3といえばサンダー杉・・、って前もなんか書いたような。。(´・ω・`)
四団体時代は昭和47年10月22日から昭和48年4月20日までわずか半年
全日はなんといっても日テレのプロレス復帰とジャイアント馬場人気と
豪華外人の招聘で一番魅力があったといえる。
国際はAWAとの提携以降外人選手の充実で安定感がありました。(まだTBSも放送してたし)
日プロは馬場・猪木が脱退して日本側の実力に不安がありましたが、外人勢にはまだ知名度があり、
さすがにこの時点でまさか潰れるとは誰も思ってなかった。
新日は旗揚げ後、ほぼ無名外人相手に猪木のお山の大将ぶりだけが目についた挙句
如何せんテレビ局がついてなく、会場に足を運ぶ以外観戦できないというハンデが大きく
いつまで持つかという感じだった。
一匹狼といいつつヤスフジイを子分にして参戦という 伸びないね。
流石にネタ切れかな?
50過ぎの俺がプロレス見始めた頃にはもう消滅してた団体だから、語れる人も少ないだろうし。
飯橋氏は全日の社員として知ってはいたが
国際でリングアナをしていたことや
維新力の実兄だというのは『実録・国際プロレス』を読んで初めて知った。
>>9
5ちゃん(旧2ちゃん)も全体的に高齢化は進んではいるが、そのなかでも懐かし系の板なんかどこも
ホント過疎ってるしな。。00年代(2010年以前)に立ったスレが未だ1000まで行かず細々と残ってたり。
まだプ板の昭和関連なんかは全然にぎやかだねw ま、ジジイになると何回も同じこと言いだすからまたそれで
やってきゃいい。。 ラッシャー木村かエースじゃないとか、しょっぱいとか言う奴がいるからな
自分が国際プロレスの放送を見たのは、
小学校2年頃、親族の結婚式で東京に行って、
ホテルのテレビで夜8時くらいからやってた時の1回だけ。
地元にはなかった、東京12チャンネルという目新しいチャンネル。
その時、大木金太郎さんが、凄く流血した試合で、怖くて印象に残ってます。
後に、昭和59年に(テレビ愛知で)世界のプロレスが放送されたとき、
アナウンサー(杉浦さん)が同じだったからか、凄く懐かしい感じがしましたね。
>>13
俺も地方在住だったから、国際がTV放送されてたのを知ったのは、上京してから。同期の友人が後楽園大会ねチケットプレゼントに応募すると必ず当たったってw
毎回ガラガラだったので、前の方で見させてくれたらしい。 >>14
特等席がそんな簡単にプレゼントされるなんて、羨ましいなぁ。
数年前から国際プロレスの映像を集め、
主に昭和50年代の映像を結構見たのですが、
言われるほど空いてるかな?って感じました。
全盛期の新日本などと比べたら、確かに少ないかもしれないけどね。
当時の国際プロレスの(鮮明・綺麗ではないが)映像を見ると、
アットホームで妙に落ち着く、不思議な魅力があります。
世界のプロレスで放送されてた、AWAなどと雰囲気が似てるかも。 私は12チャンの8時世代ですが、ラッシャーの金網や浜口・井上組のタッグ、阿修羅のWWUなんかは覚えているのですが、
草津の試合を全く覚えていません、ラッシャーの王者時代って草津の試合をテレビで流してました?
12チャン夜8時でぎりぎりまにあった世代ですがずっとテランシー勇だと思ってた
>>16
木村の王者時代は1975年からで、その頃はタッグ王者だったのでそこそこ出てた
79年1月に王座から降りてからはテレビ登場は減り、たまに出ても負け役、引き立て役が多くなった
木村の王座の挑戦する前の外人に勝っちゃうとかデタラメを書かれるが、そんなことはなかった
80年7月にケガで欠場してからは、復帰する事なく引退した >>14
馬場の興行は大和車体工業体育館でお子様のころ一度だけ見たなぁ〜
通路で腕組みしてみてたら 真横に馬場さんが来て 同じく腕組みしてみてたっけな
国際の興行を一度でいいから生でみたかったなぁ〜 裏山 >>18
> 木村の王座の挑戦する前の外人に勝っちゃうとかデタラメを書かれるが、そんなことはなかった
テレビで放送されなかっただけでデタラメではないだろう デタラメでは無いよ、当時の熱戦譜とかにちゃんと残ってる。
国際プロレスの熱戦譜自体がかなりデタラメということは、当時、国際のドサ回りを生観戦してた人間にはわかる
草津だけ取り上げて、そんなこと言ってる奴はニワカ
>>23
いちいち調べないと出てこないけど、そういう試合は確実に見てる。セーラー・ホワイトが木村とタイトルやる前に草津に勝ってる奴は覚えてるよ。
熱戦譜がデタラメで草津の負けを勝ちにしてるってんならそらもう知ったこっちゃないけど。 ワフーとのストラップマッチなんかよく取り上げられるよね。
AWA提携時代はわからないけど、12チャンネル時代は当時の他団体に比べて、
日本人外人ともファンサービスは一番良かった。
日本人や言うに及ばず、ジョーやバションでも快くサインをくれて写真を撮らせてくれたな。
吉原氏は早稲田大学レスリング部出身の元プロレスラーで、
日本プロレス営業部長を務めていましたが、力道山の死後、経営方針を巡る対立で日本プロレスを退社していました。
創業当初は「団体」という形ではなく、所属選手を抱えず試合をするリングのみを提供するという、
アメリカの「興行会社」のスタイルを志向しますが、フリーランスの日本人レスラーが国外活動組以外おらず、
所属選手を抱える団体として活動することとなります。
猪木はヒロ マツダからの要請で(ラッシャー)木村政雄、
(マサ)斎藤昌典らとともに1967年1月5日から開幕した国際プロレスの旗揚げ戦「パイオニア シリーズ」に参加します。
すでに単独での興行能力を失っていた東京プロレスとの合同興行という要請でしたが、
猪木は豊登と田中忠治を除くメンバーでの参戦を決意します。
70年代以降つうか三団体時代の頃は、馬場=日テレ、猪木=NET(テレ朝)と
看板スター選手がそのままテレビ局とセットで存在してたようなもんだが、
国際は正直、なんとか「番外地」と言われた東京12chが(だからこそ?)係わってくれたような印象がある。。
>経営方針を巡る対立
リキパレスの売却問題で「日プロが買い取るべき!」と主張する吉原社長と遠藤が対立し
スポンサーを集めて売却相手の乳酸飲料メーカー・ピロンと同額の買い取り金額を用意する
辣腕を発揮したが逆に「日プロの乗っ取り謀っている・・・」と警戒されたのと日プロの
営業部長としてマツダの凱旋帰国で馬場を隅にい追いやる人気で力道山死後の興行で一番
、興行的に大成功しておさめて国プロ設立を決意したと言われる。
最近の文献では既に日プロは芳の里・遠藤・吉村等のダラ幹体制が固まっていて吉原は
営業部長の閑職に追いやれていて出番が無く馬場人気で日プロも既に力道山死後の影響
からも脱していて興行人気は安定していたと記述があった。
>>29
アマレス出身で大卒の吉原が相撲出身者が幅をきかせていた日本プロレスで浮くのは想像がつくね
日本プロレスから離脱した杉山、草津、マサ斎藤もみんな相撲出身者じゃなかった ( ^ω^)つ TBSでの本放送前の宣伝写真ですお
( ^ω^)つ TBSプロレスの新聞広告ですお
>>24
>セーラー・ホワイトが木村とタイトルやる前に草津に勝ってる奴は覚えてるよ。
???
ホワイトが草津に勝ってるなら問題ないだろ >>33
書き間違えたのは俺だけど、もちろん草津が勝った、な。
国際時代すでにアフロだったのか 昭和プロレスラー名鑑という雑誌が出ていて
表紙に20人位のレスラーのイラストが書かれているんですが
国際の選手はいませんでした。
小林か木村は入れて欲しかったところですね。
>>39
TBSでドリフというと「8時だョ!全員集合」が有名だけど、それ以前にもいくつか番組を持っていた。
この広告に載っている「進め!ドリフターズ」もそのひとつ。 >>34
間違えたくせにいばるな
草津みたいな奴だなw >>32
NHKの全国ネットで放映した「サンダーバード」が日本で大当たりして期待の次回作だった。
多分、各局で争奪戦になったはず?人形がリアルになり過ぎて「スーパーマリオネーション」
の良さが失われたとか言われるけどメカのスピード感では「サンダーバードを越えた!」と
言われる作品。
国際プロレスがつぶれて新日本に吸収合併されるときに、レスラーは引き取り、
役員と社長には金を払う予定が、直前で猪木が金を大幅カットして
外人の名前がメチャクチャ >>46
貴重なパンフだな。この試合で佐山が「真剣勝負風プロレス」を考えついたんだろうし。 キラートーアカマタ 全日本移籍直後のポスター
>>46
UFOは国際にも来日してこの来日後、新日に素顔でカール・スタイナーで来日してる
パートナーのロッキーはUFOの弟で兄弟タッグ
なんでテーズとマッハが寄せ書きできるねん、接点ないやんけ >>51
テーズがレフェリーとしてニックと一緒に来日した時、マッハはいなかったんだっけ? >>45
新日がつぶれる国際に金を払う理由がまったくない >>51
>>52
テーズは末期の国際に4度来ている
最初の1回はマッハの入団前だが、後の3回は一緒になってる
マッハはテーズ杯予選にも参加して、テーズのレフェリングで試合もしているし >>53
切り札カードである猪木vs.木村戦があり創立10周年記念シリーズ第三弾・新日vs.国プロ
全面対抗戦と謳い全日の記念興行の前日に強引に割り込みポスターまで作るも最後の会合
で吉原社長と不仲だった井上が対抗戦参加を拒絶すると他のレスラーも追従する人間も増え
全面対抗戦がたった3人参加のシリーズになった。
猪木が約束した金額を値切るものわからなくはない。「ちょっと高すぎないか?」
と言う猪木の意見を受けて交渉した新間は辛かったらしい。
井上は新日の興行に骨抜きにして楔を入れた功績で全日の10周年記念シリーズで
マスカラスの相手役として抜擢されてレスラー人生で一番大きくポスターに載る待遇を
受けた。
ただ最近の話で継続参戦は木村・浜口・寺西のみと言う話がわかり他のレスラーが反発
したからと言う事もあったらしい。 >>56
そういう問題ではない
国際プロレスがレスラーの所属団体として存続するならギャラをまとめて国際に払うというのもわかるが
国際が廃業してレスラーはフリーになるなら、新日が国際に金を払う名目はまったくないということ 国際が廃業する前に吉原が新日と交渉して役員たちにカネを払う条件で
まだ所属レスラーだった木村たちを新日に移籍させたはずだが
でなければラッシャーが自分の分の移籍金を全部吉原にあげるはずがない
浜口は新日と個人で契約して全部自分のモノにしたみたいだが
83.2.7 蔵前国技館 観衆12000人(超満員) 猪木ー木村 浜口 寺西
猪木が前年11.4蔵前に続き、国際軍団と2度目の1vs3で激突!
木村を逆ラリアート、寺西をコブラツイストで仕留めた猪木だが
浜口にフェンスアウトの反則負け。 >>31
草津は、長身だが顔がデカく
スタイルが良くない。
身体もビルドアップされておらず
全然、格好良くない。
同時期の猪木とは雲泥の差。
やはり、あれではスターになれないよ。 >>61
顔はむしろでかい方が客席にわかりやすくていいんだよ
草津は、三白眼、胸板薄い、首肩から上腕に筋肉がないのがルックス上致命的
逆に全盛期の小林がエースとしてちゃんと見えてたのもこれの裏返し
まあ胸板や肩の筋肉は鍛えりゃいいだけなんだけど
白目がち三白眼のスターってのはプロレスに限らずまあ普通は無いな ( ^ω^)つ
これは、言うのに物凄く勇気が必要だが、
俺は高倉健が嫌い。
演技以前に顔が嫌い。
三白眼が嫌い。
クラッシャー・コワルスキーは誤植じゃなくて元々そういうリングネーム
後にリスワスキーとクラッシャー争奪戦に敗れてビッグKに改名したそうだ 幼少期はサンダー杉山と笑点の座布団運びの松崎真は同一人物だと思ってた
>>61
選手、関係者が口を揃えて練習をしなかったと言っているからね。
八幡製鉄時代に地獄みたいな練習をやらされ過ぎて嫌になってしまったのかもしれん。 杉山は売れっ子タレントだったな、「おはようこどもショー」とか「底抜け脱線ゲーム」とか。
テーズは「草津より杉山の方が上だ」と言っていたが
レスリングの技術はあってもあのチビデブ体型じゃエースは無理だわな
>>70
晩年のインタビューでロビンソンが杉山を高評価していた。
ベストマッチにも杉山戦を上げて猪木も評価するも馬場に対しては
「ババはババだよw」だったwww >>67
わかるわかるw
途中から区別が付いたけど、サンダーさんも子供にピコピコハンマーで頭叩かれてニコニコしてたから、同じお笑いの人かと思ってた。 ロビンソン、セーラーホワイトにけんかでKOされたんだってな
ゴングの国際の本に書いてあった
日プロ練習生時代はフランキー堺の映画に出演したり、国際後は志穂美悦子のアクション映画に用心棒役になったり 国際とデストロイヤーを結び付ける画像ってこれくらいかな
草津がテーズに大恥をかかされたため、国際は豊登をエースにせざるを得なかった オープン選手権やオープンタッグで国際所属選手と対戦してるでしょ
金網デスマッチの鬼、ラッシャー木村!
今、HARDCCの手で熱かった頃のラッシャー木村をリバイバル!
デザインは金網が眩しい100%国際プロレス仕様!元祖デスマッチ王堂々凱旋!
マイクパフォーマンスしか知らない世代にも是非! >>76
そういう意味なら
全日の旗揚げ時(72年暮れ)に
実現したデストロイヤー対T杉山の
US選手権も。
毒蛇<}ーク・ルーインとのツーショット写真があるなんて マークルーインが国際に上がってたらバリバリのトップでやれたな
ルーイン、イヤウケヤ、ラモス、ブラジル辺りの斡旋の話があったけど全日と同額のギャラがネックになって流れたらしいよ
スレ違いで申し訳ないが、
ルーインを高田に負けさせたのは今でも許せんな
>>85
個人的にはバックランドをUWFでかませ犬にした方が腹が立つ >>86
バックランドの時は高田もエース前田のライバル格になってたからまだましだろ
ルーインの時はまだ売り出し中の若手に過ぎなかったから
最近、動画を見たがどうみてもルーインの方が強くて「何だこりゃ?」と思ったけどなw
ヒロ・マツダの本名は小島泰弘なのでこの表記は失礼 CSの俺の激闘のアニマル浜口編見逃したのですが、ベスト5ご存知の方おられます?
>>92
・ラッシャー木村『こんばんは』
・藤波vs浜口
・猪木藤波vsR木村浜口
・猪木vsR木村浜口寺西
・猪木前田藤原vs長州浜口谷津
・(5対5勝ち抜き戦)木村健吾vs浜口 藤原vs浜口 >>93
ありがとうございました。再放送の予定が無いので助かります。 >>93
維新より国際の試合を多く選んでるのに浜口さんの国際愛を感じます >>56
東京プロレス時代に離脱した豊登の分のギャラも吉原に要求した猪木が言うから酷いという印象
しかも当時を知っている新間だけに >>93
・猪木藤波vsR木村浜口
・猪木vsR木村浜口寺西
これはいつの試合ですか? 狼軍団の存在は基本的にはプレ日本選手権用の、インスタント軍団であったことであるのだが、
それにしても、国際プロレス関連で皆奇縁で繋がっているのが面白い。
ボスのマツダと斎藤は、フロリダでタイガー服部も交えた師弟的な関係だ。この結びつきは強い。
マツダは国際プロの創始者。よって、杉山はマツダに鍛えられた弟子の関係である。
斎藤と杉山は同じ明治大学出身で東京オリンピックに出た仲。
斎藤は、東京プロレス崩壊後、吉原社長から国際移籍を拒否されている。
剛は国際期待の星だったが、阿修羅原に嫉妬して脱退。
新日ではマッチメークの都合上狼軍団同士も組み合わせがあり
マツダは杉山にフォール勝ち、また何と杉山は剛にまでフォール負けを喫している。
元国際エースの杉山の格はジュニアヘビーに完敗するまで落ちぶれていたのだ。
>>99
もう当時の杉山はセミリタイアみたいな状態だったでしょう?
おはようこどもショーや底抜け脱線ゲームに出ていた人が、
急に上田馬之助と組んでプロレスに出ていたから驚いた記憶がある。 杉山の脚はプロレスラーらしくぶっとくて良かった
ああいう脚のレスラーが少なくなった
草津のジャーマン明らかに形が崩れているんだが この写真ではなあ、相手の体が崩れてるだけのようにも見えるし。
>>102
綺麗な人間橋ばかりでちゅ!
今のは投げっぱなしばっかでちゅね。 草津はあの当時の選手にしたら技のレパートリー多かったけど、どの技も雑で汚かったよ
>>105
当時は当然プロレスはガチってのが一応建前としてあったから
その中で元リアルスポーツのトップアスリートだった草津としては
単独エースや看板シングルタイトル王者にはならない(なれない?)中で
プロレスの技なんて別に特訓だの師匠直伝だのじゃなくても
俺にはなんでも出来るんだよ!ってのが
隠れた?プライドというかアイデンティティの表れだったのでは
もちろんあくまで今となってはで言える邪推なんだけど >>106
後年初期の学生プロレス観た時に感じたのが草津みたい
技の型をしてるけど、どこに力を掛けてるのか?と疑問になるような見た目で技の仕上がりが不細工
前後の流れお構いなしにただ技を出したり 5時に夢中というMXテレビの番組に小畑千代さんが出られていたよ
スタジオの出演者はみんな小畑さんをおじさまと思っていたみたいだけど
むしろ海水浴に来たいなかのおばちゃん
佐倉輝美は海水浴場のラーメン屋のねえちゃん
今日は蔵前での全日本との対抗戦記念日
全日本勢が国際の王座に挑戦した唯一の時か
マイナー団体を取材してくれてありがたい、という豊登の奨励で
ファッションを統一して登場した三人 東郷にブッカーやらせずにマツダ残留でマツダ、豊登Wエースで草津杉山はもう少しじっくり育てていけば上手くいったかも
外国人はマツダのフロリダ路線と八田ラインの欧州路線を同時に呼んで、マツダVSロビンソン、マツダ&豊登VSロビンソン&ホッジとかなら目玉になりそう
ホッジに依頼すればテーズも呼べそうだし
国際プロレスがアントニオ猪木、ヒロマツダの2トップ体制で、TBS当初の目論見通り
ヒロマツダが国際のブッカーをその後も務めていたら、
日プロを抑えてNWAが国際に加盟していた可能性が高く、
そうなっていたらキニスキーやドリーの来日団体は国際になっていた可能性がある
マティ鈴木がマツダについて「地元フロリダですらたいして顔が広くない」と言ってたそうだが
日系のケオムカもマツダと同じ様にフロリダ地区のフロントに居た
マツダよりもケオムカの方が多く出資して株を多く持っていた
そのケオムカの奥方は日プロのブッカーだったミスターモトの奥方と姉妹だった
今日は後楽園での四大タイトルマッチの日
流氏によると事実上の国際の終焉の日だとか
>>102
この図で特筆されるのは、
アル・コステロの「オースイ・スープレックス」が
「反りなげ」=ブリッジをして後方に
投げる技として見られていることだな。
後年、M井上の尻もちをついて
ローリング式に決める技が「オースイ」だと
されていたが、コステロはギリギリ、反りなげ式だった。 >>102
まぁ、不完全なアル・コステロや草津を
カウントしても、1970年頃は、世界に7名しか
「原爆固め」(反りなげからフォールを奪う技)を
使う選手がいなかったのか!?
メキシコまで入れたらもっといただろうが。
しかし、この図から見てもエミール・エルマンソの
ジャーマンは美しいね。 >>112
ベルト絞めてるのに、なんでもっと映えた写りにしないんだろ >>121
ベルトを絞めちゃってるから締まらない。
手に持って掲げれば良かったんだろう。 また、国プロのムック本出るな。
東京12チャンネル時代の国際プロレス(仮) (G SPIRITS BOOK) 単行本(ソフトカバー) – 2019/6/15
流 智美 (著)
国際プロレス最後のエース >0125
野坂先生、なんですかそのちっちゃい紙は!
吉原社長も原進も顔が引きつってるじぁあないですか!(笑)
>>126
団体側も色紙と筆ペンくらい事前に用意しとけば 四十年前は提携相手を新日本にチェンジの年
その得失についてはいろいろでしょうが
日本リーグ争覇戦とプレ日本選手権から40年以上も経ったのか?
ということは、今年の8月でオールスター戦実現から40年なのか。
草津にそんな趣味があったとはねぇ
赤と黒のエクスタシーなんちゃって ラッシャー木村ってフルタイムの試合やったことあるのかな?
44年前の今日、1975年4月10日、マイティの時代が終わった。
IWA世界ヘビー級選手権試合
挑戦者マッドドッグ・バション(2-1)王者マイティ井上
@バション(変形裸絞め)
A両者リングアウト
バションを場外に置き去りにした井上がロープを跨ぐところで20カウントで王座移動w
>>134
一本目と二本目が逆なのは多そうだがこのパターンは他にあったか?
ホー、4月12日はマイテイの誕生日だったのか
全日本プロレス中継で元国際勢四人のタッグマッチが実現 翌年1月のアジアタッグでもやってたな
ジョーについては最後のアジアタッグ
鶴見は浜口と組んで以来の挑戦で
クインは国際じゃなく、まだ外国人が弱かった70年代の新日に来日してたらパワーズ、クラップと並ぶ外国人エース扱いされてたかも
NWAタッグリーグの因縁で猪木との抗争とか組めそうだし
>>144
初めて国際に来た75年時点で31歳、一番旬の時期だな。
このタイミングで新日に来ていれば、使い方次第で柱にはなれただろうね。 暴動事件ばかりが取りざたされる第二回IWGPにクインが出ていたとは知らなかった
スタッドが途中帰国してしまったのでビックジョン対決は見れずじまい
>>145
>初めて国際に来た75年時点で31歳
1941年生まれだから微妙に違うぞ
3歳ほどの差だが、新日がらみで論じたいなら猪木・坂口よりも上か下かだから
その差は大きいぞw >>147
悪い、某博士のサイトで見たデータで書いてしまった。 クインは末期の国際プロレスにあって貴重な大型パワーファイターで、決め技のエル
ボードロップにも説得力があった。ルー・テーズ杯の決勝にエントリーされる姿が見
たかった。馬場好みの体形だったと思うから、新日じゃなく全日を選んでたら、違っ
た展開になっていたと思う。
なんで「見」と「た」の間とか、「違っ」と「た」の間とかで改行するんだろう?
クインとヘスの大型タッグを草津と浜口に寝かしたのはもったいない。
クインはNWAタッグリーグ、IWAタッグトーナメントでのタッグ屋のイメージが強い
78年の最強タッグ、ニックのパートナーがランザじゃなくてクインだったら面白かった。
まあ、あの当時はAWA代表って冠が重要だったからね。
78年最強タッグの外人、ファンクスと凶悪組を外せば、ニック、ランザ(当初予定はレイスチーブンス)、ロビンソン、
ワイルドアンガス、途中参加のカマタ。。
これに木村&草津が前年のオープンタッグから引き続いて参加してればなかなか「国際」色豊かなメンツだったなw
>>156
ニックのパートナーに当初レイ・スティーブンスが予定されていたのは1980年だろ
ジム・ブランゼルに変更になり、ニックがAWA王座から落ちていたこともあり
ベビーフェイススタイルのファイトで通した >>157
78年だよ、中継の予告でもスティーブンスの名前が出てた。 >>158
だからそれが80年だよ
日テレでスティーブンスと予告されていたのがある週からブランゼルに変わった
百歩譲って俺が知らないだけで78年にも同様のことがあったというなら完全否定はし切れないが
80年にスティーブンス→ブランゼルへの変更があったことは絶対間違いない
某博士のマガジンにもそう書かれている それがソースといってるのではない
補完資料というだけだ
>>160
何も出せないで偉そうに馬鹿が 井上「大木さんは身体が硬いし、受け身も下手だったし、そんなに器用な方じゃなかったですから、パンチなんかもどこに当たるかわかんなくてね。
変なところを殴っちゃって、怒ったガイジンにメチャクチャ殴り返されたり(苦笑)」
ルー・テーズへの頭突きがカタくて酷い報復を受けた話は有名だが
国際へ移籍した時も同じトラブル起こしていたらしい
猪木も「大木さん、重いんだよなア・・」言ってたな。。
若けりゃその先本人なりの自覚で改善も出来るが、もう日プロ創成期に近い世代だったしな。
そんなだから晩年は日本のプロレス界ではたらい回しにされたのかもな。。
アンドレはデカいが器用で上手かったと言うね
藤波がそういうニュアンスの事を言ってアンドレを称賛してた
マクガイヤー兄弟とかグレートアントニオとかジャイアントグスタフとか
新日はデカくて不器用なレスラー大勢呼んだからな
調べてみたら木島幸一は小畑千代の日本女子プロレス(のちの国際女子部)の系統の人脈だった。
今日はゴッチ・ロシモフの日
写真で見た幻のジャーマンが凄い
Gスピで井上が「小林と話してみたい」と言ってるから、対談見たいな。
小林と井上の対談は草津の悪口だけでお腹いっぱいになるぐらい盛り上がりそうな
気がする。
そんな非現実的な話じゃなく、和製ハイフライヤーズ対談を実現してほしい
最後の最後に国際裏切って新日に媚びへつらった浜口を井上がどう評価するか
>>177
井上は「浜口は子供が小さかったから・・・」と小林とは違い同情的なコメントを
数年前に残している。 >>177
井上がそんなこと聞くと思うのか、あんたじゃあるまいし。みんな生きるため、稼ぐために必死だったんだろ? 後に全日本で再会した時にも対戦するだけだったからな
引退試合は行われなかったがもしやるとすれば最後にタッグを復活させて欲しかった
あるいは浜口・井上・寺西vs木村・原・鶴見の六人タッグとか
そういえば最後の和製ハイフライヤーズのカードは?
プロレスリングの教科書
ガニア対ロビンソン
馬場が井上に「原を売り出すぞ。」と言ったら
「良いですよ。ぜひ売り出してください。」と答えたって話もあったね
大人の対応だよ
山本子鉄がアニマル浜口のドロップキックは日本有数と評価してたのは
蹴ってからの前受け身のことだったのかなあ
>>181
ロビンソン、1年後の新日来日時よりもまだウエスト細くて体調良さげ >>179
>>178
浜口が家族を養うため必死だったのは知ってるが、それは剛も同様だった
親がアレだったので兄弟を養わなくちゃならないので新間の甘言に乗っただけなのに
井上「剛の野郎ぶっ殺してやる」は酷い差別だ >>185
剛の新日移籍の噂が流れて各選手、フロントが個別に剛に問いただしたしたら「家庭の事情で引退します。新日には行きません。」と言っていた
社長、選手一同が旅館の大広間で剛に問いただしたら「社長と皆さんを裏切る事は絶対にしません」と言った次の日にフリー宣言をしたので国際勢はブチ切れた 正直に言って袋叩きにされるのは誰だって嫌だろう
ウソをついたから悪人って小学生じゃないんだから
>>187
他の選手は独身者は遅配が続いてるの知ってたから新日行くのは良いけど小林みたいに後ろ足で砂をかけて辞める様な事をしなければ仕方が無いと言っていた
実際は小林と同じ様にフリー宣言からの新日参戦をした 小林はエースの状態からの移籍だけど
剛の場合はろくにプッシュもされてない中堅扱いのままからの移籍だったからねえ
これについては皆の前であけすけに経緯明言して移籍しろって方が普通は無理だろ
下手に言って移籍話自体潰されることだってありうるし
狭い業界他団体に上がられるくらいなら新日にも全日にも話して
自分とこ含めて国内マットから締め出される可能性だってあったわけで
剛の場合は普段の素行も影響してるんじゃね
移籍先の新日でも嫌われ者だったらしいしね
亡くなった時に携帯に発信履歴が残っていたが
誰も電話に出てくれなかったと言う
藤波の引き立て役とはいえあれだけの事績を残せたのは大きかったかも
まあ一番の晴れ舞台は夢の懸け橋だっただろうが
会社の資金難を草津の集金力に頼っていた訳だし、草津にはみんな文句あっても
逆らえなかったということだよね。
>>190
メガネ―スーパーから北尾中津の格闘技団体を作るので協力要請を受け高杉とともに
準備するが頓挫して田中社長からかなりの額のキャンセル料をもらうがそれを独り占め
にしてしまったらしい。高杉が最近「あの時にキッつく対応おけば・・・」と
話していた。ちなみ国プロ入団前からプロレスファンだった高杉のベストバウトは
日プロ・猪木&星野組のNWAタッグリーグ優勝戦で新日初期の猪木対ゴッチが見たく
て大阪までも行ったらしい。 蝶野正洋「冬場なのに暑がりの剛竜馬がバスの窓を全開にして車内に雪が積もり始めて藤原さんが激怒しちゃって…」
ボーゴ「車でアメリカ移動中に俺がオナラしたらアイツ窓開けて会場に着くまで顔を外に出したまんま」
剛は車関係のトラブルが多いな
この話が本当ならスチュ・ハートにボコボコにされたらしい
336 :お前名無しだろ:03/11/15 22:17 ID:LAHRU0Nz
ヤギ(八木宏=剛竜馬)という日本人レスラーが家に来た。
父とミスター・ヒトがこの選手とレスリングをしてみろというんだ。
ぼくはすぐ「体がちがう」と断った。
ぼくは16歳で、相手はプロレスラーだ。
(中略)
ヤギはぼくのことが気に入らなかったのか、
ラフでダーティーな手を使ってきた。
ぼくの指を曲げたり、下から噛みついたりしてきた。
父は「よし、もいういい」といってぼくを立たせると、
こんどは父がヤギの上にのっかった。
彼の悲鳴が家じゅうに響きわたった。
父はズルしたり、不意打ちを食らわせたりするレスラーを許さなかった。
アメリカーナに載ったブレット・ハートのコラムでした
剛…
>>195
剛は強くないけど汚いテクニックはたくさん知ってたという
高杉の話と一致するね デビューが叶わなかった元新日の練習生が道場の体験をブログに書いてたの見た事あったけど
「G.Oさんは自分より弱い後輩としかスパーリングしない、相手を圧倒して虚栄心を満たす事に凄い熱心」
今でいうマウント取りたがるって奴かな
高田は入門時に剛に可愛がりをされたって回想してたな
高田は「剛さんとのスパーでプロの厳しさを教わった」と悪く書いてなかったが
剛にしてみれば全く格闘技歴も無く100%勝てる少年を狙ってただけだと思う
ハズキルーペの強度試験にピッタリ
うるせぇ〜
かえれ〜 ( ^ω^)つ
>>194
何気なく読み飛ばしたが
蝶野と剛と藤原が一緒にバスに乗ったって
いつのことだろ?
剛が最初に新日に参戦した時は(‘78年〜84年の春)
剛の脱退(UWF入り)と
蝶野の入門はほぼ同じか、剛の方が早いだろ?
仮に、その時としても春だし。雪が降っていたかな?
蝶野はまだ練習生だから、地方巡業も同行していないと思う。
次に剛が新日に上がったのは90年春から秋に掛けて
その時、蝶野はいたが、藤原は第二次UWFにいた。
その後、藤原は94年に新日にUターンしたが、
剛は新日にその後上がったかい? ラッシャーさんには奥さんの連れ子さんだけで、実子はいなかったのでしょうか?
>>203
練習生でも巡業に同行する事はあるよ、全員ではないだろうけど… >>198
新弟子は誰でもシゴかれる。
>>205
入門して半年ぐらいで巡業について行ってセコンド、雑用など色々教わる。
1984年4月入門の三銃士は2,3月にUに移籍して、4月の旗揚げ戦に出た剛とはすれ違いで混じっていないと思う。 剛は84年の新春黄金シリーズ途中で欠場してそのまま辞めたはず
つまり、蝶野はその場にいなかったのに
他人の話をさも体験談のように語ったと?
プロレス界なんて嘘ばかり
珍しくもない
特に草津とか剛とか故人で元々よくない評判があると、更にいいがげんな悪口雑言をいわれる
ここは特にそれを真に受ける奴が多いが
>>207
当時、前田、木村、剛が失踪と週プロに記事が載ってた >>211
前田、木村は最終戦まで出た(前田はフィリピン遠征にも参加)が剛はシリーズ途中で失踪 木村はホーガンとのシングルだったんだよな
そういえばあのシリーズでのホーガンの唯一のシングルでもあったか
マッハ隼人は全日にフリー参加してた最中に新間に呼ばれたんたかな
>>210
マッハ隼人が健吾のボコられてたのを止めた。 >>213
いや浜口やキムケンともシングルやってる
これも高杉かな?スマートすぎるかな ヒロ・マツダが創立時からの看板エースでずっと活躍してたらどうなってたんだろ
越中「維震軍旗揚げ戦の時、呼んでもいないのに剛竜馬が勝手に来ちゃって(笑)。
どうも『長州力が剛を使いたがっている』みたいな話をどこかで耳にしたらしいんですよね。
あの時は剛がマイクアピールを始めちゃったから、我々はその場で対応したんだけど、
この件で後から会社側に文句を言われて。でも、別にウチらが呼んだわけじゃないから(笑)。」
カブキ「まあ、彼はプロレスバカだからね(笑)。」
ヘタするとGスピで追悼特集になりかねんな
Gスピリッツ単行本シリーズ第9弾『東京12チャンネル時代の国際プロレス』(流智美・著)
の表紙を本誌モバイルサイトで公開しました。6月12日(水)発売! 流には、ルー・テーズ、セッド・ジニアス、Uインター、私は公務員ライターに関しても書いてほしい。
末期の国際プロレス本買おうかな
ミスター・ヒトさんて現役時代はデカかったんだな 浜口はワンショルダーに変えてから機敏になるんだよね
練習法知りたい
>>232
卓球やって敏捷性を鍛えたらしい。
テニスボールを壁にぶつけて跳ね返ったボールを体で受けると言う練習もやってた。 俺の激闘アニマル編観たけど、バラエティ慣れしてるかと思ったけど、浜口さんしゃべり全然駄目やな。^^;
昔の国際プロレスを見てた人によると、ラッシャー木村は猪木や馬場より強かったって口を揃えていうね
どうやったって木村の方が馬場より強いのに、それが変な形で負けたりするからプロレスは八百長だって見切りつけた人がたくさんいるという話
>>236
そりゃ仕方ないだろ、プロレスそのものがもともと真剣勝負じゃないんだから。
馬場や猪木との試合以外でも、ラッシャーが真剣勝負をしていたわけでもないだろ? 聞いた話だけどオープン選手権でラッシャー木村と戦わなければならなくなった馬場は、木村にシュートされることを恐れるばかりに、宿敵のブッチャーに乱入を頼み、木村を襲うように頼んだと言ってたよ
ブッチャーに木村を襲わせて、そのおかげで勝った馬場はブッチャーを木村と一緒に非難する素振りしながら計画通りに行ったことを内心喜んでたはずと言ってた
馬場とブッチャーの間にどんな裏取引があったんだろう
ラッシャーが馬場にセメント仕掛けて何の得があるの?子どもじゃないんだし。
馬場と吉原が良く考えて、あの結末になるブックを作ったに決まってるのに。
ラッシャーが傷つかなくて、ラッシャーが全国放送されるブックを、
吉原は懸命に考えたんだろうな。ブッチャーの乱入だともっとも傷つかないし。
ラッシャー木村が馬場を倒すと、日本プロレス界の勢力図が変わってたという話を聞いたんだよね
馬場は木村の後ろで猪木が糸を引いてると最後まで疑ってたというんだよね
全国テレビの前で木村に馬場をやっつけさせて恥をかかせる目的があったと聞いたよ
当時の猪木が国際プロの面倒を見てくれるわけないじゃん、吉原もそこまでバカじゃないし。
当時の吉原にしたら、突然ストロングを引き抜かれて負け役にされた恨みもあったし。
なんか小林が出ていったのは、最初から吉原さんと猪木の間で話が出来てたというんだよね
これ以上、小林をエースにしてやっててもテレビも打ち切りになるから
小林を自分で出ていくように仕向けるからカネ寄越せと
他のレスラーの対面もあるから小林を裏切り者扱いにするよと
あの時点で団体を畳むつもりだったとか
馬場とブッチャーが結託してラッシャーと吉原を騙すとか、想像するだけで笑ってしまうww
>>244
荒唐無稽なホラ話だが
小林を高く売って団体清算の費用に当てようとしたというなら一応の筋は通っている
このスレに多い幼稚な与太話に比べればかなりマシな方 >>240
とはいえピン負けはやっぱり・・・
せめて吉原さんもこのくらい引き出せなかったのかね
馬場やや優勢→ブッチャー乱入で馬場を襲う→馬場のピンチに復活した木村が救援
→木村ブッチャー場外で乱戦の中、リング内に残っていた馬場リングアウト勝ち
→ブッチャー退散後に、勝負は勝負だが馬場も木村の手を挙げて木村の健闘と加勢をアピール
→リングに上がって無効を主張、激昂する吉原さんを木村がなだめてwもう一回をアピール 前日の長岡大会のメインで
R木村とブッチャーの公式戦が大乱闘の末に両リンになってる
その流れを受けての乱入だから不自然ではない
>ラッシャー木村が馬場を倒すと、日本プロレス界の勢力図が変わってたという話
そりゃそうだろうけどもね……。
>>250の言うとおりの素直な流れだと思うけどね。
ただ、こんな妄想もできる。
ブッチャー乱入、木村を襲う。ブッチャーと遺恨ありの大木が救出に現れる。
木村と大木の共闘、5年早く木村大木のダブルエース体制に。 木村は馬場よりも当時キャリア3年未満の鶴田との試合が引き分けだったのが問題でしょ。
でも悲しいかな鶴田との試合の木村が本領発揮という印象だったのがね。
>>222
腰痛の影響でほとんど外出せずひきこもり生活らしいから
老化が進んでいるな。
歯が抜けているのがいかにも貧困老人っていう感じ。
入れ歯ぐらい買えないのか。
小林は結婚歴はあるが、すぐ離婚して子どももいないはずだから
ある程度金は残していると思うけどなぁ。 姐さん、生きてるだけまだマシ・・。猪木もどんどん老け込んでるしなあ。。
ラッシャー最強説だがやっぱ少なくとも相撲の素地があるとかか。
よく吉原さんが「うちには力道山のしごきを受けたものが云々〜」とか言ってたが
ラッシャーがもっと早く馬場や猪木と同期くらいに日プロに入門してたらどんなレスラーに
なってたんだろうな。
木村がガチで強いなんて、一部そんな記事もあったようだが昔はほとんど言われてない
高橋本で書かれてからのこと
根拠は幕下二十枚目までいったから
なら幕内まで上がった大位山はどれだけ強いのかw
>>257
強くたって意味ないじゃん、プロレスは強さを競うスポーツじゃないんだから。
強かった人がエースやっても、客が入らずに潰れてしまった団体なんだろ? まあでもファンにしてみれば見えないバックボーンも結構魅力だったりする。。幻想でもねw
>>257
テーズは、力道山、猪木、木村、ジニアス、高田と、その時に金を出してくれる人を持ち上げる。 >>257
81年1月にテーズ杯予選のレフェリーとして来日した際に町田のデパートの屋上でやったイベントで
ファンから馬場、猪木、木村で誰が強いと質問されて木村だと答えた
国際から仕事もらって来てるのだから、それくらいのリップサービスはするよw
それと「相撲とレスリングをマスターしている」は間違い
当時報じられたのは「スモウレスリング」、つまり相撲のこと テーズ杯の時に寄贈されたベルトって国際が崩壊したあと行方はどうなっていったんだろ。
取り戻したんだっけ?
>>262
Uインターで高田が巻いたベルトがそうじゃなかったっけ? >>262
鶴見が国際崩壊時、事務所に放置されていたのを持ち帰り鶴見邸押し入れで保存
Uインターの頃に流智美を介してテーズから返還要求があり返した
ベルトケースは国際プロレスが作ったのに入れていてUインターで高田が巻いてた時もベルトケースには国際プロレスのロゴが入っいたらしい >>264
ああ、そうだったか。。
会社倒産時の事務所の様相ってもう想像はつくけど、寄贈された栄光のベルトも
ドサクサの中で下手すりゃ廃棄されかねないしw やっぱ鶴見さんは違うな。。(´・ω・`) >>265
鶴見ってあらゆる面で物持ちが良いな
キャピトルのジャージなんて今やヤフオクとかで探さないと買えないのに
いまも愛用してるし 20年位前、鶴見の国際プロレスプロモーションよく観戦に行ってたけど、鶴見の近くに行くとリングコスチュームのほつれたのや穴が空いたのを縫い合わせたのがわかって貧乏臭かった
テーズはアメリカのサイトのインタビューでも日本人で実力ナンバー1に木村を上げてるね
「私は力道山を始め、歴代日本人のエースと戦いバックドロップで倒してきたが、唯一それを許さなかったのはキムラだ。彼には左腕でヘッドロックしないクレバーさがあった」
晩年のテーズは力道山と木村の記憶がごちゃ混ぜになってた可能性大
荒川真と間違ってなければいいよ。。
テーズも60年代以降は新興団体への参画とかが顕著で、NWAつうか米国プロレスの主流とは
徐々に距離を置いた存在になっていった。日本人にとってはゴッチ同様、厳然とした神格化が
かえってテーズの存在をぼやけたものにしていまいか。。
>>222
たいそうお気に入りだった吉田豪がインタビューに行けば、余命が何年か延びるかもしれないな テーズはラッシャー木村が日本で実力ナンバー1であることを示すためにも、猪木のように異種格闘技戦に出て行くべきだったと言ってるね
猪木はウイリーウイリアムスにリハーサルでもヒビっててたそうで、猪木が逃げた場合、木村が代役という可能性もあったらしい
テーズの勧めで本格的な極真空手挑戦も裏で交渉されたそうだが、大木金太郎に止められたという話
異種格闘技戦って、ガチの真剣勝負だったのか?そんなわけないだろw
>>272
どうせその話もテーズ本人か流の話なんだろ?
異種格闘技戦はテレ朝の通常のプロレス放送とは別枠のスペシャル番組で猪木が主役が第一のコンセプト。
どうしてそこに木村が出て来なきゃいけないんだ?(笑) >>268
一応確認するけど、テーズと木村って試合した事ないよね ウイリーウイリアムスは梶原一騎とか黒崎が主導権持ってたからね
猪木はビビってリハーサル自体を何度もキャンセルしてたそうだから
いざ猪木戦が実現しないとなったら黒崎が12チャンネルでキックの格闘技大戦争やったた流れで木村とウイリーウイリアムスという話なったんだろうな
>>275
シングルは無いけど木村&草津VSテーズ&ニックでやってるよ 木村とテーズの試合見てないのはモグリ
沼津かどっかでタッグ戦テレビでやってたし、ノーテレビのドサで国際お得意の非公式試合でシングルやって両リンだったたいうのはマニアは知ってる
いいなあ、この60歳以上のボケ老人な感じ
プロレスのことだけはしっかり覚えてる
木村がガチで強いとか言うけど、テーズのリップサービスは
別として、他のレスラーから「木村は実際には強かった」
という類の証言はあまり聞かない。
浜口も「木村さんは練習をしなかった」なんて言ってるしなぁ。
マサ斎藤や上田が国際のリングに上がった時も、明らかに
見下したようなファイトをしていたし、それこそ流あたりから
「言うことを聞かないレスラーを制裁した」とか「練習で○○を締めた」
とかいうエピソードや武勇伝が出てきてもいいのに、そういうのもないし。
【前田】昔のレスラーは、すごい人いっぱいいましたよね。
ラッシャー(木村)さんだって、のちのちマイクを持っておもろいことを言う
柔和な人みたいな思われ方してましたけど、
あの人、金網デスマッチやってる頃(国際プロレス時代)に、
後輩の陸奥嵐(大相撲元関脇)さんをホントボコボコにしたらしいですからね。
【天龍】同じ宮城野部屋のね。
【前田】生意気な口きいたらしいんですよ。表につまみ出してボコボコにやっちゃったっていう。
レス244や272の(ワッチョイWW ef15-1qrcは
わざと出まかせのヨタ話書いて釣りと、あとそれに釣られたたレスに対して
煽ったりマウント取ったりすることだけが目的のいつもの浅ーいヤツなんだから相手しなけりゃいい
>>264
その経験からかUインターが崩壊するとテーズは即座にベルトの回収に動いた。
>>265
ファイトマネーの未払いが国プロ勢の中では一番多く現物で補填してもらったのか?
ロシモフ優勝のIWAシリーズのトロフィ?かなんかを闘道館に持ち込んだくらいのモノ
持ちがいい。 >>264
鶴見がテーズの通訳係の流に怒られたわけか。
鶴見もジニアス付ければよかった。 >>281
練習は人が見てないとこで練習する人もいるからな。
野球も落合さんなんかは人が見てる所では練習あまりしないと言ってたし。 >>281
練習は人が見てないとこで練習する人もいるからな。
野球も落合さんなんかは人が見てる所では練習あまりしないと言ってたし。 >>262
寄贈じゃなくて貸与だったのかな
Uインターの時は立会人のテーズがその都度持ってきたみたいだが >>288
落合は味方9人でやり、相手のピッチャーの投げた球を打つ野球の練習を1人でやったのか? >>284
確か流の記事によればUインターの場合は最後にノーギャラで来日させられたので帰国後に縁切りのファクスを送ったとか >>283 こういうラッシャー木村を貶めようとする人間の気持ちが理解できない
雑誌から取ってきた知識をひけらかしてドヤ顔してきた爺さんなら仕方がないと言えばそれまでだが >>294
横から悪いが
君の書き込み内容の方が信用できないんだがw >>289
当時の国際の事情を承知だったかは分からないが、秋に決勝リーグを行う前提での
寄贈(なのか貸与なのか)という形なのかな。まあ由緒あるベルトではあるが、
もうテーズの私物だしUインターとの関わりにしても、試合のできない身体のテーズにとっては
プロレス界とつながりを持つ手段としてのベルトだったかもしれないな。。 こいつは異常な木村推し
かなり気持ち悪い
WW ef15-1qrc
>>238 >>241 >>268 >>272 >>294 他
>聞いた話だけどラッシャー木村と戦わなければならなくなった馬場はシュートされることを恐れるばかりに宿敵のブッチャーに乱入を頼んだと言ってたよ
>ラッシャー木村が馬場を倒すと、日本プロレス界の勢力図が変わってたという話を聞いたんだよね
>テーズはアメリカのサイトのインタビューでも日本人で実力ナンバー1に木村を上げてるね
>テーズはラッシャー木村が日本で実力ナンバー1であることを示すためにも、猪木のように異種格闘技戦に出て行くべきだったと言ってるね
>ラッシャー木村を貶めようとする人間の気持ちが理解できない わざわざコピペするなよ、気持ち悪いな
まったくプロレスが出来ないプオタはつまらん
存在価値なし、もう高齢で無理だからプオタ免許返上しなさい
若松市政のプロレスよりショツパイぞ
え、ボケ老人だからしょうがないだろ
国際に詳しいんだぞ? 許してあげろよ
>>298
キミの主張をわかりやすくまとめてくれているのだから感謝した方がいいんじゃないのか
というかプロレスが出来ないプオタってなんだよw 東京12の国際結構資料が多くて読み応えあるな。ファンならマストバイ
G SPIRITS BOOK vol.9『東京12チャンネル時代の国際プロレス』(流智美・著)は本日発売。
この表紙(79年10月5日の世界3大タイトルマッチ)が目印です! >>304
ニックの下の顔写真は、初代ブラックタイガーですね。素顔時代懐かしいな。 >>304
大木がインターのベルトを持ち込んできたんだよな >>306
80年以前なら、木村より井上の方が体が分厚かった。 >>284
国際が羅臼で最後の興行やって事務所畳む段でも電話が生きてたので
その電話でヨーロッパのプロモーターに連絡して参戦の話つけたと
言ってたから転んでもただじゃ起きない人だね、まあ未払い考えりゃ
電話代くらい利息にもならんしな >>304
実録〜のインタビューじゃかなりソフトに語ってたけど12chの田中さんはやはり
腹の中じゃあTV局軽視の吉原社長とマッチメイクの才がない草津を排除しない
限り団体の未来はないと強く考えてたんだな >>310
大剛はテレビ局側ともしっかり打合せしてマッチメークをしていた、って下りを読むと
やっぱり吉原社長や草津のやり方を何とかしなければってのは12チャンネル側も
選手たちも思っていたんだろうな。 吉原はTBSに乗っ取られかかったのがトラウマになってたんだよな
だから必要以上に団体主導に拘った
>>312
馬場や猪木がそのまま団体のエースであり看板スターだったのとは
事情が違うものね 12チャンネル移動後初期のダイナマイトシリーズのポスター
サンダー杉山が特別参戦 まだレフリーに阿部脩が残ってる
もしもTBSが続いている内に鶴田を入れられていたらどうだったか
>>316
何か草津が足を引っ張りそうな気がするなあ >>315
俺はクリスティー・ブラザーズのうっすらした記憶が蘇ってきた。
確かサンダー杉山にいっぺんに二人とも急所打ち(先にやられた事のお返し)
を喰らい、各々別サイドの場外に落ちてニヤけながら悶絶演技、ってのがあったんだ。 流の新刊本を読むと、国際は今で言うブラック企業で
存在してはいけない団体だったんだな。
給料未払い、怪我の治療費は出ないじゃレスラーもヤル気を
なくすだろうし、吉原氏自体も強く言えないから
団体としての統制が取れない状態になっていたんだということだな。
>>315
チン・リーなんて“呼んでほしくない外国人レスラー”No.1だぞw >>314
確かこのシリーズにホワイトは来なかったんじゃないかな? 確か浜口は欠場中に小鉄が接触してきて新日本に一本釣りされたんじゃなかったかな
そして木村と寺西に声を掛けたみたいで浜口こそが国際軍団のブッカー役でもあったと
>>321
ホワイトがアメリカに入国拒否されたのが関連してるんじゃないのかな >>314
井上の名前がないからワールドシリーズの後か。
>>317
吉原は草津を制御出来そうもないからな。小林を離脱させたのも吉原の責任も重い。 >>323
ムーンドッグ・キング時代にカナダに一時帰国したら過去の犯罪歴が理由で
ニューヨークに戻れなくなったんだよな
それでムーンドッグスはムーンドッグ・スポットが引き継いだ とくに後期国際みたいなB級団体(!)って、新日や全日では振るわなかったいわゆる塩レスラーやタッグコンビが
結構そのキャラを全うできた雰囲気があったと思う。。
サモアンズなんか典型だよね。あとはコンバットや吸血コンビ(サリバン&タイラー)とか。
WWFのムーンドッグスなんか絶対新日じゃ活躍できないはず。国際だといい味出せたかもねえ。
そういう意味で国際ってアメプロの世界観に近いんじゃないかという。。w
あ、ちょと内容が紛らわしいな。コンバットとかは新日は関係ないがマッドドックマーチンは
全日に来たよな。シングルプレイヤーだとオックスベーカーが筆頭だな。もうみなさんご存じでしょう。
新日や全日での扱い・・。
>>326
アメプロ好きなら国際は引っ掛かると思う >>324
証言を聞くに草津に遠慮してか吉原が小林と直接話が出来なくなっていたという感じも ダイナマイトシリーズの外人達ってどこのブッキングだったんだろう?
大剛のカルガリールートじゃ無さそうだし
>>321
ホワイトはマスクド・インベーダーとの試合で負傷したって事でポスターに載ってないマスクド・インベーダーが来日した
>>330
アンガスは過去の来日からの直接交渉
オリバーはリップ・タイラーのブッキング
残りは大剛のブッキング 12チャンネル移行後すぐは 大剛のカルガリールートでは使えるタマが見付からなかったのかな
>>327
ジェリーローラーとかジミーバリアント
あたりも国際のリングならそこそこ
いけたかも。 バンクーバー在住だったジン・キニスキーは呼べなかったかな。
グラハムの入場を盛り上げるために曲を駆ける事にしたのが
入場曲のパイオニアなんだっけ うむ、まさにパイオニア精神。
グラハムが2度目に国際に来たときはラッシャーとの金網IWA世界戦だったが、と
特別ルールでフォールのあと10カウントで起きられなければ負け、もしくはギブアップで即負けという
妙なルールだった。グラハムは何回か木村からフォール奪ったが完全KOじゃなく、結局逆エビかけられ
ギブして負け。。w
>>336
>ギブアップで即負けという妙なルールだった。
ギブアップで即負けは当然だろ
他にどうしろというんだ? >>338
ギブアップで即技を解いて、10カウント以内に
起き上がらなければ負け、でもおかしくないが。 国際の金網デスマッチのルール、初期はスリーカウント後、タイムキーパーが30秒測った後、レフェリーが10カウントかギブアップで勝利
後期はタイムキーパーが30秒測るのは省略された
>>339
それだと技かけられたら速攻でギブアップすれば
ほとんどダメージなく試合を続けられるちゃうだろw >>340
タイムキーパーが30秒カウントは時間の無駄だな フォール、ギブアップ後に10カウントの完全決着ルールはジニアスのUNWがやってた。
ジニアスがジョージからフォール、ギアップを取りまくって、
最後、ジニアスがロープ宙吊りでリングアウトw
グラン浜田との対戦では、浜田が逆十字をかけるたびにジニアスが即タップ→10カウント以内に復帰を繰り返し、最後は浜田が怒って試合放棄。
>>344
これはブック通りだったのかな?
いったい何を狙ってそんな試合をしたんだろ? >>341 >>343
まあ、ボクシングでダウン取られてもカウント9までにファイティングポーズで
試合再開と同義。それかギブアップは3回目で完全負けとかで。。w >>347
書いてて思ったが、最初から3本勝負でいいわなw >>343
試合前にオーバーザトップロープルールとアナウンスされたから嫌な予感はあったw
完全決着のはずが、ロープに絡まってリングアウトって、そんなのありかよw
>>346
ジニアスと浜田&サスケ=みちのくでブックが折り合わなかったのでは?
浜田は勝負に勝って、試合に負けたみたいな、ドームでの猪木vs天龍みたいな感じか?
んで、ジニアスは浜田と組んで大仁田とやって最高裁w
最高裁まで見据えたブックだったら、マッチメイカージニアスあっぱれw >>344
この時期、サムライTVにも顔出したりしててプチブレイク中だったなw
「いいかハァマダァ!お前の一本足頭突きはなぁ、絶っっっ対に俺には当たらないぞ!
もし当てられたら、100ペソの賞金を出してやる!wooooo!!」 >>347
ボクシングでダウンした場合はポイント取られて判定負けになるし、棄権すれば即負けになるよな。
UWF系のダウンやロープエスケープにしても蓄積すれば負けてしまうわけで、そのルールだとタップしても何もデメリットがないところが
他と違う。
欧州でやってたというラウンド制のプロレスはポイント的なものはあるんだっけ? >>347
デスマッチなんて完全KOでハッキ決着をつけるためにやるものだろ
フォールの後の10カウントは一瞬の返し技では勝負が決まらないという点で有効だが
ギブアップをしても負けにならないとか、3回で合わせ1本とかややこしくしてどうする >>346
何でも、猪木が何かの抗争で打ち出した「完全決着ルール」を実際にやったらどうなるか、というパロディらしい。
猪木のことだから、発表する前に深く考えなかったんでしょう。 新アジアタッグ王者が逆挑戦していたがこちらで思い出すのが国際の勝田大会でIWAタッグを防衛していた後のヤマハ
確か当時のプロレス誌でリング上から小鉄が木村に対して挑戦して来いと挑発をしていた場面が
1971年6月19日にストロング小林がミネソタ州ダルースでビル・ミラーを破ってIWA世界ヘビー級王者になった日。
改めて調べると、その日、AWAはミネアポリスで定期興行をしていて、小林はビル・ロビンソンと試合をして負けており、ミラーはニックと試合している。
同日には市内でTVテーピングもあって、小林はここでもロビンソンに敗れているが、ミラーは出ていない
流智美の本読んだ。
吉原功のテレビ東京に対する高圧的、一方的な態度。
営業力を盾に、負け役を徹底的に拒否する草津の有様が、赤裸々に描かれている。
テレビ東京の放映料が安いといっても、それで団体経営が成り立っているのは事実なのに、
それを無視してテレビ東京を軽視し、その
意向を無視し、レスラーに対しても
「決定権があるのは俺だから」と見せつけようとする吉原に辟易したと、田中氏はメモに書いてるね。後、草津に何も言えない点も問題だと。
先日の地震で震度6強だった新潟県村上市、原vsキッドのダブルタイトルマッチが
行われた地だと真っ先に思い浮かべた人は何人いるだろうか?
だいたい吉原社長と草津がガン
まあ予測はついたけど。
鶴見大位山の独立愚連隊は本来テレ東の発案でじっくり育ててメインで使うはずだったが、吉原の独断で突然髪切りマッチやって小規模な流れに終わってしまった、という件が面白い。
寺西の格上げは納得しかねるけど。
>>355
そういうの見ると
ミリオンダラーマンとアンドレのベルト売買は
すごく真っ当なことに思えてきたよ。
大人なんだしほしい物買って何が悪いの、って感じ(笑) 吉原社長は良い人すぎて社長に向いてなかったというのは
一面的な見方に過ぎなかったんだな。
吉原が有能だから国際プロレスかあそこまで存続できた、とか言ってたヤツいたけど
吉原だったからぐだぐだになって潰れたが正解だな
でもTBS打ち切られてから、あれだけの期間存続できたのは奇跡的じゃないか?
当時の12チャンネルは、ネットも貧弱でテレビ放送の価値がだいぶ違ったし。
流本は、面白いし評価してる
ただし、当時の東京12チャンネルの放送網、地方局の放映時間等の資料がないのが致命的な欠点
これを示さないのはフェアでない
これがないため限られた放送網で自局の視聴率が全てのテレビ局員と、国際プロレスを視聴できるエリアにいて、新聞、雑誌を隅々までチェックする超マニアの視点による一方的、偏った見方とも言えなくない
プロレス興行は、プロレスマニアだけで成立するわけない
>>367
でもそれに関する田中氏の反論を掲載してるよ。
テレビ東京の番組でも高視聴率の番組は、地方への販売で15局以上へのネットを実現させてる。国際プロレス中継をそこまで持っていきたくて、色々プランを出しているのに、吉原氏に全て拒否されると >>368
少し誤解してると思うよ
高視聴率番組を販売するにしろ当時の東京12チャンネルのネット局の特性を理解してないと
説明するの面倒だから詳しい人に聞いてみてよ
同じ高視聴率番組をネット局に売るにしても、相手はU局だよ
テレ朝や日テレが系列局に流すのと、まるで意味が違う 何百万も強化費もらっといてほぼ右から左に借金返済か未払のギャラにあててたというのも凄いな。プロレス界だから許されたのか?
普通なら使用明細と領収書の提出は必須だがな。もうタニマチ感覚だったんだろうな、吉原氏は
>>369
別に俺が言ってるんじゃなくて、当時の中継の田中ディレクターが言ってることなんで、誤解も何もないんだけど。笑
要はテレビ朝や日テレとはネットの規模が違うからと言って、放映権収入がなければ即倒産するはずの団体が、放送局を軽視するような態度を続けていいのかという疑問。
これも俺の疑問じゃなくて、田中氏の疑問だから。詳しくは本を読んで >>369
なお当時のテレビ東京の番組販売の対象がU局とは限らないです。
「大江戸捜査網」という番組は、私の地方のVHF局で放送されてたしね。
テレビ東京のネット局の少ないこと自体は、今でも少ないのに変わりがないので、多くの人には理解できることと思う。 東京12チャンネル時代はネットワーク網が少ないじゃなく
ネットワーク網展開をまだしてなかった
テレビ東京に改名してネットワーク展開始めたのは国際プロレスアワー放送終了後から
>>375
読みやすいように出版社の校正担当が相当いじることを知ってるか? >>373
そんなに「テレビ東京のネット局は少ない」ということは世間に知られてないかね?
それでよく色々いじられてると思うんだけどな。 東京12チャンネル時代は今で言うとTOKYO MXと同じローカル局だった
国際プロレスアワーも「後楽園ホール大会、小中学生入場無料」なんてテロップを流し、
実際に会場へ行ってみると「パンフレット買わないと入れないよ」なんてことがあったからな。
団体側が考えたのかテレビ局が考えたのか知らないが、あんなイメージダウンになるような
ことやってりゃ、潰れて当然かもしれないな。
>>376
同じくプロレス研究家を名乗る小泉悦二の書く文章なんかよりも流智美の方が遙かに読ませる文章を書く
もし編集者が文章を読みやすく直しているのだとしたら辰巳出版から出ている他のプロレス本も今回と同じくらいのクオリティになっていたはずだ 早くも重版がかかったというし、売れてるんだな、流本。
この間本屋に行った時、平積みになっていて
ハゲ頭のおっさんが立ち読みしていた。
30年も前に崩壊した団体で一儲けできるとは驚きだな。
>>382
「サンリオSF文庫総解説」が編者も吃驚するほど売れたし
こういう本って需要があるんだよ >>382
吉原社長の遺族に印税の一部でいいから渡してほしいね 確かに流智美の書く文は読みやすくて良いのだが、流本人の立ち位置や主張はコロコロと替わる
ルー・テーズがUインターの顧問として昵懇だった時代には
「日本プロレス界に出現した理想の団体」
等と手放しで賞賛する記事を別冊宝島のプロレス読本に寄稿していたが、
Uインターの経営が傾きテーズと袂を分かつや否やUインターの内情を暴露し
宮戸や鈴木健といったUインターの経営陣がどれだけ出鱈目な人間であったかとこき下ろすようになった
Uインターの経営が傾いた理由のひとつには試合もしないテーズ、ロビンソン、ホッジといった連中を立会人として来日させていたことがあるのだが、
流は自分が甘い汁を吸ったそうした事実は無かったことにして、かつてあれだけ持ち上げていたUインターを掌返しして貶めた
今回の国際本にしても、以前は最高の人格者と賞賛していた吉原社長を傲慢で現実を認識していなかった無能の人物と断罪している
いずれ流がテーズを「自身の価値を過大評価した守銭奴」とこき下ろす日が来るかもしれない
>>381
レスラーのトークイベントで進行役を務める流氏を見た事あるけど、喋りも流暢で分かりやすい、プロレスにあまり興味ない人でもマニアでも通じるような上手い喋り方をしていた。
表現力はさすがだと思ったよ。 流は、門茂男と語り部体質は同じだよ。
本人が現場にいてきっちり聞き取ったかのように台詞を忖度、超訳してしまう門。
なんでもかんでもレスラー(プロモーターもかな)のマネーと格を上げたいビジネス感で解釈、断定する流。
どっちも言ったもん勝ちのイタコ。当然イタコには芸はいるけど。
流は外人本でSライトがタイガーマスクを初対決3.4後楽園でガチに苦しめたみたいに嘘書いてたがおそらく試合じたい見てない
>>386
ラジオでも聞き易い声だったよ。
プロレスのビデオをDVDにコピーする作業を進めているけどあまりに膨大で
「マニアで手分けして分担できないか?」wと話していた。当時、高額だった家庭用
ビデオデッキは無いので親類にテープを渡して録画してもらったいたらしくマスコミ
関係者では初めて購入したのはゴングの竹内氏で猪木vs.ルスカ戦から録画してある
らしいと言う話もしていた。
新間は国プロ参加を吉原社長に断られたり同じく新日の大塚氏は学生時代にリングアナ
をしていたり興行を買ったり国プロと縁があったんだね。
流氏は仲人が田中Pだから12ch側はあまり悪く書けないかも・・・ >>385
流はプロレス村の狭い世界で飯を食ってきたわけではなく
一橋大学を卒業して一般社会の常識の中で生きてきた人物。
一ファンに過ぎない流をプロレスの世界に導いてくれた
吉原氏に感謝の念は持っているものの、ビジネスの
視点で見た吉原氏のやり方には疑念があったんだろう。 東京12チャンネルはあくまで東京12チャンネルであって、テレビ東京ではないからな。
テレビ東京ではないからこそ、金網デスマッチも放送することができたんだし。
風向きがコロコロ変わる流智美だが、馬場と草津が嫌いなことに関しては一貫している
一時期のUインターに対する憎悪感剥き出しの攻撃はテーズの最後の来日時の旅費を流が立て替えたまま清算してもらえていないとかなのかな?
>>385
最高の人格者と、傲慢で無能な経営能力は相反してなくね? >>394
馬場はともかく、草津を良くいうのは浜口ぐらいじゃないか?
これほど評判の悪い人間も珍しいが、そんな草津を幹部として
重用した吉原氏も経営者としてどうなんだろうな。
ただ、ガン末期の吉原氏を見舞った小林に
「草津の言うことを聞いたのは間違いだった」
と言ったそうだから、内心では忸怩たる思いがあったんだろう。 国際のレスラーで人柄について悪く言われがちなのは草津、大剛、剛あたり?
大剛トレーニング受けた大谷天山小島西村吉江には慕われてたでしょ
ターザンが国際道場行くとよく来たなともてなしてくれるのが大剛で
また来たのという顔されるのがマッハ隼人
>>392
>一橋大学を卒業して一般社会の常識の中で生きてきた人物
ジニアス
Uインターのちゃんこのエビチリを全部食った
横浜市課長やりながらプロレスマスコミの地方公務員法違反
うん、一般社会の常識の中で生きてきている >>400
先日亡くなったプロレスファンとしても知られた作家の堺屋太一は通産省の高級官僚でありながら作家活動を続けていたが、公務員の兼業禁止ルールに引っかかって問題になったとは聞いていない まあ吉原さんイイ人幻想造りに加担していたのは流だけじゃないしね
>>399
大剛だっけ?
稲妻だった様な記憶があるけど
>>400
ジニアスも大概な性格で自分に都合の良い話ばかりしているからねぇ >>401
流の件は横浜市がアウトとコメントしてる。
ただ、退職しているので・・・とのこと。 流は個人的に会って
話をしたことがあるが
一見、紳士だが(皆、騙される)
とんでもなく高慢ちきで嫌な男だよ。
金にも汚いからジニアスのこと、
100%本当でないかも知れないが
頷けるね。
>>396
国際崩壊後かなり経ってから、流智美は本業の方である企業の営業職をしていた草津と再会したことがあり、その際の営業マンとしての草津のことは高く評価していた
>>403
横浜市としての正式な回答があったわけじゃ無く、問い合わせの電話に出た担当者の談話だから本当のところはわからない >>395
最高の人格者でも経営者としては無能だった人はいたかもしれないけれど、
傲慢だけれど最高の人格者と呼ばれた人はいないと思う >>405
「傲慢ちきな嫌な男」
面と向かっては舞い上がって
「流さん、今度の書籍も内容濃いですね」
なんて言う癖に
匿名だから偉そうに言えるんだろうな。 昔、流さんが自費出版したルーテーズ写真集を買ったな
直筆のメッセージとテーズのサインをつけてくれた、懐かしい
ミスターX=グレート・マーシャルボーグ説を何年も言い続けてるのはアホだと思う>流
>>409
どちらかと言うと病的なアンチだと思うけど。 >>408
ほほう、、
お前、その場にいたのかよ!?
バーーーーーカwww 吉原は結局嫌われ者になりたくなかったから草津を無下に出来なかったんだよ。
問題なのは元子や新間と違って草津が自分は組織の中でのそのような存在であるという意識が無くてガチで嫌な奴だったところ。
自らグレートを名乗るレスラーは全然グレートじゃない奴ばかり
草津(親子とも)
アントニオ
東郷
カリ
小鹿
義太夫
ムタ
サスケ
ニタ
メフィスト
カブキ
>>416
「国名に「大」を入れる国に大国無し」というのと通じるものがあるな 草津のグレートは東郷が己の後継者として名付けたって設定だったけど東郷は草津の事を見切っていた
>>420
東郷って喧嘩でユセフ・トルコにボコボコにされたんでしょ
晩年の梶原は「東郷はアマレスをかじった程度の男で
あんな男が悪役王と呼ばれるのもプロレスだ」とかボロクソに書いていた >>402
TBS・森Pは静止を振り切って吉原社長が国プロを旗揚げすると「"吉原と言うはコイツにために
なんとかしてあげたい!"と思わせる男なんです。」と話していたりテレ朝の永里氏は
二度目に新日出向中にプロレスと離れて不遇だったと吉原氏を「あんなイイ奴が
・・・そうだオレはアイツの力になるために新日にいるんだ!」と新日の顧問就任を進言
したりこういうのを人望とか人徳と言うのかな?
ただ徳あって才無しと言われそうだけ・・・BI砲に対抗できるカリスマレスラーを
生み出す事ができなっかったのも要因のひとつかな? 国際のレスラーは草津のことはボロクソだけど
吉原氏に対しては悪く言わない。
今回の流本でも、吉原氏のかたくなさ、融通のなさが
団体崩壊に至った要因だと指摘しているし
不満分子には力で押さえつけるみたいな記述もあるが
選手の吉原氏に抱く感情というのは銭金を超えたものがあるのかな。
>>424
自殺したFMWの荒井も悪く言うレスラーはいないな。
どちらもレスラーにはいい顔しか見せていなかったということだろうな。
経営者としてはどっちもでたらめだけど。 荒井社長が自殺したのはヤミ金融から金を借りてまで選手達にギャラを支払おうとしたから
WINGの茨城清志みたく「無い金は払えない」とケツをまくっちやえば死なずに済んだ