな事をしにくるんだから
暇な奴だと思うw
>>488 >>490 1980年のチャンピオンカーニバルの後楽園大会だったと思うけど、馬場・鶴田vsテリー・スレーターのタッグマッチで猪木コールが起こしてるやついた。さすがにあれには引いた。
>>491 海賊男に扮したクロネコが、間違えてマサ斎藤に手錠を掛けちゃった試合があったが、
試合後納得できない観客が、輪島コールの大合唱になってしまったことがあったね。
控え室の猪木は「今言ってるヤツ全員ブッ殺す!」って激怒して取り抑えられたらしい。
>>490 商売なんだからそう言う暇な奴が来て金落としてくれるんだからいいんだよ。
それでリピーターになる努力すればこっちのもの
どうも爺さん達はピュアなんだな。
むかしの新日、全日はつい最近の北朝鮮と韓国ぐらい壁があったよな 今見ると猪木がギリギリのところで馬場に気を使っているのが可愛いよね ようは一回ぐらい勝たせてくださいよ、ずるいなー というのがすべての動機だったんだなw
まあ、馬場vsハンセンの初対決も新日ファンが多かったらしいけどね 「馬場が猪木を苦しめたハンセンに勝てるはずない」 「ハンセンが馬場をブッ倒すのを見に来た」 みたいな感じで まあ、勝負論が生きてる時代だし、新日ファンといってもこういうファンは健全だよな
>>494 天龍革命の原点だよな
どういう目的のファンかは千差万別としても
「どんなにガラガラでも、1人のファンが感動してくれれば次は友人・知人を連れてきてくれる」
「まずは後楽園ホールを一杯にする事、後楽園のファンを動かす事ができれば5000人までは波動する」
497敷くなだが、 ファンクスが昭和全日の象徴だったな。
498敷くわだが、 ハンセン移籍後の全日は変わったとの意見が多いぞ。
>>496 猪木のIWGP構想を信じたファンも幸せだし、前田の真剣勝負風プロレスを信じた
ファンも幸せだと思う。今のプロレスファンは、そんな夢はもう見られないんだから。
>>496 プロレス観戦なんて5000円ぐらいかかるしわざわざ10代20だの連中が金使って来てくれるだけでも
団体としては大成功だよ、後はどうやってリピーターに変えるかだけ
新日のフアンとか言ってる奴は金払って試合見たのかね?
全日の解説は山田も竹内も基本的に倉持の主観的なアナウンスに同調してばかりの印象なので、新日の小鉄が古館に「いや、そうじゃないですよ」と反論してたのに比べると、 専門家としての威厳は感じられなかったけどね。田鶴浜は別次元の人だけどw。
古舘は実況をやめても小鉄や桜井氏とは交流があったんみたいだけど 倉持は解説席を離れた山田氏や田鶴浜さんとは口をきいたこともなさそう
>>486 「愛しのボッチャー」に山田隆ならぬ「山田武」として出ていた
>>494 悪質客を正当化すんなよ。お前がそうだったからって。
>>502 ところが、悔しまぎれ嫌がらせに5000使う奴も
いるんだろ。全日は外人豪華だから外人レスラー目当てだったかもしれんしな。
>>501 高橋本に振り回されすぎた、
マスコミ、レスラーそしてファンが悪いな。
んなもん誰が何書こうが、認めなきゃ良かったんだよ。これまでもプロレス界はそうしてきたのに。
これまでもプロレス暴露本なんかいくつもあったし、力道山時代は朝日新聞でも八百長だと叩かれたというのに。
高橋本を知らない世代のファンももうたくさんいるんだから、これからでも団体やマスコミもの態度次第では、夢を持てるプロレス界になるんだがな。
>>490 ああいうのこそ元子が若手に指示をして
つまみ出せば良かったのにと思う。
>>504 山田さんが解説クビになった経緯を知ると放送席達との関係はそんなに親密じゃなかった感じはするね。ドライ付き合いだったのかな
今更、自分を含むプオタに言ってもしかたないんだけど、どうもプオタは拗くれ具合がひどい。 新日ファンがわざわざカネを払って全日会場に足を運んでくるなんてのはその好例だ。 そしてやることはババ引退しろだの猪木コールだの、鶴田負けろだの。 近くの席にいたやつらがそうだったけど、気分は悪くなるよね、というか盛り下がる。 文句付けたら逆切れしてケンカ売ってきそうで、何もしなかったけど。 もうちょっとましなカネの使い方はあるだろうに、とはすごく思った。女に使うとか。
>>494 そういう暇なやつのせいで、
もう見に行かないってファンの方が多そうだ。
>>513 東スポを定年退職したから。本人はフリーとして続けたかったが団体があっさり切ったらしい
山田さんは日プロ時代に馬場の人柄に惚れたのと猪木の印象が悪かったのでメチャクチャ馬場に肩入れしてたらしいけど、馬場の試合や他の選手への思いは薄い気がする
マードックは人種差別主義者というより単なる黒人嫌いかな 新日本に移籍してからもビッグフットと言って馬場にゴチになりにきてたみたいだし
>>504 ニューステーション時代に小鉄が急死した時は旅館の暖房が壊れてたので二人で親子の
ように同じ布団で寝たと思い出を神妙に語り橋本が急死した時もプロレスラーは身を
削り戦っていると話していた。
倉持アナが本を出した時に倉持・古館対談のオファーを出したけど実現しなかったのを
とても残念がっていた。今なら実現できるかもね。
倉持はプロレスに全然興味ないからな 松永は同い年のジャンボとは仲良かったみたいだけど
まあ、全日ファン・新日ファンと別れてはいただろうけど 1番多かったのは両団体ともしっかり見て 観戦もカードによって良い方を選んで行く、「総合プロレスファン」だったと思うけどね 自分の周りもそんな感じで、ただし「両団体は見るけど女子プロは見ない」というのが1番多かった気がする ただし新日は金曜夜の放送だし、全日に比べて翌日に小中学校があったから 前夜の放送の感想や、雑談を話しやすかった優位性?はあったと思う あとは年齢的に塾や習い事のせいで新日が見れないとか、逆に全日が見れないとか そういう環境状況によってファンが別れてた事情もあったね
ここで文句言ってる奴は折角新日のフアンが文句だけ言いに全日に来たけど、リピーターにする力がないって認めてるから酷いよな。 新日に落とす金を全日に落とした時点で第一目標達成なのにw
リピーターにする力っていってる時点で 絵空事だな。新日的になれって言ってんだろ。 そういう悪質な客は 野次ってるが内心こっちの方がいいって思ってたりするし ますます捻くれてんのもいる。 全日は全日をやるだけ。猪木の真似する必要はないってこと。 客はヤジりながらもリピーターになってんのさ。
悪質客を新日と絡める必要はないな オー、オリャなんて新日関係ないし
524小西だが、 御茶らけコールは必要悪?不必要?の論議があったな。
>>503 山田さんは読売テレビの人には厳しかったぞ
>>525 よみうりテレビのパンフ丸読みのベテランアナ、酷かったな。あれで阪神とかの野球中継もやってたのかな?
>>503 田鶴浜さん別次元ワロタw
田鶴浜さんに関しては本人より先に、上でも書いたキン肉マンのパロディキャラのタザハマさんの方を先に知った
「まさか、こんなオッさん実在しないだろ」と思ってたら実物は漫画をはるかに凌駕する人で度肝抜かれたわ
>>527 でも何かで、田鶴浜さんが若い頃に書いた文献記事を読んだ事あるけど
武骨で切込みが深い文章だったよ
晩年は好々爺な愛嬌があるお爺ちゃんだったけど、伊達に長年業界にいるわけじゃないんだと思った
>>524 498 お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR) 2018/09/19(水) 23:20:04.55 ID:K4LaC1amK
497敷くなだが、
ファンクスが昭和全日の象徴だったな。
499 お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR) 2018/09/19(水) 23:20:56.98 ID:K4LaC1amK
498敷くわだが、
ハンセン移籍後の全日は変わったとの意見が多いぞ。
ズレてるの気づいてないバカガラケーw
くだらんダジャレはやるけど省略はアク禁にビビってできない模様w
>>520 そういうファンは多かった。
両方見る、と。
そんで新日と全日の比較はそのシリーズ、又はその週の放送内容だった。
『先週は新日の方が良かった』
『先週は全日の方が面白かった』
そんな具合だった。
最も好きなレスラーがどっちの団体にいたかもあったが。
でも好きなレスラーがいる方でもつまらないシリーズはあった。
単純につまらない。
茶番。
外した。
いいカード放送しても短時間両リンとか。
まだ子供だったから目も肥えてなかったし。
大昔の雑誌で『子供はテリーが好きだが、大人はドリーを支持する』とあった。
更に『子供はテリー、マスカラス、猪木で大人はドリー、ニック、レイス』と。
今となってはその意味がわかるわ。
>>522 フェイスロックに落とせコールなんて最高だよなw
山田さんは長年全日本を取材して解説までやってるさ中に、ニッカンに輪島全日入りをスクープされて東スポに居づらくなったんじゃないかな。
>>503 古館と小鉄・桜井は台本通り、打ち合わせ通りのやり取りをそのまま披露してる感じ。
若林も若干そんなところがあったけど、白々しさが鼻に突く。
倉持はそういうものから疎外されてるのか、やる気が無いのか、
試合がどう流れていくのかまったくわかってない感じだし、
リング上の光景、目の前で行われていることを正確に言葉に表せなかったり
表現や言葉自体を間違えたり無茶苦茶なところがある。
山田、竹内はそんな倉持の投げっぱなしを受け止めて、放送席の流れをただす役目といった印象。
倉持は学生時代は作家の笹沢左保の書生をやってって話だから マスコミ志望で日テレに入って仕事としてプロレスに関わってた事なんだろうな プロレスマスコミの連中からも嫌われてたって話だけど 本人にしてみれば読売グループの日テレと三流マスコミのプロレス記者を 一緒にするなっって事なんだろうけど
>>532 そういえば輪島デビュー前あたりから
日刊にプロレス結果が毎日載るようになったと思う、記憶に間違いがなければ
中学から私立行かされて電車通学だったから、新聞読んでる客の記事が目に入って知った
それまでは夕方に東スポ、週数回でレジャーニューズ、朝刊でデイリーだった
>>535 輪島のプロレス入りを、スクープしたのがニッカンだったような記憶がある。
ニュースステーションのレギュラー出演者だったマユ毛の濃い野崎記者も、
「これからのニッカンはプロレス報道にも力を入れます」とか宣言していた。
>>534 何年か前に出た倉持の著書読んだけど、酷い文だったけどねw
途中で読むの放棄しちゃった
>>533 倉持「ブルーザー ブロディとジミー スヌーカが入場して参りました。おっと、これは誰でしょうか?ウェスタンハットを被った大型の男…あ、スタン ハンセンだ!」
山田隆「ハンセンですよ!」
倉持「スタン ハンセンがセコンド!大ハプニングが起きました!」
ハンセンが全日本に乱入したとき、倉持は本当に全く知らなかったみたいだね
流れぶったぎって悪いが 馬場とヒロマツダの仲ってどうだったの?創成期、参戦していたようだが。 晩年は確執あったとか?
マツダが日プロに持ち上げられていた僅かな時間に馬場がどう思っていたか
>>528 田鶴浜は明治生まれだけあって、力道山時代以前の蘊蓄があるのが凄いよな。
ゴングで81年に「ザ・レスラーベスト100」の選考座談会をやった時も、プリモ・カルネラを「あいつは全米でスターだった」とか、最後にこれだけは推薦したい人はいますか?と聞かれてゴージャス・ジョージとか、
菊地孝とか山田隆とかの世代でも突っこめない重鎮オーラを出していたw。
倉持はプロレスを愛していない 愛のある古館に対談を断られて当然だ。
>>520 >「両団体は見るけど女子プロは見ない」というのが1番多かった気がする
まさにそのタイプだったけど…
前座は新日がダンチで面白いと思った。
龍原砲は好きだったけど
>>544 猛虎七番勝負フレアー戦を前にしたタイガーに
「山田さん、正直タイガーはフレアーには
勝てないでしょう!」
アナウンサーかま言う話じゃない。
しかも小馬鹿にした感じで。
馬場も猪木もマツダを自分のリングにあげてたから特に悪感情はなかtったんじゃないかと マツダを嫌っていたのはミスター珍 「あいつは力道山道場の練習がキツくて逃げた。ワシらは逃げんかったよ。」と晩年になっても松永に言ってたそうだ あとマティ鈴木が「マツダは地元フロリダでもたいして顔が広くない。」「国際プロレスの負債一切負わず 全て吉原に押し付けてアメリカに戻った。」と言っていたとか
>>541 マツダが帰国してサム・スティンボートらと試合をやり、馬場は驚いた。
手の合ったアメプロが綺麗だったから。
>>547 フロリダで顔が広くなければ、外人なのに団体の役員になれない。
フロリダにはゴッチ、マレンコら沢山のレスラーもいるが、
マツダが試合でもしっかりした技術があったからホーガン、ルーガーらが弟子入りした。
マティ鈴木と比べれば一目瞭然。
嫉妬のみで、グジグジ言うのはダメだわな いくら人気と金の世界だとは言え
テリー本によると、マードック最後の仕事は ビールのクアーズの宣伝マン 大きなバーに行って、客と一緒にビールを飲んでクアーズを注文してもらう。 コレをハシゴしてバーを回るという仕事らしい。 ギャラは結構よかったという。 俺もマードックと一緒に飲みたかった。 ところで、サムソンクツワダの記事読んだ人いる?
>>403 >Background in sports: Ringen(レスリング)
https://www.cagematch.net/?id=2& ;nr=629
>>519 数年前に出た全日本にインタビューがあった全日中継参加中でイギリス転勤になり
プロレスファンに挨拶しないままで消えたので心残りだったとか語っていた。
シークによる倉持アナ襲撃で額を縫った針数を当人が話を盛り始めて酒の席でどんどん
増えていくのが面白かったらしいw
>>552 >プロレスファンに挨拶しないままで消えたので心残りだった
それは松永氏の事だよね?
倉持氏は10年ぐらい前の雑誌のインタビューで
孫か息子に、解説最後の日に武道館でリング上でレスラー達に胴上げされてるビデオを見せたら
「こんなに偉いというか、慕われてる人だったんだと驚かれた」と言ってて満足気だったけどね
個々への内心の忸怩たる思いは別として、最後は何だかんだで悪い感情は無かったんじゃないかな?
山田隆の東スポ退社は定年退職ではなく別の複雑な理由があったと聞いている。 東スポ退社後も2年位はテレビ解説してたんだけどね。 フミ斉藤の話によると、番組の若返りを図りたいプロデューサー(今泉?)に解説を切られたらしい。
>>554 桜井に出世争いで負けて辞めたと聞いたが
山田隆は73年にヘーシンクの取材でアマリロにいた時、十二指腸潰瘍で緊急手術。 一命を取り留め、術後目覚めた時、テリーから「ヘイ、タカシ、ユーは助かったんだぜ」と言われた。 同じ病院では足を怪我して入院していたハンセンと一緒だった。
>>544 愛してないどころか見下してる感があるな。吉田豪のインタビューを読むと馬場ジャンボのことを格下視
してた事がよくわかるよ。レスラーは日銭稼ぎで自分は超一流企業の役職者、という意識がにじみ出てる。
プロレスアナだからこそインタビューされてるのにやたらバルセロナでの生活とフラメンコの方に話をも
ってこうとしてたなあ。
プロレス好きじゃなくても仕事なんだから真剣にやってくれればよい 倉持はやっぱり声が通っていいんだよね 低音の馬場 だみ声の山田 子ども声の竹内と組み合わさると ソウルコーラスグループみたいで音楽的なんだ
>>558 確かに興味が無くて知識が薄くても真剣にやってくれればいい。
後の若林アナや福澤アナはプロレスに興味あっても悪ふざけが多くて耳障りだった。
日本テレビの花形といえば巨人戦の実況アナウンサーだが、全日本プロレス中継もスポーツ局制作だったのが辛うじてプライドを保つことができたと語っていたね。
全日のレスラーは結婚式での司会を全員が倉持に頼んだそうだ。ただ天龍だけは畑違いの人〜落語家か?〜 にお願いしたそうだ。そのことを倉持は大分根にもってるらしきことを本人がいってたな。「天龍とは距離 ができてしまった」そうだが天龍には天龍の事情があるんだからそんなことをいつまでもグチグチ言うな と思ったね。
倉持w コイツがまともに実況してたら視聴率5%上がってたわw
>>562 同級生の楽太郎、今の圓楽に頼んだんだな。
馬場も唸るくらい素晴らしい司会だったらしい。
天龍はその事について倉持に謝ったと聞いた。別に謝る必要ないのに。なのにグチグチ言うのは心が狭すぎる。
倉持「そういえば、天龍さんは払いもいい人だった・・・、払いがダメな人?鶴田さんよ。徹底してた(苦笑)」 倉持「鶴田には、何人もタニマチを紹介したんですけどね。不動産屋とか劇場の持ち主とかゴルフ場の社長とか。 すると、紹介してご飯食べるまでは僕と一緒だけど、後は僕抜きでやるんです。鶴田ってのは、良くも悪くもそういう人で」 倉持「記者と行けば、払うのは記者の方だしね。だからあんまり連れまわさないの(笑) 自分で連れてってくれるのは、浅草だか亀戸だかにあった、親族のやってるスナックでしたよ。 払いも知れてるからね(笑)」
天龍の昔話は基本的に馬場鶴田が好きなことが伝わってくるから好きだが倉持のは当時から陰でバカにしてたことが伝わってきて不快になることが多い
外人レスラーには好かれてたのかな、本人曰くブッチャーは来日の度に当時日本で手に入りにくかった ジャックダニエルを4本持ってきてくれてたらしいしシークのお膝元に行った時はシーク喜び組の接待を 堪能したとも言っていた。まあ2人とも利にさといタイプのようだし倉持の背後に控える日テレに媚びを 売っていた可能性が高いが。
>>566 天龍のドキュメンタリー映画で、天龍が鶴田の墓の前で
「ジャンボは馬場さんと仲良くやってるかなあ…」
「ジャンボ!もう来ないよ、次に会うときは…」って言いながら天を指す
このシーン、良かったねえ…
>>554 山田さんは管理職で出世といっても結局執筆の現場から外された
桜井さんは「日本大戦争」や「馬場と猪木」みたいな大河連載があり
門馬さんはキャリアの割にプロレス著書が少ない気もするが趣味の呑み歩きや鉄道旅行などで
別名でライター仕事が多かったみたいだけど山田さんはそういう機会がなかった
倉持はレスラー村の住人じゃないから しょうがなかったのになあ。
放送席以外の山田さんって謎だわ 東スポ等で署名記事読んだことないしプロレス関係者や他の記者の裏話にも話題に出ない 竹内さんか菊地さんの記事で日本プロレスに派閥が出来た時に「俺は馬場派で行くよ」と記者仲間に宣言したくらいしかエピソードを知らん
ログが残ってるかわからないが、倉持のスペイン生活のブログで全日本のチャンコについて書いてた。 めちゃめちゃうまそうだった。 小鹿が作るつみれが最高で、鶴田や大仁田が給仕してくれたって楽しそうに振り返ってた。 山田隆さんは東スポ退社後、エロ本とか出してる小さい出版社だか編プロに籍を置いたらしいけど、謙虚に仕事してたらしい。
60歳で定年退職して65歳で死去か 肝硬変だから酒飲み過ぎたんだろうな プロレス現場を離れた寂しさからだとするとやりきれない
調べると山田さんの死去は1998年9月8日で65歳 倉持の引退が1990年でその前の年くらいに解説者引退だから56歳くらいで辞めたんだな ブロディ阿修羅輪島石川がいなくなって決起軍とかフットルースとか20代が出てきた時期ではあるな
全日本プロレス中継の解説していて完全に馬場シンパだったのに、昭和全日本プロレスのフィクサーとしてよく出てくる名前は森岡さんと竹内さんだけ。 山田さんには同情する。
>>552 松永さんはジャンボ鶴田が亡くなったとき涙を流して悲しんでいた
徳光のような演技力はないと思うので
日テレ歴代No.1の好印象
倉持はケーブルテレビ向けの分裂前のジャパン女子の 実況もバイトでやってたんだよな
>>577 俺は時々アナウンサーが言うべき実況を大声で叫ぶ竹内さんが嫌いで生き字引のような山田さん大好きだったが全日本の関係者は逆の印象だったようだね
竹内さんは平成に入っての解説やゴングの記事等で大好きにかわったけど
辻若林スレでも書かせてもらったが、ワープロの健介vs川田戦での竹内の解説は痛快だった。
山田はなあ。一般スポーツの解説者だったら、例の81年最強タッグ最終戦でハンセンが場外でテリーにラリアット見舞った時点で「これは反則負けですよ。レフェリーはなぜゴング鳴らさないんでしょうね」というべきところ、 テリーを気遣って場外に降りたドリーに対して「早くリングに上がらないとだめですね」とか平然と話していたからな。 今となってはアナも解説者もブックの片棒かついでいたことは理解できるんだけど。当時は何言ってるんだコイツらはとしか思えなかったね。
>>578 松永アナは馬場が亡くなった翌日、当時司会してたルックルックこんにちはで
馬場夫妻が仲人を行った自身の結婚式の写真を見せて思い出を語り、
「全日本プロレスの選手のみなさん、馬場さんが作った全日本プロレスを守ってください!」
と切実に訴えていたのが印象に残っている。
松永は一生懸命さが伝わってきた。 福澤はジャストミートって野球用語だろ。プロレスに合わないと思った。 古舘は猪木猪木ってうるせえこの野郎!と思った。 若林は必死さが鼻についた。 倉持は安心して聞いてられた絶叫が大好きだった。
>>586 船橋アナは今も健在でラジオや雑誌でプロレス実況アナ時代を語っているけど清水アナ
や国プロアワーの杉浦アナは定年退職後に数年で早世している・・・
徳光Jrと倉持Jrはともにプロレスファンで特に倉持Jrは徳光Jrがラジオにグスト出演した時に
に深夜ながら応援メールをしたり倉持本の資料収集を行っていた。
その時に「どっちの息子さんだろう?」と徳光Jrが話していたので徳光と倉持家が
男二人兄弟なのがわかった。
ちなみ倉持家は荻窪にあってどっちかの息子夫婦が継いでいるらしい。
ちょい話変わるが、2フォール&ギブ以外王座移動無しのNWA王座戦3本勝負の 一本目で早々に反則裁定が出ちゃう試合ってあったのかな? あってはならないよね、ある意味w
蔵前でインターを奪取したときの実況が松永さんだったなぁと、当時思い出した
女子プロ観ない派だったけど、何故か氏家のコールだけが印象深い。 百田やアッサリした原軍治に慣れていただけかもしれんが。
>>588 IWA世界ヘビー級選手権
挑戦者マッドドッグ・バション( 2-1)王者マイティ井上
@バション(変形スリーパー)
A両者リングアウト
バションが2-1で勝ち、新王者となる。
>>591 >>588 は「2フォール以外王座移動なしのNWA王座戦で」って書いてるだろw
>>592 ルー・テーズがジン・キニスキーにNWAを取られた時は反則負けだった。
>>578 松永泣いてたな、、、たしかルックルックこんにちはだったかな。
「鶴さん、黙っていっちゃうなんてずるいよ、早すぎるよ、」こんな感じだった。比べて悪いが倉持の打算的
な付き合いじゃなく本当に仲が良かったんかなと思った。仕事とはいえ友人の死をアナウンスするのはつらい
ことだろう。
いつのかはわからないけど レイス←ローデス間の移動でも反則だかリングアウトだかがなかったかな。
https://yaplog.jp/highkick/archive/299 8月26日フロリダ州オーランド・ミュンシパル・アリーナ 観衆8000人
NWA世界ヘビー級選手権 60分1本勝負
ハーリー・レイス(1-0)ダスティ・ローデス
@レイス(19分4秒体固め)
※レイスがタイトルを奪回。第54代NWA世界王者となる。
(注)当時の雑誌等でローデスのオーバー・ザ・トップロープにより、レイスの反則勝ち。
NWAの新ルールにより反則でもタイトルが移動したという報道がありましたが、
ピンフォール勝ちによるタイトル移動のようです。
>>592 フォローどうもw。そーいう話です。。
まあでもキニスキーが反則で獲得とか、天下の?NWAでも怪しい部分はあるな。。
逆にきっちりルールに沿ったおかげで命拾いしたのがNWFだがオハイオでの猪木とEラッド戦かな。
猪木が負けたんだが反則なので移動無しだったような。。
598 コクわ だが、 ローデスは王者として全日に参戦が発表されてたな。
1981年の春に引き抜き合戦が始まった後あたりだね>ローデスの全日参加 「ローデスは全日参加したくないので王座を返上すると言っている」って報道に対して 「我々はNWA王者を呼びたいのでありローデスを呼びたいわけではない ローデスが返上したら返上後のNWA王者を呼ぶので全く問題は無い」が全日の答えだった 実のところはローデスは短期の王者でフレアーにNWA王座は移るって 全日は知っていたんだろうけど
NWA王者がレイスやローデスならわかるんだが、フレアーにテリーが挑戦って違和感あったな。
>>599 馬場「全日本に来たくないというローデスに王者でいて欲しくない」
とローデスが王者のままならフレアーとデビアスを呼んでローデスに挑戦させるという話を子供だったから信じてしまった
ローデスがあのファイトスタイルで新日、いや猪木シンパ?というのが意外 詳しくは知らんけど、このスレで知っただけだけど あと時期的にはカブキの凱旋シリーズの時期だったかな? 友達の兄ちゃんが東スポ版の、カラーの綺麗な新聞を毎週か毎月買ってたけど ミッドナイト・ライダー?とかいう正体がローデスとバレバレの覆面が出てて 毎回フレアーを襲撃してた記事を覚えてる その一年後ぐらいに新日の正月シリーズに来日して、猪木とシングルやってたけど 動くローデスをみたのは初めてだったので、あのたるんだ肉が子供心にショックだった。
ローデスはベルトと一緒に 寝るほどNWA王座にこだわっていた
精神的な部分で猪木にシンパシーを感じたってのは雑誌なんかで見たな。カリスマ性という部分。 まさか馬場がローデスを買っていないのを本人が見越しての発言じゃないだろうけどww
81年秋のジャイアントシリーズにローデス参戦が掲載されたな。 NWA王者として。 この時代はフレアーよりローデスの方が日本では知名度があった。 あのまんまローデスが全日参戦したら面白かったが。 その直後にNWA奪取されて年末は新日に。 あの時代に全日と新日をハシゴ参戦したらある意味で歴史的な快挙。 90年にウイリアムスがハシゴ参戦したが、こちらはそれが可能な時代。 81年頃なら凄いことだ。
>>517 亀でスマンが橋本が亡くなった時の
「僕は彼の死は『殉職』だと思っています」
という古舘のコメントはけだし名言だと感心した
残念ながら他のアナ特に辻や福澤にはこういう単語がふっと出て来るセンスが無いんだよね
>>561 芦澤俊美を中心としたボクシング閥に社内での勢力争いで圧倒されて
清水一郎から引き継いだプロレス閥を日陰の立場に押し止められてしまった負い目もあったんじゃないのかな倉持には
>>569 門馬は東スポ出版局から何故か神社仏閣で使用される瓦だとか
各地の観光地や史跡の石段を取り上げた本を出したりして
あれで意外にマニアックな趣味があって尚且それを文筆業にも生かす才覚と豊富な知識量があった
>>599 >>601 >>604 ローデスは有名なテリーとの確執(というかテリーが一方的にローデスへの恨みを根に持ち続けていたんだけど)があったから
テリーからある事無い事吹き込まれていた馬場の印象が良くなかったんじゃないの?
>>597 猪木ラッド戦は映像だけ見てると
ラッドのフォール勝ちは無効扱いなんじゃないかな?
そうでなければベルト持って引き上げるラッドに
場外カウントをとってる意味がわからない
>>608 確かにローデスは喧嘩屋やからな
日本で本気にやり合う相手はオランダ
>>609 そうなんだ、ならマードックとのテキサス・アウトローズってモロ喧嘩強いチームだったんだな
そりゃあ当然や、ブルザー、クラッシャーとやりあってたんだからな ローデスがブチキレると、相棒のマードックでさえ抑えられなかったんだ
平成になってからは全日本プロレス中継出身のディレクターが どんどん出世して偉くなったことでプロレス実況班が 箱根駅伝を取り仕切るような大所帯になってたのにな。 まあ今じゃノアがあんな感じになって実質解体状態にな ってしまったが
ハンセンはよく腹下してたって話だな。 ピーターが何かの雑誌で「ああ見えて、奴は神経質なんだ」 と言ってた。
新間がローデスを『新日版テリー』にしようとしていた、 ローデスはシンやハンセンとの試合は光った。 状況的にやられまくるベビーが似合ってた。 また逆にシンやハンセンもローデスと対戦すると光った。 ハンセンは極悪ヒールではなかったが、ローデス戦では極悪ヒールに。 ハンセンが全日でファンクス特にテリー戦で極悪ヒールと化したのと同じく。 当時のローデスは“猪木のパートナー”という美味しい立場で。 新日でマードックと組んだのは良かったが、ヒールターンではベビーの頃の人気は得られず。 ブッチャー戦も良かったけど。
81年頃の月刊プロレスのインタビューでローデスが 「ファンクスは日本でチヤホヤされてますが あんなものはアメリカでは人気のない単なる田舎の悪役です。 私の方が人気があります。私はNYのスターです」なんて調子で ローデスを人格者扱いしたいのか言葉使いを丁寧にした 笑止千万の気持ち悪い不自然なファンクス下げをやってたな。 この救いようのない幼稚さから見ると、 ローデスの発言というより新間か倍賞が台本描いたんだろうけどw 当然、ローデスのインタビュー程度では 引退宣言したテリー人気に傷一つ付けることもできなかった。
ローデスなんて尻フリ野郎が人気あるのはアメリカ人の知的水準が低いからだ。
大塚が言うには大塚が知る限り新日外人でギャラ最高額はローデスだったそうだ アンドレはみなが思っているほど高くない 高かったらあんなに頻繁に日本に呼べなかったと言っていた
ローデスなんてハンセンの動きについていけなかったじゃん 日本的なプロレスはできなかったぞ
ローデスのプロレスアルバムが出たのはちょっと意外だったな
櫻井の野郎もレイスやフレアーを糞ミソのくせにローデスは解説でほめてたからな とんだ新日太鼓持ち野郎だぜ
>>617 元々「「アメリカン・ドリーム」という愛称自体が
日本ではまさにシンデレラボーイ的成功者の人気者みたいに紹介されてたけど
あれ実際は田舎出身の典型的なプアホワイトのレッドネックで
ルックスも太ってブサイクなローデスがプロレスといういわば賎業で
同じ田舎のプアホワイト層の支持集めて人気者の大成功者になったっていう
皮肉込みの反語的・ギミック的愛称だからね
“ハンサム”ハーリー・レイスとかと同じニュアンス
ネイチャー・ボーイやワイルド・ファイヤーも同じだね
>>626 なんか目からうろこというか、
今まで「和製アメリカンドリーム」って愛称をすごく難解に感じてたんだけど
>>626 を見て腑に落ちた。
ロッキー羽田だから映画「ロッキー」的なアメリカンドリームって解釈するから
意味不明になるけど、中身はローデスのアメリカンドリームを拝借してたんだ。
田舎のブサイクな貧乏人が相撲でもダメでプロレスに流れ、アメリカ修行から凱旋して一気にスターに!
当初の目論みからはかなり外れたけど「和製アメリカンドリーム」、羽田にピッタリな愛称だったんだ。
>>628 まあ羽田の場合はそこまで深く考えてっていうより
単に世間の「ロッキー」人気に乗っかっただけって気もするけどw
そも「ロッキー」の主人公自体が言ってみりゃ
南部のレッドネックとフィラデルフィアのイタリア移民の子という違いあれど
そういうプアホワイトの役柄なわけでね
だからローデスのあのわざとらしいカーリーヘアのかつらも
(客はちゃんとあれを衣装の一部としてのヅラということを認識してる)
キンキラのゴージャスなガウンも
“金だけは持ったけど悪趣味で立ち振る舞いも品の無いいかにもな成金趣味”という
キャラクターのカリカチュアライズね
>>627 それそれw
態度は尊大でキンキラ趣味なのにそのくせピンチになると姑息なことばかりしてる“野生児”や
ブロンド童顔のハンサムでそれほど大柄でもない品行方正風の若造が“野生の炎”だったりするやつね
ローデスといえば当初「極道」だったなw
>>607 一本目が両者KOでこれは(0−0)で「ノーカウント」、2本目ラッドがフォールしても
カウントはまだその時点ではラッド(1−0)猪木なので、試合は続行中という解釈では? >場外カウント
で引き分けで終わるという、このNWFルールもややこしいな。。
>>632 それではラッドが試合のルールをわかっていない事になる
>>630 ロッキーの映画人気に乗っかっただけだよ。
大仁田の方がスタローンのロッキー・バルボアっぽい雰囲気があった。
号泣してエイドリアン!!
新日がナガサキをランボー桜田にしたのと同じ。
>>633 うむ。。、そうとしか言いようがないな。
高橋本でも試合開始前のルール説明時にラッドが「ブック忘れた」とかの記述があるがw
バカなんだろうな。。
>>626 “ハンサム”ハーリー・レイスはアメリカのヤクザからじゃないの?
醜男だからハンサムなんでしょ 強面のプリティボーイやミゼットのビッグマンと同じ
ロッキーっていうのはカブキがつけた、っていうかあだ名にしてたら、 田中印刷のオヤジが勝手にハンコ作ってきてそのまま使い始めたそうだ
>>628 ローデスって、説明するまでもなく
デブのブ男だろ?
キャラも南部の配管工の息子
それが煌びやかなコスチュームを
着て、尻振りダンスをする。
これは「お笑い」なんだよな。
それを、アメリカではスーパースターだ!
本当に「格好良い」と勘違いした
当時の日本のファンは痛いよ。
痛い!脳天砕きより痛い。
>>636 うん
だからレイスオリジナルの愛称っていうことじゃなくて
向こうの文化?としてそういう醜男とかゴツイ強面が
反語とか皮肉的にそういう風に名乗ったり呼ばれたりする慣習が元々あって
レイスの愛称もそれに則ったものってことね
ロッキーやランボーって、スタローンとか関係者に少しは商標使用料とか払ってるんだろうかw。
プリティボーイ、スーパースターとか誇張したニックネームを付けるのはプロ。 日本だとハンサム・ジャンボ鶴田とかやって、 何がハンサムだ!? カバみたいな顔しやがってとか客を煽るのはやらないな。 ビューティフル木村健悟もいい。
>>643 マキ上田は綺麗だったがジャッキー佐藤はボーイッシュだから誇張はあるよな。
ゴールデンペアもアメリカのゴールデンボーイみたいな誇張。
ハンサム・ハーリー・レイスは有名なギャングが ベビーフェース・ネルソンとかプリティボーイ・フロイドとか名乗っていた事に あやかったリングネームだよ 日本で言えば清水次郎長にあやかるようなもんかな
フレアーの「狂乱の貴公子」は誰が発明wしたのかね 少年サンデーの梶原一騎かと思ってたら40年前の無冠時代でも倉持にそう呼ばれていたし 後のF1ブーム「音速の貴公子」に古舘が流用したのだからすごいネーミングなんだが
>>651 ハンサムなのにけっこうどぎつい反則やハードな流血戦やってたからじゃない?
あの信頼のおけるプロレススーパースター列伝でそんな感じに描かれてた気がする。
>>651 「狂乱の貴公子」は日本専用キャッチじゃないかね?
そうだとしたら昔のように東スポが付けたか
TV中継の次期シリーズ案内やパンフ用なんかに新たに考えた、
となるとやっぱり竹内さんあたりじゃない?
とりあえず70年代半ば以降のこういうのは
真偽の如何に拘わらず全部竹内さんにおっ被せとけばいいと思うw
マスクドスーパースター ロンスター ベビーフェース ジョニーエース 名前が紛らわしい時がある。 カートアングル これは別の意味で紛らわしい。
あっちではパワーハウス、発電所だけだよね。 「人間」をつけるのはちょっとだけ人格を付けたかったんだろうな。 どうもただのモノだと感情移入しにくくなるとでも思ったんじゃないかな。 今なら神とだけされるゴッチも神様とつける時代だ。 山脈や風車、起重機、台風などバリエーションが付けられて便利だし。
発電所は英語ではpower house。 これでだいたいわかるだろう。
“Mr.ワンダフル” ポール・オンドーフ “トータルパッケージ” レックス・ルーガー “Mr.パーフェクト” カート・ヘニング “ビューティフル”ボビー・イートン
>>615 ボックもアマチュア時代にあまり実績が残せなかったは大会に前になると下痢になったり
体調管理し失敗したり精神的な弱さがあったからと当人が語っていたのは意外だった。
>>638 川田が新人時代にパンフの本日のカードのハンコでカタカナで「カワダ」だったのは
新人が来ても「どうせすぐに辞めるから・・・」と新しく作ってのもったいないので
過去に来た外人レスラーの印字を寄せ集めたからと言う話を聞いて長年の謎がやっと
解けた。
レスリングスタイルで"Powerhouse"があるでしょ。
プロレス以外でもPowerhouseって発電所以外の意味で使うみたいだけど。
http://fantasysports.wikia.com/wiki/Pro_Wrestling_Styles >>653 狂乱の貴公子はおっしゃる通り日本専用。
アメリカでは(日本でも併用して)ネイチャーボーイ。
フレアーのニックネーム
"Ramblin'" Ricky Rhodes
"(The) Nature Boy"
"Naitch"
"I Da! Ba-Loot!"
"The Dirtiest Player in the Game"
"Stylin' and Profilin'"
"The Man"
"The Alimony Pony"
"Jet Flying, Limousine Ridin', Kiss Stealin', Wheelin' Dealin', Son of a Gun"
"Space Mountain"
"The Sixty-Minute Man"
"Slick Ric"
"The Master of the Figure-Four"
"The Golden Stallion"
"Wrestling God"
"The Original Party Animal"
"Old Yeller"
http://prowrestling.wikia.com/wiki/Ric_Flair ルー・テーズは20世紀最大のレスラー“鉄人”ルー・テーズと言われるが、 アメリカでのニックネームは聞かないな。 オコーナー、キニスキー、ガニア、ニック、ブリスコ、ファンクス、ブルーザー・・・ アメリカでは名前だけでニックネームは付いていない。
>>642 「最強」高田延彦とか「キングオブスポーツ」新日本とかあるよな
アメプロビデオで斎藤文彦が言っていた「希代の大風呂敷、リック・フレアー」ってのが好きだったな
>>661 ネイチャーボーイの元祖はバディ・ロジャース
ニックもモチーフはバディ・ロジャースだね
白っぽいモーツァルトのような金髪が真っ赤に流血で染まると ハンセンのそれとは全く違ったな。狂乱の貴公子は。
櫻井康雄がフレアーをボロカス言っていたな、バディロジャースのパチモンだとか。 当時は解説者などの評論家も、こぞって他団体をこき下ろす風潮があった。
AVタイトルで面白いのは多いよな 家政婦のまた、前戯なき戦い、大きなクリの木下です、ウルトラの乳、 セーラー服と一晩中、ファック・トゥ・ザ・ティーチャー、ジャパネットはだか・・・
>>670 新日81年MSGタッグのパンフ内での桜井の文献だな。
タイトルが「NWAの危機を救うのはIWGP」というw
その文中で新NWA王者フレアーをロジャースの亜流と揶揄してる。
(プロレス評論家 田鶴浜弘 談)としてw
そんなフレアーが平壌の切り札とは 90年代に出たムック本で、これ以上はいない猪木シンパ、ファイトのI編集長が、 オールタイム猪木ベストマッチでフレアー戦を1位にしていた
フレアーは貴族であって王族ではないでしょ 王者の風格あるのは馬場ニックレイスの三人
ダスロは新日本参戦時、何をフィニッシュに使ってたんかな
>>670 >>672-674 田鶴浜もフレアーへの評価は低かった
尤も田鶴浜はフレアー以上にレイスを世界王者としては品が無さ過ぎると毛嫌いしていたけど
>>675 そりゃエルボードロップに決まってますわな
>>663 ブルーザーは、それがニックネームだろが。
ブルーザーのニックネーム、「生傷男って実は弱いんじゃねーか」ったビートたけしがラジオで言ってたな
ブルクラをリアルで見たかったなあ。 シンもブッチャーもかわいく見えるそうだ。 それは大袈裟だろうけど。 でもブルクラとウォリアーズでは『大人と子供以上の差がある』と竹内氏は言ってた。 ウォリアーズ初来日の鶴龍戦でのウォリアーズの評価だが。 でもブルクラとウォリアーズではそもそもタイプが違うかんな。 同じタッグチーム専門ってだけで。 ブルクラは個々にシングルもやったが、ウォリアーズは専ら(もっぱら)タッグ専門。
子供の時、骨折王ホイッパー・ビリー・ワトソンって書いてるの読んで骨折多いなんて弱すぎだろ? なんで骨折ばっかしてんのにNWA世界タイトル取ってんの??って思ってた
>>654 紛らわしいのはナチギミック。 ラシクやクラップはもう個性が際立ってるからいいが
クルトフォンストロハイムとカールフォンストロハイム兄弟、
クルトフォンスタイガーとカールフォンスタイガー兄弟、
クルトフォンヘスとカールフォンショッツの戦犯コンビ
>>671 セックスあんたとしてぇみたいなタイトルを見たとき、ホントにこの業界の人間は天才かと思ったわw
>>683 アメリカではナチより大日本帝国やソ連のほうが感情移入しやすいんじゃないかな?
特にテネシー州は太平洋戦争で多くの兵士を戦場に送り戦死者だして今でも反日感情が強いというしね。
アメリカはフォードなど反ユダヤ=親ナチの大物が多かった。
>>681 別に大袈裟じゃないだろ。
ブッチャー、シンは別に恐くはないが、
ブルクラは見るからに迫力がすごいやん。
>>681 ジム・コルネットはブルクラよりウォリアーズの方が迫力が凄かったと言ってたな
スタイガーは馬場の片腕? ハワイの別荘の管理人、麻雀仲間説も。
>>686 んじゃあお前さんはシンやブッチャーが目の前から迫ってきても怖かないんかいな?
全盛期の二人と仮定してだ。
二人とも大きいし、迫力威圧感が凄いぞ。
>>688 晩年になればなるほど来日のスパンが
短くなってたよね。
AVタイトル大喜利は各社必死に取り組んでるよな。 個人的には「奥が細道」が好き。
義母・愛子ってのもあったな というか何だよこのスレw
AV女優の名前もいいよな。 あいだもも(ももの間)、多摩蘭、具志堅ヨウコ、木村健子
スタイガーは員数レスラーなのに頻繁に来日する謎の存在だった
エリックは別格として、 スタイガー、クルト・フォン・ヘスはラシク、クラップのような シリーズの主軸、副将格にもなれない地味な印象。
>>681 >>686-687 G+で日プロに上がった当時代のブル/クラ対馬場のインター戦を見た限りだと
クラッシャーは腕が太くてスピードもあって後のシンみたいなファイトスタイルだからかなり手強さを感じさせた
一方でブルーザーは今の感覚や基準で見てもちょっと小さ過ぎるな
勿論容赦無くカタいパンチや蹴りを繰り出してくるから怖れられ嫌がられてはいたんだろうけど
それもプロモーターを兼任して強い政治力と幅広い人脈があった事と
今のみのるやヒデオ・イタミと一緒で小柄な体格だったから
仮にガチ当てされても致命傷になる可能性は少ないしまあいいかと許容されていた面が多分にあったんだと思う
ブルーザーは国際に来たときはかなり弛んでいたけど、クラッシャーはウォリアーズとやってた頃でもかなり張りのある身体を維持してたな。 ビールをがぶ飲みしたり豪放磊落なイメージをアピールしつつ裏ではしっかり体調管理していたんだろうな。
>>684 人から聞いた話だが、棚卸しでタイトル読み上げてる女子社員を目撃したやつが
神妙に話してたなあ。
開き直ってるとか。
>>694 樹まり子が引退してる間に樹(みき)まり子ってのが出て知らずに借りたのはいい思い出
>>697 アホと違うか?
あんな頑丈そうなレスラーは後にも先にも見たことがないわ。
上背はなくても、相当なパワーだったろう。
ブルクラどっちのことだか覚えてないけど 山本小鉄が言うには彼らの実力は五分五分ではなく 七分三分くらいの差があったって ファイト見たことある人はどっちだと思う
ブルクラは、大仁田が呼ぼうとしてたんだよな。 ブルーザーが亡くなって、実現しなかったが 残念。
ブルーザー、コワルスキー、馬場が世界三大悪党とよばれてたなあ
>>703 馬場は100対95くらいでブルーザーが上と言ってたな。
>>689 498 お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR) 2018/09/19(水) 23:20:04.55 ID:K4LaC1amK
497敷くなだが、
ファンクスが昭和全日の象徴だったな。
499 お前名無しだろ (ガラプー KK4f-dXVR) 2018/09/19(水) 23:20:56.98 ID:K4LaC1amK
498敷くわだが、
ハンセン移籍後の全日は変わったとの意見が多いぞ。
ズレてるの気づいてないバカガラケーw
くだらんダジャレはやるけど省略はアク禁にビビってできない模様w
ブルーザー対エリックの写真を見たことがあるが 写真だけで超ド迫力だった この2人は本当に絵になる ハンセン対アンドレ以上だと思った
平成になってから絵になったのって ハンセンVSベイダーくらいだったな・・
同じ悪党でもブルクラはギャング系だが、シンは狂人系だからどっちが怖いとかいったらシンの方が怖かったろ。
>>710 凄みでいったら圧倒的にブルクラだろ。
怖いの意味が違うわ。
ブッチャーは風貌に愛嬌があるせいで 怖いという感じは弱い 54年あたりからはむしろ人気者になってた
ブッチャーとCMで組んでいた子ってCM放映直後に大麻で逮捕されてたんだね
>>655 この人もその筋では人間発電所と呼ばれている。
VIDEO >>698 晩年に「日本のビールは最高だ!アサヒ、サツポロ・・・・」とコメントしていた。
ブルーザーは陽気でクラッシャーはちょっと気難しい感じだと馬場は書いていたな ブルーザーは馬場に会うと「よお、キッド!元気か!」と声をかけてくるとか
>>703 小鉄「クラッシャーは体が硬くて直線的だった。ブルーザーの方が全然上だった」
小さい版型の頃の宝島ムックに載ってた リソワスキーの写真が怖くてなあ メリケンサックつけて馬場を追い回してる感じのヤツ いくらプロレスとはいえ、あんな奴らとやり合うのはヤダねえ
>>698 クラッシャーと体調管理とはあんまり結びつかないわ。
ブルーザーは葉巻を咥えているのがパブリックイメージで
健康で長生きとは思いにくいね。
、
クラッシャーのマイクガブリが テリー引退特番で放送されてたね
馬場の3000試合記念の頃にクラッシャー戦を放送して 試合後に若いアナウンサーがビビりながらクラッシャーにインタビューしてた 後の徳光である
>>712 ブッチャーには愛嬌と哀愁が漂う。日本のファンはそれを察知した。
海外ではあくまで「スーダンの狂人」。
クラッシャーが警官時代、容疑者を殴りすぎて免職、 ブルーザーはフットボールで大学推薦入学するも行く先々で喧嘩を起こし、放校処分だっけ。
725何語?だが、
>>722 ブッチャーは初来日時には『スーダンの人食い怪物』と形容されたらしい。
>>725 マジで気持ち悪いから死んでくれないか?
ブルーザーは、中学生ぐらいの時からカジノに出入りしてたって話あったような。 大学は喧嘩ばかりやって、何回も追い出されたり、どんだけヤクザな性分なんだかw
>>725 プロレス板しか生き甲斐が無いキチガイ
みんな喜ぶから早く氏ねよ
米国のレスラーって大卒が多いのが意外だよな。スポーツ特待ばかりなんだろうけど。 ブルーザーも「極道」で売るのなら高校で教師殴って退学になったというプロフィールの方がぴったりなんだが。
日本で言う中卒は テーズくらいかな? あと、14歳でデビューしたTゴディも?
日本と違って入門すれば団体に所属して衣食住が保証されるってわけでもなく 移動や食費も自腹の当時の米では プロモーターやトップレスラーなど関係者のコネがあるかレスラー養成学校出身か 大学の体育会でそれなりの実績でもあるかじゃないと プロレスラーとして採用されないし運よく採用されても試合も少ないうえ ギャラも安いジョバ―しかないので食ってけなかったとかかな?
アメリカのプロスポーツリーグは高卒で入団になっても レベルについて行けずに数年でクビになる可能性がかなり高いから それならスポーツ奨学金が貰える大卒で保険をかけたほうが良い。
>>734 ハンセンJrはMLBのマリナーズにドラフトで指名されるも大成せず大学に進学して今は
銀行に勤務していると不沈艦が語っていた。
>>735 ウォーリアーズも大卒。でもシカゴで二人はドブネズミを喰って大きくなったと
喧伝されていたw
>>732 百田光雄が以前「テリー・ゴディが酒と薬物依存になったのは、周りに大卒レスラーが増え始めてコンプレックスのようなものを抱えていたからではないか」と話していた。
確かに、ファンクス、ハンセン、ブロディ(中退)、デビアス、ウィリアムス、スパイビー、ロトンド、スタイナー兄弟とゴディの周りには大学出身者が多かった。
「バーシティクラブ」はまさにそれをギミックにしていたし。
>>736 ウォリアーズといえば「タバスコ一気飲み」
あれダミーだったのに来日の際本物を用意されて酷い目にあったとかいう話が好き
>>736 世界のプロレスだ、ナレーターの山田康夫が、
「レスラーのエピソードはつくり話が多いが、ウォリアーズのネズミのエピソードは本当の話だ」
とまで言っていたのに、騙されたw
>>737 大卒コンプレックス?
レスラーで大成功してるのに、そんなわけあるかいな。
そういう意味では現在のWWEのように オーディション→トレーニング→下部団体で経験積みながらセレクション→トップ昇格 の方がいろんな意味で合理的ではあるのかねえ
>>741 合理的と言えば合理的だが、色々な所から色々な選手がという形はなくなり、
まだ見ぬ強豪みたいな選手はいなくなるな。
>>738 ブルーザーがマスコミが撮影用に切れ目の入った東京都の電話帳を用意したら、入ってないのを持ってこいと言い放ち、切れ目の入ってない方をちぎってみせたという話が好き。
創作だったとしてもブルーザーの豪快エピとして最高。
>>743 一緒にいたクラッシャーが切れ目の入った方を手に取って
切れ目の反対側から引き裂いた。
オットーワンツが得意だった、電話帳破り。
ギネスブックに載っていたとのこと。
VIDEO >>740 そしてどうしても出てくる、「鶴田、中央大学出身、谷津、日本大学出身〜」www
アメリカのレスラーはやはり土地柄か?アメフト(プロの)上がりの選手が多い。
古くはレオノメリーニ、ワフー、Eラッド、スティーブウイリアムス。。
やっぱコンタクトスポーツだし親和性はあるな。
日本で相撲上がりが多いようなもんか。 あと、日米問わずアマレスやってたのも多いが ウィリアムスはアマレスとフットボール掛け持ちだったか。
オブライトは地元のネブラスカ大だったよね コスチュームにもNの字が入ってたから
サブゥーはレスラーになりたいってシークに言ったら 付き人にさせられたんだよな シークは最初は関係者に血縁は明してなかったとか
ワフーあたりはプロフットボールのオフシーズンにプロレスをやるという副業的な二足わらじだったそうだ。
ピートロバーツが柔道出身だと初めて知った時、意外な気がした。
>>751 クリス・アダムスは自身も柔道やってたけど実兄が五輪メダリストなんだよね。
アダムスは柔道のほか空手もやってた。タイガーに食らわしたトラースキックは見事だった。タイガー口の中切ってたな。
>>752 これは知らなかった。
兄貴の事も自身が空手やってたことも・・。
あと、全日新日と短い期間に続けて上がったクラウスワラスも柔道やってたんだよな。
あの山下とも対戦経験あったとか。
プロレスでも、ほとんど印象無かったな。
地味にジョバーやってたようだが。
ピートロバーツって鶴田にエルボースマッシュ食らって顔を真っ赤にしてた印象しかない
ニックは風貌も発言もインテリっぽいが、15歳でデビューしてるから中学か高校までの学歴ってことか。
>>754 あっ、弟さんすか。指摘サンクスです。
アダムスも生きてたらこんな感じのおっさんになってたんかな。
>>747 アメリカはカレッジスポーツになると日本以上に競技ごとのカーストはっきりしてるからなあ
男性だとアメフト>>>バスケ>>陸上/レスリング>>>その他
怪獣や宇宙人も蹴散らす馬場が最強
ところで疑問だが 日本は道場マットや相手がいるからロープワーク、新技の練習が出きるが フリーランスのアメリカはどうやって練習環境を作ってたのか?
というか昔は実際のプロレスのリングってどんなもんかって謎だったなあ よく「マットといっても一枚下は羽目板だ」みたいなそれだけキツいんだぜみたいな話はあったけど 小学校や中学校の頃はマット運動用のマット、高飛び用のマット、 ご家庭内のマットレスや敷布団、ベッドのスプリング入りマットレス 〜どれもイマイチ“ホンモノ”っぽくない気がしてたな 高校入って実際にアマレスのマットの上でレスリングやって 「ああ、さすがこれピッタリ、いいわあ〜」と思った思い出
アメリカのレスラーはバックドロップ、ジャーマン、パワーボム なんかの受身ができない奴は多かったな 試合でもここらへんの技は極一部を除いて使われることはなかったし
>>762 新日本のリングは音からして、いかにも固そうなマットだったな
蝶野氏も受身とっただけで頭がクラクラしてたっていってたし
ふわふわだと衝撃は吸収されるだろうけど、柔らかい分足取られて疲れそうではあるわな。
>>766 全日のリングはデカイ外人が多いから昔から柔らかめだったとか
派生団体のノアも踏襲してるんだろうんな
もう一つの派生団体のFMWのリングは固くて怪我人が多かった
>>764 格闘技戦の興行の時はスプリングは調整して普段より固めにしてた
それでも弾むと文句を言ってたのが極真のウィリー
>>766 プロ野球の球場の人工芝でも違いがあって東京ドームはフカフカで慣れていないと
足を取られると思ったけど西武ドームや千葉マリンはフカフカでは無かった
>>739 すげえ笑えたw
まるで漫画の「プロレス・スーパースター列伝」の(A・猪木談)の語り口調みたいだw
あれも「〇○は実際は△△だが〜これだけは本物」と二段構えの猪木の言い方だった
でも、その(猪木談)もどこまで…w
>>736 、
>>739 タニマチに食事に招かれるたびにネズミがでてくるので「あれは嘘」ってことにしたんだぞ
>>768 新日はスプリングで衝撃を吸収するからリング全体が沈む感じ。
全日は場外マットと同じマットをひいてるから、足当たりが柔らかい。
川田は、リング上で皆が練習するから真ん中のクッションが 全部端っこに寄ってしまって、結局板の上で受け身取る事になって、その後遺症が今もあるとか、話してたな。
リングのコンディションはやっぱ新日の方が良かったみたいね。 川田が新日のリングに初めて上がった時、「なんて素晴らしいんだ」と感動したって言うし。
若手がセコンドに付いたり、試合前に花束貰ったり、紙テープやトイレットペーパーが乱れ飛んだり 外人にとっては「ここが変だよ日本のプロレス」だったかもw
>>774 リング製作社が書いた「弾むリング」という本に
SWSから「2m上から落ちても痛くないリングを作ってくれ」と注文され、
できるか!!!と断ったが、NASAが使ってる衝撃吸収材を2重に使ったら、
1m上から卵を落としても割れない衝撃吸力があった。
ただ音も吸収してしまうため迫力がマットの素材に吸収されてしまった。
パンクラスはプロレスと格闘技の中間のクッションのリングを注文されたとのこと。
>>770 ブッチャーとブラックタイガーが新幹線の車内で
にらみ合いになったとき列伝では「これは名古屋〜京都間で起きた実話である」
って出てたけど、あれはどうだったんだろうか。
>>762 というか?じゃねえよ。
俺の問いかけはアメリカレスラーの練習環境だったのに
マット話に持ってくなよw
昔リング撤収を手伝ったことあるけど、鉄骨の枠組みに厚さ4センチぐらいの板ひいて、その上に体育で使う体操マットだった。
>>778 古舘の話だと、六本木で2人でビール300本空けたのは事実らしいよw
他にも
ハンセン「坊や口にチャックしな」ホーガン「・・・」→現実:初日から2人で仲良く食事に出かける
'80MSGタッグではホーガンの説得に2時間以上かかった→現実:ハンセン&ホーガン2人とも大歓迎のタッグ結成
>>781 MSGタッグ決勝 ハンセンがホーガン見捨てて敗戦 → 現実は試合後も二人で仲良く猪木にダブルブレーンバスター
>>783 すまん。"缶"ビール300本だった。
VIDEO 4:00〜
それでも無いって あり得ないだろ 一人当り52.5Lだぞ
アンドレはサッポロビール園で一体何杯飲んだんだろうか。 75杯だとか85杯だとかもあれば、35杯って説もある。 大ジョッキって1リットルないくらいかな? たとえ35杯だったとしても尋常じゃないが。
便所の繰り返しだな。 そんだけ飲めば膀胱に溜まる溜まる。
789だが、 ビール好きはアンドレとマードックだな。
> >788> >789 省略が飽きたから別のやり方で嫌がらせに来たか 無職はヒマでいいよな 氏ねばいいのに
>>775 通路から入場の時にお客に肩や背中や頭を多くのお客にバチバチ叩かれる(触られる)のを
嫌がる外人選手も多かったらしいよね。
>>794 フレアーは国際んときは断髪だった。
初めて国際初来日のフレアーの写真を見た時は違和感あったなあ。
フレアーっちゅうたらロングだったし。
797泣くなだが、 国際初来日時のフレアーはマードックとローデスとお揃いの断髪だった。
798泣くわだが、 テリーも一時期単発んときがあったな。
GIカットとかクルーカットって言えよ。 ま、つまらんウケ狙いなんだろうが…
>>798 どこのスレでも797,798は狙ってんの?
>>787 ビールを飲みすぎて移動中に強烈な尿意に襲われ急遽バスを停めて道路に向かって立ちションしたら
ちょうど通りがかったライトバンのルーフの上をアンドレの放水が越えていったという与太話もある
かつてのアメリカではレスラー同士が誰かのマイカーに相乗りしてサーキットしていたんだってね。 車中ビールを呑んでドンチャン騒ぎし、マードックは窓から尻出して糞尿を放出し後続車に迷惑かけたとかw
>>803 マードックは試合中でも尻を出し(出させ)てたが
プライベートでも同じだったかw
24時間露出してたんだな…
オープンタッグや最強タッグの星取り、リーグ戦公式戦の最終取り組みが同時に優勝戦ってのが 子供ながらに、よくできたスケジュールだなあと感心してたw
>>807 国際のIWAワールドシリーズ決勝戦の蔵前。
Aブロック優勝者木村に対して、なぜかBブロックは決勝当日に井上vsジョーの予選があり、
大流血で両者KOで1位ジョー、2位が井上とバションで、大流血の井上とジョーが棄権して、
繰り上がったバションvs木村で決勝。
なかなか手の込んだアングルだ。
>>792 同じくジャパンに居た保永は、全日のリングはウレタンの量が多いと言ってた。
それでリングに足が潜って疲れるとか。
>>803 後続車に迷惑掛けたんでなく、後続車が煽ってきて
マードックがキレてクソぶっかけたんでなかったっけ?
何れにしろクソを放った後、ちゃんとケツ拭いたのか、マードックは。
>803 それ、マードック、ローデス、テリーゴディが乗ってて、 ローデス「おいゴディ、ちょっとぬるいけどビール飲むか?」 ゴディ「ありがとう。ちょっとぬるいな」 ローデス「それは俺の小便だ」とかやってたら、 スピード違反でパトカーに追われて、マードックが「一発お見舞いしてやる」と 窓からケツ出して160kmのウンコ爆弾を噴射してパトカーのフロントガラスに命中した話では?
160kmもあるウンコをどうやってきばりだすのか?
>>811 車が走っているから160kmなんじゃないの?
>>816 でも160キロのウン●爆弾なんて書くと、kgと勘違いする人がいるのでは?
>>817 象のウンコ1日分ならそんなもんやないか
時速100マイル(約160km/h)で走行している車からマードックが脱糞して パトカーが160km/hでウンコに追突な。
マードックのウンコ話も尾ヒレがついて伝わっているなぁw
83年の最強タッグ。シン、上田組対鶴見、モンゴリアン組は、シン組の不戦勝。これは鶴見が対戦を拒否したから。今ならありえないよな。
>>807 ブックわかってたんかい?
あれは優勝チーム等を逆算して計算したんだろう。
でもその会議も時間が掛かるな。
>>822 新日はもっと酷かった、82年のMSGタッグリーグ、同じ維新軍のカーン組が
長州組に勝ちを譲るために試合放棄の不戦敗、カーン組は去年の準優勝チームなのに…
しかしまあ、オープンタッグだけど 前年までNWAという権威側の王者だったファンクスを 全面的なベビーフェイスとして売り出そうとした発想は感心するな、見事に当たったし まあデストロイヤーを日本陣営にする前例もあったから、そのへんは経験値はあったろうが… それとも優勝は決まってたかもしれないが、結果的にファンクスのベビーフェイスは想定外すぎたとかもあるのかな?
オープン選手権は馬場が優勝しても その後に何も発展しなかったどころか 翌年からは存在意義が希薄になって PWF戦の開催の規模はショボくなり 感覚も空くばかり オープンタッグでファンクスやブッチャーが 日本人より脚光を浴びる形になったのは 日テレによる馬場鶴田への当時の評価を物語ってたのではないか
>>827 全日はただカードを組むだけで、優勝したりしても次に繋がらないアングルが多い。
大きく繋がったのはファンクスvsブッチャー、シーク、ハンセン乱入→全日参戦ぐらいか?
全日系のカブキはSWSのマッチメイカーになったが、
ただカードを組むだけで先に繋がるアングルをまったく作らなかった。
ドリー・ファンク・シニアが亡くなった時に 主要な供給ルートを子供のファンクスに託して続行か エリックルートにくら替えするか、二つの選択があったらしいけど その上で、オープンタッグでのファンクスの売り出しは、テリーNWA陥落が大きいと思ってるんだけど (NWA王者としてのサーキットによる家庭危機→テリーが自ら降りた?→より日本への遠征も可能) もし馬場がエリックを選んだら、歴史に残るような決勝及び優勝はどうなったんだろう? エリック兄弟(その時点でレスラーだったか知らないけど)を来日させ、 そのままファンクス優勝のポジションに持ってくるには若すぎるし、役者も違いすぎる あとはブッチャー・シークを優勝させ、バッドエンドを作り次回のストーリーにつなげるとか あとはマンネリだけど馬場組の優勝が無難か? でもそれだと、もっと全日の飽きられ方が早くなったかもしれない、エリックルートの外人にもよるけど。
>820
アメリカでレンタカーを借りると左ハンドルも戸惑うけど距離はマイルだしガソリンは
ガロンだからキロやリットルに慣れているので変換するのが面臭かったw
>>827 オープン選手権は「猪木潰し」が目的だからその後は考えて無かったんじゃないのかな?
ただ赤字ながら猪木の執拗な対戦要求をかなりトーンダウンさせる事に成功し不参加
に激怒した力道山家のスポンサーに猪木自ら不参加の事情説明が行ったのが
「猪木謝罪!」のように東スポに報道させる事にも成功した。
利益を捨てて表(豪華外人招聘)と裏(893等の政治的嫌がらせ)から攻めて
新日からの猛攻に守勢一方だった全日が一矢報いた勝利だった。
>>831 >新日からの猛攻に守勢一方だった全日が一矢報いた勝利だった。
別に反論とかでないので誤解しないでほしいけど
その上で「一矢報いた勝利」なの?
自分はその当時は幼少でリアルタイムで知らないから大きな口は叩けないけど
自分らの世代の猪木と馬場の関係というか、ファンレベルの伝聞は
既に「馬場が猪木から逃げてる」だった。
プロレスが興行であり、イメージ産業でもある以上はそれで「一矢で勝利」というのはどうなんだろと思ったんで…
まあ、馬場が猪木の追撃をどこまで抑えられるかの満足度の設定がわからない以上は推測でしかないんだけど。
ただこれはタイムラグがあったとはいえ
「猪木はオープン選手権の、馬場の用意した猛者から逃げた」
よりも
「馬場が猪木から逃げた」の方が10倍以上も認知度が上だった気がするんで…
それとも自分らの世代のイメージはあくまで伝聞レベルで、当時はかなり猪木のイメージは下がったんですかね?
自分達の大半の友達の認識は
「猪木がNWAに挑戦できたら一発で獲れる、フレアーなんていちころ」だったんで…
オープン選手権は勝利でもなんでもないなあw フルメンバーを集めても 猪木ロビンソンの内容の評価の高さに惨敗してるし 自己満足してるだけ
834刃刺しだが、 ファンクスあっての全日本プロレスだったかんな。
興行的には大赤字だったろうなぁ。 まずは府立も愛知県体も札幌中島も 押さえてない時点で地方では超大赤字だろう。 外人勢のギャラは普段の2倍以上だし、 力道山追悼興行も色々な関係者が絡んでるし 経費も相当だったろう。
オープン選手権 米マット界ではNWA会長のF・V・エリックに「おまえアメリカを空っぽにする気か?!」と言わしめて、プロモーター馬場の名声は上がったみたいだがね。 馬場は著書にも書いていたが、選手の招聘に十分根回しをして開催をぶち上げたりと自信満々の大会のようだった。
>>837 ただ決定から開催までの準備期間が短く、本来なら通常シリーズ開催だったであろう会場は“世紀の祭典”にはほど遠いローカル都市が名を連ねている。
リアルタイムでオープン選手権は観る事が出来なかったが プロレスクラシックでの放送があったのでやっと観る事が出来た アントンヘーシングは聞きしに勝る塩振りで度肝抜かれたわ マードックとのシングルだったからヘーシングと言うよりマードックを楽しみにしてたが、マードックも適当な試合運びでどっちらけ。 逆に関心したのはホーストホフマンの強さやうまさ。ドリーVSラシクが意外と好勝負だった事かな
>>839 マードック対ヘーシンク戦はヘーシンクの
きわめて限られたムーブにマードックが
なんとかプロレスに成立させようと四苦八苦
してるのが逆になんとも面白い。
輪島とは違うヒヤヒヤ感があるね。
突然本気で締めちゃうじゃないかという。
>>838 あの豪華メンツでもし大会場も均等に抑え、ゆとりのある日程やカードも充分吟味されたモノだったら
猪木ロビンソン戦を潰せたんだろうかねw!?
つうか憶測でしかないが、とにかく猪木つぶしの目論見が先走ったゆえのあの開催状態だったとも勘ぐれるな。。
>>842 オープン選手権から話題を変えて悪いが
自分は歴代最強タッグリーグで、1番豪華メンバーだと思うのは
1984年と1987年だと思うが、どちらも動員数では新日の方が上だったらしい(当時の週刊三誌の記憶では)
1987はともかくとしても
1984のスカスカの新日本のメンバーで勝てないなんて、何か先走るとかどうこういう以前の問題な気がする…
1984年の新日は維新軍はいないし、ホーガンは開幕戦で帰るし、キッドスミスは全日に行くし…
それで全日はキッドスミスにR木村にレイスニック組まで実現させたんだから…
新日の動員力ってゴールデン効果や興行力とか色々あるんだろうけど、
何かファンの胸に根付くような、麻薬性みたいなものがあるんではないかと、そんな事まで思ってしまう…
>>843 まあ、まずテレビの力は大きいんじゃないかなあ。。地方によっては時間帯も違うが
少なくとも定時放映ならこれは一朝一夕じゃなく、根付いたものだからね。
あと、いくらアメリカで一流だAWAだNWAだってもヲタ以外の一般ファン?なんか言うほどアピールしないんじゃない?
勿論営業力もあるし、そのへん結局言う通りで、興行に関してあらゆる要素で親日が一枚上手なのかもしれないな。。
まあその代わり、大量離脱だの弊害があると内部の影響も時として大きくなるな。
>>843 そのシリーズで、特別試合タッグマッチで猪木&坂口対アンドレ&ホーガンが発表
されていたが、ホーガンが帰ってしまい同じ会場で猪木&アンドレ対マシーンズの
試合が代わりに組まれた。普通に考えたら金返せの世界だが、当時はあまり
騒いでいなかった記憶がある。やっぱり猪木なら納得するファン多かったのかな?
>>843 1987年が新日が上ってのは間違いじゃね
1987年のジャパン・カップは悲惨だった
マードック位しかまともな外人いないしいきなり前田の長州襲撃が起きて
ファンもタッグリーグなんてどうでも良くなってたしな
地味に笑えたのが
「猪木のパートナーの藤原が怪我した」→「代わりにマードックがパートナーになった」という
流れだったのに前田長州が欠場したら藤原があっさり出場してマサとタッグを組んで出場したこと
「怪我はどうしたんだよw」と突っ込まれてた
>>843 その当時、新日、全日両方見ている、
やや新日よりのファンからすれば
キッド・スミスを引きぬいた馬場全日、
今後、絶対に見ないぞ!という気概があったよ。
要するに、反感を持たれていた。
>>843 84年の最強タッグ、MSGタッグ、両方の横浜文体を観戦したけど、文体に関しては最強タッグの方が入っていた
>>847 キッドスミスがハンセンブロディ相手にどこまでやれるか
無茶苦茶興味あったよ
>>836 テリフはともかく、もう一方は土曜8時の全日にとってある意味猪木新日以上の天敵なのでw
82年にシンがいたらそれなりに豪華だった。 85年はジャパンもいたから豪華に見えたが。 87年もシンがいたら豪華になっていたよな。 またこのどっかにウォリアーズでもいればね。 82年はまだウォリアーズはいなかったけど。
>>848 84年の全日は苦手の大阪、愛知も満員に
してるし全ての会場を3500人以上は
動員してた。
最終戦が文体というハンデがあったにせよ
新日に劣ったという事はないと思うけど。
弱気だったのか何かは知らないが いくら蔵前が使えない時期でも 最終戦が文体というのがねw これが東京体育館だったら もっと盛り上がって 人気で新日を大きく突き離すことができたと思う
>>843 90年もある意味で豪華だったと思う。
それまでのファンクス、ブッチャー、スレーター、鶴田、キッド&スミス
から超世代軍、殺人魚雷という新顔、馬場&アンドレ、小橋&エース
さらにはランドオブザジャイアンツというとんだ一杯食わせ物
までいたから。
残念だったのは負傷者が多く未消化で
終わった試合が多かったことか。
>>855 90年の大巨人コンビ対殺人魚雷コンビの試合だけは、今でも録画を見直してしまう。
馬場、アンドレ、ゴディ、ウィリアムス、ジョー樋口、竹内宏介。
みんな鬼籍に入られてしまった。実況の読売テレビ竹山アナだけは存命かな?
ゴディ、ウィリアムスの迫力はハンセン 、ブロディに肉薄していたな。
>>830 そんなありもしない話しても結論なんかでるはずない。大して興味もない。
>>843 ゴングには初めて最強タッグがMSGタッグに勝ったと書いてあったが、
発表数の総合計のことだろうな。
このときの同一会場での比較では全日の4勝(横浜、千葉、大阪、岡山)
2敗(名古屋、熊本)だったが、両団体の水増し度を考慮すると勝ち負けは
逆になるだろうな。
>>860 猪木&アンドレの対戦相手がディートンだったときがあったけど、時期としてはいつだったっけ?
アンドレがイノキボンバイエで入場してたのかな。
>>862 ハワイの試合かね?84年のMSGタッグが終わった後だったっけ?
>>864 レフェリーは前田VSアンドレの時のフレンチ・バーナードかな?
確かアンドレの家と牧場の管理人をやってたんだよな
馬場&アンドレ、猪木&アンドレ、両チームと対戦経験がある唯一の男ジョー・ディートン
アンドレ以外で 馬場とも猪木ともタッグを組んだ外人っているのかな?
>> マードック。海外では馬場と6人タッグくんでいる。
84年の最強タッグ、馬場のミステリアスパートナーがバックランドだったら…
またオープン選手権の話ですが、プロレスクラシックで観たら 何試合か田鶴浜さんが解説してるけど、この頃はまだまともな解説してたんだね あの人いつくらいからネジが外れちゃったんだろw
>>832 当時の猪木は「どんな条件を付けられても」な大見得を切っていた時期だったので「それじゃ参加できない」をやった時点でダメだったんだよな
それを言っちゃおしまいだって
あるいはだからこそ翌年のアリ戦は「どんな条件を付けられても」実現する必要があったとも言えるが
翌年のアリ戦の始末もあってかそれまでの執拗な馬場挑戦が一気にトーンダウンしたんだよな 渕によると本当に新日本と生きるか死ぬかのガチ状態だったのはアリ戦までだったそうだが
>>875 70年代終盤あたりはちょっと雪解けになったね
だからオールスターもできたし全日新日でソフトボールの試合もやったりした
だが1981年のブッチャー引き抜きでまた険悪になる
>>873 どんな条件もなにも
馬場の方が
馬場ー猪木戦を確約できないんだから
「それじゃ参加できない」ってなるのは当然だろう
アリ戦とはその点で全然違う
http://www4.point.ne.jp/ ~kirisame/battle/kiji/open_zennihon/open_19751003.html
馬場が猪木戦を確約できない? オープン選手権の試合形式からして当たらないわけはないと思うよ 投票数はともかく馬場、ドリー、レイスの次くらいに猪木の番付がくるでしょ。 なら当たるし、もし組まないと非難囂々だ。対戦要望も断トツ一位だろうし。 もしのもし、だけど猪木が出るとなったら 対戦形式はトーナメントで決勝でないとBIが当たらない位置になってたかもしれんが。
猪木がオープン選手権で馬場と試合したら、試合中にブッチャーが乱入して 馬場に襲いかかり、それを助けに入った猪木が鉄柱で額を割られて血だるま。 リングに戻ったところで、馬場の河津落としを浴びてフォール負けだと思うな。
>>879 トーナメント?で最終戦の川崎市体育館で馬場vs猪木か?w
まあ猪木の性分から考えれば、馬場(全日)主導のオープン選手権に参加なんか 地球がひっくり返ってもすることは無いだろうことは馬場自身も思ってたかもな。。
15年ぐらい前だったかな? 週刊ファイトの縮小版みたいなのが発売されて買ったけど(数十年分の主要記事の大半が載ってる) その本で当時の文献が載ってて、猪木のオープン選手権へのインタビューがあった まあ、一言で要約すれば「開幕戦で馬場と対戦できるなら参加する」だった じゃ、本当に馬場が開幕戦で猪木戦を組んだなら、猪木は参加したんだろうか? こういうのは発表の段階では既に交渉済みがデフォなんだろうけど
かなり猪木も好戦的な発言だが、どこかカマ掛けた感じだなw まあでもお互いの本当の胸の内は外野の人間にはうかがい知れないが。。
ユセフ・トルコの話だと「猪木は本気で馬場戦をやる気なんて無かった」になってしまう ファンを煽る材料にしてただけだって
>>884 足立区体育館で馬場猪木戦かぁ。
それはそれで凄いが。
大仁田も言ってたな。 「なぜ、馬場さんはあそこまで言われて黙ってるんだ? と不思議だったが、自分もFMWを立ち上げて分かった。あれは話題作りだと分かっていたから馬場さんは取り合わなかったんだ」と。 しかしその大仁田は後に猪木戦を迫る。
馬場猪木戦は世代的にも時代的にも必然性はあるし 当時のファンが最も望んでたカード しかし猪木大仁田戦は必然性がまるでない 高田ブッチャーみたいな野次馬的興味しかわかないから 全然別物
なんつうか、猪木が本当に対戦望むならそれこそ全日の事務所に血判状でも持って乗り込むくらいでないとねえw それに近いのをやったのがアリ戦だからな。。
馬場が、猪木戦や対抗戦、選手移籍の話が上がる度 言ってた台詞として「クリアすべき問題がある」というのがあった。 クリアすべき問題とは、主にテレビなんかの契約上の事なんだろうけど。 猪木のプロレス的挑発に乗らず、現実問題を語ると言う意味では、善くも悪くも馬場らしいと言うか・・。
>>891 実現するなら、プロレス的挑発に乗れるけど、
そうでないなら、ファンを失望させるだけだろ。
アホか。
>>889 必然性がない?
それは馬場猪木の関係を基準に考えてるからそう思うだけで、ないことはないだろ。
しかも猪木はテレビで一旦受けといて、キャンセルって意味わからんわ。
天龍「馬場さんと猪木さんは凄く仲が悪そうに見せてるけど裏ではしっかりホットラインがあったよ」
・日本テレビが放映権 ・結末は馬場勝利か引き分け ・ブック破りしたら破格の違約金 ・レフェリーはジョー樋口 この条件でも猪木は受けただろうか
>>895 ※日テレ放映はテレ朝との契約問題があるため馬場がクリアしろ。
※ブック破りしたら破格の違約金契約の雛形を馬場が出した直後に
猪木が「馬場から八百長を持ちかけられた」と記者会見w
897焼くなだが、 昔はテレビ局の問題は大きかったかんな。
898焼くわだが、 それが原因でオールスター戦は放送されず。
>>891 晩年に新日に対する常套句となるも中身を聞かれると「それまで猪木が俺に対して
してきた言動だよ!(全面的に謝罪しろ!)」と言う事だった。
>>879 興行は全日、TVは日テレ独占とここまでは試合中で猪木の奥の手の目潰しでも金的でも
入れてw勝てば十分に元が取れるが問題は実行委員会で中立的と言うか猪木押しの東スポ
以外が全て全日の息のかかっている人達だった。ゴング・竹内氏が猪木参戦を危惧するも
「もしその時はドリー、マードック、ジョナサン、デストロイヤー等の馬場シンパの
シューター達に連日、当てて首、腕、腰、足等とそれぞれ痛めつけて最後は馬場戦を
用意していたけどそこまでもたなかったでしょう・・・」と当時に全日のブレーン
だった自慢げに森岡氏は語っていた。壮大なRPGような仕掛けだった。
やればできる子のマードックとジョナサンが不気味。
ウルトラクイズのスタッフが回想していたが 日テレで北米横断のクイズを放映してTBSで南米縦断のクイズを放映して 生放送の決勝で日テレチャンピオン対TBSチャンピオンの決勝戦を放映するって案があって 実際に話を持ち掛けたんだがポシャッたそうだ 素人参加番組ですらそういう壁があるからね
ブック破りといえば 学者のインタビューで 鶴田がテーズ、ゴッチは相手の力量に納得いかないと ブック破りしたようなこと答えてたな。
>>902 プロレスの仕組みについて聞かれて
答えてた。代表例として。
>>901 よく猪木が藤波をリバーススープレックスで投げて藤波がブリッジで持ち上がるムーブ。
テーズはゴッチに潰された1本取られたことがある。
ゴッチのブック破りで3本目にやられたらNWA王座移動だった。
>>905 そういう持ち上げたりそれを潰したりするムーブはよくあるんじゃないの?
鶴田、ドリー、ロビンソンあたりの試合でも見た記憶がある
>>905 >リバーススープレックスで投げて、相手がブリッジで持ち上がるムーブ。
ダブルブリッジな!
この名称からも、両方がブリッジしていることが分かる(苦笑)
いくら、ブリッジの力が強くとも、あれは相手の協力がなければ
持ちあがらんと子供心にも思ったよ。
当時、アメリカでダブルブリッジをやると受けるが、ヨーロッパだとインチキだと言われたそう。 ダブルブリッジを潰したゴッチはテーズに「そんなことして何が面白い?」と言ったそう。
ダブルブリッジってブリッジの力で起きるというよりも 子供が小学校の体育とかでやる、背中合わせに座った状態から 起き上がるアレに近いのかな? 足を突っ張って背中を押し付けあうのがコツのやつ
攻め手と受け手が息を合わせてるのが丸分かりなムーヴは面白くない ゴッチに同意
ダブルブリッジは馬場対鶴田の初シングルでも見られたな。 あと馬場が鶴田のブリッジに乗ってもビクともしなかったのに目を見張った。
ダブルブリッジからもう半回転して逆さ押さえ込みに行くムーブもあったな
>>899 馬場もこちらの挑発には猪木も乗って来ないと思っただろうが、シューター揃える辺り
念には念を入れる馬場の慎重さが伺える。
もっと以前にマス大山が、力道山を挑発した時
力道は「じゃあどこが試合開くの? ギャラは誰が用意するの?
俺もドカタやってた頃なら相手しただろうけど、プロはね、金にならない喧嘩はしないの!」
といった感じで言い切ったそうだから、
普段キチ○イ行動が目立った力道だって、こんな調子で現実問題語る訳だし、馬場vs猪木戦だって難しかったんだろうな。
917食いな だが、 プロレス界内で《暗殺計画》とはプロレスもスケールが大きかったな。
>>899 >もしその時はドリー、マードック、ジョナサン、デストロイヤー等…
そういうのも含めて
「開幕戦で馬場とできるなら参加する」
という猪木の言葉もなかなか…
単なるインタビューの奥に馬場の深意を読みっとて牽制してるというか…
いやいやw オープン選手権の話題が出た時点で 猪木は参加外人の顔ぶれすら知らないはずだよ 新日が参加を断ったのは 参加外人が発表される前の段階だから 時系列的に無理
協力しているのがまるわかりなムーブと言えば ロメロ・スぺシャルでかけてる方が相手の肩を叩くと かけられている方が「手をとってください」とばかりに腕を後ろに出す動き あれは子供だって「あんな動きありえない」と思うはずだ
馬場と猪木が戦ったら馬場が勝つシーンは連想できるが 猪木が勝つシーンは想像つかないな。 *猪木が体当たりにくるのをネックブリーカーで仕留めるのは浮かぶが ロビンソンみたく猪木が馬場の巨体に苦労するのが容易に察知がつくわ。
馬場は、もし猪木がホントに勝負したいんであれば道場でやればいい、みたいな話もしてたそうだが 猪木からすれば、今更道場の極めっこで勝つより 客が大勢居る所で、馬場より目立つことだったんだろうからなぁ。
BI砲全盛期時代の日プロで馬場と猪木の対戦が無かったのは メイン級の日本人同士は対戦NG≠ニいう奇妙なルールがあったからだが 飛行機のトラブルで外人レスラーの三かが出来なくなった時は 猪木レフェリーの馬場対吉村のシングルがメインの興行があったはず その時に何故馬場対猪木の対戦を避けたのか
>>920 それはお前の記憶違い。
叩くのは肩じゃなくて脇。
俺も同じこと思っていたが、
プロレスごっこで同じように脇を叩かれたら、
痛くて手を後ろに出してしまった。
>>923 それは初耳エピソード。良ければkwsk
>>922 ただ当時の猪木の格はまだギリギリ発展途上の
感を残しており、負け一発で格暴落という
訳でもなく、一年後リベンジすれば許される
ような雰囲気はあったと思う。
三番勝負で●⚪⚪でもよし。
アリ戦以降あたりでは負けが許されない
存在になったけどね。
逆に馬場は当時既に限界説が出てたから
負けは許されなかったと思う。
鶴田チャンカー初優勝の翌年、また馬場が優勝はワールドリーグそっくりだよね。 ワールドリーグ優勝者の決定権は、馬場本人にはもちろんなかったとは思うが。
>>923 > その時に何故馬場対猪木の対戦を避けたのか
そりゃ会社的にはどっちも傷つけたくない。
本人たちもどっちも負けたくないからだろ。
>>923 記録によれば馬場はエースになってから66年3月と68年2月の2回、吉村とシングルマッチを行ってるね
猪木レフェリーだとすれば2回目のほうかな
>>923 後楽園ホールで馬場猪木戦をやれって言うのかw
芳乃里でなくても俺でももったいないと思うぞw
>>924 カネックやチャボが使っていた手だよね。俺も自分が掛けられた時に同じことを経験したよ。
>>930 馬場が猪木にオープン選手権参戦を求めたが、最終戦の川崎市体育館で馬場vs猪木かw
せっかくだからレフリーは芳の里で、馬場の4の字固めを耐え抜いた猪木がロープに 逃れエプロンで宙吊りになり、そのままリングアウト負けって結末が見たかったな。
>>932 猪木が参加してくるわけないことは想定済みだろ。
猪木を黙らせることが目的だったからな、不参加は想定内というか前提の仕掛け。
しかし、力道山追善興行の試合ってなんとかならなかったのかな? 馬場&デストロイヤー対ドリー&鶴田って、当時のファンにとっても魅力的な カードとは言えないと思うし。もう少し工夫できたと思うんだが。
俺は阿修羅の流血を全日本で見たことはないけど見たことある人いる? 本人が嫌がったのかな。
天龍同盟の時に動脈が切れたみたいな物凄い流血があった。あれは事故だろうけど
ハンセンにやられて、本当かどうかだが頭蓋骨が見えるくらい割れたとかってやつ? あれ以降、角刈りにしたんだったか?
>>923 >>930 その日の後楽園の興行は外人が出ないので延期。
馬場対吉村、ヤマハ対ヒライ&高千穂とか日本人同士の試合が組まれたが、
入場料無料のアトラクションという感じだったそうだ。
(猪木は試合に出ない。これで正規の入場料を取ったら、客は怒るだろうな)
>>939 天龍をカバーに行ったハンセンをカットに行ってコーナーに戻ろうと
ロープをまたいだところでハンセンが後ろから猛タックルして、
鉄柱は金具を繋ぐフックに目の横から上にかけて裂傷。
新日は事故防止のために鉄柱に溶接された輪に金具の輪を繋ぐが、
全日はフックが横向きになっていて、そこに目の横が食い込んだ。
数ミリずれていれば眼球損傷で大事故だった。
前に全く真逆の発想の書き込みあったな。 もしも馬場が新日に乗り込むと仮定、想定して。 そうしたら猪木もシュートに強い外人等を集めて。 こちらは79年、80年頃を想定して。 アンドレ シン 上田 マツダ バックランド ループ ゴッチ。 こういった面子をを揃えるだろうと。
>>941 読んでるだけで怖い、でもそんな話だったはず
>>942 もしかして星野、木戸とか藤原が出てくるんじゃないの?
>>944 メンテナンスとかやるんだ
適当にどっか壊れるまで使い倒してるだけと思ってた
>>937 84年エキサイトSでのブロディ戦で、場外床上へのパイルドライバーで大流血してる。その前の週の放送では同じパターンで鶴田が大流血してるけど。
いつだったかな…小鹿のインタビューだったかな? 馬場vs猪木の当時の「もしあの時に実現してれば」的な質問に対しての答えが 「70年代で同じ10年でも、時期が違えば結果も違う」 と前置きした上で 「70年代を半分に区切って、前半なら馬場さんが強い、後半になると猪木さんかも」 「ブリスコに勝った頃までならギリギリで馬場さんが強い、アリ戦の頃ならもう猪木さんかもしれない」 馬場の懐刀だったわりには中立的だけど、なんとなく納得できる答えでもあると思った、個人的には。 「馬場さんはグラウンドに秀でてるわけではないけど、流れでもし乗っかっちゃったら猪木さんは動けないよ」 みたいな事を言ってた気がする、記憶が曖昧で自信ないけど…
>>939 あれは完全なアクシデント。
プロレスも一歩間違えたら大怪我するという典型だね。
阿修羅の顔の傷は凄かった。
>>937 81年秋にシンとのシングルでも流血した。
阿修羅もシンも共に全日移籍間もない時期だった。
個人的には70年までは馬場が優勢 72年以降は猪木が優勢だと思ってる 最も拮抗するのが71年 挑戦問題とクーデター事件があった頃と重なる
>>945 日本人ならそうなるだろうね。
坂口 長州 星野 藤原 永源と。
お前ら、全日本で行われた唯一のガチンコ勝負を知っているか? 天龍×谷津のジャンケンだよ。
阿修羅は81年最強タッグの開幕戦でもシークの凶器攻撃で流血してたはず。
流血で思い出したけど、全日で額カットの役目を していたのは誰?やっぱ、ジョーさんと京平かね
>>955 場外でセコンド陣が選手を囲み、大熊がその選手の額をカット。
鶴田・ハンセン戦ではテレビカメラの前で堂々と?切ってた。
ブロディやハンセンはセルフでカットしてたな。 81年最強タッグ最終戦とか。
>>957 ハンセンは勢い余って深く入っちゃったな。
その分、インパクトに拍車がかかって良かったが。
>>919 猪木は馬場戦は日本選手権でオープン選手権はお祭りだからダメ、やるんだったら
三団体共催で興行権とTV放映も話し合うべきで準備委員会=実行委員会を作るなら
新日、国際の人間を事前に参加させるて正式に通知のあるべきであるいは
第三者的立場の東スポが主催者として出てくればと現時点では不参加の説明をしている。
猪木が馬場派で固めた準備委員会にかなり不信感を抱いている。ちょっと苦しい言い訳
も聞こえる。晩年に馬場が対決条件の概要を確認すると「全ては全日に任せる!のはず
がだいぶは変わってくるんだよ・・・・」と告白していた。新日らしいねw
>>949 額を何針も縫ってフランケンシュタインみたいな顔になりイタイタしかった。
延髄蹴りでの失神事件の後でハンセンの荒れぷりが度を過ぎていたので馬場が
試合に関係ない者を無防備の背後から攻撃して大怪我をさせたと厳重注意していた。
>>951 馬場の全盛期を東スポ・桜井氏は1967年頃、猪木の全盛期をテレ朝の船橋アナは
一般的に1974年頃と言うけど個人的に1971年と話していた。
日プロ時代の1971年の挑戦表明後にマスコミ関係者の座談会でBI対決の結果を予想
すると下り坂の馬場に対して登り坂の猪木に勝ちをと言う論調が優勢だった。
>>945 木戸&ライガーは天龍の新日参戦時に力量をはかるために指の骨折を狙うイリーガルな
攻めをしてきたらしい・・・
>>930 1968年6月に後楽園ホールで日本人&外人レスラー全員参加のバトルロイヤルが
行われたが当然ながらBI対決は無かった・・・
>>936 でもマッチメークして見て。
当時ならなんとなくいいカードなんだよ。
すこし早い仮定だけど
武道館のメインが馬場×ロビンソンだったら力動山13としてはなんかしっくりこないでしょ。
>>956 86年7月の両国だっけ?
熊さんのカットがドアップだったのは
>>961 メインのカードはあれはあれでいいと思う
試合内容も4人の元味が出てたと思う
ただしフィニッシュがいただけなかった
同日の猪木ロビンソン戦とどちらに行くか迷った挙句に
武道館に来た中間層のファンは
蔵前に行かなかったことを後悔したと思う
阿修羅は全日で何年もやってるのに二、三回しか流血してないんだね。 やっぱり怖がってたのかもね。
>>965 あとで凄く痛いらしい。
激痛だとか。
やっぱり流血嫌がる心理はわかるわ。
>>772 「全日のリングが柔らかいのは、まぁあれは馬場さん向けだから」ってヒロ斉藤がラジオで思いっきり言ってたな
>>966 俺の知り合いの元レスラーはそうでもないって言ってたよ。
シャンプーのときに多少ひりっとする程度って。
どれくらい切るかにもよるだろうけど。
さっきニコニコで見たけどブロディ戦、かなり流血してるね。
>>964 でも蔵前も猪木VSロビンソン戦以外、特筆すべき顔合わせも無かったな。
セミは阪口&星野VSグレッグバレンタイン&リッキーハンターとか。
まあそれを差し引いてもメインの試合の注目度だけで蔵前埋め尽くしたともいえるが。
>>967 ヒロは馬場から評価されたくせにそんなこと言ったのか、この恩知らずめ!
>>969 昔のビックマッチは
メイン以外は凡庸なカードばっかりというのが当然だった
ひとつの大会に目玉カードが3つも4つもあるというのは80年代以降の話
だからこそメインイベントに出るレスラーには権威と価値があった
>>969 1970年代半ばの新日は猪木の一枚看板だから
メイン以外は、普通の試合だよ。
74年12月蔵前の、猪木対小林のセミだって
坂口&星野対アンドレ&マクレり―だよ。
70年後半は、藤波が加わって
NWFとWWWFジュニアのダブルタイトル戦とかあったが。
>>965 ラグビー時代に額を切るアクシデントとかありそうだけどな。
>>971-972 74年3月の猪木VS小林の第一戦がダブルメインで坂口VSアンドレというのがあって
そのインパクトが強いかもね。まあその小林も加入して猪木、坂口と3本柱体制で
日本側の戦力は全日を凌駕してたし、外人もシリーズ通じてエース格二人は最低揃えて
もらいたかったがそこは叶わなかったな。緒戦から中盤までまるでB級だけとか。
ワールドリーグ開幕戦、日本人だけの(厳密には大木もいるし日本人だけではないが) 猪木対大木と坂口対小林のカードで蔵前を満員にした新日は凄いよな。 国際の日本リーグ争覇戦で、木村対キムドク、鶴田対井上を揃えた蔵前とかは 本当に悲惨な客の入りだったし。当時は新日以外には真似のできない芸当だった。
>>969 昔は大きな大会でも、
メインだけがビッグマッチというのは当たり前。
今みたいに、山ほどタイトルマッチ組んでるのはアホとちゃうかと思う。
素人に手を出した話ででてくるのが外人でBオートンJr、日本人だとヒロ斉藤
ジャイバにテリゴ、アブチャ、タジェシ。 往年のゼンニプロレは個性がきわ立ってたな。 それに加えてスタハ、ブルブ、テリファ、ドリファ、テリュゲ、ジャンツ、ハリレ等のバトルロイヤルは圧巻だった! チョシュリやキラカ等もちょっと参加したが、いかんせんスタミナが着いていけなかったようだな。
>>960 平成に入ってUインターの高田の蝶野への挑戦に新日本が前提条件をあれこれ付けた時
ああこれでオープン選手権の時の論戦は全日本の勝ちだと思った
>>975 もっとも同時期のプレ日本選手権にしても入りとしては他の時よりも格段に悪い
同時期の蔵前大会で一番入っていたのは全日本の最強タッグ
>>979 馬場 ゴディ ブッチャー シンってそこにゴディが入るのが違和感あるな。
全日で「メインだけで勝負」みたいなのは テリー×鶴田のNWA戦が最後かな?
1976年12月の年末興行戦争で全日の目玉は 師弟コンビvs.韓国コンビとロビンソンvs.ブッチャー、天龍斬髪式w そしてマードックvs.コックスを並べて全日らしい初物量作戦?で日大講堂×蔵前の 隅田川決戦を観客動員で完勝した。 ただ新日は2月にやった猪木vs.ルスカの再戦で柔道着の使用もなく新鮮味に欠ける カードだった。こういう所はまだ新日はコマが苦しかった。 アリ戦の風評ダメージも残っていたかな? ブレンバスター対決は突然に言われてシリーズ中はタッグを組んでいて遺恨など無い ので困惑した二人だったが好試合になり評判がアメリカにも届き二人の対決オファーが 殺到したらしい。
前頭筆頭のプロレスデビューで断髪式って今の感覚でも話題になりそうだが集客効果はどうだったんだろ
秋田のハンセン失神事件は強烈だった。特にあのトペ以降はガチだったな。
あれ生中継だったよな 緊迫感が伝わってきたし、ゴディの対処が絶妙でさすが若きベテランだな ただ、確かに生で良かったとは思うが、ハンセンが試合後まで激高が納まらず 天龍を探しまわったシーンの一端なんかは、録画中継だったなら放送に差し入れてくれたかもしれん
場外で天龍暴行するハンセンの後ろから原がタックル入れる場面 一応背中叩いて合図入れてるけど数メートルも吹っ飛ぶのがスゴイ 助走もしてないのに
あれを未だにガチと思えてしまえる人間にはなりたくない
>>965 不思議なもんだね。イングランドの大型FWにタックルするほうがよほど怖そうだけどね
>>990 起き上がったあとの天龍にくらわした張り手はすごかった
>>992 オレは夢を失った
だからオマエも夢を見るなと悲しい叫びを聞き届けました
>>994 お前はブッチャーをどう呼ぶんや
アブブか、ドッチャか、アブッチか
省略ジジイにはもう負けたよw あらゆる説得は無力だわ 粛々とNG登録するしかない
あれでは全くおまえらしくないぞ! アッチャーかアブッチにしないとな!!
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