85年6月東京体育館のホーガン対藤波の変な結末は誰が失敗したのか
初期5年間を支えた外国人レスラーTop10 (2回以上来日)
タイガー・ジェット・シン
ジョニー・パワーズ
カール・ゴッチ
アンドレ・ザ・ジャイアント
キラー・カール・クラップ
ルー・テーズ
ブルート・バーナード
ハリウッド・ブロンドス
マクガイヤー兄弟
レッド・ピンパネール
>>3
変だったっけ?
普通にアックスボンバーで終わらなかった? >>5
中途半端なアックスボンバーでフォール負けになったからじゃない 平成になってしまうけど90年のクラッシュザスーパーヘビーで行われた橋本マサ北尾対ベイダービガロウィリアムスの試合は新日におけるウィリアムスのベストマッチだったと思うな
それまでは何をやっても中途半端な印象だったけど、この試合のウィリアムスは凄かった
試合に付いていけない北尾に所々、小馬鹿にしてるような外人3人との絡みの緊張感が凄い
この6人全員が亡くなったってのも信じられん
>>5
藤波が1度アックスボンバー潜り抜けた後、もつれた感じで倒れてピンされてる >>7
ウィリアムスは扱いにくいブロディに代わるエース外国人候補だったけど、
2度目の来日後楽園ホールからの生中継で猪木とのシングルマッチ
スパインバスターで秒殺しそうになって慌てて猪木を引きずり起こしたんだよねw
この猪木失神の事態を上手く対処できなかったことから
危険なレスラーのレッテルが貼られ、冷や飯を食わされ
ベイダーやビガロよりも下位の格付けとされてしまうんだよね。
ウィリアムス自身は、90年2月のドーム大会後にトレードされた
全日本で飛躍することになった。 >>9
私が思うウィリアムスの新日での名勝負は、その試合だと思うんだが、私だけなのか?
まぁ迷勝負のほうかもだが、彼の強さがはっきりわかる試合だと。その日の放送で猪木✖スピンクスがあったが為の不幸だよね。 >>9
ウィリアムスが猪木を3カウントやばいと起こしたのと同じ状況を仲野が原にやってる。
ドロップキックは当たってないが、原が後ろ受け身を失敗?
25:20
>>9
前年暮れ大阪でやった橋本とのシングルも良かったよ
ウィリアムス負けたけどいい試合だった 新日時代はダラスで猪木に延髄一発で負けた人って印象が消えなかった
83年のタッグリーグ戦優勝戦(蔵前国技館)の後に
追撃戦という名目で地方で2試合組まれた謎の興行
しかもメインは地方会場に有りがちな6人タッグ
>>15
80年大会も追撃戦あったね。
東京体育館で猪木、ローデス対シン、ハンセンという夢のカード。
他にラッシャー木村対ストロング小林も組まれた。 >>16
それは追撃戦じゃなくて、元から日程に組まれてた興行では?
東京体育館大会は、元から公式戦は組まれて無くて
特別試合のみでカード編成するという興行だった。
例えば、84年タッグリーグ最終戦の広島大会も元から公式戦は組まれて無くて
特別試合(猪木坂口vsアンドレホーガン)とバトルロイヤルが組まれたからね。
83年の追撃戦の時は、日程発表があった後日に追撃戦の2試合が発表されたと思う。 >>17
他に藤波&健吾vs浜口&寺西もあったんだよな
すなわち翌年からの国際軍団の三人がここで揃い踏みって >>17
優勝戦の後だから追撃戦には変わりない。
誌面にも追撃戦と書いてある。 >>1
あのシリーズはWWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦が最高だった
せっかくの高田もだが後の大ブレイクを考えてもブレットの映像なんか撮っておいて欲しかった 新日本のタッグリーグは年々メンバーがショボくなっていったよな。
82年83年は猪木ホーガン組が実現したけど対抗馬チームが居なかったんだよな。
アンドレのパートナーがマスクドスーパースターであれば少しは盛り上がったと思うし、
83年は長州浜口では無くて長州マサ斉藤か長州カーンで出て欲しかったよな。
とにかく83年は長州&浜口の絶頂期だったよな
あともう一歩で決勝進出だったしで
まあ翌年の後楽園でのザンビアエキスプレスとの試合で一気に凋落したが
>>22
確かに絶頂期だったけど、絶対に決勝に進ませては行けないチームでもあったよね。
同年全日最強タッグで、決勝進出では無いけど最終戦で優勝の可能性があった
ハンセン&ブロディ 、鶴田&天龍、馬場&ドリー、シン&上田?と比べると
サイズ実績魅力に欠けるよな。 84年の戸口のパートナーのケリーブラウンはカナダではそこそこの大物扱いだったのかな…
猪木とのシングルでもフォール負けしなかったし…
>>24
カナダの猪木vsブラウン戦は、修行時代の相棒Mストンパーが猪木を救出したね。 >>25
ストンパー新日参戦と思ったが、来なかったな。
開幕戦の後楽園で健吾がムチャクチャ踏み潰されるのを予測した。 第1回IWGP、あのメンツじゃショボいな。
何のためのブッチャー引き抜きだったのか。あとローランドボック不参加(せざるを得ない?)だったのも痛いな。
アンドレ、猪木、ボックの三すくみはぜひ見たかった。
またWWF王者(当時)のバックランドもIWGPに全く縁が無かったのもちょっと不思議な話だったな。
>>27
アンドレ、ホーガン、スタッドの次がカネック、ベラじゃ人手不足だよな…
ワンツ、ブラボーが全戦参加してたら厚みもあっただろうが 新日初参戦で欧州ヘビー級王者?のオットーワンツに必要以上の期待をしてしまった俺w
参加メンバーが1981年MSGシリーズよりはるかにショボかったからな>IWGP
82年MSGシリーズに来日してたデイビーオハノンは何か意味があったのかな…
>>12
その試合見に行ってたわ。試合開始直後にウィリアムスコール。ちなみにメインは長州対蝶野。しかし当時の大阪府立は満員にはならず。翌年のクラッシュザスーパーヘビーから。 >>23
名古屋での猪木&ホーガン戦はノーテレビだったな
ホーガンへのダブルドロップキックの場面と館内の照明が暗い感じだったのも印象的
そういえば浜口とホーガンの対戦はテレビでは一度も無しだったか スティーブ・ウィリアムスが新日から全日に移籍した理由を聞かれたら
「権力分散型の新日より馬場個人商店の全日の方が契約がシンプルだったから」
というのは言い訳で、試合で恥をかかされた猪木が私情剥き出しで
ベイダービガロより下に据えようとして冷や飯を食わされたからに過ぎないんだな
>>24
ブラウンは最初はUWFに来るはずだった。
結果的にはPロバーツ・Sマギーとトレードみたいになったが。
>>33
ノーテレビではあるがダイジェストでやってなかったか?
前年のMSGタッグの名古屋もノーテレビだったが、猪木組vs坂口組は
ダイジェストでやってた。 猪木ホーガン対坂口藤波は録画で放送したが、
猪木ホーガン対長州浜口は断片的な静止画像だけ。
チビザコ維新コンビの無様な敗戦を見せるのは最小限度にとどめようという馬鹿な考えのもと。
アンドレ組に負けた試合ももちろんノーテレ。
一方で藤波前田は生中継でアンドレ組、録画で猪木組と、見事な負け試合をお茶の間に届けられている。
たぶん公式戦以外でも長州浜口谷津はアンドレと組まれていないし、
猪木ホーガン戦も公式戦と特別試合(長州谷津)のみ。
ギブUPまで待てないワールドプロレスリングの
スタジオに芸能人を並べて番組テーマ曲はジャニ―ズ事務所とタイアップするという番組構成に
顔を真っ赤にして抗議の電話をテレビ朝日にした当時の新日ファンの視聴者は
今の2020年のスポーツ中継なんか見たら
泡吹いて失神するに違いない
>>17 外国人選手ってワンウィークいくらの契約だから優勝戦終わったあと、まだ2日間アンドレやホーガンだの豪華メンバー使えるなってことで単純に金儲けで地方のプロモーターに興行売っただけでしょ NWAの歴代の王者のwebサイトを見てたら、1991年に藤波が王者になってるんだな。日本人では馬場の次。
これはどういう経緯でなったのかな。俺はこの時期、プロレスから離れてたのでよく分からん。
猪木のNWAコンプレックスが原因なんだろなというのは大体想像は付く。
しかしさあー、過去にこだわらないはずの猪木が馬場も見放したNWAに執着してたとは…
相当なコンプレックスを持ってたんだな。
NWAに執着してたんじゃなくて馬場を超える事に執着してた
>>41
90年代の新日能力運営には猪木はあまり関わってないだろ。 >>41
その時期はお前がプロレスから離れてたのと同様に
猪木も議員だったからプロレスから離れてるから
新日の内部のことには対して関与してない
猪木のNWAコンプレックスなんて関係なく
お前の猪木コンプレックスの方が深刻だなw >>41
この当時のNWAのベルトは実質、新日と提携していたWCW傘下のベルトだったからWCWと提携していた新日でドームの目玉としてIWGPとNWAのダブルタイトルマッチが実現した ケリー・ブラウンはカルガリーで一丁前に負けブック拒否した。
それでモントリオール行ったんだな。
ケリーブラウンvs荒川のシングルマッチ
試合中に日本語で「来い橋本!」「どうした橋本!」とケリーブラウンを挑発した荒川w
女子高生に握手を求められて握手したら
「上田馬之助さん頑張って下さい」と言われたヒロ斉藤
猪木のNWAへの憧れが「若き日のドリー」っていう具体的な形に
集約されていたように、馬場にとってのNWAも「ドリーシニア以降の
アマリロマットとの付き合い」っていう形だったんだと思える
よく言われているけれど、80年代のファンって「NWA」を力道山が
挑戦したテーズから一貫して日本マット界にとっての憧れの的、
世界の頂点として認められていた、みたいな印象を刷り込まれた
部分があるけれど、力道山の全盛期の頃から「NWA」は一度
日本マットからほぼ完全に切り捨てられているんだよね
力道にとっても「世界チャンピオン」はテーズというレスラーに
集約されていたように、テーズが陥落したNWAからは関心が
なくなったみたいに、以後はテーズの二つ名でしかなかった
「インターナショナルな王者」の肩書をタイトルにしてしまい、
その後は提携先とアメリカマット界の権威としては、テーズも
一時王者になったWWAを世界最高峰として持ち上げている
一時期、日本のプロレスマスコミの「海外情報」はWWAとWWWF
ばかりで、NWAタイトルマッチの報道は年に一回しか紙面に
載らなかった時期すらあったと言われていて、「その時点での
日本マット界の権威が提携していた相手を持ち上げる」という
不文律は仕方のないことだったんだろう
新日が提携を解消した頃のWWFも、全米で飛ぶ鳥を落とす
勢いだったのに、日本のプロレスマスコミにはボロクソに
書かれていたものなあ
ヒロ斎藤が4〜5人のヤンキーにからまれ不意打ちでくらわせて逃げたって話が
グレート義太夫は新宿でヤンキー30人をぶちのめし逮捕された になった
ドリーシニアと馬場の提携はたまたまアマリロにいた駒と大熊の存在が大きかったらしいが実際ドリーこそ馬場が猪木に最も渡したくない相手だったろうな
だからギリギリまで最高の待遇を与えていたわけで
三団体時代は全日本=NWA、新日本=WWF、国際=AWAみたいな認識があったので
三大王者もそのつながりで各団体に来日してたのが自然な感覚だった。
79年秋なんかはその状態が顕著で、馬場がNWAを猪木がWWFを獲得し、前後するが木村もニックに
善戦してあわや三大王者が全員日本人に移動かという様相だったな・・。
まあ国際とAWAの場合その時期はあくまでスポット的だったんだけどな
海外や最強タッグではむじろ全日本と絡んでいたくらいだったし
全日本が初めて国内でAWAに挑戦したのは馬場の記念試合の時でこの時はもはや末期の国際に遠慮なしといったところだったか
そしてマスカラスのIWA戦に許可を出した時点で死亡認定
藤波がWWE殿堂入りした際にWWEの番組や公式ページで連日流された
プロモの中で、フレアーをフォールする映像と共に「IWGPとNWAワールドを同時に巻いた唯一の王者」と
ガンガン喧伝されていた
今のアメプロはWWEの天下なので、ビンスHHHが認定すればそれが正史
これだな
はっきり「NWAワールドヘビーウェイトチャンピオン」と言ってるね
>>56
ドームの試合でオーバーザトップロープからNWAは藤波へ移動したけど分裂してWCW王座はフレアーのままとか変な結果になったんだよね ↑変な書き方になった
藤波が試合中にオーバーザトップロープがあったとしてNWAを2つのタイトルに分裂させてNWAは藤波、WCWはフレアーになったんだよね
平成になって坂口体制の新日が
NWAを引き継ぐのは構わないんだが
使い方が下手すぎるわw
小川直也とか橋本とか天山とか小島とか、権威が失墜してからのNWA王座に縋る事で
目立ちたいプロレスラー
>>49
女子高生が馬之助知ってたのか
まああの当時はそれくらいプロレス及びプロレスラーは
世間に認知されてたということか >>63
美保純とノンシュガーのガムのCMに出演してた頃だしな。 >>60
その後どういう経緯を辿ったのか、フレアーの世界ベルトがWCWインターナショナル王座になって
馳がチャンピオンなったよな。 >>65
それは違うベルトだと思う
対藤波から発生したWCWのベルトはその後レックスルガー、スティング、ベイダー、ホーガンらが巻いてWCWがWWEに買収されてからもWCW世界ヘビーとしたしばらく扱われてた IWGP構想がもう3年くらい遅れてたら猪木はNWA王者になってたんじゃないの?
猪木は馬場の後にはNWAのベルトは巻かない気がする
藤波や蝶野に巻かせる事で間接的に馬場との優劣を付けたかったのでは
WWFもNWAも面倒くせぇ、こっちから願い下げだよ、で始まったIWGPではなかったのか
藤波の頃はNWAまだあったんだって感じだったな
NWAを脱退してWWFとUWAと絶縁しないとIWGPはやる意味なかったよね。
中途半端だからNWFや北米タイトル返上する意味もなかったよね。
まあ、子供心にはIWGP構想は夢があったから個人的には結果的によいけどw
IWGPの予選を世界中でやるとかって話で。夢があった時代だよ。
週刊ファイトの発売日が楽しみでねw
:
>>71
IWGP構想は夢があって、新間がリングでマイクを持つたびにワクワクしたけど、
第1回の大ハプニングを除けば、NWFで十分よかったかもしれない。
フランクゴッチから続く実力世界一ベルトもストーリーもベルトデザインもよかった。 NWFを返上したことで
都度に余計なストーリーを考えなきゃならなくなったんだよなあ
まだそれが当たってるうちは良かったが
ネタが切れると陳腐な企画が目立ってきた
そのせいで6年後にIWGPをタイトル化して現在に至る
今日の東スポで、86.3.26東京体育館での猪木vs前田が流れた真相を新間寿氏が語るとあったけど、あんたその時もう新日から離れてたがな、とつっこんでええのか?
IWGP構想を立ち上げた頃って、WWFは息子に代替わりして方針変わって
NWAはとっくにローカルタイトルになっててフロリダかテキサスの持ち物になってて
当時勢いのあった新日が欲する権威では無くなってたよ
>>75
まぁ読んでみたら、猪木が新間を全日空ホテルに呼び出して相談したらしいけど、何か新間の話は色々膨らませてる気がして信用しきれん >>73
未だに猪木のベストベルトはデザインも含めてNWFの印象 >>78
そだね
スレタイも昭和の新日本プロレスよりNWF時代の新日本プロレスの方がピンと来るね >>76
NWAをミッドアトランティック地区(クロケット王国)が独占的に支配しはじめたのは、
1983年開催のIWGPの後だからホーガンがWWF王者になってマクマホンJr.が全米侵攻を始めた数年後だから早くても1986年頃。 ベルトがいわゆるフレアーベルトに変わったのもこの頃
全日本でのドタキャン事件にも影響か
>>74
IWGP開催直前1年間は対外人のストーリーを
考えるのが面倒くさくなったのか、
大会場では毎シリーズのようにラッシャー
とやってたね。 IWGP構想に繋がるんだろうが、タイトル統一みたいな動きは79年頃からあった。
坂口とパターソンの北米統一や、当時WWFタッグ王者だったバリアント兄弟を呼んで
北米タッグとの統一みたいな話を月プロで記事にしてたな。。
当時の新日営業部スタッフからすると、IWGP構想は余計な事で迷惑以外の何物でもなかった
統一統一と元から会社にあったベルトを勝手に無かった事にしてタイトル戦を巡業で組めなくして
デメリットが多すぎる割に話題性が乏しいと
>>82
Uインターの困った時の高田vs山崎
FMWの困った時の大仁田vs後藤
と一緒だな >>85
全日本の場合、困った時はマイティ井上が
突然最前線に呼び戻される印象。
それで結構活躍する。 >>82
NWF返上後の猪木の主なシングル大一番というと、
81年はシンとハンセンのMSG優勝争い、マスクドとの賞金マッチ、ラッシャーとの一騎打ち。
82年は初頭にブッチャーとのシングルがようやく実現しただけだが、ケガや疾患で結局これといった
試合は組めていないのな。tだその代わり佐山タイガーや長州革命で新日黄金時代を築けたのは
いささか皮肉めいたものも感じるが、猪木の持つ強運なのかもしれない・・。 82年の新日は勢いあったね。
猪木欠場でもタイガーやホーガンがカバーしたし。
83年も盛り上がったけど、梶原一騎事件やクーデター、タイガー引退とかで不安になったw
>>89
それでも11/3の蔵前真昼の決闘は盛り上がったよ。
そして翌年2月の蔵前地獄プロレス、4月の5対5勝ち抜き戦、6月のIWGP決勝
この二カ月置きの蔵前は、物凄く盛り上がった!
まぁ、試合内容は別だがw コブラのデビュー戦の相手がスミスでは無くて
ブラックタイガーだったら、コブラの運命は変わってたかもな?
後は、三沢タイガーのデビュー戦みたいにメキシコから適当な選手を呼ぶとか?
又はスミスが覆面を脱がずにバンビートとして戦ってたら・・・
実際、誰がデビュー戦の相手に相応しかったのかな?
>>76
ビンスがシニアから株式買収でWWEを手に入れたのは82年 IWGP構想より後 >>90
当日券を徹夜で並んで買った
夜中の12時頃についたけどすでに10人ぐらい並んでた
お客さんが入る前から出来上がってて会場に入れろ!だったか開けろ!コールが起きて開場30分前ぐらいに入れた記憶がある IWGP構想は新間が中心になっての構想。よって彼がクーデターで追い出されたら尻すぼみになったのは必然。
>>94
NWAの協力が期待できないから、フルメンバーでもどれだけの大会ができたかは疑問だが
MSGと変わらないショボい面子という事はなかったろうね。
ただ今から振り返れば物足りないメンバーだけど、当時は各地で予選が行われた結果で、
藤波長州ですら参加できない過酷な大会だと勝手に解釈してたな。 オットー・ワンツにディノ・ブラボー、ビッグ・ジョン・スタッド…かなりがっかりした記憶がある。
しかもブラボーが欠場で代役にR木村。ブラボーはなんで来なかったの。
>>96
日本には来てレセプションにも顔を出したんだが
カナダの自宅に強盗が入ったという報せが入って緊急帰国
ブラボーは地元のマフィアとズブズブだったという噂もあって
強盗もその関係だったんじゃないかと今では言われてる >>96
開幕戦は来てたよ。
家族の不幸か犯罪に巻き込まれてだったかで、帰国だったような気がする。 >>97-98
ブラボーの死因が
「違法タバコの密輸に絡むトラブルに巻き込まれ
モントリオールの自宅で犯罪組織に射殺された」
だったからね >>93
蔵前真昼の決闘は、当日券売り場に長蛇の列が出来てチケットを全部売り切った後に
まだチケットを買えない客に対して、紙の切れ端に立見2000円と
手書きで書かれた急造チケットを発売して2階席の通路階段にまで
パンパンに詰め込んだらしいね。
なので、実質蔵前の最多動員数と言われてる。
相撲協会からクレームがあったのか?それ以降の蔵前では
チケット完売したら追加チケットは発売しなかったらしい? 蔵前最終戦の猪木長州までは盛り上がっていたのではないの
それ以降は何か祭りの後みたいな印象
長州谷津が予定通り海外遠征に行ってたら
残された浜口小林寺西は、どんな扱いになってたのかな?
まぁ、長州谷津(特に長州)はニューヨークじゃ受け入れられず
KENTAと同じ様な扱いになってただろうね。
>>91
あの時期は誰が相手でも、コブラがタイガーと比較されるから無理だよ。
それよりどこかのタイミングでヒールターンして、
新しい可能性を探ってもよかったんでは‥ 同時期にはスティーブ・ライトもいたんだよな
まあスミスになったのはカルガリーで何度もやってたからなんだろうが
>>102
あるいはWWFインタータッグを持ち帰るアングルだったりして あの頃スティーブ・ライトの試合見ていて、
将来自分が同じ髪型になるとは思ってもみなかった。
>>105
体型もあんなに馬鹿にしたマクガイヤーのようにw >>99
よく一般ニュースでも「事件に巻き込まれる」という言い方をするが、ほとんど当事者だろという。
「事件に絡む」とかでいいな。 ブラボーは初来日時は緒戦でハンセン&ホーガン相手に
持ち前のパワーで立ち向かい、いわくつきのブッチャー戦でも豪快にアトミックドロップをかましたり
なかなか有望な位置を狙えそうだったが残念な最期だな。。 ライトこそは初代タイガーの伝説をより深めた一人という印象
その前は怪力コンビの北米タッグに挑戦していたというのも凄いが
ストロングスタイルを標榜する新日マットで、アニメの世界から登場した
タイガーマスクは硬派な新日ファンから嫌疑の目で見られてのデビュー戦だったから
試合内容の衝撃も半端じゃなかった。
コブラの場合は期待から入ってるから、余程インパクトを残さないと越えられないよ。
鶴田の国内デビュー戦も当時は衝撃だったけど、タイガーマスクは別格。
「名世界チャンピオンにはなぜかハゲが多い」ってのがあったな
テーズ、ガニア、ドリー、サンマルチノ、ホーガン
モータースポーツでは「なぜかドライバーにはセバスチャンと言う名前が多い」
音楽では「なぜかギタリストにはスティーヴと言う名前が多い」ってのがある
> 鶴田の国内デビュー戦も当時は衝撃だったけど
流智美が鶴田のベストバウトに挙げてるくらいだからな
長州力
1983年4月3日 蔵前国技館 VS藤波
藤波辰爾
1985年9月19日 東京都体育館 VS猪木
天龍源一郎
1988年4月15日 大阪府立体育会館 VSブロディ
ジャンボ鶴田
1973年10月6日 後楽園ホール VSムース・モロウスキー
>>110 レイス、ニック、フレアーがハゲていない時点でどうでも良い話。
ホーガン入れるのも凄い違和感あるし。 >>110
70年代後半から80年代にかけての世界王者は、だいたい4の字をフィニッシュにしてた印象。 鳴り物入りの新人デビューや売り出し選手のお披露目試合ってのは相手の力量も随分評価されるな。
モロウスキーはいい仕事をしたw その他キッド(佐山)、スミス(コブラ)という奇遇にも?「コンビ」で
貢献をし、エストラーダも受け身の難しいドラゴンスープレックスを受けインパクトを添えた。
で、谷津である。。w
>>91
初代タイガーの相手のキッドも藤波戦などで評価はあったけど やっぱりタイガーとの絡みで爆上げした印象
後のライガーの評価も小林邦昭やブラックタイガーじゃなく佐野やペガサスキッド辺りから上がった事を思えば 手の合う無名の方が良かったって思う その無名が誰やねん?ってのはあるけど >>115
同期というか同世代のヒロ斎藤がそれを担えればよかったんだが… >>117
まともなプロレスにならないとの判断だろうが、
猪木もプロレスやってて途中からセメント仕掛けることがあったから、
そんな二人の試合は危険過ぎたんだろうね。
前田がUWFさえ行ってなかったら、間違えなくエースとして育てていただろう。 >>117
前田は「ボクサーになりたい」と即答。
新間「うちはモハメド・アリと仲良くしているから実現させてやる。
その前に体をつくるために新日本プロレスに入れ。
2年か3年たったら必ず紹介してやるから」との約束を交わし
騙したんじゃねぇかwwまぁ前田もボクサーは無理だと自分で判断したのかもしれんけど
高野弟みたいに出戻ってきたらカッコ悪いしな
佐山の総合格闘技の話もその場限りで言ったデタラメだったし
新間も大概勢いでホラ吹くタイプなんだな 個人的な憶測だけど
スミスに覆面被せてバンビートにしたのは
バンビートはコブラの引き立て役としてワンマッチで終了
改めて、スミスとして来日させてコブラのライバルにするつもりだったのでは?
>>116
コブラの第1戦は寺西でよかったのでは?
小林、ヒロ斎藤、キッド、スミス、ブラックタイガーは後の相手として使える。
ただ、ブラックタイガーは佐山とは釣り合うが、コブラ戦の映像を見ると身長差が20cmぐらいある。 83年11月4日の段階で保永は海外遠征中だっけ?
海外に居たなら、保永に覆面被してバンビートとして
コブラの引き立て役やれば良かったのでは?
バンビートとして上がるんだから保永自身には傷が付かない訳だし
>>123
確かに寺西なら安定感あってちゃんとコブラを引き立てくれたよね。 コブラはアメトーークとかもあって、塩評価するのが通みたいな感じになってしまっているが
リアルタイムで観てきた者からすると、佐山タイガーの後釜なら三沢よりはるかに役目は果たしてた。
言われてるほどそこまで悪くない。、
ブレットあたりもデビュー戦候補には挙がらなかったのかな
無難に納めるならスミスより上手く試合を作れたと思うが
ザ・コブラのデビュー当日の蔵前国技館、館内の看板には
4対4対抗戦と、ザ・コブラ対ザ・バンピートが書いてあったが、
ザ・バンピートの部分は、模造紙にマジックで手書きしたものが
上から貼ってあった。その下に当初の対戦相手が書いてあったはずだが、
D・B・スミスだったのか?小林邦昭だったのか?それとも?
バンビートが試合中に覆面脱いでスミスの顔を晒したけど、容姿がキッドに似てるから「キッド」コールが起きてた
スミスはまだ知名度が無かったね
>>127
当時は地味だったがブレットもいいね。
時が経てば、あのWWE王者に勝ったという勲章が後付けされた。
俊二の帰国第1戦がブレットでリングアウトだった。
健吾がNWAインター世界 Jr.を取ったのもブレットだった。 猪木x前田の絶好のタイミングっていつだったんだろう?
やはり3/26かIWGPの決勝か。
87年は完全に逃してしまった
週プロの浜部は
87IWGP決勝は猪木前田の予定だったと書いてたな
前田が欠場した途端に
猪木の練習量が減ったそうだ
80年代のジュニアチャンピオンは佐山は言うまでもなく大仁田、三沢、高田と
団体のエース級まで行ったレスラーが多いので
ジョージ高野の転落が際立って見える
>>134
UWFが戻ってきて、最初に猪木の対戦者を決めるリーグ戦。ここでUWFのエースだったんだから前田が勝ち上がるべきだった。
これが絶好のタイミングでしょ。なんで藤原が勝ち上がるんだ?猪木藤原戦なんて望んでないよ、当時は。 それでも
あそこで藤原が勝ち上がらなかったら
その後での藤原の格上げは難しかっただろうなあ
前田の後に猪木と藤原の試合を組んでも
両国、大阪城ホールクラスのメインでは務まらないと思うし
その後のUWFでも横浜アリーナのメインも無理だと思う
コブラの新必殺スカルドロンサンダーってテレビで見たことなかった気がするな…
>>135
そうなると86年の決勝の相手は藤波の予定だったのかな?
流石に、最初からマードックはあり得ないよな。
85年みたいに、
トーナメント準優勝者vsホーガンみたいなカードが最初から組まれてれば
猪木vsマードックでもあり得るけどね。 コブラがジャパンに行って保永が新日に残ったらジュニアのエースは誰になってたのだろう…
>>139
引き立て役は、スミスとしてでは無くて
謎の覆面レスラーバンビートとして引き立て役をやるんだから
割り切って仕事すれば良かったんだよな。 リフトアップしてダイレクトにリング下に落としたのに怒りもせず
アグレッシブに攻める事もせず、グラウンドに持ち込んでのんびりとしてたので
スミスがムカついたという説もあり
>>143
バンピード(The Vampiedo)な マードック(86)もマサ(87)も猪木が信頼している相手。予定通りだったと思う。
87年は前田だったかもしれないが、ジャパン軍が来ることになったのでやる必要が無くなった可能性はある。
>>142
コバクニ、寺西までいなくなってる事態ならジュニア戦線は山田恵一がモノになるまで放置になると思われ。
戦力不足で帰国させられるヒロ斉藤も敵役になる必要はないので中堅におさまって終了かな。 >>134
1月のトーナメントで藤原優勝、2月の猪木戦は、関節技師弟対決でよかった。
3月の東体は団体戦と初のイリミネーションでよかった。
6月のIWGPで藤波とドローのため、その後かな?
普通は、健吾、藤波、坂口、猪木と上に向かっていくアングルを作るが、
前田>藤波は前田の爆上げ、藤波の格下げになるので猪木戦のタイミングは難しかった。 1月トーナメントは、どうせ前田が上がるんでしょと思っていたので、完全に予想を裏切られたが、それがまた良かった!
結局、猪木x前田のタイミングって無かったように思う。
>>148
IWGPの後というが、前田はトーナメントに負けているわけで挑戦資格は無いんだよね。
これに勝てば猪木戦!というのをことごとく負けさせられたんだよ前田は・・ そもそも、第1次Uで前田は佐山、藤原、木戸の下のNO.4で
蹴りだと佐山>前田、関節技だと藤原、木戸>前田だったから、いきなりUのエースは無理があった。
新日に来たら、本来は若手時代に1勝15敗のジョージが相手だったはず。
>>151
いやいや83年の凱旋帰国の時点で前田は藤波の下まで格上げされていたんだからジョージと同格はない。 >>147
保永を海外に行かせて3ヶ月後に
マスクマンとして保永が大会場でデビューw >>153
その格上げが無理したというか、前田はシングルで長州、健吾、ジョージ、荒川に勝っていない。 >>144
落とされた時に
リングの角に足を強かに打ち付けてたから
寝技くらいしかできなかった >>155
凱旋以降は、長州以外はシングルやってないかな? >>158
やってるけど勝てたのはジョージだけで健吾とは全部ドロー、荒川戦はなし。 結局UWF勢の復帰後からだよ、新日が迷走しだしたのは。
いや、平田のキン肉マン化失敗からかな。その頃から迷走っぷりは少しみえてた。
>>160
迷走は猪木がIWGP決勝でKO負けしてからだろ。 >>100
猪木vs小林、猪木vs大木より多かったのか? >>50
書いている内容は凄く良いんだから、どうか適切な位置で改行してくれますか >>162
当時は水増しだろうが、観衆16.500人だからなw 86年にブロディが抜けホーガンも来なくなったのが痛い。
日本人vs外人のカードが一気にスケールダウンした
>>163
あいすみません
手元のPCの表示に合わせるので
スマホで見るたびにアチャーと
思うのですが、どうも適正値が
見極められず申し訳ありません ナッシュビル大会
✕小島対コブ○
✕永田対アーチャー○
○棚橋対裕二郎✕
順当な結果
企画の迷走は新間追放、猪木が権力を失った時点で始まっていた訳で
七色のスープレックスで凱旋帰国の前田は、藤波の次でもその後空気になっていった
維新だ、下克上だ、世代闘争だってストーリーは面白かったけど、リング上が雑になっていったな
猪木は体調悪そうで顔芸頼みになるし
しかしガタガタの猪木がそれでもブロディやホーガン(第三回IWGPとか)
とやって試合になってるのはやっぱり凄かったんだなあ
「ブロディとの試合を比較すると、互角以上だった鶴田と
ヘロヘロだった猪木の差が歴然とする」
なんて言ってしまうバカがいたけど、猪木がブロディと
連戦していたのは猪木が43歳の時
鶴田43歳の時といったらもう肝炎で一線を退き、前座で悪役紹介と
お笑い試合をやっていた頃だ
猪木は45歳の時に真夏の横浜文体で藤波と60分時間切れ試合をしたんだよなぁ…
そうなると天龍は元気だったよな。
ヨウベツにUPされてた当時55歳の天龍vs20代の今が旬?のKENTAの試合
天龍は動きキレキレでKENTAを子供扱いして圧勝
今の天山(48?)小島(49)永田(51)中西(52)より動けてるし
確実に55歳の天龍の方が強い!
現在51歳の鈴木みのるも55歳で天龍の様な動きは出来ないだろうし強さも表せないと思うよ
>>45
×プロレスから離れていた
〇一般社会から離れていた もしブロディ が仙台での負けブック飲んでその後も新日本に参戦してたら
86年のIWGPに出てたのかな?
>>177
参加してたら前田とアンドレどちらのブロックと一緒にされてたであろう… 86年はもともとブッチリードも参加予定だったんだよね…
藤波、前田、上田、スヌーカと見てみたい試合が多かった
>>146
三日前に、偶然新日本プロレスワールドで、87の猪木−マサの試合を見た
試合終了後に長州が出て来て、藤波・前田も呼応
所謂世代抗争勃発の展開になった
だからそういうアングルのためにマサが選ばれたんだと思う また斎藤と言われた時だったか
そして巌流島がまだ斎藤
>>179
ブッチリード、昔から雑誌で何度もまだ見ぬ強豪と紹介されてて、
待望の初来日がキャンセルってこともあったのに、
平成になってサラッとタッグ屋として初来日してしかも大して目立たなかったな。 >>174
天龍は40になってから試合数が激減したのが大きい。 >>183
ハクソー三人の中では、来日時に仕事したのは一番格下のヒギンズだったね。
WWFとの関係が怪しくなった頃から、ヒギンズとか大剛ルートの外人が目立ち始めたが
言うほど観客動員には貢献しなかった。 リードは絶対に全日だと思っていたのにまさかの新日、しかもIWGPに参加
めちゃくちゃ期待したのに来日キャンセルかよ
本当にがっかりしたわ
第2回の時のマーテル同様、新日マット常連の外人じゃないところにフレッシュさ
を感じ、組み合わせにワクワクし、しかもどういうファイトをするのだろうとか
いろいろ楽しみにしていたのにあっさりと少年の夢を砕きやがって!
何か、ブッチ・リードとボビー・イートンは旬の時にキャンセルしまくって
やっと来日しても時すでに遅しだったから勿体なかったわ
あとはジョージ・ウェルズって人も未来日の選手としては名前をよく聞いたけど、
ずいぶん経って初来日したけどテレビにも出ないくらいパッとしなかったな。
>>188
ブッチリードの代役がワイルドサモアンだったんだよね…タッグリーグでもカートヘニングの代役だったな >>190
となるとリードは藤波や前田と同じブロックだったのか。 >>183
日本で1試合しかしてない外国人ってブッチ・リードだけかもしれんな
(異種格闘技戦や素人みたいなの除く)
90年代半ば以降山ほどあったインディー団体にも呼ばれなかった ブッチリードよりロンシモンズの方が日本向きだったな
>>193
アルティメットウォリアーはレスリングサミット以外に来日してたか? >>195
1991年3月SWSの東京ドーム大会
に出場してS・スローターと対戦しているよ。 >>197
俺も思い付いたw
エクライザーは、あのノートン戦以外はある? ビッグキャットヒューズもヒガンテ戦だけじゃないかな…
エクライザー(イコライザー)名前がめっちゃカッコよくてちょっと期待していたのに
ドーム当日、何だよあの試合は
あれ実際、体調不良だったのか大箱で緊張しまくっていたのかわからないけど
後にNOWに来たときは生き生きとプロレスしていて場外乱闘もオーバーアクション
で迫力あったわ
あれをドームでノートンとやっていればなぁ
ジェシー・ベンチュラもかと思ったけど
藤波ともやってたか。
それから来日経験はあるけど1試合も
してないのはアントニオ・ロッカ。
>>202
イコライザーって、オーディオを持っている人間にとっては
音声信号の周波数特性を変更する音響機器のことなんだよ。
要するに、音楽がキレイに聞こえる装置で、なんでプロレスラーが
それを名乗っているか不可解だった。
まぁ他に意味があるのかとは思っていたが、
「銃器や刃物などの致命的な武器」という俗語もあるそうだ。
日本人には通じないな。 ランス・フォン・エリックはどうだ?!
猪木vsスピンクスの前座で健悟と対戦して、それっきりだと思う。
>>188
全日本系かと思いきや新日本となればやはりバンディ >>209
バンディが重宝されたのは新春黄金シリーズだけだったな… 新春の時のバンディはホーガンと互角にやりあって本当に期待の新外国人だったんだよなぁ。
つぎのヒギンズ、ジャックなど新外国人が登場して面白くなりそうだった。
すべてはブロディの参戦で他の外国人たちがあっという間にかすんでしまった。
新外人が来ても対抗馬の日本人がコマ不足という台所事情はわかるが、
だったら外人同士の戦いをガンガンやるべきだったんだよ。
あるいはスーパーストロングマシンを外人にぶつけて噛ませにするとか。
バンディは、86年5月、後楽園で
アンドレと特別試合が発表された。
(ノーテレビ)
それも目当てのひとつとして、
観戦に行ったら、途中で
アンドレには敵わん、と思ったのか
試合放棄、自らリングを降りて
帰ってしまった。
プロ失格だろ!?
もう、あれでファンも見放したよ!
>>213
細かいツッコミをすれば85年だな
ノーテレビはもったいないと思ったけど、結果を見ればノーテレビでよかったんだな バンディはIWGPチャンピオンシリーズかなんかでマードックアドニスと組まされて猪木の延髄切りでジョバーになった記憶がある
>>214
ああ、85年だったか?
しかし、俺も長い事、沢山のプロレスを
見ているが、まだ戦えるのに
自分からリングを降りて、試合放棄するなんて
あの試合しかないよ!
よく帰るふりをして、客をイラつかせ
それで戻って来るレスラーはいたが、
本当に戻ってこなかった。(呆) >204
イコールにする人=仕返しする人。日本流で言えば仕返しを請け負う必殺仕事人みたいな人のことだ。
オーディオ機器のイコライザーも録音された音を再生する時、実際に聞いた生の音とイコールにすることを本来目的とした装置な。
新日留学生のブライアン・アダムス、ダリル・ピーターソンの2人は
巨漢で期待したけど、その後大成したの?
>>220
ピーターソンはWWFに上がった。
アダムスば89年の全日新春シリーズに来日した。 >>212
ジャックに関しては日本陣営に入れて
ブロディ やバンディと対決させた方が良かったと思う。 ロン・リースって留学生でいましたよね。身長何センチになってましたっけ?
>>220
ブライアンアダムスはWWFでデモリッションのクラッシュになって大出世じゃん
その後WCWでもNWOのメンバーになってたし >>224
ジャックはベビーでやらせたかったよね
猪木ジャック組とか違和感無い >>226
そのあとサーファーキャラでベビーターンしてそこそこの人気。
全日ではクロニックとして世界タッグ奪取。 ピーターソンは乱入して、コンガザバーバリアンにラリアット!
でもジャージのチャックが開いたままだったから、リング下のドン荒川が、「チャック開いてる!しめろ!」のジェスチャーを必死にやっていたのが、テレビに映っていた。館内も爆笑。
>>227
猪木&ジャックvsブロディ &スヌーカ
坂口&ジャックvsアンドレ&スーパースター
藤波&ジャックvsマードック&アドニス いいね!ジャックは風貌はウイリアムスぽかったが、ベビーの雰囲気だった。
ソ連軍の参戦があと5年か3年早かったら(とはいっても政治的国際情勢的に無理だが)
米軍陣営も星条旗を胸に絶対に負けられない本気のガチモードで凄い戦いになっていただろうな